第10話 女子更衣室は何者にも平等に尊い


「……はあ」

 お昼ごはんも食べ終わった昼休み。机に座った心太はまたも深いため息をついていた。入学から早二週間弱。しかし、クラス内の妖怪と人間の溝は一向に埋まる気配を見せなかった。

 心太自身は、妖怪とたくさん話すし仲良くもなったが、他の人間と妖怪の関わりがほとんどない。


 先週はまだよかった。お互いにギクシャクとしていながらも、歩み寄ろうとする姿勢が見られたからだ。

 しかし土日の休みを挟んでからは違う。休みを挟んで何かが変わってしまった。歩み寄ろうとする姿勢もなくなって、妖怪同士、人間同士のグループが固定になってしまった。心太にあれほど話しかけてくれていた妖怪たちも、弥津斗や涼風を除くと進んで話しかけてこなくなった。


 時間が何とかしてくれる、と楽観的には思えない。元々がまったく違う生き物だけに、この溝は時間の経過とともにどんどん深くなっていくだけだ、と心太は感じていた。


 問題はそれだけじゃない。クラス内のグループが固定化されたことにより、それまでにグループに入っていなかった人がひとりぼっちになってしまった。具体的に言うなら、乃恵がひとりになってしまった。


 心太の頼みもあって、涼風は乃恵と話してくれるようになったが、それ以外の人たちは乃恵を避けている。

 乃恵が頑張って自分から話しかけにいっても、他の人はなんだかんだと理由をつけて去っていく。乃恵もそれに気づいてからは自分から話しかけに行くことはしなくなってしまった。


 グループに入れなかったのは乃恵だけではない。座敷童の古家さんも一人のままだ。もっとも彼女の場合は乃恵と違って、本人に問題があるのだが。

 彼女は話しかけられても答えないのだ。

 心太も何度か話しかけたが無視されてしまった。見ていたが人間だけでなく妖怪に話しかけられても無視していたので、人付き合いが悪い子なのだろう。

 だけど、心太はなんとかしたかった。余計なお節介かもしれないが、彼女にもクラスに馴染んで欲しかった。

 それは人間とか妖怪とか関係なく、みんなにだ。

 きっと、小さなきっかけで大丈夫なのだ。今はまだ小さなきっかけがあればこの溝は埋めることが出来る。

 しかし、いい案が思いつかない。

 だー! と心太は頭をかきむしった。バタリ、と机に突っ伏す。


「ずいぶんとお悩みのようね」


 そんな心太に声がかけられた。顔を上げると涼風である。後ろには双子もいる。ちーす、と心太はやる気の無いあいさつを三人にした。


「こら、ちゃんとあいさつしなさい!」


 怒られた。いつもはこんなこと無いのに……。今日の涼風はご機嫌斜めのようだ。まあ、まあ涼風、と双子がなだめている。


「お、おはようございます」


 据わった目で見られて、心太は姿勢を正してあいさつする。


「…………それだけ?」


 涼風は尋ねた。どうやら、ご機嫌斜めの理由を聞いて欲しいらしい。涼風がここまでになるとは、一体どんなことがあったんだろう?


「……何かあったの?」

「何かどころじゃないわ! もう、最悪よ!」


 ダンッ、と心太の机を涼風は叩いた。机にピキッとひびが入る。ヒッ、と心太は息を呑む。


「最低、最悪、もう、どうしようもないわ! こんな学校壊れればいいのに……」

「ど、どど、どうなさったのでございましょうか?」


 これ以上机を壊されてはたまらないと、可能な限り刺激しないように尋ねる心太。


「女子更衣室のカーテンの丈が短いのよ!」

「は?」

「だ・か・ら! 女子更衣室のカーテンが短くて、外から見えちゃうのよ! 窓も曇りガラスじゃないし!」


 ほんっっとにありえない、と涼風は地団駄を踏む。


「それを直してくれって、先生に頼んでおいたのに、直ってないのよ! そのことを問いただしたら『今日の放課後に業者が直すから』って。もう! 体育があるのは今からだって言うのに! 放課後じゃ遅いのよ! わかってないわ! そりゃ、窓の外には植え込みがあるけど、それをくぐられたら終わりなの! たく、もう! ホントに! もうっ!」


 そこまで一息にまくし立てた涼風は、肩でハアハアと荒い息をつく。どうどう、と双子はなだめつつ、美紀が涼風に言った。


「仕方が無いよ涼風~」

「今日だけだからさ、我慢しようよ」


 真希もそう涼風をなだめた。

 そう二人になだめられた涼風は、ふう、と息をつき、そうね、としぶしぶ了承した。


「ごめんなさいね。八つ当たりして」


 でも、柳田くんに当たったらすっきりしたわ、と涼風は笑った。

 正直心太はいきなり怒鳴られたりスッキリされたりでついていけなかったが、まあ笑顔になってくれてなによりだ。


「柳田くんも、一人で悩まないで話しなさいよね?」


 まだ眉根にしわを残しながらも、私たちは着替えに行くから、と涼風は双子を連れて去って行った。

 もしかしたら、最初からそれが言いたくて彼女は心太に愚痴ったのかもしれない……さすがに考えすぎか。

 クラスのほかの女子生徒にも更衣室の件を告げ、みんなで更衣室へと移動する涼風を見つめて心太はそう思った。

 クラスの女子は人間も妖怪も、涼風の言葉に「仕方ないね」「見張りでも立てようか」と言いながら教室から出て行った。

 このぐらいの事務的なことならみんな聞いてくれるんだけど……と心太はまたもため息。


「心っ太ぁぁあぁぁ!!!!!」

「心太くぅうぅぅんっ!!!!!」


 クラスの女子の足音が遠ざかるのと反比例するかのように語尾に力を入れた呼び方で、心太は呼ばれた。何事だ、と心太は振り返る。

 振り返った心太はぎょっとした。そこにいたのは広樹と吸血鬼の怪斗くん。広樹はともかく、怪斗くんに呼ばれた理由がわからない。そんな心太をよそに二人は心太に尋ねた。


「いい、今の、は、話は、ほほほぉ本当かいぃぃい!?」


 怪斗くんが尋ねる。今の、とは何のだろう? と心太は疑問符を浮かべる。


「だーから! 更衣室——カーテンで——短い——植え込みが——って話だよ!」

「あ、あぁ、本当だろ? 涼風さんがあんなに怒ってたんだから」


 広樹がうおぉぉぉと叫びながら支離滅裂な言語を投げかける。


「フォォォヒャオリャオリャラララララァアァ!!」

「ムヌマネリャオッサリフリメウゥゥゥラアア!!」


 心太の答えに二人は頭を抱えピョンピョンと跳ねクルクル踊る。

 二人が壊れた。心太はそう思った。正直、妖怪にラリった自分の姿より危ない。  


「よし! イクぞ、心太ぁぁ!」

「さあ! みなも続けえぇっぇ!!」


 二人は何を思ったか突然クラスに残る男子を扇動する。広樹に腕を引っ張り上げられながら心太は目を白黒させて尋ねた。

「ちょ、おま――まてって! 行くってどこへ?」


 心太の問いに二人はピタリ、と制止。グルン、と首を百八十度以上回転させ心太を半眼で睨んだ。はあ? と語尾を下げ、二人は同時に言った。


「……おまえ、本気で言ってんの?」

「……心太くん、きみは正気かね?」


 哀れみの目で見られた心太は不安になった。

 俺、なにか変なこといった? 本気でわかっていない様子の心太に二人はため息、同時に顔を見合わせた。


「……あんたはわかってるみたいだな」

「……きみも理解しているようだね」


 フッ、と口の端を釣り上げてニヒルな笑みを浮かべた二人は次の瞬間、ガシッ、と力強く腕を組んだ。

 その姿に心太は驚愕。

 なんで!? 二人ともお互いに避けてたはずなのに……。


「仕方が無い。時間も無いから手短に説明しよう」


 呆然とする心太をよそに二人は話を進める。


「いいか、心太。さっきの涼風さんの話を思い出せ」


 広樹に言われ心太は思い出す。

「更衣室のカーテンが短くて、とかそういう話だったよね?」

「そうだ。そう。それで植え込みを越えたら見られる、と言っていただろう?」


 怪斗が心太にそう聞いた。うん、とうなずく。


「ならば、もうわかるだろう!」

「そうだ! わかる!」


 うん? とまだわかっていない心太に二人はじれったそうにしたが、時間がないことに気づいたのか、さっさと話を進める。だ、か、ら、と前置きし、


「今! 中庭の植え込みを越えたら!」

「女の子の着替えが見られるのだよ!」


 ヘイ、兄弟! と二人はハイタッチ。ようやく理解した心太は「見られる」ってのは可能じゃなくて受身だから、と突っ込みたい気持ちを精一杯抑えた。突っ込んだら負けな気がした。


「よし! では行くぞォォォ!」

「野郎ども、われらに続けェェェ!」


 二人はそう叫ぶと走り出そうとしたが、誰一人ついてこないことに気がつくと急停止。


「どうしたんだ!?」


 と男子全員に本気で尋ねた。


「いや、おまえらさ。本当にバカだろ……のぞきは軽犯罪だぞ」


 弥津斗がやりきれない、といった様子でつぶやく。その弥津斗の言葉にカチン、ときたのだろう。二人はずいっと弥津斗に歩み寄った。


「バカはきみの方だろう?」

「まったく、おまえはわかってねーよ!」


 二人は弥津斗に切迫するとそう言い出した。


「な、なにがだよ」


 あまりの迫力に弥津斗がたじろいだ。そこへ二人は熱い魂の叫びをぶつける。

「高校生の更衣室のぞきは合法なのだよ! 知らないのかね!?」


 怪斗は叫ぶ。そんなわけがない。


「そうだ! これは正当なイベントなのだ! 神様がくれたチャンスなのだ!」

「……おまえら本当のバカだ」


 呆れたようにつぶやく弥津斗に二人はさらに美学を語る。


「……理解できないとは、そのことが理解できないよ」

「ああ、本当だ……そっか、おまえ……インポだろ?」


 広樹の言葉に、ああ、と怪斗も納得の表情を浮かべた。それから二人で憐れみの目で弥津斗を見る。


「ふ、ふざけんな! 誰が不能だ、コラ!」

「ふん……ならばどうしてわからない?」


 いいか、と前置きし、怪斗は話す。


「女子更衣室、とは我々男子とは本来無縁の場所だ。乙女の聖地だ。そして、だからこそ、彼女達はなんの心配もなく己の姿をさらすことができるのだ。つまり——」


 ダンッ、と黒板を叩いて、続きを広樹が受け継いだ。


「無防備な素の姿をさらしている、唯一の場所なのだ」


 小さな声で、刻むように話す広樹の言葉に、クラスの男子は知らず息を呑む。


「考えてくれ、僕たちのクラスの女子を。彼女達のセーラー服姿を。彼女達はあの服を、更衣室で脱ぐのだ。脱ぎ、下着姿となる」


 ゴクリ、とクラス全体からつばを飲む音が聞こえた。


「その姿が見えるか? 見えないだろう。仕方がないことだ。私たちは、彼女達のセーラー服に包まれたその下の部分を見たことがない」


 ——例えば、おへそ、くびれ、うちもも、くるぶし、背中のライン。


「私たちはそれを見たことがない。そしてそれは、想像を超えるものであり、妄想することすら叶わないものなのだ……」


 ああ、とクラスから落胆の声が漏れる。そこで、怪斗は壇上に上がった。


「しかし! しかしだ!!」


教卓を叩き、宣言する。


「今ならば、それが拝めるのだ。我々の未知にして、通常では決して到達できない高みへ、我々は今ならば到達できるのだよ!」


 そ、そんな! とクラスがざわつく。トドメを刺すように広樹が告げた。


「このチャンスは今しかない! 今日の放課後には、更衣室のガラスは曇りガラスに変えられ、カーテンの丈は長くなってしまう……今しかないんだ」


 そうだ、と怪斗がうなずく。クラスメイトたちもうなずく。


「諸君! 機は熟した! 動くときは今! このときだ!」

「さあ、男ならば立ち上がれ! 全ての男の理想郷アヴァロンへと突き進むのだ!」

 

 二人の演説に、聴衆は聞きほれた。しん、と静寂が訪れる。そして——


「ウオオオオオオオォォォォッォォォォ!!!!」


 聴衆から怒号が響き渡る。フッ、と二人は笑うと、クラスメイトへ告げた。


「ぼやぼやしている時間はない。早く行かねば、着替えが終わってしまう」

「いくぞ! ——女子の着替えをのぞきに!」


 クラスの男子達は、そろって中庭へと駆け出した。二人の男子だけを教室に残して。


「…………」

「…………」


 その二人とは心太と弥津斗。この二人だけがあの二人のバカに飲み込まれなかった。だが、あまりのことに呆然としていて動けない。先に我に返ったのは心太。


「い、いけない! 俺らも行こう!」

「はあ? なんで?」


 おまえも見たいのか? と弥津斗は軽蔑のまなざし。


「ちがうよ! 止める為にいくの!」


 ば、ばっかでぃ! と心太は焦りつつ言った。本当は見たい気持ちもある。それに、それに、


「妖怪と人間が仲良くなるチャンスだよ、これは」


 心太は弥津斗にぐっと拳を見せた。


「うまくやれば、みんなが仲良くなれる……かも!」

「んな、うまくって……」


 弥津斗は、そう言いかけてやめた。

 二週間ほど心太のことを見ていたが、こいつは本気で人間と妖怪の仲を取り持とうとしている。本気の人間に水をさす必要はないだろう。


「じゃあ、いくか」

「うん、手遅れにならないうちに」


 二人は全力で走りだした。

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