第28話 心太は貧乏神を否定する


「乃恵!」


 そう自分を呼ぶ心太の姿を認めた乃恵は——逃げた。

 

「えっ、ちょっと!?」


 部屋の反対側から飛び出し廊下を駆ける。


 ——うそ、なんで? なんで!?


 走りながら乃恵は混乱する頭で考えていた。

 人間である心太が、妖怪の世界にある自分の家にどうしてくることができたのか。


 ——誰かが連れてきた? でも誰が? ひょっとしてお姉ちゃん?

 

 そんなことを考えながらも乃恵は懸命に走り——べしゃん。


「〜〜〜〜!」


 板の間になっている廊下を曲がろうとして、靴下を履いた足が滑り、思いっきり転んだ。


「の、乃恵! 大丈夫!?」


 後ろから走ってきた心太が助け起こそうとすると、彼女は心太の手をパシンと払った。


「の、乃恵?」

「…………」


 おそるおそる話しかける心太に、乃恵は無言でうつむく。


「ええと……その……か、勝手にあがってごめんね?」

「…………」


 なにも反応を返してくれない乃恵に心太は焦る。


「ええと……ええと……」

「……なんで」


 心太が戸惑いなにも言えなくなり黙り込んだとき、乃恵がかすかに口を開いた。


「なんで……なんで……きたんですか?」

「ええと、なんでって、普通にタクシーで送ってもらって」


 ぬらりひょんに連れられた心太は、病院前に停まっていたタクシーに乗せられて、この家まで連れてきてもらった。


「まさかこんな簡単に妖怪の世界にこれるなんて驚いたよ。あ。でも、今回のことは特別だから、他の人に言っちゃいけないんだって——」

「違います!」


 うきうきと話をはじめた心太の言葉を乃恵の声がさえぎった。


「どうして……どうして、ここに……私の所にきたんですか」

「あぁ……それは……ええと、乃恵にもう一度会わなきゃと思って」


 それで来たんだ、と心太はいう。


「それで……?」

「ん?」

「それで、私に会ってどうしようと……?」

「それは……」


 乃恵の真剣な目に見つめられて、心太は思わずたじろぐ。


「ええと……あ、会うことしか考えてなかった」

「な、なんですかそれ!?」

「う、うそうそ! ごめん今のなし!」


 真剣な空気にビビり、思わずとぼけてしまった心太だったが、もう一度やり直させて、と両手をあわせる。


「乃恵を連れ戻しに来たん——」

「帰ってください」

「早いよ!?」

「私は……私は、もう学校にもいけませんし、これ以上心太さんとはいられません」


 そういって乃恵はそっぽをむく。


「それに……私は、貧乏神なんです。そのことを改めて実感しました。やっぱり貧乏神が誰かと暮らそうなんて、無理だったんです」


 ——人並みになろうなんて、思い上がりもいいところだった。


「違うんだよ」

「なにがですか」

「乃恵は、貧乏神じゃない」


 心太の強い口調に、乃恵はイラだった。


「そんなわけないじゃないですか! 心太さんだってあんな目にあって、わかってるでしょ!?」

「落ち着いて。今からちゃんと説明するから……まずは、これを見て」


 そういうと心太は一冊のノートを取り出した。

 心太に促されて乃恵がそれを開くと、中にはたくさんの数字が書かれていた。


「これは……」

「それはね、うちの家計簿」

「家計簿……」

「いいかい、乃恵。これが二月分で、こっちが三月。そして四月」


 心太の指し示すページを見比べる。特に変わったところはみられない。


「これがなんだっていうんですか、別に、普通の家計簿じゃないですか」

「そう、なんだよ。この家計簿は。なんだ……貧乏神がいるのに」

「……!」


 乃恵はようやく心太の言わんとしていることに気づいた。


「でも、でも、これは私の力がとても弱いだけで、貧乏神じゃないっていうことには……」


 うろたえる乃恵に、心太はページをめくって見せた。


「これは、もっとわかりやすく乃恵が来る前と来た後の一日あたりにかかった金額を、比べてグラフにしたもの。いいよく見て……」


 そうして指し示すグラフは右肩下がりになっていた。


「ほら、乃恵が来てから、うちの家計はどんどん良くなってるんだよ」

「……!」

「それでね、最終的に……ほら今月の方が先月よりもプラス幅が大きくなってる!」


 それはたった百円だった。

 けれど、百円だけ。確実に。乃恵が来てからの方が少なかった。

 もちろん、こんなのは誤差の範囲だろう。

 けど、それでも自分が来てからの方が家計が良くなっている。悪くなってはいない。

 

「それにね、これも見て!」


 そういって心太が取り出したのは一枚の紙。


「これはね、入院したときに各種検査をされたんだけど……なんと! 全部が平均以上に良い数値なんだよ」


 ねぇ、乃恵。と心太はいう。


「これでもまだ自分を貧乏神だ、っていうの?」

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