第008話 02月21日(日曜日)その壱「その者、カザミナミへの忠誠を誓うか?」

――座標軸:風見ナミ


 扉を開けると、青いリボンをつけた黒猫がいた。いや、青いリボンをつけた黒猫の大きなぬいぐるみが、ナミの視界に飛び込んできた。

「こんにちは。ナミ」

 特に判りやすい表情を浮かべる訳でもなく、淡々とした面差しで、赤銅色の肌の大男が猫のぬいぐるみをナミの方へと押し出してくる。

「案外、簡単に取れた」

 もっと時間がかかると思ったんだがな。そう続けて、彼は黒猫のぬいぐるみを更に強く彼女の前へと押し出した。

「こんにちは……ありがと」

 思わぬことに直面し、ナミは面食らったまま、暫く玄関に突っ立っていた。だが、やがて彼に押し切られるかのようにぬいぐるみを受け取る。そこで初めて男は安心したようで、漸く小さな笑顔を浮かべた。

「もっと資金と時間がかかるかと思ったが。もうあの機械はコツが掴めた。次からは最小限の投資で君のリクエスト通りの景品が取れるだろう。近々、また挑戦してみよう」

 彼の言うことはあまり耳を通っていなかった。ナミの瞳は、目の前の黒いふわふわとしたぬいぐるみに吸い寄せられていたのだから。


 ふんわりと、黒色の布の塊を彼女は抱きしめる。柔らかさはもとより、その触り心地は思いの外、気持ち良い。黒猫だというのに瞳が黒というのがちょっと残念なところ、と彼女は細かくチェックを入れるが、それは景品故の限界だろうと諦める。それ以外に関しては、やや縫いが甘いながらもかなり上出来だと思えたし、何よりそのフォルムは昨日気になっていた通りの可愛いらしさだ。

 しかし。袋も何もなくむき出しのままの人形に、リボンだけは巻いてあるという……それも彼女が好きだと見越して選んだリボンの色のだろう……その発想は、ラッピングという概念が彼の頭の中に無かったからなのだろうか。そんな、目の前の武骨な男のプレゼントが嬉しくて、彼女は零れるような大きな笑顔を浮かべた。

「へえ……凄い……のね。ありがとう。その、本当に……ありがとう」

「今日のトライだったら、キスが確定だったんだがな」

 全く残念そうな素振りの欠片も無い口調で、彼は淡々と告げる。

「でも、昨日は昨日。今日は今日」

「そして、明日は明日の風が吹く、か」

 彼女の軽口に続けて、彼がその先を口にする。顔を合わせて笑顔になると、大きなぬいぐるみを抱えて、ナミはレイジを玄関から家へと招き入れた。




――座標軸:風見ナミ


「この家に地下室、か……」

 低い声が、感嘆の意を洩らす。家は、道側から眺めても、また、たとえ通されたとしても玄関先や居間だけであれば、二階建ての小さな一軒家にしか見えない。家の奥まで通され、更に家の人間から紹介されない限りは、地下室の存在に気がつくことは無い。傾斜を巧く活かした構造で建築されている。

「南側の庭に回ると、一応あかり取りの窓があるから、見る人が見れば半地下なのがわかるけれども。まあ、魔女の家ともなれば地下室は必須よ。多分、貴方の国の魔女たちもね」


 話は、彼らがこの地下室に降りる、その十五分程前に遡る。

 ナミが、

「半日契約とはいえ、ちょっと本格的にやってみたいんだけど、いいかしら?」

 とレイジに同意を求めたのは、彼が約束よりも若干早めの時間、昼の少し前に猫のぬいぐるみを持って来訪した後のこと。すぐに淹れられたジャスミンティーに、彼が口をつけるかつけないかのタイミングだった。

 術のかけ方について、彼女はずっと迷っていた。だが、旅行者である彼に地下室の秘密を見せたところで、どうせ数日経てばこの町、この国から居なくなる。そう考えを纏めて、彼女は自身の魔力的な拠点である魔女の地下室へと通すことにしたのだ。相手は所詮魔力無しだし、写真さえ撮られなければ特に問題になることは無いだろう。そう、踏んで。

「貴方にしても、極東の珍しい魔女の風習が見学できて、いい話のタネになるんじゃない?」

 昼間の日射しが心地よく室内を照らす南向きの居間に、二人は座っている。彼女は穏やかな声色で、カップを両手に抱えて無警戒に彼女を見つめる男に、にこやかに告げた。

「それはもう、使い魔への命令ということでいいのかな?」

「まだ契約も済んでないのに。気が早いのね」

 半日の自由を差し出そうというのに、男の様子にはこれっぽっちの不安も不満も無い。むしろ、子どもの道楽に付き合う大人の余裕があるのだ、とでもいう顔だ。のほほんと、彼女を見て微笑んでいる。

「術をかける段取り、契約一式は結構きちんとするけれども、解除は簡単にできるから。まあ、何事も経験じゃない?」

「それもそうだな」

 抵抗感の欠片すら無いのんびりとした返答を返してきた彼は、温かいお茶をゆっくりと啜りながら、立ち上がるナミを見上げている。彼女は自分用のお茶には一切口をつけず、立ったその場で、未だお茶を飲み続けるレイジに目で合図を送る。案の定、彼は、ナミの視線の意図などまるで受け止める気配はない。けれども、これが、使い魔契約を結べばあっという間に彼女に従うことになるわけだ。小さく、彼女の頬にあまり質の良くない笑みが浮かぶ。

 そうして簡単に、この家にある地下室の存在を告げた後。

「どうした、ナミ。もう行くのか」

「ええ、よければ。この種の魔力の行使なんて、そうそう間近で見られるもんじゃ無いわよ」

 もしもルポとかで発表するんだったら事前に内容のチェック、させてよねー、でもそれ外国語かー、わたし英語そんなに解らないから困ったなー……などと関心のない口調で独り言のように無造作に続け、彼女はお茶を飲んでいる彼の行動を無視して、部屋の外へと向かった。

 その彼女に催促されるようにして、彼も席を立った。


 ナミに続いてレイジが地下への階段を下り始めると、彼が「ウッ」とことばを詰めて、呼吸を止める。どうやら、薬草の匂いが気になったらしい。

「ああ。地下室の出入り口の結界は、匂いも含めて気配そのものをシャットアウトしている術式だから。ホントに全く気がついていなかったのね、あなた」

 軽く後ろの彼へと目線を飛ばして、彼女は続けた。

「慣れないと、ちょっと嫌な匂いでしょうけれども。これ」

 嫌な、などというものではない。実際には、初心者にはかなり異質で厳しい草臭い匂いに感じることだろう。だが、それが魔女というものだ。残念だが半時程、彼にはその流儀に従ってもらう。

 レイジ側の状況を一切無視して、彼女は階段を降り切る。すぐに二つめの呪文を唱え、彼女は地下室のドアを開けた。

「まあ、普通は魔力無し《シロート》はもちろん、他の魔女だって入れることはまず無いんだけど」

 今日は特別よ。そう続けて、とびっきりの笑顔でレイジへと振り返ると、ナミは彼を風見の地下室へと迎え入れた。

 彼の方はというと、匂いに戸惑ったまま口に手を当てつつ眉間に皺を寄せている。この男はよく眉間に皺を寄せた表情をしていることが多いが、今回はその皺の深さが三割増しといったところか。そんな表情を見て取るが、彼女自身は表情を変えることも無く進行方向へと向き直って歩みを進める。


 地下室は、部屋の上部六十センチ程が地上に位置しており、そこには左右に細長くあかり取りと換気を兼ねている窓が付いている。部屋は南側に面しているから、正午に近いこの時間帯であれば真っ暗ということは無い。彼女は真っ先にそれらの小さな窓を全開にすると、次いで手慣れた様子で蝋燭に火を灯していく。蝋燭は結構大きなもので、火が灯ると部屋の全体がぼうっと仄かに明るくなり、室内がほぼ把握できる程度に照らされた。視力に魔力を通すまでも無い。

 あかりが灯されてすぐ、部屋の奥、西側に設えてある小さな白銀の祭壇へとナミは向かう。左肩にカラスを乗せたイリスウェヴ神の小さな女神像へ、信徒式に手を組み小さな祈りを捧げる。

 そしてレイジを振り返ると、彼の足元に目を留めた。

「あ、そこ。足元。踏まないでくれる?」

 彼が目線を落とした足元、その床面に、魔法陣が敷かれている。

 「ほう」と声になるかならないかといった小さな呟きを口にして、彼は腕を組んでしゃがみ込むと、物珍しげにしげしげと円陣を眺め始めた。

 直径二メートルほど。彼の身長よりも若干は大きい筈なのだが、それでも大柄な外国人と対比させると思いのほか小さい円に見えるのが彼女には意外だった。今の彼がしゃがんでいる姿勢であっても、だ。これまで、自分の敷いた魔法陣が小さいと、彼女は感じたことなど無かったのだが。

 ナミは小さな銀白の祭壇に再度向き直ると、改めて簡素な祈りを捧げる。

「聖なるイリスウェヴの名のもとに」

 次いで、簡単な呪文を唱えてから、彼女は祭壇の隣に設えた戸棚から納めていた品物を取り出していく。呪術用の銀のナイフ、干乾びた数種類の薬や香草、液体の薬剤、そして緋色の布。陶製の器も幾つか取り出す。使うものといえば、このくらいだろう。

 一方、レイジはというと、魔法陣の文様がとても気になるらしい。尚もしゃがみ込んだまま、ふむふむ、と未だに見続けている。

「まだ手は触れないでね」

「ああ、そのくらいの念は伝わってきているよ」

 流石にそれが強力な魔力を帯びていることが、理解はできなくても感じられるのだろう。レイジは不思議そうに、かつうっとりと、風見の魔法陣を飽かず眺めまわしていた。

「陣が敷けるようになるまで、四年かかったわ」

 もちろん、単なる文様としての魔法陣の描き込みであれば、半日とかからずにできることではある。そうではなく、そこに魔力を込め、魔力を通し、魔力を溜めこんだ、という意味に於いてのことだ。それだけかけて魔力を精進し、自分の魔力を高めてきたのだ。その一つの結実がこの魔法陣、というわけである。

「まあ、いざ『戦争』とか狩りとか、そういうことになったら、それもあっさり使い捨てになるんでしょうけれどもね」

 だから、この地を捨て他の地に移り住んだとしても、そこでもまた魔法陣を組み日々の念を込めて魔力を高めていく、ということを繰り返すのだろう。

 この地が好きでも永住するかどうかの確証は持てない、それはまた別ごとだ、とナミは考えている。

 幼少時の魔女狩りの記憶は殆ど無い。だがそれでも、狩りの被害を経験しているという点で、彼女も「またいつ迫害が再開されいつこの地を追われるか」という覚悟は常に頭のどこかにひっそりと感じていた。物心ついてから、絶えず。

「これは……実に美しい……ああ」

「そう?」

 生まれて初めて実物の魔法陣を見るであろう魔力無しの男は、散々じっくりと陣を見た後に、えらく凡庸な感想を口にした。まあいい。この男にとってこの魔法陣は、今日半日分の意味しか持たないのだから。そう、彼女は受け流す。

「始めるわよ。まだ、陣には入らないで」

「この陣を使うのかね?」

「ええ。半日契約だけれども、術式だけはきちんとやっておきたいから」

 先に、彼女は出したばかりの緋色の布を身につける。彼女が着ると、それは黒地のマントとなった。裏側の緋色が、まるで血の色のように蝋燭の光にてらてらと光る。フードもついているが、それは被らず、彼女は垂らしたままにする。

 次いで、身体に身に付けた宝珠へと意識を伸ばす。両耳のピアス、両手の指輪と左手のブレスレット、更に胸のペンダントをそれぞれ手で確認していく。

「通称、確認しておくけれども。神矢零司……カミヤ・レイジ、でいいのよね?」

「ああ」

 本当は真名だともっといいんだけども、まあわたしも通り名でやるんだから、いいわよね……そう、彼女は独り言のように呟いて、取り出した小さな箱の蓋を開けて、薬草を撒き出した。

 魔法陣の外に三カ所、乾燥した薬草を撒く。独特の匂いが彼女の鼻に届く。きっとこれは彼の鼻にも届いていることだろう。箱を変えて、今度は別の薬草を更に三回、これは陣の中に入れる。

「さあ、どうぞ」

 彼女のことばが陣の中に入れという意味だと悟った彼が、歩を進める。陣の中央でより精密に敷かれている五十センチ程度の正円は踏まずに、その手前で止まる。うん、いい位置だ。そう、彼女は無言で頷く。

 彼女はテーブルに置いた液体を、出してきた小さな白い杯に注ぐ。どろりとした深緑の液体を少量注いだ白の杯を持って、彼女もゆっくりと陣の中へと足を踏み入れる。

「レイジ、膝を折ってくれる?」

「こうかね?」

 君主に忠誠を誓う騎士のような趣の、半分膝を折った立て膝の姿勢で、彼が彼女の前で跪く。視線がぐっと低くなり、流石に大柄な彼でも、彼女を見るには頭を上げて見上げる格好になる。

「ええ、いいわ。動かないでね」

 そして、彼の頭上に液体を入れた小さな杯を差し出す。

「ちょっと大げさに感じるかもしれないけれども、詠唱は全てわたしの担当だから。最後の誓いの文言だけ、復唱してくれる? あ、多少のアレンジは問題ないから。そこはあなた自身のことばでいいわ」

「ああ、解った」

 疑問も疑念も抱いていない、波ひとつない落ち着いた湖のような彼の瞳の色を見て、その彼の承諾の声を素直に喜び、彼女は彼に笑顔を返す。

 次の瞬間、彼女の顔は、もう魔女の顔に戻っている。

 そして。彼女は詠唱を開始した。


「耳傾けよ、我が聖なるイリスウェヴよ」

 ここからは、いつもの詠唱だ。使い魔との契約程度だ。それほど重要な文言はない。

 彼女も「音」としか意識していない、遠い昔から脈々と詠唱され続けてきた風見の呪文。その文言のその意味は、もう解らない。彼女にとっても、外国語のようだ。それらを繋げて、彼女はことばを紡ぐ。

「全ての魔性の血を受けた一族に告ぐ。大地の母に告げる。そして、」

 彼の頭上にずっと掲げていた陶器を引き寄せ、彼女はその中身を飲み干した。

「カミヤレイジに告げる。聖なるイリスウェヴの名のもとに、その者、カザミナミへの忠誠を誓うか?」

 語尾が問いかけだったことで、彼は彼女にきちんと視線を合わせ、

「ならば忠誠を誓おう。拙者は君を、今後、絶対に裏切ることは無いことを」

 と、まるで時代劇の台詞のような、大仰な台詞を返してきた。イエス、ノー程度の単語で返って来るかと思っていた彼女は少しだけびっくりして間が飛びそうになったが、慌てて次の段取りへと進める。

 魔法陣が、わずかにだが光を帯び、輝き始める。

「よろしい」

 彼女はそこで中身を飲み干した小さな杯を持ったままだったことに気づき、それを陣の外へと無造作に放り出す。ガチャン。器が割れたような気もするが、彼女はそれを気にすることなく淡々と儀式を続けた。彼女は、冷やかに彼を見下ろして左手の甲を差し伸べる。

「指輪に、忠誠の誓いを」

 彼は手を取るが、その先がどうも判らないらしく、体がそれ以上動くことはない。

「左の石に口づけを落として頂戴」

 恥ずかしくて事前説明を飛ばした箇所で、やはり引っかかったか。彼女は一瞬、表情を素に戻して、簡潔に彼に言う。ちょっとだけ、恥ずかしく感じた自分の表情が彼の目に留まったかもしれないが、彼女は既に表情を元へ戻していた。彼女の説明を受けて、暫くして、躊躇していたらしい彼が指輪の上に唇を乗せたことを確認すると、彼女は彼が手を離す前に、自分から手を引いて締めの呪文の詠唱に入る。

 魔法陣が、更に光を増していく。

 ここからの詠唱も、淀みない。意味は判らずとも、聞き慣れた、呟き慣れた、風見の文言だ。あの「戦争」さえ、魔女狩りさえなければ、母からその深い裏の意味も込めて伝えられていたであろうことば。だが、彼女が理解できているのは、その音だけだ。そのことが、いつも悔しい。詠唱の度に湧き上がるその気持ちを、しかし強い意志でねじ伏せて、彼女は呪文を締めくくる。

 途端。光を放っていた魔法陣が、あっさりと、その姿を元に戻す。同時に、部屋も暗さを取り戻していた。ほんのりとした蝋燭の光だけとなる。


「はい、いいわ。これでおしまい」

 ――陣の外に出よ――

 と、促す。何も言わずに、彼女がそう念じただけで、既に彼は陣の外へと足を踏み出していた。

 うわ、もう効いているわ、これ。驚きと共に、彼女は彼の動作をまじまじと見つめる。けれどもそうしてばかりもいられないと気がついて、次の段取りへと駒を進めた。

「最後に、聖水で締めるから。ちょっと待っていて」

 彼女の指示と同時に、彼の体がピタリ、と止まる。

 それを視認すると、ナミはテーブルの上に残っていたほっそりした透明のガラス瓶を手に取る。ガラスの蓋を開け、左手に少量の無味無臭、無色透明な液体を落として、それを彼の頭上へと放つ。一回、二回、三回、よし。そしてまた自分にも、三回。

「これで終了よ。どう、感想は?」

「ああ……特に何かが変わった感じはないのだが」

 彼女が強く念じただけで行動を規定したことに、彼はまだ気づいていないようだ。彼女の方はというと、指輪への誓いの瞬間から、体が重く、それでいて魔力が少しばかり欠けているような浮遊感があって、相反する感覚で体がくすぐったい。大した変化ではないから、それもすぐに慣れるだろう。それとも、これからこの調子に強弱が付いて、今後はそのどちらかに変化していくのだろうか。彼女には判らなかった。

 嗅覚、聴覚、視覚、皮膚の感覚。それらに対して、意識して魔力を通し、身体自身で確認する。彼女が自覚する範囲では、いずれも変化はない。まあ、たかだか一体の使い魔だし。確かに、エネルギー体としては大きい大型哺乳類のヒトを行使する分、使役する側の魔力的な負担は大きい。だが、この調子なら別に問題は無いだろう。彼女は現時点での状況をそう判断する。

 納得した彼女はマントを外すと、儀式用の薬草やら薬品やらのあれこれを片づけ始めた。

「レイジ、今すっ飛ばした盃、片づけて。箒と塵取りは……」

 先刻放り投げた杯が割れているのが、彼女の目に入った。それを気にして、彼女は先に、使い魔となった大男に指示を出す。語尾を止めて、目線だけで、その置き場を示したのだが、彼は即座にそれを理解し、無言で言われた物を取りに動いた。

 ……やっぱり。これって、便利……!

 そこでナミは、散らかした陶片よりも先に撒いた薬草一式を片づけてもらおう、掃除の段取りとしてはその方がいいだろう、と思いつく。「箒、先に薬草まとめちゃってからにしてくれない?」心の中で意識して、彼女は己の命令を言語化する。但し、発音はしない。

「わかった」

 彼の方からは声による返事がある。レイジはそう答えてから掃除を開始して、三秒程動いた後に、その動作をピタリと止めた。理解できないモノに生まれて初めて出くわしたときのような顔つきのまま、手にした箒を動かすことなく、顔を上げた彼がナミの顔を凝視している。

「……こういうことか」

「どうも、そうらしいわね」

「……らしい、とは?」

「昨日も言ったでしょ。わたし、有機物の使い魔を使役したこと、無いから」

「……そうだったな」

 これまでに無機物を幾つか、ただし生物の使役は小動物も含めて皆無だという話は、昨日の話に出していた筈だ。それどころか現代において、生きた人間を使い魔として使用するという例は、少なくとも和国をはじめ先進諸国ではまずお目にかかれないし耳にすることも無い。それらがなされていたのは、昔の、遠い習慣だ。

「ナミ、あまり無茶な事を頼んでくれるなよ……」

 尤もこれは、相当きちんとした命令にでなければ効果は無いようだ。小さく笑顔を浮かべた彼女は、片づけを続けながら状況をどんどん確認していく。

 彼女が道具を片づけ終って振り向くと、彼は割れた盃を一カ所にまとめているところだった。ごみ袋もないので、塵取りの上に陶器のかけらを乗せたまま、彼は立ち上がる。

「戻りましょうか。貴方、お腹すいたんじゃない?」

 今度は、声を出して「提案」をする。最初はイメージしただけだったが、どうやらこれは念話としては伝わらなかったようだ。恐らくは、命令ではないからだろう。だから、声が必要だったのだ。

「そうだな。昼食は、拙……ワタシが作った方がいいのかな?」

「作れるの?」

「簡単なものでよければ。ただ、味の保証はしない」

「じゃあ、一緒に何か作りましょうか」

「そうだな。使い魔には、君の助手としての役割が相応だろう」

「ええ」

 相変わらずの、芝居めいた口調に彼女は安堵する。目の前の大人の男は、使役されることそのものに嫌な素振りはみせていない。彼女にしても、相手が嫌がるような命令を下す気持ちは無いが。

 蝋燭の火を消し、窓を閉め、再度火の元を全て確認してから、彼女は部屋を後にする。呪文を唱えて扉に施錠する。階段を上り、その段差に設置した結界を改めて閉めた。草臭い匂いが、一瞬でシャットアウトされる。

「ところでレイジ」

 彼女の前に立って台所へと歩いていく男に、ナミは改めて声をかけた。

「何かね?」

「あなたのそれ……その、『拙者』。止められるよう、魔力、通していい?」




――座標軸:風見ナミ


 二人が並んで料理をしながら確認ができたことは、意思の疎通に関しては原則、使い魔契約の前も後もほぼ変わりは無い、ということだった。

 だがしかし、それがこと「命令」や「使役」に関することとなり、更にそれを片方が明快に意識の中で言語化すれば……それがたとえ和語であろうとレイジの母語であろうと……なんとなく意味が伝わってしまう、という仕組みである、ということらしい。了解や不受理と言った感情だけではなく、実行不可能だという否定の感情が勝手に返事として飛び込んで来たときには、ナミも心底驚いたものだ。

 玉ねぎのみじん切りをレイジに命じた時に、その仕組みを明快に理解して、ナミは少しばかり安堵する。

 別に思ったこと全てが漏れていくわけではない。かといって、相手の心を勝手に覗いてしまうこともない。そういうことだ。

 そこまで確認すると、彼女は自分の変化に対して意識を向けてみる。肩の力を抜いて、自分の体の様子に意識を張り巡らし、再び、よく耳を傾ける。

 やはり、少し重たい。同時に魔力が減って、体が軽く感じる。この相反する感じは、地下室にいた時と変わりない。多分、彼女自身の魔力が神矢レイジという使い魔に流れていっているからだろう。

 昔のことなので彼女もあまり覚えていないが、無機物を使い魔として使ったときは、かなりの酷使の状態ではあったにもかかわらず、こんなことは微塵も感じられなかった筈だ。となると、これは相手が生体・有機物であるからなのか。あるいはヒトという、生物としては嵩張って複雑な精神エネルギーを有する存在であるからなのか。はたまた彼が大柄なことに由来するのか。理由としてはその辺りのいずれか、もしくは重複もしくは全部が要因としてあるのだろうと彼女は推測してみる。

 後で契約を解除したら、関連書籍を引っ張り出して調べてみよう。隣にいるレイジを意識していつものような独り言にならないよう、彼女は内心だけでそう呟いた。

 キャベツを洗わせる段階で、いちいちどうでもいいことに念話を使い、指示を出していると余計無駄な魔力を消費していることに、彼女は気がつく。これくらいのことならば自分でやってしまえば早い、というものにまで彼に任せると、魔力が消費されるというのに結果が追い付かないのだ。

「あなた、千切りはやったことないの?」

「ああ、しないな」

 最初、洗ったキャベツをそのまま適当な大きさに手でちぎり始めた彼を見て、彼女はお手本とばかりに千切りをモンストレーションした後、彼に同じように包丁を持たせてみた。刃物の扱いは安定していて、彼が台所に立つこと、包丁を持つことに関して普段から主体的に関わっていることは判ったが、その内容が実に大雑把だ。彼女がイメージして魔力を使って彼の手足を動かすことも……それは先ほどのタマネギでも……キャベツで再度試してみたが、彼が「どうにも馴染まない」と途中で包丁を置いたため、お開きとなった。

「ナミ。自分の能力以上の仕事を振られても、どうやらその実行は無理なようだ」

「そのようね」

 一センチ幅の短冊キャベツで妥協し、彼にキャベツを任せると、ナミはフライパンに油を敷いて卵を炒り始めた。彼も炒めものはできると言ってくれたが、火を使うのは魔女としての日常でもあり、またこの台所のオーナーでもあるということで、今回のメインシェフとしての役割は彼女が引き受けた。加えて言えば、チャーハンは彼女の得意料理のひとつでもあった。

 先に仕上げておいた中華スープにゴマを振り、二人分を盛りつけて、ナミは食卓テーブルへとそれらを運んだ。

「しかし、面白いな」

「何が?」

 料理中にまくっていたセーターの袖を元に戻して、レイジも二人分のお茶を持ってテーブルへと向かう。

「せ……ワタシは、君の家の皿の配置など分からないというのに、君が“確実に指示を出してくれれば”それを取り出すことができる。探す物の特徴を確認する、物の在り処を聞く、というクッションを置く必要もなく行動に移せて、目的を達成できる。こんなに面白いことはない」

「その、『確実な指示』が、ちょっと面倒だけれどもねー。さ、冷めない内にいただきましょ」


 いただきます。

 二人揃って声を合わせ、手を合わせる。

 盛り付けた量は結構あったと思ったが、それでも彼女の想像を超えるスピードで、レイジがぐいぐいと皿の中の米粒を口の中へと押し込んでいく。箸ではなくレンゲを使っているせいもあるのだろう。

「美味い」

 途中、一言だけぼそり、と感想を漏らすと、また一気に、チャーハンの片づけに突入する。そうか、そんなにお腹すいていたのか、この人……いや、この使い魔は。

 しかし、それは彼女も同じこと。どうやら、使い魔に魔力を提供し続けているせいか、彼女自身も普段よりも空腹感が強かった。契約の為に地下に降りていたのは十五分かそこらのことで、料理にかけた時間も二十分がせいぜいだ。決して遅れた昼食時間ではない。だが、いつもよりも食欲が収まらない感じが強い。確かに、これまでも、大量に魔力を使った後に強い空腹を感じたことはあった。考えられる理由としてはやはりそれが原因だろうと、彼女は自身の体からの声をそう理解する。

「レイジ。おかわり、いるんじゃない」

「ああ、いただけると助かる」

 ――自分でよそってね――

 ことばにはせず、意識だけを飛ばす。

 ――了解した――

 という念が、彼から返ってくる。

 うん、やっぱりこれ、面白い。少し怖くはあるけれども。彼女は一人、小さく頷いた。

 彼の食事量を見越して多めに炒めたのは正解だった。もしも残っていたら、自分もおかわりしておこう、そう思って台所の彼を見る。

「ナミはおかわりを必要としているのかね?」

「食べたかったら、全部レイジが食べちゃって構わないわ」

「では、全部いただこう」

 やはり、漠然とした希望や感情に揺れのある願望といったものは、魔力を用いたところで届くことはないようだ。それどころか、念が伝わることも無い。もしもこれが、「食べるな」のような明確な意思を示すものであれば、迷わず彼は従っていたことだろう。

「スープも空にしてしまって構わないか?」

「ええ、どうぞ」

 あー、でもお茶は淹れて欲しいなあ。そう、かなり意図的に、しかし無音のまま、彼女は感情に念を乗せる。

 カチン、と薬缶を火にかける音が、彼女の耳に届いた。使い切ったお湯のことを思い出して、彼が補充してくれているのだろう。それとも、今の「声」が聞こえたのだろうか。

 チャーハンとスープの器を両手に持ち、彼は再び椅子に戻る。

「食事は温かいものに限るな」

 二杯目の主食とスープに手をつけ始めて、ぽつりと、レイジが声を零した。

「まあ、今は寒い時期だものね」

「人と食事をしていると、温かいな」

 ああ、そういうことか。この人は……わたしの半日使い魔は、旅を重ねてきている人間だから、一人での食事が多いということなのだろうか。そう思いながら、彼女は目の前の男を見る。

「君は、いつも食事を一人でしているのかね?」

 相手のことを想像したのは、目の前の使い魔も同じことだったようだ。

「そうね、昼こそ学校でみんなと囲むけれども、朝夕は基本自分で用意して、自分一人で食べるわ」

「余り食欲が湧かないだろう、それは」

 一人の食事であっても山盛りのご飯を食べていそうな大男が、チャーハンの蓮華を手にしたまま、向かいのナミを真っ直ぐに見る。

「まあ、神矢のお宅からちょくちょく差し入れはあるし、あとは魔力持ち仲間と食事をする機会も割とあるし」

 相手が心配すると困るので、ナミは至極何事もないかのように穏やかな笑みを彼に向ける。

「じゃあ、今晩、契約を解除したら、夕飯を御馳走させて。一緒に食べましょう。今日半日、使い魔としてこき使うお礼とでも思っておけばいいから」

「そうか。それは楽しみだ」

 再びチャーハンを口の中に頬張って、使い魔は嬉しそうに笑う。あまりにも他意のない笑みに、彼女も釣られて大きな笑顔になった。

 けれども。

「だから。食後のお茶と、洗いもの、お願いね」

 頭の中で、彼の行動をイメージする。そして少し意識して、ニヤリ、と口角を上げる。歳上の男から見ればひどく生意気に見えるであろうことは、承知の上だ。

「ジャスミンティーか。了解」

 沸いた湯を既に茶葉の入ったポットに追加するだけ、彼女の念から理解して、自分の皿を全てきれいにした男は立ち上がった。

 けれどもこうやっていちいち念じたり、イメージを明確にしたり、と心の内面を明確に意識し尚且つ言語化するのは、少々面倒だ。どうやれこれも魔力の消費を大きくしている要因だと見当をつけた彼女は、これからの指示はできるだけ普段通り口頭でやりとりしようと決める。


 彼女に先にお茶を出して自身は洗いものを片づけていたレイジだが、素早く片づけを終るとお茶を飲みに戻ってきた。

「それで、この後はどうするのかね?」

「道場の時間までまだ間があるし、掃除でもどうかな、って」

 少しの間、肯定でも否定でもない沈黙が包む。感情の波風も判らず、彼からの思いは彼女には伝わってこない。

「ええっと、ほら。高い所の掃除って、あなたみたいな大きな人がいるときでないと、無理だから」

「なるほどな」

 了解した、という意味なのだろう。表情からも、別に嫌そうな素振りは見えない。

「まあ、食休みのお茶を飲んでからで……」

 そう言いかけた彼の左手が赤く染まっているのを、彼女は目に留めた。

「レイジ、手!」

 小指の付け根の近くが、切れているらしい。彼は、言われて傷を目にしても、「ああ」と言ったきりそのままだ。

 彼女は立ち上がると、彼の左手をぐいと寄せてみる。傷口を見ると、彼女が思っていたよりもざっくりと深く切れていた。

「先ほどの洗いものの時に包丁で切ったか、今まとめて片づけた際に杯の破片にでも触って切ったのだろう。大丈夫だ、ナミ。全く痛くもないし、すぐに血は止まる」

 そうは言うものの、彼女が見る限り彼の手は思ったよりも深いようで、流血量が多い。

「……」

 圧迫止血を施しながら、小声で呪文を詠唱する。空いた左手で、胸元のペンダントを握り締める。尤もこの左手とこの宝珠は魔力の行使ではなく、ただの祈りの延長のようなものだ。

「ナミ、痛くない、というかワタシは傷には慣れているから、そんなことで魔力を使うなど……」

「うるさいから黙って。集中力が途切れる!」

「……」

 彼は、グゥ、と唸って、本当に声が出なくなる。彼女は、そのことに気がついてはいない。

「……はい。止血と簡易消毒は、これでオッケー。薬草持ってくるわね」

 そのままでいなさいよ、と言い置いて、彼女は医薬品を置いてある居間に備え付けの棚へと向かった。選んできた薬草……彼女の手作りの傷薬を少量塗り、上から大きめの絆創膏を貼り付ける。

「これで、もういいわ」

「……助かった。というか、凄いな」

「え?」

「今の、君の、『黙れ』と『動くな』のことだよ」

 もういいと言われるまで何もできなかったぞ。そう、大きな男が口をほんの少し尖らせるようにして言い捨てる。

「君には敵わないな」

「そんなの当たり前じゃない」

 ニヤリと笑う自分を意識して、ナミは目の前の拗ね気味の大人を見る。うっかり言った「黙れ」や「そのままでいろ」という意味の指示のことばから始まり、その後に無意識に放たれた解除のことばが届くまでの間、彼は一言も発することができず、身動きも取れなかったというわけか。そう、彼女は事情を理解する。

 しかし。

「でも、傷は結構深かったわよ。本当に痛くないの?」

「ああ、大したことはない」

 ……傷に慣れている、痛みは大したことはない、と繰り返されたことが、彼女は気にかかった。

 先日の暴漢への対処を見ても、また他のときでも、彼が必要以上にナミの体に対するダメージに気を遣っていることはよく伝わってきていた。

 一方、自分のこととなると、彼女の半日使い魔は結構無頓着だ。

 昨日の港でもそうだ。随分と寒さが厳しかった筈だが、そのことでも彼は辛そうな素振りを一切見せなかった。それを、彼女は思い起こした。

 確かに、武道を相応に嗜む彼のことだ。痛みや苦痛といった感覚は身近だし慣れたものなのかもしれないが、自分の血を見てもあれだけの無反応というのはどうなのだろう。ましてや拳の一部を構成する、己の手の負傷だ。拳道者としての自我からすれば、この部位の不調の類は軽く見ていいものではない。

「まったく、魔女殿は大げさだなあ」

 彼女が深刻な顔をしていることが気になったのだろうか。レイジが、ことさらおどけた声をつくって、彼女の瞳を覗き込む。その微笑みは、温かい。

「君は、治癒の呪文も持っているのだな」

「ええ、あまり得意じゃないけどね。ちょっと最近、気になることがあって。もっと治癒の魔力も勉強したいなぁ、って。ちょっとね、思ってる」

 彼は怪我をしていない方の手を伸ばして、先程の飲みさしのお茶を取っていた。彼女も自分の席に戻り、お茶に手を伸ばす。

「まあ、あまりわたし向きではないのよね。性格的にも、攻める方が向いているというか……けれども」

 実際、社会に暮らす魔女の中には、医療関係の職務に就いている者の割合は、決して少なくはない。

 看護師として苦痛軽減のサービスに関わる者。薬草の知識を活かして大学での専攻も薬学を選び、薬剤師となる者。あるいは、医療というよりももう少しすそ野の広がる介護関連の分野でも、魔力持ちのプロはよく見かける。いずれも、社会における魔女の人口比を考えれば、比率としては結構な進出率だ。

 ただ、医者に関しては、その資格制度の関係からか、あるいは魔力に対する科学的な分析の限界を踏まえてのことなのか、他の医療関係に比べると魔力持ちの比率はそれほどではなくなる。

「職業にする程ではないとしても、日常的にあると便利な能力だから、高めておくに越したことはないのよね」

「そうだな。こうして治療を施してくれるわけだし……ありがたいよ、ナミ」


 手を休める間程度の時間、座ってお茶を飲む。そうして落ち着いたところで、レイジはナミの指示通り家の掃除を開始した。

 彼女も、人を使うというのに自分が休む気にはなれず、レイジに指示を出しながら自身も雑巾を持ってあちらこちらを片づけて回った。

 地下室、それと二階の彼女の部屋を除いて、全ての部屋、空間で高所にハタキをかけてもらい、ついでに電球のチェックをしてもらう。女子中学生としては平均的な身長のナミからすると、椅子を使うこともなく高所の確認のできるレイジの体躯はありがたい。その後、掃除機を彼に任せ、自分は片づけに、と役割を分担する。途中の指示についても、魔力を通してやりとりをしてみる。これは便利だと、彼女は改めて魔女にとっての使い魔の存在意義を実感する。

 途中、彼の指の傷が開いていないことを確認してから、そのまま雑巾がけの場所を分担する。高い部分や窓をレイジが受け持ち、小物を彼女が拭いて回る。床は、早く終わった方から拭き始めたが、二人がそれぞれ自然に分担して、一通りの拭き掃除を終えていた。こうして、小さな家はすっかり片付き、ピカピカに磨き上げられた。

「うーん、気持ちいい」

 綺麗になった室内に午後の柔らかい陽光が手を差し伸べるように光り、照らす。その心地よさを存分に感じて彼女が伸びをしていると、雑巾を洗い終わったレイジが干し場がどこかを聞いてきた。

「外の物干し竿に干しといてー」

 今の声と、念話と、どちらが早かっただろう? そう考えることもそろそろ減ってきたくらい、使役の感覚が彼女へと馴染んできた。彼女の魔力と一体化してきている、というと大げさかもしれないが。


 更に掃除の最中に確認できたのは、彼女の魔力の乗せ方によっては、彼の能力をより引き出す使い方もできるということだった。

 たとえば、ジャンプの限界を引き上げる、あるいは腕力に力を上乗せする、というような。玉ねぎのみじん切りやキャベツの千切りのような、彼の基本的な動作の内に無い動きに対してはあまり効果がないものの、力を増やすといった単純な使い方であれば、それは確実に基礎能力の増大に繋がるらしい。彼の言い分では一割かそこらの実感だという話だが、それでも戦力的には大したものだ。

 尤も、それについては、彼女の込める魔力量にも関係している可能性も考えられる。

 ……これは、ちょっと面白くなりそうだ。彼の手の傷を見て問題が無いことを再度確認しながら、彼女は少しばかり思案を巡らせる。

「ちょっと早いけれども、一休みしたら道場へ行きましょうか」

「もうそんな時間かね、ナミ」

「今日はあなたにとてもいい相手を紹介できるから。少し休んで調子を整えて、奴にちょっとキツめの一発を食らわせてやりましょう」

「ヤツ? 誰だね? というか、拙……ワタシは何を命ぜられるのかね?」

「まあ、会ってからのお楽しみ、ってことよ」

 きっと面白いことになるわよ。ニヤリと笑って彼女は南の窓を開けると、外に広がる青空を見上げた。




(つづく)

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