第77話 鮮血の右手を掲げて

「それが――どこにもいないのよ」


 アンジェリカの言葉に俺は頬が引きつるのを感じた。


「いないって……ならマチルダさんの遺体はどうだ。そっちもいなくなっているか?」

「待って……、あるわ。でも、レッグの死体もすぐそばにあるわよ?! どういうこと?!」 


 ひょっとしてロッドの奴が指輪をマチルダさんにはめて復活させたんじゃないかと期待したが、どうやらそうではないらしい。もしも目覚めたときにロッド一人だったら、ロッドは構わず母親に指輪を届けただろう。

 そうならなかったのだから、きっと何かが起こってしまったのだ。


 驚きを隠せないアンジェリカに、俺は目をそらさずに言った。


「レッグはあのときたぶん俺たちの会話を聞いていて、それで、俺のネクロマンサーのレベルを上げるための人身御供になったんだと思う。……おかげで、ロッドと俺は命拾いした」


 アンジェリカは「そう」と短く呟いただけで、それ以上は聞いてこなかった。

 しばらく沈黙が続き、アンジェリカは急にダダジムを左に舵を切った。


「ちょっとだけ寄り道するわよ」


 屋根から地面に降り、あまり手入れされていない壁際の小道を疾駆する。アンジェリカはダダジムの端によると地面すれすれに手を伸ばした。何かを拾い上げるつもりらしい。


「アンジェリカ、なにしてるんだ? 端によると危ないぞ」

「平気よ。ほら――おいで“ブロブ”」


 パシン、と水面を叩くような音とともに、アンジェリカがなにやら手のひら大の透明な液体を掬い上げていた。


「もうひとつ――」


 今度は左手を伸ばし、パシン、とまた何か液体のようなモノを掬い上げていた。

 それで全部なのか、アンジェリカは満足したようにそれを大事そうに両手抱えたままダダジムの中央に戻ってきた。


「アンジェリカ、それって何だ?」


 気になって尋ねると、アンジェリカは満面の笑顔でこう答えた。


「私の新しい使い魔、『ブロブ』よ。村の家畜小屋の山羊から“生け贄召喚”で転生させた“溶解性スライム”、名前は『ブロブ』に決めたの」

「溶解性……スライム? それがスライム?!」


 アンジェリカの両手のひらのなかで、小さなボウル一杯分のゼリーのようなブロブがぷるぷると震えた。『ぷるぷる、ボク、悪い魔物じゃないよ、デュフフフ』ってか。……どうやら意思疎通は出来るらしい。

 というか、今度は山羊からスライムか……なんでもありだな。


「スライムねぇ……、スライムかぁ……。アンジェリカ、ちょっとそいつ触っていい?」

「いいわよ。あ、でもちょっと待って『****、タカヒロ』……はい、いいわよ。タカヒロは私の仲間だって教えておかないとドロドロに溶かされちゃうからね。それこそさっきの浄化葬みたいにね」


 にっこりと、恐ろしいことを言う。アンジェリカは根に持つタイプのようだ。


「だから悪かったって。第一あれはすぐに気化して服が濡れたのは一瞬だったろ」

「気分の問題よ」


 俺は恐る恐るブロブに触れた。ぷるぷるぷにょぷにょで、ちょっと冷やっこくて、ゼリーよりも弾力があってシリコンよりも柔らかくて、それでいて手のひらに吸い付いてくる感じだ。

 アンジェリカのおっぱいといい勝負だ。なにこれチョー気持ちいいんですけど。


 ぷにょぷにょぷにょぷにょ。ぷにょぷにょぷにょぷにょ。ぷにょぷにょぷにょぷにょ。

 はぁはぁはぁはぁ。くせになりそう。た、たまらんばい。


「……もういい? この仔たち嫌がっているみたいだからもうお仕舞いね」


 アンジェリカが俺からブロブを取り上げてしまう。ああん。

 “たち”って言ったけど、ああ見えて二人前なんだろうか。


「なんか、手のひらがつるつるてかてかになった気がする……」

「その仔、有機物ならなんでも溶かして食べちゃうみたいなの。たぶん、タカヒロの手の老廃物を食べてくれたんだと思うわ」

「わぉ。それってすごく便利だな。ドクターフィッシュみたいだ。垢スリとか洗顔パックとか髭処理とか、全部寝てる間にやってくれそう」


 というか、ずっとぷにょぷにょやっていたい。


「うふふふふ、そうね。でも、本来の使い方はこうよ」


 そう言うと、アンジェリカは右手の手袋を外した。

 そこには召喚士の指輪を中心にねっとりとした感じで僅かな量のブロブが貼り付いていた。見ていると、ブロブがふたつに分かれて広がり、左右の手のひら全体を覆っていった。


「どう? これなら指輪を奪おうとしても、まずブロブに触れた瞬間に指が溶かされちゃうわ」

「考えたな……。攻防一体だ。ひょっとしてトルキーノの奴もこれで撃退したのか?」


 目や手に包帯を巻いていた先ほどのトルキーノを思い出す。


「そうよ。最初の時にあいつから指輪を奪われちゃったからね。その対策なの。でも、タカヒロがトルキーノはシーフだって事を教えてくれてなかったら、きっと気づかなくて、私また指輪を奪われちゃったと思うわ。ありがとう、タカヒロ」

「お、おう。お安いご用だぜ」


 改めてお礼を言われると、何というか照れくさい。俺はポリポリと頬を掻きながら答えた。

 まあ、情報元はロー公なんだけどな――って、そういや俺たち今ピンチの真っ最中だった。


 ダダジム達はすでに広場に向けて舵を切っているが、ここから先は互い違いにぽつぽつと家が建っているため屋根には上がれず、その家々を避けながら進むしかないので、まだ少し時間がかかりそうだった。


「グルルルルル……」


 ファイヤーウルフに近いしゃがれた唸り声に俺とアンジェリカが一斉に振り返る。 

 目を凝らしていると、がささっ、がさささっ、と茂みを掻き分け、真っ赤な瞳のダダジムグール(クグツ?)が姿を見せた。

 どうやら先回りする知能はないようで、俺たちの後を真っ直ぐ追いかけてきたようだ。


「どういうこと?! あれ、トルキーノに殺されたダダジムよ」


 アンジェリカが目を見開いた。


「【死霊の槍】だ。ネクロマンサーのロー公が【死霊の槍】を使ってダダジムをクグツに変えたんだ。気をつけろ、あいつは並のダダジムよりもずっと凶暴で強いぞ」

「……そうみたいね。この仔たちもそう感じてるわ。ダダジム、全力前進、あいつを振り切りなさい!」


 アンジェリカはダダジムに命令を下す――が、俺はそれを止めた。


「いや、速度はこのままだ。無茶な走りは事故の元だし、広場に行っても、まずはロッドを見つけなくちゃいけない。幸か不幸か、今追いかけてきてるのはあいつだけみたいだ。もっと大勢で一気に来ると思ってたけど、あいつ一匹だけならここで仕留めた方がいい」

「わかったわ。でも、アラゴグは広場の方に向かってる最中よ。ロー公と同じくらい暴れるんなら最低でもアラゴグ6匹以上は必要よ。

 ……それに、どうしてもって言うのなら、私だって足止めくらいは出来るわ」


 何をするつもりなのか、アンジェリカがダダジムグールに向かってブロブの右手を掲げる。


「よせ、相手は死体だ。今まで何人か【死霊の槍】でクグツ化した人間を見てきたけど、腕を斬り飛ばされようが腹を裂かれようが、平気で突っ込んできた。あいつは“魔力”でもって操られてる肉人形だ。首を切り落とさない限り、ちょっとやそっと溶かされたぐらいじゃビクともしないぞ」

「じゃあどうするのよ?! 痛みも感じない、生きていないんじゃ、私の召喚術も役に立たないわ!」

「だから俺がいる」


 きっぱりと言ってやる。


召喚士アンジェリカが生きてる連中の脅威なら、ネクロマンサーは死に損ないの天敵だ。俺もアンジェリカと同じ、死んでる奴が相手なら右手で頭部に触れるだけで斃せる。さっき見ただろ、“浄化葬”がつまりそれだ」


 俺は上着を脱ぐと左手にぐるぐると巻いてダダジムグールの攻撃に備えた。

 イメージは警察犬の訓練。左手をわざと噛ませておいて、右手で頭部に触れる。よし完璧だ。


「タカヒロ、ひょっとして左腕で受けようと思ってる?!」


 アンジェリカが心配そうな顔で言った。


「ああ、ダダジムの口ってそう大きくないだろ、こうやって多めに巻いておけば、きっと無傷で頭部に触れることが出来る。安心しろよ、昨日ファイヤーウルフって魔物を同じ手で倒してる」


 俺は自信たっぷりに言うと、アンジェリカを庇うように前に出た。


 ダダジムグールがみるみるうちに距離を詰め近づいてきた。

 なんせ、こちらが家々を迂回しながら走っているのに対して、ダダジムグールは【死霊の槍】での“強化”に加えて、ダダジムSUVのように俺たちを乗せてはいない。それどころか、民家のドアをぶち破り、窓を突き破るというやんちゃっぷりだ。

 と、ドアをぶち破った際に口に咥えたと思われる木材をダダジムグールは煎餅のごとくバリボリとかみ砕いて見せた。

 金玉がきゅんとなる。


「……タカヒロ、ひょっとして左腕で受けようと思ってる?」


 アンジェリカが視線を逸らしながらぼそっと言った。


「ははは、何を馬鹿なことを。【アイテムボックスオープン】ちょっと待ってね、すぐにロードハイムの剣を取り出すから」


 いそいそと異空間からロードハイムのクソ重たい剣を取り出そうと、左手を突っ込む俺の肩を支軸に、アンジェリカはダダジムグールに向けて水平に左手を伸ばした。

 アンジェリカの吐息が耳元にかかる。


「おまえ、なにやっ――??!」

「集中して!!」


 最後の民家の角を曲がり、広場までは何もない直線に入る。

 ダダジムグールはアンジェリカが声を張り上げるのと同時に速度を上げ、一気に間を詰めてきた。その距離わずか3メートル。剥き出しの歯茎の間から大量のヨダレを垂れ流し、その赤い眼は爛々と俺たちを捉えていた。

 同じダダジムとは思えないほど醜悪に歪んだ貌に、俺は奥歯を噛んだ。

 

「ブロブ!!」


 アンジェリカが使い魔の名を呼んだ。伸ばした右手の人差し指から圧縮された溶解性スライムが弾き出される。

 圧縮ブロブ弾は目の前に迫ったダダジムグールの顔の中心に当たり、泡ぶくをあげて鼻と目を溶かし始めた。

 衝撃でもなく斬撃でもない、五感の消失。ダダジムグールはそれで怯んだのか、飛びかかるのを中断し、左右に激しく顔を振った。

 その好機チャンスを俺たちは見逃さない。


「「アラゴグ!」」


 俺たちの声が綺麗にハモる。満場一致で俺の脇から尻を覗かせていたアラゴグに命令が下った。

 ビュッと透明な糸が射出され、油断していたダダジムグールのしっぽにかかり、アラゴグは糸を引き戻した。

 

「グァ?! ガルル、ゴルルルルル!!」


 糸の張力により、ダダジムグールの尻が一瞬持ち上がった――が、そこは強化ダダジム、急遽、大地を引っ掻くような無骨な走りに変え、糸の張力を力でねじ伏せてしまった。

 視界と嗅覚が失われた状態で、今やダダジムグールが俺たちの居所を示す方向性は音とその糸の先だけだ。


 そして、今やその糸はアラゴグとダダジムグールの引っ張り合いになっていた。アラゴグが糸を引けば負けじとダダジムグールが引っ張り返し、減速。糸を緩めれば瞬く間に加速し、俺たちに迫った。


 俺はチラリと後ろを振り向いた。広場に出る前にが見えた。思わず邪悪な笑みが浮かぶ。

 ……どうやら、『罠設置スキル』が発動したらしい。



「『ブロブ』! タカヒロ! アラゴグの糸を切って! 危ないわよ!」


 ダダジムグールの口の中に圧縮ブロブ弾を放ったアンジェリカが俺の耳元で叫ぶ。

 俺は糸で後方に引っ張られるアラゴグの爪の痛みと、俺を引っ張られまいと腰を締め上げるダダジムのしっぽとの間で声を絞り出した。


「いや、広場に出る前に終わらせる……。いいか、アンジェリカ、……っ、ダダジムを今すぐ2列縦隊に再編成させろ。このまま進行方向左側にある民家の窓を突き破るぞ。アンジェリカは前の方で身をかがめていろ。ガラスの破片に気をつけてな」

「え? タカヒロ何言って――わかったわ! 信じてるから! ダダジム、2列縦隊になって、前方左の民家の窓を突き破りなさい!」


 アンジェリカの命令に、足下のダダジムが2列横隊から2列縦隊に再編成された。

 これで民家の小窓を突き破れる……。

 糸の引っ張り合いはこちらがやや劣勢なのか、アラゴグが俺の背中を引っ掻きながら徐々に引き離されようとしていた。  


「ア、アラゴグ……もう少しだ頑張れ……。合図したら糸を緩めろ、よ……」


 俺はアイテムボックスから引っ張り出したロードハイムのロングソードを、まるで神にでも捧げるかのように両手の平の上に乗せ、お辞儀するように頭部を低く下げた。

 傍目にはきっと、ダダジムグールに白旗を揚げ、武器を献上して許しを請う姿に見えただろう。

 

「クルルルルル……」


 俺が目印にしていた木を通り抜けると同時にダダジムが合図をくれた。


「今だ、糸を緩めろ!」


 俺は肺に残った最後の空気を使ってアラゴグに命令した。

 そして、アラゴグが糸を緩めた瞬間、ダダジムグールが加速し俺に飛びかかってきた。

 口よ裂けよとばかりに大きく開き、獲物に齧り付こうと両手を俺に伸ばしてきているのが、まるでスローモーションのように見えた。


 ばーか。


 ガシャンと民家の窓を突き破る音で、俺は勝利の笑みを浮かべた。


 次の瞬間、俺の捧げていたロングソードが、突き破った窓の桟に引っかかった。

 まるで『棒きれを咥えたままの状態で犬小屋に入ろうとしたマヌケな犬がするように』、ダダジムグールは自分がなぜ二度目の“死”を迎えなければならなかったのか、分からないような顔で――首を切り落とされた。


 そして、民家の反対側の窓を突き破り、俺たちが無事広場に抜けたときには、アラゴグの糸の先には、ガツン、ごん、ずりずりずりり~~~と、しっぽから背中にかけて薄皮一枚に繋がったダダジムグールの顎から上の頭部が、地面との摩擦で激しく虐められていた。


 ようやく腹部の圧迫から解放された俺は安堵の息をついた。

 ダダジムSUVは減速すると旋回し、かつては同胞だったダダジムグールに近づいていった。さすがに顎下からすべてを切り離されているので、動くことはできないだろうと思ったが、溶けかけた皮膚の下、爛とした赤い眼が憎々しげに俺たちを睨み上げていた。

 あらためて【死霊の槍】の恐ろしさを見た気がする。


「ちょっと行ってくる」

「タカヒロ」


 アンジェリカから声がかかったが、俺は振り返らず、


「アンジェリカは周囲の警戒と、ロッドを捜してくれ」

「わかったわ」


 ダダジムSUVから降りて、よろけながらも自分の足でダダジムグールに近づいた。

 膝を付いて右手をダダジムグールの頭部に伸ばすと、そこに居たブロブたちが慌てたようにもごもごと集まりだし、地面に落ちた。そしてやはりもごもごと毛虫のようにアンジェリカに向かって行進を始めた。

 俺はそれを見送りながら改めてダダジムグールの頭部に触れた。



 映像が切り替わり、ダダジムの追憶が始まった。


 相手はドルドラとボルンゴ、そしてトルキーノだった。俺は2匹の同胞と、相棒のアラゴグ2匹とともに戦っていた。といっても、アンジェリカの命令通りに、『ヒット・アンド・アウェイ』方式を採用していた。

 屋根の上から近づき、標的の後方2カ所から同時に漬け物石を投げつけるのだ。

 ただ、盗賊たちは勘が鋭いのか、すぐに気づき避けられてしまう。

 アラゴグがドルドラの足に糸を貼り付け引っ張った。バランスを崩したドルドラに俺は漬け物石を投げつける。当たった、と思った瞬間、ボルンゴの槍が漬け物石を弾いていた。

 

 トルキーノがアラゴグに向かってありったけの投げナイフを放った。そのうちの一本がアラゴグの身体に当たったのか、アラゴグは地面に縫い付けられ動けなくなった。

 同胞の一匹がアラゴグを助けようと屋根から飛び降りた。俺はそれをサポートするため、屋根の瓦板を剥がし、次々と投げつけた。だが、ボルンゴは槍を構えたまま疾駆すると、同胞とアラゴグをまとめて突き殺してしまった。

 俺は同胞の死に憤慨し、次々と瓦板を投げ続けた。それを見かねてか、もう一匹の同胞が撤収の合図をくれた。同胞はいつの間にかもう一匹のアラゴグを回収してきていて、背中にしょっていた。

 結局、瓦板は一枚も当たらず、俺は渋々引き上げることにした。


 俺たちは屋根伝いに走り、盗賊どもと一旦距離を取ろうとした。

 その時、前方から覆面をしたアンジェリカと従兄弟たちがやってくるのが見えた。従兄弟たちの背にはアラゴグが3匹も乗っている。

 俺たちはアンジェリカに同胞が殺されたことを報告した。そして近くに同胞を殺した盗賊どもがいることも伝えると、アンジェリカは目をつり上げて怒りだした。


「『ブロブ』、あなたの力を試させてもらうわよ」


 荒っぽく振り上げた右手に向かってそう言うと、アンジェリカは両手の手袋を外した。

 その手は透明な粘液で覆われていて、種族が違えども、それが俺たちの義兄弟であることに気づいた。同胞もそれに気づいたようで、俺たちは声をそろえて新人歓迎に「クルルルルル……」と鳴いた。


 時間をおかず、まさかまたすぐに襲撃してくるとは思わなかったのだろう、盗賊どもの顔には目に見えて苛立ちが表れていた。

 同胞はアラゴグと協力して糸を吐かせながら盗賊どもの足止めに終始し、俺はとにかく瓦板を投げつけまくった。従兄弟たちも半数はアラゴグを背負って参戦してくれた。

 決して安易に近寄らず、手にしたモノを投げつける。ドルドラが怒り狂い、でかいハンマーを振り回して従兄弟たちを追い回すが、すばしっこさでは俺たちの方が上だった。代わりに足下に糸を吐き付けてられてドルドラは派手にすっころんでいた。

 ボルンゴとトルキーノは俺の死角に入り、見えなくなったが、アンジェリカのヒレイからの“ささやき”でだいたいの位置を掴んでいた。


 アンジェリカは残り半分の従兄弟に守られながら、ジッとチャンスをうかがっているようだった。

 襲撃開始から2分ほど経っただろうか、突然、民家中に轟く破壊音とともに、メキメキと屋台骨が悲鳴を上げ、ゆっくりと民家が倒壊し始めた。

 俺たちは傾きだした屋根からアンジェリカを逃がそうと、従兄弟たちの隊列に加わった。息を合わせて屋根から飛び降りる――と、それを待っていたのか、崩れ落ちる寸前の民家から壁をぶち破ってボルンゴが突進してきた。

 アンジェリカの動揺が俺たちにも伝わってきた。俺たちはアンジェリカを逃がすため、全力で大地を蹴った。


 だけど、すべてが遅かった。


 ボルンゴの槍は、アンジェリカの背中から正確に心臓を貫いていた。

 刹那の時を憂うように細かな鮮血が宙に舞い、アンジェリカの右手が胸から突き出た穂先に触れ、そのまま崩れるように俺たちから墜ちた。

 俺は急ブレーキをかけ、アンジェリカの元へと戻ろうとした――が、従兄弟たちはそろってそれを否定した。


『落ち着けよ、朋友』、『女主人は無事さ、朋友』、『振り返るんじゃないぜ、朋友』。

 

 俺はニヒルな従兄弟たちの言葉にあっけにとられたが、足を止めなかった。なるほど、アンジェリカの気配がすぐ近くで感じたからだ。


「アンジェリカの無事を確認。了解だ、従兄弟」

『クルルルルル……(しまっていこうぜ、朋友)』


 どういう理屈か分からないが、アンジェリカは無事のようだ。

 胸をなで下ろしながら、俺は従兄弟たちとともにアンジェリカを再び屋根の上に運んだ。  


「ボルンゴ、あの距離で間違えるなんてどうかしてるでやす」

「う、うるせぇな。……っかしーな。俺は確かによぉ……」


 下ではトルキーノがぶつくさ文句を言い、ボルンゴが首を捻り……、……? 誰? 俺たちに似た何かの遺骸を槍から外していた。 

 俺は従兄弟たちにアレの正体を聞いてみたが、従兄弟たちも知らないようだった。


「“身代わり召喚”よ。あの仔が私の身代わりになって殺されてくれたの。……今に見てなさい。あいつら全員、【黒い手】で地獄に引きずり込んでやるわ……」


 アンジェリカがぎりりっと唇を噛むのを、俺はフードの隙間から見つめた。


「うぅ~、死ぬかと思ったぁ。げほげほっ、ボルンゴ、トルキーノ、手を貸してくれよ」

「ばっか、ドルドラ。おまえな、考えなしに柱を折ってくんじゃねぇよ。おら、手を出せよ」

「自分で壊した家に自分で埋まってりゃ、世話ないでやす」


 どうやら盗賊たちは家に埋まっている仲間を助け出そうというらしい。

 散らばっていた従兄弟が3匹集まってきた。俺は従兄弟からアラゴグを受け取ると、背中に乗せた。


「今よ、行くわよ。残りはサポートに回って」


 ドルドラが埋まっている今が好機とみたアンジェリカが、従兄弟たちとともに地上に降り立つと、盗賊に向かって走り出した。

 盗賊どもが一斉に振り向く。アンジェリカは左手を掲げると、指先を盗賊に向けた。


「ブロブ!!」


 アンジェリカが叫ぶのと同時に、“新人”のブロブが仲間たちの手助けでアンジェリカの指先から勢いよく飛び出していった。

 パシュ、1匹。――パシュ、パシュ2匹、3匹。


「てンめぇ、今度は外さねぇぞ!!」


 ボルンゴが立てかけていた槍に手を伸ばそうとした――その剥き出しの腕にブロブが上手に着弾した。3匹目は軌道を逸れたものの、自分で軌道修正して服の上ながら無事着弾した。

 そこからはブロブの大活躍だった。


「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!? ぐぎぎぎぎぎ!! あっぢぃぃぃぃぃぃ…………っっっ!!!」


 ボルンゴが悲鳴を上げ、槍を取り落とした。そしてそのまま地面に転がった。

 いける――!!

 俺はそう確信した――が、そううまくはいかなかった。


「ボルンゴぉぉ!! うぉぉぉぉ!! 今、俺が助けてやるぞぉぉぉ!!」


 埋まっていたはずのドルドラが、自分を挟み込んでいた鴨居を自らの力で持ち上げ、這い出てきた。

 そして、ボルンゴの腕のブロブに向けて、でかいハンマーを振りかぶった。

 ボルンゴの顔が引きつるのが分かった。


「馬鹿も大概にするでやす!! ドルドラ!!」


 トルキーノがドルドラの背後に回り、その膝裏を蹴った。ドルドラはバランスを崩してひっくり返り、アンジェリカの発射させたブロブを大量に食らった。


「うぐぉぉぉぉ!! んぐぃぃぃぃ!! あぐぅぅ!! あぐぅぅぅ!!」


 ドルドラが泣きながら地面を転げ回り、そして投げナイフを構えようとしたトルキーノの足を掴んだ。ギョッとするトルキーノを半狂乱のドルドラが担ぎ上げると、


「ドル゛ギーノ゛が、行っげぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 アンジェリカに向かって、トルキーノをぶん投げた。これにはさすがの従兄弟もアンジェリカも反応できず、ふたりは縺れ合うように地面を転がった。

 瓦板を投げていた俺は大急ぎでアンジェリカの元へと走り出した。

 

「やっぱり、おまえ、アンジェリカだったでやすか!! 覚悟するでやす!」

「…………っ」


 トルキーノにフードを引っぺがされたアンジェリカは、恐怖で顔を歪めていた。おそらく、男に上に乗られるというトラウマに、身体が震え、動けなくなってしまったのだろう。


「指輪を奪ってしまえば、こっちのもんでやす!」


 トルキーノの右手が黄土色に光り、アンジェリカの指輪に迫った。

 だが、トルキーノの機転が、それを待ち構えていたブロブたちの餌食になった。


「bcふぃでおwhbごいえr~~!!!??」


 声にならない声を上げ仰け反るトルキーノに、俺は全力で体当たりを仕掛け、アンジェリカから引き離した。

 見ると、従兄弟たちも戦っていて、ボルンゴの足に噛みついたり、二匹がかりで槍を遠くに投げたりしていた。


 アンジェリカも俺の姿を見て気を取り戻したのか、すぐさま身を起こすと、同胞と従兄弟たちが背中に齧り付いているにもかかわらず猛突進してくるドルドラに向かって、4発ものブロブを放っていた。

 そして、アンジェリカはトルキーノに振り返ると、冷たくこう言い放った。


 痛みに震えて待ってなさい。全員、私が地獄に連れて行ってあげるわ。


 無表情のまま右手を掲げ、アンジェリカはブロブを放った。

 トルキーノは目を押さえて転げ回り、それでもまだ怒りが収まらないのか、アンジェリカはギリギリと強く拳を握ると、トルキーノの尻を思いっきり蹴り上げていた。

 俺はアラゴグの協力もあってドルドラを再転倒させることに成功し、集まった従兄弟たちがアンジェリカを背に乗せ走り出した。

 俺も後に続こうと走り出す――が、脇から胸元にかけて、なにか鋭い痛みを感じて、俺は血を吐いた。

 トルキーノが片目を覆いながら、左手を俺に向けていた。

 

 ――なんで? トルキーノはもう投げナイフを持っていなかったのに。


 俺はよろけながら進み、やがて地に伏した。アンジェリカが俺を振り返ったような気もしたが、構わず、このまま行ってほしかった。

 トルキーノの伸ばした腕の袖元からねじくれたバネのようなものが見えていた。


 俺は背中のアラゴグに逃げるように言おうとした……けど、アラゴグからの反応がなかった。一緒に貫かれていたようだった。

 ああ、そうかと俺は目を閉じた。身体から力が抜けてゆく。

 なら、一緒に行こうか。



 

 ゆっくりと意識が戻ってくる。

 ダダジムグールの焼け爛れた目からは禍々しい赤い光が消え、ただ静かにその時を待っているようだった。

 やがて、その亡骸が風に触れると地に融けて消えていった。

 俺はただ手を合わせ、冥福を祈った。


 そこには『ダダジムの棘針』が、彼が生きた証を残すようにあった。

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