episode59 枷、あるいは砦


 ヘルメットを軽く投げてはキャッチしながら、「それにしても、お前ツイてないねえ。もしかして獅子座?」とタイラは肩をすくめる。ユウキに言ったのか、笠に言ったのか、判別できない。

 タイラは額から血を滴らせていて、それだけじゃなく満身創痍に見えた。一体どんな悪路を進んできたのか。


 ここにきて状況を把握したのか、タイラは眉をひそめた。「どうして竹吉を撃ったんだ? 確かに人の心はわからないが、いいやつなのに」と呟く。こめかみを押さえて、深くため息をついた。

「まあいい」と言って顔を上げたタイラの目は、光が反射して少し白く見えた。


 それからタイラは周囲を見渡す。誰かを探しているようだった。その“誰か”は見つからない様子だったが、突然「ユウキ」と口を開く。

「もう10時か……メシの時間だなぁ」

 時刻はすでに昼過ぎだ。これは、先ほど昼の鐘を聞いたのだから間違いない。一体何を言っているのか。薬を打っているのだろうか。しかし、それにしては眼差しが確かだ。

 ユウキは考えて、時計がどこかにあるのかと探す。ふと、ちょうどタイラを中心として金色の瞳と目が合った。カツトシだ。そうか、と思う。これでわかったことは、いざとなればそちらに逃げろと促されていること。それと、タイラの意識ははっきりしているようだ、ということだった。

「何を言っているんだ、お前は」と笠が警戒する。ああ、とタイラは手を叩いた。

「名乗ってなかったな。名乗るか? これは名乗る流れか?」

「……いや、お前のことは知っている。タイラワイチ、だろう」

「俺の名前は平和一タイラワイチだ」

「話を聞いていないのか?」

「タイラさんと呼べ。絶対に下の名前で呼ぶなよ、フルネームでも呼ぶな」

 誰が呼ぶか、と笠は吐き捨てる。何も言わず、タイラは肩をすくめた。瞬きをして、竹吉を一瞥する。ため息まじりに「その子供を早く返せ」と端的に促した。


「返すとも。こちらの要求をお前が飲めば」

「飲まない」

「なん、だと?」

「飲まないが、まあ言ってみろ。人生相談なら乗ってやるぞ」


 ふざけているのか、と笠が睨む。「ふざけているよ」とタイラは心底楽しそうに笑って、「まさか、お前は本気だとでも?」と首をかしげる。血の混じった黒い髪が、片目にかかった。

「この……!」

「いいから言えって。早く終わりにしようぜ、竹吉を病院に連れて行かなきゃならん。それとも、一旦中断して竹吉だけは運んでいい?」

「近づくな!」

 慌てた様子で、笠は周囲にも「近づくんじゃない」と威嚇する。頭をかきながら、タイラが口を開いた。

「そうは言っても、お前これじゃあ後も先もないよ。そうまで俺に飲ませたい要求があったのか?」

 ぐっと言葉に詰まった笠が、迷いながら何とか言葉に出す。

「私たちのやることに手を出さない。口を出さない。それができないなら、死んでくれ」

 ほお、となぜかタイラは満足そうに呟いた。「控えめな要求だな」と目を細める。しかしユウキにはわかった。あれは、意地悪を思いついた顔だ。

「しかしねえ……。『美雨メイユイの』の間違いだろう? 美雨に手を出すな、美雨のやることに口を出すな。それだけだろう。お前のその目を知っているぞ、狂信者」

「何が言いたい」

「いやぁ? 相変わらず男をたらしこむ才能だけは天下一だと思っただけだよ、あの女は」

 途端に、笠の顔色が変わる。憎々しげにタイラを見た。「それは我が主への侮辱と受け取るが?」と棘のある声で言うと、タイラは「違う、称賛だ」と返す。

「宗教とはよく考えたものだ。神だか教祖だか知らんが、まあ、あいつほどの適任はないだろうな。昔から、ちょっと微笑みかけるだけで大抵の男はオチたし……得だな美人ってのは」

「……黙りなさい。それであの方がどんなに苦しんでいたかも知らないくせに」

「知らないよ。知らないんだよ、そんなことは。興味もない。あの女だって散々利用したろうに」

 ぐっと黙って、笠はタイラを睨む。しかし、挑発されていることに気がついたのか冷たい声で「要求を飲みますか」とだけ言った。タイラは喉を鳴らして笑う。

「そんなもん、ノーに決まってんだろ」

「何?」

「そもそも、そこの子供を人質に取った時点で俺の答えはノーしかない」

 戸惑った笠は、言葉が出ないようだった。「つくづく、来人クルヒトは余計なことをしてくれる」とタイラがぼやく。それから、目を細めて続けた。

「理由は2つだ。要求を飲んだところで、その子供の無事が保障される確証はないから。他人に害を為して益を得られると勘違いされても困るからだ。だから俺は、俺のものとわかった上で手を出してきたやつの話は基本的に聞かない。お前、無駄なことをして退路を失ったなあ?」

 愕然としている笠に、タイラが声をかけようとする。しかし一瞬早く笠の方が気を取り直したようで、「ならば」と声高に叫んだ。

「この子供は用無しだ。今ここで殺す」

 ぴくりと、タイラの眉根が上がった。「そう自棄になるなよ」と、駄々をこねる子供に言うような声音で呟く。

「なら俺から提案しよう。なあ、その子供を大人しく返せ。そうすれば俺もお前たちには手出しすまい」

 はあ? と言ったきり笠は口を半開きにしてタイラを見続けていた。不意に、「あの男は一体何を言っているんだ」とユウキに尋ねてくる。なのでユウキは、申し訳なさそうに「そのままだと思います」と答えなければならなかった。

 そのままだと思う。つまり、ほぼ恐喝だ。

「馬鹿にしているのか? 先程から、まるでお前が優位のような言い方をしているが」

「優位だとも」

 くつくつと、またタイラは笑う。


「なぜなら俺の方が強い」


 シンプルで、かつ傲慢。

 故に一点突破を許されるほど、強い。その在り方が、まず強い。

 言葉を失っている笠に、タイラは畳み掛ける。

「お前たちよりも俺の方が強い。だから許そう。この乱痴気騒ぎも、全て水に流してやろう。俺は弱いものイジメはしない。なあ、その子供を今すぐ返せ。俺だって暇じゃないんだ」

 言葉を噛み砕いている様子で、笠は黙っていた。その表情は少しずつ苦々しいものになっていく。そこには僅かな敗北感のようなものが滲んでいた。

 一歩、タイラが近づいてくる。笠は「来るな!」と叫んだ。

 なぜだかきょとんとした顔のタイラが、首をかしげて笠を見る。まるで拒絶されることを想定していなかったように。それから、突然表情を変えた。それは、苛立ちのようだった。

「どうして俺の言うことが聞けないんだ? 強情だな、美雨の狂信者……」

 ため息混じりに何か、ぶつぶつと呟く。聞き取れた範囲で「今ここで許すと言った俺の気持ちも考えて欲しいものだ、こっちにも体裁ってもんがある……」などと言っていた。

 空気が、段々と冷えていく。もうこの時点で、場を掌握しているのは平和一の機嫌だったからだ。

 タイラはふと顔を上げた。

「ああ、まったく、ここまで言ってやったのに。いいか、美雨の狂信者。その子供を殺してみろ。お前たちの生きる姿を愛さない。だから、ここで沈んでゆけ」

 その呪詛には、ユウキですら固まった。

 タイラはといえば、少し俯いて「何を喋っているんだったか……頭が痛くなるよ、本当に」と言いながら自分の髪を後ろへ撫でつけている。「邪魔だな」とぼそり呟いた。髪のことであったと思いたい。

「そんなことをしてタダで済むと思っているのか」と笠が言う。少し声が震えていた。

「なんだ……タダで済むっていうのは。いくらか払ってやろうという気概はあるぞ」

「何の話をしているんだ」

「何の話をしてるんだっけ?」

 惚けた顔で何やら考え込む仕草をして、「ああそうか」とタイラはうなづく。今日は随分、自己完結が多い。

 笠が「こちらは私一人ではない」と吠えた。聞いているのかいないのか、タイラは髪から手を離して自分の腕をじっと見ている。

「一人でないのなら尚更にやめておけ」とタイラが言う。どうやら聞いてはいたようだ。


 ただ、じっと自分の手を見ている。無感情に、何か呟きながら。

 それを見て、ユウキは背筋が凍るような思いがした。

 まるで火にかけられた金属が、ふつふつと沸騰していくような。揺れていた天秤が、ガクンとどちらかに傾いたような。些細な苛立ちが、怒りとして確固たる形を持ち始めていた。タイラは、怒っていた。


「お前、名前はなんて言ったか」


 一体何がスイッチであったか知らないが、その様子は尋常ではなかった。笠も、無言でそれを見守っている。

「いいことを教えてやろう。喧嘩で大事なのは、相手を選ぶことと引き際を見誤らないことだ……ご主人様に教わらなかったのか? ……ああ、思い出したぞ。笠、だったか。お前の名前は」

 唐突に名前を呼ばれ、笠は狼狽えた。「なぜ名前を」と笠が言えば、「そんなもんテメェのご主人様に聞いたに決まってんだろ、頭沸いてんのか」とタイラは苛立ちを隠そうともせずに答える。雑に頭をかいて、「ああ、ああ……そんなもんはどうでもいいんだよ」と吐き捨てた。

「いいか……他人に害を為すのなら、自分にも害があると考えるべきだろう。違うか? そしてお前は俺自身ではなく俺のものに手を出したわけだから、俺がお前のものを奪ってもいいはずだ。なあ、そうだろ」

「私に親兄弟はいない。何を奪おうとも知ったことではない」

「それを決めるのは俺だが?」

 這いずるような低い声で、タイラは続ける。「お前の大事なものを殺してやる。お前が無関係だと泣き喚いても、俺がその関係性を認めれば殺してやる」そう、淡々と囁いた。

「……お前も死ぬことになるぞ、平和一!」

「フルネームで呼ぶなと言ったはずだなぁ。使えない耳なら削ぎ落としたらどうだ?」

 目を閉じたタイラの鼻腔から血が垂れる。それを拭って、タイラは小さくため息をついた。自分の額を押さえながら、ゆっくりと目を開ける。

「生憎、他にやることがないんだ俺には。死ぬまではお前たちを殺せる。力尽きるまでに何人殺せるか、楽しみだなあ?」

 言いながらタイラは、髪をくしゃくしゃと撫でつける。その質感で、彼の髪がひどく濡れていることがわかった。指先が赤黒く汚れていくのを見るに、自分のものだか他人のものだかわからないがそういうことだろう。


「いっそ、その子供のことはここで殺せ。すぐにお前たちを殺してやる」


 笠が一歩後ずさる。恐怖からなのか、ユウキを守るような素振りすら見せた。それを見たタイラが、微かに笑った。

「化け物……美雨様をどうした……?」

「美雨? 知らねえなあ。あいつの息子なら俺が殺してやったが」

「この、外道が……!」


 ああすごい、とユウキは純粋に思う。平和一という人は、この場で誰よりも“敵”だった。誘拐犯を前にしても、圧倒的に悪役だった。この場のほとんどが平和一に対して悪感情を抱いていた。

 的だ。たくさんの感情にさらされた、的。それでも気づかないような顔で平然としている。


 笠がタイラに銃を向けた。その瞬間、「ユウキ」とタイラは声を張る。ユウキは、ハッとして笠の腕に思いきり噛みついた。驚いた笠が悲鳴を上げても、血が出るほど噛む。腕の力が緩み、ユウキは地面に落とされた。追いかけてくる腕を振り払いながら、走る。笠が銃を向けてくるのがわかった。

 次の瞬間、銃声が鳴った。

 笠ではない。タイラだ。ちらりと見れば、タイラは空に向かって銃を向けていた。ゆっくりと煙が上がっていく。「銃を、」と笠が呟いた。持っていたのか、とユウキも驚く。

 そして、わかってしまった。何だか全部わかったような気がしてしまった。だってタイラが銃を向けたのは、空だ。

 だからユウキは方向を変える。靴が軋んだ。飛ぶように走る。自分に向かって走ってくるユウキを見て、タイラは虚を突かれたようだった。銃を構えた笠を確認し、「来るな」と言う。

 走って、走って、どんどん近づいた。近づくほど、タイラの状態はひどかった。

 クソ、と言いながらタイラもユウキに駆け寄る。タイラは膝をついて、周囲の全てから守るようにユウキを抱きとめた。持っていたヘルメットをユウキに被せる。

 そして、未だこちらに銃を向けていた笠を見た。


「撃ちたくはなかったんだ……美雨。本当だ……」


 うわごとのようにそう言って、タイラも銃を構えた。照準は定まっていない。「見えない、目が霞む」と小さく呟いた。ユウキはそっと手を添える。ピタリと、手が止まった。

 どこかで「やめて」という女性の声が響く。笠の注意が逸れた。「お嬢様」とその唇が動く。

 タイラは、引き金をひいた。


 あまりの爆音に、ユウキは目を閉じる。しばらく何の音も聞こえなかったし、何も見えなかった。恐る恐る目を開けた時には、笠は肩を押さえて倒れこんでいた。

 向こうから女性が走ってくる。ユウキはその人を知っていた。美雨という人だ。笠のもとへ駆け寄る。


「お前、どうしてこっちに来た」


 そう、タイラはユウキの肩を掴んで言った。怒っていた。怖かったけれど、ユウキは震えながら「あなたが、うたれるつもりに見えたから」と答える。

「それの何が悪いんだ」とタイラは途方に暮れていた。ユウキは、もうみっともないほど泣いていて、ただタイラの首に抱きつく。

「どうして、そんなことを言うんですか。ぼくが言うことを聞かないから? しなないで、タイラ」

 ごめんなさい、ごめんなさい、と泣いた。タイラはユウキを抱きしめようとして、結局そうはできずに所在なさげに腕を下ろす。「なんで泣くんだよ……」と呟いた。


 仲間たちが走ってくるのが見える。みんな一様に心配そうで、だけどほっとした様子だ。いの一番に走ってきた実結が、ユウキに抱きつく。その次にユメノが、「心配したぞ!」と言いながらユウキの背中を叩いた。「本当に良かった」と都が頬を紅潮させている。

「先輩……何がどうしてそんなボロボロなんです?」

「居眠り運転でこけた」

「ちょっとー、僕の銃返してよね」

「悪かったよ。ほら」

「……これ、僕のじゃないんですけど」

「嘘、だろ……?」

 おかしいな、と言いながらタイラは銃をしげしげと見た。信じられない、とカツトシが責める。


 そんなやり取りを見て、ユウキはほっとため息をついた。ごしごしと袖で涙を拭いて、深く頭を下げる。

「ありがとう、ございました」

 全員が顔を見合わせて、ちょっと笑った。ユウキの背中をさすったユメノが、「帰ろ」と肩をすくめる。ユウキはやっぱりちょっと泣きそうになって、わざと思いきり鼻をすすった。


 全員で歩こうとすると、タイラが「お前ら先行ってろ」と手をひらひらさせる。

「俺はバイク回収していくから」

「乗ってくんなよー。居眠り運転マジ危険」

「標語みたいだな」

 なんだか嬉しそうに、ユメノはけらけら笑った。「あんなやつ置いて早く帰ろー」と拳をあげる。「あんた、お腹空いてないの?」とカツトシに言われて、ユウキは唐突に空腹を思い出した。顔を真っ赤にして、腹を押さえる。

 一人だけ不安そうにタイラを見ていた都も、「それ俺のバイクだから触んなよ」などと野次馬を蹴散らしていくタイラを見て、ちょっと笑った。そうね、と言って前を向く。

「帰りましょう。とっても、長い一日になったわね」と目を細めながら。




☮☮☮




 竹吉の右腕を取って、宝木は肩に回す。

「いやぁ、これだけ派手にやられちゃうと、どうごまかしていいものかと思うよね~」

 反対側から百瀬が、竹吉の左腕を肩に回した。

「また白髪が増えてしまうね、宝木くん」

「本当だよ。そうやって労ってくれるのも百瀬くんだけだもの。嫌になっちゃうなぁ」

 あはは、と百瀬は笑う。宝木と百瀬は「せーの」で竹吉を背負ったまま立ち上がった。「うっ」と言いながら竹吉が目を開ける。

「もう、終わったのか……?」

「わあ! 起きたんだねタケちゃん」

「今回のMVPは竹吉くんだよ」

 言いながら、2人は竹吉を運んでいく。「会長……モモちゃん……」と呟いて、竹吉はぐっと奥歯をかみしめた。


「俺は……2人でどうにか運ばなきゃいけないほど……重いのか……?」


 宝木と百瀬は黙って、その問いには絶対に答えなかった。




☮☮☮




 膝を折って、美雨は笠の顔を覗く。笠は微かに笑って、「申し訳ございませんでした、お嬢様」と呟いた。

「なぜ……こんな馬鹿なことをしたのです」

「あの男を利用できればと思ったのですが。そのような器ではありませんでしたね」

「あなたが、ここまでする必要はなかったのですよ。の手前、このまま何も得られず帰るのが怖かったのですか?」

「私の主人は、旦那様ではなく美雨様でございます」

「であれば尚更、なぜこんなことを? この街に価値を感じていたわけじゃないでしょうに。あなたはただわたくしの我儘に付き合っていただけで」

「だからこそ価値があったのですよ。あなたが欲しがったのだから」

 笠は腕をあげて、自分の手を透かして見る。子供に噛みつかれたところを見て、仕方なさそうに笑った。「きっと貴女は、ご子息よりも強くこの街に執着していらした」と続ける。「ご自分でもお分かりにならなかったでしょうが、貴女を一番近くで見てきたのは私です。幸せだったのでしょうね、が」と優しく囁いた。

「貴女はこの街に、受け入れられたかったのでしょう? であればこの笠めが、必ず貴女の居場所をここにお作りしようと。人ひとりの居場所を奪ってでもそうしようと、思ったのです」

 思ったのですが、と言って笠は長い瞬きをする。「覚悟が違いましたね、まったく。慣れないことはするものではないな」と笑った。

「どうか私を叱ってくださいませ、お嬢様。私はただ、貴女だけの味方でありたかったのです」


 思わずという風にため息をついた美雨が、膝を折ったまま笠の足と肩の下に腕を入れる。そのまま「せっ」と言いながら抱き上げた。横抱き――――否、お姫様抱っこである。「……なっ!?」と笠も目を見開いた。美雨は「まあ重い」と眉をひそめて見せる。

「どうです、そのような体躯で“お嬢様”の細腕に抱えられる気分は。屈辱でしょうとも。これに懲りたら勝手な行動は慎みなさい、笠」

「自分の足で歩きます、お離しください。貴女様にこのような……!」

 そんな笠の訴えも無視して、「重い重い」と言いながら美雨は歩き出した。しっかりした足取りだ。「ああ、でも重いのは仕方がない話でしたわね」と穏やかに口を開く。

「今まで、私の半分はあなたが持っていたんだわ。それはもう、私に返しなさい笠。あなたには他に仕事があるはずです」

 笠は――――これは出血のせいかもしれないが、すっかり青褪めて「私のことは捨ておいてくださいませ、お嬢様。最後の我儘でございます」と懇願した。からりと笑って、美雨は「あら、以前の私ならあなたの期待に応えてあげていてよ」と意地わるそうに肩をすくめる。

「だけれど今朝がた、ある人に説教をされたばかりなの。捨て駒は一つもないのですって。であれば私は使いましょう。あなたのことも、擦り切れるまでは使いますから、そのつもりでいなさいね。恨むならその人を恨みなさい」

 くしゃくしゃの顔を片手で覆って、笠は小さく呻いた。




☮☮☮




 てかさぁ、とユメノが愉快げに笑っている。

「どう考えてもタイラ、やりすぎっていうか言いすぎじゃん?」

「確かに、演技だと思っても怖かったっすよね」

「あんなんだから敵が増えるのよねー」

 あれは、と口を開いて都は立ち止まった。みんなも、不思議そうに立ち止まる。

 何か言わなければと思ったが次の言葉が出なかった。何を勝手に言い訳しようとしているのか、俄かに怖くなってくる。

 こんな時、本人は『うるせえよ』などと言って笑うだけなのだろう。それでも何か言ってほしくて、都は振り向いた。みんなもつられて振り向く。


 タイラは、バイクを抱え込むようにして倒れこんでいた。

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