第97話 弓術士サブンズの追憶①

 弓が好きだった。

 幼い頃からずっと。

 俺は物心つく前からずっと弓に触れていたし、弓術士だった両親もそれを喜んでくれていた。

 三人兄弟の真ん中だった俺は、二つ違いの兄貴とともに父から弓を習っていた。

 自分じゃ才能はあったように思えたし、兄貴も俺を認めていた。まあ、兄貴に勝てるものっていえば弓しかなかったし、今思えば、弓だけでも勝ててよかったよ。

 そうして弓ばっかりやって遊んでいるうちに時は流れて、俺も弓術士としての才能を磨くため、両親と弟に別れを告げ、兄貴の待つ王都の学校に入学することになった。

 つまりは、自他共に認める弓の才能があったってわけさ。

 それで、初めてのクラス分けで文句なしの【A】を叩き出して、専攻クラスに入ることになって、俺の弓術漬けの毎日が始まった。


 標的、始点、そしてもう一つ、心位点。

 この三つの点が一つの線でつながるとき、矢は必ず標的を貫くだろう。

 そんな基本をその学び舎では生徒全員が実践し、毎日毎日それこそ4年もかけて自分の“射”を磨き続けてきた。

 卒業する頃には弓と矢は自分の身体の一部のような気がして、誇らしくもあり、空に向け放つ、手の届かないところにまで届くやじりに自分の行く末を重ねているような気さえしていた。


 二年先に卒業した兄は、そのまま弓術士となり、町を挙げてのお祝いを受けて冒険者見習いとして世界に飛び込んでいき――俺が卒業する前に、外の世界で死んだ。

 

 その二年後、同じように弓術士になった俺は、やはり兄と同じ冒険者見習いとなって外の世界に出て行くことになった。家には帰らなかったけど、どうやら町からはお祝い金が出たらしい。

 ちなみに弟は王都での素質診断で素質が全然なくて、すぐに地元に戻って町の小さな学校に入り、今は服飾の仕事をしているらしい。

 

 俺が兄貴と違っていたのは、性格や才能だけじゃなかったのだろう。

 兄貴は正義感の強い立派な人間だったが、なんだかいつも疲れた笑みを浮かべていて、冒険者を目指して生き急いでいたような、そんな感じがしていた。

 外の世界に憧れでももっていたのだろうか。

 でも、子供の頃から兄貴を見ていた俺としては、兄貴が冒険者になって、外に出て、そこからどうしたいかってのは聞いたことがなかった。でも兄貴のことだから、何かしら将来設計とかしていたのかもしれない。

 逆に、俺は要領がよくて、冒険者にも外の世界にもそこまで興味がなくて、ただ弓が引ければ満足なヤツだった。冒険者の道を選んだのも弓のためなら、きっとやめるときも弓がらみなんだろうと思っていた。


 兄貴が死んでから卒業までの1年ほどは“射”の相手まとが魔物だけじゃなく、人間にも及んだ。もちろん公式がっこうじゃ許されなかったし、相手に防具を着けさせた上でだったけど、俺は、同族にすら弓を引くことを厭わない部類の、……まあ、弓術士だったというわけだ。

 兄貴は、たぶん、それができなかったら、盗賊という輩に殺されりしたのだろう。

 

 冒険者ギルドの依頼には盗賊討伐というものがあった。

 内容はそのまんま、外の世界で強盗や人間殺しを生業とする連中の私刑を許可するという依頼だ。ただし、それを【仕事】として受けるには、あまりに条件が厳しかったし、その協力者の募集もなかった。


 俺は弓術士見習いを続けながら、各町の依頼リストを見て回った。

 一度『討伐依頼』についてギルドに問い合わせて問題になったことがあってからは慎重に行動するようになった。

 請けおい理由に『敵討ち』なんて言い出すようなヤツは指輪没収されて当然らしい。危ない危ない。


 ――別に俺は人間を射るのが得意とか、好きとかそういうことじゃなかった。

 兄貴の死因が盗賊団の襲来を受けてのことだとわかったからだ。

 兄貴が受けたやじりは背後から射られたもので、背骨を割って進み、心臓にまで達していた。威力と遺留品からして弓術士の仕業に間違いないだろう。

 もしも俺が盗賊側の立場だったら、俺はどの角度からどの距離でどんな感じで兄貴アイテに向け矢を放っていただろうって想像したりした。


 ただ弓が好きで、こいつをいつでも射っていられるのなら冒険者だろうが探索者だろうが狩人だろうが死刑執行人だろうが、別に何でもよかった俺だ。

 ただただ、兄貴の亡骸のそばで泣きじゃくる父親たちを見下ろして、その鏃を握りしめながら、“盗賊狩りでも始めようかな”、と単純にそう思った次第だった。


 そんな酔狂なガキに協力者ができるものかと、普通は思うものだが、存外早くその機会は訪れた。

 町で出会ったソイツは当時の俺よりずっとガキのくせに金払いがよくて、組織というものを造りたがっていた。

 金をばらまいて、冒険者ギルドとは名ばかりのごろつきの集まりから15名ばかりを森に誘い、腕前を見せろと魔物の群れをけしかけられた。

 何十匹いただろうか、気づかなかった俺たちも悪かったが、周囲をすっかり囲まれていて、飲まず食わずで丸二日がかりの魔物狩りをさせられて、生き残った3名ばかりをソイツは召し抱えたわけだ。


 その後も修行だ特訓だなんだと連れ出され、クルミを割れるほど鍛えていた俺の指の皮が毎回べろべろに血だらけになるほど苛烈なシゴキだった。

 そのガキの仲間には俺よりも遙かに“射”のうまいやつもいたし、特訓中、矢筒を空にした俺を魔物から守ろうとするやつもいた。たまにソイツらとのギャンブルで命の取り合いになったこともあったし、仕事中ケツを毒蛇にかまれて死にそうな目に遭ったこともあった。

 

 隠密も暗殺も、強盗も襲撃も仲間に習って覚えていった。

 組織化されていたその集団は、その任務すべてを迅速かつ的確にこなし、後始末も情報操作も金払いまでも完璧だった。

 2年ほど経つと誰も俺を新入りなんて呼ばなくなったし、後輩もできた。さらに3年経ったら、俺の方が古株組になっていた。組織は入れ替わり死に代わりが早かった。

 そのうち年に数回ほど他の盗賊団との抗争が起こるようになった。

 何のことはない、裏でガキ主人様が他の盗賊団のシマを荒らしに荒らしては喧嘩をふっかけ回っていただけだった。表向きにはギルドの『討伐依頼』をギルド公式加盟メンバーで受けたように装い、実際にはその三倍以上の人数で取り囲んで殲滅した。

 その上で後釜となる傀儡組織を作り、その地域の情報を掌握していった。

 

 そうそう。結果として、俺は兄貴のかたきは討ってやれなかった。

 何のことはない。って噂されたやつは他のやつにすでに殺されていたからだ。説明すると、兄貴が殺された周辺を仕切っていた盗賊一団は南から来た連中によって縄張りを奪われて、その縄張りを今度は西から来た連中に奪われて、それを俺たちが殲滅して奪った。

 それで俺はどう思ったかというとだ、まあ、よくある話だな、とそう思った。

 実際、盗賊団は星の数ほどたくさんいたし、その成り立ちもよくある話だった。


 俺たちもいずれよそから来た連中にぶっ殺されるんじゃないかと、そんな話をいつも誰かが酒の席で口にして、みんなどっと笑って、笑い飛ばして、お頭がいる限り俺たちが負けることはねぇよというのがいつもの仕事仕舞いの合言葉だった。

 実際、俺たちは当初から勝ちまくり、常勝無敗を謳い言葉に、弱輩をふるい落としながらも組織力を伸ばしていった。

 でもある日、そいつらは俺が非番のときにお頭と仕事に出かけて行って、お頭とハルドライド、そしてアーガス以外全員死んだ。

 今から思い出すのは、そのときのことだ。



 その日はよく晴れた週末の午後で、俺は大旦那の屋敷の警護の任に着いていた。


「お――、イデア系の大鷲が気持ちよさそうに旋回してるな――」


 普段はお頭たちにくっついてあっちやこっちで仕事をしていた俺だったが、つい先週の部隊編成で外され、しばらくここで暇を出されていた。

 いつもなら、ここ『アルカディア6号店』の女どものところへ遊びに行くつもりだったが、大旦那の容態が急変したことと、大旦那の屋敷につとめていた女中の撲殺死体が見つかったことで、屋敷の警護を厚くしたいということらしい。


「そこにいたのかよ。おいサブンズ、屋根で寝てんなら降りてこいよ。暇で仕方ねぇよ」


 屋根の上で矢筒を枕に寝そべっていた俺は、話し相手を探してただろう同僚ボルンゴの声に、狙いをつけていた大鷲から射線を外すと、「おー」とけだるい返事を返した。


「今回の遠征は総勢28名ってんだろ。いつもの倍じゃねぇか。一体目的は何だって言うんだ」


 大の男が二人、敷地の外のよく刈りこまれた芝生に足を伸ばして寝転がる。

 警備なんてそんなもんだ。

 お頭は仕事のたびに部隊を再編成し、最適と思われるメンバーで出動するといった傾向があり、俺も隣のボルンゴも最近はレギュラーとしてどんな仕事にも声がかかっていたはずだった。


「ああ、また抗争の類らしいぜ。ガチでバチバチのやつな」


 ボルンゴが唸るように言った。


「んだよ。だったら俺にも声をかけてくれたらよかったのによ。今回はウィリアムさんが出るっつーらしいじゃねぇか」

「マジかよ。ウィリアムっつたら、あれだろ。『雷鳴』ウィリアムかよ。そっちもまたすげぇ奴が出てくるんだな。弓術界の最高峰じゃねーか」

「おおよ。その『雷鳴』ウィリアムさんよ――って、“さん”付けくらいしろ、よっ――っと」


 俺は枕にしていた矢筒から矢を一本引き出すと、寝そべったまま弓に番え、はるか上空に向け矢を射った。矢は狙い違わず旋回していた大鷲の心臓を射抜くと、血しぶきのようにバッと羽根が舞った。

 ボルンゴがヒューっと下手糞な口笛を吹いた。 


「あの人はマジですげぇんだぜ。飛んでる矢の鏃を射落とすってんだからな。“射”も綺麗で――」

「うるせぇな。俺は別にファンじゃねーんだよ。……おい、どーすんだよ、アレ。こっちに落ちてくるぞ」


 大鷲が正確にまっすぐに自分たちの元へクルクル錐もみ状に落下してくる。


「イデア系の大鷲だ。体長3.5mを越えるヤツはな、駆除対象なんだよ。前足の爪が20cmもあって、子牛でもさらってくらしいんだぜ。ましてやそこいらを駆け回ってるガキならひとつかみだ」

「……だからってよ、ここに落とすこたぁねーだろうがよ。あの高さから落っこちたら芝生の上とはいえ、四方八方に臓物が散らばるぞ」


 雇い主の自宅の警備任務中にそんなことになったら懲罰ものだろう。


「だから、お前がいるから町の外じゃなくてここに落とすんだろうが。鏃も回収するんだからよ。おら、槍構えなって」


 俺はくくくっと笑った。お手並み拝見てヤツだ。


「ああ? ったく、しょーがねぇな。声かけるんじゃなかったぜ」


 ボルンゴがめんどくさそうに立ち上がると、手にした槍を大きく振りかぶり、


「ハ――ッ!」


 落ちてきた巨大な大鷲に合わせ槍を一突き繰り出した。大鷲は地面すれすれのところで槍に貫かれた。槍はその重量を難なく受け止め、わずかにしならせたものの、見事にその場に縫い留められた。

 俺は「おー」と手をたたくと、ボルンゴの槍さばきを素直に讃えた。

 落ちてくる肉塊をただ刺し貫くだけならまだしも、数十キロはある大鷲の塊が重力でもって回転加速して落下してくるのだ。それを両手とはいえ、地面につけず、槍だけで受け止めるとは並外れた剛力か、槍術士としての能力か何かなのだろうか。


「立派な大鷲じゃねぇか。さっきから豆粒くらいのが上の方でグルグル旋回してるな~って思ってたんだがよ。こりゃでかいぜ」

「雌だなこりゃ。知ってるか、大鷲は雌の方が雄よりでかいんだぜ」


 おおよその目測で大鷲の大きさはわかっていたつもりだったが、間近で見るとことさらに大きく見えた。

 この地域にはいないこの大鷲は、一体なにを獲物として狙っていたんだろうか。


「しっかし、よく一発で仕留められたもんだな。すげぇ高いところに飛んでいたやつじゃねぇか」

「俺たち弓術士はそういうのを射落とすのに特化したジョブなんだよ。高さはともかく、あんなに同じコースを腹見せてゆっくり旋回してりゃ、射落としてくれって言ってるようなもんだぜ。

 ……まあ、これができてようやくBランク卒業ってところだろうな」

「おうおう、Aランク様は余裕だねぇ~」

「ふん、どうせ俺は指輪で底上げしてもA-だよ。ったく嫌味な奴だ。お前は昔から変わってねーな」

「へっへっへ。腕だけはお互い上がってきたみたいだけどな」


 そう言って俺たちは互いの手をパンと叩きあった。

 昔、魔物の襲撃をともに満身創痍で生き残った同僚は、あのときと同じままの――いや、ひどい髭面になったか。まあ、ここにいる。

 俺もボルンゴもその後すぐに支給された新しいファーストジョブの指輪をはめたところ、俺は自分でも信じられないほど弓術の腕が上がり、ジョブの適性ランクも『B』から『A-』に上がっていた。

 ランクの壁は、それこそ生まれ持ったものの才能や資質に直結していて、努力や根性、運なんてものでは決して越えられないまさに“壁”であるはずだった。

 ただ、お頭から受け取った指輪は、ジョブの『ランク』を底上げする効果があり、CランクをBランクに、BランクをAランクに、ただ身につけるだけで本来越えることができない『壁』の向こう側にいくことができた。

 ただ、当然ただというわけではなく、指輪の装着者にはもれなく、何らかの『呪いカース』を受けた。


「なあ、こいつここに置いといていいよな」

「いいんじゃねぇか。あとで誰か捕まえて片付けさせるさ。知ってるか、最近屋敷の横に生ゴミ専用の捨て場ができたんだってな。食い残しから死体までなんでも捨てていいんだとよ」

「ほぉ~」


 俺はサブンズが槍を抜くのを手伝いながら、自分の鏃を探した。

 

「おっと……矢があったあった。……って、ひっでぇな俺の鏃が砕けてんじゃねーか」


 ボルンゴの槍が大鷲の身体を貫く際に、先に刺さっていた俺の鏃を破壊してしまったらしい。

 俺の扱う鏃はお頭からの支給品で、質もよいものばかりだったが、それに加えて飛距離や命中精度、それに自身の魔力を込めやすくするために術式文様などを暇なときにコツコツ打ち込んだりしたものだ。

 いわゆるそれが、矢から弓術士を特定するにいたる証拠になるわけだが、仕事のたびに鏃をいちいち回収するわけにもいかなく、放置してきた。


「なんか堅い感触があったなって思ったけどよ、鏃だったのか。さすがに、そのまんま鏃を傷つけずに押し出せる奴はそうはいねーよ」

「ったくよー。一本損しちまったぜ」


 いつか俺も誰かに特定され、復讐の的にされちまうんだろうなと思う。思い当たるフシは幾度だってある。

 俺は血に染まった矢の残骸をへし折ると、芝生の中にぽいと捨てた。

 そうなったら、おもしれぇ、そんな馬鹿ガキ返り討ちにしてやる。


「なあおい、サブンズ。お前は今回の編成メンバーに志願しなかったのかよ。ガチの抗争ならいつも出てたじゃねぇか」


 血で汚れた槍を洗うため、ボルンゴと屋敷の裏手ある手押しポンプに向かう。

 屋敷内のポンプを使えば早いのだろうが、あいにくと敷地内の警備を任されているのは俺ひとりで、同僚といえども中に入れることはできない。


「断られたんだよ。もともと【暗視スキル】も【夜視スキル】もねぇからな俺は。それでも薬を飲めばちっとは夜でもいけたんだがよ、指輪の『呪い』のせいで薬が効かねぇカラダになっちまった。今じゃ俺は昼専用なんだよ。

 灯りがねぇ暗闇だと的を外すからな。一応食い下がったんだぜ、荷物持ちでもかまわねーっつったのに駄目だってよ。……お前は?」


 水場に着くとボルンゴは無言で手動ポンプを動かし、しばらくジャバジャバと水音だけがあたりに響いた。


「俺は誘われたけど断ったクチだな。代わりにボービィを推しといた。あいつ【夜視スキル】あるしな。嫌味なヤツだが、俺とそう実力もかわらねぇ」

「なんだよぉ。お前誘われてたのかよ。――チッ、ボービィはダンジョン探索組だろ。いいのかよ。ともかく、お前なんで行かなかったんだよ。お前こそガチの抗争好きだろうが」


 ボルンゴは俺と違いガチの戦闘好きで、しかもその指向性は、種族を問わず俺たちのような“指輪持ち”との戦いに向けられていた。

 魔物やダンジョンの怪物どもよりも冒険者や探索者とバチバチやるのがヤツの生き甲斐らしい。


「……ユーエンのヤツも呼ばれていたからよ。断ったんだ」


 意外な人物を耳にして俺は聞き返した。


「ユーエンって、『神槍』ユーエンかよ。そっちもまたすげぇの出てきたな。北の国の武術大会で優勝して、今じゃ“槍術王”とか呼ばれてるヤツだろ。お頭は一体いくらで雇ったんだか。なんつーかよ、お頭ってこの稼業やってる割には顔広いっていうか、ナニモンなんだ?」

「……知らねぇよ。どうでもいいぜあんな野郎のことなんかよ」


 いや、今はお頭の素性のこと話してたつもりだったんだがな。

 ボルンゴの眉間に深いしわが寄ってきたのをみて俺は言った。


「……そういやおまえ、あいつのこと嫌いだって言ってたな」


 以前、ユーエンとかいう凄腕の槍術士と一緒に仕事することがあったらしいのだが、どうもボルンゴとは相性が悪かったらしく、それ以後は犬猿の仲らしい。

 俺はそのユーエンとは直接仕事で話すようなことはなかったが、黒髪のひょろっぽい長身の男で、どこかしら人を見下すようなスカした感じのする男だった気がする。 


「けっ、――アイツはな、俺たちのことは路傍ろぼうの石としか認識してねぇんだよ。けったくそわりいぜ」


 他人に関しては寛容なボルンゴにしては珍しく、吐き捨てるように言った。


「でも、腕はいいんだろ。なんせ二つ名が『神槍』てんだ。そうとうなもんなんだろうな」 

「……ああ、今の俺じゃ百編やって百編なにもできねぇで殺されるだろうな。ただの一突きで喉を貫かれてお陀仏だろうぜ」

「なんだ、びびってんのかよ。らしくねーぜ」

「そんなんじゃねーよ!」


 ボルンゴがガッと顔を上げた。

 その顔は怒りで赤くなっていて、俺は思わずたじろいだ。


「死ぬのなんざ怖くねーよ。むしろ、殺し合いの中で死ねりゃ本望だぜ! だがよ、虫けらのように殺されるのは気に食わねぇってんだ! 俺はよ!」

「何だよ、落ち着けよ。悪かったよ、落ち着けって」


 俺は慌ててボルンゴをいさめようとしたが、ボルンゴは止まらなかった。

 ただ、俺の言葉が癪に触ったわけじゃないのはすぐにわかった。


「アイツは、あのユーエンの野郎は、目の前にいたユノヴァごと敵を刺し殺しやがった。ユノヴァだけじゃねぇ、アイツは敵味方の区別をしねぇ、俺たちがいて共に戦っていることを理解してねぇ!

 確かにアイツの槍は疾いし、強い。だがよ、アイツは俺たちを見てねぇんだ。戦いに夢中で周りが見えてねぇんじゃねぇ。そもそも見ようとしてねぇ。敵との間に仲間がいたら仲間ごと斬り払う。アイツの近くにいてただそれでけで、アイツは無造作に槍を振るって仲間を傷つける!」

「危なっかしい野郎だな。………話の流れから、おまえはユーエンとやり合ったって感じだな。そんでもってやられたってとこか」


 ボルンゴはなにも言わず、人差し指を口の中に突っ込み、頬の内側をさらして見せた。

 口内にはでかい傷跡が生々しく残っていて、おそらくボルンゴの髭面は頬を貫かれたときの傷を隠すためのものだったのだろう。


「死なねぇ程度に全身を突き刺されて、最後に頬に槍を突っ込まれて、そんでもって川に放り込まれた。突っかかっていって、なんにもできねぇうちにドボンだ」

「……お頭はなんて?」

「『うちの従業員を傷つけてくれるな』だとよ。ったくよ涙が出るぜ。それでアイツは、おとがめナシだ。俺は気を失ってたけどな、ユーエンの野郎は鼻で笑ってたらしいぜ」

「ユーエンは抗争用の日雇いの槍術士だろ。俺たちの仲間じゃねぇし、お頭もそれ以上言えねぇんだろうな」

「くそっ!」


 怒りが収まらないのか、ボルンゴは地面に拳を打ち付けると、


「あーーー!! 強くなりてぇぇぇ!!」


 空に向かってでかい声を上げた。屋敷の大旦那に聞こえたかもしれない。


「そーだな。強くなろうぜ。これからよこれから」


 弓術士である俺には“強さ”“弱さ”はぴんとこなかったが、『雷鳴』ウィリアムの“射”の息をのむほどの美しさと人当たりのよい人格に、やっぱ人間性ってのは必要だよなぁ、としみじみ思わされる。あと、俺弓術士でよかったとも。


 その後しばらく鬱憤を晴らすかのごとく槍を振りまくっていたボルンゴだったが、俺の「おー」と開いた口が見飽きて閉じる頃には、疲れたのか槍を抱いたままうずくまり、俺がなにを言ってもまったく動かなくなってしまった。

 こうなると数日は使い物にならなくなるかもしれない。


 途方に暮れた俺は、ふといいことを思いつき、言った。


「――なあおい、久々によ、ミランダの顔でも見にいかねぇか」

「ああん? ミランダ……?」


 ボルンゴが顔を上げた。

 ミランダは、俺とボルンゴと共にお頭の入団試験を生き残った三人目の女だ。

 たった二日ほどの死闘だったが、始まって数十分そこらで集まった人員は半数そこらにまで食い殺されていたし、それこそ死にものぐるいの戦いだった。

 ようやく最後の魔物を倒し終えて、「やったねぇ~、勝ったねぇ~」と三人して泣いて抱き合ったのを覚えている。


「おうよ、あのミランダだ。ここ数年顔見てねぇから忘れたか? 前に結婚式に呼ばれたじゃねーか」

「ああ、そういやどっかに引っ越したって手紙来てたな……」

「昨年のダンナの配属転勤で近くの町に引っ越してきてたのを忘れてたぜ。なあおい、今から会いに行ってこねーか。夕刻出の馬車に乗ればよ、明日には着くぜ」

「ああん? 今からかよ。……どーすんだよ、ここの警備よ」

「暇してる非番のヤツを代わりに置いていけばいいだろ。なあおい、行こうぜ!」


 ミランダのあの丸っこい体型と丸めがねを思いだし、急に押しかけて、あのおばさんを困らせるのも面白いだろうと、俺は自然と笑みがこぼれた。


「……ああ、そうだな。たまにゃ顔見せて泣くほど困らせてやっか!」

「ミランダのダンナも巻き込んでやろうぜ。結婚式の余興でみんなの前でズボン剥ぎ取ったときは面白かったよな」

「ああ、アレな。ダンナの頭の上にリンゴのっけてよ。みんなが注目のなか、なぜかお前が出て来て槍で下半身むき出しにしたやつだろ。ダンナのアレが干しぶどうみてえに縮み上がっててよ、ぴーぴー泣きだして、ミランダのやつマジでキレやがんの」

「あいつのダンナって下級司書官だったな。酒呑んで暴れて家に火ぃつけてやっか」

 

 俺たちはゲラゲラと笑い合った。

 結婚式は騒然となり、ダンナの親類縁者はすぐさま俺たち二人を捕まえようと兵士を差し向けてきたが、町でぬくぬくしてる兵士に俺たち二人が捕まえられるはずもなく、悠々と引き上げたわけだが、ミランダとは絶縁とならなかった。

 ホリドーの町は出禁になったけど、手紙のやりとりは続いている。


「じゃあよ、ひとっ走り行って暇なヤツを2、3人連れてくるぜ」

「ああ。同じジョブのヤツを連れてくるんじゃねーぞ。あと、一人はAランク以上にしとけよ」


 普段、仲間たちのとりまとめはアーガスと町長の娘のドローレンスが担っていたが、今はその二人が出払っているため、俺が臨時の責任者の一人になっていた。

 敷地内の警備はなしにして、外回りを二人以上……まあ、俺一人いなくなっても残り二人の責任者が何とかするだろう。


「注文が多いな……。誰でもいいじゃねーかよ」

「そうはいくかよ。あと暇そうだからってトラビスは連れてくるなよ。あいつマジでサボるからな。バッドとビーチェにしろ」

「その二人はお頭に付いてったぜ」

「マジかよ。二人ともBランクじゃねーか?! 俺を連れてけよ、俺を!」

「けっけっけ、ま、テキトーに連れてくるぜ」

「ジョブをばらけさせて、トラビス抜きでな!」


 角を曲がる際、ボルンゴは後ろ手に手をひらひらさせていたが、あれは笑うのを堪えた感じだった。どうやら機嫌は直ったらしい。

 さて、ボルンゴが戻ってくるまで一眠りでもしようかな、そう思って伸びをしていると、ガシャンという何かが割れる物音とかすかなうめき声が敷地の中から聞こえた。


 俺は矢筒を背負い直すと、屋敷の内囲いを飛び越えて中庭に飛び込んだ。

 弓術士の能力である『イーグルアイ』が360度、一瞬にして周囲の映像を一つにつなげた。

 ――動くものはいない。

 中庭は一流の庭師によって綺麗に整えられていて、見るものを和ませるような煌びやか作りだったが、そんなことお構いなしに花壇を踏み荒らし、大旦那の元へと走った。

 敷地の中には住み込みの医者と看護婦、それに大旦那に女中がふたり。それは前もって得ていた情報だ。屋敷内の警備は俺一人。ボルンゴは外回りだ。

 それ以外は見つけ次第殺すことにしよう。


 この広い敷地には屋敷がいくつかに分かれて建てられているが、そのどれもが地続きで、しかもこの中庭に面している。俺がボルンゴに呼ばれるまで寝ていたのが、なにを隠そうその大旦那の屋根の上だった。

 大旦那の屋敷の前に来ると、俺はいつでも矢を射れるように気を張りながらあたりの気配を探った。

 医者と看護婦が住んでいるのはこことは反対側の離れ。女中は交代制ではあるが大旦那のいる屋敷内に一人は必ずいる。

 お頭には屋敷の警護は任されていたが、大旦那の屋敷の中には何があっても立ち入らないよう堅く言われていた。


「――違うな。ここでの俺の役割は大旦那の無事を確かめることじゃねぇ。そもそも俺は大旦那の顔を知らねぇしな。それに音のした方は……」


 一瞬、中に声をかけて女中に大旦那の様子でも聞くべきか迷ったが、そこで再び、がたんがたんという何かが暴れるような物音と女のうめくような声が聞こえてきた。


 ――大旦那の屋敷からじゃない?! 隣の屋敷からだ……。

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