第21話 病室にて


 「やだ……やだ……」


 ビー玉を握りしめ、布団から飛び出した乃恵は、部屋の鍵をあける。


「乃恵! よかった、出てきてくれたのね」

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」


 乃恵は、姉の胸にすがりついた。


 ——私は無力で貧乏神で落ちこぼれで、心太さんを助けることなんて絶対にできない……だけど。


「こ、このまま……このまま心太さんが死んじゃうなんて、絶対にやだ……やだよぉ……」

「わかってる、わかってるわ」


 姉は、壊れそうな乃恵の背中をポンポンとさする。


「乃恵、とにかく、あなたがいないとどうすることも出来ないの。病院へいくわよ」

「……うん」


 涙を服の袖で拭い、乃恵は頷いた。



****



 病院につくと、乃恵たちはすぐに心太のいる病室へと案内された。

 その部屋の前で、担当の医師が乃恵たちに現状を説明した。


「なぜか、病状が良くならないんです。不思議なことに、怪我自体はたいしたことないんですが……なぜか、悪くなっていくばかりで」


 医師は途方に暮れたようにいった。


「乃恵ちゃん、きてくれたんだね。よかった」

「柳田くんのこと、お願いね」


 その場にきていた葛野葉先生と、担任の桜庭先生は乃恵をそう励ました。


 ——私には、なにもできないのに……。

「乃恵、いくわよ」


 そう思う乃恵はしかし言い出すことも出来ず、姉にうながされ病室のドアを開けて中へと一歩を踏み出す。


「……心太さん」


 ベッドの上に寝る心太にはたくさんのケーブルが繋がれ、様子がモニターされていた。

 乃恵の目には、心太の周囲を覆うドロドロとした黒い『呪』が見えた。それが心太の命の灯火を少しずつ蝕んでいるのがわかった。


 ——ああ、これを私がつけてしまったんだ。


 ふっ、と心が暗くな——パシンッ!


「乃恵、しっかりしなさい!」

「っ、うん!」


 姉に背中を叩かれて、乃恵は落ち込みかけた自分を律した。


「乃恵にもこの『呪』は見えてるわよね?」

「うん、みえてる」


 それは、乃恵の目にも明らかなほど強かった。自分がこんなにも強い『呪』をかけたなんて信じられない。そんな力、自分にはないはずだった。


「私も、これを見たときは驚いたわ。乃恵にこんな強力な『呪』をかけることなんてできないって」

「うん……」

「でもね、実際に今、心太くんにはかかってしまっている……どうしてそうなったのかは今は置いておくわ。それよりも、これをどうにかするのが今大切なこと」


 乃恵は改めて『呪』をみて思う。


「こんな……こんなのを私が解くなんて……」

「かけたんだから、絶対にあなたにはこれを解く力があるの」


 尻込みする乃恵の肩を姉は強く叩いた。


「解くために必要なものは用意したわ」


 姉が取り出したのは、霊峰の地下深くから汲み取った聖なる水と、さかきの枝。

  本来、この二つはみそぎに使われるものだが『呪』に対して働くことには変わりない。

 それらは神の力を増幅・伝達するためのものだ。

 『呪』を祓う儀式を『みそぎ』という。それに対し、『呪』を解くのは『解呪かいじゅ』と呼ばれる。

 違いは、『禊』は『呪』をかけた本人以外でもできるが、『解呪』はかけた本人にしか行えない。


 『解呪』の原理は簡単である。

 『呪』にたいして、その大本となった自身の負の感情と正反対の、強い正の感情をぶつければいい。

 言うは易く行うは難し。

 原理は簡単だが、自身の一度抱いたネガティブな感情と正反対のことを心から思う、というのはとても難しいことである。特に、乃恵のような貧乏神には。


 ——本当に、私にできるのだろうか?


 ここまで来ても、まだそう思ってしまう自分に、乃恵はいいや、と首を振る。


 ——やらなきゃ、やらなきゃダメなんだ。


「私……がんばる」


 乃恵は、眠る心太の隣に立ち、心を決めた。

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