魔界姫のためのプロデュース報告書

シャル青井

魔界姫のためのプロデュース報告書

序章 世界を変容させる姫は月下で彼と契約す

少女

「あの太陽が沈むとき、全ての不都合な真実を覆い隠す闇が訪れる……」

 夕焼けに染まるの公園の滑り台の上、一つの影が小さく笑う。

 少年はその日、恍惚と独り言をつぶやきながら、彼方に広がる赤い空と太陽を眺めていた。

 こうやって太陽を見ていると、少年は道崎輝みちさきてるという一人の高校生にしか過ぎない矮小なおのれの存在を忘れ、深遠なる闇が迫る世界に高揚感を覚えるのだ。

 ゆっくりと目を閉じ、そして再び目を開ける。そうすることで、世界が変わるかのような錯覚を引き起こす。

「世界よ、今こそ変容せよ!」

 手を大きく広げ、強い言葉でそうやって世界に告げる。

 だが目の前の空には、変わらず沈みかけの太陽が浮かぶだけだ。夜の帳は、その速度を速めることも無い。

 現実は相変わらず公園の滑り台の上に高校一年生が一人立っているだけであり、退屈な、変わることのない日常はそのままである。

「俺では、不条理な闇を引き寄せるには力不足か? 世界はまだ、この光を求めているというのか?」

 少年は静かに問いかける。もちろん、答えなど返ってこない。

 かわりに、公園の入り口から一つの声が飛んできた。

「輝ったら、あなたまたそんなことやってるの?」

 声の主は、公園の入り口で自転車にまたがったままこちらを見ている少女だ。

 その少女は幼馴染の有佐祐希ありさゆうき。彼女は昔から、輝の行動にツッコミを入れ続けてくる存在だった。

「なんだ、祐希か。なんの用だ? 俺は今忙しいんだが……」

「偶然通っただけだし、用なんて別に無いわよ。輝のほうこそ忙しいって言っても、どうせいつもみたいに適当な厨二ごっこしているだけでしょ。しかもこんな公園で……まったく、恥ずかしくないのかしら」

「ごっこではない。それにわかってないな、こういう場所でこそ俺の力を示すチャンスじゃないか。まあ、俺の力を恐れて、子供らもどこかへ去っていったがな」

「……迷惑な存在ね」

 公園の入り口で、祐希は呆れたように首を振った。

「できもしない世界の変革もいいけれど、ちゃんと食べるもの食べてまともな生活しなさいよ! おじさんおばさんを悲しませないようにね」

「忠告だけは受けとっておこう。だが、お前も今すぐここを離れたほうがいい。世界の変革は近付きつつあると、俺の直感が告げているのでな」

「付き合いきれないわね、いつものことだけど……。世界の変革ねえ。まあ無理だとは思うけれど。じゃあね、」

 それだけ言い捨てて、入り口の祐希の影がもう一度首を振った。

 そしてそのまま、踵を返して去っていく。

 その背中が見えなくなるまでぼんやりと見つめたあと、輝は再び空を見た。

 空は、変わりなく赤い。

 強く空をにらみつける。少しでも早く夜になるように。

 だが、世界に変化など起こらない。

「俺は、あいつの言うように無力だというのか?」

 もちろん、誰もそれに答えるものはいない。

 公園は不気味なほどに静かだ。

「いや、違うな……、見よ、あの紅蓮の空を!」

 独りそうつぶやき、自分に言い聞かせるようにしながら、少年はやけに光り輝く夕焼けにいつもと違う世界を見出そうとする。

 だがそれはただの願望にしかすぎない。

 昼も、夜も、夕方も、道崎輝はいつだって、その日がいつもとどこか違うであろう部分を探してきた。

 こうやって空を見上げる事こそ、輝にとっての非日常探しの象徴でもある。

 いつもどこかに、いつもと違う特別な日があると信じてきたのだ。

 だがそれを毎日続けてきたということは、毎日に変化がなかったということに他ならない。

 ぼんやりと空を見ているうちに、少しずつ夜が降りてくる。

「あの夜の帳が、俺をどこか導いてくれないものだろうか?」

「あの、そこの人」

 そう思ってもう一度空を見上げようとしたその瞬間、不意に滑り台の下から声をかけられた。

 穏やかな、どこか幼い女性の声だ。

 声の主を確認しようと、輝は慌てて視線を地上に戻すべく身を乗り出したのだが……。

「うおっ!?」

 斜めになった滑り台に足を取られ、無様に滑り落ちる。

「……なんという失態だ……、高校生にもなって滑り台から転がり落ちるとはな」

 滑り落ちた先、反転した世界で輝を待っていたのは、落ちかけた西日を背に立つ一人の美しい少女だった。

 白い肌、金色の髪、そして赤黒い瞳の色が、消えかける日の光の中にあってその存在を際だたせている。

「大丈夫、ですか?」

「み、見ていたのか……」

 座り込んだまま、輝は少女のに警戒の目を向ける。

 歳ははっきりとはわからないが、おそらく自分と同じくらいだろうか。

 だが、この少女は自分とは異なり、見るだけでも特別な存在であることがわかる。

 歪みの無い端正かつ柔和な顔立ちに、点いたばかりの街灯で黄金色の長い髪をきらめかせていているその姿は、まるで存在自体が幻想であるかのようである。

 あまりにも世界からかけ離れたその姿に、輝は少女の存在そのものに対して嫉妬を覚える。

 そこに、さらに輝の心をえぐる言葉が続く。

「ところで、あなたはあの上でなにをしていたんです?」

 その少女のひとことに、輝は無表情を装いつつも、どす黒い感情が漏れ出すのを止められなかった。

 輝が思い出すのは、自分の無力さそのものだ。

「……俺は、世界の変革のための力を得ようとしているだけだ」

 輝はあえて、力を込めてその言葉を発した。

 それはこの少女に、そして自分自身に自らの強さを信じさせるためだ。

「世界の変革?」

 だがその言葉を聞いても、少女は特に反応を返すこともなく、ただひとことそう口にしただけだった。

 輝は、その後に続く言葉を身構える。

 これまでは誰もが、そんな輝を笑うか呆れた目で見るかだったのだ。

 そんな態度に対し、返す言葉はいくらでも用意してある。

 だが、少女は特になにも言うことなく、不思議そうに首をひねるばかりである。

 その予想さえしなかったその反応に、輝は自分の中にある敗北感が沸騰しそうになるのを感じる。

 この少女にとって、輝の言葉などなんの意味もないし、世界の変革など意識さえすることはないのだ。

 それは、どんな言葉による否定よりも心に刺さるものだった。

「……ふん、どうせそんなことは不可能だと言いたいのだろう。確かに、お前は普通の人間ではなさそうだ。だがそれでも、真の変革を成しえることは不可能だろう」

 必死に、輝はそう口にする。なにか言わなければ、そのまま負けを認めてしまいそうな気がしたのだ。

 だが少女は、その輝の言動を聞いて嬉しそうに微笑み返してきた。

「なるほど、どうやら私の目に間違いはなかったようですね。そこで、あなたにぜひお願いしたいことがあります」

「お願い?」

「はい」

 呆然とする輝に対し、少女はまず小さくお辞儀をし、その後、今度は真剣な表情で輝の顔を見つめ、ゆっくりとその口を開く。

「あなたの力で、私をにしてもらいたいのです」

「は?」

 突然飛び出したその素っ頓狂な言葉に理解が追いつかず、輝は言葉も忘れて少女の顔を見る。

 だがその顔は一切の迷いもなく、とても冗談を言っているようには思えない。

 そしてさらに、少女は輝の目を見たまま話を続けていく。

「そこでまず一つお聞きしたいのですが、あなたがもしこの公園に大いなる邪悪をもたらすとしたら、まずなにをするでしょうか?」

「……邪悪?」

「そうです。ぜひ、あなたのご意見をお聞きしたいのです!」

 少女の雰囲気に押されるように、輝は考えるよりも先にまず口が開いた。

「……そうだな、俺ならまず手始めに、あのジャングルジムを強固な要塞に作り変えるな。物事を始めるにはやはり拠点が必要だ」

「なるほど、確かに一理あります!」

 輝の勢いだけの言葉に対して、少女は大げさなまでに大きくうなずき、輝の示したジャングルジムへと視線を向ける。

 それはなんの変哲も無い、古ぼけたジャングルジムだ。

 輝も昔はそれを要塞に見立てて遊んだこともあったが、いつの頃からか色あせて見えるようになっていた。

 あえてそんなジャングルジムを指定したのは、まだどこか愛着もあったのだろうか。

 一方で少女は輝の感傷など気にすることもなくジャングルジムを見つめていたが、どこからともなく折り紙ほどの大きさの紙を取り出し、天高くかざしてみせた。

 そしてそのままそれを振り下ろす。

 輝の視界にジャングルジムが映っていたのは、その瞬間までだった。

 一瞬、漆黒が世界を覆ったかと思うと、次にジャングルジムを見たときにそこにあったのは、黒く、小さいながらも頑強そうな四角い建物だったのである。

「いまひとつ要塞のイメージができなかったので、あんな感じになりましたが、どうでしょうか?」

「……いや、待て……」

 少女の言葉を聞いても、輝はまだ現実を飲み込めずにいた。

 なぜ、になったのか。

「あれは……、お前がしたのか?」

「そうですよ」

 驚きを隠せない輝に対し、少女はなんのためらいもなくそう答えてくる。

 それを聞いて、輝は呆然としたままジャングルジムだった黒い建物へと近付いて行く。

 確かにそれは、彼の指定したような、強固な要塞であるようだった。

 もっとも、その大きさは元のジャングルジム程度の広さしかないので狭く、まるで子供の頃の要塞ごっこの想像が、そのまま形になったかのような錯覚を覚える。

 あらためて確認しても、輝にはなにが起こったのか理解できないままだ。

 ジャングルジムはどこへ消えたのか。この建物はどこから来たのか。

 しかし、少女は考える時間を与えてくれない。

「それで、次はどうすればいいですか?」

 そう言いながら、少女は顔を寄せてくる。

「えっと、だな……」

 無邪気に赤く大きな瞳を輝かせる少女に対し、輝は思わず視線を逸らす。

 だが少女はその視線を逸らした先へと回り込み、さらに顔を近づけて輝の視線を追い詰めてくる。

 あまりに近い少女の瞳の中に、輝は自分の顔が映りこんでいるのを見た。

 赤い瞳の中にあって、それはなんとも情けない顔のように見える。

(これが、俺の顔だというのか)

 いや、違う、違うはずだ。

 この世のものとは思えない少女の顔と、その中に見た平凡な自分の顔を目の前にして、輝はもう逃げられないことを悟る。

 どうすればここから逃げられるのか。

 輝にとってその逃げ道は一つしかなかった。

「……そうだな、俺がもし唾棄すべき邪悪な存在だとするならば、次は持てる限りの力を使って破壊し蹂躙し、俺という存在が持つ力を誇示するだろうな。もっとも、力を振るわせるほどの価値がある物が存在しているのならば、だが……」

 もう一度視線を逸らしながら、ただただ妄想を吐き出す。

 輝にとっては日常ともいえる大げさな物言いだが、今の言葉は普段のものとは違い、もはやどうにでもなれという投げやりな精神から出たものだ。

 その言葉を聞いた少女は、取って置きのアイディアをひらめいたかのように要塞を飛び出し、公園のある方向を指差した。

「なるほど、では、あのお城を攻撃するのはどうでしょうか。ほら、あの砂の中にあるじゃないですか」

「城……?」

 あらためて、少女が指差す先の砂場を確認する。

 確かに言われてみると、少女の言葉通り、砂場の真ん中には放置された砂の城がそびえ立っていた。

 既に完全に夜になっていてよくわからないが、この距離からでも城に見えるということは、それなりに出来がいいのだろう。

 もちろんこの時間にもなって遊んでいる子供などいるはずもなく、夜の闇の中、無人の城が月明かりに照らされているだけだ。

「あれを、破壊するというのか?」

「はい」

 あまりにも無邪気な返答に、輝は先ほどのジャングルジムを要塞へと変化させた力と少女がいまだに結びつかずにいた。

 それに、そこにあるのはしょせん砂の城なのである。あれを破壊するといっても、いったいなにができるというのか。

 それを確認すべく、輝は、もう一度少女に言葉を投げかける。

「……いいだろう、ならばお前の真の力を見せてみろ。今度は、破壊という形でな」

「わかりました」

 輝の大げさな言葉に大げさに頷くと、少女はもう一度、どこからか一枚の紙を取り出した。

 今度は先ほどより大き目の、レポート用紙ほどの大きさのの真っ白な紙で、少女はその紙を持ったまま、ジャングルジムの時と同じく砂の城に向かって小さな右手を大仰にかざす。

 輝はその様子をぼんやりと見ていたが、すぐに彼自身も目を疑うような事態になった。

 次の瞬間には少女の手元から紙が消え失せ、変わりに、砂場を巨大なシャボン玉のような透明の膜が包み込んでいたのだ。

 さらに直後、その膜の中に、この夜闇よりもさらに暗い、黒い霧のようなものが立ちこめていった。

「な、いったいなにが……!?」

 輝には、その暗黒の中でなにが起こっているのかはまったく見えはしない。だがそれでもそこで起こっていることが自分の常識を超えたものであることはわかる。

 公園の一角、砂場だけが黒く染まっている。

 輝はこれまで、これほどまでに純粋な黒というものを見たことがなかった。

 あらゆるの夜の闇よりなお黒い、完全な黒だ。

 一方で隣に立っている少女は、ただ手をかざしたまま、真剣な表情でその黒いシャボン玉と砂場を見ているだけだ。

 だが、その終わりはあっけないものだった。

「はい、これで終わりです」

 少女がそう言って手を下ろすと、その瞬間に膜は音もなく消えさり、中に充満していた暗黒があっという間に雲散霧消していく。

 そうして再び砂場があらわになると、そこには、砂の城はおろか砂場さえも存在せず、まるで抉り取られたかのような大穴だけが残っていた。

 

 一部始終を見てなお、輝にはそうとしか思えなかった。

 周囲を見渡してみても、シャボン玉の外側であった砂場の横のベンチや樹木にはまったく変化は無い。

 公園や町は、代わり映えのしない、いつも通りの光景でしかない。

 ジャングルジムは確かに要塞になっていたが、それさえも、この消滅の前には誤差の範囲に思えてしまう。

 それだけ、大きく姿を変えた砂場だった場所は、世界が変容してしまったことの象徴のようであった。

 世界を変容させたのは、間違いなく目の前のこの少女だ。

 それでもその事が、そして目の前の光景が信じられず、輝は呆然したまま、ぼんやりと少女に尋ねる。

「……これも、お前がやったんだよな?」

「はい。ご指導通り、私の力を誇示してみました。これが私の力です」

「力か……」

 自慢げな少女の表情を見て、輝の視線はもう一度砂場だった場所へと向けられる。

 そこにあるのは、日常から大きく逸脱した、巨大なクレーター状の穴である。

 それは紛れもなく、力の跡だ。

 輝が必死にそのことを考えている間にも、少女はさらに言葉を続けていく。

「しかしよかったです。これほど力と邪悪に対して理解の深い人と、早々に契約を交わすことが出来たのですから?」

「いや、待て、契約ってなんだ?」

「契約は契約ですよ。ほら先程、世界の変容とか紅蓮の空とか言っていたじゃないですか」

 そういって少女は微笑む。

 幻想的な笑顔だ。

 その少女の満面の笑みを見た時、輝は、自分の人生が動き出したことを悟った。

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