第4話 雪解けのひかり
暗闇に暗躍する者がいたのかもしれないが、僕にはわからなかった。そもそも襲撃者がいたか、どうかすら不明だった。部屋が暗転して、誰かが動いた音がして間もなく「ひゃっ!」とお姉さんが悲鳴を上げた。すぐに僕の顔に冷たい液体が飛んできた。
「発光!」
お姉さんがそう言うと、部屋が明るくなった。僕の目の前にお姉さんのお尻があった。二枚のバツ印の形をした刃を片手に構えて「出てきなさい」と大声を出す。
「だ、大丈夫?」
「心配しないでください。私の命にそんな価値はありません。ご主人様の盾になれたら幸いです」
お姉さんと過ごした記憶があれば、そんなこと言うなと言えたのだろうか?
振り返ったお姉さんと目が合うと妙な空気になってるような気がした。たらればなんて考えても仕方ない。今の僕にはそれに対して何か前向きなことを伝える資格があるとは思えない。僕は誤魔化すように「風邪……」と呟いた。お姉さんの服は先程放たれた液体のせいで、右胸の上部に虫食い様な穴があいていて、その穴の周辺は張り付いて肌がすけていた。
「そうですね。服が濡れていたら風邪ひきますね」
僕の後ろに回り込むと衣擦れが聞こえてきた。
「寒くない?」
「心配無用です。では、髪を切りますね。希望をお伺いしたところですが、生憎、私めに注文通りに切る技術はありません。それとご主人様のために髪は短髪にします」
「なぜ?」
「ご主人様が成り上がるためです」
「成り上がる?」
ぴんとこなかった。成り上がるどころか、今からどうするかも考えていなかった。
「えぇ、ご主人様がそう望んだ時のために」
前髪に刃が入る。パシ、パシと豪快な音が鳴る。黒く長い髪の塊が一つ、また一つと床に落ちる。
「やっとお顔をちゃんと拝見……ご主人様? 私なにかしましたでしょうか??」
お姉さんは狼狽するのを見て、ようやく僕の目から涙が出ていたことに気付いた。途端、涙がとめどなく流れてくる。今までの苦しみを吐きだすかのように、流れて、流れて、流れる。
「辛かったですよね。もう大丈夫ですよ」
ギュッと後ろから抱擁される。
体が震えた。衛兵に後ろから羽交い絞めされた恐怖。そんな感情はもう消えてしまったはずだった。はずだったのに、お姉さんから離れようとしたいぐらい発狂しそうだった。そんな心とは裏腹に、身体は硬直して、いうことをきかなかった。
「大丈夫です。大丈夫です」
何度も何度も囁いてくれる。それは言葉の意味以上に、何か魔法の力があるような気さえした。
毎日、食べ物を突っ込まれて、皿を当てられて、歯や歯茎が痛かった。繰り返される暴力できる痣。痛みと屈辱とやり場のない怒り。途方もない年月。すべてを洗い流してくれるんじゃないかというほど、溢れ、溢れ、流れた。
「落ち着きましたか?」
まだ体は強張っていた。震えた声で、そのことを悟られたくなくて、僕はゆっくりと頷いた。
「この照明構造不思議じゃないですか?」
ふいにお姉さんは天井を見上げた。
「これ、ご主人様には理解できないんじゃないかな。あっ、偉そうなこと言って申し訳ありません。そういう意味じゃなくて、その……私も構造とかは理解してなくて……その、電気とか流れてないし、いや、電子は流れているんでしょうけど、電気と言ってよいか……」
「説明」
「あ、はい。これ、屋根裏かどこかに白っぽい石が置いてあるんですよ。この国では発光の石って呼んでるみたいですけど。人が発光って命じたら、明るくなるんです。その石は鉱山で取れるみたいなんですけどね。他にもいろいろ種類があるみたいで、もうあんまり覚えてませんけど、田舎にいかなければ生活は結構便利ですよ」
「そう」
興味がわかなかった。全部お姉さんに任せたらいいと投げやりな気持ちしかわかない。
「だから、不思議だったんです」
ズボンのポケットから、大事そうに何かを取り出した。黒っぽい深緑の玉。美しいとは賞せないのに、妖しく見ているとなぜか惹きつけらるような魅力があった。
「石にいろいろな力があるのですけど、出力が弱くて、ここの照明のためにも幼児ぐらいの大きさの石を使ってるんです。だから、人を害したりなんてことは基本的に不可能で……たまに石から力を取り出して特異体質もいるみたいですが、稀なので無視しくださって結構です。だから、こんな小さくてあんな力を取り出せるなんておかしいんです」
すぐに合点がいった。さっきの襲撃は、数日前ならありえないことなのだ。つまりはこの前散った五つの玉の一つの所持者ということになる。
「狙われてる?」
「私がお守りしますので安心してください」
僕は静かに首を横に振った。「一緒に戦う」
「なりません」
「ダメ」
「ご主人様に先立たれたら、私はどうしたらいいのですかっ!」
「生きる」
お姉さんは僕の目を凝視した。僕もその目から目を離さなかった。
「親友が帰ってきちゃいます。髪を切ります」
お姉さんは何も語らなくなった。不満がまだわだかまっているのか、耳の当たりの髪も、後ろ髪もザックザックと切り落とされていく。髪が軽くなったのに、さらに刃が入ってくる。短い髪がさらさらと落ちるので、僕は目を閉じた。
いつの間にか、身体のこわばりは解けていた。もしかしたらお姉さんは気を使って、石の話をしてくれたのかもしれないが、真相はわからない。どこまでが真剣で、どこまでがふざけていて、どの部分が真面目で、どの部分が演技なのか、お姉さんという人となりが、全くつかめなかった。
僕は大事なことを思い出した。
まだ助けてもらったお礼を言ってなかった。さっきも慰めてもらった。それに何より、上手く言葉にできないけど、お姉さんから受け取ったものがあった。
それは温かくて、僕が失った何かだと思う。
「よしっ。これで、立派な貴族のご子息に見えるかな。」
きっと不揃いでお世辞にも気品のある髪形になってないのだろうけど、僕はお姉さんの真似をして親指を立てた。それが口下手な僕ができる最高の感謝の気持ちだった。
お姉さんの目が輝いた気がした。
ぱぁーと明るい顔になり「ご主人様、ご主人様~」と抱きつき歓喜の声を上げながら、僕の頭を乱暴に撫でくる。
これは、ご主人様に対してすることかと思いつつ、笑みがこぼれているのが自分でもわかった。
「帰ったよー。大好きな、愛海ぃっ!」
髪を後ろに一本に束ねたお姉さんは、おそらくお姉さんの親友に違いない。その女性はゆっくりと扉を閉めると僕たちをもう一度確認した。
「あんたたち何やってるの!!」
上半身裸のお姉さんとそれに抱きつかれる立派な貴族のご子息風な得体の知れない子。
きっと酷い誤解をされたであろう。
今夜、ここに泊めてもらえるのだろうかと、ひどく憂鬱になった。
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