第4話 入学式、その朝

 

 乃恵の荷物が届いたのは四月五日の朝のことだった。


 今日から彼女はこの家で暮らすことになる。高校の入学式は午後からだ。荷物とほぼ同時に柳田家にやってきた乃恵は与えられた部屋で荷物の片づけをあらかた終え、入学式に行く準備をしていた。


 荷物の中から、新品の高校の制服を取り出す。これから二人が通うようになる市立高天原高校は今年度から新設された高校だ。

 心太は知らずに受験したが、この高校は妖怪との共学専門に建てられた学校だ。

 だから、受験時のテストも変わったものが多く、妖怪との共生が出来そうな学生しか受かってはいない。

 それはともかく、この高校には制服がある。

 基調は黒で襟にだけ白いラインの入ったセーラー服。リボンは赤。シンプルで地味で古風と一般には言われるかもしれない、だがそれがいい。男子は詰襟だ。


 しかし、これは人間の制服であり妖怪は必ずしも着る必要は無い。学校に通う妖怪は人型だけではないからだ。だが、乃恵は制服を着ることにしていた。

 

 乃恵はこれまで学校に通ったことが無い。妖怪の世界には基本的に学校というものがないのだ。教育は各家庭か塾のようなところでされる。

 貧乏神、ということで通えなかったのだ。

 それは他の場所でも同様だった。例えば、テーマパーク、宿泊施設、レストラン、ショッピングセンター。彼女はただの買い物すら一人では行けない。必ず、貧乏神の力を打ち消すための福の神がいなければいけなかった。


 『貧乏神』


 それは乃恵にとって大きくのしかかるコンプレックスだ。乃恵の一族は福の神である。親戚みんなが福の神の中で一人だけ貧乏神。福の神は、その名前だけあってみんなおおらかで心が広い。だから乃恵のことも貧乏神だからと蔑視したりはしない。むしろみんな気にかけてくれた。


「大丈夫よ、そのうち福の神に戻れるから」


 会うたびに親戚に言われるセリフだ。

 福の神と貧乏神はコインの裏表のようなものだ。

 福の神が裏返ると貧乏神になる。それがまた裏返れば福の神になる。だから、親戚や両親の中には一時期貧乏神だった、という人もいる。この裏返りは主に精神的な問題で、簡単に言うならポジティブな気の持ちようなら福の神、ネガティブな心持ちなら貧乏神になるのだ。

 だから余計に乃恵は親戚から励まされる。そのことが乃恵にはとても辛かった。


 乃恵も本当に小さいころは福の神だった。しかし、六歳の時に貧乏神になって以来ずっとそのままだ。その原因は彼女の神通力の弱さにある。


 神通力とは全ての妖怪の力の源だ。妖怪は神通力を使って超常現象を起こす。妖怪を魔法使いとするなら、神通力は魔力である。そう考えるとわかりやすい。


 福の神や貧乏神は居るだけでその場に影響を与えるが、その影響力を左右するのも神通力だ。彼らは意思とは関係なく神通力の強さに応じた影響を場に与える。

 乃恵は神通力が生まれつき弱かった。神通力が弱いと、それだけ妖怪の中で立場が低くなり、バカにされる。


 乃恵はその神通力が圧倒的に弱かった。そのときはまだ通っていた塾で教わる基本的な術すら使えず、みんなにバカにされた。神通力の強い姉とも比較されてさらに笑われた。みんなに笑われて、落ち込んで、泣いた。それを繰り返しているうちに乃恵は貧乏神になってしまっていた。皮肉なことに、神通力の弱さは貧乏神になった乃恵には幸いだったといえる。神通力が弱いから貧乏神になっても不幸を振りまく度合いも小さくて済んだ。本当に皮肉だ。貧乏神になってからは塾にも行けなくなってしまったというのに……。

――でも。

乃恵はすぐに暗くなる自分の考えを追い払い、うつむいていた顔を上げた。

 でも、今日からは違う。

 乃恵はセーラー服に袖を通した。真新しい制服はまだのりが利いていて少し肌にかたい。だが、それが今日からの新生活を教えてくれているようで、うれしかった。

 新しい場所で、変わるんだ。高校にも通って、頑張って変わるんだ。大丈夫、ここでならきっと変われるはず。

 スカートのホックを止め、リボンを結んだ乃恵は、姿見に全身を移す。その場でくるっとターン。うん、大丈夫。自分に出来る精一杯の笑顔を確認。うん、大丈夫。

全ての支度を終えた乃恵は、まだもう少し出かけるまで時間があることを確認すると、荷物の中から大事にしまってある小箱を取り出した。

 小箱の中身は、昔、心太と一度会ったときにもらったものだ。


 心太と出逢ったのは、貧乏神になったこと直後のことだった。

 毎日家に引きこもっている乃恵を父が柳田家に連れて行ってくれた。その時の心太のやさしさは乃恵の心に沁みた。もちろん、心太のしたことは別に特別やさしさに溢れていたわけじゃない。でも、その時の乃恵にはとても大きなやさしさだった。

 あれから乃恵は、落ち込んだときや辛いときには心太にもらったそれを見つめることにしている。あのときの心太のやさしさに心が癒されて励まされるのだ。


 ――頑張ろう。

「乃恵、支度できた? そろそろ出かけようと思うんだけど」


 襖の向こうから心太の声がかけられた。


「あ、はい、大丈夫です。今行きます」


 乃恵はそう答えると、大事そうに小箱をしまった。

 乃恵がここに来た理由はもうひとつ――心太に恩返しがしたい。


 はじめ、高校で人間と共学という話がきたとき、通うのは姉のはずで、この家にくるのも姉だった。

 だけど、それを乃恵が無理をいって変わってもらったのだ。


 貧乏神になってから初めて乃恵が言った積極的な言葉だったので、両親は喜んで協力してくれた。姉も快く代わってくれた。

 そもそも、乃恵が発言するように仕向けたのは姉だ。

 行きたいと思いつつも言えない乃恵の前で


「年頃の男の子と二人暮しか~うふふ、イロイロ楽しみね」

 

 なんてことをわざわざ話したのだ。

 それを聞いた乃恵は「行きたい」と気がついたら言っていた。


「お待たせしました」


 乃恵は居間の心太に声をかけた。




 乃恵に声をかけた心太は、居間に戻りテレビを見ていた。

 テレビではここ数日、妖怪のことばかりがニュースで流れている。だが、それはどれも政府による発表のみ。

 世間も恐ろしいほど落ち着いている――これは各地の土地神による神通力の影響だ。彼らは人間と妖怪がスムーズに共生できるように力を行使していた。


 ここ数日、心太は何度か外に買い物に出かけたが、どこにも妖怪はいなかった。不思議に思って乃恵に聞いたが、乃恵もよくわかっていないらしく、


「段階を踏んで、ということで最初は学校かららしいです」


 と答えになっているようななっていないようなことを教えてくれた。


 今日の入学式以降、徐々にいろいろな場で妖怪が見れるのだろう、と心太は解釈した。

 心太としては早くいろいろな妖怪にあいたくてしょうがないのだが。もうしばらくの辛抱だ、と自分を落ち着ける。そうやって気が急くあまり、かなり早めに支度を終えてしまった。支度を終えて時計を見たら、まだ十二時にもなっていなかった。

 それからテレビを見て時間をつぶし、現在の時刻は十二時半。


 二人の通う高校は、この家から徒歩で三十分程度。入学式は一時半からなので、そろそろ出かけるとちょうどいい。


「お待たせしました」


 乃恵の声に振り向く。


「……おお」

「あ、あの……変ですか?」


 ついじっと見つめてしまった心太の視線を感じた乃恵は不安そうに聞いた。


「いや……その……似合って、る、よ」


 実際彼女にこのセーラー服はよく似合っていた。一般的に地味とか古風とか言われそうな制服な上に、乃恵のスカートは膝頭が隠れる丈。

 野暮ったい、と言われそうだ。だが、むしろその方が乃恵の清楚さとか純朴さ、といったものに見事にマッチしていてすばらしい。心太は見ているだけで心臓が握られるような気持ちになった。

 オホン、と咳払いした心太は気持ちを落ち着けて乃恵に声をかけた。


「じゃ、そろそろ行こうか」

「は、はい!」


 二人で学校に向かう道を歩く。乃恵は心太の少し後ろを歩いた。心太は早く歩きすぎたかな、と思い速度を緩める。しかし、彼女との距離は変わらない。乃恵は意図的に少し後ろを歩いているらしい。すばらしい大和撫子だ。が、それは少し心太としては居心地が悪い。心太は立ち止まり振り返って乃恵に話しかけた。


「あの、さ。並んで歩かない?」

「え、あ、あの……でも……人間の世界では、女は黙って男の三歩後ろを歩くべし、と教わりましたので」

「そ、それは大昔の話ね! 今は普通に並んで歩くよ!」

「そ、そうなんですね」


 乃恵は、失礼します、と言って隣に並ぶ。知らず顔が赤くなる。


 学校どうだろうね、とか最近少しあったかくなってきたね、とか。本当に他愛の無いことを心太は乃恵に話しかけながら歩いた。それに答えながら、もしかしたら、こんな風に心太さんと自然に話せたのははじめてかもしれない。乃恵はそう思った。


 学校の前の坂道に桜並木があった。もう半分散ってしまった桜を眺めながら、二人でゆっくりと学校へと向かう。周りにも、新入生と思われる人たちが歩いていた。みんな人間ばかりだけど。

 門の前で、心太は立ち止まった。なんとなく、記念っぽくしたくて彼は言った。


「一緒に、門くぐらない?」


 思いついて口にしてみたはいいが、言ってから相当恥ずかしいことに気づいた。でも、言っちゃったもんはどうしようもない。


「は、はい」

「せーの」

 掛け声と同時に、二人で同時に門をくぐった。

 お互いに顔を見合わせて、門を振り返る。ふふふ、と乃恵が笑った。

 すぐに恥ずかしくなってお互い顔を赤くする。


 そんな二人の様子を、他の新入生や保護者や学校関係者がじとーっとした目や生暖かい目や青春ってええなあって目で見ていたが、二人は気づくことはなかった。

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