第2話 我が家に貧乏神がやってきた?
ジリリリリリリ————
目覚まし時計の音で
「うーん」
大きく口を開けてあくびをしつつ、二階の自室から階段を下り居間へと向かう。トントントン、と包丁の規則正しい音と、味噌汁のいい匂いが漂ってきた。寝ぼけたまま彼は台所に立つ女性にあいさつをする。
「おはよう〜」
まだ眠い目を擦りながらあいさつしつつ、いつもの習慣でテレビのスイッチを入れた。
「あ、お、おはようございます。す、すいません! すぐに朝ごはんできますから!」
そう言って振り返った女性を見て、心太はぼんやりとした頭で考える。
——あれ、
民俗学者である心太の両親は研究やらなんやらで全国を飛びまわっていて、自分はここ半年ほど一人暮らしをしている。
しかし、そこまで考えて心太は気付く。
聞こえてきた声は母親とは比べるのもおこがましいぐらいに若々しく、おそらく自分と同世代であることに。
ちなみに心太には、幼なじみの女の子がいるが、朝ごはんを作ってくれるような関係ではない。
ピタリ、と心太の動きが止まる。
ようやく頭が回って、彼はまじまじと目の前に立つ女性を見つめた。
オドオドとしている彼女の年齢はおそらく自分と同じくらい——つまり十五、六歳に見える。
彼女はきれいな黒髪を後ろで簡単に一つに縛っている。整ったきれいな顔立ちをしていると思うのだが、オドオドとした仕草がそれを壊している。
などと心太は努めて冷静に彼女の容姿を分析。
そこまで確認して心太は確信する。
——この人、知らない人だ。
「……あの、どちら様ですか?」
「あ、す、すいません! 勝手にお台所使わせていただいて、あの、その、わ、私……」
彼女は何度も頭を下げながら謝った。そのたびに縛った髪がぴょこぴょこはねる。
「こ、この家に憑かせてもらっている、び、貧乏神です。す、すいません!」
そして彼女はひときわ頭を深く下げた。
「……へ?」
「あ、はい……えーと……」
心太は昨日の電波ジャックをまだ知らない。
彼女の方もなんと説明していいのかわからずにわたわたしている。気まずく黙りこんだ二人の間に、テレビのニュースがむなしく流れる。
「えー、こちら官邸前です。ただ今から昨夜の電波ジャックについての公式記者会見がある模様です。中継でお伝えします」
アナウンサーが真剣にそう言うのを心太は聞き流した。
彼の意識はずっと目の前の彼女に集中しているからだ。彼女は恥ずかしそうにもじもじしている。
政府高官の会見が始まった。
「昨晩の電波ジャックとその内容につきまして、結論を先に申し上げます。あの放送は事実であります。政府は妖怪との共生を決定いたしました。これはエイプリルフールの嘘ではありません。事実です」
その言葉に、心太の意識が、ガッ、とテレビへ持っていかれた。
「政府は以前より妖怪の存在を確認しており、様々な面で協力して参りました。近年、妖怪と人間の間では、人間の開発によって行き場を失った妖怪が急増するという問題が発生しておりました。
そして先日、妖怪側より提案のなされた『人間と妖怪の共生』が、両者にとって最良の策であると政府は判断し、正式に実行することを決定いたしました。繰り返しますが、これは嘘ではありません。事実です」
——何やってんだよ政府。エイプリルフールだからってはっちゃけすぎだろ。
心太はそう思った。
それはそうだ。いきなり「妖怪は存在する」なんてただ言われても、うそだと思うのが普通だ。もちろん、そのぐらいのことは政府も想定済み。
「ただ今より、妖怪の代表者様より、お話をしていただきます。彼の姿をご覧になり、お話を拝聴していただければ、みなさまにも信じていただけると思っております。では、ぬらりひょん様——うぉ」
「紹介に預かった妖怪のまとめ役をさせてもらっておる、ぬらりひょんじゃ」
政府高官の前にあった机の上に、いつのまにか老人が座っていた。本当にいつの間にか、である。政府高官だけでなく、国民全員がぎょっとしただろう。
頭の妙に大きな、着物姿のぬらりひょんと名乗った老人は特に気にした様子も無く話を続けた。
「妖怪であることを証明しろ、と言われても困るんじゃが。まあ、その辺はフィーリングで感じとってくれるとうれしいのお。ふぉっふぉっふぉ」
そう笑いながら老人は立ち上がり杖をつきながら、ゆらりゆらり、と歩き始めた。空中を、である。
彼の存在感は異様で、この中継を見ていた者はそれをワイヤーアクションだとか、CG映像だとは思わず、彼が妖怪だ、と不思議な確信のようなものを感じた。
「我々妖怪は、人間たちと仲良くしていきたいと思っておる。じゃから、あまり警戒せずに仲良くしてやってくれるとありがたい」
ふと、空中で立ち止まった老人は政府高官に続きを話すよう促した。
「はい。具体的な妖怪との共生方法ですが、これは複数の段階を設け、徐々に範囲を拡大していく予定です。まずですが、いくつかの学校で『妖怪と人間の共学』を行います。これは人間と妖怪相互の理解を深めさらに――」
「ああ、難しい話はよいよい。とにかく、話にもあったように、わしら妖怪のいくらかがこの春から学校に通うことになるということじゃ。学生の諸君、どうかよろしく頼むぞ」
老人は長くなりそうな政府高官の話をさえぎり、最後にパチリと不思議な魅力のあるウインクをすると、手にしていた杖をひょいと振って、現れたときと同じように唐突に消えた。
おおっ、と記者会見の会場がどよめく。
政府高官は、ぬらりひょんの消えた方向に向かって深くお辞儀をし、会場が落ち着くのを待ってから話を続けた。
「先ほども言いました共学となる学校ですが、妖怪方の都合を考え、霊力の強い場所を選定した結果、
高天原市や近隣住民の方々、それからなにより高天原市の学生諸君、これから様々な問題が起こり得ると思いますが、何卒、ご理解の程、宜しくお願い申し上げます」
高天原市、それは心太の住む町の名前である。彼がこの春から通う高校も市内にある。
「………………」
心太は呆然としていた。
ええと、これは……笑うとこ?
心太は民俗学者である両親から妖怪の話を幼い頃からよく聞かされていたし、その手の本も好んで読んだ。
この歳になって言うのは恥ずかしいから誰にも言っていなかったが、妖怪はきっといると思ってもいた。でも、まさか、そんなわけないだろ……そう思いつつも心太は不思議にこれが大掛かりなうそだとは思えずにいた。
「……あ、あの」
背後から声をかけられて、ハッと心太は我に返った。
そうだ、彼女。彼女はさっきなんと言っていた?
確か彼女は自分のことをびんぼーがみと言っていた。
それは、つまり——
「貧乏神……様?」
そうつぶやき振り返った心太は彼女(自称貧乏神)が居間の机の上にご飯を並べているのを見て、軽いめまいを覚えた。
いや、だって仮にも神様が……と思ったわけじゃない。
年頃のきれいな子がきちんと両膝をそろえ、丁寧な仕草で料理を並べるという今ではめったにお目にかかれない「大和撫子ここにあり!」な光景にやられてしまったのだ。
あと、白いうなじ。いいよねうなじ。
心太はうなじが好きだった。
彼女は「あ、はい」と答えつつ、すべての配膳を終えると、立ち上がりおぼんを胸にぎゅっと抱え込んだ。
おぼんになりたい、と直感的に思った。
「そ、そんな『様』なんて、す、すいません! あ、あの、私は貧乏神の
そう名乗った彼女はそう言ってまた深く頭を下げた。
「あの、よかったら朝ごはんどうぞ。お口に合うかわかりませんが……」
「あ、はい。ありがとう」
心太は彼女に促されて食卓に着いてしまった。
いや、ダメだろう。それよりも、とにかく話を聞かないと。どういうことなのか。でも、アレだ。仮に神様だったとして、神様が作ってくれたものを拒否するとどうなるのだろうか?
「あの——」
「お、お茶入れますね」
心太の発言に被るようにそう言って、彼女はパタパタと動き回る。
小動物のような仕草で動く彼女を心太は眺めた。
彼女は、湯冷ましに注いだ熱湯がはねてあわてたり、その拍子に茶葉の入った缶をひっくり返してしまい泣きそうになったり……ドジッ娘である。素晴しい……あたふたしている彼女を見ているだけなのもあれなので、心太も片づけを手伝う。
「あ、す、すいません……茶葉をこぼしてしまって」
心底申し訳なさそうに謝る彼女。そんな様子を間近で見せられて、神だと思え、という方が無理だろう。
しかしその時心太は気づいた。
彼女の身体の周囲に、不可思議な黒い霧が発生していることに。
怪訝に思いながら手で払うと、それはふわっと消えた。
どこか違和感を覚えながらも、心太は彼女へと向き直った。
「気にしなくていいですよ。それよりも……その、福家さまはご飯食べないんですか? 一人分しか並べてないけど」
片づけを手伝いながら心太は聞いた。
「そんな『さま』なんてとんでもない! どうぞ名前で呼んでください」
「そうですか? じゃあ、乃恵さん」
「い、いえいえいえ、そんな『さん』なんて、滅相も無いです」
「じゃあ……乃恵ちゃん?」
「そ、そんな『ちゃん』なんて可愛らしい呼び方私にはもったいないです」
パタパタと手をふって言う彼女。心太は困った。じゃあなんて呼べばいいのだろう。残るは……呼び捨て? 初対面で? でも、他に呼び方思いつかないし……。
「えーと、……じゃあ、乃恵はご飯食べないの?」
「あ、はい。わ、私は大丈夫です」
その瞬間、乃恵のおなかが、くーと可愛らしい音を立てた。彼女は顔を真っ赤にしてうつむく。
「やっぱりおなか空いてるんじゃない?」
「あの……その、なんというか、……その……」
乃恵は顔を赤くしてうつむいたままだ。
——ああ、そうか。遠慮してるんだ。
そう考えた心太は台所へ行き料理を盛る。
「よかったら一緒に食べない?」
「す、すいません。私のようなものに、ここまでしていただいて。本当に……ありがとうございます」
「いや、作ってもらっておいて、俺一人で食べるのってなんか気まずいし。よし、じゃあいただきます!」
なんだかいろいろ気になることはあるけど、おなかも空いたし、せっかくおいしそうな朝ごはんを女の子が作ってくれたことだし、女の子が作ってくれたことだし! (大事なことなので二回言った)女の子の手料理を食べないなんてどんな事情があったとしても許されることではない。
それは世界の共通認識だと、心太は思っている。
だから心太は大きな声で、両手を合わせてあいさつして料理を口に運んだ。
「ん! この出し巻き卵すごいうまい!」
「ほんと、ですか?」
「うん、すげえうまい!」
そう言いながら料理をバクバクとおいしそうにほおばる心太を見て、
「ふふっ」
乃恵はうれしそうに笑った。それを心太が呆けた様子で見ていることに気づいた彼女はあわてて謝った。
「あ、ご、ごめんなさい。その、すごい勢いで食べていたので……」
本当はおいしそうに食べてくれることがうれしかったのだが、それは恥ずかしくて言えなかった。
「あ、ごめん。行儀悪いか」
「い、いえ! そんなことないです。……その、よかったら、おかわりもありますから……」
「そう? じゃあ、遠慮なく」
そう言うと心太はガツガツとご飯を食べた。それこそ犬のようにがっついた。そんな心太の様子を見ていたら、胸の奥がこそばゆくなって、乃恵は、ふふふ、と笑っていた。
乃恵が初めて笑ったことがうれしくて、心太はさらにガツガツとご飯を食べた。
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