第94話 アディショナルタイム
最初は跳ねた泥が服に付いた程度の感覚だったのだろう。
五指を失ったとはいえ、ボルンゴは死霊の槍で強化された槍術士のクグツだ。たとえ両腕を切り落とされていたとしても、槍を口でくわえてでも戦おうとするだろう。
ボルンゴが邪険に掌を振るうと、衣服に縋り付く黒い手は脆く千切れた。黒い手一本一本は脆くて弱いようだ。
ただ、それが間を置かずペタペタ、ペタペタと次々と際限なく服や肌に纏わり付き、やがて無視できないほどの力を重ねて引きずり始めると話は変わってきた。
「ごぁぁぁぁぁ!!」
振り返り、力の限り掌をソレに打ち付けてもみるが、流水を叩くが如く、飛び散ってもソレは瞬く間に
振り払えないと悟ったのか、ボルンゴは構わず死霊の槍を求めて足を踏み出した。
だが、ある時を境に力の均衡が崩れ、ボルンゴは黒い手に引きずられ、徐々に死霊の槍から遠ざかり始めていた。
ズ……ッ、ズズズッ、ズズズズズ――……。
それはさながら、身を覆う無数の蟻が獲物を巣に持ち帰ろうとする光景に似ていた。
「なんだあれは?! トーダ! 答えろ!」
お頭が険しい表情で俺を見た。まるで俺があの黒い手の持ち主であるかのように、責めるような視線だった。
マチルダさんとワイヤレス糸電話していた俺は、その視線に明確な返答を持ち合わせていなかったため、とりあえず意味ありげに笑うことにした。
「……ふ、ふふふ。なるほど、ね……」
真犯人がアンジェリカだと言うことはわかっているが、それを馬鹿正直に話してしまうと、裏切りとかクグツ合戦ルールに抵触してしまうため、意味深に笑ってごまかそうという作戦に移行することにしたわけだ。
“く”の字に曲げた人差し指を口元に当てて笑おうとしたら、うっかりブロブとぶつかってしまった。
「全く、マチルダさんらしいと言うか、なんというか……」
よく考えたら、ついでにあの黒い手をクグツ合戦が終わるまでマチルダさんの仕業だってことにしておけばいろいろ無問題になるので、マチルダさんとコソコソ裏で打ち合わせして、とっととボルンゴを始末する方向で動いてもらおうと思う。
訝しむような胡乱な目で俺を見ていたお頭だったが、意味深に笑うばかりで目を合わせようとしない俺にまともな返事が期待できないと悟ってか、視線を別方向に向けた。
俺はやれやれと思い、マチルダさんと目配せを交わすと糸電話を一旦切り、取り舵45度の方角でバトってるジェイルの方に目を向けた。
あやつはアーガスの猛撃を耐え凌いでいるフリで、死に際をバリ愉しんでいる風にしか見えない……とかなんとかマチルダさんはおっしゃっていたので、
『ハイサイこちら良マスター。ジェイル。いい加減そろそろ遊びは終わりにしろ』
『遊んでる風に見えるってのかよ、トーダ』
アーガスの一閃を地面を転がるように辛うじて躱し、傷口を泥だらけにしながらジェイルが立ち上がる。気力こそ衰えていないようだが、ダメージは確実に蓄積されている感じだ。
『端から見ていてすっげぇ楽しそうだぞ、お前。隠しても無駄だからな、糸からソレが伝わってくる。追い詰められて何笑ってんだ。マゾかよ』
『うるせぇよ。もー少しやらせろ。だんだんと兄ちゃんの動きが読めてきたところなんだからよ』
『駄目だ。さっきマチルダさんと話してて、このままやらせてても、良くて相打ちだって言っていたからな。ていうか、お前勝つ気ないだろ。ロドルク戦のこと話したら、「やっぱり」ってため息つかれたぞ』
『……うるせーな。だからマジでやってんだろ』
アーガスの猛攻を紙一重でかいくぐり、足下で加震動波を放つジェイル。
体勢を崩したアーガスの心臓目がけて、風のナイフを振り下ろそうとするジェイルだったが、逆に手首を取られ、投げられた。
地面に叩き付けられるも、首を切り落とそうと魔剣を振り上げるアーガスの膝裏を殴って辛くも脱出する。
『勝つ気はある、まじめにやってる……ように見える。でも、違うんだろ? お前の戦い方は【シーフ】のやり方じゃない。シーフってのはもっと嫌らしくて小賢しい戦い方するんだってな』
『あ゛あ゛?!』
『“決闘”だって言うから何でもありかと承諾したけど、正攻法オンリーの聖騎士ルールのガチンコ勝負だって言うじゃねーか。なんで毒針とかダイナマイトとか使わないんだよ』
『…………黙って見てろ』
ベッと砂の混じった血を吐き出しながら、遠目にもジェイルが俺を睨んでいるのがわかる。
その視界にはもちろん、周辺一帯が黒い淵化している異常事態も、その黒い淵にドンブラコしているボルンゴの姿も垣間見れたはずなのだが、それにまったく反応していない。
意識を裂くほどの余裕すらないのか、興味が無いのか、一秒の間も置かず再び剣戟が始まってしまった。
俺は、黒い淵が現れた経緯や、それがボルンゴを呑み込みかけ、まださらに広がり続けていることを、かいつまんででもジェイルに伝えようかと逡巡したが――
ある違和感を感じ、伝える言葉を変更した。
『ジェイル。よく聞け。アーガスとの決闘は勝たなくてもいい。ただ、これ以上傷つくな。怪我を重ねれば、それだけ治すのに【魄】がかかる。粘っていれば、そのうちアーガスの方から決闘を放棄してお頭の元に駆けつけることになる』
『そりゃどういう意味だよ。俺たちのことを馬鹿にしてんのか?』
馬鹿にしているもなにも、それだけお前に余裕がないってことだろ。周り見ろ周り。
今俺たち結構ヤバいところまで来ているみたいなんだぜ。
『……マスタートーダとして厳命する。“気を抜かず今は防御に徹してろ”。【シーフ】としての能力を最大限に使って、避けて躱して防ぎまくれ。そんでもし余裕が生まれたら、自分で周囲の状況を判断して行動しろ』
『……命令かよ』
力を抜き、アーガスの一撃をゆらり、ヤナギのように身を揺らして躱す。次の一手を攻撃に繋げないことで生まれる余裕を相手との距離を取ることに使う。
俺の指示を素直に聞いたのかどうかわからないが、シュルシュルと蛇のような足捌きでアーガスの死角死角へと身を運ばせる。
『一応、俺はお前のマスターだからな。
『あん? どうかしたのかよ』
『いや、こっちのことだ。集中してろ。一度切るぞ』
どうやら違和感が的中したようだ。
ボルンゴを覆う……いや、呑み込みつつある黒い淵は、しかし、ボルンゴの再々浮上を赦していた。
沈んでは浮き、浮いてはまた黒い手に淵の中へと引きずり込まれる。
地獄の亡者が生き餌を弄んでいるような光景だが、まだ終わりが来ていない。
それどころか、いつまで経っても、ボルンゴは黒い淵の中へと沈みきらない。
大暴れのロドルクですら、黒い淵に肩まで浸かってからは10秒と保たなかったのに。
それが、今ので再々々浮上をゆるしている。
マチルダさんがソロソロと後退を始めていた。
俺の方にではない。方向は逆で、俺から離れるように動いていた。俺にはダダジム達がついているため、無理をしてこちら側に来なくてもいいと伝えたこともあるが……。
今やボルンゴを呑み込もうとしている黒い淵は、半径10メートルを超えてなお、その容積を拡大していた。もはやBダッシュジャンプでどうにかなる距離ではない。
所々から湧き水のようにごぽごぽと湧き出し続け、黒い淵はまるでコールタールのプールのようになってきている。
それがマチルダさんと俺、ふたりの間を裂くようにして広がり続けているのだ。
「屋根に上がれ」
お頭の声に反応して、俺は思考を中断した。
見ると、お頭を肩に担ぎ上げたロー公がヨタヨタと小走りに近くの平屋に向かって行くところだった。
俺たちも急いであとを追った。
途中、お頭が一度俺を振り返ったが、目元をピクつかせるだけで何も言わなかった。
お頭達とは距離を取り、隣接する平屋の屋根に上る。俺たちに気づいたロー公が手を振ってくるので、軽く振り返しながらもボルンゴを見下ろす。
黒い淵は半径11~13メートルくらいまで大きくなっていた。
上から見ているとじわじわとした広がりがよくわかり、ただ、近くの倒壊した家に分断されていて、カタチ自体は真ん丸の円ではなく、フライパンに落とした目玉焼きのように歪に偏っていた。死霊の槍が見えなくなっているところを見ると、呑み込まれてしまったようだ。
黒い手は淵の全体から生えているわけではなく、あくまでボルンゴ周辺のみで、淵の中に引きずり込もうと躍起になっている様子がよくわかった。
一体これは何なのか……。
召喚士のスキルであることは間違いなさそうだが、どうも“クグツ”は引きずり込めない感じだ。生きているモノと魔力で動いているモノの違いだろうか。ハイチューとキシリトールガムの違いみたいなものだろうか。
黒い淵には、それが判別できておらず、呑み込もうとして失敗を繰り返している。
解決する方法はひとつ。ボルンゴにトドメを刺すことだろう。
ただし、ボルンゴがクグツ活動を停止したあと、消化不良のあの黒い淵が一体どのような行動に出るかがわからない。消滅するか、もしくは――標的を俺たちに代えてくるか。
考えあぐねているうちにも黒い淵は大きくなっていく。マチルダさんは俺の存在を視界に収めつつも、じりじりと後退を続けている。
ちなみにジェイル達は、マチルダさんとは反対軸側にいて、さらに20メートル以上離れている。つまり、黒い淵を挟んでデネブ、アルタイル、ベガの三方に別れた感じだ。
『【死霊の槍】よ。我が呼び声に応え、我が手に集約せよ。我が名はロー・ランタン死霊を束ねる者なり』
ロー公が死霊の槍を呼び寄せる詠唱を唱えた。
掲げた右手に黒いガスが集まり始める。それが固体化するほどに凝縮されれば死霊の槍のできあがりだ。
つまり、ボルンゴにはもう見切りを付けて死霊の槍の回収を命令したって事なんだろう。……もしくは、その槍をボルンゴに向けて投げるかも知れない。
俺はマチルダさんに向けて声を上げた。
「マチルダさん。もうそこからボルンゴにトドメを刺してください。できますか?」
お頭に反応はない。舌打ちぐらいして見ろって言うんだ。
「はい。できます」
マチルダさんが待ってましたとばかりに首狩りスプーンを構え、その柄を捻った。すると、先ほどの“先割れ状態”が解消され、滑らかな曲線の刃先に戻った。
『少し距離が空いてしまいましたが、首狩りスプーンを投げつければ、まだ仕留められる距離です。癖のある武器なので、これ以上距離が開くと避けられてしまうかもしれません』
『わかりました。ロー公が死霊の槍を手元に呼び寄せています。槍の自主回収かも知れませんが、お頭の命令のようです。自分でボルンゴにトドメを刺してクグツ合戦自体をうやむやにしてしまう可能性があります。
――ボルンゴを殺し、クグツ合戦を一旦終わらせて仕舞いましょう。やっちゃってください』
『わかりました、マスター』
マチルダさんは首狩りスプーンを槍投げのように構えると、グンと肩を入れ、身を沈ませるかのように低い体勢から、さらに低く、ボルンゴの足下を狙うかのように投擲した。
その理由はすぐにわかった。首狩りスプーンは直線急下と思われた投射線上から急にホップしたかと思うと、バタバタと暴れるボルンゴの首を顎下から掬い上げるように切り離していた。
ボルンゴの首をスプーンに収めたまま、ばしゃんと黒い淵に落ちて、ぷくぷく沈んで見えなくなった。
――。あ、ひょっとして判断誤ったか?
ないと思うけど、今後死霊の槍と対峙した場合の武器がない。
すると、黒い淵の女神様が現れて、「あなたが落としたのは金の首狩りスプーンとボルンゴの首かえ? それとも銀の首狩りスプーンとボルンゴの首かえ?」などと聞いてくれることを一瞬期待したけど、そんなことは起きなかったぜ。
攻略法を知っているので両方ゲットできたとして、金と銀の首狩りスプーンはともかく、ボルンゴの首が3つもあると【魄】をたくさんもらえて嬉しかったんだけどな。
以上、無事レベルが上がったので、甘露に浮かれ、錯乱気味のトーダからでした。てれれれってれー。ネクロマンサーLv5になりましたです。はい。
……レベル上がると、平常心スキルが自動的に切れるんだよなぁ。ぽちっ。
「ぁぁぁぁアーーー!! 負けちゃったヨー! ぁぁぁあーん、ああああーーん」
ロー公が死霊の槍を手に、天を仰いで絶叫し、そのままおいおいと泣き始めてしまった。
お頭は、うるさい黙れとぽこすかロー公の頭を叩くが、ロー公はお構いなしだ。
俺はそれらを無視して黒い淵に目を向けると、あれほど激しくバシャバシャやっていた黒い手が、コンセントを抜かれたばかりの掃除機のように、動力の余韻を残しつつ徐々に大人しくなっていっているのが分かった。
ロドルクの時のように、対象者を引きずり込めたわけではないので、黒い淵もお役御免でそのまま地面に吸い込まれていくようなことにはならなかったが、対象を見失ったことはわかるのか、地面からの湧き出しは止まっていた。
やがて黒い淵は完全に沈黙し、不自然な静けさが辺りを覆い尽くす。
パチパチと遠くで家が燃える音が聞こえるほど、閑か。時折、ロー公の鼻をすする音が聞こえてくる。どうやら泣くなら声を上げずに泣けと言われているようだ。
不安を誘う閑かさは、まるで台風の目に入ったか、嵐の前の静けさのようだった。アーガス達も小休止しているのか、対峙したまま何か話している。
ロー公の嗚咽の中、端を発したのはお頭からだった。
「ふん。【鑑識】で見る限り、今のでネクロマンサーのレベルが上がったようだな」
「おかげさまで。ネクロマンサーなだけに屍を乗り越えて成長をさせてもらってます。おおむね、あなた方盗賊の命を踏み台に。
――それで、クグツ合戦は俺たちの勝ちですよね? 先ほど、ロー公先輩が敗北宣言を出しましたから」
「…………」
笑うか怒るかすればいいのに、しばしの沈黙の後、お頭は表情も変えず、ゆっくりとした仕草で指を一本立てて見せた。
「トーダ。お前はこの世界の人族の人口はどれくらいだと思う?」
「……答えになっていませんね。お頭じゃ話にならない。ロー公先輩。クグツ合戦は俺たちの勝ちですよね?」
「ぅぅぅ……。ボクの負けデス。ボク、負けちゃったヨー」
ロー公からは
じゃあ、早速自害でもしてもらおうかしら。
「6年前の大調査の結果、まあ、調査に協力しない国もあったが、おおよそ2億ほどだそうだ。対して、亜人の総数は人族の約18倍ほどと言われているが、亜人に関しては調査など行われておらず、これはおおボラだろう。ただ分かっているのは個々の種族人口比では人族には遠く及ばないということだ」
「……お頭。さっき言っていた話ってこのことですか?」
てっきり因縁を付けてうやむやにして没収試合だって暴れて、再戦は一ヶ月後だ首を洗って待ってろとか言い出すと思ってたんだけど。
なんで人口比?
「まあ、黙って聞け。――おい、ドルドレード。お前、わたしを殺しに来るつもりだな? そこを動くな。トーダ、ここからでも話し合いの声は届くだろう。そいつをわたしに近づかせるな」
「……マチルダさん、お頭の話が終わるまでですから、もう少し待っててください」
マチルダさんがグッとお頭を睨み上げている。
『マスター。でしたら、せめて屋根から降りて私のそばに来てください。もしくは、今すぐに殺傷許可をいただけませんか? 近くに手頃な石が落ちています』
許可したら投擲するつもりなんだろうか。
『ロー公は死霊の槍をすでに回収してしまっています。弾丸でも止められるような動体視力の持ち主ですから、石ころぐらいじゃたぶん弾かれてしまいます。こちらからの奇襲攻撃は、それこそお頭の思うつぼです。
大丈夫です。周囲はアラゴグとダダジムが見張っています。話はすぐに終わらせますし、マチルダさんとの合流したあとロー公は“お願い”で自害させます。お頭はそのあとゆっくりいたぶればいいでしょう』
『…………でしたら、せめて、あと2メートル離れ、ジェイルに一声掛けてください』
『わかりました』
ダダジムにもう少しお頭から離れるように言う。
「トーダ。どこに行くつもりだ。ヒトの話を聞くつもりはあるのか?」
「その話、長いですか? 早くロー公先輩に“お願い”を伝えて終わらせて寝たいんですけど」
「黙って聞け。お前に聞かせている話は、選出者が大金を払ってでも知りたい情報のひとつだ。
人口2億のうち、現在活動中のファーストジョブ持ちは160万人程度だと推定されている。これはあくまでジョブ適性が“Bクラス以上”の人族で、隠居を含めた数の総数だが、指輪の管理は各国が行っているため、信頼度が高い」
お次はジェイル、と思って意識の糸に指を伸ばすが、
『……マスター、気がついていますか? 黒い淵が中心に向かってさざ波をうつように集まってきています。潮が引くように、今まで覆われていた地面が見え始めています』
『ああ、こっちからも見えている。でも、その黒い淵の持ち主はアンジェリカだ。ご高説を口にしているお頭じゃない』
『上からアンジェリカさんの姿は見えますか?』
『わからない……。ただ、“ヒレイ”っていうコウモリみたいな使い魔がさっき飛んでいたし、今もどこかで監視していると思う』
『マスター、ジェイルにはこのことを伝えましたか?』
『いや、まだ』
『私が今すぐ行って、アーガスさんの首を捻り切ってきましょうか?』
『いや待って、その流れだと“喧嘩両成敗”してしまうだろうからやめて。今すぐ伝えるから』
「――そして、亜人のジョブ適性率は今やBクラス以上が8割を超えている。人族が適性率3割を切っているところからして、その差は歴然だ。そして当然、魔族や、指輪の概念など無いオークなどその他多くの種族もまた、【ジョブ相当】の能力を保有している」
人差し指をクルクル回しながらお頭の熱弁は続く。
話半分で聞いたフリしながら、急ぎジェイルに意識を飛ばす――と、同時に、指先のブロブがブブブ、ブブブ、ブブブ、とバイブレーションを開始し始めた。
俺は目を凝らし、木の陰建物の陰など周囲を注意深く探るが、ハルドライドの姿は見えず、動きがあるのはアーガスとジェイルの超高速の魔剣の光だけだった。
「どっちの方角だ?」
垂直に人差し指を立てて尋ねる。
ブロブはゆっくりとした動きで人差し指を俺の背後側に向けた。思わず振り返るが、俺の動きに合わせて身を隠そうとした動きはなかった。
「トーダ」
きょろきょろと挙動不審に辺りを気にする俺に、「わたしの授業が不満なら教室を出てけ」と言わんばかりに、鼻をならした。
「興味は無いか? こういう話は」
「まったくないですね。おおよそはイザベラから説明がありましたし」
ああ、そうかとお頭。
だいたい、話の規模が大きすぎてぴんとこないって感じだ。
亜人とは相対的に人族の人口がどんどん減ってってるって言われても、だからなんだって話だ。
「実を言えば、わたしがここまで追い詰められたのは、4回目だ。相手がいるならお前を含めて3人目だ。未到地での魔物の襲来に全滅しかけたのが1度目、仲介役を通さずに挑んだ魔族との交渉に失敗で2度目、敵対勢力の抗争で3度目、そして今回だ。1度目以外はローも参加させているが、この低落ぶりだ」
お頭がクククと笑った。
ぉ、ついに独白反省会の開催か。俄然興味が湧いてきた。
ロー公が何か言いたげに顔を動かすが、余計なことを口走らないようにお頭に唇を摘ままれていた。
「マスター!」
マチルダさんがじれたように俺を呼ぶ。
敢えて言葉――声を使ったのは、俺とお頭との会話を中断させるのが目的だろうが、それともうひとつ、異形化しつつある黒い淵に意識を向けさせるためだったのだろう。
黒い淵は……もう淵と呼べるかどうかわからないが、外側から内側へのさざ波のような逆流は続いており、半径7メートルほどの小山のようになっていた。
なにか、中央へ中央へと黒いモノを圧縮させていっている感じだ。
マチルダさんがジッと俺を見上げている。
俺はジェイルとまだ連絡を取っていなかったことを思い出し、すぐさま意識の糸を引っ掴んだ。
「敵対勢力というのが、言わずもがな“選出者”の6人グループだった。こちらのメンバーは18人と少数だったが、今回より数段精鋭を揃えたつもりだった。ただ、やはり選出者同士で組まれたグループに挑むには、策に掛ける時間が乏しかったようだった。4人までは殺せたが、こちらも複数人“選出者”を失った。
ローとアーガス、それにロドルクがそのときの生き残りだ。皮肉なことに、数で圧していたはずのこちら側に“選出者”は生き残らなかった」
ブブ、ブブ、ブブ、とブロブ。
ついうっかりお頭の話に聞き入ってしまっていたため、ハッとして振り返るが、やはり人差し指が向けられた方向には人影はない。少なくとも視界30メートル以内には不審なものは見えなかった。俺より目のいいダダジムにも反応はない。
人差し指のブロブに、ハルドライドを追跡しているアラゴグの姿を俺の視界に現れるように伝えてくれと言ってみる。糸を使って近くの木々を揺らしてみてくれとも伝える。ブブッとブロブは震えるが、目を凝らしてもその姿どころか、木々の葉っぱ一枚動く様子がない。
まあ、アラゴグ自体黒いし、仮にいたとしても見えないか。
その後もお頭は昔話を続ける。お頭に与する選出者のジョブと相手側のジョブの話だ。お頭も乗ってきたのか、熱弁にも力がこもり、指先をタクトのように振るう。
…………。
いやいや、とにかく忘れる前にジェイルだ。
『ナマステこちら良マスター。クグツ合戦勝ったぞ。あとはお頭とお前の兄ちゃんとロー公を残すのみだからな。引き続き、アーガスの管理は頼んだぞ。じゃあな』
『……待てよ。ハルドライドはどうしたんだ? 死んだって聞いてねぇぞ』
『ハルドライドはお頭の命令で【町】に帰れって言われて、戦線離脱してったぞ。っても、ぬかりなくアラゴグにあとを追わせてるし、後で追いかけてって――』
そこまで言ったとき、ジェイルとを繋ぐ意識の糸に痛いほどの衝撃が走った。
『ばっっか野郎!! なんでそのこと、お前今どこ――??!! はぁ!?? 何で屋根なんかに上ってんだ??! 突っ立ってねぇで今すぐ降りろ!!』
ジェイルがリアルでも大声を上げ、振り払うかのように腕を振るった。
『いや、下手に降りようとすると黒い淵がな……』
「剣士と戦士と槍術士、同じレベルで戦わせたとしたら一体どのジョブが勝つと思う? 正解は“剣士”だ。同レベル同士だと、槍術士には――」
教鞭のように宙にくるくると円を描いていたお頭の指先が、前触れもなくクッと90度曲がる。
ジェイルがアーガスに背を向けると、血相を変えてこちらに猛ダッシュし始めた。
『伏せろ。ハルドライドのヤツに狙撃されるぞ!!』
――狙撃? 俺を……? だって銃はお頭が持ってるはずだろ……?
さっきから震えの止まらないブロブの指先が、手首ごと自動的に跳ね上がると、こちらを向いた。
あらやだ、ピタリと額に照準。
わりと遠くの方で バン! と銃声が鳴った。
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