第90話 それぞれの戦いへ……

「あらぁ、どうしたんですかぁ? 皆さん、私が新人の“教育中”だからといってあなた方が攻撃の手を止める必要なんてないんですよ? 構いませんから、あの子達に飛びかからせるなり矢を射らせるなりさせたらいいじゃないですかぁ」


 剣シャベを手に、斜に構えながらお頭達を挑発するマチルダさん。

 当然、左手はジェイル顔面をがっちりキープしている。


「ですが、私も自分自身は大切ですからねぇ。いざ殺す気で向かってこられてしまうと、両手を自由にしなくてはいけませんからねぇ」

「て、め……ぎ、ぐ、……ッ!」

「ジェイル。あなたの口の悪さはマスターの気分を害してしまいます。武器を運んできてくれたあなたには大変感謝はしていますが、その役割は無事終わりました。お互い遺恨を残さないように、このまま握りつぶさせて頂きましょうか」


 マチルダさんがさらに力を込めたのか、ジェイルの口からぶくぶくと白い泡が溢れ始めていた。


「ジェイル!」

「動くなアーガス」


 硬直が解けたのか、弟のピンチに思わず飛び出そうとするアーガスをお頭は止めた。


「好都合だ」

「しかし……ッ」

「命令だ。放っておけ」

「あぎ、ぐ、ぎ、ああああ、に、兄、ちゃ……」


 ジェイルの口から悲痛な声が漏れる。

 だが、さすがに嫌い合っていた者同士なのか、お頭は目を細め、冷酷に静観を告げる。


「ジェイルはすで一度死んでいる。あれは別人、ただの内輪揉めだ。気にするな」

「…………」

「そうですよぉ。これはただの新人教育ですから、ご家族ご友人とはいえ、クグツ合戦参加者以外の手出しはご遠慮願えますかぁ? 私も村の人たちを皆殺しにされてはらわたが煮えくりかえっているんですからねぇ、これっくらいのことはやり返してあげないと気が済みません。なるべく痛がる方法で、なるべく苦しめて、なるべく惨く潰させて頂きますよぉ」

「…………」


 アーガス、そしてマチルダさんがほぼ同時に俺に視線を向けた。マチルダさんにだけ視線を合わせる。彼女は少女のように微笑む。そこに澱みはない。


「ええ、マスター。大丈夫ですよぉ。握りつぶすのは顔面で、お馬鹿な頭部は傷つけずに残すつもりですから」

「……ん。良きに計らって、マチルダさん」

「はい、マスター」


 そう快活に返事をすると、マチルダさんはジェイルを地面に押しつけるようにして力を込め始めた。ぶしゅっっと、鼻の軟骨が押し潰され、絞り出されるかのように血が溢れ出す。


「ひ、ぎゃぁぁぁぁ!! 痛ってぇぇぇ!! なんだってんだちくしょぉぉ!! あがっ! クソマスター、テメェ、裏切るつもりかよ!?」

「『マスター』の前にクソを付けない。子供が真似したらどうするんですか?」

「知るかよ! ぁぎぎぎぃぃぃぃ!!」


 おそらく、ジェイルには似つかわしくない悲鳴が辺りに木霊する。 

 

「あらぁ? 嫌ですねぇ、この子ったら泣き出しましたよぉ。痛くて泣き出すなんて外見は大人でも中身はまだまだ子供ちゃんですねぇ。いいですよぉ。どんどん子供みたいに泣きじゃくりなさいねぇ。……もう少し力を入れたらもっとたくさん涙が出るんでしょうか、それとも緩めた方が出やすくなるんですかねぇ?」


 マチルダさんは楽しそうだ。


「ぎ……ぁ……っく、ひ、ひ、ひ、ヒック、兄ちゃん……痛い……よぉ。いぎっ、助けてよぉ……、兄ちゃん、ごめんなさい、助けて……痛いよぉ兄ちゃん……」

「今更懺悔ですか。駄目ですね、一度歪ませたクズの性根は死ぬまで治りません。あなたはこちら側でも“いらない子”なんですよ。……あらぁ、いけませんね。緩めると鼻血が吹き出してきました。左手も汚れますし、それにそろそろ――ブッ潰してしまいたくなってきましたから」


 目を細め、にぃ、と嗜虐的に微笑む。

 異変に気づいたのか、遠くでちょろちょろしてたロッドもダンスを止め、ダダジムと抱き合ったままジッとこちらを見つめている。


「あなたは生まれてきてはいけない生き物だったんですよぉ。だから、親にこばまれ、兄にうとまれ、ヒトに恨まれる。でも安心してくださいね。マスターは、このマチルダがしっかりお守りしますから」

「ごめん、なさい……兄ちゃん……」


「でも、良かったですねぇ、ジェイル」そして、だめ押しのひと言を「あなたが敬愛するお兄さんに、今度こそ看取られて逝けて。さぁ、あなたのその碌でもない人生に幕を」

「駄目な弟……で……ご、め……」


 涙で滲んだジェイルの目が静かに閉じられる。

 ジェイルの手から力が抜け、そしてマチルダさんの手元からは骨を砕く鈍い音が聞こえだした。指の間から眼球が飛び出し、ジェイルの顔を握り潰される――その直前に、アーガスの唇が小さく動いていた。


「申し訳ありません、お頭」


 抜刀一閃、オレンジ色の光が闇を切り裂く閃光のように疾駆し、


「ジェイル! やれ!」 兄のその言葉に呼応してか、ジェイルの足が高く上がり地面に打ち落とされる――【加震動波】。

 マチルダさんの身体がぐらっと揺らぐ。その瞬間を逃さず、アーガスはその横顔を斬りつけた。

 しかし、狙いは即首そくびを分かつ一撃だったはず、アーガスが返す刃で思いを遂げようと、さらに半歩深く踏み込み、切り返しの一撃を放つ。

 あっ、と息を呑む俺だったが、すぐにガチン、と音がして、その魔剣の灼刃をマチルダさんは剣先シャベルで防いでいた。


 切られたマチルダさんの髪が宙を舞うが、地に落ちるまでに灼熱に融け、辺りは髪の燃えた嫌な臭いで包まれた。


「だ、大丈夫ですか?! マチルダさん!」


 思わず確認を取ってしまう。これは


「……ええ。私は魔剣士とも何度もやり合ったことはありますけど、やっかいな性質を持つジョブなんですよねぇ。“灼熱の魔剣士”アーガスさん」


 マチルダさんはアーガスとの鍔迫り合いを右手一本で維持しながら、ジェイルの血で濡れた左手で――今もなおチリチリと灼け続けて短くなりつつある自分の髪をブチブチと千切った。

 その髪もまた、地面に着くまでに皆燃え尽きた。


「その魔力の元であるあなたを殺さないと、どうやらこの傷は癒えそうにもありませんかねぇ」


 身を起こし、両手で剣シャベを握り直すマチルダさんの右頬は――ざっくりと裂かれ、“灼熱”がその傷を灼き続けている。

 可逆再生者リジェネレーターであるマチルダさんが「この傷は癒えそうもない」と言っていることからして、回復と灼熱の速度は拮抗しているのだろう。


 アーガスは無言で力を込めるが、ジェイルを解放して両手になったマチルダさんの腕力に敵うはずもなく、ズズズッ、と身体ごと押し返される。

 

「マチルダさん気をつけてください。アーガスの“灼熱”は熱伝導でその剣シャベにまで高熱を伝えてきます。今すぐ鍔迫り合いをやめて離れてください」

「ご心配には及びませんよぉ。この剣シャベは私専用に作られた武器ですからねぇ。私以外は、たとえ【戦士】ですら魔力は通しませんし、断熱構造になっているんです。なんせ国王様に対魔法使い用に作って頂いた――」


 言葉を切り、マチルダさんは鍔迫り合いをそのままに、大きく後ろに仰け反った。その鼻先をサブンズの放った矢が唸りをあげてかすめていく。

 それを好機と捉えたのか、アーガスは魔剣に全体重を乗せ、


「ぬうぅぅぅ……っっ!!」一気にねじ伏せようと更なる力を込めた。


 だが、であるアーガス一人が躍起になったところで、所詮マチルダさんの敵ではなかったようだ。なにせ、先ほど強化クグツ3人がかりでも倒しきれなかったのだ。


「大切な戦斧――をちょいと使いやすくするため、知り合いに頼んでドワーフ工房に持ち込んで打ち直してもらった至極の一品ですからねぇ」 


 悪びれずそう言うと、マチルダさんは相手の力を利用してたいを入れ替えた。

 どこの王様だか知らないけど、特注品の戦斧を使いにくいという理由とかで、剣先シャベルに打ち直されたりしたら、普通なら大激怒するか、落胆するかだよなぁ。

 視界の端に、弓を構えたまま平行移動するサブンズの姿があったが、追撃はなく、トルキーノ、ボルンゴは動かなかった。

 マチルダさんが左手を離し、頬の傷に触れた。


「まあ、とりあえず、これはクグツ合戦ルール“その2”違反ですよねぇ。――それにあなた、褒められるのは『魔剣の性能』だけで、太刀筋は愚直、剣技の方はお粗末で、先の3人の方がずっとマシでしたねぇ」


 アーガスが無言で、ぎりり、と犬歯を噛む。 


「気に病むことはありませんよぉ。魔剣士の方にはよくあることですから。『魔剣』に甘んじて剣術の腕を鈍らせている方がほとんどですよぉ。昔からよく言いますねぇ、『うぬぼれ魔剣士、二流以下。魔力切れたら荷物番』って。 

 憐れなものですね。魔剣以外に魔力を同調させられないあなた方は、魔剣に頼るしかない。それゆえに他者を圧倒してしまいがちですが、そのじつ、魔剣士の魔力消耗は著しい。いくさ事には向かず、長期戦になると、適応性Aですから戦闘時間30分も保たないでしょう。クラスBではその10分の1程度……。

 おやぁ。アーガスさん、息が上がってきていますねぇ。もしかして、もう魔力切れですかぁ? 適応性Aの優秀なシーフを家族ぐるみで馬鹿にしたダビソン家の嫡男が――」


 マチルダさんが小馬鹿にしたようにアーガスの耳元で囁く。


 ――まさかBクラスなんてことはないでしょう、ねぇ?


 今やアーガスの髪は乱れ、必死の形相だ。額には大量の汗が噴き出していた。

 恥辱にまみれながらも、必死にマチルダさんを追い込もうとするが、マチルダさんがため息と同時に軽く押し返すと、それだけでアーガスとの鍔迫り合いに15cm以上の隙間が生まれていた。

 アーガスが最後の力を振り絞るように袈裟懸けに斬り込もうとするが、マチルダさんは剣シャベを肩に担ぎ直すと、冷静にヤクザキックを繰り出し、アーガスの巨体を遙か後方に蹴り飛ばした。


「が――、がはっ、ごふっ、はぁ……はぁ……はぁ……」


 二転三転としたあと、アーガスは魔剣を杖にしてヨロヨロと立ち上がった。

 アーガスの目は光を失ってはいないものの、ほんの数分前までの威厳に満ちた姿はそこにはなく、汗と泥にまみれた、俺のように小汚い姿に成り下がっていた。

 アーガスは、顔面を潰されピクリとも動かない弟には目もくれず、粗い呼吸を繰り返しながらマチルダさんの元へと歩き出す。


 俺はそろそろかなと、ジェイルの回復に向かった。


 

「お休みのところ、申し訳ありませんが起きてもらえますかぁ、魔族の方。お宅の陣営のですねぇ、アーガスさんという方がクグツ合戦の“ルール2”を破りまして、私に怪我をさせたんですよぉ。ここです、見えますかぁ? 聞いてらっしゃいます?」


 マチルダさんは横たわるロー公のそばに中腰になると、顔を近づけ、お年寄りに話しかけるようにして、ひと言ひと言ハッキリとした口調で言った。 


「誇り高きネクロマンド族の“クグツ合戦”を汚したアーガスさんを、クグツである私が責めることは致しませんが、私のマスターは大変憂慮していらっしゃいます。なにせ、初めてのクグツ合戦に水を差された感じですからねぇ。その心の痛みは種族の違いはあるとは言え、同じネクロマンサー。あなたにもよくわかることでしょう」


 ロー公はまだダメージが抜けきっていないのか、焦点の合わない目でマチルダさんを見上げると、


「アーガスは……ボクが責任を持っテ……殺しておくカラ……」

「それは当然でしょう。クグツ合戦中の私に不意打ちを食らわせて中断させたばかりか、今なお私に刃を向け続けています。これはすべてマスターであるあなたの不手際、不始末、不祥事――」


 マチルダさんが懐から一振りの短剣を取り出すと、ロー公の前に置いた。


「自害なさってください。クグツ合戦の厳粛なルールを破られたアーガスさんの責任をあなたが取ることで幕引きと致しませんか?」

「ボク……ボク……」


 ロー公がハラハラと涙をこぼしながらも、その短剣に手を伸ばした。

 アーガスがふらつきながらも灼熱の魔剣を維持し、マチルダさんの背に近づく。マチルダさんもまたそれに気づきつつもロー公から目を離さない。

 そして、お頭も腕を組んだまま口を開こうとしない。――、なぜだ? なぜ動かない?


 その後の、未来が透けて見えるシナリオに、一石が投じられる。


「兄ちゃん、『クビ』になったからって自暴自棄になることはないぜ。俺と“トーダ”が新しい就職先を見つけてやっからよ」


 虎の子の【魄】を11%も使って復活したジェイルが、粉砕骨折していた顎の調子を確かめるようにクキクキと動かしている。

 鼻血が固まった状態で顔中にこびりついているため、なんとも餓鬼臭い。


「ジェイル。マスターのことは『マスター』と呼びなさい」

「いいじゃねーか、野郎同士なんだからよ。トーダもその方がいいだろ? なぁ? 名前呼びの方がいいよなぁ?」

「……まあ、別にいいけど」


 がっちり肩を組まれ、左右に揺さぶられると頼みを拒めない俺がいる。というか、トーダって名字なんだけど……。

 マチルダさんの眉がぴくりと動き、すぐさま彼女からの応答要請がかかるが、お願いですそろそろ休ませてください。俺の心象描写を描く暇がないほどさっきから引っ切り無しじゃないですか。俺はお客様コールセンターの係員じゃないんです。

 嫁と姑に挟まれる亭主みたいなのはもういやです……ぅぅぅ。


「へっへっへっ、兄ちゃん。そういうことだからよ。クソ女のところなんて辞めちまって、ウチに来いよ。兄ちゃんなら大歓迎だ」


 歩みを止めたアーガスが虚ろな目でジェイルを見つめ返す。死体大歓迎。


「……ジェイル、離れていろ。……どうした、また母に叩かれたのか、井戸水で顔を洗ってこい。ばぁやに手当てしてもらえ」

「お、おう……」ジェイルがギョッとした感じでたじろくのがわかった。


 …………。

 チラリとマチルダさんを見る。


『どうも魔力の使いすぎで意識混濁状態にまで至ったみたいですねぇ。放っておいてもあと十秒程で白目剥いてぶっ倒れますよ』

『そうなんですか。……なんかちょっとびっくりしました』

『魔剣士は、クラスAにもなるとかなりやっかいな相手なんですけどねぇ。両手に別々の魔剣を振り回したりして……。Bクラスでは……例えば“息継ぎをしないで戦っている状態”のようなもので、すぐにへばってしまうみたいですね。ただ、その数分で事が足りるのが魔剣士の強みなんでしょうが』


 マチルダさんとの糸電話中にもアーガスは歩みを止めていなかったが、明らかに膝が笑い始めていた。そして崩れ落ちる寸前に、


「もういい、アーガス。魔剣を仕舞え」


 ため息を吐くようなお頭の言葉に、アーガスの魔剣は色を失い、自身が倒れないための“杖”と成り下がった。


「ロー。そのまま聞け。アーガスはわたしの命令に逆らい、ドルドレードに斬りかかった。これはクグツ合戦ルール2に抵触ていしょくした恐れがあるが、それは間違いだ」


 “抵触した恐れ”ですって奥さん。開いた口が塞がりませんわ。

 フルスイングでキャッチャーの後頭部狙ってきてたやん。アウトどころか永久資格停止からの――13階段だ。


「わたしの命令に逆らった時点でアーガスはクビだった。言葉にするかしないかは関係ない。――それに、ドルドレードもまたアーガスを攻撃したわけだ。彼女もまたそのことを感じ取り、私闘に走ったのだからな」

「……それは無理があるんじゃないかな、お頭」


 都合のいい解釈に、俺とマチルダさんはやれやれといった感じでため息を吐いたが、お頭は悪びれるつもりもないらしく、


「どうした、トーダ。お前の描いたシナリオだろう。面白そうだからわたしも乗ったまでだ。感謝の言葉のひとつもかけたらどうだ」

「はははん? シナリオって何のことでしょうか。うちの新人教育セミナー中に弟離れできないアーガスさんが早とちりして斬り込んできただけでしょう。勘違いも甚だしい、クグツ合戦の勝利と謝罪と賠償とアーガスさんの死体を請求しますよ」


「まあ待てよトーダ。これで予定通り、兄ちゃんとのタイマンができるようになったわけだろ。あのクソ女の気が変わらねーうちにちゃっちゃと殺ろーぜ」


 予定通りとか言ったら駄目じゃん。

 俺の提案した正統な要求を横から足蹴だいなしにしながらジェイルが俺の前に立った。


「つまり、そういうことでいいんだろ、クソ女」

「ふん……。おまえなどもう知らん。ただし、クグツ合戦の邪魔はするなよ。トーダ、お前もクグツ合戦が終わるまでこいつらには構うな。いいな?」

「さぁて、どうしようかなぁ?」


 嫌みったらしく言ってやると、お頭は「アーガス、わたしの銃を使え」と腰のホルスターを外しかけたので、俺は渋々了承した。ずるいずるい。

 お頭は代わりに胸ポケットから何かを取り出すと、アーガスに向かって投げた。

 ただ、アーガスがそれを受け取り損ない地面に落とした。


「それは餞別せんべつ代わりだ。とっとと片を付けてしまえ」


 それは小さな小瓶で、琥珀色した液体が――って、“ソーマの滴”だった。

 アーガスは膝を付き、小刻みに震える手で小瓶を拾うと、躊躇なくそれを一息に飲み込んだ。アーガスは小瓶の蓋を閉めると、それを懐にしまい、奥歯を噛み締めて立ち上がった。


「アーガス、ジェイル、やるんならわたしの視界に決して入るな。ハルドライド、こっちに来て、わたしの後ろに立て」

「あいよ」


 ハルドライドが返事をしてお頭に向かって歩き出す。

 途中、俺に向かってニヤリと笑いかけ、一体どこで知ったのか、“人差し指と中指の間に親指を入れて握った拳”を俺に見せてきた。

 ヌコヌコと出し挿れをする親指が卑猥でお下劣だったが、ハルドライドにまるで動揺した様子はなかった。仲間が殺されること、仲間がクグツにされること、自分たちの優位性が崩れかけていること。それらを気に掛けた様子はなかった。

 自分には関係のないことと捉えているか、逃走経路を確保しているか、奥の手でもあるのか、一番可能性があるのが……お頭を手込めにできる人数まで邪魔者が絞られてきたことに単純に喜んでいるかだろう。

 ジェイルがアーガスを殺し、マチルダさんがクグツ三人衆を磨り潰せばロー公はクグツ合戦敗者となり自害……。これでお頭とハルドライドと二人きりだ。


 まあ、ハルドライドには先ほど『見逃してもらった』礼もあるので“俺”は手出しはしない。俺はね。

 ただ、俺の眷属さん達が忖度そ ん た くしないかまではわからない。

 だってほら。アーガスをクグツにしたいってジェイルが我が侭言うしさ。【魄】も足りないし。仕方ないよね?

 そんなこんなで、俺もハルドライドに微笑みを返してやる。

 お前にお頭は渡さない。



「……ジェイル、来い。決着を付けるぞ」


 少し休んで魔力の切り替えがうまくいったのか、魔剣を鞘に収めたアーガスが言った。


「いいぜ、やろう! ああ、すっげー久しぶりだよなぁ、兄ちゃんとり合うのってさ。前はいつだったっけ? なんか稽古付けてもらったことがあったよな。うっわ、すっげー楽しみだ!」

「……黙って付いてこい」


 アーガスは目を伏せてお頭の前を通り過ぎると、抑揚なく弟を呼んだ。

 ジェイルはウキウキと後に続こうとしたが、突然何かを思い出したかのようにアーガスを止めた。


「あー、兄ちゃんちょっと待ってくれよ。マジ1分だけ。ちょっとやり残したことあったからよ。それ終わらせてからな!」

「…………」


 アーガスは怪訝そうな顔で振り返ったが、それを肯定と取ったのか、ジェイルは両手を合わせて照れ笑いをすると、意外にもマチルダさんのところに駆け寄っていった。

 何を言うかと気を揉んでいたら、ジェイルは“違う部活の上級生の女生徒”に話しかけるような態度で、よそよそしく、そっぽを向きながらぼそぼそと、


「よぉ、アンタ――強ぇんだな」


 剣シャベを肩に担いだマチルダさんが小首をかしげた。


「ええまあ。あなたこそ、よく最後まで意識を繋げていましたね。最後の【加震動波アレ】には少し驚きました。……それで、他に何か言いに来たんじゃないんですか? お兄さんが待っていますよ」

「あ――、まあ、なんだ。今から兄ちゃんと兄弟喧嘩すっからよ。手ぇ出さねーでくれって言いに来たのとよぉ……」


 意味もなく地面をつま先で蹴ったりと、もじもじと要領を得ないジェイルに、マチルダさんは先を促す。


「出しませんよ。あなたのお兄さんがマスターを狙うか、あなたが満足いく死を迎えるまでは、ですが。そのことについてマスターとは話し合いましたか?」

「あとでな。それよりも、まあ、さっき『クソババア』って言ったのは取り消すぜ。……ドワーフの

「…………」


 マチルダさんの頬がピクク、と動くが、俺が辛うじてフォローに入ったので鉄拳制裁は起こらなかった。

 ただ――、マチルダさんの連絡網に手を伸ばしていたため、


「とにかくよぉ、さっきの礼はさせてもらうぜ。動くなよ」  


 そのとき取ったジェイルの行動を、俺は咄嗟に止めることはできなかった。

 

 ――パシン、とジェイルのがマチルダさんの右頬の傷口を叩いていた。


 一瞬、すべての時が止まったかのようにシン、となった。

 平常心スキルが活動しているはずの俺ですら、理解が追いつかず頭の中が疑問符で一杯になっていた。


「……じゃあな。ああスッキリした。やっぱやられっぱなしってのはよ、性に合わねーからな」


 そしてそのままジェイルはスタスタと俺のところまで来ると、その右手の拳を開いて見せた。

 そこには何も無い。当然、マチルダさんの傷も治っていない。


「兄ちゃんの『灼熱』は俺が盗んでやった。もうマチルダの傷は大丈夫だろ。――まあ、ちょっとだけ強めに叩いたのは、マチルダには内緒だぜ?」


 ジェイルはゴシゴシとズボンの尻で右手のひらを拭うと、ニカッと笑った。

 戸惑うままの俺に、ジェイルは俺の背中を叩いてきた。


「じゃあな。トーダ。ただの兄弟喧嘩だ。終わるまで手ぇ出すんじゃねーぞ」


 ジェイルはそれだけ言うと、後ろ手に手を振りながらアーガスのところに駆けていった。

 “ゼッテー負けねー”とも、“勝つに決まってんだろ”とも言わずに。

 嬉しそうに。ただ楽しそうに、兄ちゃんアーガスの背を追いかけていった。



 マチルダさんからの応答要請が入る。


『魔剣による頬の傷が治り始めました。よもや魔剣による状態異常まで【盗む】事ができるとは思いませんでした。おそらく、毒矢や毒虫などによる異常も、初期ならば取り払ってくれそうですね。……実のところ、若干押され気味だったので頬の肉ごと削ぎ落とそうかと考えていたのですが、助かりましたね』

『マチルダさんから見て、ジェイルとアーガス、どちらが有利そうですか?』

『……そうですねぇ。7対3でアーガスさんでしょうか。何を使用したのかわかりませんが、アーガスさんの魔力もすでに回復されているようですし、先ほどはああは言いましたが、魔剣士というジョブはそれだけ優位性のあるジョブなんですよ』

『いやでも、ジェイルはAクラスのシーフだから……。風のナイフも持たせてありますし』

『強みはそれですね。隠し玉が幾つあるか、絡め手はあるのか……シーフは主戦力的なジョブではありませんから。ましてや、自分のスキルや手癖などを知られている相手では劣勢と言うほかありません』


 …………。


「ジェイル!」


 俺はジェイルの背に声を掛ける。

 何か気の利いた声援でも掛けてやろう。それぐらいしか俺にはできないのだから。

 兄の背を追っていたジェイルが振り返る。「何だよ、トーダ」そこには追憶で見ていた険のある表情はどこにもなかった。


「おまえ達、別に仲悪くないんだから兄弟喧嘩じゃないだろ」


 ジェイルは一瞬キョトンとして、それからブブッと吹き出した。「違いねーや」


「勝てよ!」

「ったりめーだろ! 明日の朝、3人で洗いっこしよーぜ」

「それは断る」


 串に刺さった団子、団子♪……になりかねない。たとえジェイルが勝利したとしても、今後は彼らとは距離を取らねば……。俺は身持ちが堅い。異性以外は断固拒否だ。マッスルドッキングは俺から見えないところで二人でやっててもらおう。

 つれねぇな、なんて文句垂れながらジェイルは離れていった。


「マスター」


 マチルダさんが“応答要請ではなく”、俺を呼んだ。お頭達にも聞かせるためだろう。


「そろそろ身体が疼いてきました。クグツ合戦は続行中なんですよね? なら、私の方から攻め込んでも構わないと言うことですよね?」


 俺がチラリとお頭に視線を送ると、お頭はこれ見よがしに髪を掻き上げた。……女という生き物がわからない。 


「いいですよね、お頭。ロー公先輩。再開しますよ。じゃあマチルダさん、ちゃっちゃと殺っちゃって――」

「トーダ」


 上げかけた右手に被せるように、お頭が俺を呼んだ。

 マチルダさんは戦闘態勢を維持したまま動きを止めたが、強化クグツ三人衆は先ほどと体勢が変わっていない。まあ、サブンズだけはずっとマチルダさんに矢を番えたままだったが。


「……なんですか? 『待った』は制裁金が取られるんですよ(大相撲:1998年度廃止)。あとでお頭のポッケから頂いておきますから」

「何の話だ。……まあいい、ちょうど今、ロドルクから連絡が入った」

「はぁ?! ロドルクって、お頭アンタさっきクビにしたはずでしょうが!!」


 激高する俺に、お頭は掻き上げた髪から見える耳――? に何か黒いのが付いてる……を見せつけるようにして言った。


「安心しろ。ロドルクはクビにしたし、現在我々とは無関係の存在だが、ただ友人関係が切れたとは言っていない。何せ長年同じ釜の飯を食べた仲だ。それに、解雇通告は行ったが、それに伴う違約金の支払い、成功報酬未払い金について話し合う必要がある。また再就職支援など、まだまだ事務的な話し合いは続いていくはずだ」

「なんでそこだけ妙にリアルなんだよ?! トルキーノ、ドルドラ、ボルンゴ、サブンズとかみんなアンタに殺されたんだぞ!!?」


 お頭は聞き分けのない子供を見るような目で、耳に付けている“インカム”を指でトントンと叩いて見せた。早く気づけと言うことらしい。

 ツッコミ待ちとか、このビッチめ!


「ドルドラは殉職。2階級特進で『チーフアドバイザー待遇』、功労金や弔慰金は賞恤金しょうじゅつきんとしてドルドラの遺族に支払われるが、全員死亡しているため、血縁の近い従兄弟夫婦に半額、オルドーガ刑務所に半額寄付しようかと思っている。そこの3人に関しては職務実行中だ。部外者の口出しは遠慮願おうか」

「なんでそこだけ国家警察っぽい感じになってるんだ?! もういいよ、お頭の耳のそれは何だよ!!」


 根負けして耳のそれを指摘してやる。

 お頭はやれやれやっとかといった感じで、掻き上げて見せつけていた耳元の髪を戻すと、

 

「インカム(インターコミュニケーションシステム)だ。無線中継はトランシーバーと同様だ。これと同じものをロドルクにも持たせてある。暴れているとき、声が届くような距離では破片とか飛んで危ないからな」

「ああ、そう、それで?」


 イライラ口調で先を促す。

 ロドルクの独り言はお頭と連絡取っていたって事か。……というか、お頭が今まで大人しくしていたのはロドルクが目を覚ますまで待っていたからなのか?


「ロドルクから、『アンジェリカの身柄を拘束した。不当解雇について対等な立場で話し合いをする機会を要求する』だそうだ」


 お頭はやれやれといった感じで肩をすくめて見せた。

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