第7話
ひとしきり途方に暮れてから、俺は五十海に電話をしてみた。
『もしもし』と五十海が出る。
「あ、すまんな。夜遅く」
『いや、いいけど。どうしたん?』
「寮に帰れない」
『は?』
「二十三時までに寮に帰れなくて、結局、入れず仕舞いになっちゃんだよ」
『ありゃ』
「でさ、どこか一夜を過ごせるような場所は知らないか?」
『うーむ』と五十海はスピーカーの向こうで一考。『ないことは、ない』
「ほんと?」
『うん。初等部の旧校舎があるじゃん』
「ああ、うん。今は使われていないんだっけ」
『そう。使われていないから、いわゆるヤンキーとか不良、はたまた外部から潜り込んできた輩の溜まり場になってたんだよ。で、まあ、溜まり場になった末にある種の歓楽街的な賑わいを今は見せている』
「風紀委員は何してんだよ」
思わずそんことを口走ってしまった。
『今は完全に歓楽街として出来上がっていて、学園を運営している理事会の方も今は黙認。だから、風紀委員もなかなか手を出せずにいる。事実上の歓楽街だね』
「で、そこには寝泊まりできる場所があるのか?」
『だから、言ったじゃん。歓楽街なんだよ。つまり、まあ、あれだよ。カップルが泊まるようなホテルもある』
「なるほど。ありがと、参考になった」
『それはよかった』
俺は「おやすみ」と言って電話を切る。
「見つかった?」と天之原が訊いてくる。
「初等部の旧校舎」
「ああ、そっか。そこがあったか」
「お前、知ってる」
「うん、歓楽街でしょ」
「そこでいいか?」
「一人じゃ無理だけど、まあ、あなたがいるから。うん、そこでいいよ。そこにしよ」
というわけで、俺たちは歓楽街もとい初等部旧校舎へと向かった。ここから旧校舎までは歩いて三十分くらいかかるわけだけど、背に腹は代えられない――歩いて旧校舎へと向かった。
♢ ♢ ♢
旧校舎とか言っていたけど、もはや旧校舎の面影はなかった。どこにもなかった。影も形もなかった。
そこにあるのはラブホテルとか風俗店が軒を連ねているストリートがあった。どうしたら、旧校舎がこんな発展を遂げるのだろうか。疑問に思うが、思ったところで答えは出ない。
俺たちは適当に見つけたラブホテルに入り、部屋を選び部屋へ行く。豪奢な部屋はどこかいやらしい。
部屋の真ん中にある大きなベッドで二人して寝ることにする。
別に何をするというわけでもないのだが、男と女が同じベッドで寝るということが妙な緊張感を生む。
「わかっているだろうけど」と天之原が言う。
「何もしねえよ」と俺は言った。
一つのベッド。俺と天之原は背中合わせになって横になる。眼を瞑れば、眠気が襲い、俺は眠った。
♢ ♢ ♢
俺は走っている。一所懸命、走っている。
振り返れば奴がいる。かさかさ、ざわざわ、と音を鳴らしながら、黒い塊が追いかけてくる。
大きくてモザイク模様の黒い塊。転がっているのか疾走しているのか知らないが、それはなぜか俺を追いかける。
だから、俺は逃げている。走って、逃げている。
あれが何かはわからない。だけど、追いつかれたら終わりだ。そんな感じがするので、俺は逃げる。
俺は全力で走っている。だけど、黒い塊との距離は一向に開かない。むしろ、縮まっている。
追いつかれる。――追いつかれた。
飲まれる。飲み込まれる。
黒い塊は俺を飲み込む。俺は捕食されるみたいに、黒い塊の中に入っていく。視界は一面真っ黒になり――プツン、と暗転をする。
「はっ!」
そして、俺は息を呑む。
ベッドの上で横になっていた身体を起こし、周囲を見回す。ラブホテルの部屋の中だ。何の変哲もない。
「夢、か」
俺はホッと息を吐いた。
酷い夢だった。黒い塊の化け物に追いかけられて、挙句、飲み込まれるだなんて。
ふと、俺は身体の怠さを感じる。そうだ、《デウス》を吸っていない。寝る前に《デウス》を吸っていないから、こんな悪夢を見るんだ。《デウス》を吸おう。
「……戌井くん」
呻き混じりの天之原の声。やばい、起こしてしまったか。
「どうしたの?」とやはり目を覚ました天之原が上体を起こし、こちらを向く。
――俺は、それの首を絞めるために手を伸ばした。
こちらを向いたのは化け物だった。真っ黒なモザイク模様の塊。俺の夢から飛び出してまで、俺を喰らおうと言うのか。そうはさせない。だから、俺は化け物の首を絞める。やられる前にやる!
目の前の黒い塊は俺の腕を掴み、抵抗している。俺はそれに負けじと力を加えた。
目の前にいるのは天之原だ。
――天之原?
ん? 俺はいったい誰の首を絞めているんだ?
俺の眼前にいるのは何だ? 化け物だ。天之原だ。誰だ? 何だ? どうなっているんだ?
俺は――
何が何だかわからなくなって、俺は手の力を弱める。弱めてしまった。
その刹那。
目の前の黒い塊/天之原は俺に体当たりをしてきて、俺はベッドから落とされる。
ベッドから落ちて、尻餅をつく俺。天之原/黒い塊はそんな俺のもとへ近づき、両手で俺の顔を挟むようにした。
「……し……さい……」
黒い塊が何かを言っている。俺は暴れた。黒い塊に拘束されているなんて堪ったもんじゃない!
「わたしの左目を見なさい!」
天之原がそんなことを言った。俺は彼女の左目を見る。彼女の左目は一般的な日本人の黒い瞳ではなく、緑色――碧眼だった。
黒い塊……天之原の左の碧眼を見ていると、俺は俺の気分がだんだんと落ち着いてくることを自覚する。
昂ぶる気持ちは静まり返り、俺は次第に眠くなる。そして、俺は静かに安眠するに至った。
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