第80話 火花

 カッコイイ決めゼリフのあと、大剣を肩に担いだマチルダさんがずい、と前に出た。

 マチルダさんの身長はおよそ160cm前後だったが、種族がドワーフであるためか、それぞれのパーツが野太く造られている感じがして、実際よりも大きく見えた。

 村長の追憶で見たマチルダさんは髪を後ろに束ねていたが、今はその紐が外れ、もっさりとした黒髪が風になびいている。

 薄く開かれた口元からは呼気が音を立てて漏れ始め、髪の隙間から見えた目元は細まり、異様に鋭く熱くなっていく。


「グルグルグギャガヤァォォォォ!!」

「近所迷惑な、うるさいワンちゃんですねぇ。飼い犬が先か、飼い主が先か。いっそ両方潰して地面に埋めてしまえば静かになっていいんですけど。ねぇ、マスター?」


 だるそうに髪を掻き上げながらそう俺に伺いを立てるも、マチルダさんはまったく俺の目など見ていない。

 住民が死に絶えた村で、その元凶を前に、はらわたが煮えくりかえっているのだ。

 マチルダさんは8匹ものダダジムグールに囲まれながらも、一定の速度でロー公に近づいていった。そこに恐れはなく、大剣を持つ手は柔らかく、強ばりはなかった。

 二人の間合いはまだ少し遠い。だが、ダダジムグールの輪は徐々に狭まりつつあった。


 状況を鑑み、一抹の不安に駆られる。


 ロー公の両手には果蜜酒の入った水差しとコップがあった。脇に挟んだ【死霊の槍】を手にするにはそれらをどうにかするしかないだろう。ロー公は困ったように俺を見つめてくる。

 マチルダさんがそろそろ【死霊の槍】の間合いに入る。


「マチルダさん、停まって。ロー公先輩とは少し話したい」

「わかりました。マスター」


 にっこり笑って歩みを止めるマチルダさん。

 ただし、ロー公に駆け寄る俺のわずか2歩後ろをぴったりと追従してくる。

 俺はロー公の正面に立った。その真後ろ10メートルで、銃を構えているお頭連中からの弾よけの位置だ。

 俺はロー公に愛想を振りまいた。

 

「わー、うれしいな。それって村長さんのところにあった果蜜酒でしょう。持ってきてくれたと言うことは、お頭に許可は取ったんですよね?」

「ウーン……ウウン。デモ、トーダに飲ませてあげようと思って、お頭に秘密で持ってきましター。テシシシシシシッ!」


 でしょうね。本人10メートル後ろで銃口向けてますがな。


「……ありがとうございます。じゃあ、さっそく飲ませてもらおうかな」

「ウン。今、コップについであげるヨー」


 ロー公が水差しの果蜜酒をコップにつぎだした。琥珀色の液体が勢いよくコップに注がれ、それに合わせて「鑑識オン」と呟く。

 ……【果蜜酒】と出た。毒は入っていないようだ。入ってても平気だろうけど、一応調べておかないと、中身が実はおしっこだったら大惨事だ。


「マスター。それを口にすべきではありません」


 マチルダさんがきっぱりと言った。ロー公はそれが聞こえなかったかのように果蜜酒を注いでいる。


「大丈夫ですよ、マチルダさん。ロー公先輩は俺害意を持ってはいないから。ああ、そうか。二人は初対面じゃないけど、初顔合わせだったよね。こちら、ネクロマンサーのロー公先輩。脇に挟んでいるのが【死霊の槍】で、こいつで心臓を刺されると、生きてても死んでても誰でも“クグツ”にできるんだよね、ロー公先輩」

「ウン! ハジメマシテー。ロー・ランタンデス。すごいヨー、トーダのクグツはしゃべることができるんだネー。ボク、大感激だヨー」

「…………」


 ロー公が目をキラキラさせ、マチルダさん……ではなく、俺を見つめてくるが、マチルダさんからは応答はなかった。

 俺も敢えて振り返ったり言及したりはせずに、今度はマチルダさんを紹介することにした。


 ――が、


「ロー、2歩右に動け」

「ハーイ」


 お頭の命令にロー公が2歩右に動き、バァンバァン! と銃声がなり、俺も慌てて右に2歩動いた。完全に遅かったわけだが。

 次の瞬間、ガシャンと、ロー公の持っていた水差しが地面に落ちて割れた。


 ロー公は、右手に果蜜酒がなみなみ注がれたコップを持ち、左手に【死霊の槍】を持って、背後から俺を撃ったお頭の銃弾をその槍で弾いていた。

 なお、マチルダさんは俺の背後から大剣を伸ばし、射撃線上をしっかり防いでくれていた。

 俺はマチルダさんに見えるように親指を立てた。


「お頭ー、トーダを撃っちゃ駄目でショー」


 ロー公が死霊の槍をぶんぶん振り回しながら振り向き、眉間に皺を寄せて舌打ちしているお頭に向けて言った。


「悪い悪い、銃弾2発が重くてな。軽くしたくて、つい指が触れてしまった」

「モー、気をつけてヨー」


 そんなわけあるか、と突っ込みたいが、ややこしくなるので無視することにした。

 お頭はそばにいる盗賊たちに小さく何かを伝えながら拳銃から空になった薬莢を排出し、ポケットから取りだした弾丸を次々にシリンダーに詰め始めた。


「あの魔族、なかなかやりますねぇ……」


 心なしか嬉しそうな声とともに俺の胸元を覆っていた大剣が引っ込む。


「周囲にいる8体のダダジムグール、同時に相手できますか? 早めに潰しておきたいんです」


 ロー公に聞こえないように、小声でマチルダさんに伝える。

 マチルダさんは、スッと俺の隣まで歩み来ると、こう耳元で囁いた。少しくすぐったい。


「ええ。今すぐにでも片付けられますよぉ。マスターにお借りしたこの大剣の試し斬りにちょうどいいですかねぇ。

 ――ところで、前方にいる盗賊を、ついでに皆殺しにしても構いませんでしょうか?」


 俺はマチルダさんの目を見た。

 マチルダさんは自信たっぷりでウインクをしてくる。


「ただ、あの魔族は少しばかり手こずるかも知れませんが、殺せます。まずは頭領であるあの女の首を素早く刎ねて御覧に入れましょう」  


 俺はかぶりを振った。


「乱戦になるのは避けたい。ダダジムグール優先で。――それに、目の前のロー公とお頭は生け捕りにしたい。俺が流れと場を作る。マチルダさんはそれに沿ってくれ。まずはロッドの治療をする時間が欲しい。とりあえず、周りのこいつらを片付けるのが先だ」

「マスターのなさりたいように。私はあなたのクグツですから」


 マチルダさんがスッと離れた。

 俺は懐に手を入れると、ハンカチに包まれていた“魅毒花”の一部を千切った。


「ロー公先輩、俺はもう疲れて1歩も動けません。早く果蜜酒を飲ませてください」


 ロー公はパァァッと明るい表情になると、駆け寄ってきて俺にコップを差しだした。


「ウン! 飲んで飲んで! 早く元気になってネ、トーダ」


 俺は受け取った果蜜酒のコップをお頭に向けて、微かに掲げてみせると、お頭は目元をぴくくっと痙攣させた。愉快な気分のまま、ぐぃっと半分ほど一気に飲んだ。

 喉の奥がキューッとして栄養が腹に染みこんでいくような感じがした。

 思わず息を吐く。


「さすがロー公先輩の入れてくれた果蜜酒ですね、最高ののどごしです。話し合いの前に、是非、お頭にも飲んでもらいたい。ささっ、ロー公先輩、残り半分をお頭に届けてあげてください。この村で最後の果蜜酒です。たかだか銃弾2発が重いと感じるくらいですから、死ね――じゃなかった、死ぬほど疲れているのでしょう」

「気遣い無用だ。トーダ、クグツを置いてここまで来い」


 お頭が抑揚の無い声で俺を呼ぶ。目が据わっている。


「ロー公先輩。果蜜酒をお頭に飲ませてあげてください。そうしたら俺ひとりでお頭のところまで歩いて行くと誓います」

「わかったヨー」


 ロー公がコップを手にニコニコ顔でお頭の元へと駆けていく。

 途中、おもむろにお頭が口を開いた。


「ロー、目を閉じろ」

「ウン!」


 ――ヒュン、バシンと、風切り音がして、気がつけば折れた矢が1本、地面に転がっていた。

 どうやら屋根の上に潜んでいたらしいサブンズの放った矢が、マチルダさんによって叩き落とされたようだ。

 屋根の上のサブンズがサッと身を隠すのが辛うじて見えた。


「ロー公先輩、サブンズさんが今俺に向かって矢を放ってきました。危うく死ぬところでした」


 屋根の方を指さしながら、さらっと通報しておく。


「エエー!? トーダ、大丈夫だっタ? 怪我してナイ? ヨーシ、サブンズは今すぐぶっ殺しておくヨー」


 サブンズは身を潜めているものの、ロー公は見当を付けているのか、【死霊の槍】を逆手に構えると、槍投げの体勢になった。


「ロー、勘違いをするな。サブンズが狙ったのはそっちのクグツの方だ。サブンズがトーダを狙うわけないだろう」

「ソーナノ?」

「…………ロー公先輩、お頭に早く果蜜酒を。どうやら眼精疲労で自分の都合のよいモノしか見えなくなっているみたいです。もっとも妄想癖や老眼である可能性も否定できませんが」

「…………」

「ハーイ。お頭ー、オマチドオサマー」


 給仕係のロー公が、恐い顔のお頭に果蜜酒の入ったコップを渡す。

 俺はとびっきりの笑顔で言った。


「お頭。俺たち色々あったけど、それを飲んで仲直りしよう。水に流すじゃないけど、一気に喉に流し込むとすべてが丸く解決するから。絶対絶対、約束するから!」


 もっとも、魅毒花の水泡を指で潰して仕込んであるんでけどね。そ~れ“エジャ”さんの、ちょっといいとこ見てみたい、それ一気一気。 

 

「…………ほぅ」


 お頭は手にした果蜜酒のコップを一瞥すると、目元をまたぴくりとさせた。


「いい度胸だ、トーダ。お爺さまからの通達で『おまえ達二人を客人として迎え入れよ』という話だった。だが、気が変わった。お爺さまにはおまえ達は無駄な抵抗して死んだと報告しよう」


 ガシャン、とお頭は地面にコップを叩き付けると、その欠片を踏みつけた。


「ロー公先輩こっちへ」


 俺は、割れたコップを見下ろしてしょんぼりしているロー公を手招きして呼んだ。ロー公はパッと顔を上げると、トテテテテテっと駆け寄ってきた。

 ロー公のことだから、固めの杯のように二人が仲良くなれるとでも思っていたのだろう。

 俺としても是非とも飲んで欲しかったのだが。いやはや残念至極。


「ロー、トーダをひっ捕まえて連れて来い」


 お頭が強硬手段を言いつける。

 だが、俺は先んじてロー公の【死霊の槍】を持っていない左手を掴んでいた。

 

「トー……?」

「俺のクグツの自己紹介がまだでしたね。ロー公先輩が見届け人になったおかげで、立派なクグツを甦らせることができました。名前は生前からそのままで、マチルダさんです。マチルダさん、そこで待ってて」

「はい」


 俺は強引にロー公の手を引くと、マチルダさんを残し、5,6歩と後ろに下がった。

 離れる俺たちに反応し、詰め寄ろうとするお頭たち。

 そこにマチルダさんは立ちはだかると大剣をブン、と一振りした。それが牽制になったのか、お頭たちは間を詰められないでいる。

 マチルダさんがお頭に向け、どのような感情を貌にしているのか、後ろ姿からでは窺い知ることはできない。

 お頭がイライラした声で言った。


「ロー! 何をしている。さっさとトーダを連れて来ないか! そこの“死に損ない”は猿どもにさっさと始末させろ。目障りだ」

「ウ、ウン。……トーダ。あのクグツを殺しちゃってもイイ?」


 俺に手首を掴まれているせいか、ロー公の半身はお頭を向きながら後ろ向きで俺に続いている。

 ロー公が俺の機嫌を伺うような眼差しで見つめてきた。


「それ、面白いですね。是非やりましょう。ロー公先輩のクグツと俺のクグツ、どっちが強いか戦わせてみましょうか」


 ロー公の目が丸くなるのがわかった。

 もとよりそれが目的なのですよ。ダダジムグールを潰せば、脅威の減少、索敵被害の減少、それに立体軌道戦士ダダジムからSUV+へ併用活用、あとは――お頭側の逃走確率の減少。

 色々とメリットがある。


「それじゃ始めますよ。準備はいいですよね、1,2の3。『マチルダさん、ダダジムグールを殲滅してください。あ、頭部は使うので極力潰さないでね』」

  

 俺はフライング気味にマチルダさんに命令を与えた。


「かしこまりましたぁ」


 大衆食堂の女将のような伸びのある声が返ってくる。

 ズシン、とマチルダさんが震脚の如く強く足を踏みならし、その振動で身体が揺らいだかと思った――その瞬間、大剣が唸りを上げ、近くにいたダダジムグールの首が同時に3つ飛んだ。


「ロー公先輩も、早く命令を与えないと」


 マチルダさんは鬼神の如く次々にダダジムグールに襲いかかると、見てるこちらが舌を巻くほどの手際の良さで、首を撥ね、脚を切り落とし、頸部を踏みつぶしていく。


 バァンバァン!

 お頭が撃った2発の弾丸を、マチルダさんはダダジムグールを引っ掴んで盾にして防ぐと、そのままジタバタしているダダジムグールの頭部をぐしゃりと握りつぶした――ちょっと、頭部は潰さないで。

 マチルダさんはそのダダジムグールの屍体をお頭めがけて投げつけた。アーガスがお頭を庇って屍体を受けるが、勢いを殺しきれずによろめいた。

 

「『かかれ』」


 ロー公がようやく命令を下した。

 だが、もう残り3匹だった。俺はロー公の顔を見た。俺の思惑通り、ロー公はキラッキラな目をしていて、俺がロー公の左手首を掴んでいなければ飛び入り参加をしていただろう。

 サブンズが屋根の上に現れたかと思うと、マチルダさんに向かって次々と矢を放つ。


「おおおおおぉぉぉぉぉ!!!」


 ドルドラ、それにボルンゴがそれぞれの武器を手に飛び出してくるのが見えた。


「ロー公先輩、話があります。こっちへ。『マチルダさん、【シーフ】がいるので指輪を奪われないように気をつけてください』」

「はぃな。ふふっ……」


 背後に回って飛びかかってきたダダジムグールの首を、わかってますよと言わんばかりに斬り飛ばしながら、マチルダさんが親指を立てて見せた。

 マチルダさんとダダジムグールとの結果ならもう目に見えていた。少なくともマチルダさんの実力はアドニスと同等か、それ以上だ。

 脅威だった銃弾も防ぐ方法がある以上、素人の俺からはなにもアドバイスすることはない。


 俺はロー公の手を引っ張って、ロッドのそばにやってきた。

 ロッドはもう泣き止んでいて、肩に刺さった矢の痛みに歯を食いしばって耐えていた。そのそばにはロッドを乗せて運んできたダダジムが1匹待機していた。


「このペットもこのクグツも俺のですから、勝手に殺さないでください。いいですか、約束ですよ」


 きつめの口調でロー公に迫った。


「ウン、ボクは殺さないヨー。トーダ、話ってナニ?」


 俺はロッドの隣に立て膝を着くと、ロッドの矢傷に左手を当てた。

 後ろからは剣戟の音が聞こえ始めていた。


「まずはこのクグツの傷を治してからです。……せっかく作った俺のクグツを虐めるなんて、ロー公先輩、あとでサブンズさんを懲らしめておいてくださいね」

「ウン! とっちめてやるゾー」


 …………。


「いえ。やはり暴力は良くないですね。サブンズさんの使ってる弓をへし折るくらいでいいですよ。二度と使えないぐらいに」

「へし折るヨー」


 しめしめ。弓術士の脅威は遠距離からの狙撃だから、今ある弓を壊してしまえば役立たずになるはずだ。

 ブンブンと槍を振るうロー公を尻目に、俺は【魄】の転用を開始した。


「ぅ……ギギギギ……っっ」


 【魄】8%を使ってロッドの傷を治した。これで残りは92%か。でもまあ、あっちにはマチルダさんが殺り散らかしたダダジムグールの死体が転がっている。

 全部終わったら回収することにしよう。


「ブロブ。笛になってくれ。ダダジムにアンジェリカのことを伝えておきたい」


 俺がそう言うと、ブロブは再び笛の形になった。

 ロー公が「ほぇ~」と見つめてくるのを無視して、ぴぃぃぃぃぃっ、と吹いた。

 それで伝わったのか、ダダジムはむっくりと起き上がったロッドを無理矢理背中に乗せると、アンジェリカのいる民家とは別の方角へと走り出した。

 ロッドがこちらを振り向いて何か言いたそうにしたが、前もって決めておいた合図を送ると、それで納得したのか走って行った。

 俺はそれを見送ると、ロー公に向き直り、そして言った。


「ロー公先輩。どうですか、ネクロマンサー同士、俺と“クグツ合戦”をしてみませんか?」




 ロー公との簡単な打ち合わせの後、俺たちは大急ぎで現場に戻った。

 剣戟の音は、今や最高潮に達していた。

 そこはもう何人いるのかわからないほどの乱戦状態だった。


 耳をつんざく金属の悲鳴。一太刀ごとに火花が爆ぜ、命を刈り取る灯火に剣戟が舞い踊る。

 その刹那の火花に照らされて、マチルダさんは白い歯を剥き出して笑っていた。


 ボルンゴの槍が唸りを上げて真天から打ち落とされ、地面から土飛沫ごと跳ね返った矛先が、そのしなりをもってマチルダさんに襲いかかる――その高速不可視の矛先を身体の軸を捻ることで、微かに頬を掠めるに留めた。

 たいが入れ替わり、ドルドラが巨大ハンマーのフルスイングにマチルダさんの髪が横になびく。まるでドルドラの巨躯に身体を預けるように左へ死角へとマチルダさんは身体を回転させる。

 そしてその先で待ち受けていたハルドライドと、再度剣に魂をぶつけるが如く、斬り結ぶのだ。


 金属と金属がぶつかり合う不協和音は、次第に激しさを増し、皆がみな、この刹那の火花に魅せられたかのように狂い出す。


 ある者は興奮のあまり雄叫びを上げ、ある者は失った片目から痛みを引きずり出そうとし、ある者は矢を射る手を止め呼吸を乱し、ある者は我も参戦すると柄に手を伸ばし、ある者は――天に銃弾を放った。

 

 その一発の銃声が、その場にいた全員を正気に戻した。


「ドルドラ、一旦下がれ! サブンズ、ちゃんと狙え! アーガス、この場を動くな! ……何が可笑しい、トーダ!」


 お頭が俺に銃を向けるのが見えた。

 反射的に身を躱そうと俺は動くが、当然、銃声の方が早かった。

 あ。と思ったが、ロー公の脇の間から見えたのは、マチルダさんに蹴り飛ばされたダダジムグールの屍体をまともに受けてひっくり返っているお頭の姿だった。


 そこでようやく、すべてのダダジムグールが地に伏して死んでいるのに気がついた。

 これでいつでも作戦を開始できる――が、今この場でマチルダさんに新しい指示を与えるのは難しいように思えた。今やサブンズも加わり、屋根の上から何度も矢を射ていた。


 ただ、状況こそ不利だがマチルダさんがこのままやられてしまうかというと、俺にはなぜかそう思えなかった。

 いや、むしろ、3人……4人がかりで一気に押し込めていない現状がそれを物語っていた。


 盗賊側の連携のとれない原因は、頭に血が上っているドルドラの巨大ハンマーにあるのだろう。

 ハンマーでの攻撃パターンは単調で、素人の俺から見ても『振りかぶっての打ち下ろし』と『右からのフルスイング』のこの2パターンだけだ。

 マチルダさんはこの攻撃の単調さを逆手に、ドルドラ自身を利用していた。つまり、“壁役”として扱っていたのだ。

 

 マチルダさんはドルドラと背中合わせになるような位置を常にキープしていた。傍目から見ると、ドルドラと組んでハルドライドとボルンゴと戦っているとさえ見える構図だった。

 巨大ハンマーのフルスイングを見事な脚捌きで、安全地帯であるドルドラの背後に回る。すると、正面にいたハルドライドがそのハンマーを避けるために下がらざるをえず、ボルンゴもまた、標的がぴったりとドルドラに貼り付いているものだから、槍の一刺しが躱されでもしたら、そのままドルドラを傷つけることになりかねないのだ。

 いや、実際ボルンゴの槍は何度かドルドラを傷つけていて、槍先に付いた血はまさにそれだろう。だからそれに気づいたお頭がドルドラを下げようとした。しかし、傷を負い、痛みと怒りに我を忘れているドルドラにはもはや誰の言葉も届かない。


「んぎぃぃぃぃ!! 当たれぇぇぇ!! ふんぐぅぅぅぅ!! もぉぉ、逃げんなよぉぉぉ!!」


 ドルドラ渾身の一撃をするりと躱すマチルダさん。

 

「ドルドラ! オメー、お頭の言うこと聞いて下がれよ! すげー邪魔なんだよ!」

「そうだ! 下がれドルドラ! おまえに当たっちまうんだよ!」


 ハルドライド、それにサブンズが口々に言うが、ドルドラは聞く耳を持たないどころか、顔を真っ赤にさせながらますますハンマーを激しく振り回す。

 そんなやりとりが可笑しいのか、マチルダさんはクスクスと笑い出す。


「あきれたものですねぇ。戦士ともあろう者が武器に使われているなんて。あなた、それでも学校に通っていたんですか?」

「俺は、学校で、2年の時、俺を虐めてた奴を、ぶっ殺して、退学になった!」


 ハンマーの大振りをマチルダさんは紙一重で躱し、ドルドラの背後に回る。完全に隙だらけのドルドラの尻をマチルダさんはぺしんと叩いた。


「父さんも、母さんも、俺が殺した! 刑務所で兵士も殺した! そこでできた友達も殺した! みんなみんな殺した! 俺に、殺せないものなんて無いんだ!」

 

 咆吼と同時に、ドルドラが地面にハンマーを叩き付ける。

 マチルダさんはするりと身を躱したものの、ドルドラの背後に回らなかった。ドルドラの正面に立ち、ジッと、その血走った目を見つめ返す。

 地中深くまで埋まったハンマーを引っこ抜きながらドルドラは言った。


「だから、おまえも絶対に、殺してやるんだ!」


 マチルダさんは嘆息すると、 


「……困ったお馬鹿ちゃんですねぇ。本当に」


 ぽつりとそう言った。


「サブンズ!」

「応っ!」


 ボルンゴの掛け声とともに、サブンズが矢を放った。マチルダさんが反応し、その矢に合わせて振り向きざまに剣を振るった。

 その隙を突く算段だったのだろう、ハルドライド、ボルンゴ、そしてドルドラが同時に動いた。 

 

 ――槍の一閃が戦術の起点となるはずだったのだろう。

 躱すなり、受け流すなりすれば、また違った結果となっていたに違いない。だけど、今までとは違った行動をマチルダさんは取った。

 ボルンゴ渾身の一閃を、こともあろうか片腕で掴み止めたのだ。

 勢いに押され、ズズッ……と、わずかにマチルダさんの足下がずれるものの、体幹自体を崩すまでには至らなかった。

 ボルンゴに驚愕の表情が浮かぶ。


「シィッ!」


  死角である背後から滑る込むようにして接近するハルドライドの身体が大きく沈んだ。マチルダさんの軸足を刈り取るために重心を下げてきたのだ。

 狙いはアキレス腱。

 ハルドライドは今や膝よりも体勢を低く保ち、鋭く速く剣を突き出していた。

 だが、その死角から死角への見えない攻撃にもマチルダさんは落ち着いて対応してきた。

 わずかに左足を上げると、軸足である右足首を狙うハルドライドの剣を踏みつけて地面に縫い止めたのだ。その際に、頭部めがけてフルスイングしてくるドルドラのハンマーを屈んで避けた。

 

 これでつまり、マチルダさんは3人全員の初撃をかわしたことになる。

 そして、そこからマチルダさんは反撃に出た。


 剣を踏まれ、身動きのとれなくなったハルドライドの顔面にマチルダさんは後ろ蹴りを放った。パカン、と快活な音とともにハルドライドの身体が後方に伸び上がった。


「ん、だぁぁぁぁ!!!」


 そして、ドルドラが体制を立て直し、2撃目のフルスイングに合わせてボルンゴの槍を引き寄せた。それまで綱引きの要領でマチルダさんと力比べをしていたボルンゴだったが、圧倒的な腕力の差で、その身体ごと槍が引かれた。

 そしてマチルダさんは膝を折って身を沈めた。そのわずか上をドルドラのハンマーが通り過ぎ、驚愕の表情を見せたボルンゴの右肩にぶち当たった。


「うがぁぁぁぁぁ!!!」


 槍を手放し、きりもみ状態で身体を回転させたあと、ボルンゴは地面に叩き付けられた。気絶してしまったのか、痛みに打ち震えているのか、地面に突っ伏したままボルンゴは動かなくなってしまった。


 仲間を攻撃してしまったことに少なからず動揺が生まれたのか、ドルドラは一瞬、我に返ったかのように動きを止めた。そしてカラン、というマチルダさんの槍を手放した音に反応して、再び憤怒の表情を見せた。


「ちくしょう! よくもボルンゴを!!」

「……あなたがやったんでしょう。人の痛みに気づけず、自分の行動は省みず、感情のままに暴れる。まるで大きな子供ですよ、あなたは」


 マチルダさんは憐憫を秘めた眼差しでドルドラを見た。ドルドラはギリギリと乱杭歯を歯ぎしりさせ、


「うるさい! うるさいうるさい! おまえなんか、俺の目の前から、消えてしまえよぉぉぉ!!!」


 マチルダさんに向け、ハンマーを振りかぶり、渾身の一撃を放った。

 ズシン、と地を揺るがすような振動が起こり、ハンマーがこれまで以上に地面にめり込んだ。


「ああああああ、ああああああああ、ああああああああ、ああ」


 ドルドラから低い呻き声が漏れ始めた。ハンマーを持つ手から力が抜けた。

 それでもうお仕舞いだった。

 マチルダさんがドルドラの両目から鮮血に染まった指をずるりと引き抜いた。

 

「ああああ、ああああ、痛い、痛いよぉ……。見えない。お頭……。みんな、真っ暗で……見えなくなったよぉぉ!!」


 ドルドラはその場でしゃがみ込むと、両手で顔を覆った。その指の隙間から止めどなく血がこぼれ落ちる。

 マチルダさんは嘆息すると、


「その暗闇の中で、しばらく己の裡を見つめ直すんですね。それが終わりましたら言ってください。其処よりも、もっと穏やかで昏い世界へと連れて行ってあげますから」


 そして、こう付け加えた。


「あなたは戻ってこられないと思いますけどね」

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