第98話 弓術士サブンズの追憶②

 俺は舌打ちをすると、物音がした屋敷への入口を探した。

 ところが、4軒ある他の平屋敷とは違い、この建物は窓も出入り口も一切ない造りなのだ。四角い木造の建物がどしんと建っている感じだ。

 屋根に上っていても、屋根の形が皆同じで気にならなかったが、ここは普通の建物とは違うみたいだった。

 おそらくは宝物倉…………にしては何か少し違和感があったが、アルカディアの大旦那の財産をどこに置いておくかを考えて、やはり目の届くところにないのもおかしいような気がする。

 それにしても、本当にこの建物のどこを探しても入り口が見当たらなかった。

 四方すべて同じように分厚い板壁で覆われていて、中に財宝をしまっていたとしても取り出すことができないように思えた。

 

「そこで何をしているのです!」


 唐突に後ろから声をかけられ、俺は反射的に地面を転がった。

 起き上がりざまに矢をつがえたが、相手が見た顔の女中だったため、危ういところで思いとどまることができた。


「おっどろかせんなよ、ビオラ。危うく殺しちまうところだったぜ」

「あら、サブンズさんでしたか。聖域に下劣な賊が入ったのかと思い、つい大声を上げてしまって申し訳ありません」


 矢を向けられている状態にもかかわらず、臆せずぺこりと頭を下げる大旦那付きの女中――ビオラ。


「……お気づきでしたか? 先ほどお屋敷のすぐ外で粗暴で野蛮な男二人が大声で負けたの敗れたのともう五月蠅うるさくて。わたくし、大旦那様の身を案じ、バケツに水をくもうと表に出て来たところでした。よかった。サブンズさんがいらしていたのでしたら、追っ払っていただけばよかったですね」

「それにしちゃバケツを持ってねぇみてぇだけどな。聞き耳でも立ててたのかよ」


 メイド服に身を包んだビオラは両手を前にそっと重ねている。

 ふふっとビオラは目を細めて笑った。


「私、人生の落伍者の泣き言を聞き流すぐらいの良心は持ち合わせてございますもの」


 銀髪で褐色肌、銀緑色の光彩の瞳をもつ変な亜人風の女だったが、母親の血が強いのか、種族はぎりぎり人族に属しているらしい。仕事はできるようで、お頭からも信頼を得ていて、この大旦那の屋敷に住み込みで働いている女中のうちのひとりだ。

 大旦那付きの女中ということで、ハルドライド以下この町に滞在するすべての同僚たちに、厳しく『手を出すな』と言われている。

 俗に言う大旦那の『おめかけさん』とかいう部類のヤツなのだろう。


 俺は鼻を鳴らすと、弓から矢を外した。

 コイツとは出会った頃から相性が悪い。ことあるごとに突っかかってくるのだ。しかもカラミ方がねちっこいのだ。

 俺はかぶりを振り、気を取り直すと、どこからか入れる場所はないかと板塀に手を添えてみた。


「そこにはお金はありませんよ。自堕落な生活から抜け出せず、とうとうお給料の前借りですか? それとも悪辣な性根からもっと欲が出てドロボウに押し入ったというわけですか?

 大旦那様の自由に使えるお金はわたくしが管理しています。なけなしの信頼と引き替えにしてもお金がほしいというのなら、どうぞ、私の部屋に来てください。金貨6000枚までなら保管してあります」

「相変わらずだお前は。ったく、そんなんじゃねーよ。勝手にドロボウ扱いするなってんだ。ここじゃ金なんて意味ねーじゃねぇか」 


 実際、ここでは俺たちは金を使う必要はなかった。

 飯と住まいは無料で、アルカディアの風俗女に限っては前日までの予約制で無料、当日とか指名アリだと定額で給料からの天引きとなる。

 毎月給料明細は出るが、ここでは基本生活必需品から服や靴、武器や防具にいたるまですべて自由選択の支給・配給制で無料なため、店で金を払うということがない。というか、この町には店がない。あるとすれば風俗店だ。酒場では飲み放題だが、仕事の集合時に酔っ払っていたり酒が残っていた場合は懲罰房と決まっている。

 使わないから金は貯まる一方だが、使おうとするとこれまた手続きがめんどくさい。

 町の中にある銀行で金を下ろして、お頭に休暇・外出届と理由を書類に書いて提出して許可をもらい、これまた偽造した偽身分証と偽指輪(同ジョブだが特別な効果はない・自分の指輪も使用不可)を交換して、用意してもらった御者と馬車を使って町を出る。

 他の町でなにをしても基本自由で、他のヤツは知らないが俺は町の酒場で地酒を呑んだり、その町の女を抱いたり、数日でできるギルドの依頼を受けたりする。

 おっと、話がそれたな。

 ビオラはまっすぐとこちらを見つめ、眉一つ動かさずに言った。

 

「お金の無心ではないと? それにしては借金取りに追い詰められ犯行を決意したような険しいお貌でおいえの侵入口をさぐっていたようでしたが」 

「うるせぇよ。さっきここら辺から何かが割れるような音とうめき声みてぇのが聞こえたんだよ。てっきりお前かもう一人でも倒れたんじゃねーかと思ったんだよ」


 最近、お前んとこひとり死んだらしいじゃねぇか、と一言添える。

 ビオラの目尻に鱗のような無数のしわが寄った。コイツ本当に人族かと思う。


「私どもが倒れたかもと心配なさる割には、弓を構えながら忍び足で移動するのですね、サブンズさん。仮に私が声をかけずに近づいていたら、あなたはどのような狼藉を行っていたのでしょうか、盗賊の生態には興味が尽きません」

「うるせぇヤツだなおまえ。盗賊は固有種族じゃねーよ、喧嘩売ってんのか。……まあいいや、その様子じゃ大旦那さまも無事なんだろう。何でもないんならいいんだよ。また警備にでも戻るさ、邪魔したな」


 やれやれと俺はきびすを返した。

 ビオラは他所の盗賊に家族を殺されて奴隷として売りに出されていたところを大旦那が見初めて買ってきたらしい。

 盗賊には恨みしかないが、大旦那にはよくなついているというもっぱらの話だ。


「いえ。私も何か壊れる音を聞いて外に出てきましたので、何かがあったことは間違いありません。ですが、あなたが犯行を隠蔽するために策を講じ、巧みな話術を用いて私をあざむき、あくまでシラを切り通すというのでしたら、私にそれを止めるすべはありません」

「……じゃあ、聞き間違えでもねぇんだな。たぶんこんなかから音がしたはずだ。俺は外で待ってるからよ、おまえは中の様子を見てきてくれ」

「ははあ。はあはあ。なるほどなるほど小賢こざかしくも上手な手ですね。そうやって私にこの建物の鍵を開けさせ中に押し入ろうという魂胆でしたか。感服いたしました」


 そう言ってビオラはぺこりと頭を下げた。


「では、鍵をとってきましょう。少しお待ちいただけますか。ほんの数分ですよ? そんな短い間にちゃんと呼吸を整えられますか? 逃走経路はちゃんと考えてありますか? 一緒に考えて差し上げましょうか?」

「うるせえな、いちいち。いいから早くしろよ」


 俺はしっしっと手を振って急がせる。

 ビオラはムッとした表情で頬を膨らませると、それでも走らずにゆっくりと大旦那様の屋敷に戻っていく。

 口の悪い変な女だが、なんだかんだで俺たちの言うことをよく聞く。そう大旦那様から指示されているからだろうが、口の利き方までは指導されていないようだ。

 大人しくしていれば、見ようによっては美人なのだろうが、会話と態度に『盗賊』への不快感が溢れまくっている。


 ともあれ、問題はこっちだろう。ビオラではないのならもう一人の女の方かもしれない。あっちは昔から大旦那の世話係をしていた骨董品みたいなばあさんだ。


「おい、中に誰かいるのか?」


 俺はどんどんと出入り口のない建物の壁を叩いてみた。

 だが、よほど厚い板壁にしてあるのか、全く音が出ず、声も中に聞こえた様子もなく反応がない。まるででかい石か岩を叩いているような硬質感だった。

 ただ、音がしたのは間違いなくこの建物からなのだ。俺は目を閉じると、建物に手を当ててみた。

 【シーフ】あたりの能力なら中に何人いるかなんてのはすぐにわかるようなもんだが、弓術士の俺ではそういうニッチな能力は使えなかった。

 せいぜいが集中して中の音を収集するぐらいだろう。


 全集中でもって耳に意識を傾ける。

 すると、ふわりと風の流れに乗って異臭を感じた。


「この板塀の隙間――じゃねぇな、もっと下だ。こっちの……基礎部分の……」


 板塀を指でなぞりながら下へと動かす。


「ここだ。基礎の床下換気口」


 俺腹ばいになると、石積みの基礎部分の通気口をのぞき込んでみたが、狭いうえに金網で覆われていて、しかも中は真っ暗で光も通さない造りになっていた。しかし、そこから来る空気の流れは床下のそれではなく、ある種の薬品のにおいだった。

 ――地下、室……? いや、地下通路か。すると、上の建物はカムフラージュか。


「――とうとう、気づいてしまわれたんですね」


 ジャラリとした鍵束を手にビオラが無表情でこちらを見下ろしていた。


「気づかなければ残り少ないあなたの余生も欲望のまま脳みそツルツルで過ごせていたでしょうに。今夜は興奮して眠れませんよ」

「……鍵、開けるような所なんてあったか? ここ」


 コイツの思わせぶりな態度はポーズだと思っているので、俺は膝を払って立ち上がると、板塀をぺしぺし叩いて見せた。


「ありますよ。このシギズミヨの木の延長線上にですね、板壁の一部が外れる場所があるんです。よく聞いて、私がいなくなった後ご自分と共犯者で試してしてみてくださいね」

「いいから早くしろよ。うめき声も聞こえたんだ。カムロのばあさんだったら一大事だろうが」

「……いいえ、彼女は自室で休んでいる様子でしたから違うと思います」


 ビオラは板塀の一番下の端に手を伸ばすと、その一部をシュッと上にスライドして見せた。動いたのはほんの10cmほどだったが、ビオラが立ち上がって板塀に手を添えると、なんとクルンと板塀の一部が回転した。

 カラクリ式の回転扉だ。


「んな、ぁ……?!」


 よもやよもやで、俺はびっくりしていると、その表情に満足したのか、ビオラがにんまりとした顔で口元に手をやると、目を細め、


「あらあらこの程度で、お可愛いこと……」

「馬鹿なこと言ってねぇでいくぞ」


 そう言って扉をくぐったものの、中は完全に真っ暗で、外からの光でかろうじて周囲が見渡せるくらいだった。

 そこはほとんどなにもない空間だった。外観は60㎡ほどの建物だったが、中身はほぼなにもないに等しかった。

 あるのは突き抜けの天井近くにゆっくり回っている巨大な換気用のプロペラと、地下へと繋ぐ螺旋らせん階段だけだった。 

 空気はひんやりとしていて、先ほど感じたおかしな薬品のにおいで充満していた。

 ただ、確かめようにも『暗視スキル』のない俺にはどうすることもできない。

 灯りが必要だった。


「ビオラ、なにか灯りになるようなものをもってきてくれ。暗くてなにも見えない」

「ふふっ、それはあなたの行く末ですか? それともすでに行き詰まりを感じた自身の人生設計ですか? 私、そう思いまして、これをもってきました」


 ビオラがジャラリとした鍵束を掲げて見せた。


「あん? どこかを開けるのか?」

「物事の表面的な面しか見ておらず、思いついたことをポンポンと口から出してしまうことを“浅慮せんりょ”と言うそうですよ」


 ビオラは中に入ると、よたよたと手探りで壁まで進み、周囲を探り始めた。


「……あら、おかしいわね。ここにフックがあるはずなのだけど」

「フックならここだぜ。お前、俺より暗視ができねぇのな」


 壁に取り付けられた鍵置き用のフックの場所を中指の関節でこんこんと叩いて知らせてやる。


「ありがとうございます。私は明るい場所ばかりを胸を張って生きてきたものですから、こうえたにおいのする闇の世界には疎くて……。その点『盗賊』――いえ、サブンズさんは身も心も闇に染まってらして頼もしい限りです」

「いいから早くしろよ」


 俺がイライラと急かすと、無言で鍵束を渡してきた。どうやら自分でやれと言うことらしい。


「まあ、なにをイラついているのかしら。お酒がきれたのかしら。煙草かしら。盗賊だからかしら。精神安定剤効くかしら。生理用品しかもっていないのだけど」などとボソボソほざくので、俺は頭をガリガリやりながら鍵束をそのフックにかけた。


 ぱっと明かりが付いた。

 魔光灯のあかりだ。あの鍵束の重さがフック式のギミックに作用して明かりが付くようになっていたらしい。一本でも取り違えられていたら罠でも発動するのだろうか。

 周囲があらわになって、俺はすぐ近くにある手すりから、その全貌をみることができた。

 ――ここは、地下研究所だ。


「やっぱりな。変な造りの屋敷だと思ったけど、この地上の建物自体が通風口で非常口を兼ねてるって所か」


 メインは地下施設だろう。

 すぐ近くには螺旋階段があり、6~7メートル下には、この建物の3,4倍もの大きさの空間があり、その空間を埋めるように大きなタンクが三つ設置してあり、その大半の面積を埋めていた。

 端の方にドアが見えるところ、おそらくは地下で大旦那様の屋敷ともつながっているのだろう。

 

「ビオラ、ここは何の施設なんだ?」

「わかりません。私は“何かあったときの”入り方と出方を教えていただいただけですから。ですが、大旦那様私用の研究施設であることは間違いありません。そして、

「俺は入ってもいいのか?」

「押し入ってから言われましても。私はなすがまま、されるがままに、無理矢理……。そのすべてを大旦那様にお伝えするまでです」


 しれっと爆弾発言をするビオラ。確信犯的な瞳にしてやられたと思ったが、そもそも俺は理由なく入ってきたわけではない。 

 大旦那がお頭以上に物わかりのいい人物だと期待を込めて、


「ふん。うめき声が聞こえたんだ。……大旦那様だってこともあるじゃねーか」

「大旦那様はお屋敷で眠っているところを確認しておりますから、それはないでしょう。……サブンズ様、それでも進まれますか? それとも、私から持ち出し用大袋に入れられた金貨を担いでこの町から去られますか? 金貨1000枚をいれてある袋が6つ、私たちの家の玄関先の水桶の横にまとめておいてあります」

「…………何でそんなに手際がいいんだよ」

「ああ、そうそう知っていますか、サブンズさん。先日子馬が生まれまして、これでこの町の馬は104頭となったわけですが、夕べ遅くそれが双子だったようで、数の修正が明日の持ち越しとなっているようです。一頭ぐらいいなくなったとしてもバレはしないと思いますけど、私は」 


 目をそらしつつ、独り言のように話すビオラ。


「下を調べて、誰もいなきゃそうさせてもらうかもな。行くぞ」


 俺は後ろ手をひらひらさせると、螺旋階段を降り始めた。

 ビオラもため息をつきながら俺の後を付いてくる。自分だけ戻るという選択肢はないらしい。

 俺たちの組織にとってのルールは二つ。『裏切りものは死』。そして、『お頭の命令は絶対』だった。

 それを守っている限り、おおよそ自由にやれていた。

 今回もそうだ。


 お頭には『待機命令』が出されていた。

 これを破って町から出れば、すなわち『死』だ。大旦那様の屋敷の警護は後付けの、しかも自分たちが勝手にしていることだった。

 町からさえでなければ命令違反には当たらない。

 『大旦那様の屋敷には入るな』、と言われてはいるが、ここはその範疇に入っていない。

 そもそも、正しいと思ってやってることなんだから、ビオラにとやかく言われる筋合いはない。…………なんて、言い分が通じるかわからないが、お頭のことだから言い訳ぐらいは聞いてくれるだろう。


 カツカツと螺旋階段を降りる。

 前述の通り、でかい3つのタンクがその半分を占めていて、どうもふたつが空になっているようだ。そのうちのひとつはまだ魔光灯がともっていて今もまだ稼働しているかのようにみえる。

 一番下の階段を降りると、ぴちゃり、と水音が響いた。

 よくよく見れば、床はバケツをひっくり返したような有様で、そこら中水浸しだった。しかも、ただの水ではなく、どうやら異臭の正体がこのぶちまけられた液体のようだった。

 極力液体を避けるように迂回し、俺はタンクの前に立った。

 タンクは壁際に同じ大きさで3つあり、上から見ただけではわからなかったが、奇妙な形をしていた。

 三つとも同じ形式で並べて造られてあり、一番右だけは、短い鉛筆を逆さにしたようなタンクの先から水風船のようなものが吊り下げられていて、赤黒く濁った液体で満たされていた。その下にはそれを受け止めるような形のロートのようなものが設置してあり、真ん中のタンクはその水風船が破裂したかなんだかでその液体が床一面にぶちまけられて、そのどろどろとした中身の塊が壁の隅に押し流されていた。

 おそらく、俺とビオラが聞いた音というのはこれのことなのだろう。

 逆に、一番左は短い鉛筆状のタンクは同じようにあるものの、水風船はすでに取り外されていて、下の受け皿も真ん中と同じ横に倒れたままだった。

 つまり、左から二つはすでに役割を終えていて、一番右はまだその途中段階というわけだろうか。

 何の研究かはわからなかったが、俺が理解できたのは、でかい金をかけたってことと、あとひとつ、ついさっき真ん中のタンクが役目を終え動きを停めたってことだけだ。


「なあビオラ。お前らふたりでここを掃除するのか? 大変――」


 そこまで言いかけて、俺の目は隅っこのどろどろの塊がもぞもぞ動くのを見逃さなかった。


「何だぁ、ありゃあ?! でかいスライムか? おい、ビオラ、危ねぇから階段上がってろ」


 俺は矢をつがえ、弓を張った。

 意識を集中させ、対スライム用の弓術マニュアルを思い返していた。

 スライムには物理攻撃は効果がないと言う説もあったが、それは単なる火力不足であることが証明されている。スライムには核があり、それを破壊することで倒すことができるらしいのだが、あいにくと俺にはスライム相手に弓を引いたことがなかった。

 【暗視スキル】がないために学生時代の野外研修以来ダンジョンに潜ったことがないのだ。

 ただ、火力で吹っ飛ばせばいいというのなら、めいいっぱいの魔力を込めた矢をぶち込んでやればいいはずだ。

 だが――


「ビオラ、おい! いるかビオラ!」


 視線をそのままに、大声でビオラを呼んだ。


「“おい”じゃありません、サブンズさん! 私はあなたの妻でも彼女でも性奴隷でもありません。もしどうしてもというのなら大旦那様からちゃんと身請けをしてからにしていただけませんか!」


 ぷりぷりとした声がちゃんと螺旋階段の上の方から聞こえてきた。


「……俺は屋外じゃ視力はピカイチだけどよ。屋内の魔光灯の下じゃ自信が持てねぇ。おまえもそこからあのスライムをよく見てみろ! 俺には! なんか人の手足がはみ出てるように見えるんだがよ!」


 しかもそのスライムだと思っていたゼリー状のものから、藻掻くように、まるで脱皮や羽化のようにして細っこい左足と痩せた尻がばたつかせながらも、少しずつだが幼い人間のカラダが

 落ちてたゼリー状のものはどうやら蛙の卵みたいなもので、中身があったようだ。手足が突き破った穴から、どろどろと液体が床にこぼれ広がっていく。


「……残念ですが、サブンズさん。私のこの曇りなきまなこで見ても、まるで同じような感想を持ってしまっています。ショックだわ私、あなたとは育ってきた環境も違えば、見えている世界もまるで違うと思っていましたのに……」


 悲痛そうなビオラの声に、俺は確信を持ってスライム――その中身に近づいた。

 もうすっかり粘液状の物質は床に広がっていて、そこにはただ全裸の人型だけが存在していた。


「う……、ぐぼげぇぇぇ、……く、く、そ、……げほっ……」


 肺の中まで液体で満たされていたのだろうか、およそ胃の中身全部と同じくらいの量の吐瀉物がまき散らされる。

 そいつは粘液まみれの顔を拭い、悪態をつくと、自発的に呼吸まで開始していた。

 うつむいて激しく咳を繰り返しているせいか顔が見えない。だが、体つきからおよそ12歳かそこらの痩せた黒髪の少女に見えた。


 少なくとも目の前にいるコイツは生まれたばかりの子羊って訳ではない。すでに悪態をつける程度に成長している言葉の話せる人間だ。

 俺は回避の反応ができるギリギリまで近づくと、そいつに向かって話しかけた。


「ヘイヘイヘイ! 俺の言葉がわかるなら顔を上げろ! 今お前に向かって弓を引いている。おかしなまねすれば、警告なしにぶっ殺す」


 しばらくゲホゲホやっていたそいつだったが、俺の言葉に反応しそれを一瞬停めた。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。

 髪は粘液でベッタリと顔に張り付き、目は両目とも閉じられたままだったが、なぜか俺はそいつを知っているような既視感を覚えた。


 いや、そんなはずねぇ!

 俺の勘違いだ。


 正面に回って、間近でそいつの顔をのぞき見た。

 瞬間、後頭部からぶわっとくる得体の知れない感覚に、うっかり矢を番えた指を放しかける。


「おまえは――」


 続く言葉に「誰なんだ」ではなく、「いや、あんたまさか――」が、


「その声は、ゴホッ、サブンズ、か……?」


 いつもよりずっと幼く高い、お頭の声に上書きされた。

 



「……お頭? か? あんた」


 俺は錯乱しかけている頭に活を入れ、いつの間にかカラカラに乾いていた口内を舌でかき回して声を出した。


「ゴホッ、何でお前がここにいる。ここに入れるのは、ゴホッ、カムロ婆とエミリー、はぁはぁ、それにビオラ……あとだれだ、くそ、頭が回らないぞ!」


 お頭――は、粘液まみれの頭をグシャグシャとかき回し、がんがんと叩き、すべってべしゃっと床に伏した。

 俺もできることなら同じように頭をがんがんと叩き、髪をかきむしりたかった。

 目の前にいる少女がお頭なら、先週俺を置いてけぼりにしていった大人のお頭は誰だったんだ?


「ビオラ、下に降りてきてくれ。そして、俺と同じものが見えてるか確かめてくれ」


 俺は呼吸を整え、寒さ以外の理由で震え始めた指を収め、いったん射線を外すと、少女から目を離さずにビオラを呼んだ。

 ビオラは少しの間躊躇したみたいだったが、コツコツと螺旋階段を降り始めた。


「……そこにいるのは、まだ幼い女の子のように見えますが、衣服は身につけていないようですね。そして、女の私にその少女のいったいなにを見ろと命令するつもりなのでしょうか。軍法会議が楽しみでなりません!」

「ビオラだと!? ビオラ! いるのか!? カムロ婆はどうした。……くそっ、今回は目か。魂の定着が巧くいったのはいいが、前回よりも肉体とのブレがひどい」


 少女は嘆くように床を叩いた。


「ぇ、あ?! ええ??! お、お嬢様? え、嘘? ええええええ???」


 少女の声に反応したビオラが転げ落ちんばかりに慌てふためき螺旋階段を降りてくる。


「サブンズ」


 少女の声に、俺は「おう」とうわずった声で小さく応えた。

 少女は目を閉じたままだったが、顔をこちらに向け、言った。


「『わたし』だ。わたしが誰かわかるな? 先ほど『転移装置』で戻り、『若返り装置』で若返った。数日前より姿が幼くなったのはだ。

 装置の調子がおかしいのか、両目と片方の耳の調子がおかしくて、それに左足の足首が動かない。肩を貸してくれ」

「……ああ」


 声質は違うが、少女の中身はいつものお頭のように思える。

 顔は……髪型や目を閉じているせいか、よくわからない。似ているのは確かだが、俺の知っているお頭の少女時代とは面影が違う。……確信は持てない。


「でもちょっと待ってほしい。……確認です。お頭。連れて行ったアーガス、ハルドライド、たちはどうしたんですか? それになんで『若返り装置』なんかに入る必要があったんです?」


 『転移装置』だの『若返り装置』など訳がわからないが、カムロばあさんやエミリーのことを知っていることからまったく嘘だとは思えない。

 少女はにたりと笑った。


「引っかけたつもりか、サブンズ。ボルンゴは連れて行っていない。『ユーエン』の名を出したら断られたぞ。いいだろう、答えてやる。わたしが連れて行った連中30名はアーガス、ハルドライド、――――」


 そうして少女――若返ったお頭は抗争に連れ立ったメンバー全員の名をすらすらと答えた。

 だがそのなかに数名、聞き捨てならない名前があった。

 『雷鳴』や『神槍』と並ぶ二つ名を持つ強者がさらに3名も入っていたこと、

 そして、


「――ミランダ?」

「そうだ。ミランダ・カムシエル。いや、ミランダ・ホーキンスだったか。彼女も途中の町でばったり会って、金貨30枚で誘った。新居を構えたから金がなかったのだろうな。二つ返事で付いてきたぞ」

「あ――、彼女は『魔法使い』だったけか……たしか。でもあいつは、“照明ライト”はともかく、“エアロウィング”、それに“ファイアアロー”しか使えなかったと思うんですが、役に立ったんですか?」


 昔、ボルンゴとミランダと三人で魔物の群れと戦っていたときは、ミランダのヤツはほとんど照明係に徹していたことを思い出した。

 ただ、ミランダの“照明ライト”は性能がよく、彼女を中心に半径20メートルほどのドーム型の『影のできない明るい視認空間』を作り出すことができた。代わりに攻撃魔法系はたいしたことはなかったはずだ。


「……ああ。今回の抗争は夜襲作戦だったからな。彼女は役に立つとふんだんだ」


 そこに勢いよくビオラが駆けてきて、ぬるぬるにすっころび、「ふぎゃ!?」と悲鳴を上げた。


「いたたたたた。思いっきり顔を打っちゃいました。って、それどころじゃない。お嬢様、ああ、なんてお姿に!? えっと、お嬢様ですよね? お声もお姿も私の部屋に飾ってあるシャシンとは違うような気がするのですけど……」

「『わたし』だ。『若返り装置』に入って若返った。詳しいことは聞くな。……まだ、目が開かないから自分の姿が確認できないが、体つきからしておそらく12~13歳と言ったところだろう。毛も生えてきていないようだからな」


 少女は自分の恥丘をなでて確かめた。

 確かになにも生えていないが、お頭はここまで押っ広げな性格だったろうか。


「なななななな、なにをしているんですかーーー!!?? ちょっ、見るなこの変態がぁぁっ!!」


 がぁーー!! と怒ったビオラが怒りの鉄拳を俺に向けて振るってきたが、俺がひょいと避けるとビオラはまた、ずるべしゃっと床に頭を打ち付けもんどり打った。 

 なにをやっているのだろうか、コイツは。

 一人でいるときは性格の悪いツンとすましたただの変なヤツだが、お頭の前ではこんなヤツだったのか。

 どっちが素の姿なのか、わからない。

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