第20話 貧乏神の決意


 ドンドン、ドンドン、と扉が叩かれる中、乃恵は布団に潜り込み耳を塞いでいた。

 

 ——このまま私が死ぬまで時間が過ぎれば良いのに。


 そんなありえないことを願う。


 ——なんで私、生きてるんだろう……なんで……どうしてこんなことに……。


 乃恵は、どうしたらいいのかわからなく、なにを考えたらいいのかもわからなくなった。

 ドンドン、ドンドン、と扉を叩く音がいっそう強くなる。

 乃恵はそれが聞こえないようにと、深く布団を被った。


 コト。


 それは、布団を動かした拍子に、乃恵の手元にちょうど転がってきた。


「……!」


 それは、昔、乃恵が心太からもらったものを入れてある小箱。

 落ち込んだときに眺めるそれは、普段からベッドのそばへと置いてあったものだ。


 蓋を開ける。

 中に入っているのは、少しだけ大きなただのビー玉。

 それを取り出し、乃恵は手の平の中に握りこんだ。


 ——心太さん……。


****


 

 それはまだ乃恵が幼い頃のこと。

 父に連れられてはじめて柳田家を訪れたときだ。ものめずらしさにきょろきょろとしているうちに乃恵は父とはぐれてしまった。探してもなかなか父は見つからず、乃恵は入り口の門のところで父を泣きながら待った。そこで乃恵ははじめて心太に会った。


「どうして泣いてるの?」


 泣いている乃恵に心太はそう話しかけてきた。


「お父さんとはぐれちゃったの」


 泣きながら乃恵はそう答えた。


「そうなんだ。じゃあ、お父さんが来るまで一緒に遊ぼうよ」


 きっとお父さんすぐに迎えに来るよ、心太は笑顔でそう言った。


「……うん」


 心太の言葉に不思議と落ち着いた乃恵は、涙を拭った。


 そして、二人で門のところで遊んだのだ。しりとり。だるまさんがころんだ。あやとり。百人一首。すごろく。いろいろなことをした。

 お昼には、心太の母が作ってくれたサンドイッチを門のところで二人で食べた。

 どのくらい経っただろうか。もう夕方で日も暮れかけたころ父がやってきた。


「お父さん!」


 乃恵は父に走りよって、ひしと抱きついた。


「お父さん、お迎えに来てくれたね」


 よかったね、と心太は笑った。あ、そうだ。ちょっと待ってて。思い出したように心太は家の中へと入ると、何かを手に戻ってきた。

 これ、あげる。そう言うと、心太は乃恵の手にそれを握らせた。手を開いて見ると、それは大きなビー玉だった。


「え?」


 金魚鉢の中をイメージした柄の描かれている、とても綺麗なそれに乃恵は驚きの声を上げた。


「それ、この前駄菓子屋さんのくじ引きで当たったんだけど、きれいでしょ? あげる」


 照れたように笑う心太に、乃恵もはにかみながら笑顔で、ありがとう、とお礼を言った。


「また遊ぼうね!」

「うん!」


 じゃあね、とお互いに大きく手を振って乃恵と心太は別れた。その帰り道、父は乃恵に話しかけた。


「あの子が心太くんだ。どうだ乃恵、やさしい子だっただろう?」


 父は二人が遊んでいるのを知って、わざとそのままにしていたらしい。うん、と乃恵はうなずいた。ねえ、お父さん、と乃恵は父に尋ねた。


「また一緒に遊べるかな?」


 人間と妖怪は一緒にいられない。それは幼い乃恵にもわかっていた。だから

「また」と言った心太に「またね」とは返せなかったのだ。


「そうだなあ」


 父はちょっと考えるようにして言った。

「きっとまた遊べるよ」


「ほんと!?」


 父の言葉に乃恵は目をまん丸にした。

 それは、乃恵を悲しませないためのやさしいうそだった。

そのときの人間と妖怪の仲は、ここ数十年で急激に住処を奪われた妖怪の恨みもあって決して良いといえるものではなかった。

 だが、乃恵の父は人間との共存を望んでいた。

 福の神である彼は人間の笑顔が好きだった。自分の存在がその笑顔を守っているというのが彼のほこりだった。そして彼は、人間がいなければ自分たちが存在できないこともよくわかっていた。


「今はまだ、人間と妖怪は一緒にいられないけど、きっとそのうち、一緒にいられるときがくるよ」

「うん!」


 乃恵はうなずくと、つないだ父の手をぎゅっと握った。

 

*****


 乃恵は、その時のことを今でもまだはっきりと覚えている。

 あの時の心太との時間が、これまでの乃恵の支えだった。


 ガンガン、と扉を叩く音がいっそう激しくなった。


「乃恵! ここを開けなさい! 心太くんが死んじゃうのよ!?」


 ——心太さんが、死んじゃう……。


 その現実と乃恵はようやく向き合った。その瞬間、とてつもない恐怖が彼女の心を襲う。


「……や、やだ……」


 乃恵は叫んでいた。


「そんなの……絶対にイヤ!」

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