episode23 雨でも踊れる馬鹿はいかが

 昨日も今日も明日も雨。そろそろそんな風に、天気予報も匙を投げたっておかしくはない。

 そう思いながら都は、飽きもせずに雨を降らせている空を興味深く見つめていた。酒場のカウンターではカツトシが、ため息まじりにグラスを拭いている。

「僕、ほんっとーにこの国の梅雨は嫌いね。恵みの雨! って喜んでたのも最初のうちよ。雨は雨でも鬱陶しいのよ、この天気」

 あんまり力入れるとグラス割れますよ、とノゾムが頬杖をついて指摘した。そんな2人の間に、モップを持ったタイラが入り込む。「わかるわ。丸刈りにしたくなるもんなぁ、この季節」と自分の髪を押さえながら。そんなタイラに、カツトシがいきなり青筋を立てて怒鳴った。

「あんたが一番鬱陶しいのよ! この季節になると毎日毎日掃除して! あんた不衛生に親でも殺されたわけ!?」

 ふと動きを止めて、タイラはモップに寄りかかりながらカツトシを見る。あまり感情の読み取れない、のっぺりとした表情だ。

「よくわかったな。俺の父親は、ハウスダストが脳みそに詰まって死んだ」

 カツトシが「ひっ」と言ったきり黙り込み、先ほどまでの威勢はどこへやらというくらい大人しくなった。それから、こらえきれなくなったように走って階段を駆け上がる。しばらくして、2階のシャワーの流れる音がした。心配そうな顔のユメノが、「アイちゃんのこと怖がらせないでよ」とタイラに文句を言う。「まさか信じると思わなかっただろ」とタイラは肩をすくめた。

 ところで、ととぼけた表情でノゾムが口を開く。

「先輩の親御さんは、本当はどうしてるんですか」

「俺の親御さんはどっちもネクストステージに進んだよ」

「すごくポジティブな響きなのにご存命でないことがしっかり伝わるイイ表現ですね」

 ようやく戻ってきたカツトシが、カウンターの中に入ってふくれ面をした。どこか苛立ったように、食パンの耳を切り落とし始める。「サンドイッチでしょー」と笑いかけたユメノにだけ、カツトシははにかんだ。

 不意にドアが開き、雨が吹き込む。その開け方があまりに乱暴だったので、カツトシなど思わず銃器を構えるところだった。入ってきた男は、まだ若い。金色の髪を後ろに撫で付け、サングラスをかけている。男は、言った。

「タイラワイチは!」

 一瞬で、仲間たちが「またか」という顔になる。それから同時にタイラのほうを見れば、タイラはまったく表情を変えずにモップに寄り掛かったまま男を見ていた。若い男は、その場の空気に押されてタイラの前までずんずんと歩いていく。

「あんたが」

「おう」

「タイラワイチを知ってんのか?」

「おう……?」

 思いがけない男の言葉に、仲間たちが一斉に噴き出した。その時のタイラの格好といえば、黒のジャージに白いランニングシャツ。頭には、業務用のタオルを巻いていた。だからなのか、若い男は完全にタイラのことを店の従業員かアルバイターだと決めつけている様子だった。

「おい兄ちゃん、聞いてんのか!?」

「いや聞いているけれどもだな……お前、この街に来たのは初めてか?」

「だから何だってんだよ! ナメてんのか、『お前』ってのはオレのことか!」

「やかましいガキだな」

 耳の穴に指を突っ込みながら、タイラは辟易とする。頭に血が上った様子の男が、タイラに掴みかかろうとした。それをモップで防ぎながら、「で、お前はタイラワイチに何の用だ?」と仕方なさそうに尋ねる。

「決まってんだろ。殺しに来たんだ」

 静寂が辺りを満たした。さっきまで笑っていた仲間たちでさえ、少し緊張して様子を見守る。代わりに笑い出したのは、タイラだった。げらげらと笑い、カウンターを思いきり何度も叩く。息も絶え絶え、「バッカだな」と男を指さした。

「お前、殺そうとしてる相手の顔すらわかんねえのか。気持ちのいい馬鹿だな」

「なっ……てめえ」

 殴りかかろうとした男を軽くかわして、タイラはその肩を抱く。驚いて言葉も出ない男に、にやりと笑いかけて片眼をつむって見せた。

「来いよ、ラーメン食わせてやる」

 ぎゃあぎゃあと喚く男を連れてタイラは、楽しそうに外へ出て行った。




☮☮☮




 珍しくノゾムと買い出しに来たユメノは、遠くに百菊肉店を見つけて指をさす。

「コロッケ食べたーい」

「ニートに奢らせて楽しいっすか」

「でもノンちゃんさぁ、なんかネットかなんかで稼いでんじゃん?」

「雀の涙っすよ……」

 しかしもちろんユメノは聞いていない。1人で走っていき、店頭の菊花に挨拶をした。やれやれとため息まじりに、ノゾムも後に続く。

「ああ、ユメちゃんにノゾムくんかい? なんだいなんだい、デートかねぇ。タイラが寂しがるよ」

「ちっがうよー。菊花ちゃん、コロッケちょうだい」

「いま揚げるから待ってな」

 油をパチパチやりながら、菊花は機嫌よく「タイラはどうしたよ」と尋ねた。挨拶のようなものだ。ユメノとノゾムは顔を見合わせて、「なんか最近、変な金髪とずっと遊んでるよ」とユメノが肩をすくめる。

「金髪ぅ?」

 言いながら、菊花はくすくすと笑い始めた。「知ってるよ、その男。うちにも話を聞きに来たよ」と目を細める。

「しかし遊んでるとはねえ。だってあの若いの、タイラを親の仇のように探してたろ。会ったこともないのにさ」

 ふ、と笑いながら菊花は顔を上げた。途端に真顔になり、ユメノとノゾムの後ろをじっと見つめる。ノゾムが視線を追って振り向き、「ひえっ」と声に出した。ユメノもゆっくりと振り返り、「うわ」と身を固める。すぐ後ろで、髪の長い女がじっとユメノたちを見ていたのだ。陰鬱な雰囲気の女だが、スカートだけは異様に短い。

「あんたたち」と、女は低い声を出した。「タイラのところの子供ね……?」なんて押し殺した声で問われ、ユメノたちは咄嗟に「ごめんなさい」と謝っていた。ふみちゃん、と菊花がたしなめる。

「怖がらせるんじゃないよ、タイラの敵になりたいわけじゃないんだろう」

 キッと、女は菊花を睨み付けた。

「菊花……タイラのお気に入りだからって、調子に乗らないでちょうだい」

「あんただってタイラからは気に入られてただろうに」

「あんな男から気に入られていても何の得もないわよ!」

「いきなり声が大きいよ」

 ふん、と言ったきり女は押し黙る。それからちょっと不貞腐れた顔で、「都って女と話がしたいのだけれど」と言い出した。表情も変えずに菊花が、「都って女は、あれはタイラが生み出したイマジナリーガールフレンドだよ。存在しないから」と適当なことを言う。女はなぜか初めて嬉しそうな顔をして、「タイラワイチも堕ちたものね!」とだけ言って去っていった。情緒の不安定な女性だった。

「……菊花さん、あれは?」

「ああ、メンヘラーさ。昔から――――タイラと出会う前から多少はああいう感じだから、まあ気にしないでやっておくれ」

 気にしないでと言われても、ああして不穏に仲間の名前を出されては。警戒しながら女性の背中を見て、迂闊にもユメノが「タイラとはどんな関係なの?」と簡単に聞く。菊花が返答する前に、ノゾムはユメノの耳をふさぐことに成功した。

「そりゃ、タイラが抱いたに決まってるだろうよ」

 そう当たり前のように、菊花は言う。コロッケが揚がったようで、それを受け取りながらユメノが「エッチな話でしょ! エッチな話してるんでしょ!」と騒いだ。頬杖をついた菊花が、不意にくすくすと笑いだす。

「いやぁ、ああ見えてあの娘はなかなか鋭くってねえ。今じゃタイラとあの娘の顛末は、夜の女の中で面白おかしく語られてんのさぁ」

「面白おかしく?」

 聞くかい、とどこかからかうような響きで菊花はノゾムを見た。少し迷った末に、ノゾムはユメノの耳をふさいだままうなづく。

「ありゃタイラがまだ30前の若造だった時でね。女のほうも、確か二十歳そこそこで。まあ、よくいる拗らせた女だったよ。うちらは同じ職場だったんだけど、まあ鬱陶しがられていたね。『助けて』と言いながら、本当はずっと心の中で『愛して』と叫んでいるような女だった。で、タイラワイチだよ。あの男は『助けて』を真に受けて、簡単に手を差し伸べたわけだ。助けて、そして当然のごとく惚れられた。でもあいつに、彼女の本当に求めるものが与えられるはずもない。言葉にすることさえできないほど拗らせた『愛して』を、そもそもあの頃のタイラワイチは察せられもしなかった」

「今もわかんないんじゃないかな」

「ははっ、ノゾムくんもなかなか辛辣だねぇ。それでもまあ、男女だからね、1回はそういう関係になったわけだ。そうして事後、あの女が鬼の形相で怒ったんだと。何て言ったと思う……? 『オナニーの延長で女を抱くような男とは、金輪際一緒に寝てやんない』とさ」

 何がおかしいのか、菊花は肩を震わせながら笑っていた。「またエッチな話してるでしょ! わかるんだからね!」とユメノがひどく不満そうに指をさす。もうなんだかわからなくなってしまい、途方に暮れながらノゾムはユメノの耳から手を離した。正直に言って、笑っていい話なのかもわからず反応に困るしかない。「終わったの?」と拍子抜けしたようにユメノが言った。

 どこか遠い目をして、菊花はため息をつく。

「まあ……仕方ないねえ。若いころのタイラといやあ、ありゃいい男だったから」

「えっ何それ。何の話?」

 目を閉じてうんうんとうなづきながら、菊花が腕を組んだ。「寡黙で、飄々としていて」と指を折る。

「茶目っ気があって好奇心旺盛で。昔のほうがいい男だったね。……でも」

「でも?」

「人間としては、今のほうがだいぶマシ」

 きょとんとするユメノとノゾムに、菊花は目を細めて「コロッケは美味しいかい」と尋ねた。思い出したように頬張りながら、「おいひい」と答えるユメノに、満足して菊花はうなづく。

「それじゃあ2人とも、そろそろ帰んな。みんなによろしくね」

 まだ話を聞きたそうにするユメノを引っ張って、ノゾムは素直に頭を下げ、店を離れた。

 しばらく歩いて、不意にユメノが立ち止まる。それからゆっくりと振り向き、「パツキンじゃん」と呟いた。ノゾムもつられて振り返ると、例の金髪の男が何やら嬉しそうに叫びながら犬のように走ってくるところだった。

「どうします? 逃げます?」

「でも、全然敵意なさそうだよ」

「いや面倒なんで」

「面白そうじゃん」

 仕方なく立ち止まって待っていると、男はノゾムたちの目の前でつんのめりながら止まる。「アニキのとこの、お嬢さんとおぼっちゃんだな!」と人懐こい笑顔を見せた。「アニキぃ?」と思わず眉をひそめたユメノに、男は大きくうなづく。

「オレ、あれだから。アニキの舎弟みたいなもんだからよ、あんた方も使ってくれていいんだからな!」

「えぇ……この前まで殺すとか言ってたのに……」

「あの時は失礼した! でもオレが殺すっつったのは、もともと平和一だぞ?」

 ぽかんと口を開けて、ノゾムとユメノは顔を見合わせた。まさか、と思いながら恐る恐る確認してみる。

「あのさ、そのアニキっていうのはあの童顔ジジイのことでいいんだよね」

「童顔じじい? いや、アニキつったらあのスペシャルで最っ高のアニキだよ。オレ、あの日アニキにラーメン食わせてもらって色んなこと教えてもらってよ、人生360度ぐるっと見る目が変わったんだ」

「変わりすぎて元の地点に戻ってきてるじゃないすか」

 隣でユメノが吹き出した。え? と戸惑いの表情を浮かべた男は、よくわからなかったらしく「あの人はすげえよ」とすぐに興奮の面持ちに戻る。「で、」とノゾムが頭をかいた。

「あの人の名前、聞きました?」

「いや聞いてねえや。男の絆に名前なんて必要ねえよ、オレは名乗ったけどな。東間ってんだ、あんた方もそう呼んでくれ」

「……トーマさん、あの人は」

「アッ、でもあの人ってば冗談が好きでよ、自分のことをタイラワイチだって言ったこともあったな。いやタイラワイチなんかメじゃねえ、ってオレは言ってやったのさ。あの人は笑いながら『お前は本当に馬鹿だな』って言ってたけどな。照れてんだな、あれは」

 色々と突っ込みたいところはあったが、ユメノとノゾムの率直な感想としては『声が大きい』という1点にまとめられた。辟易としながら、ノゾムが「タイラワイチってどんな奴だと思います?」と尋ねてみる。東間は鼻息も荒く、身を乗り出した。

「そりゃあ、残虐で目も当てられないほど凶悪な殺人鬼だろ? もう街中で聞いて知ってるよ。あの、特にな、なんだっけな。女の情報屋と、チンピラの親分みたいな男が、嬉しそうに教えてくれた」

「何でその人たちに話聞いちゃったかな」

「もともと依頼で探しに来たんだけどよ、これはもうやるしかねえ。男なら、じゃちごうぎゃ、じゃちこう……じゃちぼうぎぐ」

「邪知暴虐」

「邪気暴落は倒さなきゃならねーだろ!」

「なんですか、その中二病の匂いがする四字熟語は」

 ふふん、となぜだか胸を張り、東間は腰に手を当てる。「今日もアニキに会いに行くんだ。あんたがたも、何かあったらすぐ言ってくれよな」と言い切って返事も聞かずに走っていった。ユメノとノゾムは呆然と後姿を見て呟く。


「自分らにない強さっすね」

「あたし、あの人けっこう好きになってきた」

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