第29話 届かぬ言葉


「乃恵は貧乏神じゃない」


 乃恵はうそだ、と言うように首を振る。

 本当だよ、と心太は乃恵のすぐそばに立つ。二人はもう手を伸ばせば届く距離になった。


「違います! 私は貧乏神です」

「いいや、違う。乃恵がそう思い込んでるだけだよ」


 心太はずっと、貧乏神とはなんなのかを考えていた。

 乃恵が自分は貧乏神だ、というのに反して、柳田家の家計は改善されていた……涼香や弥津斗に聞いたり、ここへくる道中、ぬらりひょんにも聞いてみたりした。

 その結果、確信した。

 乃恵は、貧乏神ではない。ただ、彼女自身がそうだと決めつけて、思い込んでいるだけだ。


「そんな……そんな……」


 乃恵はいやいや、と首を振って心太から距離をとった。

 これまでずっと自分は貧乏神だと思っていた。それが違うだなんて、そんなはずがない。


「乃恵はもしかしたら前は貧乏神だったのかもしれない。でもね、家にいる間は、確実に、貧乏神ではなくなっていたんだよ」

「……そう、なんですね」

「それにね、今回のことは、政府の方で都合が悪いからなかったことにしてくれるって! だから乃恵は退学にはならないんだよ!」

「……そう、なんですか」


 わかりました、と乃恵は頷いた。

 よかった、と心太は安堵する。


「わかってくれた? じゃあ、これで一緒に帰って——」

「それは、できません」

 

 乃恵は顔を上げて、きっぱりと言った。


「なんで!?」

「私が貧乏神でなくても、それでも、私が心太さんを呪い、あんな目に会わせたことがなくなるわけではありません」

「……!」

「私は、あなたのそばにはもういられないんです」


 ごめんなさい、と乃恵は頭を下げる。


「なんで……なんでだよ」


 心太は乃恵の肩を掴んだ。

 乃恵の決意が固いのが伝わってくる。けれど、このまま引き下がるわけには行かなかった。


「……ごめんなさい。それは……もう……これ以上、私のせいで心太さんを不幸には——」

「俺は不幸なんかじゃないよ!」


 ううん、と首を振りつつ、でも、でも、という乃恵に心太は、それに、と続けた。


「乃恵がいてくれないと困るんだ。ご飯だってまともなもの作れないし……そうだ、恩返ししてくれるんでしょ? ちゃんと返してよ」


 返してくれなきゃ、利子つけて返しにもらいにいくよ、と心太は言う。 


「……どうして……どうして、そんなこと言うんですかっ!」


 どうして、どうしてっ! と泣き叫ぶ。


 ——私は、もうあきらめたのに。もう、ずっと、一人で、ずっと、貧乏神だって……、貧乏神だから一人だって……なのに。


「……妖怪だからですか? ……妖怪ならなんでもいいんでしょっ! ……心太さんは妖怪なら誰でもっ!」


 そう叫んで乃恵は心太の手を振り払った。


 乃恵は自分の言葉に驚いていた。そんなことを言うつもりはなかったのに……でも、それは本心だった。ずっとそれを気にしていた。

 心太が自分にやさしくしてくれるのは、私がどんなであれ、妖怪だからじゃないかと。心太は妖怪が大好きだから、自分のような貧乏神にもやさしくしてくるのではないかと、ずっと思っていた。それがずっと不安だった。


 心太は、首を振った。

 強く、二度、三度、首を振って口を開く。


「違うよ、妖怪とか貧乏神とか、そういうのじゃない。俺は……乃恵のことを——」


 一陣の風が吹いた。部屋の中へと、葉桜がふわりと舞い落ちる。


「             」


 ささやいた。

 瞬間——ひゅー。


「ンガッ」

「か、管露さん!?」


 心太は、頭上から突如落ちてきた、やかんに打たれ気を失った。

 乃恵の身体にすがりつくように倒れていく。

 そのときポケットからなにかが、ころり、と転がり落ちた。


「え? 心太さん……、し、心太さん!」

 


 ****

 


 病院に運ばれた心太は、それからまた丸一日寝続けた。

 目を覚ました心太は、医者や看護婦からひどくしかられ、母からはあきれられた——乃恵はいなかった。

 そのことを誰かに確認したわけではないが、見舞いに来たクラスメイトや両親の誰も、乃恵の話を心太の前でしなかったから、多分、そういうことなんだと思う。


 あの時。

 貧乏神ではないと証明しても、頷いてくれなかった乃恵を引き留めるために自分がなにをしたのか、心太の記憶はあいまいだった。


 頭を打った衝撃のせいか、そのときのことだけが思い出せない。思い出そうとすると、動悸がして顔が熱くなる。

 しかし、今乃恵がいないと言うことは、自分はなにも伝えられなかったんだ、心太はそう思っていた。

 乃恵に響く言葉を伝えられなかった。だから彼女に伝わらず、止められなかった。


「……乃恵」


 心太は病院で、乃恵のことを未練がましく考え続けていた。

 それともう一つ、気がかりだったのは、ビー玉である。

 いつか乃恵に渡したビー玉を、彼女にもう一度持っていてもらおうと思って心太は乃恵の家まで持って行った。

 しかし、バタバタしている間にどこかへと落としてしまったのか。

 ビー玉はついぞ見つからなかった。

 

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