episode20 そのギフト、ワケあり?

 いつも通り姿勢よくカウンターの席につき「なるほど、タイラさんの好きな食べ物、ですか」と呟いて、章は不思議そうな顔をする。「ありますよ、でも、まさかご存知ないとは」と無邪気に言葉を重ねた。ユメノが身を乗り出して、「なになに」と急かす。困った顔をして章が口を開いたその時――――階段を降りてくる、タイラの足音が響いた。舌打ちをしながら、ユメノはそれを見上げる。タイラが驚いたように、手をあげて見せた。

「よお、ぼっちゃん」

「いらっしゃったんですね」

「もしかして、待ってたのか?」

 呼びに来いよお前ら、とタイラは仲間たちを呆れたように見る。いえいえ、と章は苦笑して「今来たばかりですから」と言い慣れていそうな言い訳をしながら肩をすくめた。

 事実、章がタイラを訪ねてきたのは10分ほど前だ。世間話などしていればすぐ過ぎる時間であった。その間、ユメノたちは主に最上という女性について話した。章にとっても初耳だったらしく、「その女性にはぜひ会いたいですね」と穏やかに言っていた。

 頭をかきながら、タイラはカウンターのいつもの席につく。それで、と言って頬杖をついた。

「何か用だったか、ぼっちゃん」

「昨日お話した通りですが」

「昨日? いつ会ったよ」

「酔ってらっしゃったのか疲れてらっしゃったのか、確かに返事はありませんでしたね」

「じゃあノーカウントだな」

 何か苛立ちでも感じているのか、タイラは煙草を口にくわえたまま火をつけずに目を細める。「あの男女はどうされたのですか」と章が目を細めた。タイラは一瞬だけ動きを止め、すぐにくわえた煙草を上下に揺らし始める。

「どいつもこいつも……」

「まだ、ダメなんですね。本当にあなたは寝込みを襲われるのに弱い」

「人間誰しも弱いはずだ、寝てるんだから」

「しかし羨ましい限りだなぁ。僕もタイラさんに抱かれてみたいです」

 その場にいる全員が――――タイラを含め、全員が吹き出した。燃えてもいない煙草を潰して、タイラが慌てたように「何言ってんだお前」と章を見る。章といえば、涼しい顔で両手を開いてみせた。

「タイラさんは、寝込みを襲ってきた相手を抱く……と聞いたことがあります」

「問題はそこじゃないだろ」

 いやそこも十分問題よ、とカツトシが突っ込む。しかし、タイラも章も聞いてなどいない。抱いてみてください、と章は快活に言った。

「抱いてみてくださいって言ってもなぁ、ぼっちゃん。未成年だしな」

「寝込みを襲ったら抱いてくださる……?」

「時々日本語が通じないよな」

 潰した煙草を手でもてあそびながら、「それで」とタイラは嫌そうに章を見る。「結局何の用なんだ」と。章は柔和な笑みを見せ、「プレゼントを」と言いながらポケットを探った。

「皆さんにプレゼントを持ってきたのですよ」

 章は何か、紙を何枚かカウンターに置く。それを、ユウキとユメノが間髪入れずに手に取って確認した。『宿泊券』と同時に読み上げて顔を見合わせる。どうですか、と自慢げに章は言った。

「海沿いのホテルです。裕司叔父さんの管轄でもありますから、いいところですよ。皆さんにはぜひそこで、しばらくゆっくりしていただけたらと」

 都とタイラ以外が、色めき立ってそのチケットを囲む。「これいつまで?」とカツトシが尋ねれば、「2泊3日のチケットですが、皆さんがいたいだけいていいんですよ」と章は微笑をたたえた。ユウキの春休みはいつまでか、と仲間内で確認して各々スケジュールを見る。腕を組んで傍観していたタイラが、「ユメノと先生は仕事があるだろ。カツトシも、この店はどうするんだ」と言葉を投げかけた。ユメノは見るからにしゅんとして、「でも行きたい」と少し泣きそうな顔をする。

「そこは、僕らがちゃんと根回ししておきますよ。この街にある店ならば、大抵僕か裕司叔父さんのどちらかが上手く言えるはずですので」

「えっ……それ、はどうしようかな。あたし、下っ端だし」

 遠慮せずに、とにこやかに言う章の腕を、タイラが掴んだ。そうしてじっと、少年の目を見つめる。章は口元にだけ笑みをたたえたまま、真っすぐにタイラを見返した。「……いいでしょう」と章が、腕を振り払って肩をすくめる。

「確かに性急でした。お話ししましょう、タイラさん。僕もあなたに聞きたいことがあります」

「ああ、そうだな。ぼっちゃまを寒空の下に連れ出すのは気が引けるがな」

「心にもないことをおっしゃる」

 言いながら、2人は酒場のドアを開けた。慌てて、ユメノとユウキがタイラにすがる。「ねえ行こうよ、仕事はちゃんとお休みもらうから」「ぼく、せっかく春休みなのに、宿題もないのに、どこも行ってないんですよ」と口々に不満まじりにせがんだ。タイラは頭をかきながら、「行かないとは言ってねえ」とぼそり言って振り切る。

 外に出たタイラは、煙草をくわえて今度こそ火をつけた。章がそれを横目で見て、「弱いですねえ、タイラさん。お仲間には本当に」と穏やかに言う。

「そう思うのなら、あいつらを先に手懐けるのはやめてくれないか」

「そう思うから、皆さんを先にその気にさせるのですよ」

 ため息まじりに煙を吐き出して、タイラは呆れたような顔をした。何にせよ、と彼は呟く。

「ユメノの職場に圧力をかけるのはやめてくれ。あいつは自分でことわりくらい入れるだろう」

「そうですか? 話が早いだろうと思ったのですが」

「あのな、ただの小娘が仕事を休む程度で上の上の……トップだろ、ぼっちゃんやオーナーは。そんな上から圧力がかかったらどう思うよ。逆に生きづらくなるっつうの」

「……まさかタイラさんから、そんな風に常識的に諭されるとは」

 親になるとちがいますね、と章は無邪気に笑った。煙草を口から離し、「誰が親だ、誰の親だ」とタイラが不機嫌そうな顔をする。くう、と喉を鳴らして章はうなづいた。つかの間、子どものような表情になる。

 しばらくして、章は顔を上げた。「――――さて」と言ったその目は笑っていない。

「ピンインなどと言う宗教団体を……ご存知ですね?」

 やっぱりな、とタイラがまた煙草をまたくわえる。「お前の身内か」と、興味もなさそうに尋ねた。

「身内……なるほど、確かに身内ではあるでしょうね」

「つまり、お前の母方の?」

「少なからず、関わっています」

 興味のなさそうなタイラにつられたわけでもないだろうが、章もどこか感情の薄い表情で続ける。

「僕たちもあの団体には思うところありまして……もちろん、いい感情はありませんが」

「しっかし何で今さらこの街なんだ? 7年前、あっさり諦めて国に帰っただろ、お前の母親は」

「最高に虫の居所が悪かったタイラさんに匙を投げる形で、ですね。ですからあの宗教団体が、直接的に母の管理下であるかは何とも。ただ、これからもっと大きくなるでしょうね。頭のいいやり方をしていますから」

 煙をくゆらせて、タイラは眉をひそめた。『頭のいい』という部分に何か一言物申したそうにして、しかし肩をすくめたきり黙る。代わりに、「それで?」とタイラは首をかしげた。「それで、このタイミングで俺を街から離して何をする」と。章が目を細める。

「特に何も。そう事を急くつもりはありませんよ」

「それならどういうつもりだ。ここまで根回しする必要があるのか」

「……タイラさんがいない間に何かしようとはしていません。ただ、そうですね。あなたに引き金を引かせるわけにいかないのです。そうなるとあなたは誰彼構わず照準を定めるでしょうから」

「わかるように言ってくれない?」

「あなたのやり方では全面戦争になりかねない、と」

 頭をかいて、タイラは煙草を唇から離した。ため息をついた彼が静かに空を見る。あーあ、とタイラは言った。

「めんどくせえ。わかったよ、こまごました面倒なことは勝手にやっていろ。俺には合わねえ」

 仕方なさそうな顔をするタイラに、章はどこか困ったような目をしてみせる。不意に表情を失くし、「タイラさん」と呼びかけた。どこか不安そうな縋るような顔をして、

「選択を違えたら、僕を殺しますか?」

 と静かに問う。

 タイラは懐から携帯式の灰皿をとって、煙草を潰した。目を伏せて、「そうだな」と肯定する。

「お前の祖父を殺したように、そうするだろうな」

 強い風が吹いて、荒木章のさらさらとした髪をもてあそんだ。章は一瞬だけ目を丸くして、それから親しみをもってタイラに笑いかける。「それなら、よかった」と呟きながら。しかしすぐに、章はいつもの人形のような表情を作った。

「でも、どうにか死ぬ前にあなたに抱かれてみたいなぁ」

「まだ言ってんのかよ。そんな暇があるのなら、イブにでも交際を申し込め」

「本橋さんですか。確かに、迷いますね。タイラさんに抱かれるか、本橋さんを抱くか……」

「イブがこの場にいなくて本当によかったよ」

「どっちも欲しいな!」

「このガキ……」

 呆れた様子のタイラを見て、章はくすくす笑う。本気ですよ、と冗談のように笑う。一度だけ少年の額を小突いて、タイラは背中を向けた。その背に向かって章が呟く。「楽しんで、きてくださいね」と。

 酒場に戻ったタイラは、静かに目を疑う。仲間たちが全員、大きな荷物を持って出かける準備を万端にしていたからだ。都まで、恥ずかしそうにしながらトランクを抱えている。タイラは頭をかいて、「車を借りなきゃならねえな」とひとりごちた。




☮☮☮




「なんでこんな春先に、オープンカーなんだよ」

 アクセルを踏みながら、タイラは声を荒げている。運転しながら電話しちゃいけないんだよ、と後ろに乗ったユメノが唇をとがらせた。

『なんだい、うるさいな。借りる側が文句を言えるとでも?』

 電話の相手は若松裕司だ。寝起きなのか、アンニュイに答えている。『大体、いきなり来て車を強奪まがいに持って行ったのは君だろう。私に落ち度は何もない』と、珍しく不機嫌な声で言った。

「電話しただろ、車を借りに行くって。それであんたが用意していたのがこれだ。なんだ、カバーもついてないオープンカーって。エアコンも効かねえし」

『車くらい買ったらどうだね。よければその車をあげよう』

「いらねえよ、赤のオープンカーって……仕事でもつかえねえよ」

『しかし車を使うたびに私にレンタル料を払うのでは、買ってしまった方が安いと思うのだが』

「場所代やら何やら考えたらまだ安い」

『金はあるだろうに……いつまでも貧乏くさいな、君は』

 うるせえぞ、とタイラは眉を顰める。若松は思わずという風に『ふふ』と鼻で笑って黙った。空咳をしたタイラが、「そんなことよりさ」と話を変える。

「あんた、アラキのぼっちゃんのこと、ちゃんと見ていろよ」

『見ているとも! 今回のこともちゃんと知っている。まあ君を私のホテルに泊まらせると言い出した時には何を言っているのかと思ったが、そう悪い案でもないと思ったのでね。何より、君に必要だろう』

「俺に? どういうことだ」

『息抜きだ。タイラ、最近君は少し疲れているように見えるよ』

「もしそういう配慮ならば完全に空回ってるぞ。俺はガキどもを連れて遠出するということに物凄く疲労感を覚えている」

『遠出と言うほど遠くはないだろうに?』

 ため息まじりに、「オーナー」とタイラは呼んだ。不意に若松が、凛とした声で『大丈夫だ、問題ない』ときっぱり言う。

『章くんは色々と言ったろうが、これはあの子なりの礼だよ。子どもを使った人体実験……私たちも薄々感づいてはいたが、どうしようもない領分だった。君が君らしくめちゃくちゃにしてくれたことを、私たちはそれなりに感謝していたりもするのさ。素直に受け取って、どうか後で旅行写真でも見せてくれないかな』

 私のホテルだから言うわけではないが、いいところだぞ。そう言い残して、若松は電話を切った。しばらく携帯電話を耳にあてたまま、タイラは虚空を睨む。それから「返品不可だってよ」と小さく呟いた。助手席の都は首をかしげて、「チケットが? 車が?」と尋ねる。ぜんぶ、と子どものようにタイラは言った。

 春一番の風が吹く。後ろでユメノが「帽子」と騒いだ。風にさらわれて飛んで行ってしまったらしい。「買ってやるよ」とタイラは言う。

「し○むらだろ」

「ちっげえし!」

 カツトシが、被っていた麦藁帽をユメノに被せた。「日焼けしちゃうもんねえ」「ねー、アイちゃん」と2人で笑い合う。まだ春だぞ、とタイラは顔をしかめた。ユウキと実結が海で遊ぶ算段を立てているのも、「まだ春だぞ」とタイラは苦笑して言う。

「春に海行っても仕方ないっすよね」

 そう冷静に言ったノゾムだって、その大きなカバンの中には水着が入っているのだと仲間たちは知っていた。「まったくお前らときたら」とタイラは嘆く。

 思わず笑ってしまった都のトランクの中にも、まだ膨らませる前の浮き輪が入っていた。

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