第3話 ご主人様

 世界は残酷である。

 僕のことを誰も助けてくれない。


 胸が圧迫される。息が苦しい。背中を押しつぶすように乗っている物が少しでも浮いてくれたら、きっと助かるのに、誰も助けてくれない。大人が数人きたら、浮かすぐらいはできるであろうのに、叫んでも叫んでも誰も来ない。


 この部屋が何だったかわからないほど、天上は崩れ落ちて部屋を破壊した。床は穴が開き、金属の棒がむき出しになったりもしている。すでに周囲は火で囲まれており、自分の死は差し迫っていた。煙が充満して意識を失うのが先なのか、火が自分の体に触れるのが先なのか、そんな状況だった。どうせ死ぬのであれば、できれば前者であってほしい。


「父さん、僕は正しいことをしたのでしょうか?」

 その疑問に答えはなかった。


 あの時なぜ咄嗟に体が動いたのか、今でもわからない。例え、父さんが答えてくれたとしても、僕はその答えに納得できるのであろうか?


 僕は身代りになって死ぬ。それが正しいことだとは思えない。


 バチバチと跳ねる炎。たまにくる突風で炎が煽られる。目の前に火が飛んできて、炎が上がった。炎の中に助けたアイツの表情が見えた。アイツが去る時に見せた初めて見せる苦悩の顔。その時に思ったことが、もう一度過ってしまう。


 やっと復讐ができた。


 突如、僕は圧迫から解放された。そう気づいた時には遅かった。どこかを掴んでいたらと悔やんでも手遅れ、身体は落下していた。僕を圧迫していた天上が背中に何度も何度も当たる。このままだとまた床にぶつかって挟まれる。今度は尖ってる部分が当たるであろうから、一瞬で死んでしまうだろう。


 どこかに穴が開いてる所はないのか。

 僕は血眼になって探した。


 穴が開いてたとしても、どこも火の海だった。先行して落ちていた床が砕けたのが見えた。焦燥にかられる。


 目の前に床が迫って死を覚悟を決めた瞬間、今まで見えなかったものが見えた。床のヒビ。さっきの衝撃で入ったのかもしれない。


 それはもう無意識にやっていたのだろう。気づいたら、床に穴が開いていた。記憶をたどると、背中に当たっていた床の崩れていた部分を剥ぎ取り、下にある床のヒビに向かって投げた、のだと思う。


「あちっー!」

 刺すような痛みから解放されたが、熱さに耐えるのが限界で、どこか掴むなんてできなかった。

 そこは火の海だった。でも逆にそれが功をそうした。

 その中に暗い場所を見つけられたのだ。


 僕は体を翻して、僕の束の間の死神だった天井を蹴ってその暗い穴に飛び込んだ。

 その穴の奥は真っ暗だった。何かが当たったと思って見上げると、砂の中にごつごつとした岩が飛び出していた。光はどんどんと遠くなり、すぐに光が届かなくなった。どこまでも落ちていくのかと感じるほど、闇が深くなる。暗い暗いこの落下道の先には地下迷宮でもあるかもしれないなんて、ありえない妄想をしているとぼんやりとした明かりが見えた。


「死ぬ! 死ぬ!! 誰か!!」

 運が悪かった。そこには同じように落ちたのであろう、床か天上があった。ちょうど僕の落下の着地点に尖った部分がある。もうあきらめるしかなかった。それは胸の中央に突き刺さった。激痛とともに、大量の血が流れ出した。


「ユウキ、ユウキ!!」

 誰かがそう叫んでいる。


 優しく頭を撫でられる感触があった。


「勇気を振り絞るんだよ」

 父が優しく頭を撫でてくれていたっけ。


「お前は優しい子だ。あとは勇気を振り絞って行動すればいい」

 父の優しい微笑みが消えていく。


 あぁ、僕は死ぬんだ。


「それがお前の望みか? なら、叶えてやろ!」

 暗く低い声が僕の体に響いた。


 とたん、何かが全身を駆け巡り、全身がくねり跳ねた。意識が飛びそうなほど吐き気がする。肺が圧迫されて、息できないような感覚に襲われる。

 薄れゆく意識の中、誰かが叫んでいた。うっすらと見えた、その人の顔。この時間には、ここにいないはずの顔だった。


「うっ!」

 激しい痛みが胸にさす。


「ユウキ、ユウキ!」

 僕の身体をが左右に揺れていた。きっと揺らしている人であろう。その人は必死に叫んでいた。


 目を開けると、大きな胸が揺れていた。後頭部にはやわらかい感触がある。

 瞬きを繰り返して、視界をはっきりさせると、そこはさっきまでいた暗い洞穴ではなかった。そこは簡素な部屋だった。丈夫そうな鎧と大剣が見えたぐらいだ。


「ユウキ!!」

 そこには今にも泣きだしそうな顔があった。僕の手はその人にしっかりと握られていた。

「よかった。生きてた。もう会えないかと思った」

 その人は僕の頭に抱き着いた。

「痛い」

 頬に激しい痛みが走る。


「ごめんなさい。ごめんなさい。こんな、使えない私めを罰して下さい」

「ひぇええええええええええ!!」

 僕はベットから転げ落ちた。すぐさま体を起こし、手足をばたつかせながら、後ろ向きに逃げる。


「介抱していたのに、私避けられました。生きてる、生きてるぅう!」


 ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。人見知りだから、つい。わかるでしょう? 人間不信になっても仕方ない状況だったんですから。それにお姉さんちょっと怖いもん。

 なんて言えたらいいのだが、心臓が高鳴る音で頭が真っ白になる。


 どう考えても僕の方が怖かったですよね。顔が完全に隠れるほど長い髪を垂らしながら、手足を使って動物のように移動してるとか、どう考えても気味が悪い。

 そんなことを考えて、必死に冷静を装う。


 とりあえず、夢と現実で混乱していた僕の頭は、お姉さんが変態の言葉を発することでで現実に引き戻されたようだ。

 意外と役に立つんだね……。


 頬は確か、衛兵さんに短剣を投げられたのだっけ?

 思い出しただけでもぞっとするのだが、さっき痛みを感じたのが嘘であるような気がした。痛みを感じた部分に手をやると布の感触がした。頬は手当がされているようだった。こわごわと強く押してみるが、やはり痛みはなかった。不思議に思って、包帯を取る。


「避けられた上に、追い打ちが!! あぁ、わかりました! もう一度やれってことですね。あぁ、この辛い仕打ち。生きてるって実感」


 お姉さんを無視して、地肌に触れると傷はなかった。

 もう随分と時間が経ったのであろうか?


「あ、あの……」

 俯きながらぼそぼそと発した。

「お姉さんが知ってることなら何でも訊いてちょうだい!」

 腕をまっすぐ伸ばして親指を立てる。お姉さんの癖なんだろうか?


「何で……」

「うんうん。気絶したからわからないよね。あの後、お姉さんね。なんか急にグワーってきて、そしたら、大量の木が左右からガーンって感じで、こう……」

 身振り手振り一生懸命伝えようとしてくれるのだが、いかせん要領を得ない。申し訳ないけど途中できらせてもらうことにした。


「あ、あの、時間……」

「時間? ここまで運んでくるのに二日ぐらいかかったかな。あっ、この部屋は安心して、私の親友の部屋だから!」


 お姉さんの話によるよ、おそらく、何かしら急に力が湧いて、木を生やす能力で落下してきていた岩をせき止めて、衛兵さんたちに外まで運んでもらって、何か乗り物でここまで僕を運んだのだろう。


 気になるのは二日で傷が治るのかというとこだった。目の前のお姉さんは、頬に布が貼られているし、手の甲に痣が見えるので、おそらく服の下にたくさんの痣があるのだと思う。


 そして、もう一つ。喫緊の問題ができた。安心してと言われたが、お姉さんの親友と言われると嫌な予感しかしない。


「ねぇ、髪を切らない?」

 自分に言われているのがわかっているのに、左右を見て自分に言われているようではないように反応をしてしまう。


「心配しないでも、誰もいないよ。もうすぐ親友が帰ってくるかもだけど。それまでに髪切っときたいじゃない?」

「そ、そんなこと言って、ヴォクを、こ、殺そうと……その二枚のクロス刃で」


 お姉さんが一瞬唇を噛んだ気がしたのは気のせいだったのだろうか? お姉さんは微笑んでから口を開いた。


「お姉さんをあなたの侍従にしてください」


 お姉さんがわからなかった。普通の人なら言わない召使い宣言も、お姉さんにとっては普通のセリフだ。だけど、奇妙な感覚に陥った。


「嘘つき」


 僕が発していた言葉はそれだった。


 違和感の正体を考える。たぶん、いつものお姉さんなら興奮しながら言っていたセリフだからだ。今は淡々と言っていた。微笑みながら優しく。それが僕のためを想って興奮を抑えて言ってくれたのか、自分の目的のために言ったのか、今の僕とお姉さんの付き合いでは判別できなかった。


「困ったなぁ」

 僕から無防備に目をそらす。上を向いて何かを考えているのか、そうでもないのか、ベッドから垂らした足をばたつかせている。


 これも警戒心を抱いていないということを僕に対して示しているのだろうか?


「お姉さんね。愛海って言うんだ。名字はねぇ……東雲」

 だからどうした? としか思えなかった。なんで普通に東雲愛海って名乗らないのか、妙な間が空いたのは偽名だからではないか? どうしても疑心暗鬼だけが深まっていく。


「名前覚えている?」

 僕は首を振った。


「あなたの名前は東雲夕希って言うの」

「キョウダイ?」

「うーん、どうなんだろう?」


 妙な間があく。お姉さんが真面目だと調子が狂う。僕は口下手だから、お姉さんはお調子者で明るく話していてほしい。


「さっきね。嘘つきって言われた時、正直びっくりしたんだ。お姉さん実はあなたのお家の侍従だったの。だから、なんて言ったらいいんだろう、うーん? とにかく、もう一度お願いするのってなんか違うのよね。それに……あー、とにかく、私は侍従なの。そして、これからはあなたの専属の侍従になるの。これは決定事項! いい!」


 僕は返事をしなかったのに、お姉さんはベットから立ち上がり、天上から出ている明りの元へ椅子を置く。


「さ、さぁ。座ってちょうだい。これでも私上手いんだからね!」

 お姉さんの不揃いな短髪が、明りで強調されているように思えた。

「あっ、今笑った。ご主人様はこうじゃなくっちゃ」

「笑ってない」

 ぶっきら棒にそう言って、僕は椅子に座った。


「お客様、どのような死に方をご所望ですか?」

 その言葉と同時に部屋が真っ暗になった。

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