第13話 決戦!

波乱の二学期だと思っていたのに、ついに残り1か月を切ってしまっていった。勉強に身が入っていなかった春樹も、高田先生に痛めつけられた後は真面目に勉強に向かうようになって、ひとまず胸をなでおろした。春樹の横で、ふたりのやり取りを見ていた時は、こちらが泣きそうだったが、流石に塾の先生は子どもの扱いが上手いなぁと感心してしまった。

そしてあの後、AクラスからBクラスにが下がったのも良かったのかもしれない。ドアの外で遊ぼうと誘われていて、「最近親がうるさいから、今日は帰るね」なんて言ってるのが聞こえた。春樹なりに人付き合いも頑張っているのだろう。

面談の後、高田先生にお礼の電話を入れると、モチベーション維持のためにも学園祭に行ってみては?とアドバイスを下さったので、林太郎くんを誘い、岩崎さんと4人、電車で茗荷谷学園に足を運んだ。その中で生徒会主催の学校説明会があり、質疑応答の時に春樹は勢いよく手を上げた。「太郎丸選手になりたいのですが、茗荷谷学園に行けばなれますか?」と質問をすると周囲から笑いが起き、恥ずかしくて真っ赤になって下を向いていたのだが、「僕も太郎丸選手は憧れで目標とする選手です。ラグビー部は全国でも数が多くは無いので、学生日本代表の選手と実際に戦う機会も多くなります。太郎丸選手になれるかは、たくさんの競い合う仲間の存在が大切だと思うので、茗荷谷学園で一緒に、太郎丸選手を目指しましょう。」とガッチリとした体形の生徒会の学生が答えた。それに対して会場からは大きな拍手が起き、春樹は目を輝かせていた。こんな素晴らしい子に成長するなら!とわたしの方も盛り上がってしまい、高田先生の言う通り、学校のことを知るだけではなく、前向きに目標をとらえ直すことが出来た。出願書類一式を貰って学校を後にする。書類の束は、案外ずっしりとしていた。


そうしてあっという間に、クリスマスになり、冬期講習が始まる。一年経ってしまったんだなぁと思うと感慨深いものもあるが、気を引き締めて、お正月特訓の授業料を振り込んだ。

そんなある日、淑子お姉ちゃんがやってきた。

「これ、春樹くんに。」

「え?なにこれ?」

「ワイシャツとセーターと靴下。スラックスも買ってあげたかったんだけど、サイズが分からなくてね…」

「誕生日プレゼント?ありがとうね。」

「はぁ…バカね。買って来ておいてよかったわよ。入試の時に、まさかいつものジャージで行かせるわけにはいかないでしょう?スーツまでは必要ないけど、きちっとした格好にしないとダメじゃない。だって茗荷谷学園、単願は面接もあるでしょ?」

「え!?あ、そうか、洋服か…自分のことしか考えてなかった。」

「ほぅらね!スラックスと革靴は自分で買ってね。」

「もう、淑子お姉ちゃん様様だよぉ…でもさ、ちょっと悩んでるんだよね。」

「何に?」

このタイミングだ。いっそのこと気になってる事も聞いてしまおう。

「何校受けさせるか…だって、春樹、偏差値も茗荷谷学園の基準に乗ってないし、受かるかどうか分からないもん。」

「はぁ…ズバリ答えて良い?」

「うん。」

「茗荷谷学園一本で行きな。」

「えぇー!」

お姉ちゃんがびしっと言い放ったので、驚いて大声を上げてしまった。

「だって、春樹くんの目標はラグビーでしょ?ラグビー部あるのが茗荷谷学園だけだから行きたいんでしょ?だったら茗荷谷学園の対策をしっかりして、全力投球させなさいよ。あのね、第一志望を下げたって、いまの春樹くんの為にならないもん。」

「そ、そっかぁ…」

「それに、合否出てから出願できる学校あるからさ。普通ならこんな事しないで第一志望から滑り止めまで受けるけど、挑戦することが大切だと思うのよ。入試じゃなくてラグビーって目標に。」

「う、ん…」

「大丈夫だから!」

「もう、お姉ちゃんが頼りになり過ぎて怖い…」

「私は妹がヌケ過ぎてて怖いわよ!」

割と本気のトーンで言われて、けっこうグサッと傷ついたんだけど…。


淑子お姉ちゃんからのアドバイスもあり、その夜パパと相談しながら願書を書いた。春樹は私立に行くことが目的ではないし、もし春樹が他の私立に行きたいというなら、後期日程を考えるということで、茗荷谷学園単願で受験することにした。

「…よしっ。明日写真撮って、春樹に記入してもらうとこ書いたら終りね。」

「そうだな。いよいよだなぁ…あれから、一年か。太郎丸になる!っていきなり言われた時から。」

「うん。色々あったけど、一年間飽きたりしないで太郎丸の背中を追い続けられたことが驚きよ。」

「一度グレたけどね。もうここまで来たら、本人次第か。」

「私たちも最後まで頑張りましょう!」


そうして冬期講習が始まり、毎日過去問演習の嵐。家に帰って来てすぐ、解き直したり、テキストを確認したり、こんなに早くノートを使い切ってしまうのかと驚いた。春樹が勉強しやすいように、パパはソファを一脚、和室に持っていき、そこでくつろいだり本を読んだりしていた。冬休みになると、頑張ってる春樹の手前、飲み会や付き合いも控えているようで、パパの気遣いがありがたかった。

そしてお正月。お餅を焼いて朝ご飯にして、すぐさま駅に送って行く。三が日もお正月特訓。ゆっくりしてぇなんて言ってたけれど、真面目に早起きをして、帰って来たら宿題に取り組んでいた。

お正月が明けて、冬期講習も後半戦に。その頃は市販の茗荷谷学園の過去問集はボロボロになっていた。確か、高田先生との面談のあとに本屋に行くからお小遣いをくれと言われたことがあった。もしかしたらその時に買ったのかもしれない。「社会の問題はもう、全部答え暗記しちゃったよ…」なんて言っていた。

春樹本人が頑張っている以上、親が不安な顔は出来ない!と思って、必死で明るく振舞っていたが、実は胃薬が手放せない生活を送っていた。入塾当時の春樹の学力テストの偏差値は53、茗荷谷学園の合格ラインは65。そして2学期最後の学力テストでは、61だった。夏期講習で上がったクラスも、その後はBクラスに落ちてそのまま。ママとしてはこの4ポイントの差がどれくらい大きいのか、よく分からなかった。もちろん、初めを見たら、かなり大きく成長したんだけれど…。試験慣れしているパパは、過去問を解きまくれ!と鼓舞し、塾でもかなりの量の演習をしている。もう、ママは祈るしかなかった。


冬休みがあけ、いよいよ入試に突入する。首都圏と異なり、茨城では12月の後半から私立中の入試が始まる。送り迎えの時に話していたのだが、敦くんはこの時点でもう、合格を決めていた。わが家が出した結論とは逆で、本命の江戸山中の試験に安心して挑めるように、偕楽園中の第一回の日程で受験し、医歯薬科コースに見事合格。ここに決めてくれたら、月謝が楽なのですけれどね、と奥様がふと口にしていたので、もしかしたら特待生になっているのかもしれない。鏡花ちゃんは、第一志望の聖加女学院を第二志望の偕楽園中の第一回日程と第三回日程をサンドイッチしてバランスよく受けるそうで、林太郎くんも、第一志望の教育大附属と茗荷谷学園の前に、茨城学院を受けるとのこと。他の学校も出願しておけばよかった!と泣きそうな顔になっていると、「春樹くんのタイプ的に、単願で出願するのは合っていると思いますよ」と佐和子さんに慰められた。


冬休みが終わり、始業式のあった週の土曜日。いよいよ、茗荷谷学園中の入試の日を迎えた。ぱちっと目を覚まし、シャワーを浴びてご飯とお弁当の用意を終わらせて、身支度を整える。春樹の小学校の入学式の時に買った、わたしの勝負服。別に親の面接があるわけでもないけれど、お姉ちゃんに言われたとおり、バシッときめて行こうと思った。そうすれば気が引き締まって、不安に打ち勝てる気がした。良くも悪くも、最近胃が痛くてご飯をロクに食べられなかったので、スカートにゆとりができていた。

「よしっ。痩せて見栄えが良くなったかな?」

メイクもいつも通りを心掛けつつ、明るい表情に見える様に念入りに行い、最後にいつものあの口紅を引いた。

鏡の前で一度、ニコッと笑ってみる。大丈夫。なんとかなる…。そのピンクの口紅をギュッと胸に当てて、心の中で何度も繰り返した。

春樹も寝覚めがよく、いよいよかぁ…なんて話ながら、今までやって来たテキストを眺めていた。子どもなりに、感慨深いものがあるのだと思う。

「春樹、お弁当忘れないでね。いまバッグに入れちゃいなさい。」

「はーい。」

名残惜しそうに、テキストとお弁当をバッグに入れる。このバッグも去年の誕生日に買ったものだ。大分くたびれていたが、それも努力の勲章に見えた。

いつもとは異なる、セーターや革靴に身を包み、落ち着かなさそうにしている。似合っているから大丈夫よ、というと尚更気まずそうだった。そしてダウンジャケットを着せて車に乗り、茗荷谷学園に向かった。

今日は単願と理数コースの日程。林太郎くんが理数コースでの受験なので、春樹は車の中で林太郎に会えるかなぁと気にしているようだった。科目は4科目と面接。理数コースは算数と理科の試験時間が1.5倍に設定してある。私としても不安なので岩崎さんと会えたら…と思っていた。休日だからか、車が少なく、意外と早く着いてしまった。車の中で5分程待ってから、会場に向かった。

父兄の控室は学食ラウンジで試験会場とは離れていたため、いつも通りにやるのよ、と春樹を送り出して控室に向かった。学食として使われているラウンジで、昨日のお昼の残り香か、スパイスの香りがした。もうすでに話を始めているグループもあり、ぽつんと、なるべく日の当たる席を見付けて座った。しばらくぼんやりしていると、中島さん、と呼ぶ声がした。

「岩崎さん…岩崎さん!?」

「いよいよね。…どうしたのその驚きようは。」

岩崎さんはいつもの岩崎さんではなかった。タートルネックのセーターにジャケット、そしてロングスカート。髪はふわっと内巻きのワンカールで、洗練された、きりっとした知的な女性がそこにいた。

「…なんか岩崎さんじゃないみたい。」

「あら、私だってトラック乗らなくていいならいつだってこんな格好よ。年に数える程度だけどね。」

そう言いながら岩崎さんは対面に腰を下ろした。黙り込んでいると、しばらくしてバッグから文庫本を取り出して、それを読み始めた。その刺すような眼差しは、知性と冷静さを示していたし、洗練された服装やボルドーに近い色の口紅は、落ち着いた、年相応の魅力を十分に引き出していた。あぁ、なんで私はこうなんだろう。落ち着きが無くて子どもっぽくて…劣等感を覚えずにはいられなかった。

窓ガラスに自分の姿が映る。ピンクの唇が浮いているような気がして、ぎゅっと口を噤んだ。

次第に他の父兄の様子が気になって来る。頭が良さそうで、エリートな感じ。女性陣も輝いていて、本当に、自分が場違いな気がしてならなかった。岩崎さんは、こちらの視線に気が付くと、内容はあまり頭に入って来ないわね、と困ったように笑った。

「どうしたの?ばっちり決まってるってのに、浮かない顔で。」

「いや、浮いちゃってる気がして…」

「そんなこと無いでしょう?」

「でも…」

「自信、持ちなよ。それでいいんだって。」

「うん…」

いつになく優しい目をした岩崎さんが、尚更辛かった。

「多分アレらは医者の奥様系だし、アレは学校の先生系かな…だいたい、いいの?そんな外面気にしてるのに、私なんかと喋ってて。モンペの仲間に見られちゃうけど?」

いやいや、と首を振ると、岩崎さんはいつもの様に悪戯っぽく笑う。

「絶対そんなのない!関係ない!だってそもそもモンスターって前提が可笑しいんじゃない。」

「そうやって自分の主張が出来るんだもん、中島さんだって胸張りなよ。春樹くんも頑張ってる。もちろん林太郎も。だから、堂々としてなきゃさ。」

「そう、そうだよね…。」

「わたしたちさ、いつも4人でバカ話して、ヨソの子の為の為に夜中駆け回って…なんか、子ども以上に、無邪気だったと思うの。でもさ、この歳になってくると、そんな無防備さとか、迷惑をかけあうこととか、そういう若いころには避けたかったことを改めて引き受けることで、ようやく、人間的に成長できるんじゃないかって思うのよね。」

「成長…わたしも、したかなぁ?」

「伸び率だと佐和子さんと並ぶかな。」

「そっかぁ…まぁ奥様と岩崎さんは超えた修羅場が違うもん。」

「うーん、奥様は超えられないけど否定も出来ないわね。」

この一年を思い出す。春樹の事をずっと考えて、計算機を叩いていたのだけれど、でも思い出せば様々な人に助けられ、そして助けることが出来るようになった自分に、ふと気が付いた。そして素直に、飾らずに話せるような関係に、私たちもなって行ったような気がする。

「ねぇ…私の口紅、変かなぁ…」

「ふふっ。ちょっと若向きかもね。」

「うぅ…」

困った顔をすると、岩崎さんが笑いだし、一緒に笑い合った。

その一日は長かった。春樹と林太郎くんが初めての大きな戦いに挑んでいる間、のんきにも母たちはこの一年の思い出話に花を咲かせた。そして、試験問題のサンプルが配られ、岩崎さんとふたり、ヤバい解けない!なんて騒ぎながら、男たちの帰りを待った。

そして、肌寒い風が吹き始めた頃、それぞれ二人が教室から控室にやって来た。その顔は日差しに当たって生き生きしていた。


試験が終わり帰りの車の中では、ほっとした表情を見せていた。そのまま淑子お姉ちゃんのところに、お礼を兼ねて立ち寄り、お夕飯を御馳走になってかえってきた。そして春樹は着替えるとすぐに寝てしまった。

今日貰った資料を読み返す。合格発表は10日後。インターネット上で発表される。やり切った感に溢れていて、もう、怖いものは無かった。


そして、運命の一日。発表の時間は10時。春樹はそわそわした様子だったが、平然を保ち送り出した。パパのことは、いよいよだね、結果はどちらでも電話するね、と伝え見送った。

掃除洗濯、その他諸々。何をやっても手につかず、うろうろと部屋を歩き回って、9時55分、意を決してスマホを握り、ダイニングの椅子に腰かけた。

「いよいよ、だわ…」

震える指で入試当日に貰った案内を見ながら、URLを打ち込む。受験番号照会サイトが出て来て、サービス時間外です、と表示されていた。交互に襲ってくる、喜びと落胆。想像だけなのにもう、いっぱいいっぱいだった。冷静を取り戻すべく、何度も深呼吸をし、おねがいします、と天を仰いだ。そして、10時2分。リロードすると、受験番号とパスワードを入れる欄が出て来た。間違えない様に、受験番号と、パスワードである春樹の生年月日を入れ、恐る恐るボタンを押す。回線が混みあっているせいか、なかなか次の画面が表示されない…。あぁ、と天を仰ぎ、画面に目線を戻すと、

《受験番号A-328 結果:合格 おめでとうございます。入学書類をお送りします。》

の文字が浮かんでいた。

「うそ、うそ!!」

立ったり座ったり、どうしよう、どうしよう、と言っている間に、嬉しくて、涙があふれてきた。春樹が、ついにあの春樹が、自分の夢を、目標を、掴み取ったのだ!

しばらくそのままの画面を見つめていると、パパから電話があった。

『もしもし…』

「もし、もし…」

『春樹、どうだった?』

「は、はる、き…」

受かった!春樹、やったよ!!そう伝えたいのに、涙があふれて来て、上手く声が出なかった。それを察して、パパがそっか…と悲しい声をだした。

『春樹、がんばったよ、ママも、いい、経験だった…』

ちがう、そうじゃない、首を振っても電話では伝わらない。一生懸命声を絞り出した。

「ちが…はるき、やったのよぉ!」

『ぅうぇ?』

「はるき、受かったぁ、うわーん」

声を出して泣いていたら、もうパパがなんて言っているか、分からなかった。

午後3時。いつもは帰りを待つ時間だけれど、今日は車に乗り、小学校の校門前まで出かけて行った。車を停めていると、小さくなったランドセルを背負った集団がわらわらと出て来る。その中に、友達と話しながら歩いてくる春樹がいた。

「春樹!」

友達の手前、ちょっと面倒臭そうな顔をして集団から離れてやって来た。そして車に乗り込むとそわそわとして、こちらの顔を窺っていた。

「春樹、何食べたい?」

「え?」

「いまからお祝いよーっ!」

「えっ!えぇっ!?」

「合格、おめでとう!」

ハイタッチを交わして、狭い車内で喜び合う。そのままスーパーに向かい、ちらし寿司の元や、唐揚げ用のお肉、アボカド、そしてコーラとパパのビールを買って、家に帰って来た。

家に帰ると岩崎さんから着信があり、春樹が合格した旨を伝えた。岩崎さんも喜んでくれて、明日安心して教育大附属に行けるわ、と言ってくれた。こちらも、明日も頑張ってと伝えて電話を切った。


もしかしたら夢なんじゃないか、と思っていたけれど、次の日には入学手続きの書類が来て、その中にしっかりと80万円の入学金の請求が入っていて、再び胃が痛んだ。

でもいいのだ。お金を払えるって幸せ!なんて、普段は思えないようなことを口にして、喜びを改めて噛みしめていた。

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