第102話 弓術士サブンズの追憶⑥
網膜を灼くようなまばゆい光と、音なき音が鼓膜を叩いた。
目の前で、お頭の腕がビオラの右手と共に細かな破片を飛び散らせながら破裂したのだ。
「うぁぁぁ、あぁぁ、ぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!??」
喉の奥を振るわせ、最後にはその叫び声すら枯らしながらも、俺はお頭の元へと駆けた。
小さな音が大きな音の波にかき消されるように、何度も何度も喉の奥から押し寄せ、俺の頭の中が俺の叫び声の残響でいっぱいになった。
俺が駆けるのはお頭が倒れる前にその身体を支えるためだった。それなのにお頭の元へたどり着くのに二回もすっ転んでしまっていた。
這いずるようにしてお頭の身体を抱き上げたとき、頭に激しく何かがぶつかってきた。怒りよりまず驚きが先で、相手を確かめようと見ると、それは自分の弓だった。左手に握っていた自分の弓だ。なぜか自分の弓で自分が殴られたのだ。
動揺しすぎていて、身体の一部である弓の扱い方がわからなくなっていたのか。
それは違う。
お頭を抱きあげようとして肩に回した手が、空回りしたせいで弓がぶつかったのだ。
目の前の惨状をどう表現すればいいのか。
お頭は手の施しようがなかった。魔力爆発の威力は凄まじく、腕と言わず、右の肩から右の脇腹、あばらもすべて吹き飛んでしまっていた。
弓がぶつかったのも、俺が『ないもの』に対して『ある』かのように触れようとして目測を誤ったせいだ。
目の前のお頭から、生気が失われていっているのがわかった。
お頭が相討ちを狙って仕掛けた魔力爆発は、ビオラの手首を吹き飛ばす効果はあったのかもしれない。俺とボルンゴが荒らした場を鎮める効果もあったかもしれない。ビオラも視界の端の方で、手首を押さえ藻掻いているのが見えた気がした。
だけどもうそんなことはどうでもいい。
俺は混乱した頭の中で、抱き留めたお頭の身体からこぼれてくる血と臓物で半身を濡らしながら、なにが出来るのかを必死で考えようとしていた。
当然、答えが出るわけもなく、
お頭の口唇が動くのが見えた。
「――ち……、か…………」
右の肺は破れている。
それは幻聴だろう。
だけど、そう口唇は動いていた。それだけは間違いない。
うっすらと開いた瞼から、瞳孔の開いた目が空を見上げていた。
お頭はすでに死んでいた。
誰かが俺の肩を激しく揺さぶった。
もう、そっとしてほしかったのに。
目の前に髭づらの男――ボルンゴが俺の頭を掴んで何かわめいていた。
そいつがしゃべるたびに唾が俺に降りかかって不快だったが、なんで不快なのかわからない。不快ってなんなのかわからない。今こうやって揺さぶられていることか。
急に首を90度ほど曲げられた。お頭の後を追わされそうになる。
ボルンゴが指を指すその先に、正体を現したビオラの姿があった。
ビオラの吹き飛んだはずの右手がうにょうにょとした――ああ、そうだ、シャワー口からひり出される赤い挽肉のようなものが生えてきて右手を形作り始めていた。
だけどうまくいかないらしい。
人間の皮を纏って生きてきた
ビオラの血走った目が、俺の胸元を憎々しげに睨み付けていた。
「あ、あ、あ、あ、あ、」
喉から嗄れた音をひり出すたび、俺の頭の中に散らばったピースが必要なところだけ
胸元にあった何か重いモノが地面に落ちたが、まったく気にせず矢を放っていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!???」
ビオラが目を押さえ、悲鳴を上げながら仰け反るのが見えた。
ぢっと手を見る。
なんだかわからないが、血まみれだった。しかもぬるぬるしている。そのせいで弦が滑って自分のタイミングで矢を放てなかったのだが、そのおかげか相手も防げなかったようだ。
「ありゃなんだ?!! ビオラの右手! サブンズ!!??」
隣で俺のばんばん肩を叩いているのがボルンゴだと気がつくのに一瞬かかった。
ざわざわと、場が混乱しているようだった。よく見た面々が、俺ではなくビオラの回りを取り囲んでいる。
俺は追撃の矢を抜こうとしたが、やめた。独りでは倒せない。何のためにお頭は鏑矢を打ち上げさせたのか。自身を犠牲にしてまでビオラの正体を暴いたのか。
代わりに息を吸い、
「全員聞けぇ!!! お頭から命令が届いた!! “留守中に『呪術師』による襲撃に備えろ”、だ!! 現在! ビオラがその呪術師による『呪い』によって
さっきの少女がお頭だとか。恨みだとか。
エミリーを殺したのはビオラだとか。カタキだとか。
カムロばあさんが用具入れの中で死んでいたとか、もう、どうでもいい。
お頭はもうここにはいない。
いなくても、俺たちに今必要なのはそのお頭の命令だ。命令だけが生きている。それだけが俺を生かす。みんなを活かす。なら莫迦のように愚直にそれに従うだけだ。
「あ、あんたねぇ~~、雑魚のくせに、よくもあたしにこんなこと~~」
右目に突き刺さった矢をビオラはぶちりと引っこ抜いた。
すぐさま眼球の代わりが眼窩の隙間を埋めたようで、瞼の奥からうにょうにょとした赤い触手がうっかりはみ出している。
これならビオラが自分を人族だと言い張っても誰も信じはしないだろう。
「ボルンゴよぉ……見てわかるよなぁ!」
隣にいる髭面の男の背中を、今度は俺がばしんと叩く。
「こりゃあよ。ミランダのウチに火ィ付けに行くより、刺激的で、危険で、おもしれえぜ! なぁ!!」
「……っ。くそ、が! おい! お前ら!! ぼさっとしてるんじゃねぇ! ――聞こえた通りだ。ビ、侵入者をぶっ殺せ!!」
ギリッ……と奥歯を噛みしめたボルンゴが、一番槍を構え突進していく。
好いた惚れたとは違うだろうが、ボルンゴはときたまビオラを目で追っていたことがあったのを思い出す。もちろんボルンゴの口からそんな話題が出たことはない。なにせ好きなときに好きなだけ女を抱ける俺たちだ。貞淑毅然と構えるビオラに……少なくとも俺はなんとも思っていなかった。
ボルンゴといて、たまに
俺は正直イラついたが、ボルンゴはツボに入ったのか爆笑していた。
――
戦友として、また
俺の矢がビオラのスカートを地面に縫い付け、体勢を崩したビオラの腹部をボルンゴの槍が貫いたかのように見えた。
ビオラは身体を『く』の字に曲げ後方へと飛ばされた。地面に激突し、ごろごろと転がる。
本来ならば終わりだろう。槍術士の槍の威力は弓術士の矢の比ではない。土手っ腹に槍の太さの風穴が空く。
だが、何事もなかったかのように、ビオラはむくりと身体を起こして見せた。
「気をつけろ! なんかそいつの身体、おかしいぞ!」
ボルンゴが叫ぶ。「全力でいけ!
「死ねや、おらぁ!」
それを聞いてか聞かずか、仲間の剣士が追撃を加えようと、刃をひらめかせ、ビオラに猛進していく。
ビオラはそれに気づき、とっさに両腕で首をかばった。
その判断は悪くない。
だが、そいつは剣士であり、魔力を込めた剣士の『両手持ち』の一撃は、それ自体がまさに必殺なのだと言うことをビオラは知らないのだろう。
十分に剣気が込められた両手持ちの一撃が、ビオラの首ではなく、その側頭部に斬り込まれた。
ガチン! と予想を遙かに超える音が響いた。
しかも、それは頭蓋骨を砕き割る音ではなかった。ビオラの側頭部には刃は食い込んではいない。それどころか、ガチンと言う音が示したように、頭部と同じ大きさの岩を剣ではじき飛ばした感じだった。
実際、ビオラの頭も剣士の『両手持ち』の横凪に再びごろごろと地面を転がしただけだった。
そこでビオラが倒れたままならそれで終わる話だった。
だけど、そうではなかった。
ビオラは地面を転がってすぐに、またむくりと起き上がってきたのだ。
「どうなってやがる!? 不死身かよ、アイツは?!」
ざわっと、動揺が波打つように全員に伝わった。
ビオラも無傷という訳ではなかった。今し方斬り付けられた側頭部からは赤い切り傷が見えたし、ボルンゴの槍を受けた腹からもうっすら血が滲んでいる。
「囲め! 頑強な身体だが、なんてことはないぞ! 全員でかかれ!」
いつの間に合流していたのか、班長が叫んでいた。
ざっと見て、主要な居残り組は全員集合したみたいだった。
「痛ったぁぁぁいい! もぉいらなぁぁぁぁい!! こんな身体いらなぁぁぁいい!!」
突然ビオラが大声を上げた。
「まったく、せっかくあたしが
ビオラは両手を地面に叩き付けて憤った。
左手が素直に地面を叩いたのに対して、うにょうにょとした右手を形作る拳は地面にめり込んだ。
「死にかけのぼけたじじいと馬鹿な女の錬金術師が、色街で盗賊雇って荒稼ぎしてるって聞いてきてみれば! どいつもこいつも馬鹿ばっかりで! 雑魚があたしに逆らってんじゃないわよ! 馬鹿女はくたばった! じじいは先がない! あんたらはもうあたしに付くしかないってことがどうしてわからないのよ! 馬鹿なの? なら死になさいよ!!」
ビオラがわめき散らす。
班長が指文字で指示を飛ばし、すっかり戦闘態勢が整った仲間達が合図を待っている。
今から総攻撃をかけるつもりなのだ。
……総攻撃? 攻撃……。
“――ああ、今ならビオラを捕まえることが出来るだろう。けれど、決して彼女の身体を傷つけてはいけないよ。もしも傷つけてしまったらなら、中から――”
屋敷での記憶が蘇り、ぞわっっと鳥肌が立った。
それは、俺がお頭と大旦那とが部屋で話し込んでいたときに聞こえてきた内容だった。聞くつもりもなかったので記憶をぼかしていたが、確かこう言っていた。
“――凶悪で獰猛なキメラを人間の皮で包んで眠らせて閉じ込めてあるだけなのだから。いたずらに破いてはいけない。起こしてもいけない。人間の皮は脆く傷つきやすいのだから。捕まえるのだけなら容易いよ。大人の女性以上の腕力はだせないからね――”
人間の皮で包んであるだけ、ってそりゃつまり、皮を破いたら……中身が出てくるってことじゃないか。
「おいまて!
「かかれ!」
総攻撃が始まった。
ビオラ一人によってたかって武器を振るう、それはまさに虐殺と呼ばれる行為のはずなのだ。
全員殺しのスイッチが入ってしまっている。今止めるのは不可能だろう。なら俺も参加して――超至近距離での脳ミソ破壊なら、あるいは俺でも殺せるかもしれない。
そう思い直し、虐殺の輪に加わろうとし、ボルンゴに腕を捕まれた。
「サブンズ、近寄るな。連中に任せておけ」
「なあおい、さっきビオラを槍で刺したとき、心臓まで突き刺せたのか?」
少なくとも、俺が見た感じでは貫いてはいなかった。
ボルンゴも不思議に感じていたのだろう、俺の表情を読みすぐに答えた。
「……いや、あばらの隙間を縫ったのは確かなんだが、本気でやってもそれ以上は入っていかなかった。肉を貫いた感覚はなかったけどよ、途中、何かに捕まった感覚はあったぜ」
「俺もだ。腕に刺さったときも、眼球奥の脳みそを狙ったときも、矢はナカの筋肉に捕まった感覚があった。ぜってー突き刺さった感じじゃなかった」
まともに殺したと思えたのは、最初にビオラの背から心臓を狙ったあの一矢だけだ。
背骨を砕き、肉を裂き、心臓に食い込む手応えを俺は感じていた。
だが、それから起き上がってきたビオラは何かが違う。
ビオラは、俺たち程度が迂闊に手を出してよかったのか――?
昔から言われてただろ、お頭に。
絶対に手を出すなって。
わぁ、と歓声のような馬鹿笑いが聞こえた。
ビオラを取り囲んでいた輪も幾分ほどけ、その隙間から現状が見て取れた。
誰かが――、あれは新人の魔闘士の男だ。
3ヶ月前にやってきた、いかにもといった感じの筋肉ゴリラで、よく風俗嬢や町の住人とトラブルになっていた。
名前は忘れたが、女をいたぶるのが好きな性分らしい。
そいつがいま、泥まみれ、血まみれのビオラに馬乗りになって拳をかざしていた。
周囲がやんややんやと囃し立てている。
「どうするんだ? 俺はもう少し様子を見た方がいいと思うがよ」
「剣士の『両手持ち』の一撃を頭部に受けて平然と起き上がったんだぜ。ぜってーまともじゃねぇ。やめさせて、グルグル巻きで……ああそうだ、大旦那に指示を仰ごう」
「大旦那に……って、サブンズ、お前やっぱりどうかしちまったんじゃねぇか? 今さら大旦那がどうしたってんだよ」
ボルンゴが怪訝そうな顔で俺を見た。
俺はなんと言ってボルンゴを説得すればいいのかわからず、目をそらし、
「班長来てくれ! ちょっと話がある」
班長は俺にすぐ気がつくと、小走りでやってきた。
「サブンズ、お手柄だな。一件の犯人がビオラだったとはな。これであいつらケツの穴まで調べなくてすむ。それにしてもお頭からの連絡とはな、今日届いたのか?」
「聞いてくれ。お頭からの連絡の中に、『呪術師の“呪い”は強力だ。肉体は強化され、殺すにしても脳を破壊するほかない』とあった。剣士の刃でも通らなかった頭蓋骨の堅さだ。俺に任せろ。ビオラを立たせてくれれば、俺が左眼窩から脳を破壊できる」
一応考えて言ったつもりだが、うまく伝わったかどうかわからない。
班長は曖昧に頷くと、親指で後ろを指さした。「もう終わってる」
「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらおらぁぁ!!!!」
雨あられ、さらには土砂降りともいえるほどの密度で、ビオラに向かって左右の拳が打ち落とされている。
殴り殴り殴り、さらに殴り殴りつける。魔闘士の男は興奮で頭がどうかしてしまっているのか、口元からのよだれをまき散らし、身体を仰け反らせながらも拳を打ち込んでいる。
ビオラの方はされるがまま、大の字で地面に仰向けになっている。
それを周りの連中がさっさととどめをさしちまえよと囃し立てている。
魔闘士の男は目がイっている。
ゲラゲラ笑いながらビオラを殴りつけている。
やがて周りで嗤っていた連中もこれは少しおかしいんじゃないかって言い始めた。
いつまで経っても終わらないのだ。
魔闘士の身体は『気脈』により強化されていて、握りしめられた拳は魔力が籠もり、淡い光を纏った究極の弾丸となる。
それを打ち込まれれば、よほどのことがない限り、人は死ぬ。
斬られても、射られても、貫かれても、灼かれても人は死ぬが、魔闘士の拳が全力でもって頭部に打ち落とされれば、女の頭部など一撃でブッつぶれてしまう。
それが連続で数十発、もしくはそれ以上、ビオラの顔めがけて打ち込まれている。
ビオラの顔も、当然無事ではない。
綺麗と呼べるほど整った顔はもうそこにはない。頭部の前半分、顔と呼ばれる部分のほぼすべての皮膚が殴られ剥ぎ取られ、剥き出しの筋肉、筋繊維が赤く――赤く――
「もう、やめ、やめやめ、げげげげげげげ……、げげ……」
魔闘士の男がごぽごぽと血泡を吹き出したかと思うと、グキキ、ゴキキと、身体を折り曲げ始めた。
――そこで、ようやく俺たちは気づいた。
ビオラの右手が魔闘士の腹に添えられ、皮膚を越えて浸食していることに。
むくり、顔のないのっぺらぼうが魔闘士の身体ごと立ち上がった。
同時に、魔闘士の身体が精気を吸い取られるように一気にしぼみ始めた。魔闘士の男も抵抗を試み、ビオラの右手を両手で触れ腹からはずそうとするが、持ち上げられている身体ではそうもいかない。
みるみるうちにしぼんで、しわしわになって、動かなくなった。
ビオラが右手を振るうと、魔闘士の身体が宙に舞った。首から落ちた魔闘士はピクリとも動かない。痙攣すら。すでに事切れていた。
それよりも、ビオラの右手が右手首から先にあった触手のようなモノが数十本、まるで紐のように長く伸びていて、それがすべて魔闘士の腹の中に収まっていたのだと思うと吐き気がした。
おそらくは、その触手を使って魔闘士から血や体液を吸い取ってしまったのだ。
そして、想像したくもないが、魔闘士を操り、ビオラの顔を叩かせ、皮膚を剥がさせたのだろう。
本気で叩かせたが、本体には一切ダメージがないって状態なのだろう。顔中血だらけではあるが、今はもう血が止まり、人間の顔の皮膚はすっかり剥がされた。
ビオラの目元が盛り上がり、大きな目玉が二つ飛び出してきた。
20cmほど飛び出しすぎて、まるでカタツムリのようだ。それぞれの目玉がうにょうにょと周囲を見渡している。
続いて犬や獣人のように鼻や口、顔の下あたり異常に前に盛り上がってきた。
やがて、ぼふん、と変な音がして盛り上がったその先端、――顔の真ん中にでかい穴が空いた。鼻の穴のつもりか、収縮しながら空気を吸い込んでいる。
「かかれ! かかれ!」
いち早く正気に戻ったのか、班長が号令をかけた。
「う、うおぉぉぉ!!」
剣士が『両手持ち』でもってビオラに袈裟懸けを放った。
ガキンと堅い硬質音、おそらく強固な鎖骨に阻まれ、刃が止められる。剣士はつばぜり合いのようにさらに両手に力を込め、押し切ろうとする。
ビオラはその剣士をまるで抱きしめるように左手を背に沿わせ、右手の触手を服の裾から差し入れた。途端にびくんと剣士の身体が跳ねた。いや、跳ねたどころではない。ビチビチビチビチと川魚のように頭と身体が小刻みに暴れ始めた。
血を吸われているのだろうか、触手が体内を這い回っているのだろうか。
剣士はもう助からないかもしれないが、矢に魔力を込める時間は十分稼げた。
突然、ビオラの犬顔がぱっくり口を開けた。
口だ。
でかい、でかい、馬鹿みたいにでかい耳まで裂けた口。
なぜでかいって、そりゃ今もまだより口を大きく開けようと広がり続けているからだ。
やがて、かぷりと剣士の頭を覆った……かと思えば、ぶつり、と一気に噛み千切った。
すべて一瞬の出来事ではなかったが、あまりの変化に脳がついて行かなかった。
誰もが動けず、成り行きをただただ見つめ続けている。
ビオラは剣士の頭部を丸呑みしたかったのだろうが、まだ人間の皮膚で覆われている喉を通るには大きすぎたようで、仕方なく噛み砕くように咀嚼を始めた。
ぐっちゃぐっちゃと汚い音が全員の鼓膜を汚す。
――ヒュン、と俺の放った矢がビオラに避けられた。
それは選りすぐりの早矢だった。魔力も速さに特化させて放ったのに、でかい頭部を揺さぶって避けたのだ。
嘘だろ、と内心頬を引きつらせたが、飛び出た目玉が初めからこちらを向いていたこともあってさほどショックはなかった。
もう俺たちの手には負えない。
――ならば、と思い、俺は放心している若い新人の弓術士に駆け寄り、肩を叩くと、顔を自分に向けさせた。
目の焦点が俺に合うのを待って、言った。
「今からお前には大事な仕事を頼む。必ずやり遂げろ。手順を伝える。絶対間違えるな。ここは俺たちが何とかする。お前は俺の指示に従うんだ」
新人弓術士が震えながらも頷くのを待って指示を伝えた。
コイツは俺の生徒みたいなもので指導を付けている間柄だ。やれと言えばやるだろう。頭も筋も悪くない。たいていのことは出来るはずだ。
俺は持っていた弓と矢を邪魔だからと捨てさせると、お頭だった死体を新人弓術士に担がせた。
コイツには今からお頭の死体を担いで屋敷の中に入って大旦那に届け、指示を仰いできてもらわなければいけない。死体は新人が伝えることが真実であるという証明と、ここに置いておけばひょっとすると喰われるかもしれないからだ。
俺は大旦那の部屋までのルートと、部屋の位置と罠の場所を教えた。
「行け。部屋には入らず、死体はそこで置いていい。ノックして現状を伝えて必ず返事をもらってこい。ごねるようなら部屋に死体を放り込め。頼んだぞ」
ばしんと背中を叩いて送り出した。
「せ、先生は?」
「お前が帰ってくるまで鬼ごっこでもしてるさ。おら、急げよ。大仕事だ」
「はい!」
遠ざかっていく足音をかき消すように、ビオラが咀嚼していた剣士の頭部を地面に吐きだした。どうやら多少噛み砕いたぐらいじゃどうにも喉の通りが悪かったみたいだ。
まあ、人間の喉は骨や髪の毛みたいなのは飲み込みにくいしな。
ざっと周りを見る。
放心している者、戦意喪失してしまった者、涙を流している者、そういう奴らを除外すると、やっぱり頼りになるのは俺たち古参の戦闘好きの馬鹿野郎だ。
ボルンゴを始め、班長も俺も、数名の戦士も剣士もまだあきらめた目はしていない。
「ぉおおおるるぁ!!」
ボルンゴが飛びかかった。
俺はそれに合わせて矢を放つ。矢は二本、『イーグル・アイ』を用いて軌道を読み、足の付け根を狙った。
見事に突き刺さり、意識を逸らせる。剥き出しの頭部以外は動きは鈍いようだ。
ボルンゴの槍がビオラのでかい口の中に突き込まれ、ボルンゴは勢いそのまま突進すると、ビオラを屋敷の壁に叩き付けた。
そのまま喉の奥を貫こうとボルンゴは力を込めるが、ゆらゆらとビオラの右手の触手が近づいてきた。それを戦士である班長が自分の武器である三連フレイルで巻き上げた。
俺も弓を連射し、ビオラの衣服を壁に縫い付けていく。
戦士が手斧を全力投擲し、ビオラの太ももに食い込んだ。
「いっけぇ!!」
「おう!」
大剣を持った剣士がボルンゴの背を踏み台にして跳んだ。
空中で器用に一回転すると、大剣を『両手持ち』に構え、大きく振りかざしたまま、ビオラの頭上から魔力全開で一気に振り下ろした。
これで駄目ならお手上げだ。それほどの威力を込めた一撃だったろう。
ガヅンと、鈍い音とともに剣士の大剣は見事にビオラの頭を割っていた。大剣の先が勢いのまま地面にまで突き刺さった。
脳を割られ、さすがにビオラはでかい口……というか割れた頭部ごと力なく下に垂れた。ビクビクとしばらく痙攣をしていたが、気合い一発、ボルンゴが槍を突き入れると槍先は喉の奥を貫通し、壁に突き刺さった。
ビオラはそれで動かなくなった。
班長の三連フレイルに巻き取られたビオラの右手の触手もしおれた植物のように力なく地に落ちていた。
次の瞬間、わぁぁぁぁぁ!! と歓声が上がった。
びびって動けなかったヤツらからの歓喜の叫びだった。働きもしないのに人一倍喜んでくれていたのが笑えてしまった。
ボルンゴは突き刺さった槍を2,3回喉の奥を
「おう、お疲れさん」
「ああ。お前もな。……危なかったな、今回。二人死んだ」
お頭を数に入れず、俺はボルンゴが差し出してきた拳を拳で受けた。
「ビオラ……なのか、コイツは。いったいなんなんだ? 俺がお前と別れたあと何があったんだ?」
「コイツは元ビオラだ。…………お前と別れてすぐさっきの少女に会った。うまくは言えないが、大旦那の隠し子だ」
「はぁ?!! マジで?!」
ボルンゴが目を丸くして食いつく。
「誰にも言うなよ。お頭の義妹だ。アルカディア2号店で暮らしていたらしい。その子に大旦那のところまで連れて行かれていろいろ聞いたのがさっきの内容だ。最近の不審死騒ぎはビオラに化けていたそこの化け物の仕業ってことだ。
――あ~あ、思い出したぜ、頭いてぇな」
「悪かったよ。俺はお前がとち狂っちまったんじゃねぇかと思ったからよ。なんせ、戻ったらお前がいねぇし、探してて見つけたらビオラを殺そうとしてるだろ、そりゃ止めるだろ」
「俺が理由もなくビオラを殺そうと――まあ、会うたび何回も矢に手が伸びかけたことはあったけどよ」
「そうだろ。それが今日――」
ボルンゴの視線が俺の後ろを見た。
振り返ると、新人の弓術士が、まだお頭の死体を担ぎながらそこにいた。
行って返事もらって帰ってきたにしては早すぎるので、途中歓声を聞いて、気になって戻ってきたのだろうか。
「先生、あの……」
新人の弓術士の顔色が悪かった。
「ボルンゴ、悪いちょっと外してくれ」
「あいよ。っと、班長! どうだったよ、今回の俺の活躍はよ!」
意気揚々と離れていくボルンゴを見送り、俺は新人弓術士に向き直った。
「戻ってきたのか。何とかこっちは無事終わった感じだ。もうその死体は下ろしていいぜ。俺が持って行くからよ」
「いえ。……あの。こ、この人が、話す、話す? そうです。なんで、生きているのか、わからないですけど」
新人の弓術士はそう言うと、白目を剥きひっくり返った。
俺は慌てて新人の弓術士を起こそうとして、
『その声は、サブンズ君なのかい? ああよかった。その子は僕の声に混乱しているみたいだったから、ちゃんとこの身体を届けてくれるか心配だったんだ』
お頭の、動くはずのない喉の奥から声がした。
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