兄妹

 結局ロロンはその後も教室に戻ってくることはなかったが、そもそもそれ以前の問題として、謎の怪物騒ぎでその日の授業は全休となった。

 とはいえ、校舎等にほとんど被害が無かったこともあって、明日からの授業は予定通り行うとの通達はすぐに行われ、輝はこの学校の思いがけないタフさに少々驚いたものである。

 そしてそんな学校の対応と同じように、教室の反応も、怪物を見た驚きはあったようだが、予想以上に平然としたものだった。

 祐希が勇者であることも、怪物が出現したことも、事実として受け入れてすぐに消化してしまったのである。

 特に祐希に対してはもう少し注目が集まってもいいようなものだが、普段から祐希と仲の良かった女子数名がちょっと話題にした程度で、これといって話が膨らむこともなさそうだった。

 祐希もそのほうがやりやすいと言うばかりで、気にする様子もない。

 輝が見てなにより感じることは、どうにも全体的に危機感が希薄なのである。

 あれだけの怪物に対して、まるで地震や台風といった、ちょっと大掛かりな自然災害程度の反応でしかないのだ。

 危ないし気を付けなければいけないが、しょせんそれだけのことでしかないといった感じなのだ。

 校門前の銅像が壊れていることに対してもそれは同じだ。

 購買部で投げ売られていたやきそばパンをかじりながら、輝はしばらく銅像を遠巻きに眺めていたのだが、銅像横を通る生徒達の反応は実に冷めたものである。

 元の印象があるためさすがに大半の生徒は一瞥をくれ、多少は驚いたりはするのだが、結局その程度どまりでしかない。携帯などで写真を撮ろうとするものさえいないのだ。

 輝はあらためて、自分の破壊したもの、破壊しようとしたものの小ささを思い知るのだった。


「ああ、輝さん、おかえりなさい」

 帰宅すると、ロロンが当たり前のように居間から出てきて、玄関で出迎えてくれた。

 わざわざ玄関まで出て来てくれたのはいいが、それは中でくつろいでいたということの裏返しでもあり、輝としては複雑な感情にならざるを得ない。

 実際、居間からはテレビの笑い声が聞こえてくる。

「いや、お前、なんでここにいる……」

「あれ、まだ言っていませんでしたっけ、これからあの学校に通うのにあたって、この家を拠点にさせてもらうのですが」

「……聞いていないぞ、そんなこと」

 いきなりの宣告に輝は玄関で頭を抱えて座り込む。

 確かに今は両親もおらず、部屋自体も持て余し気味な輝の家ではあったが、それでも、いきなり居候をすると言われても対処に困る。

 ロロンのほうはそんな輝の様子を見てしばらく考え事をしていたが、やがてなにかを悟ったらしく、ひとつ手を叩いてニッコリと微笑む。

「ああ、お金のことでしたらご心配いりませんよ。ちゃんと家を借り受ける代金や自分の生活する分は生活費として輝さんに収めますので」

 輝の悩みを勝手に察知してロロンが出した答えはそれだった。

「いや、生活費以前に、お前、魔界に帰ったりはしないのか」

「よほど重要な用件でもない限り、後継者試験の期間中は極力こちらの世界で暮らさなければいけないことになっていますので。これからよろしくお願いしますね」

 そう言って、にこやかにお辞儀をするロロン。

 もう完全に住み込む気満々である。

 となると、問題はもうひとつ、年頃の男女がひとつ屋根の下で暮らすことについてだ。

「その、ロロンは大丈夫なのか、この家で住んで……」

「特に不便はないと思いますよ。幸い、空き部屋もあったので家を拡張する必要もなさそうですし」

 輝の心配の意味をまったく理解していないようで、ロロンは相変わらずの暢気さでそう答えるだけである。

「まあ、お前が問題ないというならもうそれでいい。それより、今の問題は今日の報告書のほうだ……」

 輝はロロンのこの件についての問題をすべて諦め、目下の問題についての言葉を切り出した。


 輝は居間でロロンと向き合い、今回の活動について話し合っていた。

「問題としては、結局今回なにを破壊できたのかということに尽きるな……」

「銅像を破壊できたじゃないですか」

 さも自慢げにそういうロロンだが、輝のほうは帰宅の際に見た、一瞥されるだけの壊れた銅像の光景を思い出し、ため息をつくばかりである。

 あの破壊は、ほとんどなんの影響ももたらさなかった。

「物理的にはな。だが、あの破壊がなにをもたらした?」

「ええっ、皆さん驚いてくれなかったんですか!?」

「残念なことにな」

「それは、残念です……」

 それを聞いたロロンは、本当に残念そうな顔をする。

「キューちゃんのほうもほとんど成果を挙げられませんでしたし、さすがに今回は無理でしょうか」

「まあ、多少か考えてみるが……」

 そして輝は、自棄であることを示すかのように、購買部で叩き売られていたコロッケパンにかじりついた。

 急な休校で生徒たちがさっさと街へと散っていったため、今日の購買部はすっかり活気をなくし、在庫を余らせていたのである。

 きっちりと営業を続けていたあたり、その価値観は平然とした対応をとり続けた学校や生徒達との大差は無いのだが、それでも仕事柄、休校の影響をモロに受けた形となったのである。

「このパン、もらっていいですか?」

 輝が食べているのをずっと気にしていたロロンが、机の上に置いてあったもうひとつの焼きそばパンを見てそうたずねてくる

「ああ、どうせ格安で買ってきたんだ。普段なら人気商品でなかなか手に入らないんだが、さすがに今日は投売りだったからな」

「なるほど、私たちの破壊の成果による価格破壊ですね! あっ、このパン、おいしいですね……」

「うまいこと言ったつもりか……、いや、その方向もあり、か……?」

 漠然と、輝の中でなにかがつながり始める。

 そして輝は、報告書の案を練り始めた。


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 ロロン・マドルーナ・ヴァラークンの地上における破壊活動について。

 報告官 道崎輝


 前回、城を破壊するという大規模な破壊活動を行ったロロンにとって、今回の直接的な『破壊』という課題は、実に難しいものであった。

 規模を大きくしただけの安直な破壊では、おそらく、前回を越える規模のものであっても、前回を越える印象を与えることはできない。

 ロロン自身最初は規模を口にしていたが、本質的にはそれではなにも変わらないことを察しており、彼女が提案したのは物理的な破壊ではなく、その破壊活動を人々に知らしめることによるより概念的な破壊であった。

 そのためにまず彼女が行ったのは、学校の象徴ともいえる銅像の破壊である。

 この件は現時点ではあまり成果が上がってはいないものの、どちらかといえば宣戦布告的な意味合いが強く、銅像を破壊したという事実は、今後大きな意味合いを持ってくると思われる。

 そしてその後、ロロンが行った破壊活動は、彼女の使役する怪物『キューチャン』によって完成を見ることになる。

 確かに、その怪物の巨体を持ってすれば、大規模な物理的破壊も可能であったことだろう。しかし、今回は勇者を名乗る存在による妨害もあり、まことに遺憾ながら、キューチャンは物理的な破壊を成しえぬまま倒されることとなってしまった。

 だが、先にも述べたとおり、ロロンの目的は物理的な破壊ではなく、もっと多彩な、概念としての破壊である。

 まず、キューチャンを出現させたことにより起こったのは、学校授業の混乱である。

 キューチャンが物理的にはなに一つ破壊せずとも、その巨大な存在だけで日常生活を破壊することを知っていたのである。

 実際に、勇者がたとえ一瞬でキューチャンを倒そうとも、その出現だけでロロンはすでに勝利を手中に収めていたといえる。

 さらに、日常の破壊はロロンの想定さえも超えた破壊の連鎖を起こし、人々のイレギュラーな行動によって、彼らの需要を見越した商店は普段の想定した売り上げを得ることができず、在庫を抱えるのを避けるために価格を引き下げて売りさばくことになったのである。つまり、その日の商品の価格をも破壊したということである。


 破壊という言葉に盲目的になることなく、破壊という概念そのものを破壊していったロロンの今回のあり方こそが、まさに、破壊者にふさわしいといえるだろう。


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「で、報告書ができたのはいいんだが」

 にこやかに報告書を受け取ろうとするロロンに対し、輝は報告書を遠ざけながら、釘をさすようにそう牽制する。

「なんでしょうか」

「この前のように、いきなり人にあったり報告会に出ることになったりして、時間をすっ飛ばすのは勘弁してくれないか。さすがに日常生活に支障が出すぎる」

「確かに、輝さんにご迷惑をおかけしてしまうのは不本意ですね。今回は時間も無いので少し難しいかもしれませんが、これからどうにか方法が無いか相談してみます」

「頼む」

「ふむ、では頼まれよう」

 突如、どこからか声がそう答えたかと思うと、居間に一人の男性が入ってくる。

 その姿は、その唐突さに似つかわしい、あからさまにおかしいものだった。

 中世の貴族ぐらいしか着ていないようなひらひらした装飾と金の縁取りに彩られた服に、右手には奇妙な杖が握るその姿は、まさに古い絵画に描かれるなんとなく高貴な人物であるかのようだ。

 一方で、顔は自分と同年代のようにも見えるが、はるかに年上にも見えるし、少し年下でもおかしくないようにも思える。

 だが、明らかに纏う雰囲気は別格であると感じられた。

 それは、この人物が類まれなる美形であることもあるだろうが、それ以上に、彼の表情に満ちる自信のようなものが作り出しているオーラであった。

 輝は突然の事態に、まじまじとその男性を見る。

 その人物とは初対面のはずであったが、見れば見るほど、全体的に、どこか見覚えがある気がしてくる。

「えっと、あなたは……」

「ふむ、そういえば、この姿では初対面となるのかな」

 そのひとことで、輝の中でも全てが繋がった。

 なるほど、この人物は魔界や報告会で話をしたあの人物なのだ。

 確かに、まったく違う姿に見えていたにもかかわらず、一度そういう認識を持つと、輝の目から見てもあのときの人物以外には見えなくなった。

「いえ、大丈夫です。その節はお世話になりました」

「なるほど察しがいい。さすがはロロンの選んだ報告官だ」

 その人物はそう言って、小さく頬を緩ませる。

 その言葉、特にロロンの部分にはどことなく優しさと自負があった。

「とりあえず、君の世界に来たのだから君の世界の流儀で挨拶をしておこう。私の名前はククス・マドルーナ・レム。マドルーナ家の長男で、君らの世界の言い方では、ロロンの兄ということになるだろうな。もっとも、ロロンとは父親が異なるから、私には継承権は無いのだがね」

 その言葉を聞いて輝はロロンの反応を見ようと部屋を見回すが、どこにもその姿が無い。つい先ほどまで居間の机にもたれかかって報告書を待っていたはずである。

 そもそも、この事態にあれほど騒がしい少女が黙っている時点でおかしいのだ。

「ロロンのことを気にかけてくれているのかね。それはありがたいことだ。ただ、あいにく、君の目の前に私とロロンとは同時に存在できないのでね。あの娘にはちょっと退場してもらっている」

 そう言われて、輝は前回の会話の際にもロロンがいなかったことを思い出す。どういう原理なのかはわからないが、どうもそういうことらしい。

「ところで、君の頼みである時間のズレだが、君の報告書については元老院の後継者審議会も高い評価をしているのでね、ある程度の融通は利くと思う。私がこうして君の元に来たのも、そのことを報告するためだよ。ロロンのせいで君に迷惑をかかるのも、私としては不本意だからね。ただ、そのためにはひとつ条件がある」

「条件……?」

 輝は思わずたじろいだ。

 ロロンもそうだが、彼らの価値観で物事を測られると、恐ろしい事態が待ち受けている気がする。

「なに、そんなに身構えなくてもいい。君にしてもらうことは、実際にはこれまでと変わらないよ。君には是非、ロロンを幸せにしてもらいたい、ただそれだけのことだ」

「幸せ、ですか……」

 ククスの目は本気である。それが意味することを考え、輝はしばし口を閉ざす。

 ククスの表情には強い期待と願いがにじみ出ており、迂闊なことは口にできそうもない。

 考えれば考えるほど、口の中が乾き、輝は一度つばを飲んだ。

 そして、ようやく答えらしい答えを口にした。

「彼女が後継者になれるよう、全力を尽くします」

 輝の答えはそこに落ち着く。

 その答えに、ククスはただ黙って輝を見ていたが、やがて小さく首を振って、再び語りだす。

「……違う! あっ、いや、違わないのだが、そうではないのだ。ロロンの後継者としての幸せだけではない。あの娘には、この世界で、もっとちゃんとした幸せも享受してもらいたいのだ。わかるかね?」

「はあ……」

 突然の雰囲気の変化に、輝はただ黙ってうなずくことしかできない。

「そういった意味でも、私は君には期待しているのだ。君は、ロロンを楽しませ、喜ばせ、幸せにできる。それだけの力を持っている。ロロンのことを知り尽くした私が言うのだから間違いない。あとは君が決意をするだけだ」

 その言葉の一つ一つに圧力を感じる。

 輝はいまさらながら逃げ場が無いことを悟る。

「……わかりました。最善を尽くします」

 その答えにもククスは薄く開いた目から重圧の視線を向けるだけだったが、やがて諦めたのか、大きなため息をついた。

「最善を尽くす! なんという無責任な言葉だ! もっとロロンに対しての真剣さを出してもらいたいものだな。……まあしかし、これ以上の議論は平行線のようだ。ひとまずはその言葉を信じることにしよう。それでは、報告会については追って連絡があるだろう。おそらく、君の世界、つまりこの世界で行われる形になるだろうな。それが君にとっても、もっとも都合がいいのではないかね?」

「そう、なりますね」

 漠然とした返事とは裏腹に、こちらの世界にあの魔界の元老院がやってくることを考えると、輝としては不安と緊張、そしてそれとまったく相反した楽しさや高揚感を覚えていた。

 ある意味では自分が、魔界を動かしたといってもいい状況なのだ。

 もちろん、その力の大半は自分ではなくロロンに帰するものなのだが。

「では、報告会の準備もあるので、私はひとまず帰らせてもらおう。ロロンのことは、くれぐれも、くれぐれもよろしく頼んだぞ。くれぐれもだぞ」

 何度も言い残しながら、ククスは颯爽と部屋を去っていく。

 廊下の向こうで玄関が開き、そして閉まる音がした。

 そしてククスが部屋を出て行くと、いつの間に戻ってきたのか、ロロンがソファにちょこんと腰掛けていた。

「お兄様が、また余計なことを言っていたみたいですね……」

 その言葉とともに、ロロンの口から小さなため息が漏れる。

「偉そうなことを言ったとは思いますが、あまり真に受けないでくださいね。お兄様は約束は守ると思いますが、だからといって、輝さんも約束を厳守する必要はありませんから。どうせいつもあの調子なのですし」

 ロロンのどこか突き放した口調が、輝にはこの二人の関係を表しているように感じられた。

「まあ、お前とあの人物の関係がどうであれ、俺のすることは変わらない。お前を後継者として導くだけだ」

「はい、輝さんはそれでいいんです。私も、輝さんにはそうあって欲しいですし」

 そしてロロンは飛びっきりの笑顔を輝へと向けてくる。

 そこまできっぱりと言い切られるとそれはそれで釈然としないが、この兄妹に対しては深くは考えないことだと自分に言い聞かせる。

「まあ、報告会がどうなるかだな……」

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