第10話 三月の謎

 連合の視察が入ってから数日、この海底に眠る旧大都会の遺跡は、連合の名のもとに保護される事となった。けれど、それは特別なことではなかった。父もリカルド先生も、そうなることを確信していたのだから。

 先生たちを乗せた船が、七海連合の視察艇を引き連れて戻ったあの日の午後、私はちょうど糸の切れたマリオネットのように甲板に崩れ落ち、眠った。それまで張り詰めていた緊張が、まさに切れてしまったからに違いない。

 夢なんて見る筈もない程の深い眠りが続いた後、私は海の中で酸欠になり、意識を失いかけるという夢を見て、目を覚ました。

 真夜中。窓の外には、墨を垂らしたような色の海が、果てしなく広がっていて、星さえも見えない。

 時計を見ると、午前三時を少し過ぎた頃だった。私は何も考えず、ベッドから起き上がり、廊下へ出た。操舵室から明かりが洩れていた。

 そこに誰かいるのだろうかと思うこともなく、小さな虫が明かりの方へ飛んでいくような原始的な行動に従い、私は操舵室へ向かった。

 ドアノブに手を掛けようとする直前、扉の向こうから父の声が聞こえてきた。

「本当に悪かったな」

「いや、お前はよくやってくれたよ」

もう一人は先生の声だった。

「だが……」

「気にするな。復元すればいいんだ。鉄鋼に変換要請してみるつもりだ」

「返してくれるものなのか? そんなんで」

「まあ、相手の厚意によるな。いくらか握らせればいいんだよ」

「いつも考古学者は金がないとか言ってるのに、大丈夫なのか? 安くはねーだろ?」

「今回は連合がかなり興味を持っている。なんでなのか、大方見当は付くけどな。だから、上の方から出してくれるだろう」

「何があるって言うんだ?」

先生は長い溜息を吐き、どこか拒絶するような抑揚のない口調で答えた。

「お前は考古学者じゃないから、分からないだろうさ」

それに、父は鼻で笑った。

「ま、そりゃそうだな。ところで、連合の視察はどれくらいかかりそうなんだ?」

「遺跡の規模が大きいからな。まあ、一ヶ月くらいじゃないか?」

「そうか。だったらいけそうだな」

「は? 何を言ってるんだ?」

「ちょっと、この海域を一旦離れる」

「どこに行くんだよ?」

「アンデスだよ。なあ、ちょっと顔効かして、あそこに入れるようにしてくれないか?」

「ああ。それはいいが、一体何をしにいくんだ?」

今度は父が溜息を吐く番だった。

「そこで、冬馬を泳げるようにするんだとさ」

「あの子は泳げないのか。大変だな、それは。しかし、誰が言っているんだ?」

「三月だよ」

リカルド先生は微笑しながら、言った。

「三月……か。彼は一体何者なんだ?」

「何かあったのか? あいつのことで」

「連合の支部に向かっているときだ。無理した所為か、エンジンがいかれちまったんだよ。万が一に備えて予備のパーツは常に積んであったし整備士もいた。だが、エンジンをいじれる技術者が彼しかいなかったんだよ。それにも関わらず、ものの数分で修理してしまった」

「なるほど、そういうことか。多分、記憶を失う前はどっかの優秀なエンジニアだったんだろうさ」

「それだけじゃない。彼は、この下にある遺跡のことを知っていた」

「何を言っているんだ? 当たり前だろ? サルベージをしているんだぞ」

「だが、実際に潜ってみないとわからないようなことまで知っていたんだぞ? 俺の記憶にある限りでは、彼は一度も海に潜っていない。そうだろう?」

思い出しているのか、唸る父の声が聞こえた。

「あ、ああ、確かにそうだな。あいつの分のダイビングスーツはない」

「それなのに、彼はあの海底遺跡の細かな様相や、重要性を理解していた。正直、彼がいなかったら、評議会を動かすのはもっと後になっていたかもしれない」

二人はそこで黙ってしまった。

 私はそこで一歩後ろに下がった。物音はしなかった。私は足音を立てないようにゆっくりと振り返り、自分の部屋に戻った。

 ベッドに腰掛け、大きく息を吐いた。気になるのはやはり、謎の多いあの漂流者。いや、もう彼はそんな客観的な呼ばれ方をされるような人じゃない。正真正銘の乗組員だ。例え、そこに得体の知れない謎があったとしても、差し引いて十分プラスになるだけの存在だ。

 私がすべきことは一つだけ。彼のことを疑わないように、その謎について極力触れないようにすることだけだ。

 私は部屋の隅の真っ暗闇に目を向けた。その行動に特別な意味があるというのではないが、私はそのまま目が離せなくなってしまった。

 心の中がどんどん空っぽに近付いていくのを実感しながら上体を後ろに倒し、そのまま寝返りを打って今度は反対側の壁をじっと見つめる。そうしている内に私は、いつの間にか再び眠りの中をたゆたっていた。

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