声々

 ……どれほどの時間が流れたのだろうか。

 そこから先に起こった出来事は、輝もはっきりとは覚えていない。

 たとえ耳を塞いだところで、マイクによって増幅された凶暴性を遮断するなど無理な話だったのだ。

 観衆の多くは最初の一声を聞いた時点で危機を感じてその場を去り、残った不幸な観衆は、それを最後まで聞くことになった。

 否、その場から動くことすら不可能だったといったほうがいいだろう。

 とにかく、歌が終わったとき、すぐに動けるものは皆無だった。

 立場上そこを立ち去れないロロンは、まるで立ったまま気絶しているように身動きせず、キューくんたちは既に倒れている。

 観客達も皆、座り込んだり立ち尽くしたりしてただただ呆然としているばかりだ。

 ただ一人ステージ中央で、その惨劇の張本人だけは満足げな表情を浮かべている。

「あー、久しぶりに全力で歌ったわ」

「お、お前、自分がなにをしたのかわかっているのか……」

 一番最初に正気を取り戻し、輝はステージに上ってその破壊者を問い詰める。

 だが輝がそう問い詰めても、祐希は知ったことではないというかのように胸を張っている。

「まったく、誰も私の歌を理解できないなんて、かわいそうに」

「て、輝さん……、この勝負、私の勝ちでいいんですよね……」

 搾り出すようにロロンがそう問うてきた。

 正直に言えば、輝はロロンの歌がなにを言っているのかまったく理解できなかったし、勝っていたとはまったく思えなかったが、対戦相手が下へと突き抜けすぎた。

 輝の中学時代、二年三年時の合唱コンクールが消えた原因は、一年生の時の合唱コンクールで死者が出たからだというのは輝たちの中学校のまことしやかな噂だった。

 もちろんそれは事実ではないのだが、人々にそう思わせるなにかが確実に存在していたのだ。

 そして今、輝はその噂が嘘であることのほうを疑っていた。

「ああ、それでいい。もうそれでいい……」

「なによそれ……。まあいいわ。今回はどうやらあなた達の野望を潰せたみたいだし。これに懲りたら、もう悪いことは考えないことね」

 それだけ言い残して、祐希は多くの屍の山を築き、高笑いと共に去っていく。

「なんだったのかしら、あれは……」

 他の観衆もようやく正気を取り戻し、過ぎ去った嵐の状況を確認するかのようにおのおの立ち上がり周囲を見回す。

「しかしこの様子じゃ、もう今日続きをするのは無理そうだな。というか、どうやって用意したんだ、これ……」

「もちろん、この店に頼んで用意してもらいました」

「えっ」

「正確に言えば、魔界のほうから手を回してもらって、この店に掛け合ってもらったのです。あと、今日には間に合いませんでしたが、魔界の資本の入った企業によって、この店舗の買収の手筈も進めています。これでこの店を占領したも同然ですね」

「なんてことだ……」

 話のスケールの大きさに、輝はもはや思考停止寸前だった。

 祐希の能力が尋常ではないことを思い知ったが、それ以上に、ロロンの隠し持つ様々な力も想像をはるかに超えている。

「ああ、しばらくここの片付けがありますんで、輝さんはしばらくゆっくりしていてもらっていいですよ」

「ああ、ジュースでも買ってくるとしよう……」

 そして輝は席を立ち、一人で歩き出した。


「あらら、あなた、ずいぶん苦労していますわね」

 自販機の前、不意に、後ろから声がかけられた。

 振り返ると、そこには見知らぬ美しい女性が一人。

 雪のように輝く長い銀髪に、鋭い眼と形のいい顎。

 ロロンとはまた違った意味で、この世のものとは思えない姿である。

 だがそれ以上に、中世の貴族を思わせるような浮世離れしたまるでドレスのような服装が、その女性を、別世界の存在と思わせてくる。

「えっと、あなたは……」

「あの魔王後継者について、お話ししたいことがありますの。これを……」

 輝の言葉に、女性はただ、一枚の紙を渡してくる。

「っ……」

 その紙に手を触れたとき、輝は、ロロンの使うあの特殊な紙と同じ感覚を覚えた。

 慌てて女性のほうを見るが、既にその姿はどこにも無い。

「なんだったんだ……」

 再び紙に目を落とす。

 そこには整った美しい日本語で、ただこう書かれている。

『あなたと詳しい話がしたい。今夜十二時、あなたの学校で待つ』

 その文を見て、輝はただ無表情にメモをポケットへとしまいこむのだった。


 その日の夜。

 謎の女性に手渡されたメモのことをロロンに相談することも無く、輝は一人、今日の出来事を報告書にすべく書き出していた。

「輝さん、なにかあったのですか?」

「いや、なにも」

 あのメモのことは、ロロンには黙っていた。

 間違いなく問題が大きくなるだけだと確信していたからだ。

 あの女性こそが、ククスの言っていた『他の後継者』なのだろう。

 おそらく、こちらの動きを遠くから監視していたのだ。

 相談をするにしてもククス相手の方がいいと思っているのだが、そのククスも現れる気配は無い。

「報告会で相談……も難しいな」

 報告会での態度を思い出してみても、現状の元老院は、ロロン派以外の審査員も多そうである。下手な発言はこちらの立場のほうを危うくする。

 そのためにも、相手の尻尾を掴むことが必要になる。

「ところでロロン、この報告書、提出は三日後まで待つのか?」

「いえ、完成次第提出で大丈夫なはずですよ。あれ、でももう出しちゃうんですか? 輝さんのことだから、てっきりもっと練るものかと。ようやく考える時間が出来たとか言っていたじゃないですか」

「いや、ちょっと確認しただけだ。提出は、まあもう少し考えることにしよう」

 輝自身も、これからどう動くべきかについてはまだ迷っている。

 いったん提出だけしてしまって相手に揺さぶりをかけるか、それともこの一件をしばらく泳がせて相手の出方を待つか。

 メモに書かれた呼び出しの指定が今夜である以上迷っている暇は無いのだが、そのことが返って輝に迷いを生んでしまうのである。

 そしてその迷いが輝の手を止める。

 報告書を進めようにも、なにを書くべきかさえ決められないままなのである。

 自由というテーマもまた、今日の輝が判断を下すには少々曖昧すぎる

「駄目だな、今日は。提出するにも書けやしない。やはり素直に眠り、明日以降に備えたほうがよさそうだ。ああ、眠い眠い。これはもう寝るしかないな」

 それは本心でもあったが、わざとらしくそう口に出したのは、ロロンに対して今日はもう眠るというアピールでもあった。

「あら、そうですか。では、私もそうしましょう。今日はさすがに疲れました。特に、祐希さんの歌とか……」

「ああ、あれはひどかったな……。じゃあな、おやすみ」

 そして輝はロロンが間借りしている部屋へと入っていくのを見届けた後、自分もまた部屋へと入っていくのだった。

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