舞台

 ロロンと輝がバスに乗ってたどり着いたのは、郊外の大型ショッピングセンターだった。

 広大な駐車場とそれを埋め尽くさんばかりの車の量、そしてその中心にそびえ立つ、巨大な建物。

 なにも知らなければ、ここは要塞かなにかに見えるかもしれない。

「なるほど、ここを占領すれば報告書も書けますね!」

「占領か……」

 そう言われて、輝も一瞬プランを考え、即座にそれを脳内で破棄する。

 それを行うには、あまりにもこの施設も社会も複雑化しすぎている。

「いや、それはさすがに無理だな、リスクが大きすぎる」

「そうでしょうか」

「考えてもみろ。使える駒はお前と、最大限大きく考えても俺の二人だけだ。確かに、お前の力を使えば常人には出来ないことも可能だろう。だが、占領したあとどうする。どうやってここを維持していくんだ。必ず誰かがここを取り返しに来るぞ。警察だって動くし、下手をしなくても社会問題だ。マスコミも来るだろう。そうなったらまともに生活するのも苦しくなるぞ」

 言いながら輝は、自分の存在の小ささに嫌気が差してきた。

 ロロンという強大な力を得たからこそ、いまだ世界に縛られている自分の存在を思い知るのだ。

「まあ、問題が大きくなりすぎるのは、確かにちょっと困りますね」

 そう言いながらもロロンの表情はどこか楽観的だ。

「でも、駒という意味なら、そんなに手が不足するわけでもないですよ」

 自信満々に、例によって懐からいつものあの紙を出す。

 そこに描かれているのは、実に抽象的な、丸と四角で構成された人間のようなものである。

「ほら、こうすれば」

 ロロンはその手からばら撒くように紙を投げる。

 すると舞い落ちた紙から、そこに描かれていたような抽象的な人間のような存在が、実体を持って具現化した。

「おい、なにをしたんだ」

 他の客もなにが起こったのかわからず、突如現れた謎の存在に店内は少し騒然としながら、ロロンと輝、そして抽象体に注目が集まる。

 そしてさらに、二体目、三体目とロロンはその抽象的存在を増やしていく。

「どうです、このキューくんたち。彼らがいれば、駒不足なんてことはないでしょう?」

「待て、いろいろと待て」

 突如噴出したあまりにも多くの問題に、輝の思考はパンク寸前である。

 まずロロンの背後に集結した三体の抽象体は、あまりにも目立ち過ぎる。

 そしてそれを使ってロロンがいったいなにをする気なのかも問題だ。

 そもそも、この抽象体はいったいどんな存在なのだ。

 それらの考えがまったくまとまらず、輝がまず聞いたのか、もっともどうでもいいことだった。

「なあ、キューくんって、この前の怪物と名前かぶってるだろ」

「えっ、くんとちゃん、ぜんぜん違うじゃないですか」

「そこも名前なのか……」

 どうせ呼び捨てにすることもないだろうから問題はないが、きちんと呼ばねばならないときはキューちゃんさん、キューくんさんとなるのだろうか。

 キューちゃんはともかく、人間とほぼ同等の大きさであるこの抽象体、ロロンいわくキューくんとは意思の疎通は図れるのだろうか。

「さあ、行きなさい!」

 それ以上の輝の言葉を待たず、自信満々にロロンはキューくんたちに命令を下す。

「いや、そもそも三人増えたところで駒は圧倒的に足りないが……」

 もう輝にはそれくらいしかかける言葉が無い。しかし問題は、それ以上に小さなところで終息した。

「ちょっと、邪魔よ、邪魔!」

「もう、子供が泣いちゃったじゃないのよ! なんなのよ、その変な格好は!」

「列の割り込みはいただけませんこと、ほら、ちゃんと後ろに並んでくださいませ」

 散り散りに出撃していった三体のキューくんたちは、十メートルの行かないうちにそれぞれ地元の主婦との接触で足止めをくらい、しかもどうしょうもないほど敗北していた。

「これはひどい……」

 逃げ帰ってきたキューくんたちの惨状を見て、輝もさすがに言葉をなくす。

 占領は無理にしてもなにかしら報告書の種になることは起こるかとも思ったのだが、もはやそういう次元ですらない。

 キューくんを撃退した主婦たちはそのことを顧みることなく日常に戻っている。

 学校でもそうだったが、この強すぎる現実という存在に、輝は絶望さえ感じ始めていた。

「やっぱり、占領に足りないのは駒ではないみたいですね」

「いや、そもそもそういう問題ですらないぞ……、これは」

 輝とは対照的に、ロロンの目にはまだ、希望に満ちた光のようなものがある。

「大丈夫ですよ、この手が駄目ならば他の手を使うまでです。輝さんが学校で勉強をしている間、私もいろいろと情報を仕入れておきました。ちょっと待ってくださいね」

 ロロンの態度はやけに自信満々で、それを見るたび輝は逆に不安が増大していく。

 ロロンはキューくんたちを集めてなにかを命じると、また別の紙を取り出して落とす。

 そしてそれと同時に、キューくんたちがどこかへ走り出した。

「なにをはじめるつもりなんだ……」

「ああ、もう少し待ってくださいね。ちょっと準備に時間がかかるので」

 そう言われて呆然と立ち尽くす輝の横で、ロロンは一人、紙を取り出しては消していくという、よくわからない作業を続けている。

 明らかに他の客の中でも浮いているが、それでも誰も気にしないのがこの現代社会である。

 ただ少しばかり冷たい視線を向けられるだけだ。

 そういう視線はもう輝にも慣れたものだったが、それでも人通りの多い通路の真ん中で延々と立ち尽くすというのは精神的にもなかなかキツいものである。

 作業に集中するロロンと違い、輝はただ待ちぼうけなのだ。

 それでもようやく作業が終わったらしく、キューくんの一体がどこからか戻ってきてロロンに報告する。

「さあ、行きましょう」

「行くってどこへだ……」

「行けばわかりますよ」

 先導するのはキューくんで、その後にロロン、そして輝が続く。

 機械的なキューくんの足取りと、ロロンの軽い足取り、そして重い輝の足取り。

 そんな三人がたどり着いたのはショッピングセンター中心部にある広場、よくイベントなどが行われている場所だ。

 今日もイベントの予定があるのかステージが用意されていたが、近付き、それを確認したとき、輝は驚きで言葉にならない言葉を発してしまった。

「なんだ、こりゃ……」

 そこにあったのは、いかにも即席で作ったステージだ。

 そして手書きで『ロロン・マドルーナ・ヴァラークンが未来を語る』とのイベント内容が書かれている。

 誰が未来を語るだって?

「見てのとおり、今からここで私が未来を語るのです」

「はあ……」

 あまりにも唐突な状況に、輝は返す言葉を見つけられなかった。

 一方でロロンのほうは自信満々で、既にステージ横でなにか準備をしているようである。

 そして周囲では、いつ用意したのかキューくんたちが懸命にビラを配っている。

「それでは、はじめますね!」

 そしてロロンは紙を一枚自分の頭の上にかざすと、あっという間に制服からまったく異なった服装へと着替えてみせる。

 白とピンクを基調とした、落ち着いた感じのカジュアルなドレスだ。

 そして、輝を置き去りにしたまま、堂々とステージの上へと歩いていった。

「皆さん、お集まりいただき、感謝します」

 集まった物好きな五、六人の観衆に対し、ロロンは大きくお辞儀をする。

「それでは、これから私ロロン・マドルーナ・ヴァラークンが、このデパートを占領するにあたり、いくつかの宣言をさせていただきます」

「なんだよ、宣言って」

 突拍子も無い言葉からはじまったそのステージに、下で聞いていた輝は頭を抱える。ロロンはどうやら本当に、このステージで演説を始めるつもりらしい。

 しかもその宣言の物珍しさやロロンの幻想的な外見も相成って、徐々に観衆は増えつつある。

「おいおい、なんかイベントか?」「なんだあの娘、カワイイな」「なんでもこのデパート占領するんですって」

 こうなるとロロンの存在は、退屈な人々には新鮮に映るらしい。

 ステージ周囲を通る人々のうち、五人に一人くらいは興味を示して足を止める。

「なにを考えてるんだ、あいつは……」

 だが、こうなってしまってはもう輝はロロンを止められない。

 集まりつつある人々の注目を一身に集めてまでステージに上がっては、それこそ大混乱になりかねないだろう。

 輝はただ、ステージ脇で事の成り行きを見守るしかないのだ。

「私はまず、この場所を、もっと人々の交流に役立てる場所にして、活性化を図りたいと思うのです」

 聞いてみると、意外とまっとうなことを言っている気もしてくる。

 占領というよりは、私が経営者だったらといった感じであり、それは間違いなく、あの時聞いていた街頭演説の影響であった。

 魔界人にとって統治者イコール占領者なのかもしれない。

 しかし、そんなロロンの演説も長くは続けられなかった。

「そこまでよ!」

 観衆の向こうから叫び声がする。輝もその声には聞き覚えがある。

「よくここがわかったものだな、祐希……」

 観衆を飛び越してステージに上がったのは、勇者こと有佐祐希だ。

 既にその服装も例の魔法少女のような白青の勇者装束である。

「まったく、なんなんですか! 今は私の演説中ですよ」

「それを止めさせに来たに決まってるでしょう! なによ、ここを占領するって!」

 ステージの上であるにもかかわらず、二人は早速口喧嘩を始めてしまっている。

 観衆は彼女達の奇抜な格好もあってそれ自体もなにかのイベントだと勘違いしているようだが、双方を知っている輝としては恥ずかしい限りだ。

「大体、なんであなたがここにいるんですか! 」

「もちろん、あなたが変な力を使ったからよ。こちらにだって、それくらいのサーチ能力はあるのよ」

「なんですか、その厄介な能力は」

 ロロンが顔をしかめるが、それ以上に、輝はステージの下で頭を抱えていた。

 ロロンの能力発動の追跡さえ可能となると、いよいよ行動をどう起こすべきかを考えなければならなくなる。

 今日の流れを考えると、知ってから駆けつけるまでそれなりにタイムラグはあるようだが、不用意にロロンの能力を使うことはできないだろう。

 輝が苦悩している間にも、ステージの上はさらに混乱状態である。

「むむむ、キューくんの皆さん! あの人をステージから追い出しちゃってください!」

 ロロンの一声で、例の抽象体であるキューくん三体が雑用を放り出してステージに上がって来る。

 もちろんそんな戦闘員の登場に観衆は大喜びだ。

 だが、予想された流れと変わっていたのは、その、そこいらの主婦にさえあっけなく追い払われたキューくんに、祐希が苦戦を強いられていることだった。

「おいおい、どうなってるんだ、これは……」

 少し見ただけでも、キューくんが本当は強かったというわけでもないのがわかる。

 明らかに、祐希の力がキューちゃんなどとの戦闘時とは別物なのだ。

 もちろん、キューくんの力そのものかなり弱いので負けそうになることは無いのだが、ステージの上では明らかに泥仕合が行われているだけである。

 横で見ているロロンもどう対処すべきか悩んでいるようであり、元々面白半分で見ていた観衆のほうも、飽きたり呆れたりで徐々にステージから離れつつあった。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 その状況に耐えられなくなって声を上げたのはロロンである。

 ロロンの一声でキューくんたちもさっとロロンの後ろに戻る。

 観衆も、祐希も、その行動には唖然とするばかりだ。

「ど、どういうつもりよ」

「それはこちらの台詞ですよ。あなたがこのキューくんに苦戦するなんて、ちょっと信じられないです」

「……こっちにもいろいろと事情があるのよ! でも、油断しないことね! あなたが本気を出した途端、こっちも本気で行くんだから!」

 よくわからない負け惜しみを口にする祐希に、ロロンは哀れんだ目を向ける。

 しかし、輝の方はもう少しこの事態の意味合いについて深く考えていた。

 おそらく、祐希の負け惜しみは事実が混ざっている。祐希自身も能力の出力調整を自在にはできないのだ。

 そこに付け入れば、今後の祐希対策を組み立てることも出来るはずだ。

 しかしそんな輝の分析などロロンが気にするはずも無い。ステージの上では、いつの間にかロロンによってさらに話が進められている

「わかりました。どうやら、もっとちゃんとした勝負をする必要があるようですね」

 弱っている祐希を見て自信が出たのか、ロロンは強気な視線を向けたままそう言った。

「なによ、勝負って……」

「これですよ!」

 ロロンはまたも懐から一枚の紙を取り出し、それを高々と放り投げる。

 まるで時が止まったかのように、ゆっくりと舞い落ちる紙に誰もが注目する。

 やがてその紙が地面についたとき、ステージとロロンは薄いピンクの煙に包まれた。

「何事だ!?」

 煙幕が晴れたとき、そこに立っていたのは、先ほどのカジュアルなドレスから一転、フリルまみれの衣装へと着替え、その手にマイクを握ったロロンであった。

「さあ、祐希さん、歌で勝負です!」

「はあ?」

 突然の提案に、祐希の顔は完全な困惑で塗りつぶされている。

 当然だ、なぜいきなり歌で勝負なのか。

 だが、輝には思い当たる節はある。

 このシチュエーションは、ロロンが昨日見ていたテレビ番組そのものだ。

 どうやらロロンはこの世界で見たものの影響をすぐに受けて実行に移すらしい。

 しかし、今回ばかりは選んだ品目が悪かった。

「待て! ロロン、その勝負は、その勝負だけは駄目だ!」

 輝は必死になってそれを止めにかかる。

 ステージを這い上がり、ロロンからマイクを奪い取ろうとさえする。

「大丈夫ですよ。輝さんは安心して見てて下さい」

「いや、そういう問題じゃないんだ。とにかく、歌はやめろ……」

 だが、必死に訴えようとするものの、ロロンの決意は固いらしい。

 輝は無念にもキューくんたちに取り押さえられて、観衆のブーイングの中ステージの下に戻される。

「どうなっても知らんからな……、俺は止めたぞ。禁忌の扉は開かれるんだ……」

 全てを諦めたかのように、輝はただそれだけつぶやいて元いた椅子に座りなおす。

 観衆も、ロロンも、特にそのことに特に気をかけない。

 そして、ロロンの歌が始まった。

「えっ」

 だが、その歌声を聞いたとき、輝も含め誰もが唖然とするばかりだった。

 美しい歌声ではある。

 しかし誰一人、その歌を理解できた人間はいなかったのだ。

 気持ちよさそうに歌うロロンだが、その歌詞は日本語はおろか人間の言葉であるかどうかさえ怪しく、会場は騒然としている。

 もちろん、輝にもロロンがなにを言っているのかわからない。

 ただ、キューくんたちだけがロロンの背後で盛り上がっているだけだ。

 そして歌が終わるが、誰もがなんと反応していいのかわからない様子で呆然とロロンを見つめるばかりである。

「あれ、変ですね……」

 観衆の反応を不思議がるロロンに対して、輝は呆れ返るばかりである。

「いや、そりゃこうなるぞ……」

 ロロンはこれで勝てるつもりだったのかと、いまさらながらに驚きを隠せない。

 どういう審査方法で勝敗を決めるをするつもりなのかは知らないが、普通に考えるとこの歌勝負は人間界で行われる限りロロンにまず勝ち目は無いだろう。

 だが、輝は知っている。

 真の勝負はこれからだということを。

 本当の地獄はまだこの先だということを。

 世界を破壊するのは魔王ではなく勇者であることを。

「じゃあ、次は私の番ね」

 祐希は自信満々にマイクを受け取り、衣装もアーマーめいたものから、スタイリッシュなスーツのようなものに変化させる。

 どうやら祐希の服装もそういう変化に対応しているらしい。

 あえてそれを行うところからもわかるように、今の祐希はあまりにもやる気にあふれている。

 それこそが、恐怖なのだ。

 祐希が次に口を開こうとした瞬間、輝は全力で耳を塞いだ。

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