第14話 また、動き出す
全員の結果が出そろった。敦くんは全戦全勝。最難関の江戸山中を含め、教育大附属、茨城学院、偕楽園中医歯薬科コースに合格。結局、お兄ちゃんと同じ教育大附属に進学することにした。高校受験ができるので、奥様はやはりお兄ちゃんやお父さんと同じく、常陽第一に入れるつもりなのかもしれない。後に写真入りで大きく、塾の広告に合格体験記が載ることになった。通学しやすく、本格的な天文学部があるのでスペースウォーズ好きな敦くんにはもってこいだろう。
鏡花ちゃんの結果は残念ながら聖加女学院に一歩及ばす。しかし偕楽園中特進コースに受かったので、そちらに決めた。一葉ちゃんと同じ新体操部に入ることは叶わなかったが、偕楽園中でダンス部に入ろうと思って頑張ることにしたのだそう。小柄で機敏な動きを生かして、バレエからガールズヒップホップに転向するつもりだとのこと。
林太郎くんは、教育大附属には落ちてしまったものの、茗荷谷学園と茨城学院に合格。茗荷谷学園に進学することにした。4月からも、一緒に学校に通おうねと話していた。
2月に入り新入生登校日のお知らせがあり、今回は岩崎さんの運転で、一緒にご飯を食べつつ茗荷谷学園まで行くことになった。11時に岩崎さんが迎えに来る。さっきまで仕事していましたよ風のまとめ髪の、いつもの岩崎さんだった。車に乗り込み、茗荷谷学園に向かう。今度は、父兄として。なんだか落ち着かない気持で一杯だった。
「ねぇはるき、はるきは入学祝、なにもらうの?」
「え?何それ?」
「だって、受験頑張ったじゃん。多分おばあちゃんとかおじいちゃんとか、何か買ってくれるよ。」
「へぇ!林太郎はどうするの?」
「んー、めっちゃ迷う!バイオリンも欲しいし、シンセサイザーも、ミュージックロイドも…」
「何それ?」
「楽器!あと、あれだよ、待音ミンク!」
「ミンクかぁ!俺はラグビー系がいいなぁー。日本代表のユニフォームも欲しいし…」
ふたりはそんな、欲しい物の話から、部活の話、小学校の卒業式の話と、話を膨らませてにわぁわぁ喋っていた。元気で良いわね、なんて岩崎さんとふたり、呆れて笑った。
「でもさ…林太郎くん、残念だったね。」
「なにが?」
「教育大附属、さ。」
あぁあれね、と岩崎さんはさっぱりとした反応をしたので驚いてしまった。
「林太郎の基準は、オケがあるかどうかだから。公立も含め、吹奏楽じゃなくてオーケストラがあるの、茗荷谷と教育大だけで。だからもう、オケに入れるって大喜びよ。」
「そうなんだ。林太郎くんらしいね!」
「それにさ、うちのおばあちゃんもさ、学歴に夢見るひとで。勝手にうちの林太郎は教育大附属から常陽第一、そしたら東京帝大に入れるかも!みたいな夢見ちゃってたから、逆に落ちて良かったのよ。変な夢押し付けられたら、困るのは本人だもん。清々したよ。」
「そっかぁ…」
まぁ、結果、それで本人が良かったのだからいいけれど、落ちて良かったと言える岩崎さんは、肝が据わっているなと感心する。
「私としては…これから音楽にのめり込んだらどうしようって。音大行きたいとか言われたら出せるお金あるかなーって。」
「えー?大丈夫でしょ?」
「あたし何歳までフォークリフト乗ればいいのよぉー」
「んー、生涯現役?」
「ちょ、中島さん!勘弁してーっ!」
ふたりで、馬鹿みたいに笑う。なんだか、高校時代とか、そんな時代に戻った感じがした。裏でこそこそ、今日の母さん達頭おかしいよね、なんて男子二人は言っていたけれども。
茗荷谷学園に着くと、多数の父兄が集まっていた。何人かの生徒が、誘導に立っていて、その横を、トレーニングウェアに身を包んだ集団が歩いていく。
「あ、あれラグビー部の人かな?」
そう言って春樹をつつくと、え!?と声を上げてきょろきょろしていた。するとそのうちの一人が、こちらに近づいて来た。
「あっ…」
「あの時の、太郎丸の子、ですよね!合格、おめでとう。」
学校説明会の時に壇上で話していた、生徒会のがっしりとした男の子。ジャージに身を包んでいたので、更に凛々しく見えた。
「あ、ありがとう、ございます…。」
「4月になったら、部活体験もあるし、ラグビー部、待ってるよ。」
「はい!よろしくお願いします!」
「じゃあ、また。」
こちらに一礼して、そのラグビー部の男の子は集団に走って合流した。林太郎くんが、すげー、かっけー!と目をキラキラさせていた。
「よかったね、春樹。覚えててくれたみたいで。」
「…」
「春樹?」
茫然とする春樹に声を掛ける。
「おれ、ほんとうに、受かったんだ。ラグビーに、太郎丸に近づいたんだ…」
「さぁ、みんな行きましょ。春樹くんも林太郎も、今度はあのカッコイイ先輩の後輩になる番なんだからね!」
岩崎さんが言うと、よっしゃ!となぜか二人で気合い入れをして、講堂に向かった。その後は合格おめでとうという言葉に始まり、入学に向けての説明会、入学式の案内、春休みの宿題が出され、そして通学バッグや体操着、ラグビージャージの注文、制服の採寸など、ぞろぞろと校内を移動しながら、それぞれの準備を行った。いよいよだ、と思うのと同時に、やはり頭の中でバチバチと計算機を叩いている自分に、すこし呆れてしまったけれど。帰りの車の中は、男子二人ははしゃぎ過ぎて疲れて、眠ってしまった。岩崎さんとは、これから大変だね、とか一年いろんなことがあったね、とか中学生になったらこんな行事があるみたいよ、なんて話をしていたらあっという間に家についてしまった。これからもよろしく、とお互いに言いながら、初めての登校日を終えた。
3学期は受験の余韻に浸りながら、残りの小学校の日々過ごしていた。週2日に日数は減ったものの、相変わらず塾は中学準備コースがあったので、いつもの通り、ママ友4人で顔を合わせて話した。そして、卒業式の話になり、終わったらみんなでちょっと豪華なランチに行きましょうという話になった。福沢の奥様が、いいお店を予約してくれるとのことだ。わたくし、1000円以下の美味しい出前、2000円以下の豪華に見えるランチ、見つけるのが趣味なのよ、とのことだった。
春樹は、中学の宿題に加えて、ジョギングや筋トレを密かに始めていた。同じサッカー教室でユースチームに行った子にも教わって、基礎体力をつけると燃えていた。太郎丸という大きな目標の間に、茗荷谷学園で声を掛けてくれた先輩という、小さな目標が現れたのが良かったのだと思う。
卒業式に向けてパパにおねだりして、春樹がサッカー教室のさよなら合宿に行っている間に三勢丹に連れて行ってもらった。入るなり、化粧品のフロアに行って、憧れのインポートブランドに行き、美容部員さんに口紅を見立ててもらった。
「お前、会社員時代から大切にしてるの、なかったっけ?」
「いいの。もう、私も成長したんだから。」
「年取ったってこと?」
「うるさい!」
そんなやり取りをしていると、仲が良くてうらやましいですね、と美容部員さんに言われて、二人で気まずく真っ赤になった。ベージュ系の、落ち着いた色の口紅を買ってもらい、婦人服のフロアに向かう。散々迷った挙句、ツイードのノーカラーのセットアップとワンピースを購入した。季節的にも、卒業式はセットアップ、入学式はワンピースにジャケットを合わせるつもりだ。ワンピースは、ちょっとした普段の集まりにも使えそうだし、ちょっと奮発してしまった。パパもネクタイを買い、二人で喫茶店ゆっくりしながら、お互いに今までありがとう、中学も頑張ろうね、なんてしみじみと話していた。
そうしてついに、卒業式の日を迎えた。2月終わりに一気に温かくなったのに、今日は少し肌寒い。そのせいか、桜も綻び始めていた。春樹は先に中学校の制服に身を包み登校し、最後の通学路はパパと二人、車で通った。先に降りて、パパは車を停めに駐車場に向かった。
歩いて体育館に向かうと、その玄関先に、いつものみんなが待っていた。奥様はびしっと鮮やかなお着物、髪をまとめて、今日は敦くんのママも連れていた。初めてお会いしたが、すらっとした細身の黒のスーツに身を包んで、見るからに頭の良いお医者さん、という感じだった。佐和子さんは、ベージュのスーツにコートを羽織って、脚が寒いと震えていたが、周平さんは、びしっと紺のスーツとトレンチコートを着ていて、三勢丹のモデルのようだった。そうして岩崎さんは、紺色のニットのセットアップにブーツ、ファーの付いたストールをコートの上に巻いていた。
「中島さん!おそいよー!」
「ごめーん!」
慣れないヒール靴によろけながら、皆のところへ駆け寄った。
「あら、決まってるわね。」
「奥様こそ!みんな素敵だなぁ…あれ、岩崎さん、ご主人は?来るって言ってなかったっけ?」
「…あれよ。」
指を差した方向、花が開くか開かないかの桜の枝や花を真剣に観察している後ろ姿。桜の深緑のような、優しい緑の着物に身を包んでいた。
「もうね、朝から大喧嘩。お前も着物着て行けって言われて。寒いし、それに美容院だって行ってないもん。着付けならまだしも、髪は自分じゃできないもの。絶対やだ、って。」
「でも今日、すごく素敵じゃない?髪だって、お洋服だって。」
どういう構造かは分からないけれど、ハーフアップでねじって留めている感じの、華やかなスタイルだった。向こうの方で、ご主人が、大きなくしゃみをしていた。
「お姉ちゃんにやってもらったの。良いでしょ?羨ましいでしょ?女の子って、こういう時にすごく戦力になるんだから…ちなみに洋服はZADO、これもお姉ちゃんチョイスね。」
見えなーい!とみんなでびっくりしていると、佐和子さんが綺麗な指先を見せてきた。
「ふふっ、わたしもネイル、鏡花にやってもらったの。」
シンプルなマニキュアの上に、お花模様が描いてあった。
「すごい!もうプロみたい!良いなぁ…女の子、良いなぁ…」
しみじみと声を漏らすと、もうひとり頑張る?とみんなが笑った。
ようやくパパが「今度は何のトレンディドラマなんですか?周りの人みんなビビってますよ?」と冗談を言いながらやって来た。すると福沢の若奥様が、「だってこれだけの主役級が揃ってたら、どこ見て良いのか、分からないですからね」と応える。「人気者は辛いわぁ~」と言うと、佐和子さんが「ちょっと、スタッフ!スタッフぅ~!」周平さんが「僕イケメぇン!」なんておどけたものだから、またいつも通り、ゲラゲラとみんなで笑い合って、ふざけながら体育館に入って行く。卒業式とは思えない、和やかで笑顔が絶えない時間だった。
「岩崎さん、いいの?ご主人は。」
「うん。うちの主人、研究者モードになると、気が済むまであんな風なの。林太郎とおなじでしょう?」
呆れて笑う岩崎さんに、男の子って、ほんとパパみたいな一面見せるのよね、なんて言いながら皆に続いた。
肩回りが大きい、制服に着られた110人の卒業生。朝送りだした時には寝ぼけ眼だった春樹も、卒業証書を貰うときには、いつもと違った、大人の男の顔をのぞかせていた。ちょっとうるっとしながらその姿を見ていると、首から大きな一眼レフカメラをぶら下げた奥様が、ちゃんと撮ったわよ、と耳打ちしてきた。どこにそんなものが!と心の中で盛大にツッコミを入れずにはいられなかった。式は進み、卒業生挨拶に、鏡花ちゃんが登壇する。
「小学校の6年間は、頑張ったこと、頑張れなかったこと、続けて良かったこと、失敗したこと、様々なことがありました。その度に、話を聞いてくれた人、話を聞かせてくれた人、いつも一緒に居てくれた、周囲の皆様のおかげで、無事に卒業することが出来ました。これからの毎日も、今度は私が助ける立場に立てるように、頑張って行きたいです。」
その言葉に、佐和子さんも周平さんも、奥様も、涙をこらえられずにいた。「卒業生代表、森鏡花。」と言葉を締めると、大きな拍手が体育館に響いた。鏡花ちゃんは、きりっとした顔で、堂々と、壇上からわたしたちを見ていた。
あっという間に卒業式がおわり、子ども達を待っている間は岩崎さんとふたりで話していた。
「そういえばさ、中島さん、パートどうするの?」
「そうなんだよねぇ…始めようと思って、履歴書は書いたんだけど。」
「何するの?」
「うーん…元居た銀行の、臨時職員かなぁ。」
「その割には浮かない顔、してるわね?」
「うん、そうなのよ。人間関係が元で辞めたような感じだからさ、いまいち勇気がね…」
「いま気になってること、無いの?」
突然の質問にびっくりとしながらも、色々考えを巡らせ、ぴんとこないまま、聞かれるがままに話す。
「うーん、太郎丸がオーストラリアに移籍したり、フランスから声が掛かってたり、そんなニュース見ると海外とか外国語のこと気になるかなぁ…あとは年齢的に、体形?」
「ふふっ。なら勿体無いわよ。昔いたから、なんて理由でパート始めるの。」
「そう、かな?」
「だって、どの道ご主人の扶養に入るんでしょう?そうしたら金額的にも時間的にも、何したって貰えるお金、変わらないじゃない。だったら、自分が気になってる事、やりたいことやりなよ。ほら…わたし学生の頃、もっと太ってたんだけど、ウニクロのバイトで10キロ痩せたんだよね。」
「えぇ!?」
「アパレルって華やかに見えて、バックルームは在庫の積み替え積み替えで、肉体労働なのよ。いいわよ?サービス業、筋肉付くし、体形維持できるわよ?」
いつもの、悪戯っ子の顔を見せる。うーん、と悩んでると再び、岩崎さんが続けた。
「家庭に入っちゃうとね、子どもばっかり大きくなって、置いて行かれるような気になっちゃうじゃない。もう自分は老けていくだけ、生活費を稼ぐだけ、みたいな。」
胃の辺りがきゅっと冷たくなる。そういえば、そうかもしれない。身に覚えがあり過ぎて答えに詰まった。
「だから、意識して新しいこと、取り入れて行った方が、良いような気がするのよ。だって人生って80年くらいあって、子どもと一緒なのも20年くらい。もちろんその時期はその時期で、死ぬ思いなんだけど、その20年、立ち止まっちゃったら、子どもや孫にとって、奥様みたいに、頼りになるおばあちゃんになれるのかな、って思うようになったの。」
「そっか、そうかも…!」
「だから、中島さんも、このチャンス、上手く生かしちゃいなよ。春樹くんだけじゃなくて、中島さんだって、この一年くらいで見違えるほど逞しくなったでしょ?どうせ同じお金なら、自分の身になること、したほうがいいじゃん!」
まぁ、フォークリフトに乗れとはさすがに言わないけどね、と笑った。いつも、岩崎さんは示唆に富んだ指摘をしてくれる。最初はおどおどしながらも、その発言や行動、一緒にくっついていろいろな物を見せてもらった。経験したことのない、ひりひりとした嫉妬心や危機感を乗り越えてきた。その横顔はとても美しい。その顔を見ていると、何だか勇気が湧いて来た。
「うん、そうだよね!春樹だって新しい環境に身を投じる訳だし、わたしも、私なりに自分のしたいこと、ちょっとでもやって行こうかな!」
「そう来なくっちゃ!」
花束を持った卒業式が、わらわらとにこやかに出て来た。みんなで写真を撮ったり、ふざけたりしながら、最後の別れの時間を楽しんでいた。特に鏡花ちゃんは大人気で、大人からは良いスピーチだったわ、と、他の女の子からはベレー帽と制服可愛いね、写真を撮ろうと誘われていて、一部男子はそれを遠くからそっと見ているようだった。
「ねぇ、うちらの子、全然モテてないよ…」
「えーっ!」
春樹はサッカー教室のメンバー、林太郎くんも敦くん達インテリボーイズの集団で、また遊ぼうなと、ワイワイガヤガヤやっていた。
「見事に男ばっかり。」
「ねぇ、誰か、誘ってくれる女の子、いないかな…」
「これは鏡花ちゃんにお願いするしかない…」
そう示し合わせていると、私の出番ね、と奥様が一眼レフカメラを構えてひょっこり出て来た。みんなで、子ども達が来るのを待っていた。
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