第27話 貧乏神の回想


 乃恵は、帰ってきた実家の部屋を眺めていた。

 この部屋に帰ってくるのはおよそ一ヶ月ぶり。

 

 ——夏休みまで帰ってくるつもりはなかったのに……思った以上に早かったな。


 心太にかけてしまった呪いは、なんとか解くことができ、心太の命は救われた。


『心太くんはもう大丈夫よ、頑張ったわね、乃恵』


 姉にそういわれた瞬間、乃恵は学校を去ることを決めていた。


 ——もしも、また同じ事が起こったら。


 自分が同じ事をしてしまわない保証はなかった。しない、と断言できない自分がイヤだった。

 でも、それ以上に、彼を傷つけ失うかもしれないというこの不安を二度と味わいたくなかった。


 ——だから、いなくなろう。


 決意してからすぐに、そのことを乃恵は両親に告げた。二人は残念そうな顔をしたが、そうか、と言ってやさしく乃恵の頭を撫でてくれた。


 心太の母親とも話をした。

 心太の母は何度も引き止めてくれたが、乃恵の決意は変わらなかった。


『せめて心太が目覚めるまではいてくれない?』


 そう言われたときには心が揺らいだが、それでも断った。

 起きた心太と話をしてしまっては気持ちが揺らぐ、とわかっていたから。

 心太の母は乃恵の気持ちの強さを知ると、そう、とうなずいて抱きしめてくれた。その後、心太の家の与えられた部屋に戻ってきた乃恵はすぐに荷物を片付け始めた。


 その部屋の片付けはあっという間だった。

 自分が持ち込んだ荷物はそもそも少なく、段ボール三つ分に収まってしまった。

 あまりにもあっけなく済んだ片付けに、拍子抜けとさみしさを感じながらも、乃恵は実家へと帰ってきた。


 ——自分の部屋は、やっぱり落ち着くな。


 ベッドに腰掛け、そう思いながら乃恵はこの一ヶ月間のことを思い出していた。

 泣いたことや落ち込んだことも多かったけど、同時にうれしかったこともたくさんある。


 はじめて学校に通って、はじめて友達が出来た。料理をおいしいと言ってくれる人がいて、彼と毎日を暮らすことが出来た。

 幼い頃からの念願だった彼に恩返しは出来なかったことは心残りだけれど、彼を殺してしまうことに比べたら、それぐらいはなんでもない。


 ——この一ヶ月、私は幸せだったんだなぁ。


 改めて考えると、ものすごく幸せだった。

 たくさん泣いて、たくさん笑って、今まで生きてきた中で間違いなく、一番幸せな一ヶ月だった。

 もしもこんな日々が続いたら、と未練がましく考えてしまうけれど、それは無理。


 乃恵は片付けた荷物から、小箱を取り出した。開ける。しかし中に入っていたビー玉はもうない。未練が残らないように、自分で返したのだ。


 今までずっと支えてくれたものがなくなったことは不安だけど、この一ヶ月の彼との思い出があれば、これから先、一人でも生きていけると思えた。


 さて、自分はこれからどうしようか。

 今回の一件は、きっとすぐに周囲に知れ渡るだろう。ひょっとしたらテレビなんかでも取り上げられるかもしれない。

 そうしたら、これまで以上に自分は周囲の鼻つまみ者にされるだろう。

 ただでさえ貧乏神なのに、その上、こんな事態を起こしたのだ。


『貧乏神』


 心太の呪いを解くことができたとき、


『乃恵は、きっといつでも福の神に戻れるわ』


 姉はそんな風に言っていたが、そうなれるとは到底思えなかった。

 心太との生活で。高校での三年間を通じて、福の神に戻れるように頑張ろう、と思っていたけど……。


 落ち込みそうになる気持ちを、乃恵は首を振って回避する。


 ——貧乏神でもいい。それでもいいから、もう迷惑をかけないようにじっとしていよう。


 乃恵はそう決めた。

 両親には迷惑をかけてしまうが、家事手伝いとして家に置いていてもらおう、そう思った。


 ——心太さんは、どう思っているかな?


 それが気がかりだった。

 乃恵は心太が目覚めるのを待たずに去った。

 それは、目覚めた心太と話したら決意が鈍ると思ったのもあるが、同時に、怖かったのだ。


 ——やっぱり、嫌われたよね……。


 自分は心太のことを呪ったのだ。自分のせいで心太は死にかけた。

 そんな相手のことを嫌わないわけがない。

 目を覚ました心太から、直接それを言われたくなくて、乃恵は心太が寝ている間に去ったのだ。


 ——心太さんには、どれだけ謝っても謝りきれない。


 悔やんでも悔やみきれなかった。

 でも、これ以上どうすることもできなかった。

 だから去った……けれど乃恵は心太のことを考えずにはいられなかった。


「乃恵ー」


 彼が自分を呼ぶ声が、聞こえた気がした。

 バカだな、と思う。病んでるな、と。

 もう彼が自分をそんな風に呼んでくれる日はこないのに。


「乃恵ーー!」

「……?」


 しかし、その声は、気のせい以上にはっきりと聞こえて。

 バタバタと走り回る足音。

 同時に、部屋の襖がパッと開けられて——


「乃恵! あ、いたいた」

「う、嘘……」


 心太がいた。

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