第96話 そこにある危機

「ゆっくり……離れるんだぜ、ロー。言うとおりにしねぇとトーダの喉はザッサリだ。テメェも見たことあるだろうが。喉をかっ切られたらよぉ、生暖けぇ血がどばどば出るうえ、呼吸ができねぇもんだから、その傷口を掻き毟ってまで暴れ回る」


 錯乱する俺の頬を左右から蛸の口のように引っ掴み、邪悪な笑みを浮かべるジェイル。

 その背徳行為は、多少味付けしてマチルダさんに通報するとして、


「……ウン。『カヘ、カヘ』って言いながら、舌を思いっきり伸ばして死んじゃうんだよネ。口から赤い泡をぶくぶく出して、最後に白目をむいて何度も痙攣するんだよネ。ジュルル……ゴクン。トーダ、オイシ……カワイソウ……」


 目に涙をため、悔しそうに唇を噛みながら後ずさるロー公――の口元のヨダレは一体なにを意味するのかしら。

   

「――でも大丈夫だヨ。首を切られてもトーダが死んじゃう前に、ボクが死霊の槍で心臓を刺して、クグツとして蘇らせてあげられるから安心しててイイヨー。まだ生きているウチに【強化】を使うから、普通のグールになんかよりずっとゲンキで長持ちするヨー」


 涙より先に口元を拭い、真剣な眼差しで死霊の槍を構え直すロー公。距離を取ったのは仕切り直しのためか。


 “安心してください、(死んでも)蘇りますよ”ってか。

 俺がジェイルに殺されるのが先か、死霊の槍で心臓貫かれるのが先か。

 おやおや、どっちみち命はないらしい。 


「あ゛あ゛?! テメェ、ナニ俺のマスター、クグツにするとか言ってんだよ。やってみろよ、ゼッテーテメェより先にコイツぶっ殺すからな、この野郎! だいたい俺は知ってるんだぜ、いくら死霊の槍つっても、頸椎を切断されたり、脳みそぐちゃぐちゃししときゃ蘇らせられねぇってな!」


 主人を差し置いて憤慨してくれるジェイル。はっはっはっ。けれど、俺の怒りはむしろお前に向いているのだがな。


「そ、そんなのダメだヨー。ヤメテヨー。それじゃトーダの死体に死霊の槍を刺しても普通のグールにしかならないヨー」


 まだ迷いがあるように、俺とジェイルの両方にゆらゆら揺れていた槍の切っ先が、ジェイルの言葉に動揺を隠せなくなった。

 んー、ここにいる連中は誰一人として俺の身を案じてはくれないようだ。


 無抵抗をいいことに前髪を掴まれ、ぐいっと喉仏を露出させられる俺。ひだりてのナイフはそっと添えるだけ。

 ああ、そよ風が傷口に浸みて痛いわぁ。

 

「ジェイル、お前、いい加減……」

「なに俺と対等に口聞こうとしてんだよ、トーダ。テメェなんか糸電話で十分だろぅが! とっとと気付けよ、あ゛ぁ゛?!」


 ドカッと膝蹴りが尻にはいり、前髪をブチブチと景気よくねじり上げられる。


「はい、そうですね、あいすみません」


 痛い痛い。何で俺こいつのマスターなんかやっているんだろ。

 ひぃひぃ言いながらジェイルの連絡網を引っ掴む。

 せいぜい猟奇犯を刺激しないように交渉を進めることにしよう。


『こちらエマージェンシー。ジェイル、たとえばこんな格言を知っているだろうか。“過去と他人は変えられない。しかし、自分と未来は変える事ができる”と。お前が生前どんな殺人鬼だったかなんて俺はちっとも気にしないが、でもマスターである俺をクグツのお前が盾にしてネクロマンサーとやり合おうとかって、なんか絵的にちょっとおかしくないとか思わないだろうか?』

『ああ? 何訳のわかんねぇこと言ってんだトーダ?!』(ブチブチ)

『あぎゃぎゃぎゃぎゃ!!』


 容赦なく前髪を引きちぎってくるジェイル。

 “前髪が後退しているのではない。私が前進しているのだ”と格言かみった社長がいたが、その人にはきっと優秀で慈悲深い部下がたくさんいたのだろう。


「モー、トーダに痛いことしちゃ駄目だヨー」

「うるせぇ! こいつに槍向けてるやつがなに言ってやがる! とっとと切っ先を下ろさねぇと、このまま脳幹にグサリだぜ」

「ウウ、ウ~」


 喉を鳴らすにも命がけな状況だ。

 ジェイルの風のナイフは、動脈をかっ切ろうっていう角度ではなく、今や延髄を両断できるくらいに深いポジだ。

 ワンアクションでGO TO ヘヴンだ。

 それはさすがにロー公も困るのか、はたまた不満なのか、距離を維持しながらも踏み込めないでいる。


『わかってんなら、いいから言うとおりにしろよ。……いいか、悔しいが、今の俺じゃローには敵わねぇ。一撃、二撃は躱せるかもしれねぇが、後が続かねぇ。ローの槍は、正確で早いうえにバカ力ときている。宙でも蹴れねぇ限り躱せねぇし、近づけねぇし、指は痛ぇし、兄ちゃん心配だし、真面目に相手するのは無理だ』


 ……そういやお前ってアドニスに3対1くらいで戦い挑んで返り討ちに遭ったんだったな。

 えらいぞ、自分の脆弱さを告白できるなんてな。

 この役立たずが。

 むしろお前が盾になれ。


『だから、このまま、ローと距離をとりながら、お前を盾にマチルダのところに連れて行く。無茶は承知だが、今のこいつをどうにかできるのはマチルダくらいだ』

『いや、それには及ばない。俺たちさっき【クグツ合戦】に勝っただろ。ロー公には何かひとつだけ言うことを聞かせられるんだ。今ならガタガタ文句言うお頭もいないし、ロー公に【自害】をお願いできると思うんだ』

『……なら、とっととそう言えよ。愚図が』


 ぺたぺたと風のナイフを頬にぶつけてくるジェイル。

 ここで反論を試みると負けのような気がするのでなにも言わない。


「トーダどいテ、ジェイル殺せナイヨー!」


 そう言いつつも、ゆらゆら揺れ動く槍の矛先は執拗に俺の心臓を追っている。

 ちょっと待ってね。

 今お前を死なせる方法を相談してるところだから。


「今しばし動かずに待って、ロー公先輩! ソーシャルディスタンスは大切だから! 今ジェイルを濃厚説得しているところだから」

「トーダ、口動かしてしゃべってないヨー。それよりモット抵抗して心臓をこっちに向けてくれないと腕が邪魔で上手に刺せないヨー」

「もっとジェイルをどうにかする方に努力しようよっ?!」


 ロー公は、ぷくっと頬を膨らませると、槍先を若干上方修正させ、俺の首に巻き付いているジェイルの上腕部分を狙おうとするが、ドカドカ俺の尻を蹴って、これまたジェイルのヤツが俺の身体を盾にしてくる。

 あーもう。あーもう。


「クッ……。ロー公先輩。これはジェイルが……あくまでジェイルに命令されて言わされているので誤解しないで聞いて欲しいんですが……」

「トーダ、大丈夫? ヨーシ、ジェイルなんてすぐにやっつけてやるゾー」

「いえ、決してジェイルにも俺にも攻撃を仕掛けないでください。それに確認したいことがあるんです。さっきからジェイルが耳元で囁くんですよ、『ロー公の野郎、実は【お願い事】を聞くのが嫌で、クグツ合戦に負けたことをチャラにしようとトーダを殺そうとしてんじゃねーの』って」


 俺は苦痛に歪んだ表情で、しれっと言うと、ロー公は目を大きく見開いた。


「そんなことないヨー。違うヨー、言いがかりだヨー」


 槍の構えを解き、慌てた風でぱたぱたと手を振った。


「ですよねー。天下に名立たるネクロマンド族の族長の次男ともあろうロー公大先輩が、よもやクグツ合戦に負けた腹いせに【お願い事】を聞く間を与えずに、俺をクグツにしようなんて考えているわけないですよねー」

「ウ、ウン。そんなの考えていなかったヨー。【お願い事】だって、ちゃんと覚えていたヨー。テシ、テシ、テシシシシ……」


 言いよどむロー公。コイツ忘れていることさえ忘れていたな。


「さっき俺をクグツにするって言ったのも、ジェイルに挑発されてついうっかり口にしちゃっただけで、本当は敗北を認めた上で、ちゃんと【お願い事】を聞く準備と覚悟はできていたんですよね」

「ウ、ウン。デモデモ、トーダを助け出すのが先だヨー」


 あたふたと死霊の槍を構え直そうとするロー公。きいてるきいてる。


「ダメです。俺の安全が最優先です。ロー公先輩さえ近づかなければ、ジェイルは俺を殺そうとはしないでしょうから」

「デモデモ、ジェイルは嘘つきだヨー。信用できないヨー。トーダ聞いテ、この間の仕事のときだって、ジェイルは『聞きてぇことにちゃんと答えたら、殺さねぇ』って言ってたのに、結局殺したヨー」


 ロー公がブンブン死霊の槍を振って抗議の体を表すが、


「何言ってやがる。俺たちが真面目に仕事している間、物欲しそうに指をくわえて突っ立ってて、死んだとわかった途端、ニコニコしながらやってきて死体だけ引きずって奥行きやがったくせに。前回、お前が役に立ったのって言ったら、死体の処理だけじゃねーか」

「それとこれとは話が違うヨー。ジェイルのバカ」

「ンだとこの野郎! トーダぶっ殺すぞ!」

「そんなのダメだヨー。トーダはボクのだヨー」


 俺を挟んでがなり合う二人。

 ……。

 ごめんね、二人でやってて欲しいな。

 ……。

 でも、おかしいな。あまたの異世界物語じゃ複数の若く可憐で見目麗しい女性にスキンシップを前提に求婚を迫られると聞くのに。

 俺の場合、DQNと変態に命と身体を穢されそうになっているのはなぜだろう。 


 天を仰いでも答えが見つからない。パタパタとヒレイとか言う召喚獣が視界の端の跳んでいた。あらやだ、のぞき魔発見伝。


「あー……、はい。ロー公先輩静粛に。ジェイルが殺されたくなきゃこうしろって言ってくるので【お願い事】をソレにします」


 ぎゃんぎゃん罵り合う間にいるのは耐えきれないので、そろそろ幕といこう。


「ロー公先輩、“【自害】してください”。可及的速やかにお願いします」


 助けてもらった恩とかあったけど――。

 全部忘れて幸せになります。

             

 あ、後で【魄】は頂くんで。形見的な感じで。それと、お頭甦らせるときに【魄】足りなかったらジェイルも同じところに送るんで、続きはそこで勝手によろしく。


「トーダ……。トーダはボクに死んでほしいの?」


 槍先を下ろしたロー公が俺に不思議そうな顔で俺に聞いてくる。

 平常心スキルはオンになっているのを確認済み。心に動揺はない。


「ジェイルがロー公先輩にそう言えって強要してくるんだ。そう言わないと俺は殺されてしまう」

「……ふん。そういうことだ、ロー。テメェ早くその槍で自分の首でも心臓でも突き刺して死んじまえよ。お前、負けたら何でもやるっつったらしいじゃねーか」


 連絡網を通しての簡単なやりとりでジェイルも話を合わせてくれる。


「ジェイルはウルサイヨー。トーダはボクに死んでほしいの?」


 そうです。


「だから、ジェイルが……」


 無垢な瞳に見つめられ、慌てて目を伏せ悲痛そうに呟く。

 ガラスの仮面かペルソナをかぶっているため、俺の演技は完璧だ。


「ウン。それってトーダの本心じゃないんだよネ。ヨカッタ~。だったラ、ジェイルをボクが殺してしまえばいいんだよネ。そうしたらトーダから本当の【お願いごと】が聞けるんだよネ。

 ――ジェイル。【お願いごと】はネ。クヅツ合戦に勝ったものダケが口にしていいことなノ。戦わなかったものはシーなノ。ダイジなことなんだヨー」


 分からず屋はそう言ってほほえむと、死霊の槍を構えた。

 低く腰を落とし、構えた背のその異様に盛り上がった背筋が、獰猛な肉食獣を思わせた。

 ふぅぅ、と唸るように息を吐くと、恐ろしく冷たい殺意の眼差しが背後にいるジェイルに向けられる。

 ロー公の瞳にはもう俺は映っておらず、おそらく俺の声も届かない。

 “誇りと名誉を汚しやがって”

 そう目がいっている。

 いつ飛びかかってきてもおかしくない。


 息をのむ。

 と、急にジェイルの拘束が解けた。人質を取っている場合じゃないってことがようやくわかったのだろうか。

 次の瞬間、俺は前に踏み出すように足に力を込めていた。

 作戦を話したわけじゃなかったので俺がなにをするかジェイルにはわからないはずだったが、勘のいいジェイルならたぶんなんとかしてくれるだろう。

 そう思い、別に背を押されたわけじゃないけれど、背中をどんと押された風を演じ、俺はロー公めがけて走り出した。

 俺が覆い被さるようにロー公の視界を塞げばその隙に風のナイフでも投げつけるだろうと。


 そんな刹那の刻の中、ジェイルからたった一言連絡網が届いて、俺は足を止めた。


「……ったくよー、なんでトーダが【お願い事】で『あのくそ女を殺せ』ってのにしなかったと思っているんだ、ロー」


 俺の背後でやれやれといった感じのジェイルが言った。

 ロー公は目の前に飛び出してきた俺を一瞥しただけで、槍先を俺の心臓からピクリとも動かそうとはしなかった。

 そんなわけで後20cmで自ら死霊の槍に飛び込み自殺寸前で俺は何とか立ち止まることができた。

 ジェイルとロー、その真ん中にハンズアップしたグリコポーズの俺がいる。


「俺たちはお前と敵対している。……どっちかが白旗あげるか死ぬまで終わらない。それはお前も理解してるだろ。お前が俺とマチルダを潰すか、俺たちがお前らを潰すか。

 なら、トーダはお前に『あの女を殺せ』って言いやすむ話だろ。あの女が死ねばお前は大旦那の命令違反で死刑。俺たちの勝ちだ」

「……トーダはそんなこと【お願い】しないヨー。他人に【お願い】を口にされるとイライラするヨー。ジェイルうるさいヨー」

「ごまかすなよ。トーダはよ『ジェイルに殺されろ』って言ってもよかったんだぜ。そうすりゃ残りはあのくそ女とハルドライドだけだ」


 あ。その手があったか。ただの自害だと経験値がもらえないじゃん。その案だとロー公をジェイルが殺せばネクロマンサーである俺も経験値ゲットできる。さらに【魄】も手に入って一挙両得じゃん。ふほほほほ。

 そっちの【お願い事】に訂正しようと恐る恐る口を開きかけた俺だったが、それをジェイルの言葉が遮った。


「だけどトーダは拒んだ。『ローは誰にも殺させない』ってな」

「! トーダ……」


 ロー公がうれしそうに俺を見る。

 え。知らんけど。


「ならってんで、俺はトーダにこう提言した。『じゃあよ、全部終わるまでここで目を閉じて案山子みてぇに突っ立たせてりゃいい』ってな。そうすりゃあの女とハルドライドが死ぬまでこいつの邪魔は入らねぇ。すると、こいつは何つったと思う?」


 何つったの? その天才軍師。


「『主が危機の時に駆けつけることができないどころか、ただ仲間が殺されていくのを指をくわえてみてるなんてネクロマンサーの恥だ』ってな。そんなりゃ自害でもしちまえよって話になったわけだ」


 やだっ、かっこいい。


「…………」


 ロー公はぐっと押し黙り、意気消沈して俺の経験値と【魄】になってくれるかと思いきや、


「……それ、ジェイルの作り話なんでショ。トーダはそんなこと言わないヨー」


 低い声。ギリギリと噛みしめた奥歯から怒りだけがはき出されるような。

 空気が再び冷え始めたのを感じ、俺はジェイルに向け警笛を鳴らす。


「作り話じゃねーよ。全部本当だ。死ねよ。その槍で心臓突いて自害しろよ。トーダの【お願い事】だぜ? 今更反故にすんじゃねーよ」

「トーダは言わないヨ。ネクロマンサーだもノ。クグツ合戦はネクロマンサーの技能を互いに高め合う祭儀だもノ。万物のイノチの【魄】を認め合っテ、その亡骸にネクロマンサーの【魂】を宿すための祭儀だもノ」

「【お願い事】を無視するつもりかよ」


 もうやめろとジェイルに通告。作戦は失敗。逃げろ。

 感情スキルが動いている故の身体の不動。薄い紙のような俺という障壁。誰かがこれ以上少しでも動けば何かが起こるだろう。

 指先でダダジム他アラゴグにも注意を促す。おそらくもう、彼らでは避けきれないだろうが。

 ……ロー公の目は座っていた。もういい話すな殺すぞと。


「ネクロマンサー同士は殺し合わないヨー。互いの【魂】を受けたクグツ同士が、互いの魔力と技術と部族の誇りをかけてぶつかるノ。ぶつかると鉄を打ったときの火花のように【魂】が燃えて輝くノ。【お願い事】は自分たちの技能を相手に受け継がせるための【お願い事】なんだヨー。相手に、より良いクグツを生み出すためのお願い事なんだヨー」


 知らなかったそんなの……。

 負けた相手に【命令】することができると思っていたけど、要するに、切磋琢磨するために負けた相手への【助言】みたいなものなのかもしれない。

 もしくはネクロマンサーの技術や文化の侵略か強制。

 どちらにしろネクロマンサー同士は殺し合わないってところは本当らしい。

 まずいまずいまずい。


 言い終えたローは怒りに滲んだ目をそのままに、槍先で俺の服を引っかけ、持ち上げるようにずぃっと体を横にずらした。

 ローとジェイルの間に邪魔者は取り除かれる。


「……へっ、しゃーねぇな。せいぜい遊んで――」


 言うか言い終わらないか、その刹那にロー公の足下の屋根が爆ぜり、次の瞬間、黒槍の棘突がジェイルの左耳を吹き飛ばしていた。

 ジェイルの身体が大きく揺れる。

 一撃、二撃は躱せるなどと豪語しただけあって、眉間を貫くはずだった棘突をジェイルはかろうじて躱していた。

 突き出された黒槍をそのままに、手首をひねり打ち落とす。屋根板が砕かれ、その破片が俺にも降りかかってくる。

 ロー公は、二撃目もその次の三撃目も躱したジェイルへ向けて怒りの咆哮を放った。


 ――そうなのだ。ジェイルは躱していた。

 俺はなにもできず、よろめきながらもそれを目で追っていた。


 それが確信に変わったのが、五撃目の宙にいたジェイルに放った必中の一振りだった。

 ”宙でも蹴れない限り躱せない”と言っていたジェイルの言葉が馬鹿みたいに思えるほど、ジェイルの身体は宙を蹴り、奇妙に黒槍を避け続けた。

 ただ、ジェイルもその都度勢いを誤り、自身を屋根に叩き付けては転がり逃げていた。

 やがて、青い刀身が淡い軌道を描いたかと思うと、ローの胸に一筋の傷がつけられていた。


 時間にしてほんの10秒ほどだったのかもしれない。

 俺を間に、二人には数メートルの距離ができていた。ただ、ただの仕切り直しにはほど遠く、致命傷はなくともジェイルは満身創痍で、途中おかしな避けかたで屋根に落ちたときに肩を外したのだろうか、左腕はぶらんとしていた。

 ずたぼろの立っているのがやっとの状態だった。

 

「ジェイル……」


 思わず漏れたつぶやきにも動ぜず、ジェイルは潰された片眼のままロー公を睨んででいた。

 だが、ロー公はそんなジェイルの視線など気にせず、もちろん胸の出血などなかったかのように、なぜか黒槍の点検を始めてしまった。

 勝者の余裕というわけでもないのだろうが、なにか真剣な目で黒槍に付いたジェイルの血を手のひらで拭っていく。


『ジェイル』


 俺は連絡網を引っ掴むと、ジェイルに呼びかけた。

 すると、ジェイルは視線をロー公に向けたまま、にぃっと笑った。


『へ、へへへへ……。人間死に際ってのが一番やっかいってのは本当だな。なりふり構ってらんねーし、面白ぇくらいに素直になりやがる……』

『お前は一度逃げて体勢を立て直せ。……マチルダさんと合流しろ。マチルダさんは今、お頭を見つけて追いかけている最中らしい。お前はそっちの方が得意だし、やりたいだろう?』


 俺はマチルダさんとの糸電話内容を簡潔に話し、動けるうちにこの場から離れるように促した。

 ……まあ、もっともロー公がそれを許すとは思えなかったので、マチルダさんにはお頭捕捉を優先させたわけだが。

 現状で優先すべきは、一分一秒のロー公の足止めだ。

 このままじゃ、あと数秒でジェイルは殺されるだろう。なら、マチルダさんとは別方向へ移動してもらうか、もう一度駒として使うため後ろへ下げるかしたい。

 ジェイルは血の唾を足下に吐いた。


『なにわけわかんねーこと言ってやがる。今の一撃を見なかったのかよ。もう少し深く踏み込んでりゃ致命傷だったんだぜ』


 強がりなのだろう。

 だけど、戦意を失わず最後まで前を向く姿勢は見習うところがあると思う。

 でも、この場での無駄死にはさせるつもりはない。

 のちの使い捨て的な有意義な死を俺は所望している。


『ようやくこいつらと息が合ってきたところなんだぜ。……へへへ。ローの槍にも目が慣れてきたしよぉ。だんだんと楽しくなってきやがった』

『いや、“こいつら”ってなんのことだ?』


 おまえ息の合う友達いないじゃん。

 そう言って思わず社会的なとどめを刺してやろうかとしたとき、


「やっととれたヨー。モー、手がベタベタで気持ち悪いヨー」


 ロー公の槍のお手入れタイムが終わったのか、ねちゃねちゃ糸を引く血糊っぽいのをズボンで拭いた。だが、血糊は拭いきれず、強い粘着力は健在なのか、ロー公は粘つく槍を嫌そうに握った。

 

「ジェイルー、ゼッタイ絶対ユルサナイヨー」

「ばーか。聞き飽きたっつーの。死ぬまで言ってろ。死ぬまでな。今死ね」


 ジェイルが血唾を吐きながら腰を深く下ろす。

 すると、ジェイルの背中と腰あたりに何かがしがみついているのが見えた。


「アラゴグ?!」


 思わず声に出る。

 アラゴグが二匹、ジェイルの身体にしがみついているのだ。つまり、立体機動戦士ダダジムのジェイル版と言ったところなのだろう。

 ちなみに俺もアラゴグの糸で引っ張られたりとかもしたけど、クレーンで吊るされる荷物かのようにしか身動きできなかったぞ。ダダジムの運動神経ならアラゴグ装着も納得だったけど、よもやジェイルもそれに付随するような動きができるとは。

 あと、人間じゃ友達できなかったけど、大蜘蛛と仲良くなれてヨカッタね。


『ジェイル。勝算はあるのか?』

『身体が痛てぇ。もって後数分だ。さっきも言ったが結構動けるようになってきた。こいつらのおかげでな。だが、どっちみちこの身体じゃいずれ限界が来る。……心配なら今のうちこの猿やろうに乗ってマチルダのところにでも行くんだな』

 

 ジェイルは肩で息をしながら再び血唾を吐いた。

 内蔵が傷ついているのか、口内がずたずたなのか。

 ロー公は黒槍を一度黒い煙のように分解すると、手のひらを天に向け詠唱し始めた。

 その手に黒い煙が収束し始める。アラゴグの糸を嫌って死霊の槍を新調しているのだろう。その口元に余裕すら見える。

 その完全に完璧なチャンスにジェイルは体力回復を優先させられている。

 つまり、あれだ。

 なめられている。


『……ジェイル。お前、仮に体力と傷が全快したらロー公と互角に戦えるか?』 

『あたりまえだろ。首と胴と切り落として三枚に下ろしてやるよ』

『その台詞、忘れるなよ』


 俺はバキバキになっている屋根を慎重に歩いてジェイルに近づくと、左手でジェイルに触れた。


『……んだよ、早く行けよ』

『黙ってろ。今から痛みと引き替えにお前を回復してやる』


 頭の中に【魄】を操作する画面が現れる。


『クグツに接触。修復可能な負傷箇所に接続しました。【魄】の“転用”を開始しますか? はい/いいえ』


 俺はちらりとジェイルを一瞥し、“はい”を選択する。


『負傷以前の状態まで戻すのに 19% の【魄】が必要です。実行しますか? 51/19 はい/いいえ』


 俺は手早く“はい”を選択し、エネルギーの奔流に備えた。

 ロー公の槍は再構成を終え、眉をしかめながらもこちらに向け槍を構えた。


『“痛みの再現”が起こる。回復の代償だ。いいか、俺を殴るなよ』

『あん? なに言って……』


 心臓あたりから左手へ、左掌からジェイルへと【魄】が流れ込む。


「がはっ?!!」


 ジェイルが痛みに耐えかね目を見開いた。

 それを合図にロー公が飛びかかってくる。俺は自らの意思で後ろに飛んだ。


「アラゴグ、ジェイルを頼んだぞ」


 尻餅をつきさらに一回転して、お頭が逃げてった側の屋根から躍り出る。


「ダダジム、俺を回収してマチルダさんのところへ移動するぞ。黒い水たまりみたいのには注意して進んでくれな」


 一瞬の浮遊感とほぼ同時に、クルルルル……とダダジムの声を聞いた。

 俺は目を閉じてジェイルに命令を下した。


『時間稼ぎは任せたぞ』

『へっ。時間を稼ぐのはいいけどよ――

  別に、コイツ倒しちまっても構わねぇんだろう?』


 なんて、どこかで聞いたことのある台詞。

 うん、それ死亡フラグだから。


『まだ【お願い事】の件は片付いてないからな。勝手に殺すな。避けて避けて避けまくって時間稼ぎに徹してろ』

『そうかよ。なら、せいぜい期待に応えててやるよ――』


 緩和された着地のショックを全身に受けて、俺は仰向けのまま夜空を見上げた。

 煌々と輝く月と屋根の上での剣戟を尻目に、俺はアンジェリカの使い魔のヒレイを探す。

 見当たらない。

 

 アンジェリカを探して合流するべきか、マチルダさんに合流するべきか。

 打算的な思考をフルに使って考察する。


 マチルダさんのところに向かった場合、俺は捕りものの邪魔になる。

 アンジェリカのところに向かった場合、ダダジムを半分よこせと言われかねない。

 ハルドライドはどこにいるかわからない。近づけばまた撃ってくるだろう。

 ロッドは音信不通で嫌な予感しかしない。


 結論。

 黒い淵がところどころで発生している以上、むやみにうろつくのは得策じゃない。 


「時間ができたからサブンズの首を置いてきたところに行こう。

 ジェイルのやつに使って【魄】が残り32%しかない。サブンズ、ハルドライド、ロー公、アーガス、ジェイル。あとジェイルと一緒に埋められてたモブみたいな予備が一体あったな。各20%前後だとして、お頭をクグツにできるかは死体の状況によりだな。

 豆腐の角に頭ぶつけて死んでてくれるとありがたいんだけどな」


 そうこうしているうちにサブンズの首を置いた木の根元に着いた。

 【魄】を回収する時間があるのはたぶん今しかない。今やるべきだ。

 そして、これが終わったら俺は次の行動に移らなくてはいけなくなる。


 マチルダさんは器用に逃げるお頭に手を焼いているらしい。

 アーガスは仕留めたが左腕を失ったとのこと。ジェイルにアーガスのことを伝えると、テンションを上げていた。まだ無事らしい。


「……まあ、これが終わったら、アンジェリカを探してロッドのことでも聞くか」


 サブンズの頭部に右手を置き、俺は軽くため息をはいた。

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