決意

「それでは早速なんですが、先ほどの私の邪悪さについて、報告書を書いていただけますか?」

 契約完了後、ロロンがまず口にしたのがその言葉だった。

「報告書?」

「はい。報告官なのですから、報告書を作っていただかないと」

 思い出してみると、確かにそんなことを言っていた気がする。

 とはいえ、いきなり報告書を作れと言われても、輝にはどうすればいいかわかるはずもない。この少女は全体的に説明不足なのだ。

 そんなことを思っていると、ロロンは再びどこからか紙を取り出してきた。

「はい、これが報告書用の用紙です」

「いや、ちょっと待て」

 その紙を受け取って、輝は思わずロロンの顔と紙を見比べた。

 ロロンの表情は真剣そのものであるが、特になにか言葉を続けるという様子はない。

 一方で紙のほうも、取り立ててなにかの注意書きや説明があるわけでもなく、多少の力は感じるものの、いかにも指定された用紙といったところである。

 もう一度、ゆっくりとロロンの顔と紙を見比べ、輝は大きくため息をついた。

「……いくつか言いたいことがあるが、いいか?」

「なんでしょうか?」

 輝が少し怒りをこめてロロンを見ても、ロロンのほうはまったく自覚がないようで、逆に不思議そうに輝の顔を見つめ返してくるばかりである。

 輝がなにに対して怒りを覚えているのか理解していないのは間違いなさそうだ。

「まず一つ目。ごくごく基本的なことだが、この報告書というのは、なんだ?」

「なんだと言われましても……報告書は報告書ですが」

 それを聞いて、輝はもう一度ため息をつき肩を落とす。

「いや、だから、それじゃあ説明になってない。いったいどこに、なにを報告するための報告書なんだ」

 一つ一つ、質問を解きほぐしていく。ロロンの頭の中にある結論を表に引き出すには、こうやって思考の道を作っていくしかない。

「ああ、そういうことですか。ようするに輝さんには、『ロロン・マドルーナ・ヴァラークンはこの世界でこういった活動を行いました。それを報告官である道崎輝が証明し、報告します』という書類を作ってもらいたいのです。ね、報告書でしょう?」

「まあ、そうだが……」

 一応報告書の趣旨は理解できたものの、今の輝にはなにを書いていいのか皆目見当もつかない。

 だが、現状の問題はもっと根本的なものがある。

「そしてもうひとつの問題だ。まさかお前、ここで、今からすぐに報告書を書けとでもいうのか?」

「ダメですか?」

「ダメに決まっている。そもそも、こんなところで書けるわけが無いだろう」

 ロロンから渡されたのは一枚の薄くペラペラな紙である。

 この報告書にどの程度の分量を書けばいいのかはわからないが、これがロロンに評価につながる以上、少なくとも、適当な一文をささっと書いて終わりというわけにもいくまい。文面も練らねばならないし、推敲だって必要だ。

 そもそもそれ以前の問題として、手元には持ち歩いているボールペンはあるとはいえ、こんな状況でこんな紙にまともに文字を書けるはずもないし、そもそもこんな公園のベンチで長い文章を書くのも難しい。

 輝としては、少しは文字を書く環境というものを考えてほしいと思うばかりである。

 だが、どうやらこの魔界人はそのあたりを気にすることは無いらしい。

 こいつらはどうせ、さっきの呪式みたいなものでどうにかしてしまうのだろう。

 それを考えて、輝は思わずため息をついた。やはり住む世界が違うのだ。

「えっと、では、なにが必要なのでしょうか?」

「なにはともあれ、まずは落ち着ける場所だな。少なくとも、ちゃんとした机くらいは欲しいところだ」

「うーん、それは流石に用意できませんね……。どうしましょう?」

「帰っていいか?」

「えっ、ダメですダメです! なんとか報告書だけは書いていただかないと。契約違反です!」

 契約違反。

 その言葉を耳にした瞬間、輝は胸の奥がなにか強い力で締め付けられるような感覚に襲われる。

 この痛みの正体は、輝にもすぐに察しがつく。

 そもそもさっきの態度も『これ』を確かめるためのものでもあったのだ。

 だが、その痛みは覚悟を決めていてもかなりきついものだった。

「ま、待て、書かないとは言っていない……」

「あっ、はい」

 予想通り、その言葉だけですぐに痛みは消えていく。

 その痛みは契約者を制御するための呪いというわけだ。

 やはり魔界の後継者相手の契約は容易なものではなかったわけだが、この程度のことは輝にも想定の範囲内である。

 力を得るには、それなりの代償は必要になるのは当然のこと。

 重要なのは、いかにこの後継者の機嫌を損ねずに力を使わせるかというわけだ。

「とりあえず家に帰ってから書こうと思うんだが、ここで書かないとダメなのか?」

「あっ、そういうことですか。そうですね、では、輝さんの家へ行きましょうか」

 あっさりと説得が成功したことに安堵しながら、輝は、目の前の問題である報告書のことを考えていた。


 そして輝は帰宅すると、早速報告書の執筆に入る。

 現在両親は出張中で、この家で生活しているのは輝ひとりである。それもあって、輝は自分の部屋に戻らず、居間で報告書を書くことにしたのである。

 自室にこの少女を踏み込ませるのは、いろいろな意味で危険すぎると判断したのだ。

 そして居間の机で、輝は黙々と報告書について考える。

 その後ろでは、魔界の後継者であり報告すべき対象であるロロンが、落ち着き無くその様子をうかがっていた。

「えーっと、もう書けましたか?」

 後ろから覗き込むロロンに対し、輝は無言を貫くばかりである。

 なにしろこれでその質問は十四回目なのだ。書き始めてから約三十分、大体二分に一度のペースで聞かれている。

 はじめは一応の反応を返していた輝だったが、十回を越えたあたりでもうなにも言わなくなった。

 書き始めてみると、当然ながら試行錯誤の連続で、なにを書いていいのかわからなくなってしまったのだ。

 ロロンの説明によれば、報告書に書くべきことは、特定のテーマに沿ってなされる候補者の活動とその内容とのことだが、それ以外には特に決まりごとはないらしい。ただし、活動内容の捏造は減点対象であるようだ。

 ようするに、ありもしない活動をでっち上げさえしなければ大体自由であると考えればいいようではあるが、そう言われると逆に困ってしまうものだ。

 その結果、少し書いてはそれを消すの繰り返しばかりで、輝の前の報告書は、まだほぼ白紙のままなのである。

「えっと、輝さん、そろそろ書いてもらわないと……」

 十五回目にして、ロロンの言葉が変わる。

「……ああ、そうだな……」

 そう答えたものの、輝の手はまだ動かない。

 今回の報告書のテーマは『邪悪な行動』ということらしいが、ロロンのしたことは砂場の破壊だけだ。

 そのことを知って、輝はようやくロロンがあれほどまでに邪悪にこだわっていた理由がわかったのである。

 それならば、最初に説明してもらいたかったものだが。

「しかし自由に書いていいと言ってもだな、よく考えたらお前、あの砂場しか壊していないじゃないか……」

 思考に行き詰まり、輝は思わずボヤキを漏らしてしまう。

 たかが砂場の破壊を、いったいどうやって邪悪に書けばいいというのか。

 それを考えていると手が止まって動かなくなる。

「あの砂の城を壊したのは邪悪じゃないですか?」

「……報告書に『砂の城を壊しました。邪悪です』と書けとでもいうのか?」

「えっ、それではいけないのですか?」

 輝が悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、ロロンの方はあっさりとそう言ってのける。その表情もまったく迷いが無く、心底、輝が悩んでいることそのものに驚いているかのようだった。

「いや、この報告書がお前の評価を決めるんだろ? そんな適当でいいのか」

「私、輝さんを信じていますので」

 まぶしいほどの笑顔でそう言われては、輝もロロンの顔を直視できず、ただただ頭を抱えるしかない。

「……いや、その返しはズルすぎるだろう」

「だって、あの時の輝さんは確実に邪悪でしたから。報告書もあの時のように書けばいいじゃないですか」

「そう言われてもな……」

 思い返すと、あの発言は確かに邪悪であったかもしれない。

 しかし、それを報告書に書くとなると話は別だ。そもそも、あれはただの妄言でしかないではないか。

「やはり、あらためてちゃんとした邪悪な行いをした方がいいのかもしれないな……」

 諦めたように輝がそうつぶやくが、ロロンはそれに対して小さく首を振った。

「いえ、もうそれは無理ですね……」

「いや、なんでだ?」

「なにしろもう時間がありませんから。報告書の提出は、この世界での本日中が期限ですので」

「なっ……」

 その言葉に輝は表情を失い、慌てて時計を見る。

 時刻は現在午後十一時半。残された時間はわずか三十分しかない。

 これでは新しい『邪悪な行動』を行うどころか、今の状況からなにを書くかを悩んでいる暇さえないではないか。

「頼むから、そういう重要なことは先に言ってくれ」

「あっはい、そうですね……。申し訳ありません」

「ああ……」

 ロロンは縮こまるようにそう謝罪はしたが、輝はそれに対して、うなずく以上はなんの反応も示さなかった。

 謝ってもらったところで時間は戻らないし、この少女の性格を考えると、心から申し訳ないとは思っていても、問題の根本は理解できていない可能性は高い。

 おそらくこれからも同じようなことは何度も起こるだろう。

 輝にできるのは、出された状況をどう対処していくかだ。

 ようするにロロンという少女の言動は、蓋を開けてみるまでわからない、ビックリ箱のようなものなのだ。

「なら、あの砂場の一件で書くしかないか……」

 諦め、開き直り、輝は覚悟を決める。

 そして思うがままに、妄想を開放し、報告書の執筆に取り掛かった。

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