かげろうの王
@shi-ta
第1話 サムワン ミート ガール
僕は暗い暗い産道を通って産まれ出た赤子ようなものだった。
今日は幻聴がやけに上機嫌だから、階段を下る足音を聞いて、そう思ったのかもしれない。
ゆらりと揺れる篝火を見て、また食事の時間がきてしまったのだと肩を落とした。また死が遠のいてしまった。
僕と世界を隔てる壁の前で、門番の衛兵と食事を持ってきた衛兵二人が敬礼し合っていた。
どういう仕組みかわからないが、その見えなくて物質ではない透明な壁を衛兵二人は通ってくる。暗がりにいたからであろう。衛兵たちは明るい部屋に一瞬目を細める。
「こっちにこい」
光を浴びたくなくて、部屋の隅にいたのに、衛兵に乱暴に中央まで引っ張られる。ワニに背中の生えた置物の前に放り投げられると、そのまま数歩して倒れた。床は絨毯がひいてあるので痛くはない。人影を感じて目線だけ送ると、上からゴミのように見下ろす衛兵がいた。
「脱げよ!」
返答するのも面倒で、そのまま絨毯の上に寝転がり続ける。
「ちっ、面倒かけやがって」
後ろにいる衛兵に両腕を持ち上げられて、前の衛兵に服を脱がされる。
「こんないいもの着やがって」
何かぶつぶつ言いながら、部屋の外にいる衛兵の元に行った。部屋の外にいる衛兵は新しい服を広げて、両手で挟むように叩き、何かを確認していた。武器になるようなものがないか検査しているのだろう。その服と僕の脱いだ服が交換されると、衛兵は再び僕の元へやってきた。持ってきた服にしわがよっている。わなわなと震える服。今にも僕を殴ってきそうだった。
キッと僕を睨むと服を着せてきた。
殺してくれたらいいのにと思う。
衛兵たちはいつもよく我慢している。殴られることもあるが、強打される時はお腹やお尻で、見えるところは軽打だった。
なぜ我慢しているかはわからない。
服を着せられると、また羽交い絞めをされた。前にいる衛兵に、伸びに伸びた前髪を耳にかけられる。何か穀物をふっくらと焼いたものをちぎると口押し付けられた。
「ほら、食えよ!」
一体、どこに僕と赤ん坊に違いがあるのだろうか?
魂は幾多の人生の旅をするとして、輪廻転生があるとしよう。
産まれ出た赤ん坊には、ここがどこだかわからない。もしかしたら、赤ん坊の魂が知っているのかもしれないが、赤ん坊はその産まれ出た土地の言葉がわからない。いいや、これもまた魂は知っているのかもしれない。それでも、その言葉を理解して発することはできない。だから、その産まれ出た場所が病院や実家だとは、誰にも説明できない。
僕はここではないどこかで産まれたのは間違いないが、気が付いたらここにいた。赤ちゃんの話に戻すなら、さながら赤ん坊の誕生を呪う儀式のような場所だった。円の中に大きな星の形が一つ描かれた魔方陣のような模様の絨毯が敷かれ、武骨な岩肌を隠すように縦長の白色の布と黒色の布が交互に垂れている。中央にはワニに羽を生やしたような動物の置物がある。僕と同じぐらいの大きさで、色が黒いためにか禍々しくさえ感じる。もちろん、天井も岩で、この儀式のよう場場所から脱出するなんて不可能だった。
「おい、聞いてんのか? たまには口を開けよ」
僕を後ろから羽交い絞めしている衛兵の男性から低い声が身体に響く。
ただのビビりのコミュ症なんです。なんて答えたらいいのだろうか?
えぇ、それが言えないから、ビビりのコミュ症なんですよ?
なんて頭の中で考えていたのは、いつまでだったのだろうか?
もう壁を削って日数を数えることすらとうの昔にやめてしまった。
「そろそろ楽しいゲームが始まるはずだ。それはそれは俺にとっては、よだれが垂れるほどのご馳走だ。さて、お前はどうなるだろうな? 寛大な俺様はお前に今日は特別にこの世界の話をしてやろう」
衛兵の声ではない。その声は僕の体の奥底から響くように聞こえる。低重量の声。僕は幻聴だと思っているが、声はそれを鼻で笑う。だから何かはわからないが、不便なので幻聴と呼んでいる。
幻聴はめずらしく饒舌だった。
「人間とは醜いものだ。それも仕方あるまい。俺が知る限りでは、お前が幽閉されているこの土地を所有している国は大変な状況だ。これは三世代くらいの話になるが、最初の王が殺された。元からそこまで裕福でなく、他国を侵略して何とか豊かさを保っていたこの国は、反旗をひるがえした植民地のせいで大混乱に陥った。土地は荒れ、多くの人民を失った」
その声は楽しそう語る。それが真実であると決めつけているかのように。
「次の王は酷く苦労したようだ。雪国のこの国ではなかなか食料生産が安定せず、個民が次々と餓死していったそうだ。それでも、なんとか乗り切り、なんとか生活の質を上げた。貴族はそこそこ良い暮らしをしているようだが、末端の民はまだまだ厳しい生活であろう」
きっと僕は壊れてしまっているのだ。この部屋に幽閉され続けた孤独な僕の妄想は拡大していったのだ。
「幻聴やら妄想やら、お前は何も見えてないのだな」
なにがそんなに面白いのか幻聴は笑う。頭に響いて鬱陶しい。
「ようやく希望が見え始めた中、王は崩御した。暗殺されたと言われているが、真実は闇の中になっているらしい。王子が代理王として頑張っているらしいが、どうなったことやら……楽しみだ。」
幻聴は愉快愉快と楽しそうに笑う。
「どうして、お前がこんなもの食えるんだよ!」
食べようとしない僕に大して、どうやら目の前の衛兵が声を上げたようだった。
だからこいつらを許せというのか?
「そんなことは一言も話してないだろう? その言葉がお前から出てくるのかが、不思議だ」
たしかに幻聴の言う通りだった。
もう僕には、恐怖することも怒る気力すらもない。
「これだけ、生きるのが大変だと、お前のたとえからすれば、きっと、赤ん坊にも愛情でなく愛憎を向けられて、優しく介抱されない子たちもいるだろうな。許してやりな」
そう言って幻聴は嘲笑する。
衛兵はこっそり食べることもしない。そうしてくれた方が嬉しいのだが、なぜかしない。どうも僕に死なれるのが困るようだった。
「衛兵たちはこう思っている。俺たちはなぜお前なんかのお世話をしないといけない、と」
そんなのはわかっている。でも、僕にはどうしようもない。唯一できる死という選択も奪われている。
「さぁ、始めようじゃないか」
にやけているのがわかるような幻聴の声だった。
「お前は何なんだよ! 何で俺たちがお前の世話なんてしないといけない!」
見えない壁の出入口の近くで辺りを警戒していた衛兵が、さっき脱いだ僕の服を地面に叩きつけた。
つぎはぎだらけの布の上に鉄板を垂らしたような防具を装備して、短剣を腰にかざしただけの衛兵たちには、僕の何枚も重ねられた煌びやかな服も気に障るのだろう。そうなのだろうが、一体どうして急に怒りを爆発させたのだろうか?
「クソが、クソがっ!!」
ふっくらした食べ物が歯に当たり丸く固まっていく。食べなければ無理やり飲み物で流し込まれるので、仕方なく噛んでいく。
「もう一層殺してしまおうか?」
出入り口にいた衛兵の影が剣を抜いた。篝火で浮かぶ半笑いの顔。ゆっくりゆっくり歩を進めて迫ってくる。
ようやく解放される……。
安堵の感情を心に感じられると思ったのに、ほんのわずかに息が漏れて、強張っていた体から力が抜けただけだった。
「おい、やめろ。気持ちはわかるけど、なぁ?」
僕の後ろから大きな声が響く。「それにもう少し辛抱すれば……」
大きな爆発音がした。天上が揺れ砂がぼろぼろと落ちる。
「ほら、黒竜様もやめろとおしゃっている」
「ちっ。お楽しみのために我慢してやるよ」
剣をおさめ、平らの器を手に取った。液体が揺れる。食事を無理強いしていた衛兵が横にのくと「ほら、飲めよ!」と乱暴に突き出した。
平らの器が歯に当たり、ガチャガチャとやかましい。器に入った白い液体が僕の口の中に流れ込んでくる。
「ゴホッ、ゴホッ」
「もったいねぇ。ちゃんと飲みやがれ。ちゃんと栄養つけて成長しろ」
器が勢いよく傾けられる。口から溢れ顎へ液体が伝わっていくのがわかる。
「おい、その辺にしておけ。絨毯が汚れる」
横から衛兵が口を挟んだ。
「お前ちゃんと飲みやがれ。六芒星が汚れたら、異端者だと思われるじゃねぇか!」
衛兵の手が飛んでくる。パチンと音が部屋に響く。衛兵が目の前から消えている。そこでようやく頬を叩かれたのだと気づいた。
「まだまだ足りないのか……まぁ、いいであろう。ようやくきたようだ。ゲームの始まりの時が」
幻聴は愉快愉快と笑ってる時のように語る。
「お前たちの願いは叶えた。契約通り対価を頂く」
幻聴が今まで以上におかしなことを言っている。いや、おかしなことを言うから幻聴なのか……。
「何は笑ってやがるんだよ! 気持ち悪い」
知らない間に口角がわずかに上がっていたらしい。
衛兵が液体の入った皿を絨毯の上に置くと、髪の頭頂部らへんを乱暴に掴んだ。
「私はここから先にはいけません。あとは自分で何とかしてください」
「わかりました。ここまで、ありがとうございます」
男の声がした後、礼を述べる女。見えない壁の出入り口には誰もいない。さらに奥にあるはずのこの洞窟自体の出入り口付近から聞こえてきたのであろう。
「なにいっちょ前にガンを飛ばしてやがる」
乱暴に髪ごと頭を振り回される。
さっきの声も幻聴だったのだろうか?
外に出られると期待した自分に呆れる。
外に出て一体なんになるのだろうか?
自分の名前もわからない。ここがどこかもわからない。
家族はいるのだろう? 友達はいるのだろうか?
もしも頼れる人が誰もいなかったら?
どうやって生活していけばいいの?
もしも生活できたとしても、何をして生きたらいいの?
どう考えても、僕はここで死ぬべき人間なんだ。
「ゆ、ゆ……衛兵さんたち!! 何をやっているんですか!!」
目に入ったのは揺れた大きな胸だった。
「けしからん。そんなことは実にけしからん。わ、私めにも、生の実感を!」
「えっ?」
まさかの久し振りに出た声が、こんなひどく短い驚きの声になるとは思いもしなかった。随分と間抜けな声だったであろう。
僕にはどういう意図でお姉さんがその言葉を発したかわからなかったが、大きな胸を両腕に挟んだお姉さんが気持ち悪い笑みを必死にこらえようとしているのを見て悟った。
この人は僕とは関係ない人だ。
そう信じたかった。
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