第91話 首狩りスプーンおばさん

「ロドルクから、『アンジェリカの身柄を拘束した。不当解雇について対等な立場で話し合いをする機会を要求する』だそうだ」


 お頭はやれやれといった感じで肩をすくめて見せた。


 ――つまりなんだ、アンジェリカを人質に取ったから、妙な真似するなよ? やったね、主導権を取り返したぞってところか。 

 だけど、おあいにく様。肩をすくめたいのはこっちの方だ。

 ネクロマンサーに対して、人質ってどうよって話だ。アンジェリカとか鴨葱じゃん。gff...。


「そうですか。でしたらお互い抱えている問題は少ない方がいいでしょう。マチルダさん、構わないからクグツ合戦を再開してください」

「はい、マスター」


 言うが早いか、マチルダさんは肩に担いでいた剣シャベをゴルフスイングのように地面に打ち付け、掬い上げた土砂をボルンゴに向けて放った。

 お頭が何か言ったような気がするが、聞こえないふりをする。


 さながら散弾のような飛礫を顔面に浴び、ボルンゴの視界が一時完全にふさがれる。その機を逃すまい――、剣シャベでの追撃、もしくは飛天御剣流・土龍閃(剣シャベver)での連撃――誰しもが想像するだろう展開を、マチルダさんは敢えて選ばなかった。

 いや、選べなかったという方が正しい。なにせ、初めからマチルダさんを標的に矢を番えていたサブンズが、それを射る条件タイミングを忠実に守っていたのだから。


 強化弓術士サブンズの矢は、土龍閃を放ったばかりのマチルダさんの右肩に突き刺さった。

 弓術士のスキルなのか、矢は貫通せず、その練りに錬られた一矢の衝撃をマチルダさんの身体は受け止めきれず、上半身が反転する。


 ならば、土龍閃を弓術士に向けて放てばどうだったか。

 これも同じ結果だろう。サブンズが攻撃の意思有りと感じた瞬間に矢を放つのだから、いかに勢いのある飛礫とはいえ、距離25メートルを埋めるにはあまりに遠く、また魔力を帯びた矢は難なく貫通してマチルダさんに突き刺さっていたに違いない。

 トルキーノに向けてもまた同様の結果となっただろう。 


 内心舌打ちをするが、俺の命令で、マチルダさんが即座に戦闘開始をしてしまったわけだから、この失態はタイミングを決めた俺の責任だ。

 もう少し頭を使って、『タイミングを任せるから戦闘再開して』って糸電話で伝えればよかった。

 なんだかさっきから妙に冷静さを欠いてしまっている気がする。気のせいか?


 サブンズが第二矢を番い、弓を大きく張る。

 トルキーノが素早くボルンゴの元に駆け寄り、その肩に乗った。視界は完全に塞がれてしまったのか、ボルンゴがトルキーノの指示で死霊の槍を構え、マチルダさんへと突進する。

 マチルダさんは右肩をだらりと下げた状態で剣シャベを水平に構えると、それを迎え撃った。

 肩に乗せたトルキーノの指示で動くボルンゴとはいえ、その槍捌きは正確無比で、ガギン、ガギン、と片腕のマチルダさんを追い詰め始めていた。

 サブンズの渾身の第二射は、咄嗟に身をかがめたマチルダさんに躱され、そのことに腹を立ててか、戦術転換し、残り8本しか無い矢を二本ずつ、次々と放っていく。


 やはり、両手を使えないせいか、マチルダさんは防戦一方に追い込まれていた。

 それでも矢を躱し、辛うじて槍を捌いている。バーサーカーモードがあるから大丈夫だろうと高をくくっていた俺だったが、おそろしく速い攻防のなかで、じりじりと追い込まれているのが素人目にもわかった。

 一発逆転のバーサーカーモードなのに、なぜとっとと使ってしまわないのか。

 ……使えない理由があるのだろう。もしくはもう使えないだろうか。


 気がつけば、俺の手は汗でびっしょりだった。手に汗握るってこのことかって言うぐらい濡れている。――平常心スキルは、『オン状態』、効いている?


 マチルダさんは槍の薙ぎ払いを受け損ね、コロンコロンと後転するもそのまま上手に起き上がった。そして大きく口を開けると、右肩に深く突き刺さっている矢に食らい付き、ブチッとでも擬音がしそうな勢いで引き抜いた。


 まるで、手負いの獣だ。

 ――だけど、彼女はこの状況を心底楽しんでいるみたいだった。


 血で濡らした口元に笑みを浮かべ、嬉々爛々と瞳を輝かせる。生気に溢れたマチルダさんの剣シャベが手元で翻る。

 そして、間を詰めようと突進するボルンゴ・トルキーノ組を2度目の土龍閃で牽制した。


 サブンズの矢が二矢同時に放たれた。

 ちらり、マチルダさんの目が動いたような気がしたが、警戒済みだったのか難なく避け――?!

 ――なぜか急にマチルダさんの剣シャベが軌道を変え、自分の意思でも持ったかのように跳ね上がり、サブンズの矢を追いかけようと暴れ出したのだ。

 マチルダさんは左手から剣シャベを離すようなことはしなかったが、予想外の出来事だったのか、バランスを崩しかけた。


 そこで初めて俺はそれに気がついた。

 サブンズが同時に放った二本の矢。それぞれの矢羽根付近に鋼線がくくり付けられていて、二本の矢がヌンチャク状態になっていた。それをそのままサブンズが射て、射線上の剣シャベに引っかけたのだ。


 矢の勢いは殺したものの、マチルダさんの剣シャベと左手は左後方に流れていて、右腕はまだ使えない。

 その隙を見逃さず、再び突進してきたボルンゴ組が、横薙ぎに死霊の槍を振るった。

 マチルダさんが剣シャベを引き寄せつつ、後方に飛ぶ――。

 実際に死霊の槍を体感し、その長さと技量を知るマチルダさんから見ても、十分躱せるとの判断だったのだろう。 

 

 だけど、その死霊の槍のなぎ払いはマチルダさんを攻撃するために振るわれたものではなかった。

 死霊の槍にたいを移していた、横薙ぎの遠心力を使い、マチルダさん目がけて射出するためだったのだ。

 豪速で迫り来るトルキーノの目的は、マチルダさんを直接攻撃する事ではない。

 その軌道からして、修復中の右手にある【戦士の指輪】を“盗む”ためだ。


「マチルダさ――」


 思わず大声を出しかけて、慌てて喉の奥で急ブレーキを掛けた。

 彼女の目が嗤っているのを見てしまったからだ。

 まるで、計画通り罠にはまったウサギを見下ろす、捕食者のように。

 

 トルキーノの右手がマチルダさんの【戦士の指輪】に触れる、その刹那に、


「■■■■■■■―――!!!」


 鬼の咆吼が響き渡り、同時に、グチャリ、とトルキーノの前頭部が強い衝撃で圧し潰され、頸が体内にめり込む。

 わずかに届かなかった指先が宙を掻き、トルキーノは、一体何が自分を圧し潰したのか、おそらく気付けないまま、クグツ活動を停止させた。



 自分の顔面をずり落ちていくトルキーノの後ろ髪を、動かせるようになったばかりの右手でむんずと掴むマチルダさん。

 その顔面には返り血で濡れていないところがないほど、朱く染まっていた。


 トルキーノは、マチルダさんのカウンターの頭突きを喰らっていたのだ。

 右腕を引き寄せ、右脚を強く踏み出すと同時に、鬼の咆吼。渾身の頭突きが……ただ一番近くにあったトルキーノの頭蓋骨を容易く壊したのだ。


「ふふ……」


 マチルダさんは剣シャベにトルキーノの顎を乗っけると、クルクルと矢と鋼線をブチブチと引きちぎりながら、妖艶に朱い唇を震わせ笑った。


「マスター。あなたにはこの子の名の由来を是非知って頂きたいと思います」

「――この子って、その剣シャベのこと?」


 ゴクリと喉を鳴らしてから、俺はマチルダさんに聞いた。

 突然何を言い出すんだろうと、混乱しつつも俺は目を逸らさなかった。

 マチルダさんは嬉しそうに頷くと、そのまま鋭く腕を伸ばし、――ザシュッ、と剣シャベでトルキーノの首と胴体を切り離す。

 糸を切られるように、首から下が力なく地面に横たわった。


「この子の名前は、“首狩りスプーン”と言うんですよ。この武器を作るときに、3番目に関わってくださった方から、『スプーンで掬い取るように切り離した首が、零れて地面に落ちないように』とまじないを掛けて頂いたんです」


 マチルダさんは“首狩りスプーン”に乗せたトルキーノの首を、まるで、


“――お召し上がりになりますか、ネクロマンサーマスター


 とでも言いたげな、そっと柔らかな仕草で俺に向けた。

 有り体で言えば、「ダーリン、はいあ~んして♥」ってやつだ。


 俺の心臓が、いまだかつてなくドクンと鳴った。ファイヤーウルフと初めて対峙した時を思い出す。

 視界が微かに揺れ、その痺れが指先から足先まで届き、震える。


 マチルダさんの真意はともかく、【魄】も残り少ないので、是非とも欲しいトルキーノの頭部だったが、俺が両手を前にフラフラと近寄ろうとするのを見かねてか、


「クグツ合戦中で、近寄ると危険ですので、そちらに転がしますね」


 マチルダさんは首狩りスプーンからトルキーノの髪を掴み上げると、ボーリングの玉のように地面をコロコロと転がしてきた。


 くるくるくるくると首が転がり、くるクルくるクルと俺の目がそれを追う。渦を巻く。ぐるぐると、渦を巻く。開いた黒い瞳孔に俺の意識を引きずり込もうとする。

 あれ? 何度確かめてみても、平常心スイッチは入ったままだ。おかしいな。おかかかか、しししs……なら、ここから先は自分の問題。なんとかしなきゃ。

 心を空っぽに。思考をただただ鮮明クリアに。一歩引いて自分自身を客観視。余分な感情はもう入りません。今の俺に足りてないのは【魄】だけ、それだけなんです。


 トルキーノの首はダダジムの足下でちょうど停まり、ぐずぐずの頭部からはみ出した抜け殻の瞳がふたつ、虚空と俺をそれぞれ見上げている。

 

「ありがとう。マチルダさん」笑顔でお礼と感謝を伝えて。

「いえいえ。お安いご用ですよぉ。あとたった二人ですからねぇ。早速ですが、マスター。残り二人の首もご所望ですか?」


 マチルダさんの左手が顔を撫で、指の隙間からウインク。そして髪を梳き上げる。

 なんとなく俺を気遣ってくれているような気がした。

 うれしくて、もう少し頑張ろうって思った。


「もちろん所望です。順番は任せますから、存分に首狩りを楽しんでください」


『気をつけて。ロドルクがやってきてもクグツ合戦に集中しててください。逃げる準備はできているんで』

『はいマスター』


「マチルダのおばさんよぉ! 年の割になかなかやるじゃねーか!! ヘイヘイヘーイ」

「…………」


 遠くでジェイルがこちらを向いて無邪気に喜んでいる。

 ただ、掴んでいるマチルダさんの連絡網からイラッとした感情が流れ込んできたので、そっとフォローを入れておいた。


『あとでちゃんと叱っておきますから……ですからあの、落ち着いて……?』

『あの子ったら、うふふふふ。楽しみですねぇ、うふふふふふふ……』


 駄目だこりゃ、と思い、今度はジェイルに『集中しろ』と伝えると、『そいつらが片付いてからじゃねーと、ボルンゴの野郎に兄ちゃんの死体を奪われちまうだろうが。時間稼ぎしてるに決まってんだろ』との返答。

 はいはい、俺が悪うございました。


「ジェイル。決闘の作法の途中だ。おまえが急に言い出したことだろう。さっき教えたとおり、ちゃんとやるんだ」

「わかってるよ、兄ちゃん。でも、ウチのおばさんが急にデカイ出しやがるからよぉ……。ああいうのって更年期障害って言うんだろ?」

「集中しろ。もう一度初めからだ。まずお互いに礼をして――」


 どうでもいいけど、あそこだけ空気違うよな……。

 決闘の儀礼なのか、魔剣と風のナイフを互いが抜いた状態で、なんか細かい口上を口にしている。

 もう放っておこう。


 

 マチルダさんが次に狙ったのは、矢を使い果たしたサブンズだった。

 優先順位からすると、視界不良のボルンゴをサクッと始末すれば死霊の槍を持つ“ネクロマンサー”が斃れてサブンズごと終了になったんじゃないだろうか。

 ともかく、マチルダさんは、身を翻し距離を取ろうとするサブンズを猛ダッシュで追いかけ始めた。

 その隙にボルンゴが死霊の槍を自分にブッ刺し、塞がっていた視力の回復を始めていた。


 ブブ、と右手のブロブが震える。

 何事かと思ったが、気づかないうちに近づいてきていたお頭達を警戒してのことらしい。ギョッとする。ダダジムさん達はちゃんと気がついていたのか、俺を乗せたまま、そろそろと距離を取っていた。


「返事くらいしろ、トーダ。アンジェリカの身を案じなくてもいいのかと聞いているんだ」


 近づいてもこれ以上は距離を縮められないとわかったのか、お頭が歩みを止めた。ハルドライドもその後ろでニヤニヤと控えている。


「……お頭、無言で近づくのはやめてもらえますか? 『不当解雇について対等な立場で話し合いをする機会』なら所轄の労働基準監督署に行って話し合えばいいじゃないですか。今ここでする話じゃない。ロドルクと二人だけで話し合うのが嫌なら弁護士を挟めばいい」


 大きく深呼吸して、努めて至極冷静に言葉を返してやる。


「てっきり隠れているとばかり思っていたが、ふらふらと出歩いていたところを捕まえたそうだ。今のところ危害は加えていないようだ」

「……それなのに、アンジェリカを人質にとった時点で俺を巻き込む気満々だし、第一、そのこと自体が嘘かも知れないじゃないですか」

「指輪を付けていないということだが、お前が外したのか? 本人は初めから付けていないなどと言い張っているらしいのだが……」

「聞けよ! 雇用主がそんなんだからロドルクが発狂して路頭に迷ってんだろ。拾った物は交番に届けないわ、人ン家ぶっ壊しても平気な顔してるわ、子供虐めて怪我させるわ、元同僚と喧嘩別れしたあげく、今度は女性を盾に労使交渉とは片腹痛いわ!! 知るか! あっちの空きスペースで“春闘”でもなんでもやっててくれ!」

「おまえは何を言っているんだ?」


 お頭は不思議そうな顔で小首をかしげた。「あの女の話をしているだけだろう?」後ろでハルドライドが真っ赤な顔をして笑いを堪えている。


 むっきー、むききーぃぃ!! 超ムカつくー!! ムカ着火ファイヤー!! 

 お前が『不当解雇』とか嘘んこ言い始めたから付き合ってやっていたのに、とんだ手のひら返しだ!

 ただでは死なさん! ただでは死なさんぞぉ!

 いやむしろサクッと死んでもらって蘇らせたあと、R⑱的なお仕置き――“教育”が必要のようだ。 


 むふー、むふー、むふー。

 …………。よーし、して欲しいリストを10個ほど考えたら冷静になってきたぞ。というか、ちょっと興奮してしまった。

 さっきから『平常心スキル』が全く効いてない。鑑識で操作して、オフにしてもオンにしても、いつものように感情の高ぶりが抑えられない。……というか、すごく気分が悪い。吐き気と言うよりも、イライラしてなんか色々爆発しそうだ。

 とにかく『平常心スキル』だ。これがないとアタマの中がまとまらない。壊れたのかも知れないが、そんなことがあるのか? もしかすると『ソーマの滴』で魔力が切り替わったせいで使えなくなった可能性もある。ああ、気持ちが悪い。


 くそ、感情の急な変化についていけない。デリケートな俺では、厚顔無恥ボケ担当なお頭と話をするだけで紛糾してしまう。


「ロドルクが言うには『アンジェリカを殺されたくなければクグツ合戦の負けを認めろ』と言っているらしい」

「なんで交渉相手が俺になっているんですか!!? クビにしたのお頭ですよね??! 俺まったく関係ないよね?!」


 何が何だかわからない。もうパニック状態だ。なるほど、日本人は外交下手というのも頷ける。頑張れ外務省。


「まあ落ち着け。ロドルクが言うには『クグツ合戦の勝利をお頭に捧げるから、もう一度俺を雇ってくれ。やり直したいんだ』ということらしい。心を入れ替えて盗賊業に邁進まいしんするそうだ。正直、胸を打たれたな」


 ぽんぽんとBカップの胸を叩くお頭。えぐれてしまえ。


「……とどのつまり、アンジェリカを人質にしたから、殺されたくなければ負けを認めろって事でしょ? 嫌ですね! アンジェリカが殺されようが殺されまいが俺はクグツ合戦を辞退する気はありませんね! むしろアンジェリカが死んだらクグツにして、毎晩“むふふパーティ”だ! それよりも覚悟しろよお頭! アンタが死んだらクグツにして語尾に『~にゃん♪』とか『にゅ』付けを強要してやるからな! そんでもって長女アンジェリカ次女おれ継母マチルダさんとでお頭のことシンデレラのようにやるからな、後悔するなら今のうちだぞ!」


 もちろんアンジェリカを殺させるつもりはない。……ないが、お頭側の要求を呑む気もない。なんだかドキドキして興奮して、ムカムカして本当に気持ちが悪くなってきた……。

 ジェイルとマチルダさんから応答要請が入る……が、なんかもう、そういう気分じゃない。


 恐れおののきひれ伏すかと思いきや、お頭はあきれたように俺を見た。


「クグツの活動限界は死霊の槍で、たかだか24時間だ。サブンズやボルンゴには『ソーマの滴』を飲ませているから、ブースト掛け状態でもまだしばらく保つだろう。だが、ドルドレードはどうだ? “狂化バーサク”の体質には驚いたが、あれだけ魔力を消費していて朝まで保つと思っているのか? アンジェリカをクグツにするとも言ったな。それでどうなる、24時間後にはただの死体に戻る。死霊の槍は一度クグツにした死体をもう二度とクグツとして蘇らせることはできない。

 お前のはどうだ、一度でも検証してみたことがあるのか?


 あれだけの戦いをしておきながら魔力の消耗が無いわけが無いだろう。

 ……わたしの推察だが、お前の“クグツにする能力”にはほとんど魔力が絡んでいない。つまり、死霊の槍と同じで、死体から集めた【魄】とやらを何らかの方法で凝縮し、それを動力源としてドルドレードやジェイルを蘇らせたと考えるのが妥当だろうな。


 トーダ、悪い頭でもう一度よく考えろ。死んだ者は決して生き返りはしない。お前がドルドレードにしていることは、死への冒涜。先延ばしにすぎない。アンジェリカを蘇らせるというのなら、その算段と見積もり、そして翌日にもう一度、その存在を永久に失う覚悟はあるんだろうな。

 もうすぐロドルクとアンジェリカが来る。そのアンジェリカはお前に見殺しにされて死ぬことになる。ロドルクの指で耳や鼻を引きちぎられながら死ぬんだ。クグツとして蘇ったあと、その恨みを忘れていればいいがな。


 ――ああ、そうだ、トーダ。ところで身体をバラバラに引き裂かれ、脳みそを潰された死体でも蘇らせることができるのか?」


 くらり、と目眩がして、視界が揺らぐのを感じた。

 猛烈な吐き気が俺を襲い、胃がでんぐり返ししそうになるが、俺は口を塞ぎそれを両手でもって抑え込んだ。


 俺は、心のどこかで、ネクロマンサーというジョブを慢心していた気がする。

 あまりに人の死に触れすぎて、マヒしていたというのもあるが、平常心スキルが働いていて、どこかそのことを映画か何かを見ている感覚に変えてくれていた。


 マチルダさんの“クグツ活動の制限時間”と“活動限界”を考えなかったわけじゃ無い。だけど、敗忘し、気づかないフリをしていただけだ。

 そもそも、当初アンジェリカと計画したのは“クグツ暴走作戦”だった。お頭の近くで俺の指輪を誰かに外させ、暴走事故としてお頭を殺させる。マチルダさんを“道具クグツ”として使う、人の道を外れた、実に素人ネクロマンサーらしい作戦だった。

 それも全部、アドニスのクグツとしての姿を見てしまったからだ。

 精気の抜けた貌。ただ命令されるままマスターに遣え、使役される。そんなクグツを俺も作るのだと思っていた。誰であってもよかった。たまたま追憶で見たのがマチルダさんで、そのマチルダさんに接触する機会があったからクグツに決めたのだ。

 俺とアンジェリカとロッドさえ助かれば、あとはどうでもいいと思っていた。


 なのに、作戦は根底から破綻し、追い詰められ、みんなの協力でマチルダさんは蘇った。

 追憶で見たままの人柄と性格、強さのままで俺はマチルダさんを蘇らせることができた。

 ――だから、俺はそこで

 


 お頭が再び距離を詰めようと俺に向かって歩き出した。ダダジムは一定の距離を取ろうと同じ速度で離れるが、お頭は構わず近づいてくる。追い詰めてくる。

 嫌だ、逃げ出したい。

 身体が震え出す。半分は恐れから、もう半分は心の指先に響く応答要請からだ。


 お頭の足に何かが当たった。歩みを止め、それを見下ろす。それはトルキーノの頭部だった。うっかりしていてダダジムの背中に引き上げるのを忘れていた。

 次の瞬間、お頭は信じられない行動を取った。


「邪魔だ」と、トルキーノの頭部をフットサルか何かのボールのように蹴飛ばしたのだ。

 一瞬にして、俺の目の前が朱くなり、頭に血が上った。歯止めがきかなかった。


「――っにやってんだお前ぇぇぇ!!? お前の部下だろうが!! 同じ釜の飯食ってきたんだろうが!! お前のせいで死んだんだろうが!! 何で蹴るんだよ!? 何でそんな非道いことが平気でできるんだよ!!?」


 そう喉が痛くなるまで叫び続けると、今まで流せずに貯まっていた涙がぶわっと噴き出してきた。

 もう限界だった。

 あとからあとから涙が勝手に溢れてきて、自分ではもう止めようがなかった。

 よもや自分でもトルキーノのことで泣いてしまうとは思ってもみなかった。トルキーノに思い入れはないが、生首を見たことで俺のタガが外れたのは確かだった。

 こんなことならアドニスのときに涙を流しておけばよかった。


 しばらく感情に任せ、わぁわぁ泣いてしまっていた俺だったが、ふと、ハルドライドの舌打ちで我に返った。

 冷酷な瞳を変えないままジッとこちらを観察するお頭の後ろで、ハルドライドがベッと舌を出していた。

 意味はわからなかったが、急いで涙を拭ってお頭と対峙する。

 お頭が口を開いた。


「……急に怒って急に泣いて、そして今また怒っている。どうした急に。死体ならいくらでも見てきただろう? 首だけの奴も、顔を潰された奴も、首を吊っていた奴も処理してきただろう? トルキーノだった奴の首を蹴飛ばしたがどうした。わたしはトルキーノの命を奪った女だぞ? なぜ今になって騒ぎ立てているんだ?

 質問ゲームの時とはまるで別人だな。……いや、あのあとに見せた醜態と形相が今のお前か。だいたい、わたしがどんな女なのか、お前は初めから知ってただろうに」

「…………」


 反抗する子供のように、ギッとお頭を睨みつける。

 だけど、感情に支配されて全く思考が働かない俺は、考えるのを脳が拒否してしまっている。

 現状打破しなければいけないと抗う自分と、このまま強固な殻で俺を取り巻くすべてのやっかい事から目を背けたい頑なな自分とが入り交じる。


「まあ、お前の変人ぶりは織り込み済みだが、話は――」


 お頭はそこまで言って、会話を止めた。

 カサカサと俺の背中にいたアラゴグが頭の上にまで昇ってきたからだ。今更自己主張するでもないだろうに、そのまま爪先を頭部に固定し、ヘルメットのように被さってきた。

 パシュ――、今度は別の、ダダジムの背中に乗っているアラゴグが糸を吐き、他のアラゴグ達もそれに続いた。トルキーノの頭部はその場で踊るように弾み、瞬く間に糸でぐるぐる巻きになった。そして、それを一気に引き寄せた。

 頭部は宙を飛び、動こうとしない俺に代わってダダジムがシッポでキャッチし、俺の膝元に置いた。

 トルキーノの頭部は蚕の繭のようになっていて、頭頂部以外、中身が見えない。


「……アンジェリカの召喚獣か。ちょろちょろと目障りな連中だ」


 お頭は忌々しげに眉間に皺を寄せた。

 コリ、と頭部のアラゴグが俺の頭を引っ掻いた。まるで、「しっかりせーよ」とでも言っているかのようだった。


 俺は、あっと気づいた。

 よく考えてみたら、アンジェリカは指輪を外されていない。預かっているの召喚獣達も皆暴走を起こしていない。

 みんな諦めてなんかいない。錯乱している俺をみんな心配している。


 俺は応答要請をし続けているクグツ二人のうち、ジェイルの糸を握った。

 ジェイル本人は向こうでアーガスと戦闘を開始していた。兄弟喧嘩とは決して思えない、本気の殺し合いだった。

 なのに、

 

『お。繋がった。トーダ、お前なにでっけぇ声出してんだよ。あのおばさんと張り合ってんのかよ? みっともねぇぜ』

『ジェイル。どうもさっき飲んだソーマの滴のせいでスキルがうまく作動しなくなった。どうしたらいい? お前の“盗む”で腹の中から取り出せないか?」

『腹パンでよかったらこっち来いよ。ロドルクも早く終わったときはそうやって余ったのを吐き出してたぜ』

『そうか分かった。吐き出せばいいんだな。自分でやる、ありがとう。頑張れ』

『ん? ああ……それよ――』


 連絡網を切って「ブロブ、胃の中のモノを吐き出したい。協力してくれ」口の中に指を突っ込んだ。

 ブロブの助けもあってか、お頭が怪訝そうに見つめてくるなか、俺は胃の中のモノを全部一気にぶちまけた。


 ――あった。出てきた。


 わずかな吐瀉物の中からソーマの滴の塊を発見すると、俺は口元を袖で拭った。

 素早く【鑑識オン、俺】。そして、平常心スキルをオンにする。

 瞬間、何か俺に取り憑いていた悪いモノが解けていくような気がした。感情袋の底が裂け、溜まっていたすべてがびちゃびちゃと地面にぶちまかれる。

 それは、人として当たり前にある大切な何かで、今一番いらないものだ。


 ふぃ~。すっきりんこ。

 溜まっていたモノを排出して平常心に戻る、ふふっ、なんだか卑猥な表現ですね。


「ありがと、お前ら。もう大丈夫だ」


 感謝を込めてダダジムの背を叩く。でも、もう少しだけ付き合ってくれ。

 俺は顔を上げると、ニヤリと笑った。


「失礼、食あたりですかね。なにせ恨みを込めて調理し、呪いを込めて味付けしたものですから。当然同じものをお頭にも食べて頂いたわけですが、その後、調子はいかがですか?」

「! ……それは、ソーマの滴か。ああ、通りで毎回納品数が足りないと思っていたら、ジェイルが盗みを働いていたのか。トーダ、それをわざわざ吐き出したと言うことは、体質に合わなかったと言うことなのか?」

「ご自分で確かめてみてはいかがですか? 吐きだしたものでよければそこにありますよ。まだ温かいうちにどうぞ」


 痰のようにゼリー感を維持した状態のものを、俺は指さして言った。

 その間に、手際よくぽちぽちと一般スキルもオンにしていく。

 わずかな時間とは言え、魔力はそれなりに回復したのか、今のところ問題は無いようだ。

 ――なら、行かなくちゃ。


「それじゃお頭。そういうことで」

「待て、まだ話は終わっていない。どこに行くつもりだ」


 ダダジムに指示し、この場を離れようとする俺をお頭は止める。


「そりゃもちろん、アンジェリカとロドルクのところですよ。交渉人は俺なんでしょう? なら、訴訟を起こされる前に示談に持ち込まなきゃ。時は金なり、幸せは歩いてこない――マッハ3秒で駆け抜けるんですよ。あー忙しい忙しい」


 俺はお頭の制止を振り切り、ダダジムを走らせる。

 見ると、ロー公が復活したのか、ボルンゴと死霊の槍の引っ張りあんこをしていた。


「よくなったんですか? ロー公先輩」近寄って声を掛けてみる。

「あ、トーダ! ボルンゴがネ、返してって言ってるのニ、ボクの死霊の槍を返してくれないんだヨ。ボク、マスターなのニ」

「それはきっとボルンゴもマスターだからですよ。でも、それももうすぐ終わりですね。マチルダさんがサブンズを追い詰めてますから。サブンズを始末したら大人しくなるんじゃないですか? そしたらまた死霊の槍でボルンゴを槍術士に戻すんですか?」

「ウン! ……あ、デモそうなるとまた死霊の槍を貸さなくちゃいけないヨ~」

「マスターの辛いところですね。ではまた」


 ロー公と別れて、右回りでマチルダさんの方に向かう。

 先ほど応答要請を繋ぐと、『そろそろサブンズを追い詰めたから首を取りに来て欲しい』とのことだった。

 えらく心配していたけど、俺はもう大丈夫だって伝えると安心してくれた。


「マスター。刈りたてのサブンズの首です」


 ちょうど戦闘が終わったところなのか、首狩りスプーンに首を乗せた状態でマチルダさんが駆け寄ってきた。レベルは……上がらない、ボルンゴに期待だ。

 手渡しでくれるサブンズの首を、俺は両手で髪を掴んで受け取った。


「お疲れ様です。サブンズの首、確かに。さっきロー公が復活してて、聞いたんですが、どうやらボルンゴを槍術士に戻すみたいです。使うのは死霊の槍みたいですから気をつけてください」

「はい。マスター。必ずやボルンゴの首も刈り取って御覧に入れます。この首狩りスプーン 「おばさんよぉ! 残りボルンゴ一人だろ、あいつの手癖に気をつけろよっと! おー危ねぇ危ねぇ。兄ちゃん、今のナイス! あいつ『硝子の粉』とか持ってるからな」


 NHKの怒りを買うようなタイミングでジェイルが会話に参加してくる。


「人の心配はしない! 自分の心配をしてなさい。あなたは重心が利き足に傾いていて、引き手が少し遅いんですよ」

「――っとと、アチチ、先公みてーなこと言うなよ」


 裂かれたばかりの肩の傷から“灼熱”を毟り取るジェイル。


「戦術技能指導員の教員免許を持っています。そこ、むやみに指輪を取りに行かない! まずは肩の腱、肘の内側を狙って右手を開かせる。基本に立ち戻りなさい」


 腰に手を当て、まったく、と言った表情のマチルダさん。

 そんなマチルダさんに、


「マチルダさん、魔力切れは起こしていないですか? まだ、……戦えますか?」

「はい。もちろんですよ、マスター。この“首狩りスプーン”に掛けて、クグツ合戦の勝利をあなたに。お約束致します」


 マチルダさんは振り返ると、俺ににっこりと笑いかけた。

 俺はもう何も言えなくなる。

 ロー公が俺を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、死霊の槍を手にボルンゴがこちらに向かってきていた。


「……ええ、どうやらあちらも準備が整ったみたいですねぇ。マスターのおっしゃったとおり、ネクロマンサーのジョブを辞めて、槍術士に戻してきたようですね」

「マチルダさん。俺は今からロドルクのところに向かいます。アンジェリカを人質にして暴れたがっているようなんです」


 マチルダさんはジッと俺を見つめてきた。


「止めても行かれるんですよねぇ。でしたら、お止めは致しません。マスター、どうかご武運を。……あなたたち、しっかりマスターをお守りするんですよ」

「クルルルル……」


 マチルダさんに頭を撫でられ、ダダジムが応える。


「行ってきます。マチルダさんも頑張ってください」

「行ってらっしゃいませ、マスター。うふふ、マスターに応援されたら、元気100倍ですねぇ」


 あとは互いに背を向けて、マチルダさんは首狩りスプーンを肩にボルンゴに。

 俺はアンジェリカの元にアラゴグ達のナビでダダジムを走らせる。


 ダダジムの背には生首がふたつ。

 俺は右腕の袖を腕まくり。


 ――さて、どっちから頂こうかしらん。

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