学校
そして今日も居間に二人で座る。
ロロンが現れてからというもの、輝がこの部屋を利用する時間は明らかに増えていた。
「それで、結界と言ったが、いったいどういうことなんだ」
「どうもこうもないですよ。あれは私たち魔界の者を弱体化させる領域を作り出す結界です。あの勇者は、そこまで手を回していましたか……」
ロロンは一人で憤慨しているが、その結界を実感できない輝にはまったく理解の外側の話だった。
「なるほど結界の効果はわかった。それで、その結界とやらはこっちの家まで影響があるのか?」
「いえ、結界の範囲はあくまで、あの正面の家だけのものです」
「じゃあ、無視していいんじゃないか」
それを聞くと、途端にロロンの頬が膨らんだ。
「てっ、て、輝さんは、まさかあちらの肩を持つのですか? 相手は勇者なんですよ、勇者!」
「そう言われてもだな」
祐希が勇者であることを知ったのはつい昨日の出来事で、輝の中ではまだ整理できていないのである。
確かに、勇者としてのすざましい身体能力は見た。
だが、ロロンが現れるまでは、なんだかんだで変わらぬ日常を過ごしてきたのだ。
いきなり勇者だと言われても気持ちを持っていく場所が無い。
「昨日のキューちゃんに対する仕打ちも見ましたでしょう。勇者の存在は、必ず、私たちにとって問題になるんです!」
やる気の無い輝を見て、ロロンは大げさな身振り手振りを交え、いつに無く強弁を振るう。勇者はそれだけロロンにとっては巨大な存在であるらしい。
「それで、結界を破壊したいわけか」
「はい。そうすれば私たちの力もアピールできますし」
そう語るロロンの表情はあまりにも自信に満ち溢れており、輝はあきれ果てるばかりである。
ひとまず呼吸を整え、あらためて、ロロンに向き合って静かに口を開く。
「力のアピールはまあわからなくも無いが、結界以外にも影響が出るのは大問題だ。いきなり正面の家が壊れでもしたら、俺の生活にも支障をきたすだろう」
輝の言葉は切実であった。
「それに、祐希の家だけじゃなく俺の家にまで影響があるかもしれないならなおさらだ。お前、この家が壊れたらどうするつもりだったんだ」
「まあ、大丈夫だと思いますが。壊れたら壊れたで、新しいのを作ればいいじゃないですか」
「お前な……」
こういう話になるたびに、ロロンとの価値観の違いが浮き彫りにされる。
輝が問題と考えることは、ロロンにとってはなんの問題でもないということが多すぎるのだ。
「とにかく、結界の件は保留だ。祐希の家のも含めてな。それより、問題は今日の学校の件だ。祐希と問題を起こすなよ」
「だからそれは、向こうが……」
「祐希のほうにも俺から言うから、とにかく、学校での揉め事はやめてくれ」
そんな風に言いながら、輝は自分自身が今の状況を守ろうとしていることに気が付き、心の中で苦笑する。
結局自分も、力や変革などよりも、ささやかな日常の方が大切なのだ。
なんと無力で平凡なことか。
「しかし、それでは今後の活動はどうするのですか。あの勇者は、間違いなく今後障害になってきますよ」
「確かに、そこは考えないといけないな……」
手痛い問題を突かれ、輝もさすがに言葉を濁すしかない。
祐希が強い信念を持ってロロンの妨害をしてくる以上、今後の対立は避けられそうもない。しかし、祐希を倒すなど、輝には考えも付かない。
「輝さんの言いたいこともわからないわけではないのです。今までのご友人だったのでしょうし、戦いたくはないでしょう。しかし、ちゃんと現実を見てください。あの方は勇者で、私たちの計画を妨害する敵なのですよ」
ロロンに現実を見ろと言われるとは、なによりひどい現実もあったものだ。
「そのあたりもふまえて、もう一度祐希とちゃんと話をするべきだ。いくら勇者と魔王とはいえ、対立ありきでは話にもならないからな」
「……わかりました。輝さんがそこまでおっしゃるなら、一度話をしてみることにします。しかし、輝さんはあくまで私の報告官ですからね。それだけは忘れないでくださいね」
不満むき出しの姿勢で強く念を押されて、輝はただ無言でうなずいた。
胸の奥に小さな違和感がうごめく。
「ところで、報告官としての任務を遂行させてもらうためにもひとつ確認するんだが、今は特に報告書の任務は来てないだろうな」
様々な感情を誤魔化すように、輝はそう話を切り替える。
だが、切り替えた先の話もまた、輝を困惑させるには充分なものだった。
「あっはい、来ています」
「来ているのかよ!?」
まさか本当に来ているとは思いもせず、輝は自分で聞いておきながら驚きを隠せなかった。まずなにより驚いたのは、ロロンがまた報告を怠っていたことだ。
「いえ、まあ、今回は提出日にも余裕がありますし、大丈夫ですよ」
「大丈夫かどうかはこちらで考えるから、まずはちゃんと報告書のテーマを伝えてくれ……」
報告官としての任務の一番の障害はこの少女なのではないかという考えは、もはやかなり確信に近い。
「それがですね、今回はテーマが『自由』なんですよ……」
「はあ、自由、だと……」
そう聞いて、輝は少し考え込む。
おそらくは言葉の通りなのだろうが、そういわれても悩ましい。
それでもひとつだけ確信を持っていえるのは、この少女を自由にさせてもろくなことにはならないということだ。
「その自由というのは、自由についてなにかをすることなのか、それとも、なにをするのかこちらが自由に決めるということなのか?」
「うーん、どうなのでしょうね。単にテーマが『自由』であるとしか伝えられていませんから」
「そのあたりの補足も兼ねての試験というわけか」
輝は、その自由と言うテーマについて考えてみる。
これまで提出した報告書とその反応や評価を振り返ると、テーマについての考え方はかなり融通が利くものになっていると思われた。
自由と言うのなら、おそらく本当に自由に書いても問題が無いことだろう。
しかしその一方で、本当に自由に、なんのテーマも無しに進めてしまっては、ロロンをコントロールしきれないのではという不安が残る。
「それで、このテーマの締切はいつなんだ」
「えっと、こちらの時間で言うと、三日後ですね」
「そうか……」
決して猶予があるともいえなかったが、これまでの無茶なスケジュールに比べれば輝の気持ちにも余裕があった。
少なくとも、寝て起きる間に考えることは出来るだろう。
それさえも不可能だったこれまでのスケジュールがおかしすぎたのだ。
「まあ、考える時間があるのはいいことだ。ようやく充分練った報告書が提出できそうだな……」
とはいえ、ロロンの言い分ではないが、今後はロロンの計画に対して、祐希の妨害が入ることが予測された。
それをどうにかやり過ごすためにも、今日の学校でのやり取りが重要になる。
今や輝の脳内は、これから起こるであろう二人の衝突をどう裁くかで一杯である。
少なくとも、魔王候補生としての活動中以外は問題が起こらないようにしなければならない。
「さあ、輝さん、そろそろ学校に行きましょう。学校を見て回らないと」
「さすがに、その余裕はもう無いな……」
「大丈夫ですよ。パッと飛んでいけば、すぐに着きますから」
「いや待て、お前、飛んでいくつもりなのか……」
思えば昨日もそうやって学校から去って行ったロロンだが、登校にもその手段を使うつもりらしい。
「いけませんか?」
「当然だ。飛行は目立ち過ぎる」
「うーん、駄目ですか」
名案を潰されたように残念がるロロンを見て、輝は自分がどこまでロロンの暴走を止めなければいけないのかが不安になってくる。
こんな少女をまともに祐希にぶつけるわけにはいきそうもないし、自由というテーマを委ねるわけにもいかない。
「まあ、ひとまずは学校へ行こう。そろそろ時間的に危なくなってくる。朝食は昨日のパンが残っているからそれでいいな」
輝にとって学校に行くことがこれまでで一番憂鬱だったが、これまでで一番学校に行かねばならぬ日なのだ。
「しかし、世界の方が先にこうも変革していくとは、まったく、聞いてないぞ……」
玄関を出て、見た目にはなにも変わらない自分の家と祐希の家を見て、輝は自分の平凡さを思い知る。
ロロンには、祐希には、この世界はどう見えているというのだろうか。
「ほら、輝さん、行きますよ!」
先を進むロロンの呼び声を聞いて、輝もまた歩き出す。
いつもと同じ通学路が、その日はまったく別物に見えるようだった。
「あら、輝に転校生さん、今日はちゃんと授業を受けるのかしら」
教室では既に祐希が待っていて、教室に入るなり、いきなりそんな言葉が浴びせられた。
有佐祐希と道崎輝は向かい同士の家に住んでいる幼馴染みなのだが、一緒に登校することはまず無かった。
輝自身は大体ギリギリの登校だし、祐希の方は祐希の方で、部活の朝練に参加している生徒以外では、ほぼ最初に登校しているのである。
ゆえにこういったやり取りはいつものことといえばいつものことではあったが、今日は少し事情が違う。
「随分なご挨拶ですね。勇者さん」
負けじと、輝の横にいたロロンが反撃に出る。
すぐさま、教室全体が不穏な空気を感じ取って緊張感に満ちる。
他の生徒は屋上でのやり取りを知らない分、なぜこの二人がここまでいがみ合っているのかはわからないはずなのだが、それでもお互いに譲れないものがあるのは伝わっているのである。
そして実際にそんな場面となって、輝は今自分がなにをすべきかをあらためて考える。
ひとまず、入り口に立ったまま祐希とにらみ合うロロンを、机まで引っ張っていって座らせる。
もちろん、それで収まる祐希でもない。
ゆっくりと、こちらの席に向かってくる。
「教室に侵入して、いったいなにをたくらんでいるのかしら。魔王様」
「魔王ではありません、まだ候補者の一人です」
「そこを訂正するのか……」
転校生と変人の幼馴染み、二人の美少女が感情むき出しでいがみ合っているのだから、クラスの注目を集めないわけが無い。
「なんで揉めてるんだ、あの二人?」「そりゃ、道崎についてじゃないか」「なるほど、関連があるとしたらそこか」「奇行が目立っても、モテる奴はモテるんだな」「やりきれないぜ」
そんな野次馬のいい加減な反応に輝はただただ呆れるばかりだったが、野次馬になにを言われようと、目の前の問題を放置しておくわけにもいかないのも事実だ。
「とりあえず、教室であまり目立つようなことはするな」
「輝がそれを言うんだ……」
嫌味を込めた祐希の言葉が飛ぶ。
輝自身、普段の自分の言動を顧みると今の発言が矛盾だらけであることは自覚しているが、実際に問題が起こってからでは間に合わないのだ。
「お前たちは、自分の能力の使い道を理解していないからな。なにをしでかすかわからん。だからこそ教室、いや、学校では停戦協定が必要なのだ」
輝の言葉にロロン、祐希双方共に納得いっていないようで、それぞれが眉をひそめ、頬を膨らませながら輝に食って掛かる。
「輝さん! あなたは私の報告官なのですよ。それが、今の言葉はどちらの味方なのかわかりません!」
「そんなこと言って、私を罠にかけるつもりなんでしょう? 魔界の者の考えそうな姑息な手ね」
「な、なんですか、その言い草は! これだから勇者は!」
「なによ!」
「なんですか!」
「だから、そこまでだ!」
再びヒートアップする二人を引き離し、輝は大きく首を振った。
不満げながらも、二人もさすがに少しは冷静さを取り戻したらしく黙りこむ。
「いいから、この教室では能力のことも立場のことも忘れろ。クラスの一人と転校生、それだけだ」
「あなたはどうなのよ、輝」
「俺も教室では力を振るわん。真の力を持つ者は、その力の重大さを理解しているものだからな……」
実際には振るう力など持たない輝なのだが、それでもあえてそう宣言する。
「お前たちも、もう少し自分の力について考えることだな。魔王や勇者の力を教室での痴話喧嘩に使って、その結果が世界滅亡などになったら、笑い話として来世でも語り継いでやる」
祐希もロロンも、そんな輝の言葉を聞くと、もうそれ以上はなにも言わなかった。
しかしざわめきが収まらないのは野次馬たちである。
輝はあえて大げさな身振りで自分へと注目を集め、力強く、そしていつもどおりに宣言した。
「なんだ、うらやましいのか? だが、この力の先に待っているのは地獄だぞ? もしそれでもかまわないと言うのなら、お前たちもそれを掌握するだけの『能力』を身につけることだな。もっとも、俺自身まだ制御し切れていない能力だ。そう容易いものではないだろうがな……」
その言葉で、場の空気はいつもの輝を見るものへとに変わる。
それと同時に教師も教室へとやってきて、ロロンと祐希の問題は、ひとまずは先送りとなった。
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