第75話 綺麗な月の夜に

 気がつくと同時にパビックの身体が崩れた。

 支えを失い、俺はドロドロでぐちょぐちょまみれになりながら地面に尻もちを着いた。パビックだったものはぶくぶくと音を立てて、やがて指の隙間から地面に消えていった。

 さよなら“先輩”。ひょっとして俺の送るはずだった人生の末路を見せてくれてありがとうよ。


「……でもなんか、今回は長かった気がするな」


 ロードハイムの時と同じくらいな調子でつもりだったけど、かなり同調してしまったのかもしれない。

 たとえ相手がクグツでも、死体から【魄】を吸収する度に、俺は“死者の追憶”を辿る。だけど、今回のはいつもの“同調具合”とはなにか違うような気がした。

 少し離れたところに気絶したロッドが転がっている。つまり、ロッドが目を覚まさないくらいの僅かな時間なんだろうけど、内容はいつもの倍くらいあった気がする。

 俺の技量が上がったのか、それともパビックの鬱憤が溜まっていたのか。それともパビックにだけ特別なことでもあったのか?


「いや、そんなことよりも急がないと……」


 すでにパビックは合図の大声を上げている。ロー公が声を聞きつけて向かってきているに違いない。近くに盗賊がいても――


「トーダ。ここで一人で何をしているんだ? みんなはどこにいるんだ?」


 心臓が跳ね上がる。

 一難去ってまた一難とはこのことだ。俺は声のした方に振り返った。幸いなことにあれだけ深く同調した割にはふらつきなどはない。回復は早いようだった。


「……お頭達は黒い獣に乗った魔物使いを追いかけて村の奥に集まっているみたいです」

「さっきから指輪の調子がおかしいんだ。みんなと連絡が取れなくてな」


 口ひげのひょろりとした体躯の男――ロドルクが左手の指輪を小突きながら近づいてくる。俺の足下にはパビックの抜け殻が放置されていた。

 まずいな、そう思いつつもこの場を切り抜けるうまい考えが浮かばない。

 

「トーダは何でここにいるんだ? ここで何してた?」

「え、あ、魔物使いは黒い獣に乗って逃げてますし、俺には武器も何も無いので……その……手持ちぶさたって言うか、だからその少年の“死体”を母親の死体の元に運んであげようかな――っていう、謎の行動をですね……」

「ふぅん。そりゃ確かに謎だ。だが、なかなか出来ることじゃないぜ。心意気って奴を感じるぜトーダ」


 ロドルクとの距離はもう7メートルもない。

 果たして、ロドルクは俺を殺す命令を受けてこの場にいるのか、それとも本当にみんなとはぐれてここにいるのか。今までの“追憶”を照らし合わせてもロドルクの姿はほとんど無かった。いや、それどころか盗賊達がロドルクを探していたくらいだ。

 ……考えろ。

 ロッドに駆け寄り、【戦士の指輪】を手にマチルダさんの元までひた走るか、それよりこのまま話を合わせていれば、すんなりとロドルクと別れることが出来るんじゃないだろうか。

 俺がゴクリと喉を鳴らす。

 平常心スキルが効いているので比較的リラックスな状態だが、究極の選択を迫られていることには違いない。

 もっとも、ロドルクが俺を殺すために迷子を装って近づいてきているのなら、俺がこの先どんな行動を取ろうと結果は同じだろう。走って逃げ切れるほどの体力は正直残っていない。


 いや、まて。……ロドルクは右手に指輪をしていない。つまりパビックと同じ一般ピーポーだ。うまく立ち回れば出し抜けるかも知れない。なんせ、ロドルクは今までに一度も戦闘に加わっていないのだ。ミサルダの襲撃の時もそうだ。そしてこの村の時も。お頭とアーガス、パビックとロドルクは馬に乗ったまま静観を決め込んでいた。腰に差した剣を抜いた姿を俺は一度だって見ていない。

 あ――いや、ロー公がロドルクのジョブについて何か言っていたような気もするけど、指輪を外している時点で技量的にはパビックと同じと考えていいだろう。

 

「そういやトーダ。おまえ、お頭に啖呵切ったんだって? なかなか出来ることじゃないぜ」

「――はい。でもそのあとすぐにロードハイムさんに……」


 思わず一歩引いた。ロドルクの嘘を見抜いたからだ。誰とも会っていないのなら、お頭と言い合ったことをロドルクが知るはずもない。

 カチャリと、後ずさったその一歩が何か堅い物を踏んだ。

 思わずその堅い何かを拾い上げようと身をかがめた――その僅か上を鋭い斬撃が風切り音を伴って通り過ぎた。

 舌打ちが聞こえ、俺は反射的にロドルクを見た。ロドルクは剣を両手に持ち直すと、俺の頭に狙いを定めていた。

 獲物を前に舌なめずりはしない――盗賊の鑑のような一撃が振り下ろされる。それを、俺は手にしたナイフでどうにか受け流すことが出来た。パビックの足に刺さっていたやつだ。

 だが、次の瞬間、俺はロドルクの前蹴りを食らった。ナイフがその衝撃でどこかに飛んで行ってしまった。

 ファーストジョブ云々の話ではなく、ロドルクは指輪なんて必要ないくらい完全に戦闘慣れしていた。人を傷つけることに全く躊躇していない。

 ……まあ、こんな連中相手に生活していたら、どんな善人でも真っ赤に染まるよなぁ、とパビックを想ってみる。抗う力がないのは生きる術がないのと同じだ。

 二転三転と地面を転がったが、もうそこで俺の体力は底をついていた。

 痛みに喘ぐこともままならない。寝不足な上、極度の緊張状態が続き、果てはさっきまで匍匐前進で蚯蚓のまねごとまでしていたのだ。

 ロドルクはジッと俺を見据えたまま、油断無くゆっくりと近づいてくる。


 だけど俺は最後の力を振り絞り、ずりずりとみっともなくロドルクから離れようとした。 


「クルルルルル……」


 待ちわびていたダダジム達の姿を――そして声を聞いたからだ。

 勇気が奮い立つ。俺はロドルクの足止めにかかった。


「ずばり、ロドルクさんの敗因を上げるとしたなら、それは口髭にクリームが残っている事です! ほら左の髭にクリームが付いてますよ。早く取らないとかぴかぴになって……」

「……はぁ? おまえ何言って――ガッ」


 ロドルクの後頭部にダダジムが投げつけた漬け物石がクリーンヒットした。

 さすがノージョブノーフューチャー。

 直前に口髭に意識を移したことが敗因なのだ。ロドルクが白目を剥きながら地面に倒れた。

 死んではいないようだけど、とどめを刺しておいた方がいいだろう。まずロッドから指輪を探して、マチルダさんを再起動させて、ロドルクにトドメをさしてもらって、ダダジムにお礼としてロドルクをむしゃこらさせて、最後に首だけになったロドルクの【魄】を俺が頂くってことで。

 よし、計画は完璧だ。……だけど、あれ? 周りを見渡してもダダジムの姿はなかった。いつもなら雁首そろえて顔を見せるはずなのに。

 おかしいなと思い、立ち上がる。蹴られた左胸がずきずきと痛んだ。

 回復しようと左腕を持ち上げた俺の背に、べちゃりとなにか液体のようなモノがかけられた。


 それがなんなのか確かめようと手を伸ばした次の瞬間、逆バンジーのように、ぐん、と強い力で後方上空に引っ張り上げられた。いやむしろ、鰹の一本釣りだ。

 地面から足が離れ、空中に放り出される。訳も分からず足をばたつかせ、自由を失った俺の鼻先ほんの2,3cm先をなにか棒のようなものが通過していった。「くそがっ!」の罵声のおまけ付きでだ。投げ槍はそのまま飛んで隣家の壁にドガンと突き刺さる。

 あまりの突飛な出来事に周りがスローモーションのように流れていた。

 重力には逆らえず、わずか1秒ばかりの空中遊泳を終え、頭から落下し始めた俺は――だけど、地面には叩き付けられなかった。そのすれすれを「クルルルルル……」とダダジムご一行が駆け抜けたのだ。


「お、おまえら、来てくれたのか!?」

「クルルルルル……」


 仰向けにひっくり返った姿勢のままの俺を乗せ、ダダジム達は嬉しそうに鳴いた。そして、それとはまるで対照的に悔しそうに唇を歪めるボルンゴのそばを駆け抜ける。

 

「助かった。ありがとう――って、ひゃぉぉぉお??!」


 礼もそこそこに、ダダジム4体がタイミングを合わせジャンプしたのだ。木材を足がかりに再びジャンプ。一気に屋根の上まで飛び乗った。

 内蔵が浮き上がる体感に先ほどはあげなかった情けない悲鳴が零れるが、ダダジム達はそれぞれのしっぽを俺に巻き付け、シートベルトのように固定しながら走り続ける。

 屋根と屋根とを飛び越える度に改めてダダジム走行のすごさを体感する。こいつらは以前、カーブの度に内と外とで絶妙な角度を付け遠心力を殺し、安定した走りを提供してくれていたが、ここに来てダダジム・ザ・SUV(スポーツ ユーティリティ ビークル)のサスペンションの良さにも定評をくれてやる走りを見せつけやがった。  

 サスペンションとは、車で言えば路面からの衝撃を緩和する装置で、乗り心地はもちろん、走行性能や車高などを決める重要な役割を担っているシロモノだ。

 こいつらダダジムの走りは、屋根から屋根に飛ぶ跳躍力と、着地の際の衝撃緩和が底知れずに巧く、下手をするとダダジムSUVでアトラクションを愉しみながらグラスで果蜜酒を一杯やれるのではないかって言うぐらいだ。喉渇いた。車内サービスないの?


 綺麗な月の夜も台無しにするくらい村の奥は煙が立ちこめていた。

 ダダジムも燃えている屋根上に飛び乗りたくはないのか、一度地上に降り、方向転換すると再び屋根の上に飛び乗った。

 ――と、寸分違わず同じ動きで、うちより2体多いダダジムSUVが隣に付け併走してきた。俺よりさらにリラックスした感じのパッキンガールが話しかけてくる。

 

「はぁい、タカヒロ。深夜のドライブを愉しんでる?」

「燃え盛る火の粉を浴びながら盗賊に付け狙われている状況がアトラクションの一環だって言うのなら、悪くない。全部夢だって言うんなら、なおよろしい」


 アンジェリカが風に髪を掠われながら楽しそうにコロコロ笑う。

 その美しい横顔は生乾きの血でべっとりと汚れていた。まるで始めに会った頃のように。


「あの子――ロッドがいないようだけど。良い子はもう寝ちゃったのかな?」


 惨劇の有無をオブラートに包みながらも訊いてくる。


「クグツ化したパビックに体当たりされて気絶してる。一応そのパビックは斃したけど、他の盗賊に見つかってな。危ないところをこいつらに助けられた」

「そう。……その様子だとまだ自分のクグツを甦らせてはいないみたいね」


 クグツ第一号のことはご存じないらしい。言わぬが華かも知れないな。あいつ生きてるし。


「盗賊達が大人しくしててくれればすぐなんだけどな。――指輪はロッドが持ってるんだけど、すぐ近くにロドルクとボルンゴが現れた。あまり近くをウロウロ出来ない。それよりアンジェリカは今までずっと逃げ回っていたのか?」


 だとしたら1時間以上にもなるだろう。なんせ、蚯蚓のように這い回っていた時間も含めるとだいたいそのくらいになる。


「そうでもないわよ。私だって召喚士のレベルも【熟練度】も上がってパワーアップしてるんだから。逃げ回ってるばかりじゃなかったわ」

「そうか。それはおめでとう」


 【熟練度】ってのは、ネクロマンサーで言うところの【魄】のレベルアップってとこなんだろうか。ゼゼロ、パビックに加えて、馬から大蜘蛛を召喚しまくったんで【熟練度】ボーナススキルが上がったってわけか。


「なら、一人くらい倒したのか?」

「それはまだだけど……。でもトルキーノってやつは返り討ちにしてやったわ。アイツ、指輪を狙っているのが見え見えだったもの」


 アンジェリカは細腕の力こぶを見せながらドヤ顔でガッツポーズを決めた。……強いなぁ。いろいろ。

 そういえばトルキーノがアンジェリカをはめようとして返り討ちに遭った、みたいなことを聞いたな。

 いや、それよりもだ。


「――アンジェリカ。ロー公はどうなった? スキンヘッドのネクロマンサーだ」


 一番気になる存在がまだ野放しだ。パビックの大声を聞いてすぐにでも現れると思ったのにまだ姿を見せていない。


「あいつね。あんまりしつこいからダダジムとアラゴグで足止めしてもらってるわ」

「アラゴグ……?」

「この仔のことよ。大蜘蛛の『アラゴグ』。せっかく召喚したんだもの、名前がないと可哀想よ」


 そう言って、アンジェリカは左手をスッと挙げた。その脇の隙間から巨大な大蜘蛛がヌッと現れた。

 体長40cmほど、ふさふさな黒い体毛で覆われてはいるが、赤と黄色の斑点模様がいかにも毒々しい。黒玉を思わせる眼が大小8つ付いていて、ジッとこちらを伺っている。


「馬から大蜘蛛が産まれるんだな」

「あら、よくご存じね。ロッドから聞いたの?」

「ああ。……子供にあんまりグロテスクな出産シーン見せるなよ。あいつきっとトラウマになってるぞ」

「ふふふっ、そうね。子供にはちょっと刺激が強すぎたかも」


 アンジェリカは全く反省していない様子で目を細め笑みを洩らす。 


「でもどうして馬から大蜘蛛が産まれるんだ? ほ乳類から虫ってあり得ないだろ」


 正確には蜘蛛は節足動物だから昆虫じゃないんだけど。

 アンジェリカは横目でチラリと俺を見ると、また前を向いた。

 

「私にだってどんな種族が産まれてくるかなんて分からないわ。一応、召喚士専用スキルでそういうのがあらかじめ分かるスキルがあるけど、まだ習得していないもの。――でも、産まれてくるまでどんな種族が分からないって、なんだかドキドキするわ」


 アンジェリカは楽しそうに笑う。

 召喚獣が産まれて、自分の眷属として迎えられるのなら、どんな種族だろうが嬉しいのだろうけど……ただ、あくまでアンジェリカの召喚術は、“生け贄召喚”。

 盗賊どもはともかく、馬の犠牲のもとで大蜘蛛が産まれたというのを忘れないでほしいものだ……、って他人のことをとやかく言えるほど俺も達観できる身分じゃないしな。

 むしろ、「おまえネクロマンサーが言うな」って言われそう。はい、すみません。


「――で、どうする。ロー公をうまく足止めできているって言うのなら、ロッドを回収して村の外に逃げ出すって言うのはどうだ? ダダジムもアラゴグもいる。昨日とだいたい同じ生活水準まで戻ったわけだろ」


 俺が内側からアンジェリカが外側から混乱させてきたこともあってここまではうまくいった。だけど、俺の立場が相手側にバレた。相手は今までに何人もの『選出者』を敵にしてきた百戦錬磨の盗賊どもだ。奇襲ならともかく、このままガチンコで当たったとしても勝ち目は薄いだろう。


「冗談じゃないわ……」

 

 低く唸るような声がアンジェリカの喉から聞こえた。

 見ると、愛らしい表情を見せていたアンジェリカから笑みが消えていた。能面のような感情を見せない貌で唇を震わせていた。


「村から出るのなら一人で出てって。あとは私ひとりで出来るから」


 冷たく突き放すような言いぐさで顔を背けると、アンジェリカの乗ったダダジム達はサッと地面に降りたかと思うと、方向転換し、今度は野菜畑がある方へと走り出してしまった。


「くそっ……。ダダジム。アンジェリカを追ってくれ。今更一人になんてできるわけないだろ。あいつ、やっぱり皆殺しを企んでやがる」


 だから、ロー公の持ってる【死霊の槍】がヤバいんだってのに。まったく聞き分けのない。

 「クルルルルル……」とMyダダジム達は屋根から地面に降りる。衝撃を吸収する足腰はたいしたものだが、急降下時の内臓の浮遊感だけは慣れそうにない。股間にきゅぅんとくる。


「待てよ、アンジェリカ。待てったら!」


 追いつこうと呼びかけるも、アンジェリカはガン無視でさらに速度を上げた。

 向こうは6馬力、こっちは4馬力しかない。このままでは置いて行かれる一方だが、目的地が定まっていないので結局追いかけっこのようになってしまう。「捕まえてごらんなさ~い」「ははは、こいつめ、どこへ行こうというのかね」……こんなことをしている場合じゃないのに。

 だいたい、村中を走り回っているのに――あれから一度も盗賊どもの襲撃どころか、姿すら見えないのが気に掛かる。

 一応、ダダジム達にはそれとなく盗賊どもの襲撃に遭わないように、矢とか投げ槍とか銃弾とか、とにかく気を張っていろとは言いつけておいたものの、それらすべてを躱せるとは到底思えない。特に弓術士のサブンズ辺りは確実に狙ってきているだろう。

 闇雲に走り回って、アンジェリカのやつは一体何を考えているんだ?


 村を半周している間に、さらに15馬身くらい離されて、とうとう角を曲がった辺りでアンジェリカを見失ってしまった。

 一度見失ってしまった以上、考えなしに走り回るのは危険だと判断し、俺は屋根の上に戻るようダダジムに命令した。屋根の上で身を伏せていれば、少なくとも下からの襲撃は免れるだろう。あとはサブンズに対して気を張りつつ、アンジェリカが通りかかるのを気長に待つつもりだ。

 だが、薪小屋の屋根に飛び乗る直前に、俺は再び背中に何か液体のようなモノをかけられた。

 その瞬間、グン、と俺だけが背後に引っ張られ、まるで『トースターを片付けようとしたらコードがコンセントに繋がったままで、ピーンとなって、トースターを落としてしまった』的な状態となり、俺は地面に背中をしたたかにぶつけた。

 幸い飛び移る直前だったことと、落ちたところが柔らかな草の上だったおかげで大事には至らなかったものの、下手をすれば頭を打って人知れずお亡くなりになるところだった。


 ほふぅ、と一息を付いて身を起こした。

 ダダジム達が駆け寄って来る気配はない。ただまあ俺を落っことしていったのに気づかないって事はないだろう。すぐにUターンしてして戻ってくるだろうと俺は草むらに身を隠し、動かずに待つことにした。

 ところが、3秒も待たないうちに背後から俺の首筋に沿って抜き身の刀身がヌッと生えてきた。


「アンジェリカとグルだったんだな、トーダ。あいつの怪我はオメーが治したのか?」


 右の頸動脈を押さえるように刃が首筋に押しつけられる。まだ痛みはないが、ハルドライドの意向次第では失血死か斬首になるだろう。


「――最後にアンジェリカの部屋に行ったのは、アーガスさんでもパビックでもなくて、この俺です。そしてアンジェリカの傷を治した」


 どう転ぶか分からないが、ただ正直に真実を話した。


「パビックは死んだぜ」

「6体の召喚獣が代わりに産まれました。パビックの魂は彼女とともにあります」

「俺たちを裏切って、殺される危険を冒してまでアンジェリカに肩入れする理由は何だ? 一度やったら情が移ったのか?」

「アンジェリカには前に助けられました。その恩をただ返しただけです」

「何だオメー、トーダ。まだやってねぇのかよ」


 あきれた溜息が耳元にかかる。


「裸は拝ませてもらったから。俺にはそれで十分です」


 首筋の刃が細かに振るえた。ハルドライドは笑っている。

 ――と、ふいに刃が解かれた。やっぱり斬首か…………と思って覚悟を決めてもその一撃はいっこうに来ない。恐る恐る振り返ると、抜き身の剣を肩に担いだハルドライドが俺に背を向けて立ち去ろうとしていた。


「どうして……?」


 訳が分からず、その背に問いかける。とっとと殺せばそれで終わりなはずだ。


「オメーを今殺せば、アンジェリカがそれに気づいて逃げちまうだろ。せっかく顔の怪我を治してもらったんだ。あの女をもう一回抱きてーじゃねぇか。それにもしもの保険にオメーに恩を売っとくのも面白いしな。

 ――ただし、今回限りだぜ、俺の気まぐれもよ。次はねーぜ」


 剣を鞘に収め、ハルドライドが去って行く。よせばいいのに俺はその背に知りたい真相ことを訊ねた。 


「パビックが初仕事でハルドライド先輩と一緒に犯した姉妹は、まだ生きているんですか?」


 ハルドライドの歩みがピタリと止まった。そしてゆっくり振り返る。


「……オメー、そういう話を聞ける仲になったあいつを簡単に裏切れるんだな」


 再びハルドライドが剣を抜き近づいてくる。

 ぎゃーっ、墓穴を掘ってしまった。パビックのことなんて想像に任せておけばよかったーっ!

 「アイテムボックスオープン」と呟き、手元に亜空間を出現させる。中にはロードハイムのロングソードが入っている。ここで一発、亜空間居合い斬りをですね……って、ちょ、何これ片手じゃ普通に重い――


「ちょっと待ってろ」


 間に合わな――へ?

 だが、近づいてくるハルドライドが何かに気づき、鞘を盾に急に身を捩らせた。木の幹にべちゃりと液体がかかるのを見た。一体何と戦っているのか、次々と液体が吹きかけられるが、ハルドライドはものの見事に躱していく。

 ハルドライドは液体を振り払った鞘の持ち手を柄元に替え、「いると思ってたぜ」と、空いた手で腰に装着させていた投げナイフに手を伸ばした。

 液体をかけられた鞘が物陰にグン、と引かれ、ハルドライドには抜き身の剣が手元に残った。

 ――そうか、あの液体は“蜘蛛の糸”だ。

 そう俺が気づくのと同時に、ハルドライドが鞘が引かれた物陰に向かって投げナイフを放っていた。そして駆け寄ると物陰に剣を突き刺し、大蜘蛛にトドメを刺していた。


 その、ほんの数秒の出来事に俺とハルドライド、ネクロマンサーと戦士との身体能力の差を見せつけられたような気がした。

 いつ戻ってきたのか、1匹を残し3匹のダダジムが俺のそばに待機していた。おそらく残り一匹も近くで様子を伺い、チャンスか俺の合図を待っているのだろう。

 俺の手に余るロングソードを杖のように携えて、俺は逃げることも出来ず佇んでいた。

 なるほど、と俺は諦念する。

 今ならパビックの気持ちがよく分かる。ロングソードこんなものでは戦士の前で何の役にも立たないだろう。

 俺は小さく、「ここはもういい行け。アンジェリカの役に立ってこい」そう呟いた。だけどダダジムは小さく「クルルルルル……」と鳴くばかりで俺から離れようとしない。

 ……仕方ない。二番煎じだが、ロードハイムの時と同じようにアイテムボックス活用で活路を開くか。だけど、【剣士】とは違って【戦士】は剣技の型を持たない。

 だけど、一体どのタイミングで出せばいいものだろうか。


「ああん? ひょっとしてその剣ってロードハイムのかよ? っかー、なんだよあいつ死んじまったのかよ」


 ハルドライドは剣の先に刺さっていた大蜘蛛をひょいと後方に放り投げ、再び俺に向かって歩き始めた。

 

「あー、パビックが唾付けた姉妹な、あいつらは俺の弟がやってる6号店が近くにあるって聞いてたからよ、まとめて回収に来てもらったっけか。死んだって聞いてねーから、まだ生きてるんじゃねーの?」 

「ア――」

 

 飛びかかろうと身をかがめたダダジムを制し、「アイテムボックスオープン」と、俺はそう叫ぼうとした。平常心スキルが効いているせいか、恐怖感はない。しっかりと相手の手元を見極めて――。

 だが、ハルドライドの一振りは、俺の予想のその数倍も早かった。


 何かが、ぷつん、と切れるような音が聞こえた。


 首から血がぶばぁっと…………でない。

 視界の半分がそれぞれ別の角度からハルドライドを見て…………いない。

 何より“痛く”なかった。

 まだ生きている。


「これな、トルキーノの張ったテグスの罠だ。弓術士の弓にも使われる強度のあるテグスだからな、さっきみてーに馬鹿面で動き回ってっと首ちょんぱになるから気をつけるんだな。毒も塗ってあるだろうしよ」


 ハルドライドの鈍い光を放つ剣の先に透明な糸が垂れ下がっていた。

 あのぷつんと言う音はこれを切った音だったのだろう。


「どうして……俺を殺さないんですか?」

「ああん? それさっき言っただろ。オメーが死ぬとアンジェリカは逃げちまう」

「じゃあ、人質として捕らえないんですか?」

「はぁ? 馬鹿かオメー。捕らえたらソッコーお頭がオメーを殺すだろ。やっぱりアンジェリカは逃げちまう。わかりきったこといちいち聞くな。」


 それもそうか。「こいつを殺されたなくなければ出てこい」って言われてのこのこ出て行く馬鹿はいない。どちらも助ける気などないのだから。

 いや、それよりも。


「ハルドライド先輩は俺のこと殺せってお頭に命令されてないんですか?」

「されてるぜ。――なのに、殺さずに見逃そうとしている。さぁて、答えは何でしょう? 答えが分かったら行ってもいいぜ……って、まあ、分からねーだろうし、別に期待もしてねーし、俺が殺さなくてもどうせ死ぬだろうしな」


 ハルドライドは意味深な笑みを浮かべると、じゃあなと軽く手を振って背を向けた。

 俺はその背に、再び莫迦を繰り返す。


「ヒントが欲しいです。ゼゼロ。パビック。ロードハイム。彼らが死んで思ったことは何ですか?」

「別に。……まあ、あと7人かよってな。そんなとこだ」


 ハルドライドが即答する。

 俺は口を開きかけたが、もうそれ以上引き留めるのはやめておくことにした。

 ハルドライドが見えなくなって、俺はようやく息を吐いた。まだくっついている首を撫でる。そこでようやく心配そうに俺を見上げるダダジム達と目が合った。


「おまえらもよく我慢したな」

「クルルルルル……」


 三匹が同時に鳴き、残り一匹も屋根の上から聞こえてきた。

 俺はトルキーノが張った罠をダダジム達に見せ、気をつけて走行するようにと念を押したあとアンジェリカのストーカーを開始した。

 ロッドやマチルダさんは逃げないだろうが、アンジェリカはいつ死んでもおかしくない。せめて一言ガツンと言ってやろうと思う。

 屋根の上にあがると、遠目にアンジェリカが近づいてくるのが分かった。視線の先が俺ではないから無視しているんだろうけど、声ぐらいは掛けられるだろう。


 俺はハルドライドが近くでアンジェリカを見上げていないか見渡した。

 どうやらいないと胸をなで下ろす。


「『あと7人』ってか……。まったくこの世界の住人ってのはどいつもこいつもイカレてる」


 ハルドライドが言った7人は、アーガス。トルキーノ。ボルンゴ。サブンズ。ドルドラ。ロドルク。そしてロー公で間違いない。

 つまり、この7人がいなくなれば(たぶん俺は死ぬので頭数に入ってない)、残りはアンジェリカと――お頭だ。


「女なら誰でもいいのか……」


 馬鹿は死ななきゃ治らないって言うけど、ビョーキは死を直前にして俄然やる気になってくるわけだ。

 ……“死を直前にして”、か。これってネクロマンサーの言うセリフじゃないよな。

 生きて帰ることを誓っていたはずなのに、俺はあのときうっかりそれを忘れかけてしまった。

 力の差を見せつけられ、生きることを放棄しかけていた。

 そして、立ち向かおうとするダダジム達と、マチルダさんのそばに横たわるレッグの姿が重なった。

 パシン、と頬を叩いて俺は顔を擦った。気持ちを切り替えないといけない。


「何でもいいから早く終わらせて、眠りたい」


 欠伸を噛み殺しながらそう妄言を呟く。ダダジム達も相づちのように「クルルルルル……」と鳴いた。


 ま。せいぜい足掻いてがんばりますか。

 死ぬのはいつでも出来るんだから。

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