第22話 貧乏神の贖罪


 乃恵は深く深く、深呼吸を一度すると、霊水に浸したさかきを手に取った。


 ——絶対に、呪を解く。


 そう決意する。

 隣で姉が息を詰めて見守ってくれているのがわかる。


「……ふぅ」


 もう一度目を閉じて深呼吸。


「——!」


 そして、カッと目を見開いた乃恵は、榊を心太の上へとかざす。

 榊からこぼれる霊水のしずくが心太の身体を打つと、呪が震える。

 このしずくへ、もっとプラスの力を流し込まなければ呪を解くことはできない。

 プラスの力を流し込む、つまりは、幸福を流し込む。


「乃恵、楽しかったことを思い出すの。心太くんにまつわる、幸せな記憶を」


 姉に言われて、乃恵は自分の記憶から幸せな時間を探した。

 

 心太さんはいつも、私のご飯をおいしそうに食べてくれた。


 心太さんはいつも優しくて、面白くて、そばにいるだけで嬉しくなった。


 心太さんは、学校でも家でも、いつも私を気遣ってくれた。私のそばにいてくれた。


 ——けど、最近は古家さんのそばにいつもいる。


 心太さんは貧乏神が家にいることを受け入れてくれた。


 ——でも居着くなら貧乏神より、座敷童の方がいいよね?


 バチッ。


「きゃっ」

「乃恵!」


 楽しいことを思い出そうとして——けど、が後に続いてしまった。

 自分がそばにいて心太が本当に幸せだったのか、自信がない。

 

 だって、だってそうだろう。

 貧乏神がそばにいて、うれしい人間がいるだろうか? 妖怪にだって疎まれるのに。

 そんなわけない、きっと心太だって——


「乃恵!」


 ハッと我に返る。

 心太にかかる呪がまた勢いを増していた。


 ——あ。無理……ダメ。ダメだ。


「……やっぱり、私には無理だよ」

「なにいってるのよ、乃恵!」


 鬼のような形相の姉に、乃恵は笑ってしまう。


「あは……だって、だって……私は貧乏神だもん」


 乃恵の言葉に、姉が毛を逆立てる。


「今はそうだけど、でもあなたはもともと福の神なのよ!」

「お姉ちゃんにはわからないよ!」


 乃恵は、姉をきっと睨みつけた。


「昔からなんでも良く出来て、綺麗でスタイルも良くて明るくて……私はそんな風にはなれない!」

「乃恵……」


 妹のそんな気持ちを姉は一度も聞いたことがなかった。そんなこと、一度だって話してはくれなかった。


「楽しいことだけ考えられたら、前向きに考えられたら、貧乏神になんてなってないもん!」

「そ、そんなこと——」

「そうなの! 絶対にそうなの! 私はこんなだから貧乏神だし、貧乏神が好かれるわけないし……心太さんも、私なんかより、座敷童の方が好きだもん!」


 乃恵の身体からぶわっと黒い霧があふれ出す。

 その瞬間。ガラガラ、と病室のドアが開いた。


「だからあなたは貧乏神なのよ」

「——え?」


 我に返った乃恵は、その声に目を見開いた。

 そこにいたのは——


「ふ、古家さん? どうしてここに……」


 クラスメイトの古家透子だった。なぜ彼女がこの場にいるのか。まったく理解できなかった。


「力を貸して欲しいって担任に言われたの。ホント迷惑な話よね。あと来てるのは、私だけじゃないわよ」


 透子の後ろにもう一人。見知った姿があった。


「く、鞍馬さん」

「乃恵さん」


 涼風は、どうすればいいのか迷っている目で乃恵を見た。


「今の話、外で聞いてたけど……ホント、バカなの?」


 透子は、そんな空気を無視して乃恵にいった。


「そこで寝てるアンタの家主が、私のことを好きだとか心配してるだとか、見当違いも甚だしくってやってられないんだけど」


 鞍馬も言ってやりなよ、と透子はあごでしゃくった。


「そうね……私も、乃恵さんのいうことは見当違い思うわ」

「そ、そんな……」


 涼香は乃恵の目をまっすぐに見る。


「柳田くんは、乃恵さんのことばかりを考えていたわ」

「えっ?」

「私が、乃恵さんに話しかけて仲良くしたのは、もともとは柳田くんに頼まれたからなの」

「そ、そんな……」


 乃恵の声が、明らかに暗くなった。

 クラスの中で唯一、心太以外に自分と普通に接してくれる涼香。その彼女の好意は勘違いだったのか、と。


「誤解して欲しくないんだけど、その後の乃恵さんとのつきあいは、私の意思よ? でも、きっかけは、柳田くんだった……彼が『乃恵はすごくいいこだから。絶対に不幸になんてならないから』って」

「そ、それは……」


 乃恵にはどういったらいいのかわからなかった。


「私のとこにきてたのもそれよ」


 鬱陶しそうに舌打ちをして透子も続ける。


「座敷童の私とセットでいれば、アンタの力を恐れる心配もなくなるから、みんながもっとアンタと仲良くしてくれるだろう、ってね。ホント、迷惑な話よね。ひとのことなんだと思ってるのかしら?」

「……うそ。うそ」


 乃恵はつぶやく。


「うそでしょ……じゃあ、じゃあ、これまでの心配は……全て、勘違い?」

「そうだっての。だからバカだっていってんじゃない」


 昼間もいったでしょ、と透子はいう。

 乃恵は眠る心太を見た。心太に纏わりつく呪を見た。


 ——私は、勘違いで心太さんを呪っていたの? 彼は、私のことを心配してくれていたのに?


「そんな……そんな……」


 乃恵は心太のそばへと歩み寄る。


「ごめんなさい……ごめんなさい、心太さん……」


 乃恵は涙をこぼした。

 それは、さきほどまでの涙とは違う。自分を哀れむのではなく、純粋な、心太への贖罪の涙だった。

 呪に覆われ、眠る心太に乃恵は誓う。


 ——絶対に助けます。私が、絶対に。その結果、例え、私がどうなろうとも。絶対に心太さんを助けます。


 乃恵の涙が、心太の身を打った、その瞬間。

 

 ぱぁん、と。


 呪がはじけ飛び、周囲が真っ白に染まった。

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