第二章 概念も破壊し制する大いなる姫の意志
転入
「輝、あなた、三日も一体どこに行っていたのよ」
久しぶりの登校で聞くことになった第一声は、幼馴染みの少女、有佐祐希のそんな声だった。
この心配性の少女は、いつも輝の行動に対しておせっかいを焼きたがるのだ。
今日だって、輝が登校してきたところ、すぐに机に駆け寄ってきてこれである。
それを知っているため、輝はわざとらしく小さく一息ついてから語りだす。
「どこ? そうだな、ひとことでいうなら魔界だ。魔王と今後の件について話をしてきた。世界の変容のための力の使い方を聞かれたのでな」
そう語る輝の態度は、どこか自慢げでなぜか自信にあふれ、それでもあくまで平然を装おうという、つまりいつも通りの輝のものだった。
どうせ誰も信じることはないのだから、そもそも隠すつもりもないのである。この幼馴染みが相手ならばなおさらのことだ。
そもそも、輝にしても自分の身に起こったことを正確に語れるわけでもない。
輝があの応接間から戻ると、人間世界ではいつの間にか三日もの月日が流れていた。
そのことをロロンに問いつめると、どうやら魔界ではよくあることらしい。
しかも場所によって時間の流れの差も不規則らしく、輝はロロンの年齢感覚の奇妙さの理由がわかった気がした。
しかしそれは、人間世界で生きる輝の時間感覚とは相成れないものである。
具体的には、その失われた三日が平日であったため、高校も無断欠席となってしまっていたのだ。
結局ロロンは「用事がある」と言い残してどこかに行ってしまい、仕方なく輝はそのまま日常へと戻ってきたのである。
「まったく、なにが魔王よ、もし今日も無断欠席だったら、あなたの家に乗り込んで捜索願いを出すところだったのよ」
「それは、さすがに困るな」
こういう場合の祐希の言葉と表情にはいつも強い意志にあふれている。
この少女がそう言ったということは、それは間違いなく実行に移されるはずだったということだ。
家に乗り込まれるのも困りものだが、さすがに捜索願いまで出されてしまうと問題が大きくなりすぎる。
だがあくまで、それは捜索願いについてであり、高校を多少欠席したところで、輝にとって困ることなどなにもない。
元々輝には、高校生活においてするべきことなど存在しないのだ。
勉強は独学でもなんの問題もないレベルだったし、会えないと寂しいと感じる親しい友人だっていない。
輝にとって学校に通う理由など、暇つぶしと人間観察、そして大学への楽な入学の手段でしかなかった。
この高校にしても、輝の学力のレベルからすれば二枚くらいは落ちるのだが、自宅からもっとも近場だから選んだだけにしかすぎない。
高校のレベルに関係なく、大学入試でいい点数を取ればいいだけだ。
それならばよっぽど生徒の質がひどくない限りはどこの高校であろうと関係ないというのが輝の考えであり、それが実現可能であるという自負が輝にはあったのである。
「魔界はこの世界とは時間の流れが異なっていたからな、仕方あるまい。もっとも、俺もそのことは計算外だったんだがな」
「……魔界ねぇ……、いつものことながら、それ、本気で言ってるの?」
祐希は輝の魔界発言に対し、呆れたようにそう返してくる。
しかし、いまや輝のこの手の言動に対して追求してくるのは祐希だけなのである。
他の生徒は最初こそ輝をからかっていたものの、輝の確固たる意思と結果を出す姿勢に、一週間もしないうちになにも言ってこなくなった。
それでいい。
輝のほうとしてもいつまでも興味本位でまとわり付かれてもうっとおしいだけだ。
こうして、今も輝の相手をしているのは、昔から輝の相手をしていた祐希だけになったのである。
だからこそ輝も慣れたもので、普段ならそれに対して適当にはぐらかすのだが、今日はそうではなかった。
「事実を言ったまでだ」
ただひとこと、自信をこめてそう返すだけである。
これまでの輝の脳内だけの妄想とは違い、魔界に行ったことは揺るぎない事実なのである。しかし、それを証明する術があるわけでもない以上、そのことを語っても無駄だとも知っている。
しかし、はぐらかそうが自信をこめようが、祐希の反応はさして変わらなかった。呆れた表情のまま大きくため息をつき、さらに小言を続けるだけである。
「まあ、魔界でも天界でもなんでもいいけど、せめて学校にはちゃんと来なさいよ。本当に心配したんだから」
「ああ、可能な限りそうしよう。さっきも言ったように、俺にとっても今回のことは予定外だったからな」
「ならいいけど……、妄想が現実を浸食しすぎないようにしなさいよね」
その答えに満足したのか、祐希はそう言い残して席へと戻っていく。
「……妄想が現実を浸食する、か」
それが意味することを考え、輝は一人小さく笑う。
いまや妄想が現実となっているのだ。
圧倒的な力を持つ少女、ロロンと契約したことで、輝の妄想は現実になる可能性を帯びている。
ロロンは、なにやら人間界での用事でどこかへと姿を消しており、ロロンがいない間は、輝自身は今までと変わることのない一介の高校生にしかすぎない。
だが、今までのような焦燥感はもうない。
力はすでに手中にあるのだ。
そんな輝の妄想の間にも、日常は流れていく。
チャイムが鳴り、やがて担任教師が教室へとやってくる。
「おーい、朝のホームルームを始めるぞ。今日は突然だが、転校生を紹介する」
入ってくるなり、担任の教師はそんなことを言っている。
もちろんそのひとことで教室は驚きと好奇心にざわめくが、輝はそんなクラスメイトたちを尻目に、ひとり喧噪の外にいた。
「転校生、か……」
今の輝にとって重要なのは、他人よりも自分の妄想と妄想を超えた力なのだ。
その転校生とも仲良くなる意思がない以上、それはあくまで観察対象にしか過ぎない。
適当に、どんな人物かを見極めればいい。
興味がないというわけではないが、熱心に食いつくつもりもない。
そんな風に考えながら、冷めた視線で教室の入り口を見つめていたのである。
しかし、そこに現れた人物を見て、輝は思わず身を乗り出し、そのまま派手に椅子から転がり落ちた。
「なっ……」
その音に、クラス中が転校生と輝を交互に見やる。
その転校生の姿にはクラスの誰もが驚いていたが、それでも、輝の驚きようには及ばないだろう。
しかし、転校生の外見は、それだけの驚きを持ってもおかしくないほど、あまりにも浮世離れしたものだった。。
まるで髪そのもの自体が輝きを持っているようにさえ見える金色の長い髪に、初雪のような白い肌。そんな白さと輝きの中に、完璧とも思える配置で、真紅の瞳が圧倒的な違和感を放ちながら浮かんでいる。
同じ人間とは思えない。
あちこちでそんなささやきが聞こえてくる。
そして転校生の次の言葉が、別の意味でそれを決定づけた。
「みなさまはじめまして。私の名前はロロン・マドルーナ・ヴァラークン。魔界の筆頭種であるヴァラークン族の継承権第六位であり、マドルーナ家の長女です。この度、ゆえあって、このクラスに編入させてもらうことになりました。みなさま、どうかよろしくお願いしますね」
そのあまりに人間離れした外見を、輝は知っていた。
その長ったらしい名前を、輝は知っていた。
そのおかしな自己紹介が真実であることを、輝は知っていた。
この不思議な転校生を、道崎輝は知っているのだ。
(どうしてこうなった)
しかし、ひとりそんな悩みを抱える輝とは異なり、この少女と初対面のクラスメイトたちは、その意味不明な発言にどう反応していいのか掴みきれず、教室の雰囲気は急速に澱みつつある。
教師も生徒も、ロロンの素っ頓狂な発言の真意を探ろうとして思考停止を起こしてしまったかのようだ。
ロロンのほうもそんな教室の空気に気が付いたらしく、不思議そうに首を傾げてなにかを考えていた様子だったが、やがて自分で答えを出すのをあきらめたらしい。
クラスメイトたちが注目するのもまったく気にせず、ゆっくりと、だがしっかりとした足取りで輝の元へと歩いてきた。
「なんだ……」
「えっと、輝さん。私の自己紹介、どこかおかしかったでしょうか?」
「どこか、だって……?」
唖然として、まずそれだけが言葉として口を出た。
だが一瞬悩み、さらに多くの言葉を脳内に浮かべたものの、輝はそれらを飲み込み、すぐさま状況を判断する。
ロロンの正体を、このクラスメイトたちに教える意味はあるだろうか?
説明したところでどこまで信じるのかはわからない。だが、自分が今後ロロンの力を使うには、ロロンを独占しておく必要がある。
少なくとも、ここで多くを語らせ、他の生徒たちにまとわりつかれてしまうのは得策ではない。
ならば、輝がとるべき選択は一つだ。
「……いや、ロロン、お前はなにも間違ってはいないさ。ただ、この教室にいる愚民どもには、お前の言葉など理解できないというだけだ」
「なるほど……」
輝は、いかにももったいぶって、演技がかった物言いでそう告げた。
その言葉にいちいち頷くロロンと、そんな会話に生暖かい視線を向ける教師とクラスの生徒たち。
この教室における輝に対する普段の対応だ。
それを確認して、輝は心の中で小さくほくそ笑む。
つまり輝の方から見れば、ひとまずロロンを自分と同じ側の日常に落とし込むことに成功したということである。
もう輝に対してと同じように、ロロンにもまともに話しかけてこようとは思わないはずだ。
だがただ一人、祐希だけが鬼のような形相でこちらを睨んでいる。
「あー、なんだ道崎、お前の知り合いか。……じゃあ、学校の説明とかはお前に任せる。後は頼んだぞ。席もお前の隣が開いてるしな」
教室の空気を察知して、担任は押しつけるように輝をロロンの世話をするように任命してくる。
とはいえ、教室でもその役割を担えるのなら、輝としては願ったり叶ったりだ。
「いいでしょう先生。あとのことは俺が何とかしますよ。どうやらこの世界において彼女を導くのが、俺の役割みたいですからね」
いつものように仰々しく答え、輝はロロンを完全に自分の側へと引き込もうとする。
ただでさえ目立つ外見をしているロロンは注目の的なのだ。
ここで下手に『みんな仲良く』などと言われた日には、物珍しさもあってクラスメイトが殺到するのは目に見えている。
余計な問題が起こる前に、クラス内におけるロロンの立ち位置を決めてしまったほうがいい。
そういう意味で、ここまでの流れは完璧ともいえただろう。
だが、輝の電波とは関わらないようにする有象無象なクラスメイト達とは別に、明確に、輝に矛先を向ける少女がひとり存在しているのだ。
「……輝、あなた、なにを企んでるの?」
鋭い視線に続き、担任教師が去ったとたん鋭い声が祐希から飛んでくる。
「いつも言っているだろう、世界の変容だ」
輝はそう言うが、祐希のほうはまったく納得する様子がない。
ならば、輝から話を切り上げるまでである。
「まあ、これ以上は語っても仕方あるまい。それより、授業が始まるぞ。俺と違ってお前は授業をちゃんと聞かねばついていけないだろう。真面目な学生として授業に専念するんだな、ほら、先生のお出ましだ。授業が始まるぞ」
そう言い放ち、輝はなにか言おうとする祐希を遮った。祐希に多くを語らせると、いつも状況がおかしくなる。
それでも祐希は食い下がろうとしてくるのだが、流石に教師まで来てしまうと黙るしかないようだ。
もう一度ものすごい形相で睨まれたが、教師からの叱責もあって、それ以上は追求してこなかった。
だが、この授業における波乱は、これだけで終わらなかった。
次に問題を起こしたのは、輝の隣に現れた転校生、ロロンである。
はじめのうちはまともに授業を聞こうとしたようだったが、五分もしないうちに退屈そうな素振りを見せはじめ、適当なメモ書きをはじめたのである。
それに関しては輝も人のことをとやかくいえるほど真面目に授業を受けているわけではないので放っておいたのだが、十五分ほど経過した頃に、ロロンは突如立ち上がってこう宣言したのである。
「私、授業よりも校内のほうが興味があります。なので、今から少し校内の見学に行こうと思います」
あまりに唐突だったため、教師も含め、教室全体が呆然となる。
いいとか悪いとかではなく、どういうリアクションをとっていいのかわからないといった感じだ。その結果が、ただの傍観である。
だが、ロロンの方はそんな周囲の反応などまったく意に介すこともない。
輝の方を見てニッコリと笑い、さらに問題を拡大する。
「さあ輝さん、早速案内してください」
「はあ?」
それが当然であるかのように、ロロンは輝にそう催促してきた。
さすがの輝もそれにはどう対応していいか困り果てたが、誰もなにも反応しない
「い、いや、待て! 今は授業中だぞ!」
「授業よりも、大切なこともあるのです。それを理解してください」
ビッと音が聞こえそうなほど力強く人差し指を立て、ロロンは毅然とした態度で、輝の言葉にそう言い返す。
そのひとことで輝も言葉をなくす。
「じゃあ、行きましょう」
「えっ、あ、ああ……」
音のなくなった教室の後ろを、輝はロロンに手を引かれて出ていく。
なんの声もかけられることもなく、誰も輝たちを見ることもなかった。
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