第100話 弓術士サブンズの追憶④
「『閃光』アシュレイには『神槍』ユーエンと『雷鳴』ウィリアム。
『格闘王』ドルゲイには『毒手』ホンに『炎の翼』ハジュン。わたしが名前を知る相手はその二人だけだが、あとの二人、【戦士】のほうには『鉄杭』ロペスとボービィたちを。【シーフ】の方には『首切り姫姉妹』ミレアとアロマを当てた」
「……さっき一人はウィリアムさんが最初に射貫いたってお頭言ってましたけど、なら、残り5人じゃないんですか? あとひとりは?」
ああ、とカーテンの向こうで少女の影は頷く。
それにしても先ほどからごそごそとカーテン越しで何かしているようだが、大旦那の容態でも診ているのだろうか。目が開かないのだから、できても血圧とか呼吸とかだろうけど。
「そいつはロペスが仕掛け、大戦槌で腹を吹き飛ばしたのが見えたが、『コイツは
本体が身を隠していて、違う場所にいるのだとしたら――おそらくそいつは『呪術師』だろう。その証拠に、その土塊人形はそのあと急に動き出し、乱戦に乗じてミレアの足に絡みついて自爆した」
「自爆、ですか?」
俺はぎょっとして聞き返した。
「魔力爆発だ。あれはそう難しい術式じゃない。地下の指輪保管庫の罠も魔力爆発を応用した罠だ。規模は限定的でずっと小さいがな。ただ、わたしが見たあれは、遠隔操作……あるいは自立式人形を魔力で操作して標的に取り付かせていたのだとしても、魔力回路を魔力爆発の回路に瞬時に切り替えて作動させるなど『呪術師』以外にはできないことだ。さすがのわたしも『遠視』越しでは判別がつかなかった。
ミレアの死にアロマは半狂乱になり、そいつに……名前がないとやはり語りにくいな。まあいい、ふたりが相手をしていた【シーフ】に殺された。【シーフ】はその後、ロペスの相手の【戦士】と合流して戦闘になった。一体多数で追い込まれていた【戦士】は【シーフ】の加勢により息を吹き返していった。二人は連携が取れていたようだったな。【シーフ】はただひたすらボービィ達の指輪を奪いまくっていたようだった。指輪のない状態ではそこらの町の
俺は少女の言葉を元に頭の中で状況を描き出し、自分がどこにいるべきかシミュレートする。
樹木という遮蔽物の多い森の中での一戦と言うが、弓術士もランクAを越えるとさして気にならない。むしろ、“射”のときの魔力の込め方次第では矢をわずかに曲げることができる。もっとも標的を視認できている場合に限るのだが。
遮蔽物の陰から矢が飛んでくるのだ。同じ弓術士でもない限り、大気の震えを捉え、初撃を防ぐことなどできないだろう。
ウィリアムさんはまずはそうやって一人を仕留めたに違いない。
続いてはどうするか。少女はウィリアムさんの相手はアシュレイという【剣士】だと言う。【槍術士】とタッグを組んでいる。
自分ならどう攻める。ウィリアムさんならどう攻めただろう。
夜戦は無理なので、昼間の戦いを想像する。
「――ウィリアムがアシュレイに殺されたのがその頃だったな」
思考の糸がぷつんと切れる。
「アシュレイは一貫してユーエンとの戦闘を避け、初めからウィリアムを標的として追っていた。相手がひとりならウィリアムにもやり方はあったろうが、同時にドルゲイにも追われていた。
仲間の敵討ちか、もしくは最脅威の排除を優先させたか」
「…………後者だろうな。あの人の弓は最強だ」
弓術士の戦い方は相手とは常に距離を保ち、得意とする間合いに相手を留めておくこと。時には背を向けて全力で逃げ出すこともある。
距離を詰めさせないことが弓術士の大原則ではあるけれど、だからといって二人同時では距離を保ち続けることもできなかったのだろう。
ああ、生存者はたった2名だけだと聞いたばかりだった。ミランダのことでいっぱいでウイリアムさんのことを忘れていた。……嘘だ。考えないようにしていた。
もうあの美しい“射”がみられないと思うと、暗澹たる気持ちに拍車がかかった。
「大きな戦力ダウンに一時は戦況をひっくり返されかけたが、ホンとハジュンがドルゲイを倒して、二人がそれぞれの加勢についたことで戦況は一時覆ったかのように思えたが――」
「ふはっ。『格闘王』が死んだんですか。死ぬもんなんですか。要塞都市の王様を俺たちが殺したんですか、お頭。そりゃあ……」
意味もなく可笑しくなり、そのままふひひひ、と変な声が出た。
どこの王様が死のうが自分には関係ないことなのに。
「ドルゲイといえども生物だからな。ホンの毒が回り、ハジュンが炎をドルゲイの顔に纏わせ呼吸を塞いだ。とはいえ、実際とどめを刺したのはユーエンだったな」
自分はなぜそこにいなかったのだろう。いても役に立たないのなら、今よりもっと惨めな気分になっていただろうか。
俺の口はなぜかよく回った。
「残りは二人ですよね。こっちの方が人数が多いのなら、そのまま押し込めたりはしなかったのですか?」
「ホンもハジュンもドルゲイとの戦闘で負傷していた。生き残った数名の部下に指示を出し、なんとかふたりを戦線離脱させようと試みたんだがな、それに気づいた【シーフ】が二人を追って殺した。ハジュンが最期にアシュレイの足止めをしてくれたおかげでユーエンとロペスが【戦士】を殺すことができた。
この時点で、わたしの部下達はほとんど全滅していたと思う。……わたしが見ていた範囲ではな」
全滅。
俺が盗賊団の仲間に入って初めて耳にする言葉だった。皆殺しってのはよくあったが、いざ逆の立場に立たされると、不思議な感じがする。まあ、ハルドライドとアーガスが残ったのだから厳密に言えば全滅ではないのだろうが。
ああ、そういえば今までお頭が考えた作戦は犠牲は出しても失敗したことがなかったな。必ず目的を果たしていた。運がよかったんだろうか。相手が間抜けだったからだろうか。今回は相手が悪かったんだろうか。
作戦が昼で、俺が出ていてもやはり全滅していたのだろうか。
――どうせ死ぬなら、一緒に戦いたかったな。
「2対2の状態までもつれ込んだってわけですか」
「いや。それだとこちらが不利になることは戦況を読んでわかったからな。二人の間に距離があるうちにわたしが声を上げて立ち上がり、どちらか一人を引きつけることにした」
カーテンに移る少女の手が指鉄砲を
「勝算はあったんですか?」
「ある程度ならな。アーガスとハルドライドには先に作戦を伝え伏せさせていた」
「ハルドライドの狙撃ですか」
セオリーではないが、お頭がよくやる手だ。
ハルドライドに“拳銃”を渡し、
ハルドライドはもともとAランクの【戦士】のジョブに就いていたが、お頭がハルドライドの『砲撃士』としての才能を指輪の力で引き出し、その魔力感知のできない武器――“拳銃”の狙撃能力は今や俺たちの奥の手として扱われている。
ただ、ハルドライドは砲撃士のジョブランクがC-でしかなかったため、適正能力を指輪のチカラで叩き上げてもB-までだった。一撃必殺は使えるレベルであっても、連射はできない。
「ああ。その際わたしの盾となったアーガスは負傷したが死にはしないだろう。それで【シーフ】の方は倒すことができたわけだが、ロペスとユーエンでは連携がかみ合わず、先に言ったとおり、アシュレイから左腕を奪うことができたものの、二人ともアシュレイに殺された」
「アシュレイは最後、お頭に向かってこなかったんですか?」
アシュレイとしては仲間を殺された恨みもあるだろうし、その憎むべき相手が目の前に立っているのだ。
「わたし達の間には多少距離があったし、アシュレイは失血死のリスクのある大怪我をしていた。近づくことでわたしが逃げ出す可能性や、わたしがその場からすぐに逃げ出さなかったことで罠がある可能性を考えたのだろうな。
アシュレイはこちらを一瞥すると、背を向けて徒歩で逃げていった。自身の治療を優先させたのだろう。ハルドライドも狙撃の後その場から移動し、次のタイミングを計っていたようだが、わたしは追撃の命令は出さなかった。アシュレイはわたしにはかまわず去って行ったことと、ウィリアムの矢を正面から切って落としていたぐらいだったからな。当然ハルドライドの狙撃とタイミングはすでに知られてしまっている。確実にとどめを刺せる確証がない以上、下手に刺激するのはさけたかった。
……ふぅ。コトの顛末はこんなところだ」
カーテンの向こうで少女が立ち上がるのがわかった。
聞こえているはずもない大旦那にも聞かせているつもりだったのだろうか。
少女がタオルで手足を拭きながらカーテンから出て来た。目はまだ開いていない。
「あとは、ハルドライドにアーガスを任せて――わたしは転移装置を使った」
そこで少女はブルルっと身体を振るわせた。気のせいか顔をしかめたようだった。
「大丈夫ですか? 少し休んだらどうですか。医者達の簡易ベッドと毛布を使いましょう」
「いや、あのあとわたしの死体にハルドライドがナニをしたかを考えると急に
「……死体?」
誰の?
悪態をはいた少女の顔にかすかな動揺が見えたが、少女はかぶりを振ると、
「いやなんでもない……。言い間違いだ。ハルドライドがわたしの着ていた衣服を使って何をしたかと思うと、だ。転移装置は肉体のみを移動させることができるからな。衣類はそこに残してきた。当然下着もだ」
「……まあ、間違いなくロクでもないことでしょうが、気にしない方がいいですよ、お頭」
ハルドライドの異常性欲は俺たちの中では有名だ。
数時間おきに女を抱かないと感情のコントロールがきかなくなるらしい。
ここのアルカディアで働いている女のそのほとんどと関係があると豪語しているほどだ。なまじ顔がいいのと娼館の実質オーナーだってのもあり、嫌がる女もほとんどいないらしい。
「――で、これからどうします? とりあえず、負傷したアーガスの救助に周辺の村や町の諜報員に鳥を飛ばしますか? アシュレイってやつも腕を吹っ飛ばされたんなら近くの町で医療品くらいは調達しに来そうなものですよね」
道中そのまま失血死するようなやつなら、少女もこれほど警戒などしないだろう。
「案外お前はわたしの補佐役として裏方に向いているかもしれないな」
「ははっ、まさか」
冗談にしか思えない言葉に俺は思わず吹き出した。学校では級長はおろか班長すら選ばれなかった俺だ。勉学以外の校内会議に参加する暇があったら風邪引いたって言って寮の部屋で弓を引いてたくらいだ。頭空っぽで暴れまくる方が性に合っている。
まあ、他校試合での主将くらいは務めたけどな。
「アーガスが死んだら考えておけ。ただ、今からゴミ掃除をしてもらう。アーガス達のことはそれからだ」
「ゴミ掃除、ですか?」
念入りに手を拭いている少女を見つめ、俺は繰り返した。
少女が「包帯を探してくれ」と言うので近くにあった医療鞄から包帯を取り出して渡した。
少女はその場で座り込むと、受け取った包帯を自分の足にくるくると巻き付け始めた。
「まだ確証はないが、おじいさまに『呪い』の類いを施した者がいる。今さっきそれを解いておじいさまの意識を覚醒させたが、ここに入れる者はそう多くない。そいつらを今から順に尋問し、犯人がわかればそいつを殺してもらう」
「――呪い……。呪術師ですか? さっき話に出ていた土塊人形の?」
「いや、たぶん別のヤツだろう。やり口は似ているが、こちらは入念な前準備があった節がある。おじいさまにかかっていた『呪い』も、土塊のものとは術式が違った。この件はそう遠くない場所に術士が潜んでいるのだろうな」
「犯人っても、ミレド医師とジーファ助手……。それにカムロばあさんにビオラに――ああっ!」
俺は思わず大声を上げた。
少女がびくっとしてこちらを見上げた。
「すみません、忘れてました。実は女中のエミリーが先日町外れで殺されているのが見つかりまして、大旦那様も伏せっているみたいだからってんで、それでちょっと屋敷の警備を強化しようって話になっていたんだった。ええと、つまりエミリーは殺されました。葬式は俺警備してて出てないですけど、もう埋められたそうです」
なんかいろいろ驚きすぎてすっかり失念してしまっていた。
「エミリーが、町外れだと? それはいつだ」
少女が怪訝そうに聞き返す。
「お頭が出て行ってすぐだったと思います。町の外を警邏していた午後組が女の死体を発見したって報告してきました。それで行ってみたらエミリーだったわけです」
「死亡推定時刻、そして死因は何だったかわかるか?」
包帯を巻き終えたのか、左右両方の足の指を器用に全部動かしてみせる。
「いや時間まではわかりません。ただ、撲殺だろうって聞きました。強い力で顔がわからなくなるまで殴られたようです。性交の痕がない処女だって医者が言ってたんで、あと一応、班長とふたりで仲間全員に聞いてみたり、町の連中に聞いてまわったり、エミリーの交友関係とか足取りを探ってみたりしたんですがね。カムロばあさんは『エミリーは今日はお休みじゃないから屋敷の外に出てない。夕餉の準備を一緒にしていた』って言い張るし、門番はお頭達以外通してねぇって言うし、なしのつぶてって言うか……」
「状況はわかった。犯人はおじいさまに『呪い』をかけた人物と同一人物だろう。わたしの留守を狙ったということは、作戦日時が漏れていた可能性があるな」
少女は残った包帯を右手だけにグルグルと巻いた。まるで拳を痛めないように巻くサポーターのような感じで、指輪が見えない。
「俺たちの仲間の誰かってコトになりますか?」
「いや、お前達じゃない。さっき言っただろう。医者かその助手、カムロ婆かビオラ。おじいさまに近づけるこの四人の中にいるはずだ。ひとりずつ調べて行けばすぐにわかる。わたしが合図したらすぐに射殺せ。行くぞ」
少女は矢継ぎ早に言い、立ち上がると、そのまますたすたと出口に向かって歩き出した。
「お頭、目が見えるようになったのですか?」
「そう見えるか?」
少女がくるりと振り返る。目は閉じられたまま、あどけなさが残る表情で唇がゆがめられる。
「自分が歩いた足跡を辿っているだけだ。そうでなくともここはおじいさまの寝室だ。足がもう覚えている。ただ、視力の方はまだ当分先になるな。まぶたが開かないと言うよりも、なかの眼球すら動かせない。もうしばらくはサブンズ、お前がわたしの目の代わりを務めてくれ」
「それはいいですけど、どうして俺たちの中に犯人がいないって断言できるんですか? エミリーはビオラと違って大人しくて、誰かの恨みを買うようなタイプの女じゃなかったですが、俺たちの中にはそんな女でも暴行目的や命令一つで殴り殺せるやつらばかりですよ」
むろん、俺も。と付け加える。
少女は俺の顔を見上げるようにふんと鼻を鳴らした。
「お前達は全員、わたしが造った【指輪】で管理されている。どの程度までと言われても答える気はないが、少なくとも【指輪】を持つ誰かが、わたしの知り合いを殺せば、それが瞬時にわたしに伝わるくらいには管理できているつもりだ。
――そして、あの日、町にいる部下達は誰も殺してはいない。それは確かだ」
「指輪で……管理?」
なにか頭をがーんと殴られたような気がした。
「そうだ。お前達が生き物を殺せば、それが指輪に伝わり、わたしがそれを認識できる程度にはな」
「……まさか、俺たち全員分をですか?」
「当然だ。何人いようが入ってきた情報は自動的にわたしの頭の中で処理されていく。たかだか200人程度、毎日顔と名前を覚えるようなものだ。そう思えばお前にだってできるだろう」
「いや、毎日は無理ですけど」
学生の時ですら同じクラスの連中の名前と顔をなかなか覚えられず、6名ずつの班分けの時になりようやく覚えたが、班分けされるたび古いのは忘れていった。
さすがに今は同僚の名前はだいたい覚えてしまったが、それでもなじみの薄いヤツやダンジョン組のヤツはうろ覚えが多い。
「――つまり、わたしに嘘や裏切りは通用しないということだ。その指輪をはめている限りはな」
「…………」
「どうした。首輪を付けられていたことにショックでも受けたか?」
もちろんそれもある。
少女は平然と、俺の目の高さを開いていない目で見上げている。
「お頭。いくつか質問があるんですけど、いい機会なんで聞いてもいいですか?」
「ああ。……だが手短にな。わたしが答えたがる範囲でなら答えてやる」
俺は以前から気になっていることを聞いてみることにした。
「お頭は俺たちみたいな盗賊に囲まれていて怖くはないんですか?」
我ながら陳腐な質問だとは思うが、この女が何かにおびえたり悲鳴を上げたりしたところを見たことがなかった。
「今はアーガスに守られてなくて不安だろうと、そう言いたいのか? 答えは『ノー』だ。さっきも言ったはずだ。お前達の『指輪』は、すべてわたしが造ったものだと。管理できていると。……と言っても、横流しの既製品をバラして構成を組み直し、魔力を込めただけだがな」
少女がクククと笑う。
「……たとえば、俺が今あんたに向かって弓を引いたとしたら?」
俺は手によくなじんだ弓を構えると、弦には触れず、矢を番えて見せた。
矢は右指を離れても飛ぶことはないが、魔力を込め、本気で射ているつもりなのだ。『管理できている』というのなら殺気くらいは関知できるだろう。
今の俺の胸中に渦巻く、この黒々としたヘドロのような鬱憤を矢に込める。
「さて。お前が今なにをしているのか、わたしにはわからないが、少なくともわたしに危害を加える気はないようだ。
わたしがお前達に恐れを抱かない理由を教えてやろう。
お前達は全員、わたしの造った指輪の力にすでに屈服しているからだ」
「どういう意味なんだ?」
魔力を集中させた指先にじっとりと汗が滲んでくるのを感じた。
「もともとランクBでしかなかったお前の適正能力を、わたしの造った指輪は、ただ身につけるだけでランクAにまで引き上げることができた。ランクの壁は才能や素質の壁であり、努力では越えられない限界の壁でもある。凡人が天才にかなわないように、天才も凡人の愚鈍さが理解できないだろう。
サブンズ、お前はわたしから指輪を受け取ったとき、固く閉じられていた扉が開かれるのを感じたはずだ。同時に、今までなぜこの程度のことができなかったのか、この程度のことでいい気になっていたのかと、自分を卑下するほどの自尊心が芽生えただろう。違うか?」
「…………」
ああ、その通りだった。
ボルンゴと俺とミランダとで生と死の狭間を乗り越えたあの朝、目を覚ませば俺たちは町の診療所のベットで寝かされていた。軽傷だったミランダがそばにいて、ボルンゴが全身グルグル巻きだったが息をしていたことに安堵したのを覚えている。
そのときミランダは指輪をしていなかった。俺もだった。
理由を聞くと、あのあと少女と男達がやってきて俺たちを病院まで運んだらしく、そのとき指輪を取り上げられたのだという。
半日ほどして少女は姿を現すと、約束の金の入った袋と、三つの指輪を差し出してきた。
怪我でロクに抵抗できないことをいいことに、俺の指から『弓術士の指輪』を外したことをわびてきた。
俺は袋とその自分の指輪をひったくると、指にはめた。
瞬間、全身の毛穴が開いたような気がした。
同時に、目の前の世界が無限に広がったような気がしたのだ。その広がった世界――いや、“領域”に俺は確かに足を踏み入れたのだと感じた。
湧き上がってくる全身を覆う高揚感と安堵感に、己が己を肯定するかのように喉の奥でおかしな笑いが起こった。
なにが可笑しいのか自分でもわからなかった。だが、身体の奥からくる細かな震えに笑みが抑えきれず、それがなんだか楽しく面白かった。
ひとしきり俺は笑うと、呼吸もおちついてきた。
ただ無性に弓が引きたくなった。
自分の指を見た。うずいたからだ。試したいと。根拠のない自信を確かめたいと。
ふと違和感を感じ、自分の指にはまった指輪を見た。石こそ弓術士のソレだったが、まったく指輪のサイズが違い、そのデザインも違っていた。
驚く俺に、少女は目を細めて笑うと、てのひらに指輪を一つ乗せて俺に見せてきた。
「ああ、間違えた。こっちの指輪がお前のだった。つい、先にわたしが造った指輪を渡してしまった。ただ、わたしに雇われるかそれともやめておくかを聞く前にソレを身につけてしまったおまえも悪いのだぞ――」
あのときと同じ目で、少女は俺を見上げているような気がした。
ただ、あのときと違うのは、今その目が開いておらず、俺の歯ぎしりする姿を見せずにすんでいるところだけだろうか。
「ソレは首輪だ」
少女の言葉に、俺の指が
「休日を与えて、町の外へと出て行くとき、わたしは指輪の交換を命ずる。お前達はそこで『以前の格下の自分』に立ち戻り町を出て行く。盗賊であるお前達が町の外では牙を抜かれた犬のように大人しいのはなぜだ?」
ぎり、と音が響いた。
何の音だ。俺の口からだ。おかしい、反論したいのに口が開かない。なぜだろう。
「お前達は一度手に入れた『力』を手放したくはない、そういう生き物だ。実力以上の力が出せない状態で戦いたくはない、そういう生き物だ。わたしの指輪を付けたまま町から出て行ったヤツもいたが、結局戻ってきた。なぜだと思う?
わたしの指輪に込めた魔力が切れて、以前のつまらない自分とつまらない指輪に戻ってしまったからだ」
歯を食いしばっていないと、なにかどとんでもないことを叫んでしまうからだ。
「逃げた飼い犬が、外れてしまった首輪をもう一度締め直してくださいと、頭を下げながらやってくるのだ。実に滑稽だ。愉快だ。かわいらしい。
――サブンズ、そんな奴らをわたしは怖いなどと思うか?」
少女は息を吸うと、言った。
「『ギブ アンド テイク』だ。わたしはお前達に“力”を与え、お前はその“力”をわたしのために使う。お前達はわたしのために働き、わたしはその働きに応じて金を支払う。どうだ、お互いウィンウィンの関係だろう。
――さあ、わかったならいつものように返事をしろ、サブンズ」
カラン、と俺の指から矢が落ちた。俺の感情と魔力のこもった矢が落ちた。
当たり前だった。
弦に矢をかけてなかったからだ。初めから弓を引いてなどなかったからだ。
「どうした? 何の音だ?」
「指が滑って矢を落としただけです。拾います。お頭」
矢は、鏃を下に向けたままに落としたせいで床に少し傷が付いていた。右指をお頭の頭部から外れるまで放さなかったせいだ。
「滑っただと? ぬるぬるに触れたわけじゃないだろうな」
「いえ、汗で滑っただけです」
俺は、ははっ、と笑った。引きつった頬でよく笑えたと思う。
弓が引ければいい俺の人生、少なくともお頭が生きていれば、これからもつつがなく今日と同じ弓が明日も引けることだろう。
以前のクソつまらない自分には戻りたくはない。以前のつまらない弓を引きたくはない。
いや、弓を引くのはいいのだ。よく考えたら自分は指輪を外したときも日課で弓を引いている。でも、どうせ引くならより良い“射”がいいに決まっている。
俺は床に手を伸ばし、矢を取ろうとして――椅子の下に眼鏡が落ちているのに気がついた。
眼鏡フレームの色とカタチといい、助手の方がかけていたものに違いないだろう。
見ればレンズは厚く、度が結構あるように思えた。
「お頭、長椅子の下にジーファ助手の眼鏡が落ちているのを見つけました」
「貸してみろ。……ジーファ助手か。たしか眼鏡をした細い男だったな。…………テーブルの上から落ちても長椅子の上から落ちても、長椅子の下には潜り込まないだろうな」
眼鏡を渡すと、お頭はレンズに指紋をべたべた付けながらその形状を確認している。
「奥の方ですから、そうですね」
「……わかった。とりあえず、4人に会いに行くぞ。サブンズ、わたしのことはもういい。警戒を怠るな」
「了解です」
話を終えて、気分を切り替えて、さあ仕事をしようと思い立った矢先、カーテンのかかっているベットから声が聞こえた。
「サブンズ君、ちょっといいかな」
それはしゃがれた老人の声だった。
その声の持ち主は、立ち上がるでもなく動くでもなく、カーテンの向こう側のシルエットにも一切変化がなかったため、この部屋には俺とお頭の二人しか存在しないものだと思い込んでいた俺は、ぎょっとして身を震わせた。
反射的に矢筒から新しい矢を抜き、構えたところで、
「おじいさま?! 声を出さないでください。サブンズ、早く部屋を出ろ。命令だ」
取り乱したようにお頭が言った。よほど動揺したのか、あさっての方を見ながらカーテンを開く動作をする始末だ。
「お、おう」
「かまわないよ。少しばかりサブンズ君と話がしたいんだ。いいかい?」
部屋を出ようとしていた俺は、その声に
「なに、礼を言うだけだよ。サブンズ君、ありがとう。君がいてくれて助かったよ。感謝の気持ちが残っているうちに、ただそれが言いたかっただけなんだ」
物腰の柔らかい、柔和そうな老人を思わせる口調が耳に届く。
この声の持ち主がこのアルカディアを作った大旦那っていうのに俺はただ驚いていた。
「あ、いえ。まあ、その警備で近くにいたって言うか、シフトで決まっていたし、まあ、そういうわけなんで、す。はい」
なにか、なぜだか恐縮してしまってうまく話せず、しどろもどろになってしまう。
「もういいでしょう、おじいさま。サブンズ、部屋から出るんだ。仕事だ」
「あ、はい」
俺は一足飛びにドアの前まで跳ぶと、ドアノブを引っ掴んだ。
ひょっとしてひょっとしてひょっとすると、さっきのお頭に弓引いていたアレも見られていたかもしれない。
シルエット越しだと弦に矢を番えているかどうかなんてわからないだろう。
「サブンズ君。終わったら一度遊びにおいで」
「ぇ――と、あ、え、あ、……はい」
「サブンズ!」
お頭の声に追い立てられるように俺は部屋から飛び出た。
廊下に出て、俺はああしまったと思った。
さっき落っことした矢を結局拾い損ねてしまっていたからだ。
……。
お頭、矢に
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