第89話 ダビソン家の兄弟

 時間がないので、ロッドにはこちらから一方的に話しかけ作戦を説明した。

 一旦お頭の視界から逃れるため、崩れた民家の裏側に回らせると、トルキーノ対策にロッドはそのまま待機させた。

 必要なブツはロッドの乗っていたダダジムに直接運ばせると言うのがその内容だった。ダダジムの身体なら地下の抜け穴でも難なくダッシュで駆け抜けることが出来るだろう。

 あとは塞がった出口をバーサーカーモードでぶち破ってもらうか、遠回りになるがダダジムの案内で無難に地上に帰還するか、それはマチルダさんに一任することにする。

 

 だが、地下通路の存在がバレるリスクを負ってでも一秒でも早くこの空気をどうにかして欲しかった。


「あのまま死んでいれば、もう二度とお前のその顔を見ることはないと思っていた……。私は昔からお前のことが大嫌いだった」


 アーガスが吐き捨てるように言った。


「ん……。まあ、昔はたしかに俺は兄ちゃんにメーワクかけてたと思うぜ。俺さぁ、好き嫌い多いだろ? それで食事時に親父やら正妻サマ(アーガスの母親であり、ジェイルの母親は別宅)やらにすっげぇ怒られて大泣きしてたろ。兄ちゃんは俺が泣き止むまで俺を抱きしめて、ずっとそばにいてくれたっけな」


 ジェイルは俯き、過去を懐かしむように苦笑し、頭をかいた。

 アーガスが憮然と言い放つ。


「好き嫌いがあるだけならまだしも、叱られたことに腹を立てて癇癪を起こし、テーブルをひっくり返し、皿を投げて食事会そのものをぶちこわし、あまつさえナイフを手に父親に襲いかかろうとした――

 あの時の私は、泣き止むまでお前のそばにいたわけじゃない、暴れるお前の首を絞めて落とすまでその場にいただけだ」


 引くわー。ジェイルお前それ引くわー。

 完全に脳内変換で美談に切り替わっとるやん。


「そうだっけ?」あっけカランとジェイル。

「そうだ。父は温厚な方だったが、二度三度そういうことが続けば、お前と一緒に食事をとりたくなくなるのも当たり前だと言うことだ。お前は昔からそれが理解できず父を逆恨みばかりしていた」


 あー、とジェイルは頭をガリガリとかいた。砂がぱらぱらと落ちる。

 背後にいたハルドライドが忍び笑いを洩らす。

 ジロリとジェイル。


「何笑ってやがるハルドライド。テメェも偏食だろうが。嫌いだっつてる食いモンばっかりを目の前に出されたら、そりゃキレっだろうが! それに同じ食卓でよ、親父と正妻サマ、それに兄ちゃんの前にある料理と俺の前にある料理は中身から皿の質まで違うんだぜ。まじぃって言わせるために味も変えてたぜ」

「…………」


 アーガスの引き締まっていた口元がわずかに空くが、すぐさま閉じた。表情から察するに知らなかったことらしい。

 ハルドライドが鼻を鳴らす。


「黙って食えよ。食いたくなきゃ残せ。暴れんな妾のガキが。料理に差が出るのは当たり前だろうが。お前を使って親父が正妻に見せつけてるんだろうぜ」

「あ゛あ゛!!?? 誰がなんだって??!」


 ハルドライドに振り返ったせいでジェイルの表情は見えなかったが、耳が真っ赤に紅潮し、声質もぷっつん寸前のものだった。“妾のガキ”ってのがNGワードなのだろう。

 俺がもう少し止めるのが遅かったら確実に襲いかかっていたはずだ。


『ジェイル、こらえろ。ハルドライドはお前の暴発を狙っての発言だ。お前が暴れればクグツ合戦の“ルール違反”になる。冷静になれ』

『~~~~~~ッ。ぶっ殺してやるハルドライドの野郎。アイツとは昔っからソリが合わなかったんだ。殺してやるぶっ殺す』


 掴んでいるジェイルの連絡網がピリピリと放電しているような痛みを送ってくる。感情のバロメーター機能も付いているんだろうか。


『今は駄目だって言ってるだろ。その怒りを発散させる舞台は俺が整えてやるから、今は大人しく爪を研いでろ。あと少しだ、時間を稼げ』

『~~~~~~……。ああ、俺は冷静だぜ。すこぶる冷静だ。もうなんともねぇ。ぶっ殺す。それより、さっきした約束を覚えてんだろうな。忘れてたらこの場で大声張り上げて思い出させてやるよ。クソマスター』

『……ああ、分かってる。“アーガスをクグツにする”だろ』

『わかってりゃいいんだ。わかってりゃ……。そうすりゃ兄ちゃんとずっと一緒にいられる。ずっと……』


 俺はジェイルの感情が収まっていくのを連絡網を通じて感じていると、意外なことにそのアーガスが俺に話しかけてきた。


「トーダ。私がお前を連れ、仲間達の弔いを行ったことで、お前は墓の位置を知った。だが、ジェイルと私の関係までは知らなかったはずだ。ジェイルを選んで蘇らせたのはなぜだ?」

「どうしてその問いに俺が答えなくちゃいけないんですか?」


 つい、とお頭に視線を向けると、素知らぬ顔で辺り周辺を眺めている。アーガスが俺に話しかけていることを黙認していると言うより、無視している感じだ。


「私にとって“クグツ合戦”などは問題でも障害でもない。私とて怒りで我を忘れることすらあるのだ」


 アーガスは腰の魔剣を抜き放つと、ボッと火が灯るようにオレンジ色の灯りが刀身を輝かせた。

 どうやらアーガスは“俺が仲間達の墓荒らしをしたことと、弟の死を侮辱したこと”を理由にクグツ合戦ルール無視で俺を殺そうということらしい。

 お頭の露骨な視線そらしは、何が起こっても「え? 今何が起こったの? ごめん見てなかった聞いてなかった、だから知らないわからない関係ない」的なリアクション目的なんだろう。

 ……だからといって、馬鹿正直に答えるつもりはない。【魄】吸収時の“追憶共有スキル”を知られるのは色々とまずいのだ。


「理由は簡単ですよ。掘り起こした遺体のなかで、ジェイルだけが【シーフの指輪】を所持したままだった。もし仮に他の盗賊が指輪をはめたままで、ジェイルの指輪が回収されていたら俺は迷わず“指輪持ち”をクグツにしていたでしょうね……。二人の関係は蘇ったジェイルから聞いたんですよ。

 お頭、アーガスさんが剣を抜いていて今にも襲いかかってきそうです。気分を害するのでやめさせてください。ロー公先輩に言いつけますよ」


 敢えてお頭に話しかける。

 口元に指を添え、なにやら考え込んでいるポーズを取っていたお頭だったが、俺の呼びかけに素直に応じ、軽く手を振った。

 それでアーガスの刀身からオレンジ色の光が消える。

 やれやれと思っていると、くいくいとジェイルから応答要請が入る。あー忙しい。


『こちら良マスター、なんだ? 先に言っとくけど、指輪をはめてなかったら俺は誰も蘇らせるつもりなんてなかったんだからな』

『んなことどうでもいいんだよ。俺が蘇らせてくれって頼んだわけでもねぇんだしよ。クソマスターが俺を殺したわけでもねぇし、こうなってるのも成り行きだろ』


 ぇ。君らの感情そんなんなの? どんな風に驚いたらいいかわかんない。

 そりゃ死ぬときに「ぜってー生き返ってやる」とか思わないだろうし、恨みの念は殺した相手だろう。第三者で全くの他人である俺が、ひょいひょいひょーいと蘇らせても、ジェイルにとっては「……?」ってところなんだろう。


『俺も兄ちゃんと同じ意見だぜ。一体誰から俺たちの事聞いたんだよ。ある程度初めから俺のことも知ってた口ぶりだったしよ』

『……ふむ。それはこの危機が去ったら全部教えると約束するよ。それよりもちゃんと俺の言うことを聞いてくれたら、明日の朝一番で兄ちゃんと二人だけで全裸での水浴びを許可しよう』

『マジかよ?! ぜってーだかんな!!』  

『なに、遠慮はいらない。兄弟水入らずだ。いや水浴びなんだけどね。――っと、悪い、キャッチが入った。一旦切るぞ。時間を稼げ』

『キャッチって何――』


 ジェイルの連絡網を手放し、応答要請があったマチルダさんに繋ぐ。

 ジェイルがこっちを向き、ニヤリと笑った。こっち見んな、お頭に怪しまれるだろ。


 ちなみに、ジェイルを上手に扱うために『ちゃんと言うことを聞いていればアーガスもクグツにしてやる。そうすれば兄弟仲良くずっと一緒だ』と俺は甘言のたまった。


 ん、まあ……、アーガスまでクグツにするにはそもそも【魄】が足りないんですけどね。

 ハルドライドとロドルク、ボルンゴ、トルキーノ、サブンズ、ロー公、そしてアーガス、足りなきゃジェイルを【魄】に換えてお頭をクグツにする計画は変わってないんだけどね。

 最優先はお頭。アーガスは【魄】が貯まるまで二の次ってところで勘弁してもらおう。もしくは【傀儡転生】で安上がりでもいいかな? 嘘は言ってないし。

 とにかく、俺のクグツに田亀ホモカップルはいらない。


『もしもしマチルダさん。剣シャベは届きましたか?』

『はいこちらマチルダ。ちゃんと届きましたよ~。ありがとうございます。これで盗賊達の脳髄を穿ほじくり出せそうです。それでどうしましょうか、本気を出せば、この程度の瓦礫ならこのまま地上までぶち破れますけど』

『いや、地下通路のことはできるだけ知られたくない。お頭達が逃走経路に利用する可能性もある。それに真上には……まあ、アラゴグを装着したロッドもいるし、今はジェイルが時間を稼いでいる。あと数分は持ちこたえられそうだ。ダダジムのあとについて、でもできるだけ早く戻ってきて欲しい』

『はい、わかりました』


 マチルダさんとの通信を切る。

 あとはジェイルが会話を引き延ばして時間を稼いでくれればいい。

 一方、アーガスとジェイルの会話は続いている。お頭はそっぽを向いたままだ。


「――ならなぜ私の学友に怪我をさせた。そのことで父がどれだけの苦労をしたと思っているんだ」

「なに言ってるんだ、兄ちゃん。あんな奴らが兄ちゃんの『お友達』かよ。生徒会長だった兄ちゃんの威光や信頼を得るためにシッポ振って、それに親父に名を売って家族ぐるみで権力下に収まろうって腹で近寄ってきただけの腰巾着じゃねぇか。

 あいつら普段貧民街で何やってたのか知ってたのかよ。俺がお袋に会いに行くたびに遭遇してたぜ、『お友達』によ。暴れて壊して犯して、俺が『賊』を作ってた理由が兄ちゃんにわかるのかよ。一度も俺の言葉に耳を貸さなかったくせによ」


 『族』じゃなくて『賊』。はいここ笑うところねー。


「そんなことがあるか。彼らのジョブは“聖騎士”だぞ。彼らも私と同じ騎士道を学んでいたはずだ」

「はっ。騎士道ね。野菜売りのババアの店を壊していた騎士様に意見した、8つも年下のガキに真剣で斬りかかって半殺しにするわ、そのガキが成長して手強くなってきたら、護衛を大勢引きつれて報復までしやがった。俺の怪我が怪しいってんで正妻サマに半月地下牢に放り込まれてたときのことだ。夜中コッソリ飯を運んでくれてた兄ちゃんにはゼッテー言えねぇことだったんだよ。あんとき『言えない』って言ってた理由がこれだぜ」  

「…………馬鹿な」


 抑揚も無く、アーガスの言葉はそこで力を失う。

  

「覚えてるかよ、兄ちゃん。『お友達』を初めて俺に会わせたときのことをよ。外で散々ボコったり斬りつけたりいたぶったりしてたガキが『ダビソン家』の血筋のガキだったって知った瞬間の顔をよ」

「…………」

「ちょうど俺に【シーフ】のジョブ適性がわかって家族全員しんみりしてたときに、気を利かせようとして家に呼んだんだったよな。俺が怒るのも理解して欲しいもんだぜ。あんときは兄ちゃんの顔を立ててぶん殴り倒すだけにしたんだぜ。なんせ、俺の賊仲間は全員そいつら一味に“粛清”されたんだからよ。

 兄ちゃんはそのあとすぐ研修やら試験やら遊学やらで俺とは会わなくなっていったんだよな。それで、あの『お友達』はあのあとどうしてたと思う? ありがたいことに学校までやってきて、教師の真似事までやって俺を退学まで追い込みやがった」

「…………私は、お前が問題を起こしたとだけ聞かされていた」

「だろうぜ。それで俺は隣国の学校に入り直して――わかるよな? そこにも『陰険なお友達』は手を伸ばしてきて俺を潰そうとしやがった。金もらった教師と馬鹿みたいな同期生には色々鍛えられたんだぜ。まあ、俺は【シーフ】としては優秀だったし、これでも我慢してたんだぜ。……お袋が死んだと聞かされるまではよ」


 アーガスが何かを飲み込むように喉を鳴らし、言葉を探した。


「ジャスフィーヌ様は病気で亡くなられたと聞いている。葬儀には父も私も参列した。……お前は卒業試験を控えていた」

「病気じゃねーよ。お袋は毒を飲まされて死んだ」


 ジェイルの呟くように言った言葉が闇に融け染みこむ。


「ジェイル。ジャスフィーヌ様は長い間ご病気だったと聞いていた。あのとき、お前にも医者の死亡診断書をみせただろう」

「兄ちゃん。“聞いていた”“聞かされていた”って誰にだよ。親父と正妻サマにだろ? 俺はよ、お袋の姉貴からお袋の死を知らされたんだぜ。お袋んところにはメイドもいたはずなのにだ。俺はすぐに寮を飛び出して一週間掛けて国境を越えて、それでお袋の住んでた近所に聞き込みに回ったんだよ。死ぬ直前までずっと元気だったって聞いたぜ。手紙でも具合が悪いなんて書いてなかった。それに――死ぬ直前に親父を乗せた馬車が近くに停まっていたって聞いたぜ」

「馬鹿を言うな!! そんなことがあるか! ジャスフィーヌ様はご病気だったんだ!!」


 珍しくアーガスが語気を荒げた。

 反対にジェイルは物静かな口調だった。


「だから、それをハッキリさせるために死亡診断書を書いた医者のところに持っていったんだよ。あのクソ医者、鼻と耳を削ぎ落としてやったら、ぺらぺらぺらぺら話し出してよ。

 結局、医者が処方した堕胎薬を致死量まで濃くして、眠り薬で眠らせたお袋に親父が飲ませやがった――」


「違う。ジャスフィーヌ様に堕胎薬を飲ませたのは、私だ」


 そうアーガスが告白した。


「ジャスフィーヌ様が懐妊されていることは知っていた。だがダビソン家に、もうお前のような人間が存在してはいけないんだ。

 ……お前が怪我をする度、父に告げ口していたのは私だ。おまえの言うとおりだ。私は学友の行為を知っておきながら黙認していた。お前が傷つくのを知っていて知らないフリをしていた。私はお前が大嫌いだからだ!」


 アーガスが吐き出すように言い放つと同時に、ジェイルが笑い出した。


「くくく、ふひひひひ、あはははははははははは!!!」

「ついに狂ったのかよ、ジェイルよぉ」

「うるせぇよ、クソ野郎。見ろよクソマスター!! これが俺の兄ちゃんだ! いいかゼッテークグツにしてもらうからな! 約束守れよな、クソマスター!!」


 ジェイルは泣き笑いの顔で、しかしその顔を隠すことなくアーガスに向き直った。


「だから兄ちゃん、俺は医者を半殺しにして全部聞いたんだってよ。お袋のよ、第一発見者は兄ちゃんだったんだろ? 大声で近所から人を集めて、医者を呼んで助けてくれようとしてたんだろ?」

「……私は」


 アーガスの目が泳ぎ、お頭に縋り付くが、見上げられる瞳から目を逸らすように視線をそらせた。


「お袋の手紙にも書いてあったんだぜ。妊娠のことも、俺がいない間、兄ちゃんがお袋の様子を見に行ってくれたり、お袋に良くしてくれるよう周辺の住民に援助してくれてたりしてたんだよな。さすが俺の兄ちゃんだぜ」    

「――まれ……」

「兄ちゃんは俺の最高の――」


「黙れ! 黙れっ!! 黙れッッ!!!!」


 場を一喝するが如く、アーガスは声を荒げた。 


「それで、ダビソン家に報復するためにお前は『賊』を名乗り、家名を貶めるため罪もない人々を殺して回ったのか!!」


 あれあれ? どの口が言うのですか?


「……罪はなくねぇよ。兄ちゃん以外は俺の敵だ。親父にも、正妻サマにも俺と同じ気持ちを味わわせなきゃ、俺の気が済まなかったんだよ!!」

「……お前に、私の気持ちがわかるものか」


 絞り出すようにアーガス。握られた拳は剣の柄を砕かんばかりだ。


「兄ちゃんにも俺の気持ちは理解できねぇよ。俺ですら俺の気持ちに整理付いてねーんだからよ。だからだろ? 兄ちゃんがダビソン家を出てそのクソ女のところに――」

「もういい」


 それはアーガスではなく、お頭の声だった。


「大の男が女の頭越しに、家がどうだ親がどうだと叫ぶな。やかましい」

「あ゛あ゛?! クソ女が俺と兄ちゃんの会話の間に入ってくんじゃねーよ。静かになりたきゃ、来いよ、両耳を削ぎ落としてやるぜ!」


 ジェイルが敵意剥き出しで風のナイフを抜き放ち、刃先をお頭に向けた。

 そんなジェイルをお頭はつまらないものでも見るかのように一瞥し、俺に視線を向けてきた。


「で、トーダ。『アーガスをクグツにする』と豪語したはいいが、一体どうやってクグツにするつもりだ? ルール上、わたしたちはおまえ達に危害を加えない。おまえ達もわたしたちに危害を加えない。そうだったはずだ。

 ははぁ。そうかそうか。なるほどなるほど、クグツ合戦で勝利し、相手にひとつだけ言うことを聞かせることができるのだったな。つまり、アーガスの死がトーダの望みというわけか。それ以外にアーガスをクグツ化させることはできないのだからな」

「…………」


 お頭は腕を組んだまま、大げさに頷いてみせた。

 さてはこの女、またろくでもないこと考え出したな。

  

「だが、面白くはないな。アーガスはわたしの右腕と言ってもいい存在だ。今後この先、右腕のない生活など考えられないだろう。それに、アーガス」

「はい」


 名を呼ばれ、目を閉じたままのアーガスが返事をする。 


「【魔剣士】としてただで殺されるわけにはいかないだろう。それに、兄として弟の愚行を正すこともまた……いや、ここはお灸を据えるというやつか?

 くくく、どうだジェイル。大好きな兄貴を自らの手で殺してみたいとは思わないか? そうすれば死体が残り、後腐れなくアーガスをクグツにできるぞ」

「たまにはいいこと言うじゃねーか、クソ女。初めて意見があったな。ようするに、テメェは兄ちゃんと俺を今から殺し合わせようってんだろ。

 いいじゃねぇか! 兄ちゃんの命は俺のもんだ。誰にも殺させはしねぇ、俺が殺すんだよ! なぁ! クソマスター!!」

「…………」


 俺は無言でお頭を見つめ返す。

 うっすらと笑みの浮かんだ唇がクソを垂れ流す。


「そういうことだ。ドルドレードもドレスアップに手間取っているのかまだのようだからな。――ただし、こちらからの条件は『タッグマッチ』だ。こちらからはアーガスとハルドライドを出す。トーダ、おまえ達側からはジェイルとあのガキをエントリーさせろ。それが条件だ」


 なぜ勝手に条件を付けてくる? めちゃくちゃ不利やんけ。乗ると思うかクソ女。


「断る」


 俺はきっぱり言った。文頭に“だが、”を付けなかった俺は大人で偉い。


「ほう? わたしのさじ加減ひとつで戦況は変わる。今この場でアーガスを死霊の槍でクグツ化しても構わないのだぞ?」

「あ゛あ゛!!?? そんなことしてみろ、兄ちゃんぶっ殺す前にテメェをぶっ殺してやる!!」


 犬歯を剥き出して吼えるジェイルを俺は手を上げて止めた。


「ジェイル、黙っていろ。……勝手にすればいいだろ。そんなのおまえ達の勝手だ。ついでにハルドライドも死霊の槍でぶっさしたらどうだ。それに、もうマチルダさんは化粧直しを終えて戻ってきたみたいだからな」


 俺は立てた親指を格好良く背中越しに後ろに向けた。


「遅れてすみませんマスター。ちょっとうちによって着替えてきたんですよぉ。さすがにマスターの前で裸で戦うわけにもいきませんからねぇ」


 剣先シャベルを肩に担いだマチルダさんが口元に手を当てて、ふふふ、なんて笑いながら歩いてくる。

 マチルダさんの格好はガチガチの鎧姿ではないものの、少なくとも先ほどまでの仕事着ではなく、戦うことを意識した軽武装だった。


 サブンズ、ボルンゴ、トルキーノも今気がついたかのように一斉にマチルダさんの方に振り返った。

 なんて猿芝居。

 あんたらもお頭もマチルダさんを発見したから、あんな話をし出したんだろうが。少しでも俺がマチルダさんに気づくのを遅らせようとして、動揺を誘う話をしやがって。

 でも、残念でした。ジェイルはDQNだけど暴走はしないし、マチルダさんには連絡網で筒抜けでした。

 お頭が鼻息を洩らすのを見て、俺は内心ほくそ笑む。


 アーガスとジェイルが言い合っているときに、こっちは『私今ですねぇ、服が破れておっぱい丸出しですけどマスターは構いませんか?』とか熟女系垂涎の胸アツエロ話してたんだぜ。

 絶対にNOノゥ! とか言って自宅で着替えさせたけどな。ほら俺って紳士だから。紳士と言う名の――


 お頭がジロリと俺を見た。

 ――ネクロマンサーだから。眷属の身だしなみにも気を配る良マスターだから。


「はてさて、あのガキが運んでいたシャベルが、いつの間にかドルドレードの手に渡っているとはな。しかもガキが向かっていった場所とは別の方向からだ」

「どこにでもある普通のシャベルじゃないですか?」

「射て、サブンズ」


 言葉と同時に、サブンズが矢を放った。

 当然警戒していたのか、マチルダさんが剣シャベを一閃させると、ガイィン! と甲高い音が辺りに響き渡る。  

 

「ふん。どこがどこにでもあるシャベルだ。大樹をも貫通させる強化弓術士の一矢を真正面から弾き返すことができるシャベルがどこにある」

「は、ははは。それでこそロドルクを退けてまで運んだ甲斐があったというものですよ」


 サブンズ、トルキーノ、ボルンゴが距離を置きつつもマチルダさんを囲み、円を描くように動き出す。お前ら惑星か。そんでもってマチルダさんは太陽か。 

 そのマチルダさんはサブンズ達へと向かうでもなく、真っ直ぐに俺に向かって歩を進めている。そして今、ただ一瞥もなくロー公の前を通り過ぎた。

 お頭も何も言わず、腕を組みジッと近づいてくるマチルダさんを見つめている。

 

 おおよそ俺から10数メートルの位置でマチルダさんは歩みを止めた。

 てっきりもっと俺の近くまでやってくるのかと思いきや、マチルダさんの目的はジェイルの方にあったみたいだった。

 マチルダさんはジェイルのそばに立つと、肩に担いだ剣シャベをそのままに、にこにこと微笑みかけた。


「ははぁ。確かに先日見た顔ですねぇ。あなたが――ジェイルですか。私はマチルダと言います。よろしくお願いしますね」


 そして年長者らしく、マチルダさんからスッと左手を出した。

 こんな臨戦状態のなかで内輪で握手とかしている場合でもないだろと思いつつ、クグツ同士でも初めの挨拶は大事なのかもと思い直したり、いやまて、なにか重要なことを忘れてなかったっけか?

 とにかく、ここでがっちりと握手を交わし、お頭達を協力して成敗してもらいたい。格さん、飛び猿、やぁっておしまいなさい!

 昨日の敵は今日の友! ってやつだな。うむうむ。


 目の前に立つマチルダさんを不躾ぶしつけにじろじろと眺めていたジェイルだったが、顎をしゃくり、小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、


「へっ、昨日俺たちの前にしゃしゃり出てきたドワーフ女だな。アンタがマチルダかよ。一応覚えとくぜ。ああ思い出した。確かアンタ、クソ女を拘束したまではよかったものの偽モンのダイナマイトに騙されて頭吹っ飛ばされて『思慮の浅いババア』――」

「ジェ――」


 あまりにひどい言い様にひと言叱りつけようと口を開きかけた俺だったが、次の瞬間、その舌が凍りついた。

 マチルダさんは差しだした左手をさらに伸ばし、ジェイルの顔面を掴んでいたのだ。


「あらぁ。この私のことを『ババア』呼ばわりとは失礼ですよねぇ。これでも私はまだ60前なんですよぉ」

「ぐぅあぁ!! 何しやがる、クソババア!! 十分すぎるほどババアじゃねーか!!」


 メキメキメキメキ……ッッ!

 マチルダさんの握力がどれくらいあるのかはわからないが、アイアンクローをされているジェイルの顔面の骨が軋む音が聞こえてきた。

 ジェイルも必死にその左手を外そうとするが、両手で掴んだところで全くビクともしなかった。


「ドワーフ族は人族の寿命のおおよそ2倍以上はありますからねぇ。ですから、クソババアはないでしょう。ふふふ、それに年長者には敬意を払って頂かないといけませんと、ねぇ?」

「っざっけんな、クソババア!! 誰がテメェなんかにぐぎぁぁぁぁっ!!」


 メ キ メ キ メ キ メ キ ……ッッ!

 マチルダさんはさらに力を込めたのか、左手を引き寄せ、ジェイルを跪かせた。

 骨が軋む音がいっそう生々しく聞こえ、ジェイルは狂ったようにマチルダさんの左手に爪を立てている。


 お頭は今まで見せなかったような驚いた顔をしていて、アーガスも口をあんぐり開けたまま硬直している。ハルドライドは痛そうに顔をしかめていた。

 一応、俺は平常心スキルのおかげで今すぐ止めに入ることができる状態なのだが、これはマチルダさんの心理的戦略の一環であることには疑う余地もない。


 ……遙か遠くの方で、ロッドがダダジムを振り回しながら、めちゃくちゃ楽しそうにダンスをしていた。うんうん、わかるわかる。

 ふと頭の片隅に、江戸の仇を長崎が討つ、なんて言葉が浮かんだ。


 なので、俺はもう少しだけ静観することに決めた。

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