第76話 立体軌道の交差点

 アンジェリカが通りかかるのを待ってから追いかけ始めても絶対追いつけないので、リレーのバトン渡しと同じ要領で、ダダジム達にも助走させることにした。

 アンジェリカはまだぷんすかご立腹のようで、俺たちの姿を前方に捉えても、まるでシカトのご様子だ。ただ、同じ方向に向かって助走を開始する俺たちの健気けなげさに、多少は心を赦したのか、急な方向転換だけはしなかった。


「……なに? 用があるんなら早く言って」


 ツン期真っ盛りのアンジェリカが棘のある低い声音で俺に一瞥をくれる。なんだか思春期の娘を持った父親の気分だ。


「一応言っておこうと思ってさ。同盟破棄はしない。アンジェリカがなに考えてるか分からないけど、おまえがヤバイと思ったら肩に担いでも逃げ出すからな」

「…………」

「命あっての俺たちだ、ってそんだけ言いたかった。じゃあ、俺たちはそろそろロッドのところに向かうからな。気をつけろよ。かなり近いところから監視されてる。あと、所々にテグスを使った罠が張られているっぽい。毒が塗ってあるみたいだから、怪我したらすぐに連絡くれ。じゃあな」


 よし。言いたいことを言えたので、あとはロッドのところに戻ることにする。

 ダダジムたちに声をかけて広場の方へと舵を切った――が、なぜかアンジェリカご一行もぴったりと併走を続けてきた。しかもなぜか6馬力をいいことに、ぐいぐいと強引な幅寄せをして進行妨害してくる。

 さすがに危ないので、Myダダジムに口頭で指示を出し、なんとか撒こうと前後左右にフェイントをかけさせるが、ダダジム同士の連携がとれているのかなんなのか、ぴったりとくっついて離れない。

 しかも、幅寄せがきつすぎて左端のダダジムなんか家の壁に2,3度身体をこすりつけていた。


「おいこら。危ないぞ」


 センターが欲しいのか事故らせたいのか、アンジェリカを見る限りじゃ「べ、別にムカついてなんかいないんだからねっ」って感じだろうか。うちの子に当たるのはやめなさい。

 

「……これは独り言なんだけど、あいつら私じゃなくてタカヒロを標的に決めたみたい」


 独り言ってアンタ……。

 唖然とする俺を横目にアンジェリカが続ける。


「飛ばしているヒレイがあの女の指令を傍受したの。又聞きだから詳しくは分からないけど、作戦は『タカヒロを生死を問わず捕らえる』に決まったみたい」

「げげっ。それって結局“ぶっ殺せ”って意味じゃないか。……ちなみにアンジェリカ。俺が無傷であいつらに捕まったらどうする?」


 アンジェリカは俺に向け、ようやくにこぉっと満面の笑みを浮かべてくれた。


「私、タカヒロのことは忘れないから」


 ですよねー。


「まあ、どうしょうもなかったら見捨ててもいいけど、ロッドだけは回収してってくれよな」

「ん~。あの子、ダダジムに変えちゃだめ?」

「……本人の許可なく転生させちゃ駄目」

「ちぇー」


 飄々と舌を出すアンジェリカ。おっかない子だよ。

 でも実際俺が死んだ場合、ロッドは放心するか錯乱するかで言うこと聞かなくなるだろうし、ダダジム転生させたくなる気持ちも分からなくもない。

 ……俺たちは他人の命を軽んじているなぁと今更ながらに思う。アンジェリカにとって“ダダジム召喚”は“人殺し”という認識はないのだろうし、俺にとってもロッドは“クグツ”で、一度この手で殺している。


「それで、俺たちのこと心配で付いてきてくれるのか?」

「んー。それもあるけど、タカヒロ、何か私に隠していることない?」


 探るような目が上目遣いに俺を見た。

 ――――。ある。


「山ほどある。でもそれはお互い様だろ。アンジェリカだってどうして目立つように逃げ回ってたかとか言わないだろ」

「私にはちゃんと理由があるもの。時間がないから単刀直入に言うわ、タカヒロ、“レッグ”がいないみたいだけど、死んじゃったの? それともどこかに潜ませているの?」


 アンジェリカがレッグの生死を尋ねてきたことに俺は単純に驚く。

 てっきり、「ハルドライドと何話してたんだ、ごらー」とか問い詰められるのかと思った。


「それについては、アンジェリカの方が“ヒレイ”を使ってるからよく知っていると思ったけど、知らなかったんだな」


 そういう俺はその“ヒレイ”ってのをまだ見たことがないんだけど。夜なのに鳥目大丈夫なのか。

 というか、アンジェリカの命令じゃなかったのか……。そっかぁ……。


「ヒレイは、まだ私のレベルじゃ6羽しか出すことが出来ないわ。それ以上出しても情報処理が追いつかなくて混乱するだけだもの」

「レッグは死んだよ」


 俺は簡潔に答えた。


「――そう。やっぱりね、タカヒロなんだかすごく顔色が悪かったから、ひょっとしてそうなんじゃないかって思って。あの子、片足だったし。……私のダダジム達も何匹か殺されちゃって、今は監視と煽動に徹してもらっているわ」

「じゃあ、最後まで言わせてもらうぞ。今度は逃がさないからな」


 俺は手を伸ばし、アンジェリカの腕を掴んだ。

 アンジェリカは眉をぴくりとさせたものの、振り払ったりはしない。代わりにアラゴグが脚の一本を俺の腕にかけた。


「指輪を持った盗賊たち個人の強さは、ダダジムが束にかかっても敵わないくらいだ。すばしっこさではこっちが上回るかも知れない。それにアラゴグであいつらを長く拘束することができるかもしれない。でも、それだけじゃきっと勝てない。なぜなら俺たちには『決め手』がないからだ」

「『決め手』ならあるわ」


 アンジェリカの目が妖しい光を放ち、俺を射竦めようとする。


「私の召喚術は“魂との等価交換”。あなたも見たはずよ、ダダジムが産まれるところを」

「ああ見た。目的殺し実益ダダジムを兼ね備えた素晴らしい手法だ。それは認めるよ。だけど、その方法は危険だ。アンジェリカだって気づいているんじゃないかのか、あいつらには安易に近づけないって」

「…………っ」


 アンジェリカがグッと唇を噛んだ。ひょっとするとパビック以外にも盗賊に挑んで返り討ちに遭っていたのかも知れない。

 右手のゴツい手袋から汗ばんだ手のひらが覗いていた。


「必要なのは、召喚獣のサポートを得て相手の素首を撥ねてくれる『決め手』だ。今から俺が広場の遺体クグツに指輪を装着させた状態で甦らせる。

 ――もしも、そのクグツが“決め手に欠けている”と判断したときは、三人で一時撤退する。いいな?」


 俺は目でも念を押すように言った。

 アンジェリカも真剣な目で俺を見返して、軽く顎を引いた。それでようやく俺は安堵の息を吐いた。アンジェリカから手を離す。


「******」


 アンジェリカが膝の上のアラゴグに向かって何事か呟いた。前にも聞いたような気がするけれど、あれって確か――

 だが、記憶の糸をたぐる暇もなく、アンジェリカの膝の上にいたアラゴグが俺に向かってぴょんとジャンプしたのだ。

 カサ、カサカサカサカサササササァ……とかが擬音語として最適そうな感じでアラゴグが膝の上から胸元まで這い上がってくる。

 無意識に腰に手をやり“風のナイフ”をまさぐるが、しまった、ロッドが持ってるんだった。うっきー、うちのクグツ1号はただいま気絶中。役に立たねー。

 一応、平常心スキルが効いているので黄色い悲鳴を上げて振り払ったりしなかったものの、鳥肌が立った。


「あの、アンジェリカさん、これはいったい……」


 大小併せて八つの漆黒の目玉が俺を見つめている。

 タランチュラをでかくした感じで、全身が柔らかな毛で覆われているだけにさわり心地はマイルドなのだが、いかんせん大蜘蛛なビジュアルは嫌悪感を逆なでする。パビックの追憶の件でもこいつには非道い目にあった。

  

「レッグの後釜にどうかなって思ったの。この先、ダダジム達だけじゃ危ないと思うわ。安心していいわ、ちゃんと言うことを聞くように言ったから」


 こちらが無抵抗なのをいいことに、アラゴグが首元に体毛を擦り付けてくる。


「あひゃひゃひゃひゃひゃは――げほげほ……うひゃひゃひゃひゃ」

「あら、タカヒロったらすっかり仲良しなのね。それで、その仔のご飯なんだけど――って、じゃれ合ってないでちゃんと聞いてっ!」


 アンジェリカの目がキッとつり上がる。


「違うわ! こいつがくすぐったいんじゃい! うひっ、うひひひひっ、……いい加減にしろ、首元にすがりつくなっての! ええい、下がれ下がれ」


 俺はアラゴグの頭部を押して背中の方へ下げおろした。さほど重くはないもののアラゴグは服に爪を立てて俺から離れようともしない。

 口元に手を当てて、ほほえましそうに俺を見るアンジェリカがなんかムカつく。


「わかった。こいつはうちで預かろう。実は何度かこいつらには助けられていたんだ。礼を言うよ、アンジェリカ。ありがとう。……って、アンジェリカはいいのか、アラゴグを俺に譲って」

「いいのよ。アラゴグも何匹かやられちゃったけど、まだ結構残っているから。それにその仔がタカヒロにくっついていると、私にもだいたいの位置が分かるもの。それにヒレイの監視対象も他の盗賊に向けられるわ」

「そういえばさっきも聞いたけど、ロー公は今でも拘束できているのか?」


 あいつをふん縛って黙らせておくとか信じがたいんだけど。

 アンジェリカは分厚い手袋をはめた人差し指をぐるぐると回した。


「最後にヒレイで“視た”のが、アラゴグ6匹がかりで糸でぐるぐる巻きにしたところかしら。ごろんごろん転がって動けないみたいだったから監視対象から外したの。アラゴグの糸ってものすっごく丈夫なのよ。他の盗賊はみんな二人組に分かれているからそれぞれにヒレイを一匹ずつ付けているわ。私たちの上空にも一匹いて、この仔たちもヒレイと交信しながら走らせているのよ」

「上空……。あ、あれか……」


 パタタ、パタタと真っ黒い影が羽ばたき、先行するように飛んでいた。サイズはそれほど大きくない。コウモリくらいだろうか。

 つまり、今までアンジェリカが走り回ってても無事だったのは、上空からのナビとダダジムとがしっかりと連携していたからか。

 ひょっとしてさっきの強引な幅寄せも強制車線変更も、物陰に潜んでいた盗賊を避けようとしたからなのかも知れない。


「ダダジムとアラゴグ、それにヒレイだろ、しかもそれらが複数体いて、そいつらからの情報を共有するって、頭ん中混乱しないか?」


 俺は指を三つ折り、アンジェリカに聞いた。


「平気よ。私の一般スキルで【地図作成】ってあるって言ったでしょ? あれは紙に描き出すことも出来るけど、頭の中でも地図を広げることが出来るのよ。ヒレイとダダジムとでこの村の地図は完成したわ。あとはその地図上にそれぞれ“ダダジム”、“アラゴグ”、“ヒレイ”を配置するの。スキルを持っていないタカヒロは聞くだけで混乱するかも知れないけど、慣れればすごく便利なのよ」

「へぇ~」


 つまり、脳内シミュレーションゲームのようなものか。村の見取り図に駒を配置し、追尾や傍聴、もしくは監視しているワケか。先日似たようなことをクレイたちとやったなー。なるほど便利かも知れない。

 

「アラゴグとダダジムは声が届かないと直接指示することはできないけど、ヒレイは私の魔力から作られた偵察用の召喚獣だから結構遠くまで意思疎通が出来るの。だからヒレイに中継をしてもらえば、すべての召喚獣に指示と情報がすぐに届けられるの。でも、さっきも言ったけど、今の私のレベルじゃヒレイからの情報共有は6羽までが限界だわ」


 肩が凝っちゃう、と首を回すアンジェリカ。肩こりの原因がおっぱいだけではないようだ。

 ああ、なるほど。だからダダジムタクシーを使って楽してたのか。ヒレイを使って脳内の地図を見ながら歩いてたんじゃ、うっかり崖から足を踏み外すことにもなりかねない。


 ……くっ。なんだかアンジェリカの方がちゃんと【選出者】しているように思えてくる。

 俺も二ヶ月経てばジョブと環境に適応するのだろうか。


「でも、なんでわざわざ村中をダダジムで駆け回ったりしてたんだ? 偵察ならそれこそヒレイだけで充分だろ?」

「だって仕方ないでしょ。ロッドは途中で矢で射られて捕まっちゃったし、タカヒロも家の中から全然出てこないし、もう絶対死んじゃったんじゃないかって思ったんだけど、それにしてはあなたのダダジム達に異変とかないし。あなたが連れ込まれた家も、すぐにその仔たちが救出に行ったのよ。でも誰もいなかったって」


 俺はダダジムSUVに手を置くと、ぽんぽんと叩いた。


「ああ、床下に隠し通路があったんだ。手掘りのね。ロッドと協力してロードハイムを倒したあと――」


 そこまで言いかけて、突然アンジェリカが驚嘆の声を上げた。


「ええっ!! タカヒロ、ロードハイムを倒したの?!」


 信じられない、と言った目を俺に向ける。


「……まあ、気絶したロッドが目を覚まして、その、協力してやっつけたというか……」


 この場合、ロッドに襲わせたってトコは伏せておいた方がいいかな?


「でも死体もなにもなかったって、あなたのダダジム達が言っていたわ!」

「死体の始末はネクロマンサーの十八番だし……。それで、その家には隠し通路があって……」

「まったくもう! それをどうして早く言わないのよ! ロードハイムが見つからないから今までずっと捜していたのよ!」

「お、俺たちを捜してたんじゃないのかよ」


 よりによって何でロードハイム。

 アンジェリカが「うきー」と叫びながら胸の前で両拳をぶんぶんと振る。……うむ。おっぱいが揺れて俺によし。眼福。


「タカヒロも捜していたわよ。ロッドもね。私は盗賊たち全員の人数と場所を把握しておきたかったの。なのにロードハイムの姿だけ途中で見かけなくなっちゃったから、わざわざこうして姿を現して、わざと襲わせてたのよ。だって――」


  ……というか、そもそもダダジムで村中を走り回っている理由にならない。

 ――と、急にアンジェリカの身体が停まった。

 アンジェリカの目が虚空の一点を見つめて動かなくなった。……電池でも切れたんだろうか。少し心配になり、恐る恐る声をかけると、アンジェリカは真剣な目を俺に向け、そして言った。


「……来る。4人同時に動いてきたわ。タカヒロ、あなたはこのまま行って。広場まではもうすぐでしょ。少しの間なら足止めできるわ。私は大丈夫だから」

「わかっ――」


 その時だった。

 ドシュ、と音がしてアンジェリカの頭に矢が刺さったのは。

 目の前で起こったことが、信じられなかった。

 時が止まったように、アンジェリカの貫かれた頭部から血飛沫が舞ったのが見えた。

 アンジェリカの目が虚空を向いて停まり、全身が細かく痙攣し、鼻からつぅ、と鼻血が漏れた。

 グラリとその身が崩れる。


「アンジェリカぁぁ!!」


 俺は絶叫した。

 俺の乗ったダダジム達は広場に向け直進を続け、アンジェリカの乗ったダダジム達は主人が死んだことも気がつかないのか、生前承った指示通りに左に舵を切っていた。

 その先にはアンジェリカを射たサブンズが、屋根を駆けながら猛進してくるところだった。


 俺は逡巡した。

 今すぐアンジェリカの元へ向かうか、このまま広場に向かってロッドから指輪を取るか。


 ――そんなの、決まっている。

 俺には怪我を治癒する力があるのだ。死んでいても“甦らせてやる”。

 だからアンジェリカの方へ向かう? いいや違うね。俺にはの授けてくれた感情制御スキルがある。

 そして、その感情スキルで思考を制御できる。つまり――

  

「アラゴグ、アンジェリカを糸で回収しろ。ダダジムはしっぽを俺に、張力に備えろ!」


 俺の命令に、アラゴグがアンジェリカに向かって糸を吹き付けた。

 糸はアンジェリカの背中を捕らえ、グン、と張られた。アラゴグの土台となる俺の背に爪が食い込むが、ダダジムのしっぽが俺に巻き付き、体勢を崩す事はなかった。

 ワイヤーを巻き取るがごとく、アンジェリカの身体が宙を飛び引き寄せられる。

 アンジェリカのダダジム達は四方に散開して屋根から飛び降り、視界の端にサブンズが矢筒から矢を抜き、弓に番えるのが見えた。


「飛びつけ!」


 指示と同時にダダジムSUVがアンジェリカに合わせて一斉に飛んだ。俺は手を伸ばしアンジェリカの脱力した身体を受け止めた。

 俺たちの着地はそのまま屋根――ではなく、一気に地面まで降りた。さすがに2人分は重いのか、着地後に一瞬間が空いた。その時、ガシャンと音がして、サブンズの矢が直前まで俺たちがいた場所に突き刺さるのを見た。


 弓術士との距離が近い。まだ屋根には戻れない。

 だが、前方には立ちはだかるようにボルンゴとトルキーノ。……ボルンゴは槍を構えて咆吼し、トルキーノは片手と左目を負傷して包帯が巻かれていた。

 振り返ると後方には、剣を肩に担いだハルドライドがいた。

 前門の虎、後門の狼。俺はギリッと奥歯を噛んだ。

 と、背中のアラゴグが俺の頭をこりこりと掻いた。……。――いょぉし、それで行こう!


「後方旋回! ハルドライドを正面から押し通る!」


 俺の指示にダダジムが向きを変え、ハルドライドに向かって突進する。その際に、ダダジムの背に手を当てて第二の計画をつぶさに伝える。

 突進する俺たちに、ハルドライドは一瞬意外そうな顔をしたが、ニヤリと笑い、袈裟懸けに構えた。

 俺はアンジェリカをしっかりと抱きしめ、ダダジムの上から身を起こして片膝をついた。そして、アラゴグに合図を送った。

 アラゴグが俺の肩越しに糸を射出したと同時に、俺はダダジムの背をぽんぽんと叩いた。


「クルルルルル……」


 ダダジムが一斉に鳴き、ロディオのように地面を四肢で叩くと、俺たちを上空に押し飛ばした。ただし、浮き上がったのはわずか3メートル程度。それでも俺たちの身体は重力から解放され、剣を構えるハルドライドの8メートル前に放り出される。

 だが、俺たち二人分の重力を解き放ってくれただけで、アラゴグには充分だった。

 まるでバンジージャンプで張力が最大になった瞬間のように、俺たちはさらに高い上空へと引っ張られ、ハルドライドを軽々と飛び越えた。

 他者に身体を翻弄される中、俺はただ冷静に次の指令をダダジムに与えていた。

 

「散開っ!」


 ハルドライドの意識が、見送るホームランボールのように宙を飛ぶ俺たちに残っているうちに4体のダダジムに逃げるように命じた。

 うまく通じたのかは分からないが、俺たちのことは気にしなくてもいいぞ――


「クルルルルル……」


 のダダジム達が俺たちをダイビングキャッチしてくれたから!

 流石は6馬力、ハルドライドの遙か頭上を飛び越えた俺たちを一糸乱れぬ動きでダイビングキャッチしたあとも、着地の膠着時間なしでそのまま疾走を続けた。


「アンジェリカ、今治してやるからな! 絶対死ぬんじゃないぞ!」


 俺は血で濡れたアンジェリカの頭部に左手で触れた。

 召喚士の分類は、ネクロマンサーや精霊使いや魔物使いと同じ【操作系】だ。細部は違うだろうけど、おおよそ術者の魔力で“対象者”を操ることが出来る。

 と同時に、術者が死ぬ、もしくは指輪を外されれば“対象者”は暴走を始めてしまう。

 すなわち、アンジェリカのダダジム達が統制を維持できていることがアンジェリカが生きている証拠だ。

 ――なのに、いくら頭部に触れても【魄】による治療開始のメッセージが出てこない。


「なんでだ?! 2度目だからか? くそっ、アンジェリカ死――」


 そこで俺ははたと気づく。

 アンジェリカの頭部は真新しい血でぐっしょり濡れているものの、突き刺さっているはずの矢が…………腹部から突き出ていた。


「なんだこれ……?」


 アンジェリカは腹に何かを抱えており、その何かの頭部から矢が一本突き出していた。

 よく見ればそれは――ダダジムだった。ぐったりとして、すでに事切れている。


 どういうことだ? 俺のダダジムはあのとき4体とも確かにいた。アンジェリカのダダジムもここに6体そろっている。それに、なによりも俺はこの目でアンジェリカが頭部を射貫かれたのを確かに見たじゃないか……。


 ――いや。こういうのを俺は一度“見た”ことがあるぞ……。

 そうだ、ゼゼロの追憶の時だ。あの時も、ゼゼロが魔力を込めた拳でアンジェリカの頭部を吹っ飛ばしたはずだった。……ぶん殴って破壊した頭部の感触が記憶として残っている。

 なのに、次の瞬間にはアンジェリカは無事で、油断したゼゼロにアンジェリカの召喚術がヒットして――ダダジムが産まれた。

 仮にもし、あのときアンジェリカを庇ったのがダダジムなら、時系列がおかしなことになる。


 とりあえず、アンジェリカのおっぱいを揉んで落ち着くことにした。

 もみもみもみもみ。


「何すんのよっ! スケベ!!」


 アンジェリカはカッと目を見開くと、グローブ付きの右拳を俺の顔面に叩き込んだ。

 やっぱり起きてんじゃん。


「やっぱりあなたもそういうつもりだったのね! エッチ馬鹿スケベ変態!!」

「や、やめっ――ぐはっ、俺はただアンジェリカの心臓が本当に止まっているかのチェックをですね――ごふっ」


 アンジェリカさんちのダダジムさんがしっぽで俺の両腕を拘束するものだから、もうたこ殴りですよ。


「頸動脈ですむことじゃない! 今度やったらダダジム転生よ!」 

「はい、すみません。はい、すみません」


 怒り心頭のアンジェリカさんに俺は鼻血を拭きながら謝った。

 おかしいな、生きるか死ぬかの土壇場のはずなのに何で味方に殴られてんだろ。

 

「あの……」

「なによ!」


 ギヌロと睨まれる俺。おっぱい揉んだだけでここまで怒られるんだから、それ以上のことを致した盗賊どもが死ぬのは至極正しいことと思う。じゃなくて……。


「俺にはアンジェリカの頭に矢が刺さって死んだように見えた。なのに、実際矢を受けて死んでいるのはどこからか突然現れたダダジムだ。一体何が起こったんだ?」


 見つめる先の瞳が、細かく揺れたような気がした。

 アンジェリカが小さく唇を動かした。


「“身代わり召喚”よ。……この仔はね、私の代わりに死ぬために召喚されたダダジムなの」

「……? 死ぬために?」


 何のための召喚だ? ちょっと意味が分からない。

 そんな俺に、アンジェリカはちょっとイライラしたような感じで続けた。


「だから身代わりよ、身代わり! 私の代わりに死んでくれるの!」

「??? 死ぬために召喚されるの? そんなの非道くない?」


 そんなことがまかり通ったら、月は兎で一杯になってしまう。


「そんなの知らないわ! だってそういう召喚士専用スキルがあったんだもの。タカヒロだってよく知らない相手にいきなり殺されたりなんかしたくないでしょ! 殺されなければ“身代わり召喚”はされないの!」


 アンジェリカは憤然として言い放つ。

 話を聞く限りその“身代わり召喚”とやらはスキルONにしていれば自動的に行われるらしい。アンジェリカが『殺された』と同時にその事象がダダジムと入れ替わるのだそうだ。


「つまり、アンジェリカは殺されても死なないってこと? 代わりにダダジムが死んでくれるから」

「そういうことになるのかしら。でも即死だけよ、たぶん。……殺されてからしか身代わり召喚は行われないし、その間の記憶は飛んじゃうのよ。召喚獣とのリンクは途切れたりしないんだけどね。気がつけば血だらけで立ってたなんてしょっちゅうだわ。もちろんリスクもあるけど、むざむざ殺されるよりはずっとマシね」


 しょっちゅう、ね。

 アンジェリカ曰く、身代わり召喚だと記憶が飛ぶもんだから、ダダジムの返り血を浴びたことにも気がつかないことがあるらしい。初めて会ったときもだいたいそんな感じだったようだ。

 これでアンジェリカが血まみれになってる理由はよく分かったけど、なんていうか、過酷な生き方してるなぁ。俺も二ヶ月後にはこんなんなっちゃうんだろうか。

 でもまあ、そういうジョブ専用スキルで“奇跡”っぽいのはネクロマンサーにも確かにある。【傀儡転生】ってのがその典型だ。殺しておいて5分後に完全復活とか、キリスト様もびっくりなスキルだ。


「さぁて、これで振り出しに戻ったわけだけど、どうする、アンジェリカ」


 村の野菜畑近くまで戻ってくることができ、俺たちは納屋の屋根でようやく一息を付くことが出来た。近くに盗賊どもはいないらしい。


「撤退はしないわよ。まだあなたの『決め手』を試してないでしょ? 前進あるのみよ」

「そうだな。……ロッドもひょっとしたら目を覚ましているかも知れないし。あいつ、周りに誰もいなかったらマチルダさんに指輪付けてくんないかな」


 今のところ、俺の方には変化は無い。ロッドの奴まだ気絶してんのか?


「ん? マチルダさん?」


 アンジェリカが聞き返す。そういえば名前までは教えてなかったっけ。


「今からクグツとして働いてもらう予定のロッドの母ちゃんの名前。広場に倒れているからすぐわかるはずだ。……まあ、すでにクグツにはなってるんだけど【戦士の指輪】を付けてないからほとんど動けない状態なんだ」

「つまり、あとはそのマチルダさんって言うクグツに指輪をはめればいいわけね。それで、指輪はロッドが持っているわけね。Ok、ヒレイを広場まで飛ばしてまだ気絶してるか見てみるわ」

「よろしくたのむ」

 

 アンジェリカが上空に向かって何か呟く。ここら一帯は煙が立ちこめていて俺には何も見えなかったけど、ヒレイには通じたんだろうか。


「でも、広場に行く前にこの仔をダダジムから降ろしたいわ。時間がないから埋めてはあげられないけどね」


 アンジェリカが膝に抱いたダダジムの亡骸をそっと撫でる。


「ふっふっふっ。では俺がネクロマンサー専用スキルを活用して、浄化葬をして進ぜよう」

「……浄化葬?」


 アンジェリカが怪訝そうな顔で俺を見る。


「うむ。浄化葬とは――(中略)とまあこんな感じで俺が考えた埋葬方法でね、死体の頭部に右手をちょいと当てるとな」


 俺はダダジムの頭部に手を当てる。すると【魄】を汲み上げるいつもの感覚があった。

 だけど、さすがに“瀕死体験”は起こらなかった。で、回収した【魄】は……。


 0%


 パビックの【魄】を回収した時点で114%だったのが、変わらず114%……。

 ちょっとショックを受けているうちに、身代わりダダジムの亡骸が崩れ始めた。アンジェリカのお膝元でグジュグジュデロデロに溶け始めた。


「あ、そっか。言うの忘れてたけど浄化葬って終わると死体がドロドロに溶けるから」

「え? ちょっと、やだ! ひゃ、ひゃぁぁぁぁ!!??」


 おまたを濡らしたアンジェリカが黄色い悲鳴を上げた。


「なんてことするのよ、馬鹿っ!」


 怒ったアンジェリカに、肩、胸、顎とぽこすか殴られて俺は仰向けにひっくり返った。

 夜空が煙に巻かれて見えない。遠くからパチパチと木の爆ぜる音が聞こえる。

 ――。

 何か今、すごく大事なことを見落としていたのを、思い出した気がする……。


「…………」

「タカヒロ、大丈夫? 困ったわ、ちょっと強く殴り過ぎちゃったかしら」


 アンジェリカが心配そうな顔で見下ろしていた。あんた右の手袋に何仕込んでんの? 右フックっぱねぇす。

 身を起こすのもおっくうなので、仰向けの状態で尋ねた。


「サブンズ、ドルドラ、トルキーノにハルドライド。……残りの盗賊は今どこにいる?」

「え? ……ええ、と。さっきまで何か運んでて、今はタカヒロが気にしてたロー公って奴のところに集まって、蜘蛛の糸を溶かすために炎の中に放り込んでいるわ。確かに炎の熱で糸は溶けちゃうけど、そんなのって――」


 俺はがばっと跳ね起きた。

 予感的中。あいつらロー公を復活させやがった。俺はアンジェリカの両肩をがっしと掴み、言った。


「今から全速力で広場まで駆け抜けるぞ! いいな! アラゴグ、それに残りのダダジムを総動員してにあてろ。絶対ロー公には向かわせるな」

「え? ええ、わかったわ。ダダジム! 走って!」


 ダダジム達が「クルルルルル……」と元気よく駆け出す。

 くそっ、盗賊の4人が一斉に俺たちに向かってきたのは、ロー公を見つけ、そして助け出す方法を見つけたのを俺たちに気づかせないためだったに違いない。

 お頭たちは、自分たちが監視されていることに気づいていたのだろう。そして、ロー公を解き放つことで満を持しての反撃に打って出たのだ。


 なにか猿叫のような雄叫びが背後から聞こえた。

 アンジェリカがびっくりして後ろを振り返る。


「な、なに、今の?」

「ロー公だ。真っ直ぐ俺たちを追ってくるはずだ。アンジェリカ、確認だ。ダダジムは俺の4体とアンジェリカの6体、残りは何体いる? アラゴグは残り何体だ?」


 俺は矢継ぎ早にアンジェリカに聞いた。アンジェリカは目を白黒させながらも答える。


「ダダジムはこの仔たち以外には、あと2匹よ。アラゴグはタカヒロのを含めて、まだ14匹いるわ」

「4匹か……。くっそ、パビックの追憶の時に気づくべきだった」

「タカヒロ、あなたさっきから何を言っているの?」

「【死霊の槍】だ」


 俺は吐き捨てるように言った。


「悪い、忘れてた。すっかり忘れてた。この村の死体は全部片付けたって思い込んでた――まだ、あったんだ」

「待って、今ヒレイから……、え? 嘘でしょ?」


 不安そうな顔でアンジェリカの手が俺の腕に触れてきた。


「タカヒロ聞いて……でも、こんなことって……」

「どうかしたのか? ……悪いニュースなら聞きたくない気分なんだけど」


 盗賊たちが何を運んでたって? そんなの決まってるだろ、だ。

 アンジェリカの声はもう悲鳴に近かった。


「殺されたはずのダダジム達の反応が……こっちに向かってきてるわ。どういうこと?!」

「構うな! 全力で突っ走れ! ――どうだ、ロッドはまだ広場にいるのか?」


 俺を見上げるアンジェリカの瞳は、震えていた。


「それが――どこにもいないのよ」

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