第9話 私はやっぱりダメそうです
その日は、入学二日目ということもあって午前中で学校は終わった。
帰り道。
心太が、弥津斗以外の妖怪にもたびたび話しかけられてウキウキ気分の一方、乃恵は、誰とも話すことが出来ずにいた。
心太はうれしそうにクラスメイトの話を乃恵にする。
「でねでね! 弥津斗の手のひらがね! すごいやわらかくってさあ~」
うへうへ、と笑いながら心太は話す。乃恵は心太の話を楽しそうに聞いて相槌を打っていたが、その目は寂しそうな色をしていることに、心太は気づかなかった。
「乃恵はどうだった?」
ピクッ、と乃恵は一瞬固まりかけたが、すぐに笑顔になると心太に答えた。
「はい、私のほうも」
「そっか。よかった」
心太はホッとしたように言った。
乃恵は誰にも話しかけられず、また自分から話しかけることも出来なかった。唯一、管路さんが乃恵の頭の上に乗っかってきたことぐらいしか、乃恵には出来事がない。
それでも彼女は、心太に心配をかけまいとうそをついた。
それにまだ二日目。まだまだこれからだ、と。彼女自身、そう思っていた。
乃恵はきゅっとスカートを掴んだ。それに気づいた心太は、しかし裾が上がったことにより見えた乃恵の真っ白な膝小僧に心奪われる。
「今日は乃恵のこと全然見れなかったからさ」
し、心配してたんだ、と心太は膝小僧を見つめたまま言った。
乃恵はやるせない気持ちになり、さらにスカートを掴む手に力が入る。
どんどんあらわになっていく乃恵の足を見つめ、心太は、自分の身体が傾くほど食い入るように見つめていることに気づいて、あわてて目をそらした。
二人はスーパーで買い物をしてから家へと帰った。
****
三日後。現在、午前最後の授業中。
心太は入学してからここ数日のクラスのことを思い出していた。
初日に気絶して、自己紹介もままならなかったときはどうなるかと思ったが、翌日の自己紹介で挽回できた。学級委員になったこともあってか、妖怪も人間も自分に進んで話しかけてくれることが心太はうれしかった。
特に妖怪に話しかけられるのは最高だ。同じ学級委員である涼風をはじめ、席が隣の猫又の弥津斗、後ろの席の雪女の雪菜さんは休み時間の度に話しかけてくれる。
他の妖怪たちも話しかけてくれた。唐傘お化けの唐沢司、毛羽毛現の有賀白、雨小僧の雨月降太、かわうその瀬川さん、などなど。
まだ話が出来ていないのは、
夜行さんは、武士のようないでたちをした隻眼の鬼だ。鬼といっても、角が生えている以外は人間と同じようにしか見えない。古家さんにいたっては、見た目だけでは本当に普通の人間と変わりがない。
夜行さんとはタイミングがあわなくてだが、古家さんには避けられているのを心太は感じていた。
人間のクラスメイトは自分を入れて八人。女子が五人、男子が三人である。彼らも心太によく話しかけてきてくれる。数少ない人間のクラスメイトだし、幼なじみもいるからだ。
人間と妖怪の両方から話しかけられるのはとてもうれしいことだ。しかし——
「……はあ」
心太は深いため息を知らずついていた。
そのため息にあわせるように授業の終わりのチャイムが鳴った。
今日の昼ごはんは乃恵の手作りお弁当だ。乃恵を誘って一緒に食べようかな。そう考えていた心太は、弥津斗に呼ばれて、号令をかけるのは自分だと思い出した。
「き、起立、礼!」
あわてて号令をかける。クラスがありがとうございました~と唱和し、解散となる。
片づけを終えた心太へと声がかけられた。
振り向くと、広樹とその隣に男子。彼はクラスメイトの
「昼飯一緒に食おうぜ」
「いいよ、乃恵もいっしょでいいかな?」
財布を掲げながら広樹が寄ってくる。広樹は学食で食べるのだろう。もちろんお弁当の持ち込みも可能だ。
「え、福屋さんも……?」
「え、ダメ?」
「いやー、ダメじゃないけど」
煮え切らない態度の広樹に、心太が頬を膨らませたときだ。
「ねえ、私たちも混ぜてもらっていいかしら?」
声をかけたのは涼風。彼女の後ろにも二人の女の子がいる。彼女たちは人間である。名前は、
彼女達の家は神社で、涼風さんはそこに居候しているらしい。だからこの三人は大体一緒にいる。
きょろきょろ、と前後の二人を見比べる心太。
少し逡巡して、一つの提案をする。
「みんなで一緒に――」
「あー、俺ら学食だし。また今度な」
心太の提案が終わるかどうかの間に、広樹は明彦くんと一緒に教室の外へ行ってしまった。
はあ、とため息をつく心太。
「……ごめんなさいね。私のせいで」
気まずそうに涼風は言った。
「い、いや。あいつらは学食派だからさ、だからだよ」
心太はフォローする。だが、自分でもフォローになっていないのはわかっている。学食にお弁当の持込が可能なのはみんな知っているのだ。
「心太くーん! 一緒にごはんしよっ!」
そこへさらに、パタパタと走ってきた女の子が心太に言った。心太が振り向くと、お弁当を抱えて獣耳と尻尾を振る瀬川さんがいた。その後ろには美咲さんと雪菜さんがいる。
その三人を見て、龍宮さんたちがピクリと震えた。二人はそろそろと後ろに下がる。それを涼風さんが見咎めた。
「ちょっと——」
「わ、私たち、歩美たちに呼ばれてたの忘れてた~」
「ご、ごめんね涼風~」
そう言って二人はパッと去ってしまった。
「……ごめんね。ボク、邪魔しちゃったかな?」
「い、いや、そんなことないよ! 全然!」
あわてて心太は首を横に振った。
「よかったら、みんなで一緒に食べようよ。今から乃恵も誘うんだ」
「あー福屋さん……ええと、心太くんは一緒に住んでるんだもんね」
乃恵の名前を出した途端、瀬川さんたちがたじろいだ。
「邪魔しちゃ悪いし、今日のところはやっぱりごはん一緒するのはやめとくよ……また今度ね!」
そう言って瀬川さんたちは三人で教室を出て行った。中庭かどこかで食べるのだろう。
「はあ……」
まったく……どうしてこうもうまくいかないんだろう。
「……ごめんなさいね」
その心太にわびるように涼風が言った。
「へ? いや、そんな。悪いのはむしろ
そうだ、妖怪は話しかけてきてくれるのに、人間が避けるのだ。
「いえ、悪いのは
涼風は顔を伏せて話す。
「歩美さんにごはん誘われたの……でも、心太くんと食べるからって断っちゃって……」
ふう、と息をついて涼風は顔を上げた。
「なんだかね、どうしても……ね」
だから悪いのは人間側だけじゃないわ、と涼風は言う。
「私だけじゃない。さっきの三人も一応誘われたのよ? でも、ね……」
またも涼風はうつむいた。ああ、と心太はうなずく。
「歩美は口が悪いからね。なんかつっかかるような態度で話しかけてきたんでしょ? ごめんねあいつは、昔から——」
「違うの」
心太の言葉をさえぎるように涼風は言った。
「確かに、歩美さんはツンツンした態度で話しかけてきたけど、別に悪意がないのはわかってたの。でもね……」
言いよどむ涼風に、心太はきょとんとしていた。
「口が悪いのが原因でないのなら、なんで? 俺には話しかけてくるのに……」
そこで心太は気づいた。
——ま、まさか! 大量同時フラグ!?
いや、いやいやいやいや。そんなまだ三日目だ。だがしかし、それ以外になにか理由があるだろうか。ない。少なくとも自分には思いつかない。
ということは、これは上手くすると、全妖怪同時丼、なんてモノを食べられるのだろうか……いや、その場合はむしろ俺が食べられちゃうのかな!?
自分の考えに心太は激震。エヘエヘ、とイケナい顔になってしまう。身体をくねくねとよじってしまう。
そんな心太の気持ち悪い姿を見て、ぎょっとした涼風はしかし、かろうじて吐くことなく心太に続きを話した。
「……柳田くんは、福家さんと暮らしてる、から」
「へ? 乃恵と暮らしてる、から?」
「そう」
それっきり涼風は黙ってしまう。
そう、と言われても心太には何のことだか意味がわからない。二人の会話を聞いていたのだろう、隣の席の弥津斗が説明した。
「貧乏神と知っていてなお、福家と一緒に暮らすような人間なら、自分が嫌われるようなことはねえ、って思ったんだよ」
「は?」
どうして乃恵を嫌わない=自分が嫌われないなのか、心太はそれが理解できなかった。そのことをそのまま弥津斗に聞くと、
「……おまえ、貧乏神がなにか知ってるよな?」
弥津斗は少しかわいそうな人を見る目で心太を見た。
「し、知ってるよ!」
「ならわかんだろ? 妖怪にも嫌われるような貧乏神が嫌われなかった。なら、嫌われ者じゃない自分はもちろん好かれるはずだ」
そういうことだよ。と弥津斗は言った。その言葉を聞いて、心太は驚いた。
「え? ……貧乏神って、他の妖怪にも嫌われてるの?」
そんなの初耳だ。人間に嫌われるというのはまだわかるけど、妖怪にも嫌われるなんて。
「知らなかったのか? まあ、考えりゃ当たり前だろ。あいつはいるだけで不幸を撒くんだから。人間とか妖怪とか、その辺は関係ねーよ」
まあ、かわいそうっちゃかわいそうだけどな、と弥津斗は言った。
うそだろ、と心太がつぶやくと涼風が首を横に振った。
「ううん、本当。嫌われ者の貧乏神を受け入れてくれた人なら、自分も大丈夫だろう、ってそう思って心太くんに話しかけたの」
私もそうなの……と涼風は顔を伏せた。心太の聞いたことと涼風の答えは必ずしも一致していなかったが、心太は自分の知りたいことを知ることができた。
「……そうか、だからか」
葛野葉先生が自分にわざわざ乃恵のことを頼んだ理由がやっとわかった。自己紹介の時に乃恵への拍手が少なかった理由も、この二日、乃恵が学校でずっと一人でいる理由も、彼女が些細なことで謝る理由も、やっとわかった。
はあ、とため息をついた。
「……ご、ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る涼風は心太が呆れたのだと思っていた。
自分たちの都合のいい考えを押し付けて、仲良くしようとした自分たちに対して呆れ、愛想をつかしたのだと。
だが、心太のため息の理由は違う。心太は別に話しかけられた理由がそれでもかまわないと思っている。むしろそれが理由であれ、自分が嫌わないだろう、と思われていたことは、妖怪大好きの自分として誇らしいぐらいだ。
心太の落胆は自分に対してだ。
思えば乃恵は自分の家に来たときからおかしかった。初対面の自分に対して、妙に献身的だった。
あの献身的な態度を心太は乃恵が自分に少し特殊な感情を抱いているからでは? と思っていた。はっきり言うなら「乃恵は俺のことが好きなんじゃ?」と思っていた。
もちろん、そんなおこがましいことを明確に意識していたわけじゃない。でも、なんとなく、そうだったらいいな、ぐらいには思っていた。
そんなわけなかったのだ。全部自分の勘違いだった、と。それがはっきりとわかって心太はため息をついたのだ。
勝手な妄想をしてしまったことへの自己嫌悪と、乃恵に特別に思われていたわけではない、とわかった落胆。
さらに、クラス内での様子に気を配っていたつもりで、乃恵が貧乏神という理由で避けられている、ということにまったく気づかなかった自分への苛立ち。
それが混ざって深いため息になったのだ。
「おい、心太?」
「ん?」
弥津斗に呼ばれて心太は顔を上げた。目の前では、涼風が居心地悪そうにそわそわとしている。
「涼風さん、教えてくれてありがと」
「えっ!?」
罵られることが覚悟の上だった涼風は驚いた。
どうしてお礼なんて——考えて気づく。これは厭味なのだ。心太なりの皮肉なのだ。
「ご、ごめんなさい…その、許して、なんて言えた義理じゃないんだけど、許して……みんな、人間と仲良くしたいと思っているの。きっかけが欲しかったの……ごめんなさい」
私なら何でもするから、と涼風は頭を下げた。それをぽかーんと心太は眺める。お礼を言って謝られる意味がわからない。そんな心太に弥津斗が耳打ちした。
「おまえを利用して悪かった、って言ってんだよ。そのお詫びに何でもするってよ」
第三者の立場にいる弥津斗には二人の食い違いが手に取るようにわかる。弥津斗の耳打ちでようやく状況を理解した心太は、涼風に話をしようとした。それを弥津斗が制す。
「待て。おまえ、気にするな、とか言うつもりじゃねえよな?」
どうしてわかるの? と心太は目で聞いた。
「バカ、そんなもったいないことすんなよ」
せっかく、お詫びしてくれるって言うんだから甘えとけ。真面目な委員長さんだから、頼めば本当に「何でも」してくれるぜ? ニヒヒ、と少し下品な笑みを浮かべて弥津斗は耳打ちせずに言った。
ピクリ、と涼風が反応する。
「あ、じゃ、じゃあ、一つだけお願いが――」
その心太の言葉に涼風は身を固くした。
——柳田くんに限ってまさか変なことは言わないと思うけど、でも、やっぱり男の子は男の子だし。
一人ぐっと身構える。
「乃恵と、仲良くして欲しいんだ」
心太の言葉に涼風はスカッと肩透かしを食らった気分になった。
「乃恵、ずっと一人みたいでさ。乃恵が内気だからかな、って思ってたけど……違ったんだよね。うん」
そのことを教えてくれてありがとう、と再び心太はお礼を言った。
「乃恵はすごくいい子なんだ。貧乏神かもしれないけど、でも、乃恵といても全然不幸になったりしないからさ!」
俺、乃恵と暮らしてからいいことばっかりだし! と心太は意気込む。
「だから、その……ダメかな?」
「……ああ」
なるほど、と涼風は納得した。
——最初から私は間違えていたのだ、と。彼はただ、福家さんのことを心配していたのだ、と。
すると、だ……自分の変な妄想は何だったのだろう。私のあの覚悟は何だったの? 柳田くんの眼中にもなかった私は一体何を考えていた? それを考えると恥ずかしいやらなんやらで、心太に対する怒りがむくむくと湧き起こった。しかし、それを心太にぶつけることは出来ない……くっ!
「っくっくっくく」
怒りを押し殺す涼風の耳に笑い声が聞こえた。笑っているのは弥津斗。それを見た瞬間、涼風の瞳が底冷えした――ああ、こいつが私に誤解を促したんだっけ? 柳田くんを煽ったんだっけ? 怒りの方向をシフトチェンジ。ニヤニヤと笑う弥津斗のつま先を上履きのかかとで思いっきり踏みつけた。
「ニギャッ!」
弥津斗が悲鳴を上げる。何しやがる! と怒鳴りかけた弥津斗はしかし、涼風の冷たく静かな重圧を放つ瞳に黙り込んだ。
弥津斗を黙らせたことで溜飲を下げた涼風は、二人のやり取りに気づかない心太に言った。
「ええ、私でよければよろこんで」
「ほ、本当!?」
もちろんよ、と涼風は笑った。
貧乏神と言ったって、乃恵の力はたかが知れている。妖怪同士お互いの力の強弱はある程度わかるのだ。
なら、なんでたいして影響が無いとわかっているのに避けるのかというと、貧乏神と関わるなんて縁起が悪い、と思ってしまう。
だがそれはどうしようもない忌避感ではなく、なんとなく程度のものだ。
「ありがとう!」
そう言って心太は涼風の手を握った。握手した手をブンブンと振って、
「これからもよろしくね!」
そう、うれしそうに言った。
******
その日の夕方。
晩御飯の支度をしながら、乃恵はうきうきと弾む気持ちを抑えられなかった。
今日の昼休み、心太に一緒にごはんを食べようと誘われた。
その席で、乃恵ははじめてクラスメイトと会話をした。委員長の涼風さんと、猫又の弥津斗くん。
緊張してお茶をこぼしたり、舌を噛んだりしてしまったけど、ちゃんとお話しすることが出来た。
もちろん心太が動いてくれた結果だと、乃恵はわかっている。それでも、やっぱりうれしかった。
——明日からも、頑張ろう。
乃恵は、心太への感謝を込めて、いつも以上においしい夕飯を作ろうと、エプロンの紐をぎゅっと結んだ。
それからさらに一週間後に時間は移る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます