第一章

第一話

「では第一回作戦会議を始めたいと思う。社会の根幹に関わる重要な問題なのでしっかりと聞いて欲しい」

 中肉中背という表現がピッタリとする男子がオホンとわざとらしく咳払いをする。 これといった特徴もない顔で強いて言えば男子にしては少し長めの髪、その髪に半分ほど隠れた目、そして鼻、口がある普通の顔ある。それが柏木真弥かしわぎしんや、ダルそうに机に伏せている俺の唯一と言っていい友人である。

 真弥は、元々俺とは別の中学だったが、受験会場で一緒になり、たまたま会話したところ残念なことに入学式でも一緒になってしまいそれ以来何だかんだと付き合いのある友人である。

 真弥は相手が女子でなければおしゃべりな人間なのだが、会話の内容がほとんどアニメやマンガ、ラノベやネットの話で友人は俺だけのようである。

 俺と真弥は、学校外で一緒に遊んだことはないが、たびたび休み時間や放課後に呼び出されては色々と話をする。それがはたして友人と呼べるのかは議論の余地があるところだが、これを友人と呼ばなければ母親から「あんた友達はいるの?」と聞かれた時に「いる」と答えられなくなるので誰がなんと言おうとも友人と呼ばせてもらう。

 そんなこともあって俺は、その友人にまたもや遽呼び出されて視聴覚室にやって来た。

 真弥は、普段とは違い、偉そうな口調で切り出したくせにせこせこと自ら遮光カーテンを閉めると部屋の電気を消し、何やら準備を始める。

 プロジェクターがウィーンと起動する音にいつもとは違う力の入れ方を感じる。視聴覚室前方のスクリーンには妙に手の込んだスライドが映し出されていた。

『現代日本社会が抱える課題とその解決法』

 何とも固そうなタイトルが書かれているタイトルがスクリーン上に現れる。

「なんだよこれ。分けわかんないことやるんなら帰るぞ」

 いつものようなアニメの話ならまだしも、朝から変な夢を見てただでさえ気分の悪い時にこんな頭を使いそうな話を授業外でしなければならない意味が分からない。

「これは日本の未来を左右する重要な問題なのだよ。黙って見ていたまえ」

 そういうと真弥は次のスライドへと移動する。

『性交経験率の推移』

 というタイトルと共に年別の推移グラフが表示される。

 大学男子、大学女子、高校男子、高校女子と書かれた四つのグラフは最近までは男女似通った動きをしていたが近年になってグラフ推移が男女で急激に変化している。 それぞれ右肩上がりを続けていたものが、最近になって男子は大学・高校共に急にガクッと右肩下がりをはじめているのに対して女子は右肩上がりを続けているのだ。

「この意味がわかるかね?」

 真弥はテーブルに両肘をついて両手を組み、口元を隠しながら偉そうに質問してくる。

「そんなの、じょ、女子の経験率が上がって男子は経験率が下がってるだけじゃん……」

 俺は少し戸惑いつつもグラフに現れたままのことを述べる。

「ふっ、では次のグラフを見てもらおう」

 真弥はそういうと次のグラフへと移る。次のグラフには

『DT率の推移』

 と書かれていた。

 今度のグラフは横に十八歳から始まり五十歳までの年齢と縦にパーセンテージが書かれている。グラフは順調に右肩下がりを続けているが、二十代前半を境に五十代までほとんど水平になっており、三十パーセント程度を維持している。

「この意味は分かるかね?」

 真弥は再び偉そうに同じ質問をした。

「そりゃ高校じゃあDTが六・七割だけど、五十代だとDTが三割しかないんだろ?」

「ふむ、まあ正解だ。では『DT』とは何か分かるかね?」

「D……ダ、ダウンタウン? デ、デラックス・トモコじゃなくて、ドット……」

「ヒントをやろう。日本語だ」

「日本語? じゃあ、だ、大学都市? いや違うな。だ、ダ、ダイエット?」

「いや日本語って言っただろ。ダイエットは英語だ。そもそもダイエットとは減量という意味だけではなくて――」

「で、『DT』の意味は?」

「オホン! DTとは、『DOTEI』すなわち『童貞』の略だ」

「…………」

「…………」

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。

「例え公平がDTだろうともそんなに恥ずかしがることないぞ。俺も自慢じゃないがDTだ」

「うるせー、余計なお世話だ。そもそも俺がど、どう……DTかどうか何て分からないだろ」

「我々の調査によると公平、お前は百二十パーセントDTだ」

「なんでそう――」

「言い切れるのかって言いたいんだろう?」

「あぁ」

「それがもうDTの回答だよ」

 俺は何も言い返せなかった。

「加えて、我々の調査によれば公平に話しかける女子はおらず、公平から話しかける女子もいない。それどころか話しかけてくる男子すらほとんどおらず、クラス内の会話は最低限のもののみ。クラスで浮かないように気を付けた結果、見事にクラスから存在を忘れられてしまっている。部活動もしておらず、学校が終われば自宅に直帰し、休日もほとんど家に篭っている。そんな公平がDT以外の何者だというのだぜ!!」

 ズバリと言い当てられすぎて反論もできない。

「まあ安心したまえ。我々高校生の約七割はDTなのだ」

「べ、別にDTなことを気にしてなんかねーよ」

「ほぅ。全く気にしていないと?」

「き、気にするわけねーじゃん。三十歳には七割が非DTなんだろ? じゃあ余裕だよ。気にする必要がない」

「ふむふむ。ヤれるに越したことはないが、今は別にヤれなくてもいいと?」

「そうそ……って、そんなんじゃねーよ。みんなヤりたいヤりたいって言うけどせっかくするなら好きな人と……」

「乙女だな」

「おいっ」

「ピュアだな」

 真弥は感慨深げにうんうんと一人で頷いている。

「…………」

 次第にイライラしてきた。そもそもこんな実の無い話に付き合う義理もない。もう黙って帰るか、そう思った時、それを察したのか真弥が俺をこの場に引き止める一言を放つ。

「逆に考えれば、三割は五十代になってもDTな訳だ。ここまで来ると一生DT確定だな」

「…………」

「学校は社会の縮図だという言葉を聞いたことがあるかね?」

「一応……」

 詳しいことは知らないし、知りたくもないが、クラスメイトや同級生、先生たちがいてそれぞれに個性がある中で友人関係や上下関係、敵対関係、様々な関係があってそれは大人たちが社会で置かれている環境と近しい関係にある、いわば社会に出るための訓練場だと聞いたことがある。

 今、真弥の発言を認めるのはそれがいかなるものであっても癪だったが、聞いたことがあるものは仕方ないので頷く。

「そんな社会の縮図の学校、さらにその縮図のクラスで下位三割に入らない自信はあるのかね?」

「下位ってどういう意味だよ?」

「一クラス四十名、うちの学校は男女半々ぐらいだから男子二十名としてリア充度下位三割、すなわち下位六人に入らない自信はあるのかと聞いているんだぜ」

「リア充って?」

「は? リア充も知らないのか。これだから非リアは困る」

 そういうと真弥は両手を広げ外国人の如く肩をすくめてみせる。実に人を苛つかせる動作だ。

「リア充ってのは、リアルが充実している奴らを言うんだ。学校から一人で家に直帰せず、放課後に女子と楽しく会話して「カラオケ寄ってかねぇ?」とか言ったり、帰りに女子と一緒に帰りながら途中でクレープ屋見つけて「私ストロベリー頼むから◯◯君はチョコレート頼んで食べ比べしようよ」って言われたり……」

 真弥は説明しながら次第にワナワナと肩を怒りで震わせていく。

「うっ……、分かったよ、もう分かったから止めてくれ」

 真弥の説明を聞き、自分の高校生活と重ね合わせて絶望する。

 俺は自分自身をイケメンだとは思わない。もっと鼻が高ければとか目が二重だったらとか直せるのならば直したいところはたくさんある。だけれども自分がブサイクだとは思わない。テレビに出ているようなブサイク芸人みたくブサイクさで食べていける自信はない。

 俺は普通だ。

 顔も普通だし、運動もそこそこ、勉強だってそれなりにできる。実際に今いる高校だって中の上レベルだ。コミュニケーションだって取れる――いや、必要最低限は取れているはずだ。だってコミュニケーションで困ったことがないのだから。

 うん、俺は至って普通だ。

 しかし、真弥の説明する『リア充』と俺の生活は天と地ほどの差があるのも事実。

 それにクラスメイトの顔を思い浮かべ、自分よりも非リア充っぽい人間を探すが、ほとんど思い浮かばない。

 むしろ周りの男子全員が帰りに女子と自転車二人乗りしたり、たい焼きを分けあったり、ポップコーンを食べさせあったりしているんじゃないかと思えてきた。

「君はまだこれでも気にしていないと言い張るつもりかね?」

「だけど……」

「だけど大学デビューできるかもなんて言うんじゃなかろうな? 大学デビューなどという都市伝説を信じているとは心底呆れるぜ」

「……なんでだよ」

 夢くらい見たっていいじゃないか。

「このグラフを見てみたまえ」

 真弥は先ほどの二つのグラフ、男女の大学生・高校生別『性交経験率の推移』と『DT率の推移』を並べて画面に映す。

「男子の経験率は下がっているのに女子の経験は上がる一方、この意味が分からないのかね」

「……いや、さっぱり」

 真弥はふぅ、と深夜通販の外国人のような呆れたという仕草をすると面倒くさそうに説明を続ける。

「リア充は早くに性行為を経験し、自信をつける。そして女はそんなイケメンで自信があって経験も豊富なリア充に群がっていく。これこそリア充がリア充たる所以だよ。こうして大学生、社会人になってもリア充道を進み、女と取っ替え引っ替え食い散らかしていく。これをリア充スパイラルと呼ぶ」

リア充スパイラルって……と思ったが、そこは敢えて触れないでおこう。

「別にリア充なんだからいいんじゃないの?」

 羨ましいけど……。

「お前は馬鹿か! なんでリア充の食い残した残飯を処理しなきゃいけないんだ!」

「さすがに残飯は言いすぎだろ。ゴミじゃないんだからさ。せめて、えっとそうだな……使用済みとか中古とか?」

 中古品だって元の持ち主がしっかりと管理していれば良い物だ。俺が使っていた野球グラブだって先輩のお下がりだったけどしっかりと手入れがされていて新品のガチガチに硬い物よりもパカパカ開閉できて使いやすかった。

「ほう、使用済み、中古品……。君もなかなか言うな。所詮女はモノでしかないと」

「そ、それは言葉の綾っていうか……」

 俺が慌てて弁解をしようとすると真弥はふんっと鼻を鳴らした。

「まあそんなのはどうでもいいのだよ。重要なのは、リア充とまではいかなくてもどれだけ早くDTを卒業できるかということなんだ」

「別にそんなに焦らなくてもいいんじゃないかな……?」

「甘い! 甘すぎて糖尿になるレベルだな」

「そうかな……?」

「我々の調査を見ただろ! 高校で全体の三割、大学で六割、社会人でようやく七割が非DTになっているのだ。確率で言えば大学が一番卒業しやすい時期ではあるが、よく考えてみろ。リア充どもは非DTになったところで女漁りを止めるわけじゃない。日に日に熟練されていくリア充共と対等に渡り合う自信があるのか!?」

「……ない……な」

「大学や社会人でDTを卒業する人間は元々高校で卒業できたポテンシャルのあった人間なんだよ。俺らとは違うのさ。君のように「まだ大丈夫」などと言っていると「明日から頑張る」と言い出し、そしてそれは「今年はダメだったけど来年こそ」に変わりやがて「あの時頑張っていれば」になる。そしてそれは脱DTにおいても同じ! 「高校がダメでも大学がある」が「大学ではダメだったけど社会人なら」に変わり「セッ◯スってなんっすか? フィクションっすか?」へと変わっていくのだ! これをリア充スパイラルに対して、非リア充スパイラルと呼ぶ!」

「そ、そうか」

 戸惑っている俺を見て真弥は悟ったような顔のまま俺の肩に手を置く。

「君も今この非リア充スパイラルにはまりかけている! だから――」

 俺の方に置いた手を話スライドの写っているスクリーンの方へと手を広げる。

ジャーンという真弥の口による効果音とともにスライドが切り替わった。

『脱DT大作戦――非リアからリア充へ――』

 ご丁寧にサブタイトルまで用意されている。

「……これは?」

「見ての通り今回の作戦名だよ。最初に言っただろう第一回作戦会議だと」

「誰がするのさ?」

「俺とお前だよ」

 真弥はそう言うと俺を指さす。

「なんで?」

「必要性は理解してくれたと思うが?」

 確かにこのままでいてDTを卒業できる保証はないし、早く行動する必要性も感じた。しかし、

「どうやって?」

「それは自分で考えてくれたまえ」

 そういうと真弥はいつの間にか片付けを終え教室を出て行く。

「作戦会議じゃなかったのかよ!」

 俺の心の底からのツッコミは一人残された教室に虚しく響いた。

 脱DTってことはヤらなきゃいけないってことだろ?

 ヤらなきゃいけないってことは……どういうことだ?

 えっと……。

 そんな戸惑い、驚き、落胆、悲しみなど様々な気分が入り混じった複雑な気分の中でまとまるはずのない考えをまとめようと必死に頭をフル回転させる。

 ヤると言ってもせっかくなら自分の好きな子と愛のある形でヤりたい。むしろヤるなんて下品な表現よりもひとつになるぐらいが理想だ。

 大丈夫、時間ならある。俺は高校一年生。まだ焦るような――。

 そこまで心の中でつぶやいたその時、急に教室のドアが開く。

「言い忘れてたけど期限は夏休み終わりまでな」

 ガシャンと勢い良くドアが閉まり、その音と共に取り戻しかけた平常心が再び崩壊する。

 俺は、考える事を止めた。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 前日、学校から帰宅し、すぐにベッドに倒れ込んだ。俺はなにか悩み事や考え事があるとベッドに横になって考えてみる。こうしていると他の物に気を取られることなく考える事ができる気がするからだ。

 俺は学校での出来事を思い返し、そもそもこの問題を考えるべきか、ということから色々と考えてみた。

 確かに真弥の説明にも一理あるような気がする。このままダラっと高校生活を送って彼女ができる可能性は少ないし、ましてや彼女じゃない女子とヤれる可能性はもっと低い。

 じゃあ大学で彼女を作れるかと言われると作れる自信はなくなった。彼女というものは自然発生的に現れ、自然に付き合って、自然に発展していくものだと思っていた。だが、昨日の真弥の言葉でその幻想がすべて打ち砕かれてしまった。

 たとえ高校で彼女ができなかったとしても大学行けばそのうちできるだろうと俺は考えていた。しかし真弥の言う通り、大学に行っても周りのリア充がいなくなるわけじゃない。むしろ大学生にもなれば周りにはリア充とまではいかなくても経験のある人間の絶対数が増えていく。俺は必然的に俺よりも経験値の多い相手と競争しなければならなくなる。俺にその経験値差をひっくり返せるだけのポテンシャルがあるとは思えないし、経験値を積む努力ができるとも思えない。

 そうだとすれば、このまま高校をなんとなく過ごして大学で彼女ができるのを祈るよりも今からでも彼女を作ろうともがく方が懸命なのではないかと思えてきた。

 高校一年生の春。

 俺の高校生活はまだ始まったばかりではあるが、すでに先は見えている。

 クラスではほとんど空気と化し、友達と呼べる存在は、偶然たまたま運悪く知り合いになった真弥だけ。中学でも同じように始まり、空気のまま波風一つ立てずに卒業を迎えた。特に良いこともなかったが、悪いこともなかった。ヨットならば無風で立ち往生、心電図ならば死亡状態。

 変化がないのは渦巻きに飲み込まれる直前の所謂嵐の前の静けさというやつだろうか、それともすでに飲まれて渦の中心にいるからだろうか。

 いずれにせよこのまま何もしなくては真弥の言う非リア充スパイラルの中で一生すごさなければならない。それならいっそのことスパイラルに抵抗してみよう。

「決めた! ヤってやろう!」

 俺は自分の決意を確かめるように声に出してベッドから起き上がる。

 しかしすぐに再びベッドに倒れこむ。

 決めたものの結局なにから始めればいいのか考えつくはずもなく俺の非リア充スパイラル脱出作戦の一日目は何ら進展もないまま終わっていった。

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