第101話 弓術士サブンズの追憶⑤
壁を背に、俺は長く息を吐いた。
肺から絞り出された空気が、固く閉じた歯の隙間を縫い、唇を押しのけて散っていく。
もうなにも出せなくなっても、足りなくなっても、吐き捨てたモノが再び口の中に戻ってこないように俺はそのままじっと息を止めた。
部屋の中からお頭と大旦那がなにか話しているのが聞こえてきたが、意識をわざとぼやかして聞こえなくしていた。
ふと、先の曲がり角の壁に黒い虫が這っているのが見えた。
「……なんか、むかつくな」
反射的に弓を構え、無意識に矢をつがい、感情のままに放った。
矢は廊下をまっすぐに飛び、曲がり角の壁にカン、と音を立てて突き刺さった。
魔力を制御して放ったので、
動揺は、ない。
少しばかり苦しくなってきたので息を吸い込み、ため息を吐いた。
虫? 知るか。ビオラの仕事だろ。
「おい、何の音だ」
ガチャリとドアが開き、お頭が不満顔で出て来た。
やはり、見たことのない横顔だった。お頭に10歳くらい年の離れた妹がいたなら、この子がそうだろう。紹介されたらきっと信じてしまうだろうか。
ボルンゴのヤツはこのことを聞いて、素直に信じるだろうか。
「ただの試射です。矢はまっすぐ飛びました。次の矢も的を外したりはしないでしょう」
「まったく。ここをどこだと――いや、もうするな。……矢は抜いておけよ。まずは医者と助手を探すぞ」
「はい」
俺は矢筒から新しい矢を抜くと、先行して進み、突き刺さった矢を無視して角を曲がった。お頭の身長より10cmほど上を狙ったので、普通に歩く分なら壁に突き刺さった矢には気づくこともぶつかることもないだろう。
小さくしたたかな、子供の仕返しのような幼い反抗。
お頭の目が治るまでのわずかな時間、膨らみすぎた風船のような感情が、あの鏃の隙間から吐息のように漏れ出てくれることを願いつつ。
――ああ、感情を制御できるスキルでもあればいいのに。
角を曲がってすぐに左右にドアノブが見えた。
正面には高い位置に窓があり、淡い光が差し込んでくる。
意識を集中させて音を聞くが、お頭の近づいてくる足音以外なにも聞こえない。
「左が研究室。右がわたしの私室だ。どちらも不用意に開けようとすればドアノブが手首を吹き飛ばす」
「むちゃくちゃだな。お頭、今までの女中のなかにそれで死んだヤツはいなかったんですか?」
「死んだヤツはいないが、手首が吹き飛び働けなくなったヤツならいたな。まだ天井にそのときの飛沫が付いているだろう」
「おっかねぇ」
俺は天井に目をやることはせず、正面の窓の外に意識を集中させていた。
ここまでの廊下にも大旦那の部屋にも窓はなかったため、仮に狙撃があるとしたらここだろう。
「アレは窓じゃないぞ、サブンズ。この屋敷のなかに通気口はあるが窓はない。アレは集光レンズと呼ばれるものだ。外からのぞき込んでもこちらは見えない特別な造りのガラスだ。日の光を吸収し、月明かりすら溜め込み、夜も昼も、外が曇りでも雨でも一日中ああやって照らしてくる。
わたしやおじいさまが研究所にこもると数日は外に出ないからな。たまには廊下に出てその光を浴びるわけだ」
そう言いながら、お頭がすたすたと俺の隣を無防備に通り過ぎる。
俺が立ち止まっていたため、窓に興味を持ったと思ったのだろう。
「身体に悪いですぜ。そういうの」
背後を確保しつつ、お頭を抜き去って次の角の安全を確保する。
「大丈夫だ。寝て起きて食事して日の光を浴びる。実に健康的だ。ただ、わたしの私室には時計を置いていない。時間という概念が研究の妨げになるからな。そればっかりは我ながら――」
「止まってください」
雄弁に自分語りをするお頭を、俺は自分の指を鳴らし止めた。
矢を番えながら放ったパチンと言う指鳴り音が周囲に響く。
「……誰だ?」
沈黙を破り、お頭が口を開いた。
「誰もいませんが、微かに血の臭いを感じました」
「床か壁に血痕でも見つけたか?」
「いいえ。近くの用具入れの中からです。気配はしませんので開けますが、ここには罠はないですよね?」
通路の脇にあった観音開きの用具入れの扉から血の臭いがするのだ。
集中した意識のなかで感じた微かな血の臭いだ。
「ああ。開けろ」
警戒しながら足でカチャリと開けると、きちんと片付けられた掃除道具のとなりにもたれかかるようにした一人の死体が見つかった。
「――ッ。カムロばあさんです。死因はわかりませんが、顔面がつぶれて、鼻血で衣服が濡れています」
「撲殺体か」
俺はカムロばあさんの身体に触れ、脈がないのを確認し、筋肉のこわばりをみた。
遺体は正座をしていて、両腕は頭部が自重で倒れ込まないようにおかしな曲げ方をされていた。
すでに死後硬直は始まっている。
「そのようですね。カムロばあさんとは今朝会っていますから、そのあとでしょうね。……お頭も触れてみますか?」
「そうだな。手を導いてくれ」
気持ち悪いからやらないとでも言うかと思ったが、お頭は積極的に進み出てきた。
素直に感心してしまう。
「わかりました」
俺はお頭の手を取ると、カムロばあさんの頬に触れさせた。お頭はそのまま強い力でカムロばあさんの顔を強く押したり、胸骨、腹部と手を差し入れたりした。
「……素手だな。話からしてなにか鈍器かと思ったが、これは左右の拳で殴り殺されている。外傷性ショックだろう。どうだ、サブンズ。エミリーの時と状態は同じか」
「そうですね。でも、エミリーの方がもっとひどかったと思います。腫れがひどく、服装と髪色でしか見分けが付かなかったですから」
死体確認に言った時を思い出し、俺は眉をしかめた。
「腫れるということは時間をかけて何度も繰り返し殴られたということだろう。死体を殴ってもそうはならない。エミリーは『暴行を受け、情報を聞き出されたあと殺された』。カムロ婆は『殺すための暴行を受けた』、と言ったところだろうか」
「魔闘士の犯行でしょうか」
「それこそまさかだ。ウチにいる魔闘士を見ろ。彼らなら全員一撃で頭蓋骨を砕くだろう。それに全く魔力の残滓がない。拳の大きさからして子供か女性のものだな。一撃一撃が軽い。殴りなれていない証拠だ。始めに喉を潰し声を上げられなくしたあと、拳で相手が死ぬまで殴り続けたようだ」
「……女?」
検死を終えたのかお頭が立ち上がる。
「ビオラの仕業だろうな」
お頭が急に自分の指輪の調整をしたいと言い出したので、その間、立ち止まって少し話をしている。
「こうなると、おじいさまの部屋にいない医者と助手は、二人と同じように殺されたと考えるのが普通だな。……外はお前達が四六時中見張っているとするなら、現場はともかく、一時保管は予冷庫か貯蔵庫か、隠せるところはそんなところだろう。ビオラのことだ、狭い場所でも置けるよう遺体は小さく畳まれているだろうな」
「殺し方も同じように撲殺だろう。人の殺し方を教わってきていないモノが、自分なりに考えた末の行動だろうが、道具を使わないのがまた可笑しい。どこぞで部下がこの町の住人を殴っているところでも見ていたんだろう」
「動機? 動機か。動機……。動機ねぇ。まあ、まて。これは単純な殺人事件じゃない。わたしとお前ではビオラの人物像が違いすぎる。当然ビオラは処分するつもりだが……うーん」
「――しかし、ビオラを殺すにしても、少しやっかいだな。実を言えば、アレはおじいさまの親友で同志の錬金術師ふたりが、アルカディア6号店開店にあわせ、おじいさまと共同制作したキメラだ。42種の魔物から人間として利用できる器官を集めて合成、こちらが用意した人間の器に詰めて、若い女の魂を宿らせた一品ものだ。魔物を混ぜ合わせた混沌からキメラの
「本来は凶暴で知性のかけらもない、まさに手の付けられない化け物が生まれてくるところだが、その化け物から野生をなくし、人間性を組み込んだり、凶暴性を破壊性を剥ぎ取り、母性を基にした慈愛と慈悲を組み込んでみたりしてな。“捕食”を禁じて会話スキルをいれたり、“強欲”を禁じて奉仕精神を組み入れたり、“攻撃性”を禁じて家事全般を組み込んだりとかな。ビオラは魔物を原料に人工的に造られた
「ビオラはアレで生誕6年目だが、若い女の魂の記憶から引き継いだ知識で自分の年を21だと思っている。先日なんて、『私の方が年上ですね』と言われて面食らったものだ。いろいろとわたしの世話を焼きたがるが、始終五月蠅くてかなわない」
「ん? ああ、そうだ。いいところに気がついたな。お前の言うとおり、『殺す行為・行動』を禁じられているのになぜビオラが『殺し』を行えたかだが……。彼女は【ロボット三原則】のような行動制限はできているはずだからな。
仮説を立てると、
① 何らかの方法でビオラの意識を乗っ取った上で、敵の呪術師がビオラを操作して殺人を行った。
② ビオラにかかっている『不殺プログラム』を一時的に書き換えたか。
③ ……あまり考えたくもないが、故意に『エラー』を生じさせたか。
④ 代替脳のようなモノを取り付かせて人格を乗っ取ったか」
「どちらにしろ操られている状態のようだが、本人にはその自覚はないだろうな。ただ、同僚を殴り殺し情報を吐かせたとして、何の情報を得る……? エミリーにあってビオラにはない情報。ビオラが頼んでもエミリーが話してくれない情報だ。そんなものはない。おじいさまのバイタルサイン等の情報共有は行われているはずだ。だいたいビオラの方が勤務年数が長い。エミリーの性格からしても隠し事をする性格とも思えない。地下の施設もおじいさまの寝室のこともカムロ婆から教えられているはずだ。わたしの私室と研究室、地下の小部屋については立ち入り禁止を全員に厳命している。情報収集ではないな。だとすると、逆にエミリーがビオラの正体に気がついて問いただしたというのはどうだろう。
その疑惑をおじいさまに報告されないために始末した。その可能性が最も高い。……いやまて、違和感が残るな。
先ほどのビオラとの接触からしても、通常とかわらないように思えたが、ただひとつ、わたしの顔に触れたときに本当に目が開かないか、確かめているような行動があった。なぜだ?」
「ビオラはわたしとおじいさまの世話をするように造られている。戦闘用の知恵や知識はない。わたしやおじいさまに直接危害を加えることができないのは、先のおじいさまにかけられた『呪い』の一端を見ればわかった。ただ単に深く眠らせられているだけのようだったし、点滴も数時間おきに新しいものに換えられているようだった。身体も清潔を保たれていたし、床ずれも問題なかった。
では、呪術師の目的は何だったのか。
❶ビオラを使っておじいさまを暗殺――しようとしたが、予想以上にビオラは扱いづらく、おじいさまを殺すことができず、やむを得ず昏睡状態においた。
❷ビオラを使っておじいさまを昏睡状態にし、そのままじわじわ衰弱死させている途中だった。もしくは……いや、ないな」
「――さて、さしあたりビオラの始末だが、直接心臓か脳を攻撃して破壊。④の場合、しばらく様子を見るのがセオリーのようだが、一度でも殺せばビオラに組み込まれている『不殺プログラム』が完全に解ける。今回の場合は全く機能していないようだが、本来は理性が働くの同じように、その行為を行うことはできなくしている。ただ、このプログラムは少々縛りが強すぎて、料理スキルの妨げになることもあるし、害虫駆除すらままならない役立たずだ。
なに、去年の夏に蚊を叩いて回っていただと? それはたぶん、わたしとおじいさまが被害に遭うのを未然に防ごうとしていたんだろう。ビオラ自身は蚊に食われない体質らしいからな。しかしなんだ、『不殺プログラム』はザル仕様だな」
「呪術師が人体に『呪い』をかけられる場所はそれこそ無数にあるが、意識ごと操るとなると心臓か脳か、そのどちらかに自身の魔力で術式を施さなくてはいけない。心臓に術式を施したなら、ビオラは殺人を意識的に自分の頭で考えて行動を取ったと言うことになる。『目的』を与えられ、それに付き従わなくてはいけない衝動に駆られての行動だ。たとえば、『わたしとおじいさまを守る』と言う“大義名分”の前ならすべてのことが正当化される。エミリーがわたしを殺そうとしている、そう思い込まされればビオラはエミリーを追い詰めて殺すかもしれない。
逆に、脳に術式を施されたなら、ビオラ自身の人格は封印され、成り済ました別人格がビオラの記憶を引き継いで計画的に殺人を行っていったことになる」
「『呪術』の術式はいわば“契約書”のようなものだ。それでもって人体や人形を自由に動かすことが出来る。目的や方針を契約書に書き込む。指示を与える。魔力供与があれば自由意志で門番にでも出来る。
ただ、“契約書”が破壊されれば、その縛りも繋がりもその一切が断たれることになる。借用書も破られたりしたら用をなさなくなるのと同じだ。
サブンズ、どうだ? お前は脳と心臓、どっちに術式が施されていると思う?」
「ははは。見事正解すればボーナスを出してやろう。わたし個人的には心臓であってほしいがな。蘇生もなにもしなくてもいいし、半刻ほど放っておけば自己修復するだろう。
自己修復が珍しいか? お前だって怪我をしたら唾付けておけば治るだろう。ビオラの修復能力は腕を切り落としてもニョキニョキ生えてくるレベルだ。そうでないなら、魔力も込めずヒト一人殴り殺しておいて拳が壊れないわけないだろう」
「ただ脳であった場合、ビオラの人格はすでに消滅しているため、新しい『魂』をおじいさまに入れてもらわなくてはいけなくなる。そうなれば、また二人の錬金術師に連絡してそれぞれの分野で調整をしてもらわなくてはいけなくなる。どちらにしろ二人には事後報告するつもりだが、うち一人は少々わたしの苦手なタイプでな、ねちねちと嫌味を言われるのがわかりきっている。それが本人目の前に直接言われるか、数十枚の文面を通してかだとすれば、絶対に後者だろう。わたしは嫌だ」
「なにをいうか、わたしにだって苦手なことはある。今一番嫌いなことが『彼女』から説教を延々と受けることだ。『彼女』はおじいさまと同等レベルの能力を有していて、わたしとは格が違う。幼少期に師事してたこともあるから頭が上がらない。おじいさまの親友でなければ金輪際関わりたくもないが、ビオラの件ではそうもいかなくなる。ああ、嫌だ。
もうひとりの錬金術師はだと? ……さあな。おじいさま以上に研究熱心な変人という印象だな。今回のことも面白がってくれるだろうな。前向きでへこたれない手本とすべき所のある変人だな。距離をとっていれば好意的にも思えるが――
―――。
―――。
―――。
そうして今、俺はビオラの射殺体を少し離れたところから見ている。
ビオラはお頭と外で話しているところを俺が後ろから
兄貴の死因と同じように、後ろから同じ角度で背骨と心臓を正確に射貫いた。
ビオラは悲鳴も上げずに、前のめりで、ぱたりと倒れて、そのままだ。
心臓を貫いたにしては少ないが、突き刺さった矢の周辺から赤い血が染み出している。
「ご苦労だったな、サブンズ」
トコトコと近くまでやってきたお頭が俺に声をかけて、ふっと我に返った。
矢を射た状態のまま、ぼぉっとしていたらしい。
よく言えば、“残心”だったが、俺に初めから心なんてなかったような気がする。
さっきまで「さぁさ、一緒に入りましょう♪ お背中と言わず、全身あますことなくビオラにお任せください♪」などとはしゃいでいたビオラを後ろから射殺したのだ。
「言われたとおり、背骨と心臓を射貫きましたが、動きませんね。……このまま待つんですか?」
そう声をかけると、俺の位置を修正したのか、お頭の顔がこちらを向いた。
「ああ。ただ
それでも凶悪なキメラで出来ていることは変わらない。たとえ人間の器に収まっていたとしてもな。心臓ではなく、脳を押さえられていた場合、リミッター解除、なんてことをしでかしてくるやもしれない」
うつぶせのビオラの死体がビクン、と動いた。
「お頭。動きました」
「――ずいぶん早いな。30秒と経っていないぞ。サブンズ、わたしが合図をしたら鏑矢を打ち上げろ」
「はい。……お頭、目はまだですか?」
「もう少しだ。眼球は動くようになったし、光のような刺激も感じる。早く終わらせて湯につかりたい」
ビオラの死体――いや、すでに蘇っているのか、その背中に刺さった矢がせり上がってきた。
にわかに信じがたいが、むりむりむりむりと、背中が小山のように盛り上がり、体内から異物として矢を吐き出さんとしてくる。
今までのお頭の話がすべて真実であったと、今までの常識をあざ笑うかのように……ビオラは立ち上がった。
矢は、鏃がメイド服の内側に引っかかり、背中にぶら下がっている。
ビオラは向こうを向いていて、顔がわからない。
「(ビオラが立ち上がりました)」
小さな声でお頭に伝える。
「ビオラ。どうしたんだ、急に倒れて。わたしはこっちだぞ」
「…………」
お頭が平静を装って声をかけた。
ビオラは聞こえていないのか、ぼんやりとつっ立ったままだ。
「ビオラ。聞こえているなら返事をしろ」
「…………」
「ビオラ。わたしの声が聞こえないのか?」
「…………」
ビオラが俺たちの話し声に気がついて、こちらに向き直った。
ビオラは――ビオラのままだった。
顔に多少の砂粒が付いているほかは、とくに変化もなく、貫いたと思っていた矢も完全に身体を貫通していなかったのだろう。胸部には出血の染みがなかった。
「(ビオラがこちらに気づき、向き直りました。表情に感情の起伏は感じられません)」
ビオラはぼんやりと立ったまま、どこを見ているのかわからない目を向けてくる。
「……
俺は言われるまま弓を引き絞ったが、ビオラと目が合い固まってしまった。
ビオラは命乞いをするでもなく、ぼんやりとただ俺を見つめてくる。
「お頭。確認ですが、ビオラが犯人ではないという可能性はありますか?」
「ない。次に倒れたらその隙に直接頭部に触れて施術可能か判断することにしよう。殺せ」
「わか――、お頭、ビオラの口が動いています」
「なんだと?」
ビオラの口がわずかながら動き始めたのだ。
唇を読むことは、静穏のまま潜む弓術士の必修技術として俺も身につけている。
ビオラの唇は、同じ言葉を繰り返しているようだった。
「『イッ・ツ・ショー・タイム』」
口にすると同時に、にぃ、とビオラの目が嗤ったのがわかった。
「きゃたたたたたたたたたたたたたたたたたたた~~~~ぁぁぁ~~」
ヒトを小馬鹿にするいつものビオラの笑いとはまるで違う、愉悦のままに感情を揺さぶろうとする耳障りな音響。
「サブンズ、頭部を射貫け! ④で確定だ!」
主人の言葉よりも早く、この声を止めたいと俺は矢を放っていた。
矢は頭部をかばった腕に阻まれ、致命傷にはならなかったが、後ろに引かせるだけの威力はあるようだった。
――マジかよ、貫けねぇのかよ?!
「鏑矢!」
お頭の声に追撃をあきらめ、矢を取り替えて俺は空に鏑矢を放った。
ピューーーーーーーーーーーーールルルルルルルルルル~~~~~~~~……。
甲高い風切りの音響が空へ空へと上っていく。
この音を聞いた仲間達がこぞって駆けつけてくるだろう。この音の意味は、『参戦せよ・攻撃開始』だ。
俺がこの鏑矢をここで放つ以上、冗談だと思うヤツはいないだろう。
ビオラはその隙に跳ね起きると、腕に突き刺さった俺の矢を口で引き抜いた。
「わたしが許す。サブンズ、お前が判断してビオラを殺せ」
「了解です。お頭は後ろに下がっていってください」
俺は矢筒から2本一気に引き抜くと弓に番えた。
そこに――
「んだぁ? 今の音はサブンズかよ。なにして――??! はぁ!?? そいつ、ビオラじゃねぇか?!!」
庭の内塀からボルンゴの髭面が顔を出していた。
「ボルンゴ、手を貸せ! こいつ――」
「きゃぁぁぁぁぁ!! ボルンゴさん!! ああ、助けてくださいぃぃ!! サブンズさんが急に、急にっっっ!!」
俺の声を遮るように悲鳴を上げ、ビオラはよろめくようにボルンゴの方へと駆けだしていく。
俺は逃がすまいと、番えた2本の矢を同時に放った。
――イーグル・アイ発動。
矢は寸部狂いなく心臓と脳とに突き刺さる――はずだったが、どちらもビオラの両腕に防がれた。
感覚からして、2本の矢、そのどちらもビオラの両腕すら貫通できていない。
分厚い重厚な筋肉の束によって阻まれたイメージを受けた。
「ギャアアッ!!」
それでもダメージはあったのか、ビオラは悲鳴を上げると転がるように地面をなめた。
俺は追撃の手を緩めず、再度2本の矢を矢筒から引き抜く。
「サブンズ??! どういうことだ、これは!? ちょ、コイツがむかつくのはわかるけどよ、なにも殺すことねぇだろ! 何があったんだよ?!」
「私がぁ! 私が悪いんです!! 私が、サブンズさんにひどいことを言ったから!!
私、ごめんなさい!! ごめんなさぃぃ!! わぁぁぁぁぁん!!」
ビオラは座り込み、両腕で急所をガードし、なにやらわめいている。
俺は意識を集中させ、魔力を目に込めた。
ぼわぁんと、視界が赤く染まり、イーグルアイが再度発動可能になる。
引き絞られた弓から2本の矢を同時に放つ。
距離14メートル。こんな近くでの複射は初めてだったが、俺は出来ると確信していた。
矢の軌道を2本同時に曲げる。
俺のイーグルアイで射線の軌道を読み、魔力でその軌跡をコントロールする。
――標的、始点、そしてもう一つ、心位点。
この三つの点が一つの線でつながるとき、矢は必ず標的を貫くだろう――
学校で教わった通り、その三つを結び矢を放った。あとは標的を射貫くだけだった。
狙いはただひとつ、左目眼窩からの脳の破壊だ。
放った2本の矢がそれぞれ違った軌道をとりながら左目を目指す。
「ルルルルァァァァァ!!」
バジン、と。矢が弾かれた。
なにか、黒い鞭のようななにかが、俺の渾身の矢を2本とも弾いたのだ。
「――ぁ?」
俺の口から変な声が漏れた。
矢はその黒いのに軌道を外され、力なくどこかに飛ばされて行ってしまったのだ。
「馬っ鹿野郎!! サブンズてめぇ!! 女にギャアギャア言われたくらいでキレてんじゃねーよ!!」
「あ?」
ボルンゴがビオラを背にかばい、槍を構えてなぜか俺と対峙していた。
矢を弾いたのはボルンゴらしい。
すげぇ顔で俺を睨んでくる。
一瞬何が何だかわからなかったが、
「ボルンゴてめぇ!! 今なにしやがったかわかってんのか!!?」
「サブンズてめぇ!! 今なにやったのか、わかってんのか!!?」
次の瞬間、ドゴォンとお互いの頭蓋骨を叩き合わせて、お互いの襟首を握りしめていた。
危うく意識を彼方まで吹っ飛ばされそうになるが、俺は気力を振り絞り目の前の馬鹿に言ってやった。
「ビオラだ! 犯人は!! エミリー殺しも、カムロばあさんも殺したのも!!」
「違いますぅ! 違いますぅ! 私がサブンズさんにひどいことを言ったから、サブンズさんが急に怒って、ぶっ殺してやるって!! うぇーーん(チラッ)」
「なんでそうなるんだよ!!? 急にいなくなったと思えば、危ねぇまねしやがって! ビオラは殺すなってお頭に言われてんだろーが!! 命令違反で死んだヤツが何人いると思ってんだ!!」
ゴヅン!
「そのお頭が、ビオラ殺せって、俺に命令したんだよ!! それを! お前が、邪魔しやがって!!」
「どこに、お頭がいるって、いうんだ、この野郎!!」
ゴヅン! ゴヅン!!
端から見れば闘牛が二人、角を突き合わせて戦っているように見えるんだろうか。
「や、や、えてくださぁぁ~~いい。ビオラが、悪いんですぅ。もうしませぇぇぇ~~ん。うぇ~~ん(チラッ)」
「うるせぇ、黙ってろ!! 早くどっか行け!!」
「ふざけんな! 下手な演技しやがって、そこを一歩も動くな! ぶっ殺してやる!」
「ふえぇ~~ん。ふぇぇぇ~~ん(ニヤリ)」
ビオラは両腕の矢をブチブチ引き抜くと、顔と胸をかばいながら逃げ出そうとする。
その腕の隙間から、真っ赤な舌が伸び、「ま・ぬ・け」と口にしていた。
「ボルンゴ! サブンズ! もういい!!」
お頭の声にふっと我に返った。
そういえば、当の本人に説明してもらえばいい。うん、それがいい。
頭いてぇ。まじやべぇ、気絶しそうだ。
「あ゛あ゛?! 誰だ、くそがき! 引っ込んでろ! だらしねぇ格好しやがって! ここは立ち入り禁止だって、教わらなかったのか!!」
ボルンゴが吠えるのを聞いて、だめだこりゃと俺はボルンゴの胸をドンと押した。
そのまま距離をとろうとして、ふらふらふらと
「おい、大丈夫か、サブンズ」
「だ、いじょうぶなわけねぇだろ、馬鹿野郎……っ。堅てぇ頭しやがって……、そいつはおまえ、お頭――」
「ビオラ!」
お頭が大声を放った。
まだ目が開いていないのだと、あさっての方向を向いたお頭の後頭部がそれを物語っている。
「どこに行くつもりだ。お前はおじいさまのお世話を放棄してこの屋敷から出て行くつもりか!?」
逃げる気満々だったのだろう、ビオラはよろめくフリで、たったかたったか敷地の出口を目指していた。
その足が止まる。
一拍あって、くるりと振り向くと、
「私もう、もうこんなコトされてまで、ここで働こうとは思いません! もう結構ですぅ。これまでですぅ。お給金はいりませぇん、今すぐ辞めさせてもらいますぅ!」
「そうだろうな。引き留めはしない。こう後手後手になっては後を追えないだろう。最後に名前でも聞いておこうか」
「私の名前は『ビオラ』ですぅ。もう忘れたんですかぁ。ちょ、なに近づいてくるんですか?! 来ないでください!」
お頭がビオラの声を頼りにトコトコと近寄っていく。
ビオラはぎょっとした顔で後ずさりをするが、お頭は無警戒で近づいていく。
「おいガキ!」
ボルンゴが吠えるが、俺が指文字を使って『静かに・口をつぐんでじっとしていろ』のサインを振ると、「あん?」といった感じで首をかしげた。
「わたしの負けだ。ビオラはくれてやる。二度と来るな」
そう言ってお頭は右手を出した。
差し出された右手に、ビオラは反応に困った様子だったが、お頭は左手も差し出すと両手のひらをビオラに広げるようにした。
「訂正してやる。……わたし達の負けだ。二度と来るな」
続くその言葉にビオラは、ぶぶっ、と急に吹き出し、痛そうに丸めていた背筋を伸ばすと、その右手をがっちりと握った。
「また今度ねぇ。お じ ょ う さ ま」
ビオラはお頭にそっと耳打ちするように――俺に見せつけるように唇を動かし、そう言った。
お頭の肩が微かに震えるのがわかった。
ビオラがそれに気づき、おやっとお頭の方を見た。
少し身体が離れるが、その右手は互いに強く握られたままだ。
お頭の肩の震えが徐々に大きくなり、ついにはあっはっはと笑い出した。
複数の足音が耳に届き始めた。わらわらと仲間達が集まり始めた。
ビオラの顔が不快感にゆがむ。
「錬金術師を舐めるなよ。呪術師風情がっ!」
――瞬間、お頭の右手が魔力爆発した。
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