第93話 黒い淵から手が伸びる
アイテムボックスという亜空間に、人間を放り込むという方法を思いついたのは、お頭の拳銃がヒントだった。
井戸という垂直な空間から撃ち出される
もっとも、ロードハイムとの一戦でその可能性には気がついていたけれど、出すタイミングもさながら、アイテムボックスの入り口を直径1メートルにまで広げることができると思っていなかった。ちなみに、通常は60cmほど。
次に、実戦で試せるかどうかを検証しようと思ったのが、ダダジムグール戦。
ただ、ダダジムグールは動きが素早く、たとえ飛びかかってきた瞬間目がけて亜空間を発現させても、身を捩り、躱されてしまう可能性の方が大きかったため、使用できなかった。直径1メートルの円から少しでもはみ出せばうまく入らないからだ。
今回は他に方法がなく、罠設置スキルとダダジムたち召喚獣のコラボ、そして井戸という地形に、相手がロドルクだってことで作戦が成功したわけだ。
だいたい、アイテムボックスってそういう用途で使うものじゃないからね。
「終わった……」
井戸の縁に手をついて、俺はため息をひとつはいた。
人殺しの実感は、まだない。
ショックで言うなら、ヘルゲルさんやゼペットさんの顔面を風のナイフで刺し貫いた時の方がキツかったけど、彼らはもうグールに変わっていた。
ホークさんの時もそうだ、ああするしかなかった。仕方が無い。
人殺しで言うなら、そう、ベンがまさにそうだ。でも、あいつは謀殺しなければこっちが殺されていた。だから、仕方が無い。
ロードハイム。……9歳のロッドに殺させた。正当防衛だし、仕方が無い。
俺はこの先、こうして「仕方が無い」を繰り返しながら人殺しを続けていくんだろうかなぁ。それでそのうち「仕方が無い」が常態化して、都合が悪くなると、その邪魔な存在を理由を付けて殺していくのかなぁ……。
井戸の縁に腰掛けて、ぼんやりとそんなことを思った。
ただ、平常心スキルが効いているので、センチメンタルな思考も心を痛めるまでは行かず、ぐるぐるぐちゃぐちゃした陰鬱としたコトをいくら考えていても、綿菓子が水に溶けていくように、手元に残るものは何もなかった。
便器に腰掛けた悪魔――ベルフェゴールとロダンの“考える人”のコラボレーションのような感じで、鼻から長いため息を吐き出していると、マネージャーのつもりなのか、時間を気にしたアラゴグが『休憩時間は終わりだ。これ以上は睡眠時間を削るからそのつもりでいろ』とでも言うように、コリコリと頭を掻いてきた。
はいはい、分かってますよー、と頭を上げて、……それに気がついた。
なにか、黒い液だまりのようなモノが3メートル先の地面から現れていた。
それはコールタールのように粘り気があるように見え、プクプクと地面から湧き出してきているのか、じわじわと地面に広がりだしていた。
……なんか、どこかで見たような気がするんだよなぁ。
疲れていたので立ち上がる気は起きず、ダダジム達が四方に散らばっていたアラゴグやらサブンズの首やらを集めているのを、目を細めつつ、記憶の糸を辿った。
パビックの追憶のとき見た『ニカワのような液体』か? いや、アレはアラゴグの糸をそのまま地面に吐きだしただけのものだし、黒くはなかった気がする。
ブロブは半透明だし、量もあんなに多くない。そう思っている間にもどんどん湧き出している。
俺の方も嫌な予感がふつふつと湧いてくる。
なら、どこで見たんだっけ? 誰かの“追憶”で見た記憶はあるんだけどな。えーと、えーと。……んー……………………ああ、思い出した。
記憶が目の前の黒い液体と合致したのと同時に、頭の中にアナウンスコール鳴った。
『アイテムボックス内に、生体反応を確認しました。
ほぇ?
操作していないのに俺の目の前にアイテムボックスの亜空間が勝手に開き、水も滴るロドルクがポンと排出されてきた。
「…………」
「…………」
思わず数秒間見つめ合ってしまう。
ロドルクの方もいきなり亜空間に放り込まれて、気がついたら目の前ににっくきトーダがいたってところなんだろう。
ただ、状況がよくわかっていないのか、バーサーカーモードも解けていて、チョビ髭のおっさんがキョトンとした表情で立っていた。
平常心スキルのおかげでか、俺の方が立ち直りが早かったようだ。
死への恐怖はなかったが、さすがに井戸に腰掛けた状態で、目の前に殺したつもりのロドルクが現れてしまうと、もうひっくり返るしかなかった。
そういうわけで、生存確率向上と自ら頭を冷やすべく、俺は後ろ向きに井戸に飛び込むことにした。
井戸に転落するのは、これが初めてじゃない。幸い、今回は水もあるし、アラゴグもいるしで死ぬことはないだろう。
殺したつもりで反省してて、なのに、ちゃんと死んでいなくて呆れている自分がここにいる。
――ああ、人生うまくいかないなぁ。
アイテムボックスには生物は入れられないってイザベラは言っていた。
それ以外なら何でも入れられるし、時間凍結され、食料も水も腐ることはないでしょう、みたいなことを言っていたので、てっきり生き物を入れたら時間凍結のせいで死んでしまうと勘違いをしてしまっていた。
それが『排出されます』だもんなぁ。まいった。ちゃんと検証しとけば良かったけど、そもそもこの村に実験動物どころか、生物個数自体が少ないので――
遠ざかっていく井戸口を見上げながら、身体のどこかにいるアラゴグに伝える。
「水面ギリギリに横穴があるから、とりあえずそこまで」
自由落下に加速がつき始める。俺は身を縮めると頭を抱え、その刹那の時を楽しむかのように目を閉じた。
次は、ちゃんと殺さないと。
ほんの一瞬だったけれど、俺にはずいぶん長く感じた。
多階層を急降下するエレベーターが一階で止まるように、俺は水面スレスレで止まった。背中にアラゴグがいたため、うつ伏せ状態で、目を開けると水面に服とか白いシーツが浮かんでいた。
すぐ横に昼間【魄】回収作業していた横穴があった。
一瞬、そのまま側壁を脚で蹴って横穴に逃げ込もうかと思ったが、未来予想図を描いてみてバッドエンドを垣間見たのでやめた。
「アラゴグ、上を向きたい」
そうアラゴグに伝えると、ジタバタと身を捩らせながら、なんとか井戸の入り口を見上げる。
ロドルクが無警戒に飛び込んでくるのを待つ。
飛び込んできたら、もう一度亜空間に放り込んで『排出します』の時間差を使ってこの井戸から脱出しようと思う。横穴をアラゴグと二人で逃げても、到底逃げ切れるはずもないからだ。
……ひょっとしたら、でかい石とか放り込まれるかも。
冷えてきた頭が可能性を冷静に予測してくる。
というか、井戸の入り口付近の石積みをぶっ壊して井戸を埋めようとするかも。
そうなったらもう、お手上げだ。一回だけなら防げるけれど、横穴に逃げ込もうとアタフタしている間に土砂に埋まって溺死する。
……。
…………。
………………?
あれ? ロドルクが井戸から顔を見せないぞ。
俺は四肢を伸ばして側壁を掴み、身体を垂直にすると、側壁を伝って横穴にすぐにでも入れるような場所に足場を取った。
だけど、待っててもロドルクはいっこうに顔を出してこない。でも、ロドルク本人はいなくなったわけじゃない。「■■■■ーー!!」って、ちゃんと近くで咆吼も聞こえ、暴れている感じの気配もするのだ。
今か今かとドキドキしながら待っていると、突如、ニュッと4匹同時にダダジムが顔を見せ、ビクッとなる。
「クルルルルル……」といつもの鳴き声が井戸の中に反響する。
「おまえら、ロドルクはどうしてんだ?! 唸り声が聞こえるからすぐ近くにいると思うんだけど!」
よもやアラゴグの糸で捕らえたと言うこともあるまい。ブロブですら弾かれたのだ。
「クルルルルル……」わんわんと井戸の中に反響する。
「ああもう! わかった。お前らがそこに居るって事は安全なんだな? 何匹かアラゴグを呼んで、俺を引き上げてくれ」
実はダダジムの後ろでロドルクが仁王立ちしていて、「君は部下に売られたのだよ」とかいう展開だったら嫌だなぁ。
クレーンのようにアラゴグの糸で引き上げられながらそんなことを思った。
「■■■■■■■■ーー!!」
井戸の縁からひょっこり顔を出してみると、目の前にバーサーカーモード全開のロドルクが吼えていた。
ロドルクと目が合い、その魔力の籠もった右手の指先が鼻先10cmの井戸の側壁を浅く削った。俺は慌てて身を起こしたが、続く左手の指先はその側壁にすら届くことはなかった。
ロドルクは、地面に広がる黒い沼から伸びる、無数の小さな黒い手に囚われ、今まさにそこに引きずり込まれようとしていた。
黒い小さな手。
闇より昏い漆黒の手がロドルクの腕を髪を脚を服を顔を、そして片方残っている耳を掴み、まだ足らぬとばかりに沼から次々伸び、ロドルクに絡みつく。
「■■■■■■■■ーー!!」
ロドルクが咆吼する。
全身にほとばしる魔力が、あらゆるすべての攻撃を無効化し、その腕力で家や樹をぶち壊し、なぎ倒す絶対無敵のバーサーカー。
そのバーサーカーが地面から湧き出す黒い手に、なすすべもなく捕らえられていた。
俺は息を呑み、そして思い出す。
あれは確か、カステーロさんの甥のジャンバリン・バンサーさんの【魄】を吸っていたときに起こった追体験だ。
馬車馬の様子がおかしくて、見ると、影のような小さな手が馬の腹にびっしりと張り付き、その手が伸びる地面の影の中に引きずり込もうとしていたのだ。
馬は嘶き、大暴れするが黒く小さな手は、その全身を掴んで離さず、結局その影の中へと引きずり込まれてしまうのだ。
それと全く同じことがロドルクの起こっているのは、決して偶然ではない。
アンジェリカだ。
この超常現象は、アンジェリカが起こしたものだと断定する。
“召喚”の反対語は、“
引きずり込まれる先がどこであるかはわからない。よもや、『異世界転移! わぁ、勇者を召喚したはずなのに、バーサーカーが来ちゃったヨ!』ではないだろう。
ただわかるのは、黒い手に捕らえられた以上、バーサーカーですら逃れられないという事実。
底なし沼のように広がる黒いナニカに、ロドルクは腰まで沈み、足が立たないのか、手で沼を掻き、這い出ようと藻掻いていた。
だけど、黒い手がロドルクを捕らえて放さず、沼の底へ底へと引きずり込むのだ。
「――畜生、畜生、トーダてめぇ。てめぇだけは……」
肩まで沼に浸かり、重なり合う黒い手に圧され、深く深く沈んでいく。
ロドルクの朱く、悔し涙に滲んだ目は、最期まで俺を捕らえて放さなかった。
とぷん。
ロドルクが消える。沈み込む。泡ひとつ残さず、いなくなる。
黒い、コールタールのように黒い沼地も、地面に空いた排水溝に吸い込まれるように小さくなり、やがて消えた。
俺は井戸から這い出ると、ロドルクが沈んでいった場所に恐る恐る触れてみたが、別段濡れているわけでもなく、手が汚れただけだった。
「…………アンジェリカ?」
空を見上げてそう呼びかけてみる。
なぁ。俺の勘違いならそう言ってくれよ。あれって、俺を助けようとしてくれたんだよな?
ダダジムの追憶でお前言ってたよな。「痛みに震えて待ってなさい。全員、私が地獄に連れて行ってあげるわ」って。あの黒い手ってこのことだよな? 全員って、俺たち以外だよな?
ならさ、アンジェリカ。
ロドルクがアイテムボックスから排出される前に“黒い沼”が現れるのっておかしくないか? ロドルクが俺の前にいなきゃ、捕まってたのは俺になるんだぞ。
なぁ。アンジェリカ。
猜疑心に駆られ、俺はロッドと連絡を取ろうとした。もしも一緒にいるのなら文句のひとつも言ってやるためだ。
クイクイ、クイクイ、クイクイクイクイクイクイ……。
なのに、ロッドは沈黙したままだ。糸電話にでてこない……。
「…………」
ポンと手のひらを打ち、俺は“鑑識チェック”を入れてみる。
クグツ:3/2
一人減っていた。
空には眩しいくらいの白い月。
ヒレイはもういない。
『はい、こちらマチルダ』
ワンコール(ワンクイ?)で、すぐにマチルダさんがでた。
『あ、よかった。マチルダさん、そっちは無事ですか? ていうか、アンジェリカ来てます?』
『アンジェリカさんですか? いえ、新しい方は現れてはいませんね』
『ああそうか。こっちはロドルクを片付けて、今そっちに向かってるとこです。おそらくもう、バーサーカーは現れない』
『――――。さすがマスターですねぇ。ええ。私の方は相手を――ええと、ボルンゴさんでしたか、倒す算段はできていますが、それはマスターが戻ってきてからでよいと、そう勝手に思っていますが、それで構わなかったでしょうか』
『ボルンゴをいつでも倒せるんですか?』
『はい。今まで倒してきた方々に比べれば手強い相手ではありますが、それでもまだまだ私の敵ではありませんね。倒すのを待ったのは、マスターが不在の時点で勝敗が決してしまうことを懸念してのことです。死霊の槍が再びあの魔族の方に戻り、あの女頭目が何を言い出すかわかりませんからねぇ』
俺は感動にグッと胸を押さえられながら、ロドルクのことを話した。
注意喚起と、マチルダさんなら何か知っているかと思ったからだ。
『……黒い手、ですか。確かに沼地から人や馬の足を引っ張り、溺死させようとする水棲の魔物や種族はいますが、それとはまた別の感じがしますねぇ』
『召喚士とパーティーを組んだり、戦ったりしたことはありますか?』
『いいえ。噂は聞いたことはありますが、いまだに会ったことはありませんねぇ。魔力でもって魔物を具現化することができるのが、召喚士というジョブなんですよねぇ? 魔物使いなら知り合いにもたくさんいるんですけど……』
『ああ、アンジェリカは紛れもなく召喚士だ。ちなみにダダジムも大蜘蛛のアラゴグも、あと、俺の右手の指輪を覆っている熔解性スライムのブロブもアンジェリカが“生け贄召喚”で喚びだした召喚獣だ』
『…………』
しばしの沈黙の後、マチルダさんが言った。
『その召喚獣達は、アンジェリカさんの命令ひとつでマスターの命を奪いに来ます。私は魔物使いしか知りませんが、その魔物使いと契約を結んだ魔獣は、主人の命令とあれば、たとえ自分の産んだ子供であっても噛み殺し、また親であっても牙を剥きます。
マスターとアンジェリカさんは同盟関係と聞きましたが、呪術をもって契約を交わしたわけではないのでしょう』
『アンジェリカの裏切りに備えておけって言うことですか?』
戦う覚悟を決めておけということだろうか。
『マスター。互いが互いを裏切るとき、そこには必ず“理由”が存在します。相手を利用するために仕組んだ上辺だけの言葉だったり、相手の言動が信用できなくなったり、不当な扱いを受けたりしたことが、おおよその原因です。
マスター。思い違いを含めて、あなたに思い当たることはありませんか?』
マチルダさんには珍しく、神妙そうな感じで聞いてきた。
俺が何か言葉を発する前に、マチルダさんが続ける。
『と言いますのも、私自身、味方から裏切られるという経験が数多くありました。……ですが、そのうちの1割ほどは私の勘違いで。さらにそのうちの数件は、裏切りを画策する敵側の“仕組まれた罠”でした。
今私たちと相対している相手は【錬金術師】を頭目とした盗賊達です』
『…………』
『それに、アンジェリカさんが、今の時点でマスターを襲う理由が不明ですね。仮に襲うつもりならアラゴグとブロブで十分でしょう』
アンジェリカが俺を殺す気ならもっと確実に殺している、と言いたいのと、いつでも――今もその状況にいると言うことを伝えたかったのだろう。
『それもそう……ですね。命令ひとつで、ブロブは俺の指をネクロマンサーの指輪ごと溶かしてしまえばいいだけですからね。
それと、やはり思い当たる節がありました。……許してもらえるかわかりませんけど、会ったら直接謝ろうかと思います』
よく考えたら、アンジェリカを俺の計略に勝手に巻き込み、ロドルクに殺させていた。一歩間違えば、即死ではなく、耐えがたい苦痛を受けるだけに留められていたかも知れない。
自身が言っていた“身代わり召喚”があるとは言え、俺は彼女の命を軽く扱ったのではないだろうか
『それがよろしいかと思います。……ああ、それとですねぇ。ジェイルがそろそろ倒されそうです。彼の最期を見届けるなら急いだ方がよろしいかも知れませんね』
『……わかりました』
ロッドのことは言えず、俺は連絡網を手放すと、ダダジムに加速を命じた。
アンジェリカがどういうつもりなのかはわからないけれど、裏切りとかは保留にしておこうと思う。
すべては、盗賊一味が片付いてからだ。
「ダダジム。お前ら、さっきのあの黒い手について何か知ってるか?」
尻尾シートベルトがゆさゆさ揺らされて気持ち悪くなる。
知らないようだ。アラゴグ&ブロブには産まれる前のことなので聞かない。
そうこうしているうちに剣戟の音が聞こえだしてきた。
俺はそのままロー公の元まで突っ切るように命じた。
マチルダさんとボルンゴの戦闘は、マチルダさんの防戦一方に見えた。
幾多数多の槍の連突きを首狩りスプーンで巧みに弾いている。ボルンゴが突く槍の速度は手元が残像に見えるほどで、まるで精巧な製作機械のようだった。
マチルダさんは俺の帰還に気がついたのか、その槍の棘突を首狩りスプーンで受け躱しつつ、目配せを送ってきた。……いつでもやれるから合図を送ってくれと言うことだろう。
俺も頷き返し、続いてジェイルの方を見た。
ジェイルは満身創痍だった。
左目から額にかけて斬りつけられたのか、片目を失っていた。右手は親指と人差し指を残し残りは切断され、首元や上半身を中心にボロボロの服は朱く染まっていた。
すべてアーガスの灼熱の魔剣によるもので、その傷口からすぐに“灼熱”を盗んだのだろう、出血だけは傷口を灼かれたおかげで止まっているようだった。
オレンジ色の灼熱の魔剣と仄青い風のナイフとが、闇に彷徨う魂のように流れ、加速し、離れ、そしてぶつかり合い、魔力を散らしている。
「ジェイル」
連絡網を使わず、直接呼びかけてみる。
「見りゃわかるだろ。今忙しいんだ。用件だけにしてくれねぇか」
一瞥を向ける余裕もなく、気丈にもそう言い放つ。
「ロドルクは倒した。あとはお前とマチルダさんが勝利すればいいだけだ」
「――ほ。そうかよ。あの馬鹿死んだのか。なら、こっちも早く終わらせねぇとな」
言いつつも、頬を浅く斬りつけられ、親指で傷口を拭うように“盗む”。
その親指を立てたまま、一瞬俺に向けた。
アーガスも無傷というわけではないが、すべてかすり傷程度のようだった。
魔剣士としてはBクラスだけど、剣の腕は一流のようだ。
ロドルクのことを告げたとき、こちらをひと睨みしてきたが、動揺することもなく、ただ着実にジェイルを追い詰めていた。
ジェイルにとって満足いく死とは兄に殺されることなんだろう。
マチルダさんの加勢も断るし、クグツ合戦の勝利にアーガスをもらおうかと冗談で尋ねたら、兄はすでに俺のモノだと頑ななので、どうしようもない。
パタタ、とヒレイが上空を羽ばたく気配がした。辺りを見渡してみるが、アンジェリカはまだ現れていない。
「トーダ! 大丈夫だっタ? ボク、すっごく心配だったヨー」
ロー公がヨタヨタしながらも屈託のない笑顔で迎えてくれた。
怪我も癒えてきているようで腫れ上がっていた側頭部も幾分落ち着いてきているみたいだった。
「ロー公先輩。そろそろクグツ合戦も終わらせることにしましょう。勝っても負けても恨みっこなしで、負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くってやつでいいですよね」
「ウン! イイヨー! ボクはネー、トーダとずっと一緒にいようって命令するのダー」
「はははははは。ウチのクグツに勝てたらそれでもいいですよ」
「トーダは? トーダは何を命令するノ?」
「えー。それはまだ秘密でー」
男二人できゃははうふふもどきをやってると、お頭とハルドライドが近づいてきた。
「ロドルクを倒したそうだな。お前ごときがどうやってだ?」
開口一番無粋なことを聞いてくる。
「ただの発狂自殺ですよ。鼻くそを耳からほじろうとして失敗したんでしょう。原因は『ソーマの滴』の飲み過ぎだったんじゃないですか? 味も効果もおかしかったですし不良品だったのかも。アーガスさんも危ないかもですね」
お頭が恐い顔でこちらを睨んでくる。ハルドライドもヘラヘラ顔をやめて不機嫌そうだ。
「まじめに答える気はないみたいだな」
あるわけないだろう。
「もうすぐクグツ合戦の決着が付きます。“ルールその4、敗者は勝者の言うことをひとつ聞かなくてはいけない”。これを履行する準備はできていますよね?
もちろん、ただ『話を聞く』ではなく、『命令に従う』という意味ですよ。勘違いしていないですよね?」
「ふん……。それはロー公への命令だろうな? わたしたちは何一つ従わないからな」
「ええ。それで構いませんよ。お願い事はロー公に伝えますから」
案外素直だなと拍子抜けする。もっとごねてくるかと思った。
やはり虎の子のロドルクが倒されて計画が崩れたのせいだろうか。
あとはまあ、お願い事を何にするかだけど。
中途半端なことにして、お頭達をこの村から逃がすと十中八九、準備万端で報復に来るだろう。そうなると、マチルダさんがいるとはいえ、ブチ殺されてしまう。
ベストはこの場でお頭一味の絶滅だけど、どう組み立てればいいものやら。
「――それともうひとつ。トーダ、このクグツ合戦が終わったら二人だけで話がある。今度こそ逃げるな」
組んだ腕から右手の指を一本立てると、お頭は裏取引を持ちかけてきた。
やっぱりそうきたか。
「逃げるとは聞き捨てならないですね。話ならロー公先輩もうちのクグツもいるこの場でしましょう。二人きりになりました殺されましたじゃ馬鹿みたいだ。謝罪会見なら全員の前じゃないと」
「なら仕方が無い、この場で我慢してやる。とにかく約束はしたぞ。あとで必ずわたしの話を聞くんだ」
やれやれと頭を振るお頭。
なんでこっちが我が侭を言ってる風に扱われているんだ? とりあえず、お頭のヤツをクグツにしたら全裸で謝罪強要だな。
あきれて物が言えなくなっている俺をよそに、お頭は次々と指示を飛ばした。
「アーガス! こっちはもうすぐ終わるぞ。遊びは終わりにしろ! プランDZだ! ロー、ボルンゴにとっとと片を付けろと言ってやれ。ハルドライド。ここはもういい。今から一人で【町】に帰れ」
最後にお頭は、後ろに立っていたハルドライドに向かっておかしなことを言った。
「……あー。ロー公はともかく、アーガスの旦那は?」
「生きていれば【町】で合流できるだろう。お前までわたしたちに付き合うことはない。先に帰っていろ」
「りょーかい。……馬、残ってるかねぇ……」
ハルドライドがポリポリと頭を掻きながら、お頭に背を向けて歩いて行こうとする。
俺は慌ててその背に呼びかけた。
「どこに行くつもりなんですか、ハルドライドさん」
「あん? どこってウチに帰るんだよ。お頭の帰還命令が出たからな。まぁ、厳密に言えば俺はお頭の盗賊団とは関係ねぇしな。
ひらひらと後ろ手を振って去ろうとするハルドライド。何言ってんだコイツ。
「ハルドライドはネー。アルカディアエイギョウショのショチョーなんだヨー」
「……ペラペラしゃべんなっつーの」
ハルドライドに思いっきり蹴りを入れられてひっくり返るロー公。
どういうことだ。なんだかおかしな展開になってきたぞ。徹底抗戦じゃないのか?
「お頭。話なら今この場で話せばいいじゃないですか。俺に言いたいことがあるんなら」
「あん?」
お頭が眉根を寄せて、汚物でも見るような目で俺を見る。
「何を聞いていたんだ。今はまだクグツ合戦中だろう。話は終わってからだ。いいか、ボルンゴが勝てばドルドレードごとお前を管理してやるからな。覚悟していろ」
虚勢なのかなんなのか、ハルドライドに別の指令を与えた時点で、お頭たちの次の思惑が動いているようにみえる。
俺は右手で口元を覆うと、「ブロブ、アラゴグを連れてハルドライドを尾行」と呟き、ダダジムの腹にくっついていたアラゴグにブロブを1ぷにょ移動させた。
アラゴグが脚を離し、地面におりる。
「マチルダさん! やっちゃってください!! ロー公先輩こっちに」
お頭の意識をこちらに向けるために、俺はわざわざお頭の前に移動すると、マチルダさんに大声で“GO”サインを出しながらロー公を手招きした。
「ボルンゴー! フルパワーだゾー!」
ロー公がお頭の前をぴょんぴょん跳ね回る。視界を塞がれたお頭は舌打ちをしながら横に移動した。
チラリと振り向くと、アラゴグ達の姿はなく、ハルドライドを追いかけていったようだ。
「オオオオオオオ!!!!」
ボルンゴが雄叫びを上げ、全身から魔力を迸らせた。死霊の槍にすべてを込め、マチルダさんへと突進する。
マチルダさんは腰を落として首狩りスプーンの曲線を上に水平に構えると、「****」と、何かを呟き、柄の部分を右に捻った。
次の瞬間、首狩りスプーンと死霊の槍が真正面からぶつかり合い、ガギィィィィィ、と金属音が擦れ合うような、そんな音が響き渡った。
――そして、そのふたつの武器が、ふたりの間で、絡み合うようにして圧し留まり、理解しがたい硬直が訪れていた。
ボルンゴとマチルダさんは、それぞれの武器の先端部分で鍔競り合うように押し合っていた。
だが、刃状がシャベルの形状をした首狩りスプーンと黒い棘のような死霊の槍が正面からぶつかり合ったとして、どちらかが弾かれることはあったとしても、刃端と尖端で押し合えるはずもない。
ギ、ギ、ギ、ギッ……ギ……。
金属の悲鳴のような音が、尋常ではない力同士で押し合っている武器の尖端から聞こえていた。
なぜそうなっているのか。俺は目を凝らしてみると、首狩りスプーンの形状が少し変化しているのに気がついた。
首狩りスプーンの形状が『スプーン』から『先割れスプーン』に変化していた。そしてその尖端の割れた部分で死霊の槍を挟み込んでいたのだ。
「■■■■――!!!」
マチルダさんはバーサーカーモードを発動させると、スプーンの先割れ部分に死霊の槍を挟み込んだまま、スライドするようにボルンゴに突進し、一閃を放った。
死霊の槍を握っていたボルンゴの指はすべて先割れ部分によって切断され、死霊の槍はボルンゴの手から地面に落ちた。
マチルダさんは反転させた首狩りスプーンの柄の部分で、ボルンゴの顔を殴りつけ、ヤクザキックでもってその身体を蹴り飛ばした。
もはや勝敗は決したと言ってもよかった。
ボルンゴが地面を転がると同時に、ロー公はムンクの叫びのような感じでへたり込み、お頭は大きく舌打ちをした。
俺は思わず歓声を上げかけて――――その口を閉じた。
マチルダさんが何かに気づき、追撃をやめて大きく後ろに跳んだのだ。
何かが彼女を掠めて陰に融けていく。
始めは、地面に落ちた死霊の槍自身が自由意志をもってマチルダさんを攻撃しようとしたように見えたが、槍は地面に転がったままだった。
つまり、槍に似た何か細長いモノがマチルダさんを襲ったことになる。
マチルダさんは着地と同時に身をかがめ、慎重に後ずさっていた。
その視線の先にあるモノに俺も気づき、息を呑んだ。
追撃を免れたボルンゴが立ち上がると、それに気づかず死霊の槍に駆け寄ろうとして、捕まった。
突如として現れた黒い淵。
そこから伸ばされる黒い手に。
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