第一章 魔界姫は意識さえせず破壊をもたらす
魔界
それから数分後、輝は少女と公園の隅にあるベンチに腰掛けていた。
この少女がいったいなにを根拠に契約などと言い出したのか。
そのことについて話を聞くために、輝がこのベンチへと導いたのだ。
「それで、お前はいったい何者なんだ? えっと……そういえば、まだ名前も聞いていなかったな。まずは、名前を教えてもらえないか?」
少女がなにかを言い出す前に、輝は先にそう質問を投げて牽制する。
先ほどまでの短い会話だけでも、この少女はこちらの話をあまり聞かず、自分の話を強引に進めたがるのを思い知ったのだ。
落ち着いた物腰にだまされてはいけない。
会話のペースをこちらに引き寄せるためには、多少強引でも先手先手で押し進めていくしかない。
「そうですね、確かにまずは自己紹介をする必要があるかもしれません」
「当然だ。いったい誰なんだ、お前は?」
そんな嫌味を込めた言葉を受けてもまったく気にすることもなく、少女は立ち上がり、大きく、優雅に一礼をする。
「では、あらためまして。私の名前はロロン・マドルーナ・ヴァラークン。魔界の筆頭種であるヴァラークン族の
「うーん」
自信たっぷりな少女の態度と裏腹に、輝は首をひねるばかりである。
ロロンという部分以外は発音もしにくい上、なにがどういうことなのか、ほとんど理解できないままなのである。
わかったことは、この少女の名前はロロン・なんとかかんとかで、魔界の後継者であるということだけだ。
他の事は、一つ一つ聞きなおしていくしかない。
そう思って少女の顔を見ると、その無邪気な顔が、月明かりに照らされて幻想的に浮かび上がっているのが目に入る。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
ロロンは、そんな輝の視線に気付き、優しく微笑みかけてくる。
視線が合いそうになり、輝は思わず目を逸らしてしまう。
ロロンの顔をまともに見られないのは、その幻想的な姿を見ていると、まるで自分がちっぽけな存在でしかないことが暴露されるような錯覚に陥るからだ。
そんな感情を誤魔化すかのように空を見上げると、そこにはどうということのない、小さな金色の月が一つ浮かんでいるだけである。
「なあ、一つだけ確認しておきたいんだが、お前はなぜ、邪悪を求めるんだ?」
少女を見ることなく、空を見上げたまま、輝は静かにそう尋ねた。
「あれ? 本当になにも知らないんですか?」
「なにをだよ……」
驚きで思わず視線を戻し、輝はロロンの顔を見た。
不思議そうなロロンの表情と言葉に、輝は常識が崩壊することへの背筋の寒さと同時に、奇妙な高揚感を覚える。
この少女は、次に取り返しの付かない事を言う。
これ以上踏み込めば後に引けないのは間違いない。
だがそれこそが、自分の進むべき道なのではないか。
いま、道崎輝の前には、間違いなく新たな世界が開かれようとしているのだ。
それは自分が望み続けた事だったはずだ。
輝の脳内で、感情と思考がごちゃ混ぜになって渦巻いている。
そしてそんな輝の思考をさらに袋小路に追い込むような、輝の世界とまったく異なる世界を少女が口にした。
「私は、父上の跡を継ぎ、魔界を統べる邪悪なる王にならないといけませんから」
純真な少女は、その揺るぎない純真さを保ったまま、そんな常識からはるか彼方にあるような言葉を口にした。
「はあ、魔界? 邪悪なる王? いやいやいや……いや」
確かに、常識とは大きく外れていた。
だが、そんな方向に飛んでいくとは、輝も予想はしていなかった。
もはやなにをどうツッコめばいいのかわからない。
夢物語か、想像上の世界か。はたまたゲームと現実の混同か。
普通に考えれば、信じるよりも少女の頭の中を疑いたくなる言葉だ。
だが輝は、どこかでそれを受け入れている自分がいることにも気が付いていた。
この少女は普通の人間ではない。
いや、頭のねじが抜けているという意味ではなく、だ。
魔界がどういったものなのかはわからないが、少なくとも、自分とは生まれた世界が違うのは間違いない。正直に言えば、人間であるかどうかも怪しい。
だがそれでも、魔界や邪悪なる王などという言葉が出てくるのはまったくの想定外であった。
「えっ、あれ? 本当になにも知らないのですか。うーん、これはちょっと困ったことになりました……」
一方でロロンの方も輝の反応に本当に困惑しているようである。
しばらく黙ったまま何度も首をひねっていたのだが、突如、なにか思い当たったかのように、跳ね上がるかのごとく大きく手を叩いた。
「どうやらこれは、はじめから説明をしないといけない事態のようですね!」
「……最初からそうしてもらえたらこちらも助かったんだが」
ロロンはその大きな瞳をこれでもかというくらいに輝かせながら、いまさらながらにそう言った。
一方で、それ対する輝の目は戸惑いの色に染まりきっている。
邪悪について考え、自分の希望と未来を考え、この少女の正体について考えて、魔界という世界を理解しようと考えていると、目の前で起こっているの現実への理解が追いつかないのだ。
とにかく、今置かれた状況もさることながら、なによりこのロロンという少女という存在全てが、輝の常識も想像もはるかに越えている。
そんな常識外に対抗するには、考えて考えて考え抜くしかない。
だがそこに、ロロンが無邪気な追い討ちを掛けてきた。
「いえ、滑り台の上でも色々と考えておられたみたいですし、私の質問にも邪悪についてあんなにスラスラに言葉が出ていたので、てっきり全てがわかっているものかと思ったのですが……」
「あー」
輝の脳裏に、つい先ほどの自分の言葉が脳裏に蘇る。
どこから聞かれていたのかはわからないが、確かに滑り台の上での独り言を聞いていたなら、そう勘違いされても仕方ない。おまけにあの大演説だ。どうにでもなれと思った結果、こうなったというわけだ。
考えれば考えるほど、この少女の無邪気さに追い詰められそうになる。
輝は砂場の前で立ち尽くす自分を俯瞰し、その状況をなんとか切り替える事を考える。
まずは形からだ、流れを変えるべく場所から変えるのだ。
「……とりあえず、どこか落ち着ける場所へ行かないか? 時間も時間だし、このままここで話をするってわけにもいかないだろ?」
「いえ、ここでも大丈夫だと思いますよ。ちゃんと人払いの結界も張ってありますし」
「結界か……」
何事でもないように人知を超越したことを口にするロロンに対し、輝はもはや言葉も出なくなる。
人払いの結界という常軌を逸した言葉さえ、ほぼ無条件で信じてしまっていたのだ。
そしてそれを自覚した時、輝の中であきらめが生まれた。
この少女には現実など通用しない。
いまやこの少女の言葉こそが、輝の目の前にある真実なのである。
「なあ、まずはじめに確認しておきたいことがあるんだが、その、さっきから何度も口にしている、魔界というのはなんだ? まさか、この世界とは別の世界なのか?」
目の前の現実と輝の信じてきた真実を考えたとき、ずっと気になっていたのがその魔界についてである。
この少女の言葉を信じるのなら、まず、その魔界という存在がどういうものなのかを理解する必要がある。
昔から様々な妄想をしてきた輝だったが、こと魔界については基本的に想像と興味の範疇の外だった。
妄想するにしても自分の住む世界と異なった世界には興味がなかったし、ましてやそれが魔界となると、ほとんど話が膨らますことがなかったのだ。
そのため輝の中にある魔界の想像図は、実に貧困でありきたりなものでしかない。
暗く深い闇の中にそびえたつ巨大で奇怪な城があり、その周囲をコウモリが飛びかい、絶え間なく雷が落ちる。
そして城内では、青い肌をしたいかにもな魔王が、これまたいかにもな幹部の悪魔達に囲まれ、玉座に座っている。
とまあその程度のイメージだ。
ロロンを見ても、実際のところそのイメージはあまり変わらない。なぜか魔王に似ても似つかない美しい娘がいるのも、定番と言えば定番だ。
一方で、その魔界の少女であるロロンの方も、輝の質問の意図をまったく理解できなかったらしい。
ぼんやりとした表情のままで輝の質問を聞いていたかと思うと、そのまま質問に質問を返してくる。
「えっと、どういうことですか? 魔界のなにを話せばいいのでしょうか? 魔界とはなんなのでしょうか?」
「いや、こっちが聞いているんだが……。その、魔界ってのはようするに、この世界とは違う、どこか遠い世界なのか?」
話がかみ合いそうもないこの状況を打破し、ロロンとの間にある溝を埋めるためには、こちらから知りたいことを掘り下げていくしかない。
それを思い知り、輝は粘り強く質問を続けていく。
「たぶん、そういうことになるんでしょうか……。よくわからないです。特に遠いとも思いませんし……」
「わかった、もう少し質問を変える。ロロン、お前はなんでその魔界とやらからこの世界にやってきたんだ? 邪悪とか後継者とか言ってるが、もしかしてお前、この世界の侵略が目的だったりするのか?」
輝の質問は冗談めかしたものだったが、そこにはこのロロンという少女に対して揺さぶりをかけるという意図があった。
この少女の行動と発言には、まだなにか裏がある。
ロロン本人にはあまり隠す意図はなさそうだが、説明不足なのは間違いない。
そこをなんとかして引っ張り出すのだ。
言われたロロンは不思議そうな顔をしていたが、さすがにここまで聞かれればなにも答えられないということもないらしい。少し考えたあと、ゆっくりと口を開く。
「侵略? いえ、侵略というのは少々違いますね。私個人は魔界からなんらかの命令を受けてきているわけでもないですし、この世界に対して大きな干渉をするつもりもありませんので」
予想通りというか、予想に反してというか、ロロンはこの世界への干渉を避けたいのだという。
邪悪だ魔界だというわりには、その指向はあまりに穏便ではないか。
「いや、ならばお前の目的はなんなんだ? なぜ魔界からこの世界にやってきて、邪悪だ、契約だなどと言っているんだ?」
「えっ、私の目的ですか……。うーん、そうですね、簡単に言えば、魔界の後継候補者としての、実地学習と選定試験です」
「はあ、試験……」
「はい、試験です!」
思いもしなかったその目的に、輝の張り詰めていた気持ちも一気に緩み、またもや言葉に詰まってしまう。
もちろん、そんな輝の反応などロロンはかまうこともない。
「魔界の後継者候補は、後継者試験としてしばらくの間、人間が繁栄したこの世界で暮らし、魔界の後継者にふさわしい振る舞いというものを学ばねばいけないのです。先ほどの邪悪さもその一環ですね。より具体的で、身近で、多種多様な悪を学ぶには、この世界がもっとも適切だといわれてますので」
魔界における人間世界についての酷い風評を伝えながら、ロロンは再び、純真無垢な笑顔を浮かべる。
魔界の人々はこの世界をどんな風にとらえているのだろうか。
輝自身、今の世界は変えなければいけないと強く思ってはいるのだが、魔界にそうまで言われてしまうと反応にも困る。
このロロンの桁外れの純粋さといい、試験と称して人間世界にこんな少女を送り込んでくることといい、輝には魔界がどういう世界なのかわからなくなるばかりだ。
「それで私は、正しい後継者の作法について一緒に考えてくれて、私のこの世界での活動を支援し、魔界へと報告してくれる報告官を捜していたのです。でもどうやら、それも解決しそうです」
「ん、まさか……」
「はい、あなたにそれをお任せしようと思います! あなたのような邪悪さに精通した人と出会えて幸運でした。仮契約は済みましたので、あとはこの契約書で正規の契約を交わすだけですね!」
その言葉に合わせて、最高の笑顔が輝に向けられた。夜の闇の中でもその笑顔は輝いて見えたほどだ。
だが輝は、笑顔が意味する事に憂鬱になる。
「なぜ、そうなる……、そもそもその契約ってのはなんだ?」
「なぜって、先ほどあなたは契約の儀式を行っておりました。それに、その後の言葉がとても素晴らしいと思いましたので。他に候補となる方もいるのですが、私、もう決めましたから! あなた……、えーと、あっ、そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね」
「……いや、そういえばってレベルじゃないだろ、それ」
この少女は、こちらの名前も知らぬまま自分の人生を左右するであろう報告官を決めようとしていたらしい。
魔界人はみんなこうなのか、それともこいつだけなのか。
いずれにしても、輝はいま目の前にある問題に頭を抱える。
こいつは邪悪を学ぶ前に、もっと初歩的なことから学ばねばならないのではないだろうか。
「そんなわけで、申し訳ありませんが、お名前を教えてもらってもいいですか?」
「……道崎輝」
「えっ!?」
「いやまて、俺の名前を聞いた途端に、そんな不思議そうな顔をするのはやめてくれ。いったい、俺の名前がなんだというんだ」
「あっ、す、すいません。以前、どこかで聞いたことがあるような気がしたので……。道崎輝さんですね。わかりました。ありがとうございます」
まるで誤魔化すかのように、ロロンは慌てて話を切り上げる。
それがなにを意味するのか。
輝の脳裏に様々な想像が浮かんでは消えていく。
ひとつの可能性としては、魔界というからには、予言者みたいな存在がおり、人の名前なんかを言い当てるようなことをしているのかもしれない。
死神の持つ瞳は、人間を見ただけでその人物の名前と残された寿命がわかるという逸話もあるではないか。
そしてもうひとつは、魔界に自分の名が知れ渡っている可能性が浮かび上がる。
これまでも魔界でこの世界を監視していて、その際に、魔界の何者かが道崎輝という人間に目星をつけたのだ。ようするに魔界に選ばれた人間ということだ。
この少女の反応から見ても、それはありえない話ではない。魔界人がどのようにして人を選び、注目されるかなどまったくわからない。
だがそれらも、いまのところ想像の域を出ることはない。
それより問題は、いま目の前の状況だ。
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