銅像

「……お前、いったいなにをした」

 教室を出るなり、輝はまずロロンをそう問いつめた。

 いくら輝が普段から浮いた存在であるといっても、さすがにあの対応は不自然だ。特に教師がなにひとつ行動を起こさないまま見送るはずもない。

 輝の見立てでは、あの不自然な静寂はロロンの言葉と共に始まっている。つまり、そこになにかしらの秘密があるはずだ。

 しかし、ロロンの答えは輝の考えをはるかに超えたものだった。

「いえ、なにと言われても、特に難しいことはしていませんが。ちょっと意識干渉の結界を作っただけですし」

「難しいことではない、だって……」

 平然とそう答えるロロンに、輝は思わず言葉を失い、その後、ありったけの大声で笑いたくになった。

 やはりこの少女にとっては、輝の求める力など造作もないことのようだ。

 むしろ、輝の質問に対して不思議そうな表情を浮かべているほどである。

 そんなロロンにとって重要なのは、自分の力よりも自分の行った行為のようである。

「それよりも、私たち、授業を抜け出してきたのですよ。私も少しは邪悪になれたでしょうか」

「邪悪、か……」

 そんな笑顔を向けられて、輝は言葉をつまらせる。

 確かに、授業を途中で抜け出すのはあまり褒められたことではない。

 しかしあそこまで大々的に断りを入れて開き直られると、本当に邪悪なのかそうでないのかもわからなくなる。

いや、正しくない行為のは間違いないはずのだが、そこに至るまでの過程やそれを実行するうえでの行動のおかげで、もうそういった善悪を超越しつつあるだろう。

 それにそもそもの問題点は、サボりという行為自体が持ちうる邪悪さの最大値のほうではないだろうか。

 どれだけド派手にサボっても、サボりはまあサボりでしかない。なにをサボるかでことの重大度は変わるかもしれないが、たかが学校の授業ではどう足掻いても強大な邪悪にはなりえない。

「……それで、お前がしたかったのは単なるサボりか? というか、なんでこの学校にいるんだ」

「ああ、そうでした。実は輝さんに相談したいことがあるのです。別にあのまま教室でお話してもよかったのですが、とりあえず私にも邪悪ができることをお見せしようと思いましたので」

「そうか……」

 自信満々の表情でサボりの邪悪自慢をするロロンに対して、輝はもうなにも追求しない。問題はおそらくこのあとにやってくる。

「で、なんだ、相談とは」

「はい。実は、新しい報告書を作成してもらおうと思いまして」

「えっ、もうなのか?」

 あまりに唐突な課題に、輝の口からそんなぼやきが漏れてしまった。

 時間間隔の狂いもあるが、輝の感覚では前回の報告書を作ったのはつい昨夜の出来事なのである。

 そこから魔界に召喚されて、帰ってきたらまた報告書を作れときたら、さすがにそのペースには困惑を隠せない。

 しかも昨晩の報告書にしても、ロロンの情報伝達の悪さもあって、かなり慌てこんで作ったものだったではないか。

「前回の報告書が向こうでも評判が良かったらしく、特別課題が出たんです! やはり、輝さんはすごいです! 私の目に狂いはありませんでした」

「そ、そうか……」

 そんな風に喜ばれても、輝の方は複雑な心境になるしかない。

 確かに、自分の書いたものが評価をされるのは嬉しいし、それがロロンの継承競争の優位に繋がるのなら、まさに自分の役割が上手く行っているということである。

 だが、ロロンのこの喜び方は、間違いなく、自分の知らないところでなにかよからぬことが進んでいることを感じさせる。

 まだつきあいはごくごく短いのだが、輝はすでにロロンのその性格については確信を持っていた。

「……それで、今度はなにをすればいいんだ?」

「えーっと、次のテーマなんですが、『破壊』だそうです」

 そのテーマを聞いて、輝は露骨に顔をしかめた。

「……つまらんな」

「うーん、つまらなかったですか? じゃあ、もっと大々的に発表すれば良かったのでしょうか?『じゃじゃーん! 今回のテーマは破壊でーす! 輝さん、今回も頑張りましょうね、ファイトです!』みたいに」

「いや、そうじゃない。あと、それで面白いと思っているのか……」

 そのあまりにもずれたロロンの反応には、輝も頭を抱えるしかない。

 ロロンが能天気な分だけ、輝の心情に与えるダメージは大きいのだ。

「ええっ……、せっかく考えたんですが、ダメでしたか? じゃあどうすればいいでしょうか?」

「……いや、お前が面白くないのはどうでもいいんだが、そうじゃなくてだな。その『破壊』というテーマがまずつまらんと言っているんだ」

 あからさまにしょげ込むロロンに気を向けることもなく、輝は気を取り直して淡々とそう自分の意見を口にする。

「はあ、それはどういうことでしょうか」

「確かに、破壊から創造が生まれるとも言われたりするが、単純に、壊すだけでは面白くもなんともない。支配するにしても変革するにしても、破壊など過程の一部分にしかすぎないからな。少なくとも、俺の興味の範疇ではない」

「そういうものですか……」

 あからさまに肩を落とすロロンに、さすがに輝もフォローを入れてしまう。

「そういうものだ。……だが確かに、それがテーマだというなら、ちゃんと報告書を書くための案を考えないとな……」

「はいっ、輝さん! それについては私にいい考えがあります!」

 首をひねる輝に対し、ロロンは実に嬉しそうに微笑みながら、大きく手を上げて主張を始める。たったひとことでここまであっさり機嫌が戻るのだから、単純なものだ。

「いい考え?」

 対する輝の言葉には、一切の期待もない。

 それでもロロンは反応を貰った事が嬉しかったらしく、さらに表情を輝かせ、オーバーな身振り手振りで語り続ける。

「はい、いい考えです。なにしろ破壊なんですから、この前の城みたいに、なにかこの学校の施設などを壊すのはどうでしょうか? たとえばほら、あそこの銅像とかどうでしょうか。そうすれば皆さんも注目してくれるはずですし」

 窓から身を乗り出して、ロロンは校門前のロータリーにある銅像を指差すが、輝はあっさりとそれを退ける。

「安直だな……、それに、注目されてどうするんだ」

「邪悪さがアピールできるじゃないですか」

 そう口にしたロロンの目は本気で、それには輝も大きなため息を漏らすしかない。

 だが息を吐き終わったところで、輝の中に一つのひらめきが浮かび上がる。

「……いや待て、確かに注目されるのは本意ではないが、破壊という概念をもっと拡大して解釈してみるというのは、考え方としてありかもしれないな」

「輝さん?」

 ロロンが声をかけてくるが、今の輝には届かない。

 今度は輝のほうにスイッチが入ったのだ。

「そうだな、たとえば、授業の破壊などはどうだろうか。日常の崩壊もまた、広義の意味では破壊といえるのではないか? なるほど、それならばなにも実体あるものに対して巨大な破壊を行う必要などないのか……。ではなにを壊す? 今なにができる? なあロロン」

「は、はい! なんですか?」

「その新しい報告書、期限はいつまでだ?」

「あっはい、本日中です」

「えっ?」

 あまりにも予想外な答えに、先ほどまでの妄想も吹き飛んで、輝も思わず素に戻ってしまう。

「いやおいちょっと待て、なんだその無茶なスケジュールは……」

「まあ、もともと追加の課題みたいなものですし。これが出来なくても評価が下がるということはないと思いますが……」

「ふむ、それなら無理することもないのか……」

 そうつぶやいてみたものの、すぐに輝の中でそれを否定するざわめきが起こる。

 一度は巣に戻ったものの、くすぶる心の火がいまだに消えてはいないのだ。

 そしてその心のざわめきに従い、意思を口に出していく。

「いや、駄目だ。そんなことで世界の変容など成し遂げられるものか。俺は誰だ? 俺はなにがしたい? 俺は道崎輝、世界の変容を成す者だ。この程度のことで折れていて、世界が変えられると思うか?」

「輝さん?」

 もはや輝には戸惑うロロンの姿も見えてはいない。

 言葉を重ね、視界を絞込み、もう一度必死に妄想を巻き直していく。

 ようやく世界の変容が手に届く場所にまで降りてきたのに、ここで諦められるはずもない。

「世界はそんなに簡単には変わらないだろう。だが、確実に変革の足跡は残してみせる。よし、ロロン、まずは屋上に行くぞ」

「屋上、ですか?」

 いまや状況は一変した。輝がロロンの引っ張るのだ。

「学校を見たいというのはお前が言い出したことだろう。だが確かに、情報こそが最強の武器だ。なにを壊せばもっとも効率的かを考えるのならば、お前もこの学校のことをもっと知る必要がある」

「なるほど、さすが輝さんです! ではいきましょう、いざ、屋上へ!」


 そして二人は屋上へとたどり着き、そこから学校と町を見渡す。

 もちろん、今は屋上には誰もいない。屋上は普段から開放されているのだが、授業中にここに人がいることは当然ながらまずありえない。

「うわぁ、綺麗な街ですね!」

「そうだな……」

 当初の目的も忘れロロンがその光景に感嘆の声を上げるのを見て、輝は少しだけ懐かしい気持ちになった。

 輝にとってはもはや見慣れたこの景色も、初めての土地、ましてやこの世界の人間でもないロロンにとっては新鮮なものに映るのだろう。

 実際、輝も初めてこの屋上から街を見たとき、圧倒的な高揚感を覚えたものだ。

「それで、輝さんはなにを破壊するつもりなんですか?」

 軽々と落下防止の柵の上に飛び乗って、ロロンは楽しそうに街を眺めている。

 その細い柵の上でもまったくバランスを崩すことなくあちこち向きを変える様は、人間の姿をしていてもまったく別の存在であることを認識させられる。

 だがそれと同時に、輝の視界にはもう一つ別の物が飛び込んできた。

「……おい、見えてるぞ」

 視線を逸らしながらそう指摘する。

 さして長くもない制服のスカートは、高台に乗ればすぐにその内側が見えてしまう。

「えっ、なにがですか?」

 なんの事を言われているのか気が付いていないらしく、ロロンは輝の指摘するものを見つけようと、さらに遠くを見渡すばかりである。

そうやって動けば動くほど、スカートの動きも大きくなる。

 白くすらっとした太ももとその上にあるものが光にさらされる。

 視線を逸らしていても視界に入ってくるその存在に、輝はついに背を向ける。

「その、スカートの中身がだな……」

「えっ、あっ……、て、輝さん、見たんですか!?」

「いや、見たもなにも、そんなところにいたら見えるに決まっているだろ」

 背を向けたまま語る輝の後ろで、ロロンが柵から降りる気配がする。

 その気配を察してロロンの方へと向き直ると、顔を真っ赤にしたロロンが、いまさらながらにスカートを抑えながら立っている。

「このことについては、あとでもっとちゃんと話し合う必要がありそうです……。これは深刻な問題ですよ……」

 口を尖らせ、ロロンは神妙な口調でそう言った。

「しかし、今はそれよりも破壊についての方が重要ですから、この件は保留にしておきます。それで、輝さんは、なにかオススメの破壊すべき場所はありますか?」

「オススメって……」

 まるでよくいく店の情報でも聞くかのごとく軽い響きに戸惑いながらも、輝の脳裏には急速に、輝自身が抱いてきたこれまでの思い出と妄想が引き出されていく。

 柵の上にこそ立たなかったものの、入学しこの屋上を知ってからしばらくは、彼も毎日のように、この眼下に広がる光景を見ながら様々な妄想をしたものだ。

 この町でもっとも影響のある場所はどこか。

 この学校でもっとも注目すべき場所はどこか。

 どこを制圧すればもっとも効果的なのか。

 空想力を回転させ、実行可能かどうかを確認し、なにが足りないのかを分析する。

 その時は実現可能だとは思っていなかったが、その想像だけで、輝は自分が力を持ったかのような高揚感を覚えたものである。

 そしていつも、その妄想を高々と叫んでいたのだ。

 おかげで以前は昼休みともなれば何組かのカップルがよく屋上に現れていたのだが、誰も彼も輝の姿を見ているうちに姿を見せなくなってしまった。

「最も効果的に破壊を見せ付けるなら、さっきお前も言っていたが、やはりあの校門すぐのロータリーにある初代理事長の銅像だな。アレは目立つ」

「ああ、あれですね」

 二人の視線の先、中央昇降口正面のロータリーの中央に、一般的な銅像より一回り大きい、一際巨大な銅像が立っている。

 以前に輝が調べたところによれば、どうやらあれは初代の理事長の像であるらしいが、さして伝統もいわれもあるわけでもないちっぽけな高校に、あんなものが必要なのだろうかというのが正直な感想であった。

 おおかた、肥大化した自己顕示力と、影響力のあるゴマすりと、ノーと言えない技術がかみ合った結果だろう。

 そしてそれは、現代にはあの銅像以外なにも残さなかった。

 輝にはそのことがなによりも腹立たしいのだ。

 力を示すことは自体は否定しない、だがその結果がこれではあまりに幼稚だ。

 三年間という高校生活において、あの銅像のモデルとなった人物の名を知った生徒はこれまで何人いただろうか。そしてこれから何人いるだろうか。

 輝自身、もうその名を覚えていない。

 しかし、銅像の詳細は知らずとも、その存在は誰もが知っている。あまりにも異質で、あまりにも目立つ。

「そうだ。だから、アレを破壊する」

 そう口にしたときの輝の言葉は、輝自身でさえもぞっとするほど静かで鋭いものだった。

 そうだ、俺は、あの像をずっと破壊したいと思っていたのだ。

 初登校であの銅像を見たその瞬間、そんな想像をしたのを思い出す。

 しかしその想像は、ある意味で輝にとっての無力感の象徴だった。

 ロロンという人知を超えた力がなくとも、この像を壊すのは難しいことではなかったはずだ。

 手段を選ばなければ、たかが高校生であろうとも、あの程度の銅像の破壊ぐらいいくらでもできるはずだ。

 だが、日常という枷に囚われて、それさえもできなかったのだ。

 だが、今の輝には悩んでいる暇も迷っている暇も無かった。

「じゃあ、やっちゃいますね」

「あっ、おい、待て!」

 そんな輝の感傷をまったく気にすることもなく、ロロンは公園の時と同じく一枚の紙を取り出し、気の抜けた声でそう宣言してゆっくりと右手を掲げた。

 そして輝が止めるのも聞かず、紙を持ったままその右手が振り下ろされた。

 そこから先の光景は、輝の目にはまるでスローモーションのように流れていった。

 右手から紙が消える。

 その瞬間、目に見えぬ強い衝撃を受けた銅像は全身が粉砕され、そのまま原形も残さずに崩れ去っていく。

 そこにあったのは、あの夜の砂場と同じ、理不尽な破壊だ。

 今度は明確に破壊が見えているだけに、その光景は無残そのものだった。

 それにしても、輝には納得いかない事がある。

「……いや、なんでいきなり壊したんだ」

「この世界には、善は急げとのことわざもあるみたいですし」

「急がば回れというのもある。そもそも、お前は善じゃなく邪悪を目指しているんじゃないのか」

「あっ、それもそうですね」

 本気か冗談かわからない返事に、輝は頭を抱えるが、今はそんなことにつきあっている場合ではない。

「ところで、壊してはみましたが、なにも起こりませんね」

「……そうだな」

 確かに、銅像は無惨に破壊された。

 だが冷静に考えると、あの銅像は校内からはほとんど見えない場所にある。授業中に壊れたとしても、なかなか目に付くことはあるまい。

 そして先ほどの破壊も、その圧倒的な力の割に、音はほとんどなかったのだ。

 これでは、銅像が壊れたことなど誰も気が付きはしない。流れとしては、昼休みまでこのままの可能性が高い。

「どうしましょう輝さん! このままでは破壊した意味がありません!」

「そう言われてもだな……」

 ぼんやりと破壊された銅像を見下ろしながら、輝はただ言葉を絞り出す。

 あれほど壊したいと思っていた銅像も、壊れてしまえばなんということもない。

 なに一つ世界に変化をもたらさないままである。

 その事実が、輝の心の中に、世界に対しての無力感として押し寄せてくる。

「うーん、やはりもっと派手な破壊の方がよかったのでしょうかね」

「そうかもな……」

 輝はまだ自分を取り戻すことができないまま、ロロンの言葉に生返事を口にする。

 しかしそれがどれほど浅はかなことだったのか、輝はその直後に思い知ることとなる。

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