第92話 vsバーサーカー【後編】

「……どういうことだ?」


 ――1人目の“追憶”を終えて、意識が戻ってくる。

 俺の独り言はその直後に洩らしたものだった。


 今回は今の状況を踏まえて、ちょいと浅めの感じで潜ったつもりだった。

 過去を掘り下げて相手の人生を覗き見ても、その膨大な情報のなかから今を生き残るために役立つヒントは、おそらくたった一握りだ。ただ、その一握りの情報が俺の判断を根底から変えてしまうことがあるのだから油断ならない。

 ひとつの死体につき、半生を覗き見られるのは一度きりで、【魄】の吸い取りが終わればぐずぐずに融けて消えてしまう。

 それを一期一会と呼ぶかどうかわからないけど、この世界で産まれ、生きてきた人の人生――そのハイライトは、異世界転移者である俺の経歴を他人の記憶で必要な事なのだと思う。

 現状打破し、生き残り、たとえ一人きりの状態に戻ったとしても、その“記録”はきっと役立つことだろう。

 

 俺は蜘蛛の糸でべたついてしまった右手を見つめながら、もう一度反芻した。

 どういうことだ、と。



 トルキーノの過去は、要約するとこうだった。

 アルカディア1号店で生まれ、そのままアルカディアで育ち、シーフ適性が認められたため教育を受け、見事【シーフ】のジョブに就くことができた。

 つまり、盗賊支配下にある町で生まれた生粋の“盗賊”になるわけだ。


 アルカディアでは、買ってきた奴隷やワケあり娼婦、それに、身を崩したor攫ってきた冒・探索者などを次々町に入れ、ある程度選別したあと娼婦や盗賊構成員と交配させ、効率よく次世代の適応者を産み出していた。トルキーノもその一人として産まれた。

 適性の無い子が生まれると、6歳までに買い手が付き、町からいなくなった。

 適性があればそのまま町で育てられ、12歳の頃には母親から離され、別の場所に造られた(町を乗っ取った?)“アルカディア○号店”に移住し、そこで各ジョブの教育を受け、立派な盗賊に育て上げられる。 


 ――さておき、俺が気に掛かったのは、ほんの数時間前の出来事だった。


 トルキーノはこの村の見回りをしていた。

 満腹状態からして食事を終えたあと、もしくはその途中で抜け出して、しかけた罠の確認に向かっていた。罠と言っても、テグスや落とし穴といった類いのものではなかった。適当に引き抜いた草の葉に魔力を染みこませて、あちこちの通用路の雑草の上にしかけ、場所を記憶する。しかけた草の葉が見回りの時に落ちていれば

誰かが通ったという証拠になる。

 お頭の命令は『警戒レベル2』だった。レベル3は町の外での野営だから、外敵からの警戒はほぼ必要ない、形ばかりの見回りだった。


 どういうことだ、とトルキーノは呟いた。

 しかけておいたいくつかの簡易罠が誰かの生体接触で落ちていた。もちろん、仲間の誰かが通っただけなのかも知れないが、目的が無ければ近寄らない場所――つまり、『こちらを動向を監視することのできる場所』、民家の角の位置だ。

 そこは先ほど自分たちが夕食を平らげていた姿を隠れ見るにはうってつけの場所だった。

 自分も先ほどまでそこに居て、何者かの視線には気づかなかったものの、仲間の誰かが簡易罠の位置へ向かった様子もなかった。

 今までの経験と勘を頼りにトルキーノは思考を巡らせるが、結局、お頭に報告することが一番だという結論に至った。


 お頭は事務的な仕事があるからと、アーガスを引きつれて宿屋の一室で何かをやっているらしい。ハルドライドが馬鹿な妄想を口にしていたが、なぜかあの二人にそういう噂が立ったことはなかった。


 宿屋の二階へと向かう。

 途中階段を軋ませながら上るが、ギィギィと不快な音を立てたので“忍び足”スキルを使い、足音を消した。

 宿屋の二階には3室部屋があり、奥の部屋から灯りが漏れていた。

 途中、不穏な空気を感じ、真ん中の部屋のドアノブに目をやると、強力な【罠】が仕掛けられているのを発見した。

 自分の技量で解除できるものかと、しばし黙考するが、目に見える罠がひとつだけとは限らないと思い直し、奥の部屋へ急いだ。


「お頭、村周辺の見回りを終えてきましたが、少し気になることがあります」と、ドアをノックしようとして――やめた。


 聞き覚えの無い男の声がドアの向こうから聞こえてきたからだ。


「アーガス君。“エジャ”から話は聞いているが、どうだろう……君の目から見てトーダ君の印象はどうかね」

「……感情の起伏の大きい男だと思いました。彼女の“言葉探り”を汗ひとつかかず返したかと思えば、訳のわからないことを平然と口にし、銃口を向けられても眉ひとつ動かさず彼女のジョブを推理して見せました。冷静沈着な一面と、魔剣にすら恐れを抱かず『遺髪』を守ろうと衝動的な行動を起こす危うい側面もあります」

「ふむふむ。……それで?」

「私は“殺すべき”と思います」


 アーガスはきっぱり言った。

 もう一人の男が笑う。


「ははははは。君がそう言うのならそうなのだろうね。エジャも君と同じ意見だったよ。“気持ち悪いやつ”だって。だけど、トーダ君はこの世界に来たばかりで、“ネクロマンサー”のジョブに就いているというじゃないか。あいにくと僕は、知り合いにネクロマンサーは

「…………」

「彼とはもう久しく会っていないが、同期の選出者では彼が一番の出世株だったよ。次席では僕かな。……いやいや、ひょっとすると4番手5番手かもしれない」

「……ご謙遜を。それではトーダは生かしたまま連れて帰るということですか?」

「頼むよアーガス君。これは僕の我が侭なのだけれど、彼も僕のコミュニティに加えたい。エジャにもそう伝えることにするから。そうそう、ロー君がすっかり気に入ってしまって、彼を巡って数名死者が出たとか」

「ルーザーとパイクの2名がローによって殺害されました」


 アーガスが重々しく報告をする。


「つまり、ロー君がいる限り、誰も彼に手出しができないわけだ。では、トーダ君はこのまま僕のところへ。くれぐれも生かしたまま連れ帰ってきて欲しい。ここ数年、未解読・未識別のジョブ専用スキルという研究対象にはお目にかかれていない。選出者の新人ネクロマンサーか……。彼は希少価値だよ」

「…………わかりました。彼女にも必ずそうお伝えください。今いる部下達は――、? ……お待ちください、誰か外にいるようです」


 アーガスが足音を立て、ドアに近づいてくる。

 なにやら入るタイミングを逃し、思わず聞き入ってしまっていたことを知られるのはまずいと思い、トルキーノは天井に飛び上がると、小さな身体をうまく使い、身を隠した。


 ドアが薄く開き、中から魔光灯の灯りが漏れる。

 だが、いっこうにそのドアはそれ以上大きくは開かれず、また閉じられもしなかった。だんだんと不安になり、トルキーノが観念して天井から飛び降りようとしたとき、誰かが階段を上ってくる気配がした。

 ドアが静かに閉められた。また暗闇に戻り、ややあってドアの隙間から漏れた光の加減で、アーガスがドアから離れていくのが窺えた。

 ホッと胸をなで下ろすと同時に、階段を軋ませて来訪者が姿を見せた。


「トーダです。締めのデザートをお持ちしました! お頭、ノックもドアノブもこの小憎たらしい鉄手錠のせいで操作できません。お手数ですが――」


 トーダが中に入ったタイミングで天井から降り、一階に戻った。

 宿屋の入り口で“聴音スキル”を発動させるが、宿屋の二階には3人しかいないようだった。


 その後、射撃ゲーム、侵入者騒ぎ、放火騒ぎなどが続き、トルキーノは特殊なテグスを使った『毒罠』をあちこちに設置していった。

 そして、アンジェリカの襲撃があり、クグツ合戦が始まり、お頭に銃口を向けられ撃たれて死んだ。

 これがトルキーノの【追憶】内容だった。



「“エジャ”というお頭の本名を知っている人物。そして、その名前を口にし、アーガスに“君”付けができ、敬語で話させることが出来る人物…………ひとりしかいない。お頭の祖父。選出者である大旦那様か」


 俺は口に出して「大旦那様、大旦那様」と繰り返し呟く。

 トルキーノが部屋の外で聞いていた二人の会話は“肉声”だった。テレビ電話やトランシーバーでアーガスと会話している感じではなかった。

 あのあと、“俺”が食事を運んできてお頭と普通に会話していた。しかも、部屋に入ってからは、情報欲しさに【鑑識】をかけまくっていた記憶がある。


 その“大旦那様”があの場にいたのか、という疑念が浮かんでくるが……おそらくそれはないだろう。もし実在すれば火事騒ぎで宿屋が燃えたとき、外に逃げ出しているだろうし、――そもそも、始めにこの村を襲ったときにさえいなかった。

 

「なら、お頭も【傀儡連絡】みたいな交信スキルで外部の人間と連絡が取れているってことなのか?」


 だとすると、話は繋がる。あの大旦那様の声はネクロジョブ専用スキルの【言霊返し】みたいなものだろう。アーガスと話していたって言うのだから、相手はお頭で、声帯を通して会話していたということになる。

 会話内容からして、お頭には聞こえていないようだけど。


 もしくは、二重人格者かだ。


「なんだかややこしい感じだな。……それに、一応、俺の命の保証はされていたのか。ていうか――」

「トーダさん、どこに行くんですか? 僕も行きます」


 気がつけばウチのダダジムと併走して、ロッド組も隣を走っていた。

 俺がダダジムを走らせたのを見て、追いかけてきたのだろう。


「ロッド。俺たちは今から、またまたとっ捕まったアンジェリカの救出に向かうつもりなんだ。ロドルクの奴と対面するけど、それでも付いてくるのか?」

「……はい。一人より二人の方ができることが多いと思います」


 思った以上に根性あるなこいつ。あんな目に遭わされて、俺なら絶対無理だ。

 ほへぇ~と感心しながら続けた。


「どうやら、目を覚ましたアンジェリカがフラフラ徘徊してて、それでロドルクに捕まったらしい。今はまだ無事みたいだけど、このままじゃ人質交渉の道具として扱われるみたいだからな。

 ――それよりなにより、ロドルク自身をクグツ合戦から遠ざけたい。クグツ合戦も佳境だ。これでまたロドルクまで死霊の槍でクグツ化したらマチルダさんの――」


 活動限界が早まってしまう。


「負担が増えてしまう。とにかく、ロドルクを今から俺たちだけで止めるぞ」

「はい。何でも言ってください」


 とりあえず、サブンズの追憶は後回しにしてロッドに作戦を簡潔に伝えた。



「――という感じで、ロドルクは俺が相手するから。ロッドは取り急ぎアラゴグを数匹引きつれて先に広場の方に向かっててくれ」


 ロッドは大きく目を見開いたが、反対意見を口にはしなかった。荒唐無稽な作戦だったからだろう。ただ、あきれている様子はなかったので一安心。


 やがて、ロドルクがアンジェリカの髪を鷲掴みにしたまま歩いてくるのが見えた。こちらにまだ気づいた様子はなく、ダイナマイトで服が吹っ飛ばされたのか、ロドルクは前とは違う服装だった。


「さぁて、ロドルクが見えてきたぞ。うんうん、アンジェリカも嫌々ながら自分の足で歩いているな。ロッド、ここまででいいから、準備よろしくな」

「はい。トーダさんも気をつけて」


 手を振りロッドを広場の方へと見送った。

 計画通りうまくいくかねぇ……。全部思い通りに進まないと、アンジェリカはともかく、俺まで酷たらしく死ぬことになる。

 それは嫌なので、DQNの悪知恵を拝借することにした。


『――というわけだから、ジェイル。お前の意見を聞きたいんだけど。……ああ、……うん、……いやいや、そこはもうちょっと頑張ろうよ。それともマチルダさんに代わってもらうか? ……だろ? ……ふむふむ。じゃあな、がんばれ』


 糸電話を切ると、俺は徐々に速度を落とさせて、ロドルク達の前へと進み出た。


「へいへい、お二人さん。宿屋ホテルにしけこもうってんなら方向が逆だぜ。こっから先は女人禁制だ。アンジェリカを置いていってもらおうか」


 いつでも逃げられる体勢を取りつつ、精一杯の挑発を試みる。

 俺に気づいたアンジェリカの顔がパァと明るくなった。


「タカヒロ! よかった無事だったのね。――ぷっ。なにあなた、どうして頭の上にアラゴグを乗せているの? 痛っ!? ちょっと! 話してるだけじゃない! そんなに強く引っ張らないで!」


 ロドルクがアンジェリカの髪を引っ張ったのか、アンジェリカは痛みに顔を引きつらせた。


「黙って歩け……そいつとは……話すな……」

「ッ……わか、ったわよ」


 涙目になりつつ、アンジェリカがそれに従う。

 ロドルクは俺を追いかけるつもりはないらしく、血走った目で俺を捕らえつつも、お頭の元へアンジェリカを歩かせる。

 …………。

 俺はロドルクと距離を取りながら、アンジェリカを観察する。アンジェリカは鷲掴みされている髪を庇うように両手を頭にあげていた。

 アンジェリカの右手の指輪は……ない。連絡用とか言っていた左手の『兵士の指輪』すらもない。

 先ほどお頭から聞いた情報が本当だとすると、アンジェリカは自ら指輪を外していることになる。でもなんのために? それとも単に無くしただけのか?

 質問ができても、アンジェリカが無傷で済むのは、せいぜいあと一回くらいだろう。いや……、迂闊なことを言ってロドルクが無茶しないとも限らない。

 髪を引きちぎられる程度なら時間経過で元通りになるだろうけど、頭皮を捲られると後遺症や感染症の問題も出てくる。


 俺は右手で口元を覆うと、アラゴグとブロブに小声で呼びかけた。


(アンジェリカの右手の指輪が無いようだけど、どういうことなんだ? おまえ達も俺に委譲されたのか?)


 アラゴグとブロブが同時にその答えを俺に教えてくれる。


 こりこり、ごりり、とアラゴグの爪が俺の頭部を引っ掻き、視線を無理矢理上に上げさせた。

 ――パタタ、と上空の夜空にアンジェリカの偵察飛翔体、『ヒレイ』が飛んでいるのが見えた。


 ぐねりんぐねりん、きゅっ、きゅっ。

 続けてネクロマンサーの指輪にまとわりついているブロブを見ると、もわぁ……と透明度が増し、ネクロマンサーの指輪だけを消してしまった。慌てて左手で触ってみると、にゅるにゅる感の中に確かに指輪の硬質感があった。

 屈折率の加減なのか、ブロブは新たなる能力、『視覚誤認』を発現させやがった。

 おそらく、ブロブがまとわりついている状態なら指輪の存在を“保護色化”して隠してしまったり、他のジョブの識別色に変化させてしまうのだろう。

 アンジェリカを床下に安置してきたとき、ブロブを1ぷにょ連絡用に残してきた。それが功を奏したのだろう。

 つまり、召喚士の指輪は今もアンジェリカの指にはめられたまま、ブロブが保護色化させているに違いない。


 ――召喚獣こいつら、盗賊達との戦闘の中で、次々と新しい能力を習得し、成長してやがる――!!


 隣の芝は青いと言うが、召喚獣はそれぞれが『一般スキル』の塊のような存在のように見える。個々の力はそれほど強くは無いけれど、集団化させれば互い互いの短所を補い合い、長所を組み合わせることで、少なくともこの世界のファーストジョブ持ちに引けを取らない強さにまで昇華させられるのだと思う。


 さておき、今はロドルクだ。

 どうやらロドルクはお頭から『アンジェリカをここに連れてこい。トーダは無視しろ』と命令を受けているのだろう。

 さっきからロドルクの10メートルくらい前を、うざったらしくうろちょろしているのだが、追いかけようって気が全く無いみたいだ。

 ならまあ、無理にでも怒らせるしかないわけで。

 

「そういえば、ジェイルに聞いたんだけど、お前って“孤児みなしご”なんだって?」


 小馬鹿にした調子で俺はそれを口にした。

 ははは。最低だな俺。


 ビ ギ リ、と空間が軋んだような気がした。

 その音はロドルクの口元から聞こえ、見ればロドルクは歯を剥きながら恐ろしい目で俺を睨み付けていた。

 その憤怒の余波を受けてか、アンジェリカが悲鳴を上げるが、

 俺はそれを無視し、平常心で続ける。


「暴れん坊でどうしようもないやつだから親に捨てられたんだろって、ドルドラが言ってたな~」

「…………ッ」


 ぎりぎりぎりぎり、とこのまま自分の歯を全部噛み砕いてしまうんじゃないかって思うくらい歯ぎしり音を響かせ、血走った目を俺に向ける。

 全身からは魔力が蒸気のように噴出しているが、どこかで踏みとどまっているのか、バーサーカー化していない。


「いやいや、母親が娼婦で淫売だから、男と寝るのが忙しくてロドルクに構ってられなかったんだろうって、トルキーノが言ってたっけ?」

「…………ッッ」


 アンジェリカがか細い悲鳴を上げる。彼女の涙目が俺を非難するように見た。

 とばっちりを受けてかわいそうなので、そろそろトドメを刺してやることにする。


「ええと、サブンズはなんて言ってたかなぁ~」


 とぼけた調子で言って、後ろからサブンズの首を取りだしてみる。

 ギョッとするアンジェリカ。目を見開くロドルク。

 俺はサブンズの唇をデカイ携帯電話のように自分の耳元に押しつけ、うんうんと芝居がかったように頷いた。

 仲間の生首を使って挑発すれば必ず乗ってくるって、ジェイルも勇次郎も言ってた。


「なになに? 豚の血が――」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――!!!!!」


 大気が震えるほどの怒咆が轟き、あまりの声音で一瞬気が遠くなりかけたが、頭の上のアラゴグがそれを許さなかった。

 何か鋭いモノが俺の耳奥へと突っ込まれ、聴覚をぶっ壊したのだ。――ずきり、と耳の奥が痛み、アラゴグの脚が俺の鼓膜を突き破ったのだと気がついた。

 無音の痛みの世界の中、アラゴグの行為を非難しようと頭に手をやったとき、それは俺の目の前で起こった。


 ロドルクが、白目を剥いて泡を吹くアンジェリカの頭を両手で掴んだかと思うと、ばちゅんと、一気に圧殺してしまった。中身が飛び散り、辺りが生臭さで噎せ返る。

 ビクンビクンと二度痙攣し、アンジェリカの首なしの遺体が、膝を付き崩れ落ちる。

 間違いなく、

 ……。

 ……ふむ。アラゴグ達に別段変化は無い。見殺しにした俺への攻撃も無い。


 ロドルクの口元がなにやら怒鳴るのが見えた。

 ただ、何を言っているのか鼓膜がないので聞こえない。ただ、視線を宙に泳がせ、俺に向けていなかったので――いやほんと誰と話してるんだろ。電波?

 ちなみに、ロドルクの耳にはお頭のようにインカムは付けていない。


 ごつん、と突拍子も無く、ロドルクは自分の右耳を殴った。

 俺の両耳も同調して奥の方が痛み、左手で耳を覆った。

 両耳の鼓膜の修復には7%の【魄】がかかるというので、がつんがつんと、右耳を殴り続けるロドルクを横目に俺は修復を試みる。


「う る さ い」


 痛みを伴った治療を終えて、最初に耳にした言葉がそれだった。

 幻聴でも聞こえるのかと、俺はロドルクに哀れみの視線を送るが、ロドルクはそれどころではなかったようで、いきなり右耳を引きちぎった。

 そして、そのまま傷口に指を入れ、なにやら機械を引きずり出した。その機械から声が漏れたが、ロドルクは構わずそれを握りつぶした。

 右耳から血を溢れさせながら、にたらぁ、とロドルクが笑った。

 その視線がゆっくりと俺に向いた。


 ――あ、これあかんやつや。完全にキレてる。

 

「……ダダジム総員。1次救出作戦は成功。次は討伐作戦に移行するぞ。気をつけろ」


 ロドルクはもう俺しか見ていなかった。痛みすら感じていまい。

 怒りがムカつきと苛立ちでぐちゃぐちゃと掻き混ぜられて、もう、俺をバラバラに引き裂くことでしか戻れなくなってしまっているのだろう。

 

「■、■、■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!」


 ロドルクが咆吼し、飛びかかってきた。

 ダダジム達が一斉に飛び退き、俺は少ない脳みそを右耳から零れ落としそうになりながらも、鼓膜を治しておいてよかったと思ったり、思わなかったりした。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!」


 耳がキーーンとなる。難聴になりそうだ。

 再びアラゴグの世話にならないように両手で耳を押さえながら、俺は前傾姿勢を取り、ダダジムにすべてを委ねた。

 先だってダダジムには作戦を伝えてあるし、誘導先も伝えてある。


 ロドルクはバーサーカーモード全開で俺を追いかけ始め、俺もそれに応えて全力で逃走を指示した。

 最初の民家の角を曲がる前に、俺は辛うじて、自分の股の下から後ろを振り返ることに成功した。

 頭部を潰されたダダジムが一匹、横たわっているアンジェリカの金髪の隣で死んでいた。



 あとは先ほどの追いかけっこと変わらなかった。

 ダダジム達は広場までの最短距離を走り、民家の脇を駆け抜けるのに対して、ロドルクは相変わらず『立ちはだかるモノすべてぶっ壊す』を信念とでもしているのか、スピードが落ちようが構わず、民家をぶっ壊しながら、木材やレンガなどを投げつけてくる。

 ロッドに4匹ほどアラゴグを貸したせいか、糸を使った強引なコーナーリングは難しくなったが、広場までは大通りが続いていて、ほぼ直線だったので速度で勝る俺たちが追いつかれることはなかった。

 ……途中、トルキーノの追憶から拝借した毒テグスを使った罠をロドルクに引っかけてみたが、全く問題にしていなかった。


『ハローCQ感度良し、こちらトーダ。ロドルクを誘導中。作戦準備は整っているか、どーぞ』

『えと、こちらロッド。準備完了、シーツも見つけましたし、配置に着きました。いつでもどーぞ』

『あいよ、もうすぐそっちに着くから、あとはアラゴグに任せとけ。お前はすぐにダダジムとアンジェリカのところに戻ってきてくれ。もうすぐ終わるからって言ってお頭達のところへは近づけるなよ』

『わかりました』


 通信網を手放し、俺はダダジム達に目的の民家の隣の屋根に上がるように命じた。

 パタタ、と何かが頭上で羽ばたくような気配がした。

 ダダジムの尻尾シートベルトを解いてもらい身を起こして見上げると、それはアンジェリカの『ヒレイ』だった。

 どうやらアンジェリカは気を取り戻して、こちらを観察しているみたいだった。

 軽く手を振ってやる。ヒレイはそれに応えるかのように大きく周回した。


 しばらく警戒して待っていると、バキバキドカン、と屋根を突き破ってロドルクが現れた。すぐさまダダジムを移動させ、隣の民家に飛び移らせた。

 距離、およそ15メートルほど。

 俺は敢えてダダジムから降りると、屋根の上に立った。

 実のところ高いところは苦手で、平常心スキルが無ければ御免被りたいのだが、自分の考えた作戦なので我慢するしかない。ちなみに、俺のすぐ後ろには何も無く、8メートルほど下には石蓋の開いた井戸と広場の石畳の地面が見えるだけだ。


「ロドルク……。お前よくもアンジェリカを殺してくれたな。お前はお頭にアンジェリカを生かしたまま連れてこいって言われなかったのか?」

「…………」


 ロドルクは俺の言葉を無視しながら、屋根の上をゆっくりと歩き、近づいてくる。


「無視かよ。……まあいいさ、ダダジム、ロドルクとはここでサシでやり合うつもりだ。離れてろ」

「クルルルルル……」


 ダダジム達は一声そう鳴くと、俺を残し、屋根から降りて配置に着く。

 月天の空の下、誰に邪魔されることのない屋根の上、雌雄を決するが如く、俺とロドルクは対峙する。


「さっきな、バーサーカーなお前をぶっ殺してやれるモノをこの村で見つけたんだ」


 俺はロドルクの目を見つめながら、腰の道具箱に手を差し入れた。

 もちろん、そんな便利なものはない。 

 ロドルクは一瞬、歩みを止めかけたが、気を取り直したのか、一歩一歩、俺を睨め付けながら近づいてくる。

 

「……驚いたぜ。こんなものがこの村にあるとはな。これさえ使えばお前を――」

 

 道具箱から何も握り込んでいない右手の拳を持ち上げようと、視線をわずかに逸らした――その瞬間、屋根を踏み砕く音とともに、ロドルクが突進してきた。


 俺はアラゴグの糸によって、背中側から引っ張られ、夜空を仰ぎながら地上へと宙に身を任せた。

 俺が屋根の上から落下を始めて数瞬後、ロドルクもまた屋根の上から俺目がけて身を躍らせていた。

 ――予想通りの展開に、思わず、笑みを浮かべてしまう。


「作戦開始!!」


 俺がそう叫ぶと同時に、民家の側壁にへばり付いていたダダジムさん達が、白いシーツを手に俺とロドルクのそのわずかな隙間に入り込み、はためくその白いシーツでもってロドルクの視界を遮った。

 その白いシーツは、ロッドが運んできた配置済みのアラゴグの糸を受けてロドルクを包み込み、ロドルクは視界を塞がれ何もできないまま、蓋の開いた井戸の穴へとホールインワンしていった。


 どっぽーん、という音が聞こえたが、水しぶきを上がってくるほど水深は低くないのかも知れなかった。

 ちなみに俺は糸を使った空中ブランコの原理で地上スレスレで振り子が働き、辛くも生還を果たした。


 …………アラゴグさん、ひょっとして、アンジェリカを見殺しにしたこと根に持ってます? (コリコリ)いやでも、俺ちゃんとそういう作戦だって伝えたよね? (コリコリ)

 え? そういう問題じゃない? (ゴリリ)ぎゃー!


 そんなやりとりも踏まえつつ、大急ぎで井戸まで走ると、その縁へと飛びついた。

 さすがに井戸の中は暗かったが、暗視スキルに加えて、白いシーツを使ったおかげでか、水面が見え、ロドルクのだいたいの位置も分かった。

 

 もちろん、ロドルクを井戸で溺死させるためにシーツで旗包みしてホールインワンさせたわけではない。

 そんな簡単にバーサーカーを殺せるんだったら、とっくにやってる。

 俺はとりあえず、ロドルクを“この狭い井戸の中に入っている状態”に持ち込みたかったわけで。

 直径約1メートル。この狭い円柱状の空間に閉じ込めたかったわけで。

 

「ロドルクや~い。生きててもそのまま溺死してくれ~」


 そう呼びかけると、水面がぷくぷくと泡立ってきた。

 もうすぐロドルクが飛び出してくるだろう。

 俺は短く息を吸い込むと、人を殺すための決意を言葉にした。

  

「アイテムボックス、オープン!!」


 次の瞬間、俺が井戸に蓋をするように発生させた最大直径1メートルの亜空間の中に、弾丸の如く井戸から飛び出してきたロドルクがすっぽりと入っていった。

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