日常
「まさか、授業中のほうが落ち着ける日が来るとはな……」
相変わらずほとんど授業も聞かずなにかしらの奇妙な作業を続けるロロンを横目に見ながら、輝はぼんやりと黒板を眺めている。
実に平和な日常だ。
だが次の瞬間、窓の外に突如、巨大な影が現れる。
それはまるで昨日の再現のような、怪物の姿。
だが昨日の怪物であったキューちゃんよりもはるかに凶悪で醜悪な、まさに怪物と呼ぶべき異形である。
「えっ?」
それにいち早く反応したのは、昨日の首謀者であるロロンであった。
輝も怪物を一瞬確認したあと、すぐにロロンへと目を向ける。
だが、輝の目に映ったロロンのその表情は驚きに満ちていて、とても窓の外の事態に関与しているとは思えなかった。
「ああ、もう、昨日で懲りなかったのかしら」
そんな声と共に、視界の端を一瞬で祐希が通り過ぎ、窓から飛び出していく。
その一瞬が、輝の心に強い衝撃を叩き込んだ。
昨日屋上から見ていたときにも思ったが、こうして真横で見るとその身体能力は人間をはるかに超越している。
そして、その先の出来事も、やはり昨日の再現のようであった。
ただ異なるのは、輝はその光景を屋上ではなく、教室の窓から見ていたこと。
そして、祐希が飛び出していく一部始終を全て見届けたことであった。
キューちゃんでも、あの異形の怪物でも、祐希の行動になんの変化も無い。
怪物の手足は一瞬で切り刻まれ、あっという間に、音もなく霧が散っていくかのように消滅する。
消滅のしかたもキューちゃんとまったく同じであるあたり、やはりあの怪物もキューちゃんと同等の存在なのだろう。
ただ、昨日怪物を出した張本人は、輝の隣で深刻な顔をして窓の外を見つめているのだが。
「ひとつだけ確認するが、あれはお前がやったんじゃないんだよな?」
「もちろんです、私はあんな趣味の悪い怪物を使ったりしません」
「そこなのか……」
輝が見た限りでも確かに先ほどの怪物は趣味のいい姿とは思えなかったが、だからといってキューちゃんが趣味がいいとも思えない。
もっとも、ケチを付けてみたところで、輝自身デザインにはとてもではないが自信は無かった。
輝にも以前、『自分だけの召喚獣』を妄想していた時期があったのだが、そのデザインには苦難したものだ。もっとも、輝の場合は当然召喚することはできなかったし、絵心も無かったので形にする手段もなかったのだが。
そして一仕事終えて、祐希がそのまま窓から教室に戻ってきた。だが、例のスーツから変身を解くことは無いままだ。
そして真っ先にロロンの元へと向かう。
「あなた、学校での停戦はどうなったのよ!」
当然、祐希が答えを求めるのはそこである。だがそう言われて、ロロンはたちまち膨れっ面になる。
「まったく、本当に失礼な方ですね。私はあんな悪趣味な怪物など使いません! あなたも昨日のキューちゃんを見たはずじゃないですか! キューちゃんをあんなのと一緒にするなんて失礼です! キューちゃんに謝ってください! 輝さんも!」
「俺も!?」
そう言うと、ロロンは一枚の紙を出し、それを無造作に机に置いた。
紙には昨日の怪物、いわゆるキューちゃんが描かれており、どういう原理なのか、紙の中でそのキューちゃんは静かにたたずんでいる。
だが、静止画ではない。紙の中で生きているのだ。
「ちょっと、なにこれ……」
祐希が思わず声を上げる。
輝も驚きはしたが、これまでの例から考えても、なにが起こっているのかすんなり理解できた分、声が出なかっただけだ。
ほとんどロロンとの接触も無かった祐希からすれば物珍しいに違いない。
「でも、こう見るとちょっとかわいいかもしれない……」
「いや、そうか……?」
「あっ、わかりますか」
祐希までそんなことを言い出して、輝はさすがに考え込む。キューちゃんはそんなにかわいいのだろうか?
輝にはわからない。
「か、勘違いしないでよね。あくまで、こう見ると、よ。今度出てきたらまた切り伏せるんだから」
「もうキューちゃんは出しませんよ。昨日ひどい目にあいましたし……」
「そうしてもらえると助かるわ。しかし、さっきのあの怪物はあなたが出したわけじゃないのね……。じゃあいったい誰が?」
「なんとなく、目処は付いているのですが……」
「いいからお前ら、席に戻れ! 授業を再開するぞ!」
教師がそう促し、祐希とロロンも渋々自分の席へと戻る。
そして、何事も無かったかのように授業は再開した。
「……怪物の扱いも安くなったな。まあ、昨日の時点で大概だったが……」
もはや半休さえもなく、日常のちょっとしたアクシデント扱いとなっているのだ。時間にして十分にも満たない程度の中断である。
どこかの不良がグラウンドに乗り込んできたほうがまだ中断時間が長いのではないだろうか。
「二番煎じでは、報告書になりそうも無いな……」
先ほどの怪物が消えた箇所を見ながら、輝は今後の方針について考える。
気になる点は二つ。
ロロンの報告書を書くために次になにをするべきかということと、今日現れたあの怪物を操っているのは誰かということだ。
昨晩残されたククスのメッセージを思い出す。
敵である後継者候補。もしそれが事実なら、ロロンと同等の力を持っていると考えるべきだろう。
現に、ロロンと同じように怪物を出現させてきたではないか。
「しかしそれ以上に問題なのは……」
窓から教室へと顔を向け、真面目な表情で授業を受けるその最大の問題をみつめる
今日の怪物の主の強さはわからないとはいえ、一連の出来事からわかるのは、それ以上に勇者である祐希の強さが際立っているということだ。
キューちゃんなどの怪物をまったく問題にせず一瞬で撃退するあたり、まともにやり合ってロロンが勝てる相手で無い気さえする。
「となると、大掛かりなことはできそうもないか」
時間をかけるほど、祐希と遭遇する可能性は上がる。
当然、向こうもこちらを警戒しているはずだ。それはこれまでの態度でもわかる。
「まあ、やるだけやってみるか」
退屈な授業の中、輝はそのプランを練っていた。
「で、あなたたちは昼ごはんはどうするの?」
昼休みのチャイムがなるとほぼ同時に、祐希が輝の元へと寄ってきた。
普段はそんなことなどしないので、明らかにロロンを意識しての行動だろう。
「いや、いつもどおり、購買でなんか買って食べるつもりだったんだが」
「輝、あなたはどうでもいいのよ。私が気にしてるのは、そっちの転校生よ」
そんな祐希の強気な姿勢に、輝もロロンもあっけにとられる。
「学校では停戦のはずではないですか。それなのにあなたは、私の情報を集めてどうしようというのですか」
祐希の態度に当てられたのか、ロロンも若干言葉が喧嘩腰である。
それに驚いたのは、むしろ輝より祐希のほうだった。
「あ、いや、情報を集めるとか、そんな深い意味は無いわよ。ただ、魔界人ってなにを食べるのかと思ってね」
「それならそういえばいいだろうに。なんで勇者様はわざわざ余計な問題を起こそうとするのか……」
輝がさらに追求すると、祐希はますます縮こまっていく。余程悪気なく先ほどの発言をしたらしい。
「輝と同類だと思ったから、いつも輝に言ってるようなのでいいかなと思って。魔王だし。そっち系かと……」
小さくなっていく祐希の声色を聞きながら、輝は輝で自分を顧みて首を振った。
輝の扱いはキャラだが、ロロンはこれが本人の性格なのだ。それは輝自身も欠けていた部分である。
もっとも、ロロン自身はまだ納得がいっていないようで膨れっ面のままである。
「そっち系とはなんですか、そっち系って! 私はいつも真剣に魔界の後継者を目指しているのですよ!」
勇者に対して説教をする魔王候補というのは、実に不思議な光景である。もっとも、ロロンのその言葉もさらに輝をえぐるばかりであるのだが。
「まあ、そこまでにしておけ。ここは痛み分けだ」
そう言ったものの、実際に痛い思いをしたのは輝なのであるが。
「で、実際のところどうなんだ、魔界人はなにか特別な食事をするのか? いや、喋るとまずいことがあるなら喋らなくていいが……。そもそも今日の昼はどうするんだ?」
魔界人の食事として、一瞬グロデスクな想像が浮かんだので、輝はあらかじめそう釘を刺した。
「私ですか? 私はまあ、輝さんと同じものを食べようかと。魔界では魔力供給さえ受けていれば食事も必要ありませんでしたが、こっちだとこの身体を維持するためにも食事が必要ですしね」
色々とおかしなことを言ったものの、そのあたりは想定の範囲を出ることもなかったので、輝も適当に聞き流す。
祐希も同じだったらしくそこには追求しなかったが、どうやら、それとは別の問題点を感じたらしい。
「駄目よ、こんな輝と一緒の昼食なんて。どうせ購買の売れ残りの不人気菓子パン三つなんでしょう? それより、私のお弁当分けてあげるから、一緒に食べましょう。あっ、輝はさっさと購買で菓子パン買ってくれば。不人気パンといえど、遅れると売り切れるわよ」
「行けるものか、この状況で」
さすがにロロンと祐希を二人きりにするわけにもいかず、祐希やロロンからの差し入れも断り、輝は空腹のまま席に座って外を見つめていた。
そして放課後。
途中巨大な怪物が出現したにもかかわらず、問題が無いとわかるや否や、この学校はそのまま平常通りの授業を続けて放課後を迎えたのである。
生徒も、教師も、あの時以降特にそれを問題にもしていない。
輝もまたいつもどおりの放課後を迎えてはいたが、彼には考えを実行に移すためにすべきことがあるのだった。
「問題は、どうやって祐希を振り切るかだな……」
あの身体能力から考えて、普通に逃げたところで追いつかれるのは目に見えている。
正攻法はまず通じないと思ったほうがいい。
「輝さん、今日はどうします? なにか良い案でも浮かびましたか?」
「いや、まだだ。ただ、試しておきたいことはある」
それだけ言って、輝はロロンに一枚の紙を渡す。
ロロンの使うような特殊な力は無い普通の紙だが、そこになにを書くかで充分、特別なものになる。
「いいのですか、これ」
「害が及ばないなら問題ないだろう」
祐希の能力を見極める意味でも、いくつかの実験を行う必要がある。
「とりあえず、学校ですることはないな。今日はさっさと帰ろう」
「あらあら、お帰り?」
そんな輝たちの動きを目ざとく見つけ、祐希がおもむろに接近してくる。
その態度はやはり、あからさまにこちらを監視する気満々である。
なにしろ学校が終われは停戦協定も終わりなのだ。向こうもなんとしかしてこちらの動きを阻止しようと考えていることだろう。
輝はそれを見て手で合図をし、ロロンが、手筈通りになにかをつぶやいた。
「あー、祐希? ちょっといい?」
教室に残っていた他の女子が、祐希に声をかける。
「今だ。じゃあな、祐希」
「あっ!」
その隙に輝とロロンは教室を抜け出すことに成功した。
「しかし、この手もそう何度も使えそうも無いな……」
輝の打った手は、ロロンの力を使って他の生徒を誘導し、それを利用して祐希を抑えるということだった。
今頃祐希は、さして重要でもない用件で足止めを食らっているはずである。あの祐希の友人だって、別に祐希に用事は無かったはずなのだ。
追いかけてこないところをみると、どうやら作戦はうまくいったらしい。
こうして今日はなんとか祐希を振り切ったものの、輝は今後のことを考えると気が重くなるばかりである。
ロロンが輝の家に居候している点も含め、まだまだ問題は山のようにあるのだ。
だが悩むよりも、今は今すべきことを考えねばならない。
なにかしら報告書を書くためのアイディアを探しに、駅前を中心に、街の案内もかねて二人でブラブラと適当に歩き回る。
輝自身、食べ損なった昼食の分を埋めておかねばという考えもあった。
駅前のファストフード店に入り、腹に詰め込む。
なんでも珍しく見えるらしく、ロロンは様々なものに興味を示したが、中でも一番関心を持っていたのは、ちょうど店の近くで行われていた街頭演説だった。
「えー、私が市長になった暁には、この町に活気を取り戻します! そのために私はまず、この駅前を、もっと人々の交流に役立てる場所にして、地域の活性化を図りたいと思うのです!」
大声を張り上げて候補者が自らの政策を訴えている。
はたしてどこまで効果があるのか、輝にはわからない。
だが、もう一人の考えは少し違うようだ。
「なるほど、この世界の人々は、ああやって人目をひきつけるんですね」
何度も大きくうなずきながら、ロロンはその光景を焼き付けるかのようにじっと見続けている。
食べ終わって店を出た後も、他の人々はさして気にすることも無く通り過ぎていく中で、一人だけその演説の光景を見ているのだ。
そのロロンの風貌も相成ってかなり目立つはずで、実際、その候補者もチラチラとこちらに視線を向けてくる。
もっとも、あいにくながらこの少女には二重の意味で選挙権は無いのだが。
「しかし、どこにでも多くの人はいるものですね」
魔界は、おそらくそんなに人が集まることもないのだろう。歩いていく人々にさえロロンは興味を示し続けている。
この町を見たら、魔界の人々は皆、こういった反応を示すのだろうか。
もしそうならば、今後の報告書の作りかたや報告すべき内容もさらに考えるべきことがあるだろう。
「まあな、だが、ここよりもっと人が多いところもあるぞ」
それを確認する意味でも、輝はロロンをある場所へと向かわせた。
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