第2話 紅炎の王
僕の体が落下したかと思うと、衛兵たちは短剣を抜いて構えていた。
「女、何者だ!」
横一列に並んだ中央の衛兵が叫んだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。名乗る名前など持ち合わせておりません」
沈黙が訪れる。空気に飲まれたのか衛兵は固まったまんまだ。不意に右側の衛兵が隣を見た。すぐさま足を一歩だす。
「上にいた衛兵たちはどうした!?」
自分で愚問だと察したのであろう。二十代前半だと思われる女性を前にしているというのに、衛兵たちは短剣に入れる力を込める。
お姉さんは相変わらず構える気はない。前のめりな体勢で、大きく目を開き僕を凝視している。
ふと僕から目線をはずして、衛兵たちの方へ向いた。
「あなたちですか?」
「何がだ!」
「だ! か! らぁ! 日本の風習のひな祭りのお姫様みたいな格好させたことですよ」
「ひなまつり?」
「あぁ、すみません。今のは忘れてください。とりあず、GJですよ!」
真っ直ぐ腕を伸ばして親指を立てるお姉さん。。鎧も着けず、衛兵たちのただの布きれとは違う形の整った布の下でやはり大きな胸が揺れる。
「GJなのですよ」
キランキランと音が出るのではないかと思うぐらい、相当嬉しかったのかウィンクまで決めちゃっていたが二度目も衛兵たちは無反応だった。
「あぁ、私も可愛い格好で幽閉されたい」
両頬にそれぞれ手を添えて、体をくねらせるお姉さんに、衛兵たちもただ口をあけて見ていた。
こんなひどいことをして! なんて言葉がそろそろ出てくるんじゃないかなという淡い期待と、さっき出会ったばかりだというのにそんな言葉出てこないよねという諦念が同時にわき、僕はどういう立ち位置でいればいいのかわからなくなる。幽閉した相手を褒めるなんて、いくら僕が記憶喪失で何もわからないと言えど、このお姉さんが異常なことぐらいわかる。
とりあえず、お姉さんが、僕の家族でないことを祈るかぎりだ。
「あぁ~、でももうちょっと髪切らないとね。多すぎて顔が見えないし。私の決意の髪みたいにバッサリと! ねぇ、頑張ったのよ、私、すごいわよね! ねっ?」
この人は空気を読むということを知らないのだろうか? それとも相当腕の立つ人で、余裕なのだろうか? どうやらここに来るまでは、誰かの助力があったようだが……。
「さて、余り長居していると増援がくるので、本題に入りましょうか」
衛兵たちがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
出入口の方から風が舞い込んでくる。一緒に舞い入り込んできた砂が絨毯の上にそそぐ。壁に掛けられた白黒の布が音を立ててはためく。風がやみ静寂が舞い戻るとお姉さんは口を開いた。
「私を幽閉しなさい!」
「えぇっ!!」
綺麗に声が揃った。もちろん僕も衛兵たちと同じようにまた声を上げてしまった。
「いや普通こいつを助けに来たんだろう?」
衛兵は僕を指さす。
さされた僕もリスのように頷く。
そうですよ。さすがに僕も少し期待してしまいましたよ!
「そうだ、そうだ。剣を構えた俺たちの気持ちも考えてくれよ!」
「あ、はい」
「お前も素直に従うな!」
「え、ダメなの?」
お姉さんに近づいて行こうとする衛兵の腕を掴んで止める衛兵たち。
「俺に先に行かせろ」
「いや、俺だろう! あの胸は、ぐへへ」
お前ら僕をおいて、つまらない漫才するな!
そう心底叫びたかったが、そんなこと言う勇気はない。お姉さんは荒い気遣いで「私に生の実感を!」と両手を広げて待っているし、衛兵たちは先程の鬼気迫る表情は欠片もなく、ゲスな表情でお姉さんに近づいていく。僕は一体どうしたらいいのでしょうか? 誰か教えてください!
僕の問いはむなしく終わる。幻聴さんは答えてくれない。
衛兵さんたちも、もう僕の存在を忘れてしまったんじゃないでしょうか?
そうですか、そうですか、僕はどうせ価値のない人間ですよ。
石ころを蹴りたい気持ちになり立ちあがった。
ここ絨毯の上じゃないですか!!
出入り口からちょっと入ったところのお姉さんまで、衛兵さんたちはたどり着いたようだった。衛兵の一人がお姉さんを軽くはたく。お姉さんは「もっと強く!」と懇願する。
ビシ!
「生きてるぅう!」
パシ!
「私、頑張ってるのぅ!」
こわごわと叩いていた音が次第に大きくなり、聞いてる僕の方が痛々しく感じるようになってきたのに、お姉さんは「生きてるぅ。私、生きてるぅ!」と嬉しそうな声を上げていた。
「こいつ生粋の変態だぜ?」
衛兵たちは、お姉さんの布を、自分の誇りでもあるだろう短剣を使って切れ目を入れていく。
「俺、興奮してきた!」
衛兵の一人がお姉さんの腹をグーで殴った。
「うぅ……私生きてるぅ……」
苦しそうな声だった。殴られた瞬間、顔も一瞬力が入るのだが、すぐに幸せそうな顔になる。
僕には理解できないが、どうやら男性はこういうのに興奮する奴らもいるらしい。男たちが拳を作った。何度も叩かれた僕としては叩かれる前に痛みが伝わってくるかのようで、目をそらした。
「ごめんなさい。許してください。ごめんなさい。」
こわごわと目を開けると、僕にはお姉さんは泣き叫んでいるように見えたが、どうやら衛兵たちには先程と同じように喜んでいるように見えるらしい。
自分にされても何も感じなくなっていたというのに、お姉さんを見ているとふつふつと怒りが湧いてくる。
「やめろよ……」
消え入るような声しか出せなかった。
無理だ、と、何とかしなきゃ、と揺れる心に、お姉さんの声が、表情が、突き刺さる。
「お姉さん、嫌がってるだろう?」
「今、いいとこなんだよ。お前は黙ってろ」
鋭いものが顔の横を通った。振り向くと短剣が壁に刺さっていた。顔に痛みがさす。そこに手をそえてみると、ぬるりとした感触があった。
僕には無理だったんだよ。
認めたくない考えが頭に過る。
その考えを振り切るかのように言葉を発しようとするも、やめろのやの文字すら声にならなかった。それなら足を出そうと足に命じるが、思うように動かない。
そうだよ、これが僕なんだ。なに格好つけようとしているんだよ。
きっと記憶がなくなる前もこんなだったんだ。
「許してください。許してください。私が生きることを許してください。きゃっ!」
「お前、顔は叩くなよ。整った顔が崩れるだろう!」
衛兵たちの顔を見ていられない。あんな人間がこの世に存在しているなんて許せない。そんな人間を見逃す僕自身も……。
助けられないなら、せめてお姉さんだけでもちゃんと見ようと決意する。不規則な長さの短髪で、丸顔で、大きな目。その目には隈がある気がする。頬がやつれているんじゃないだろうか? きっと肌も荒れているに違いない。
お姉さんは僕を懸命に探していて、ようやく見つけたのかもしれない。そうだとしたら、実はお姉さんはすごく弱くて、これも僕を逃がすための作戦なんじゃないのだろうか?
「ごめんんさい。ごめんなさい。生きていてごめんなさい。」
お姉さんから届くその言葉の裏にある意味が僕の心を揺さぶってくる。例えお姉さんが僕を探していたとしても、やはりこれが作戦なんかであるわけがない。
助けて。
助けて。
助けて……。
もうお姉さんの言葉が僕にはそうとしか聞こえなかった。
やめろ、やめろ。僕を苦しめるな。お前は何をしに来たんだよ。僕を助けに来てくれたんじゃないのかよ? なんでそんなに殴られてるんだよ。そんな奴ら、ちゃちゃっとやっつけて、一緒に外に出ようよ。
やめろよな、お願いだから……もう僕を苦しめないで……お願いだから……。
「やめろよっ!!」
叫びと同時に洞窟全体が揺れた気がした。全員が僕の方を見ていた。衛兵の一人は腰を抜かしていた。一人は口をあんぐりとあけて目を皿にしていた。衛兵の一人は「もしや聖なる子が降臨されたんじゃ」と呟いた。お姉さんは天上の方を見ていた。
天上はなぜか満天の星で彩られていた。その星空へ向かう道のように、紅い柱のような形状の光が突き進む。その発信源を辿って目線を下げていくと……どう考えても僕だった。不思議に思いながら手に目をやると、手を纏うように紅い光が漂っていた。突然小さな光が飛び出して顔を退ける。その細い光は手首の方へ小さく孤を描いて消える。また唐突に腕から光の線が跳ねる。突飛しては孤を描いて消えて、突飛して……あちこちから突飛する光をわくわくしながら目で追った。腕も肩も胴体も、全身を覆うように紅い光を纏っていて、そこから踊り跳ねるように小さな光が出ていた。
「紅い炎……今までのご無礼をお許しください」
「い、異端者はこいつでございます」
「俺はやめろって止めたんだよ……」
絨毯に座り、僕の方へ体を向けて額を深々と絨毯につける衛兵たち。お姉さんは、変態的な時の顔でも明るい冗談のような変態的な顔でもなかった。少し目を伏せがちに物思いにふけてるように思えたが、僕にお姉さんの心情は読み取れるわけがなかった。
衛兵たちを見ると、上目づかいで僕の返答を待っているようだった。
「お姉さんをこれ以上……」
「聖なる子から、なんか飛んで行ったぞ!!」
頭上を見ると確かに五つの玉が炎の柱に沿って、浮上していっていた。親指と人差し指で輪っかを作ったぐらいの小ささで球体。青い玉、赤い玉、緑色の玉、黄金の玉、茶色の玉、全部暗めで黒っぽい。それらは地上に出ると飛び散った。その中の一つ、緑色の玉はこの祠に落下するようだった。
突然、足元がふらついた。尻餅をつき、そのまま絨毯に仰向けに倒れ込んでしまう。夜空を突き抜けていた赤い光は消えていて、代わりに何か小さい物が、いや巨大な……。
「みんな逃げろ! 岩石が落ちてくる!!」
叫んだ僕はもう立ち上がれそうになかった。
「うわああぁあ!」
衛兵たちは足をからませながら、出入口の方へ向かっていく。
黒い塊が茶色となり、大きな塊として認識できる。紅い炎を出せないかと火の玉を思い浮かべて、手のひらに送る。
「いけっえぇ!」
火球は飛んでいった。岩にぶち当たると、岩に沿うように潰れ、消えていった。
「せめて、衛兵さんとお姉さんだけでも逃げ延びれてたらいいな……」
僕は目をつぶった。
いくら待っても衝撃はこなかった。代わりに何かを押しつぶしていくようなメシメシメキメキぐしゃぐしゃぐしゃという音が聞こえる。
目を開けると、大きな樹木が生えていた。
「どうなってるんだ??」
岩石が大きく沈む。かなりの重量のようで枝と葉を押しつぶそうとしている。体に動けと命じるも、ピクリと腕や足や頭が上がるだけで起き上がることはできない。
「助けて、動けない!!」
「うえ、上ぇええ!」
衛兵が指さす方を見ると、また違う岩石が落ちてきていた。
すぐさまそこに、太い丸太が生えて、石が部屋の隅へ落ちる。大きな音と振動が身体に伝わった。
石はどんどんと降り注いでくる。コロコロと音が聞こえると、僕の頭に小石が当たった。小さな岩石もまた、枝の隙間を縫って落ちてきているのだ。
洞窟が揺れた。外にも大きな岩石が落ちているのだろうか、洞窟の地上への出入口が心配になる。
真上にある枝がメキメキと悲鳴を上げ始めた。ドン、ドンと大きな音が鳴るたびに巨石がじんわりと迫ってくる。
衛兵さんたちはこちらに向かってきてくれているが、まだ助かったわけじゃない。
樹木がまた生えてくる。一番最初に生えた木を支えるように飛びだす。
「飛んでくよぅ……飛んでくよぅ……意識が」
そのお姉さんの声でようやく気付いた。胸の前で何かを両手で握りしめている。握られた手から黒みがかった緑色の発光が漏れていた。
きっとさっき落ちてきた玉なのであろう。
「たすけなきゃ……助け」
鉛のように重たい腕を必死にお姉さんに向けて伸ばした。何かできるわけでもないが、何かしたかった。
何か吸い取られるような感覚に襲われると、視界が突然揺れた。
「ダメだ、まだみんなが……」
めしめしめしという大きな音を最後に、自分が死んだかどうかを見届けることなく、僕の意識は暗闇の中へと放り込まれた。
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