第11話 青春は種族の垣根を越える


 場所は変わって女子更衣室。

 涼風を筆頭に移動した女子達は着替えをしようとしていた。着替え程度でも、きゃっきゃ、と嬌声が沸くのは女子高生なら当たり前のこと。


「うわ、やっぱ雪菜胸でかいなあ」

「ホント、おっきいよねえ」


 美咲と瑞希の言葉に、雪菜は首をいえいえと振った。


「単純な大きさでは私の方があるかもしれませんが、形では美咲さんが一番です」


 そう言って胸の下で腕を組む。下着姿ということもあって、よりいっそう彼女のお胸が強調される。ううう、と瑞希はうめいた。


「ボクは勝てる要素がないよぉ」

「あら、そんなことはないですよ?」


 そう言って雪菜は瑞希にさっと近づくと、後ろに回りこみ彼女の胸をやさしく触る。


「ヒャッ」

「ほら、敏感さでは一番ですよ」


 そう言いながら雪菜はさらに彼女の胸をやさしく撫でる。


「ふあぁ」


 瑞希は腰砕けになってしまう。

 そんな桃色ピンクな状況が展開される中、乃恵は更衣室の隅っこで着替えていた。

 ——やっぱり、私は小さい……。

 本当にささやかな自分のふくらみを見つめて、はあ、とため息。


 そんな乃恵の頭にコツン、と当たるものが。乃恵は特に驚くこともなく、頭の上のものを手に取る。クラスメイトの管路さんだ。管路さんは乃恵が落ち込んでいるとき、一人のとき、そばに居てくれる。いつも頭にぶつかるのが少し痛いけど、乃恵は管路さんが大好きだ。


 管路さんはいつも乃恵を励ますときでも、ただふらふらとつる下がっているだけなのだが、今は違った。何かを伝えようとしているみたいにブンブンゆれている。


「……?」


 わからない、そう思った瞬間。管路さんの注ぎ口から音が聞こえた。

 

『——更衣室のぞきは合法なのだよ! 知らないのかね!?』


 ビクッ、と乃恵は震えた。

 聞こえた声と、それに続けて繰り広げられるおぞましい狂気に充ちた会話に乃恵は卒倒しそうになった。ガクガクと震える乃恵の様子に気づいた涼風が話しかける。


「どうしたの?」


 乃恵は声に出来ず、涼風に管路さんの注ぎ口を向けた。


「?」

『——いくぞ! 女子の着替えをのぞきに!』


 そう叫ぶ声と男子の怒号が聞こえた。

 その声は、あまりにも響くその声は、管路さんを通さなくても更衣室まで十分に響いた。

 その瞬間、女子の全てが理解した。

 沈黙——ふつふつと湧き上がる怒り。

 誰も声を発さないが、その場の意見が人も妖怪もすべて一致していた。


「みんな、協力して——男子を血祭りに上げるわ」


 涼風の声に、みんながうなずく。

 女子の殺気に満ちた目が、更衣室の空気を鉛色に染め上げた。

 

 

****



 そんなことを知る由もない男子たちは植え込みの中にまで潜入することに成功していた。植え込みの中から、更衣室の窓を確認。

 ——あれだ! 

 みんなは同時に確信した。

 カーテンが七割程度の丈しかない、一番端の窓。更衣室の場所と一致していることを確認。残念なことに植え込みの中からでは光の反射の加減で中を見ることは出来ない。

 まわりの様子を確認する。

 ——人影はなし。


「いくぞ」


 小さな声で怪斗はみんなに声をかけた。そろそろと更衣室の窓の下まで移動する。全員が無事、窓の下へと移動を終えた。窓の中からは声が漏れてくる。


「——あら、あらあら。美咲さんもなかなか?」

「こ、こら。雪菜……そ、そこは、や、やめ……て」


 はんっ、あんっ、と扇情的な声が聞こえてくる。さらに他の女子の嬌声や衣擦れの音も響いてくる。

 その会話を聞いて、男子は震えていた。

 これは想像以上だ。音だけでここまでとは……その姿を見たら、どうなるのだろう?

 ゾクリ、とみんなの背に電流が流れる。想像だに出来ない、未知のモノへの恐怖か、それとも……。


「みんな覚悟はいいな?」


 我を忘れそうな状態の己を律し、広樹はみんなに確認。ゴクリ、と全員がつばを飲み込み、うなずく。


「よし、行くぞ——」


 怪斗が先陣となりそろそろと立ち上がりかけた瞬間、何者かが、その頭を押さえ込んだ。

「な、なにをする?」

 同じように立ち上がりかけた広樹の頭も押さえ込まれた。二人は、大きな声を出しそうになるが必死にこらえ、頭を押さえる人物を見た。

 心太と弥津斗だ。

 二人は、はあはあ、と荒い息をつきながら、頭を押さえていた。全力で走ってなんとか間に合った。間に合ってよかったと思う。本当にギリギリだった。

 他の男子生徒も、二人に機先を押さえられ動けなくなり、キリキリと空気が張り詰める。


「——クッ、おのれ邪魔をするのか弥津斗!」

「ああ」


 激昂する怪斗に弥津斗はめんどくさそうに頷いた。


「なぜ邪魔をする……貴様らとて目の前の理想郷がわからないわけないだろう! なぜだ答えろ、心太!」

「友人が堕ちる姿ほど見ていられぬものはない。せめて引導をくれてやるのが友の務めだろう」


 勝手に少年漫画のバトルシーン的な雰囲気になっていた広樹と心太も互いに言葉を交え、互いの意思の強さを確認する。

 ——四人は立ち上がり、ファイティングポーズを取る。


「よろしい、ならば戦争だ!」

「全員、立てぇぇぇ! 今こそ我らの力、思い知らせるのだぁぁぁ!!」


 二人の号令に張り裂けんばかりの情欲を押さえ込まれた男子達が立ち上がり、心太と弥津斗の二人へと雪崩れかかる。二人はその激流をいなそうとして、


「え、ちょ!」

「おい、こ、こらっ!」


 激流に押しこまれた。後ろの窓へと二人はぶつか——

 ガラガラ。

 ——らずに、開けられた窓へと頭から背面ダイブを決め込んだ。


「…………」


 男子全員が沈黙する。フハハハハ、思い知ったか! とあっさり二人をノックダウンしたことを喜んでいた怪斗と広樹も押し黙る。

 窓を開けた人は、そこに立っていた人は——大神美咲。


「……なあ? おまえら。私の特技、覚えてるか?」


 彼女のフラットな声に中庭の男子はみな、ガクガクと震えだす。しかし、彼らはまだましだ。彼女が今話しかけているのは心太と弥津斗。目を見据えられてその言葉を聞かされる二人の恐怖にくらぶれば何のことはない。

 二人は、頭を床にぶつけ、半分逆立ちのような状態のまま、ハハハ、と笑う。


「あ、あのね、美咲さん、こ、これは不幸な事故とか誤解でね?」

「そ、そうだ! オレと心太は、あ、あいつらを止めようと……」


 カタカタと震えながら必死に弁明する。


「……ほう? そうか」


 納得したような彼女の言葉にほっと安堵しかけた二人——


「で、それでなんで女子更衣室に入っているんだ?」


 だが、そんなに簡単にはいかない。

「だ、だから不慮の事故で!」

「そ、そう! 事故事故! 決してのぞきたかったわけじゃなくて——」


 心太は気づいた。

 美咲はスカートを履いている。そして、自分は逆立ち状態。近づいた彼女のスカートの中が……。


「「――スパッツ!?」」


 弥津斗の声と心太の声が見事なシンクロを披露。

 ——な、なんでスパッツ!? それは反則だろ!

 そう叫ぼうとした瞬間、二人は己の過ちに気づく。


「ほ、ほ、ほほう」


 カタカタと振るえ、顔を赤くした美咲の指先から爪が伸びていくのを見つめた。


「さっきの答えを言っていなかったな……」


 ふるふると震える声で美咲は話す。ガクブルの二人は互いの身体を抱きしめた。


「私の特技は——」


 ぐっと彼女の手に力が込められ、指先の爪がシャキンと伸びきる。フッ、と彼女の姿が一瞬ぶれる。二人は目を見開いた。


「——丸太裂き」


 シュバン! 


「グハッ」

「ゴボッ」


 両手の爪で二人を同時に手にかけた美咲は、絶対零度の視線を外の男子に向けた。男子たちは二人がやられている間に我先にと逃げ出そうとしている——が、そうはさせない。


「逃がしはしないわ」


 男子の右から涼風が木刀を構えてあらわれる。その後ろには双子の姉妹。


「許さないからね」


 左には歩美ら三人が待ち構える。彼女達も各々武装している。

 行き場をなくした男子達は中央に身を寄せた。美咲が唇の端を釣り上げ、号令をかける。


「総員、突撃!」


 ダンッ、言葉と同時に窓枠を蹴る。右からは涼風が、左からは歩美が、武器を振り下ろす。

 ギャァァァアァアァァッ——男子生徒の断末魔が、学校全体に響き渡った。

 

 **** 


 それは夢かうつつか幻か。

 男子生徒たちは、気づくと夕日のまぶしいお花畑に立っていた。お互いにボロボロの姿になりながら、彼らは笑いあっている。

 その中で怪斗は広樹に話しかけた。


「やはり、理想郷に手は届かなかったか」

「ああ、でも……それはもともと承知の上だったろう?」


 二人は、ふっと、微笑する。

 そう、失敗するだろう事はわかっていた。しかし、それでも追うのが男の性。

 二人は隣に立つ、それぞれの友人に目を向けた。


「二人にも悪いことをしたな」


 心太と弥津斗は首を振る。


「気にするな。楽しかったよ」


 ありがとう、と二人は心太と弥津斗に礼を言った。

 まわりの男子生徒らも、口々に二人に礼を言う。そして互いの健闘を口々に讃え合った。健闘を讃える拍手が沸く。それが収まったとき、怪斗は広樹に向かって頭を下げた。


「すまない。今まで人間とは理解し合えるわけがないと思っていた」

「いや、こっちもだ。まさか妖怪にも理想郷をわかるやつがいるとは思わなかった」


 今まで避けていてすまなかった、と。

 二人は熱い抱擁を交わした。ぐっと互いの身を抱きしめる。


「もしも、生まれ変われるのなら、そのときは親友になろう」

「ああ、もちろんだ」


 まわりの妖怪や人間達も握手をしたり抱き合ったり、みんな涙を流して、約束を交わす。

 きっと、来世で。

 男子生徒らは、大切なものを失った。

 しかし彼らは、それ以上に大切な、仲間との絆を手に入れることができた。

 みんなの意識は徐々に遠のき、夕日は気づくと夕闇に染まり、全ての意識がぷつんと途切れた。

 

 **** 


「まったくもう!」


 涼風は、はあ、とため息をついた。

 あの後、クラス男子全員をボコボコにした後が大変だった。

 ちょっと調子に乗りすぎて、男子全員を失神させてしまった。

 騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけてきて、すぐに全員の手当てを保険医の指示で行い、体育館の床に引いたマットに寝かせた。

 なぜか互いに抱き合ったり、固く手を繋ぎ合っている男子を運ぶのは大変な以上に気持ち悪かった。

 ほとんどの生徒はすぐに目を覚まし、もう帰宅したはずだ。

 一番重傷だった心太と弥津斗は保健室に運ばれて、まだ寝ている。心太のベッドの脇に立ち、彼の顔を見つめ、涼風はもう一度ため息をつく。


「相談しろ、って言ったのに」


 涼風は、男子の怒号の後にしていた心太と弥津斗の会話を、やかんづる越しに聞いていた。

 多分、聞いていたのは自分だけ。

 心太は妖怪と人間が打ち解けるきっかけになるかも、と言っていた。確かにそれは成功した。女子の間の溝は埋まったし、男子も同様だろう……男女間の溝は修復不能なほど広がったけど。


「まったくもう」


 彼女はそうつぶやくと、心太のおでこにでこぴんをする。ん、と心太が眉をしかめた。

 お仕置きよ、と涼風は言う。

 本当は自分が埋めようと思っていた溝を、勝手に埋めた罰。相談しなかった罰。自分に新たな役目を——男女間の溝を埋める役目を与えた、罰。


「まったく、もう」


 少し強くでこぴんをしすぎて赤くなった心太のおでこを撫でつつ、涼風はやさしく微笑んだ。

 さてそろそろ教室に行こう、と涼風は独り言をつく。教室には乃恵がいる。彼女は心太の具合を心配しているのに「貧乏神がそばにいると回復が遅れたり、悪化するから」と言ってわざとそばにいないのだ。

 別に乃恵がそばにいたって心太の容態は変わらないだろう。彼女の力は本当に些細なものだから。

 今日の、女子更衣室のぞき事件を通じて、女子の中の妖怪と人間の溝は埋まった。しかし、乃恵はやっぱり一人のままだ。それは溝の種類が根本的に違うから仕方がないことだけど、なんとかしてあげたい、と思う。


 心太に頼まれてから涼風は積極的に乃恵に話しかけた。

 最初は少し不安だったが、彼女と過ごすうちにそれはなくなっていった。そばにいるとわかるが、乃恵はかわいそうなほどに妖怪としての力がない。貧乏神としての能力も、周囲に影響を与えられるほど持っていない。


 心太が乃恵の心配をするのも今ならわかる。

 一生懸命な頑張り屋さん、ちょっとドジで健気、そんな乃恵は放って置けない。

 ドジを踏んだり、クラスメイトに避けられたときにする、精一杯の作り笑いは反則だ。あの、捨てられた子犬のような目で気丈に振舞われたら誰でも守りたくなってくる。


 そんな乃恵をちょっとうらやましく涼風は思った。

 自分は比較的要領がいい。力だってある。いつだって頼るより頼られる存在、守られるより守る側だ。

 だけど、女の子としてはやっぱり、頼りたいし守られたい。だから、守られる存在の乃恵がうらやましい。

 でも今は、それ以上にやっぱり守ってあげたいな、と涼風は思う。


 貧乏神として乃恵が今までどういう扱いを受けてきたかは容易に想像できる。

 多分、この学校の中でよりもよっぽど酷い扱いを受けてきたはずだ。

 それでも乃恵は素直で健気なのだ。自分だったらとっくに捻じ曲がっていると思う。何度も何度も避けられて、それでもあんなふうに頑張ることは自分には出来ない。

 ——トイレに行きたい、とでも言えば交代してくれるわよね。

 乃恵は多分、戸惑いつつも代わってくれるはずだ。

 心太の介抱を出来ることを喜びつつも、本当にいいのだろうか、と悩みながら、それでも代わってくれる。

 その様子を頭に描いて涼風は微笑んだ。悩む乃恵を抱きしめたくなってくる。心配しないで、と励ましたくなってくる。

 ——でも、それは柳田くんの仕事。

 何も知らずに寝ている心太のおでこにもう一度でこぴんをして、涼風は保健室を後にした。

 

 

 涼風に「トイレに行く間交代して」と言われた乃恵は、そのぐらいの短い時間なら、と心太の看病を引き受けた。寝入る心太の顔をイスに座って眺めながら乃恵は思う。

 ——私のせいだ。

 黒い霧が彼女の周囲を漂う。

 心太がなかなか目覚めないのは私のせいだ。他の人よりも重傷なのは私のせいだ。乃恵は心太の言葉を思い出す。

「そ、そう! これは不運な事故です……」

 ——不運な事故。

 その言葉が乃恵の心に突き刺さっていた。

 なんでもなく使った心太のこの一言は、乃恵にとってとても重い言葉だった。

 私が不運にしたのだ。心太と一緒に暮らすことで、少しずつ彼を不運にしているのだ。

 彼から幸運や幸福を奪い、不幸を与えている。

 黒い霧が濃度を増した。

 ——もしも私と暮らしていなかったら、心太さんはこんな大怪我をしなかったんじゃ……。

 その考えが乃恵の頭から離れない。自分のせいじゃないなんていえない。自分の力は小さいけれど、本当に少しだけれど、影響を与えているのは確実なのだ。

 やっぱり誰かと一緒に暮らすなんて無理だったのだ……これ以上、心太を不幸にする前に去るべきだ。そうしなければ、心太は——。

 心太の寝顔を見つめながら、乃恵は一筋の涙をこぼした。

 

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